2008年4月18日金曜日

民団新聞の記事の紹介

みなさんへ

過日、ブログで紹介した、横浜国大の授業での、日立闘争のスライドと朴鐘碩の話しの詳細が、
以下、4月16日の民団新聞で紹介されていますので、紹介します。

崔 勝久

今も生きる「日立闘争」 貧困・差別・抑圧の国際比較社会学 2008-04-16

約300人の学生を前に「日立闘争」と日立入社後に見えてきた日本社会の実情を語る朴鐘碩さん
横浜国大の総合科目で採用
共生とは 授業のテーマに

 【神奈川】横浜国立大学で10日からスタートした総合科目授業「貧困・差別・抑圧の国際比較社会学」の第1回テーマとして、70年代初頭の「日立就職差別闘争」が取り上げられた。300人を収容できる大教室はほぼ満杯。学生たちは当時の裁判闘争を記録したスライドと当事者の朴鐘碩さん(56)の肉声を通して民族差別の過酷な実態を知り、あらためて衝撃を受けていた。

朴鐘碩さんが講演

 横浜国大の講座はアジアの国々の問題を取り上げながら「共生」とはなにかを考えるシリーズ企画。第1回「現代日本」は教育人間科学部国際共生社会課程教授の加藤知香子さんが、「高度成長期の日本社会と『貧困・差別・抑圧』への抵抗‐マイノリティーの位置から」と題して準備した。

 日本の高度経済成長のまっただ中、学校教育を終えていざ社会人としてはばたこうというとき、「国籍」という大きな壁にぶつかった象徴的な例が在日2世の朴鐘碩さんだった。新自由主義の風潮がはびこる現在の日本社会はまさしくこの「貧困・差別・抑圧」の時代の再来ともいえると言う加藤教授は、「誰もが朴さんと同じような当事者になりうる」と提起し、足元にある問題として現在における「日立闘争」の意味を考えさせることに主眼を置いた。

 スライド上映に続いて教壇に立った朴さんは、「40年近くも前のことなのに当時のことはいまでも鮮明に記憶している。自分はなんのために生まれてきたのか、こんな不条理は許されない」と裁判闘争を決意した経緯を述べた。さらに日立入社後に見えてきた日本社会の実情、その中で「人間らしく生きる」とはどのようなことなのかについて、自らの経験に照らして語った。

衝撃と共感が交差

 学生たちには朴さんのメッセージがストレートに伝わっていたようだ。

 加藤教授は「いままでの授業を振り返ってみても、これほど問題に真剣に向き合ったことはそれほど多くはない」と、提出された感想文を手に確かな手応えをつかんでいた。

 戸塚区出身で、バスに乗ってよく日立製作所の前を通っていたという学生は「意外に身近なところで差別が起きている」と、戸惑いを露わにしていた。

 そうしたなか、多くの学生たちが、民族差別に敢然と立ち向かった朴さんの勇気をたたえていた。ある学生は「差別が当たり前だった時代に自分から行動を始めた。朴さんはすごく勇気のある方なんだと思った」と話す。

 なかでも、在日4世というある女性は、「現在の恵まれた境遇」と朴さんの育った当時との違いに思いを馳せながら、「きょうの授業は感情移入せずには聞けませんでした」と、次のように心境を明かしていた。

 「私は友人や先生に国籍の話をするにも、抵抗を感じませんでした。私が国籍を負の境遇ととらえず生きていけるのは、朴さんをはじめとする上の世代の方々が社会に対して理解を求め、働きかけてきてくださったおかげだと感謝しています。未だに残っている就職差別(意識)を少しでも薄めることに少なからず義務感を感じています」

 また、在日中国人のある学生は、幼いころから日本の学校に通い、朴さんほどではないにしてもたくさんの差別を受けてきた。そのためか、朴さんの話には素直に共感したという。「朴氏にお会いできたのは、私の宝物です。私も差別や偏見と闘いながら頑張っていきます」と前向きだった。

 一方、韓国人留学生の男女は「在日同胞の存在は知っていたが、これほど厳しい環境の中で生きてきたなんて」と衝撃を隠せない表情で語った。 授業を傍聴していた当時の支援者の一人、崔勝久さん(63)=元「朴君を囲む会」事務局員=は「日立闘争とは何であったのか。いまの時点においてどのように捉えるのか考えることの重要性を知った。それは同胞青年にも言えることだろう」と感想を語った。

