2008年8月21日木曜日

植民地主義の克服と「多文化共生」、を読んで

まだまだ残暑が厳しいですが、みなさん、おかわりございませんか。

藤岡美恵子さんの論文「植民地主義の克服と「多文化共生」論」」
(『制裁論を超えて』、新評論、2007)を読みました。北朝鮮
バッシングが横行する現状を危惧しながら、それとは無関係に
唱えられる「多文化共生」の問題点を考察した、力作です。
教えられることが多く、共鳴するところも多い論文でした。
皆さんの一読を是非、お勧めします。

藤岡さんは、現状、地方自治体・国レベル、及び経団連で唱え
られる「多文化共生」は「外国人の受け入れおよび管理に関する
政策提案」と喝破し、そこに脱植民地主義化の視点が全くない
ことを批判します。彼女は、「多文化共生」とは「多文化主義」
にもとづく考え方であり、提言であると捉えるのです。

個人の平等の保障やアイデンティティの尊重を目指す「多文化
主義」は、それでも結局は、資本主義下の構造的な矛盾を抱えて
いると説明し、「多文化共生」の脱植民地主義化が課題である
ことを強調します。「人権の保障」では、この「脱植民地主義化」
にはつながらないというのです。

彼女の基本的な考え方に同意し、何点か私の意見を記します。
1.川崎は拉致されためぐみさんの両親が住み、北朝鮮バッシング
では最も声の大きな都市であるといえるでしょう。しかしその問題
が川崎の運動の中で取り上げられることはなかったように思います。
今後の私たちの運動の課題です。

2.彼女の論文は、北朝鮮バッシングに危機感を覚え、これまでの
自分の経験と世界のマイノリティの闘いの中から学び、それを理論化
しようとしたものと思われます。しかしその理論化の中で、地方自治
体の実態に関してはよく分析されていません。個別・具体的な地方の
実態に関しては、理論化が優先してよく見えていないのだと思われます。

これは金栄の力作「在日朝鮮人弾圧から見る日本の植民地主義と軍事化」
(『歴史と責任』、青弓社、2008)でも感じられます。そこからは川崎の
「共生」を批判し、日本社会の問題点を探る作業はなされず、かえって
川崎の「共生」を賛美するようになる可能性があります。

3.「人権の保障」を求める闘いを理論的にその限界を指摘すると同時に、
その闘いをさらに徹底化し、「国籍条項」にしてもそれを支える「当然の
法理」の問題点を具体的な地方で深めて考察して闘うことによって、日本
国家の在り方に対する批判・闘いになるのです。

4.同時に、日本国家の在り方を支えてきた日本人自身のナショナル・
アイデンティティの問題点を考察するべきだと思います。沖縄やアイヌ、
それに在日朝鮮人を国民国家の枠で新たに統合しようという動きは、
その根底に日本人の統合が明治以降、当たり前のこととして進められて
きたからでしょう。

日本社会で脱植民地主義化の動き、研究が進められて いないのは、
日本人自身のナショナル・アイデンティティ批判が徹底的に
なされてこなかったからだと思われます。「多文化共生」は日本の
ナショナル・アイデンティティを賛美するのに貢献しているという
ことは私たちの本で指摘したとおりです。


ということで、官製「多文化共生」を批判する集会を主催した<NGOと
社会>代表の藤岡さんとは今後、意見・情報交換をさせていただき、
お互い協力しあうことができればと願ってやみません。


崔 勝久

2008年8月20日水曜日

東京新聞で本の紹介


 みなさんへ


少し涼しくなりましたが、まだまだ残暑が続きそうですね。

お変わりありませんか。

本日の東京新聞(川崎版)で、私たちの本が紹介されました。

私の写真付きですが、実物より劣った写真なのが、

心残りです(笑)。


崔 勝久

2008年8月12日火曜日

「民族保育」の実践と問題を読みました

滝澤 貢さんから送られてきた、「民族保育」の実践と感想を
ブログに掲載させていただきます。

『日本における多文化共生とは何かー在日の立場から』に収録
されている曺慶姫氏の「「民族保育」の実践と問題」は、具体的な
保育の現場で模索されてきた、桜本保育園の核となる「民族保育」
についての批判です。

「民族保育」は「多文化共生保育」と名前を変えても、その質は
同じものです。滝澤さんの定義では「属性」を求めるものです。
それは被抑圧者にとってナショナル・アイデンティティとは何なのか、
という問題とつながります。支配のナショナリズムはだめだが、
抵抗のナショナリズムは絶対的に評価すべきものなのかという問題です。

これまで川崎では、「共生」ということと、「民族保育」というのは
無条件に評価され、「民族保育」(=「多文化共生保育」)は「共生」
の目玉でもありました。しかしこれは結局のところ、人にはナショナル・
アイデンティティが最も重要なものであるという考え方に基づくものであり、
日本のナショナリズムの攻勢に加担するものであると思います。

「民族保育」の実践と問題、を読み、」また滝澤さんのご意見に
対してみなさんのご意見をお寄せください。

崔 勝久

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「民族保育」の実践と問題、を読みました。 

キリスト教保育を標榜する幼稚園の名目園長というわたしの立場から、
この論文を読んだ感想を述べます。 

わたしたちの社会が格差社会である現実の中で、それが問題だと
言われることはあっても、問題の根はどこにあるのかが問われる
ことは少ないように思います。ある時突然──たとえば「小泉改革」
によって──格差社会が訪れたのではなく、わたしたちの、あるいは
この国の歩みの中に今日を迎える必然があったということでしょう。 

幼稚園という現場からふり返るならば、社会が求めた「幼稚園」は
正にさまざまでしたが、気になったのは子どもの属性を磨くことを
売り物にすることの横行でした。

早期・英才教育とは、属性を磨くことでしかないのですが、どれだけ
磨くことができるかは正に「自己責任」だったわけです。つまり、
教育における自己責任とは、「教育(その内実は属性磨き)に
どれだけカネをつぎ込むことができるか」というその一点である
ようにわたしには思えるのです。 

属性がどれだけ磨かれたとしても、本性が育たなければ無意味です。
本性とは一人の子どもの中にある生きる力がどう発揮され、
さまざまなことが起こりえる長い人生を意義あるものとして生き抜く
ことができるかにかかる本質的な部分でしょう。教育の平等とは、
制度的な保証という意味で用いられる言葉ですが、むしろ人間の
本性を伸ばすという意味においては誰も、どんな立場の者も同じ
であるという意味があるのではないかとさえ思えてきます。 

そういうように考えてみると、たとえば「民族保育」という概念は、
属性に関わるものであるのか本性に関わるものであるのかと
いう視点で見る時に、前者であるといって差し支えないでしょう。
そして、そうではなく後者を、本性に関わるものを求めて苦闘した
その足跡が、チョウさんの苦闘であったのではないかと思いました。 

98.5%が日本人であるわたしの幼稚園で、その保育目標に
「日本人教育」「日本人保育」を掲げたらどうなるか。笑い話です。
「日本人保育などという前に、子ども一人ひとりの現実に関心を
持ってください」と言われてしまうことでしょう。しかし桜本保育園が