 この連続講座は前・後期の1年間を通して続けられる。

■□
「日立闘争」とは

 朴鐘碩さんは70年に愛知県の高校を卒業。地元の中小企業にしばらく勤めた後、新聞広告で見た日立ソフトウエア戸塚工場の採用試験を受け、合格。履歴書には通称名、本籍欄は愛知県と記した。会社側は採用通知を発送し、戸籍謄本の提出を指示。朴さんが在日韓国人のため戸籍謄本を取ることができない旨を連絡したところ、会社側は「一般外国人は雇わない方針だ。迷惑したのはこちらのほう」と一方的に採用を取り消したため70年12月8日、横浜地裁に提訴した。

 裁判の争点は2点。採用取り消しが労働契約成立後の解雇にあたるのかどうか、朴さんが韓国籍を隠したことを解雇の理由としたことが在日韓国人の歴史的な背景と民族差別の実態を考慮したときに合理性を有するのかどうか。提訴から4年後、判決は大企業による就職差別を断罪し、朴さんは「完全勝利」を勝ち取る。

 裁判闘争を通して朴さんは民族の魂を取り戻そうと韓国語の勉強を始め、民族的に生きる決意を固めていった。日立闘争をきっかけに「民族差別と闘う連絡協議会」が結成され、80年代の指紋押捺撤廃闘争へと運動がつながっていった。

(2008.4.16 民団新聞)

2008年4月13日日曜日

横浜国大における連続講義に参加して

皆さんへ

4月10日、横浜国大の連続講義「貧困・差別・抑圧の国際比較社会学」
の第一回目を、加藤千香子さんが受け持ち、「高度成長期の日本社会
と「貧困・差別・抑圧」への抵抗ーマイノリティの位置からー」というタイトル
で準備されました。加藤さんのレジュメは、本人の許可をいただき、
添付資料にしました。

「国際共生」という教育課程をもつ横浜国大の連続講座で、アジアの
国々の問題を取り上げ、「共生」とは何かを考えるという企画にあって、
外の、自分たちの知らない問題を知らせるということでなく、それらの問題
が自分の住む日本といかに関っているのか、自分自身の生き方の問題
としてとらえ考えて欲しいという趣旨であったと聞いています。

加藤教授は、日立闘争のスライドと当該の朴鐘碩に話をしてもらうという
企画をたて、300名集まる大教室にほぼ一杯であった学生にぶっつけ
ようと考えたようですが、その計画を聞いた私は当初、そんなことに今の
若い人たちは関心を示すのかといぶかしく思っていました。

しかしその「授業」に参加した私は、多くの学生が40年前の日立闘争の
スライドと、朴鐘碩自身の裁判を起こした当時の考えと、日立入社後に
見えてきた日本社会の実情、そのなかで「人間らしく生きる」とはどの
ようなことなのかという彼自身の経験に基いた話に、こちらが驚くほど、
真剣に受け止めたようでした。

加藤さんはこのようなメールを私に送ってくれました。
>学生の感想にあらためて目を通しましたが、朴さんのメッセージが、実に
>ストレートに多くの学生のもとに届いたことが分かります。
>今まで授業をやって書いてもらった感想で、これほど真剣に向き合って
>書かれたものが多いことは、実はそうありません。
>国際共生社会課程に入った学生には、まさに考えてほしかったことで、
>それが短時間で伝わったことに驚き、喜んでいます。

今の若い人は社会問題に関心がないなどと安易に言うことが多いのですが、
彼らの対応を見ていると、事実と、自分の生き方の問題として考えている
人のメッセージが正確に伝われば、しっかりと考えようとする人が多くいた
ということに私は、逆に教えられました。

若い人との対話は、新鮮でもありました。


崔 勝久
SK Choi
Skchoi7@aol.com
090-4067-9352



総合科目「貧困・差別・抑圧の国際比較社会学」第1回              2008/04/10 加藤

       高度成長期の日本社会と「貧困・差別・抑圧」への抵抗
                       ――マイノリティの位置から――


はじめに
  私たちの足元にある問題としての「貧困・差別・抑圧」
  「当事者」     


1. 高度成長期(1955~73)の日本
「貧困」・開発途上国から「豊かな国」・先進国へ
敗戦→占領→戦後復興→朝鮮戦争(1950~53)を契機とする特需→経済成長
  60年安保闘争後、「政治の季節」の終焉 「経済の季節」へ 高度成長
  「国民」対象の福祉制度の整備 (1961 「国民皆保険」・「国民皆年金」)
「完全雇用」と「国民所得の倍増」 (1960 「国民所得倍増計画」 池田隼人首相)
 

2.「国民」から外された者―在日朝鮮人
  戦前:日本への渡航・定住者 植民地支配下で「帝国臣民」(しかし二級臣民)
  戦後:植民地解放→郷里への帰国者と日本残留者(「第三国人」呼称)
      1952 講和独立 外国人登録法施行(「外国人」として管理対象に、指紋押捺)
      1959~67 北朝鮮帰国事業
      1965 日韓基本条約(韓国籍にのみ永住権)
  高度成長期:日本で生まれ育った在日二世が学校教育を終え、社会人となる時期
            → 「国籍」という大きな壁  


3.「日立就職差別闘争」
  1970 朴鐘碩さんの採用取り消し、日立を相手取った裁判提訴 →74 勝訴
  日本人・在日朝鮮人の支援者による運動:「朴君を囲む会」


4.「日立闘争」で問われたもの、成し遂げられたこと     “パラダイムの転換”



5.そして現在の日本社会で・・
   「新自由主義」の時代:「貧困・差別・抑圧」の時代の再来?!
   現在における「日立闘争」の意味



◆ もっとよく知るために・・

朴君を囲む会編『民族差別――日立就職差別糾弾』亜紀書房、1974
鈴木道彦『越境の時――1960年代と在日』集英社新書、2007
鄭香均編『正義なき国――「当然の法理」を問い続けて』明石書房、2006
徐 京植『皇民化政策から指紋押捺まで――在日朝鮮人の「昭和史」』岩波ブックレット、1989
尹 健次『「在日」を考える』平凡社同時代ライブラリー、2001
姜 尚中『在日』集英社文庫、2008
上野千鶴子・中西正司『当事者主権』岩波新書、2003
テッサ・モーリス-スズキ『北朝鮮へのエクソダス――「帰国事業」の影をたどる』朝日新聞社、2007
富坂キリスト教センター在日朝鮮人の生活と住民自治研究会編『在日外国人の住民自治』新幹社、
2007
金侖貞『多文化共生教育とアイデンティティ』明石書店、2007

「日立就職差別裁判とは」(外国人の差別を許すな連絡会議HPより)
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html
朴鐘碩のページ 
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_90.htm
崔勝久・曺慶姫夫妻のページ 
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_89.htm

2008年4月3日木曜日

悲しいお知らせ、今、確認すべきこと

みなさんへ

「在日」の運動の良心、リーダーとも言うべき李仁夏牧師が入院され
ました。川崎教会を引退された後、名誉牧師として公害の街のど真ん中に
住まわれ、結果としてはそのことが遠因となって肺の病から倒れられ、
今は無意識の中で治療を受けられているとのことです。李先生のご回復を
心から願います。

李先生は、川崎の地で牧師として、また教会が設立した社会福祉法人
青丘社の理事長として、全身全霊をあげて地域の「在日」の問題に
取り組まれました。

李仁夏牧師の『寄留の民』は、「在日」の神学としては不朽の名作であり、
「在日」神学として「在日」の教会は勿論、日本の教会における必読書で
あると確信します。昨今、キリスト教会が社会の中で弱者の立場に立つ
ことの存在意義を問うより、「霊魂の救い」を表に掲げた教会勢力の拡大
に奔走しているとき、特に李仁夏牧師の追い求めてきた信仰理解は注目
され、追体験され、それを乗り越えていく視点が求められる所以です。

4月10日に横浜国大の加藤千香子さんの講義の中で、日立闘争が
取り上げられ、当該の朴鐘碩が日立闘争と日立入社後の自分の生きてきた
過程から見出した意味性について話すことになったということは昨日、
ブログで報告をしました。

この日立闘争は、まさに李先生の支えがあってはじめて可能であったと
言っても過言ではありません。生意気盛りな私や、将来への不安から
「問題児」であった朴鐘碩が日本人青年と一緒になって日立闘争に取り
組むのに、李先生はある時は表に立ち、またある時は、私たちの背後から、
祈り、支えてくださったのです。そこから川崎でのすべての実践が
はじまりました。

日立闘争の後の、指紋押捺闘争、地域での諸活動、川崎市との折衝など、
まさに李先生なくしてはありえなかったものであったと私は思います。
「共生」を掲げ、自分たち少数者の願い、訴えが多くの人に感動を与え、
それが市当局まで巻き込んだ大きな流れになったのだと李先生は確信
されていたのでしょう。

キリスト者である李先生は、その歴史の流れの背後に神の意思を見て
おられたのだと思います。自分もカルヴァンのようにキリスト者として
政治に参加したいと本気で思われ、外国人市民会議の設立に奔走され、
第1、2期の議長を務め、川崎市長の個人的な信頼をも得てきた
のでしょう。

私は李先生の信仰、模索、具体的な諸活動を尊敬します。
今年の6月に上野千鶴子さん、伊藤晃さん、加藤千香子さん
と一緒に、私たち「在日」が当事者としてこの40年生活の中で模索
してきたことを記した本を出版し、そこでは、「多文化共生」の問題点
とともに、「共生」運動の提唱者、実行者である李先生に対する批判の
箇所もあります。しかしそれらの批判は、「共生」の道程があったから
こそ成り立つ論議であり、その必然性、それを可能にせしめた李先生の
最大限の評価が根底にあるということを、ここに明らかにして、皆さんと
確認すべきだと、私は思います。

新自由主義という世の中を李先生が賛成されるはずがありません。
格差社会の激化が愛国心によってカモフラージュされ、個人がないがしろ
にされる社会をなんとかしなければならないと考えておられたであろう
ことは、私は十分に理解します。

しかし、悲しいことに、「多文化共生」はそれらの社会矛盾を隠蔽する
ような働きをするようになってきています。これは李先生の意図したもの
ではないということは明らかです。しかし時代は、その「多文化共生」と
いう言説を自分の陣営に入れそれを骨抜き、形骸化しようとしています。
私たちの出版もその社会の傾向に対する警告です。

李先生は昨年の、「共生」を考える研究集会にも参加され、開会の挨拶を
されました。自分が批判される対象であることをわかったうえで、
それでもなおかつ、問題点は一緒になって考えるという生き方を貫徹された
のです。私は李先生の勇気、生き方に心から感謝するとともに、最大の敬意
を表します。

李先生への批判、「共生」批判は、私たちがこの矛盾ある社会でどの
ように生きればいいのかを模索するのにどうしても経なければならない
過程であり、李先生はそのことの意味を十二分にご理解されていたと
確信します。だから、李先生は、私への最後の電話で、勝久(スング)も
がんばりなさい、と話して下さったのでしょう。

私は、「在日」として民族主義を乗り越えること、開かれた社会を求める
ことを出版のなかであきらかにしました。李先生もそのことを支持されると
思います。そういう意味では、私は李先生の不肖の弟子、「息子」であった
のです。不肖の「弟子」である私は、李先生の本来の意思を引継ぎたいと
心から願います。

李仁夏牧師のご回復を心から祈り、今の社会をどう見ればいいのか、
じっくりとお話を伺い、私たちの今後のことで多くの示唆を受けたい
ものです。




崔 勝久
SK Choi
Skchoi7@aol.com
090-4067-9352

2008年4月2日水曜日

最近の川崎市の動向と報告

みなさんへ

すっかり春めいてきましたが、皆さん、お変わりありませんか。
1月初めから体調が思わしくなく、外出するときは鎮痛剤で痛みを治めると
いう生活を3ヶ月も続けています。

ブログの更新もままならず、3月一杯はすっかりご無沙汰になりました。
最低限の報告ということになります。精力的に動けるようになるまで、
今しばらくお待ちください。

報告ーその①
川崎市は、韓国籍公務員であるK君の四度目のケースワーカ転職願いを
却下してきました。これは明らかに、阿部市長の決断と思われます。
人事課の方では、なんとかK君の思いを具体化するように努めた気配も
ありますが、最終的に、ケースワーカーの職務として、生活保護が必要だと
判断し、その処理をすることが「公権力の行使」にあたり、「当然の法理」に
反するということにしたのです。従って人事課はK君にケースワーカーは
断念し、他のところへ転職届けをだすように助言しているそうです。
私はこれは完全にこれは阿部市長の開き直りだと思います。

外国人の参政権のことが話題になっていますが、公明党、民主党が
賛成し、一部自民党議員も賛同していますが、今の政治状況下で、
実現されるかどうかは全くも未知数だと思われます。

参政権の獲得ということだけがスローガン化されていますが、その内容は
議論されていません。参政権はあっても被参政権は当然、ないでしょう。
まあ、参政権が具体化されるのであれば、外国人は「準会員」と公言する
阿部市長の罷免をいの一番に提案したいものです。

報告ーその②
4月10日、10時半より、横浜国大の加藤千香子さんの講義があり、
総合科目「貧困・差別・抑圧の国際比較社会学」 の第一回目の授業で、
日立闘争のスライドと朴鐘碩の話しがあるそうです。
200名くらいの学生が参加するので、もし参加されたい方がいらっしゃったら、
連絡ください。加藤さんは、大丈夫とおっしゃっていますので。
40年前の日立闘争のスライドをごらんになってご自分の授業に使おうと
判断されたようなのですが、今観ても新鮮だということは、40年、日本社会は
大きく変わっていないことでもあり、複雑な心境です。

しかしほとんど何も知らない学生がどのような反応をし、どのように「在日」
の問題と自分の生きかたと関連させて考えるのか、楽しみでもあります。
政治的なしがらみのない「無垢な」学生が、「多文化共生」が当たり前の
ように、現在の格差社会の激化の中でしらっと、語られる不思議さに気付いて
くれればいいのですが。


崔 勝久
SK Choi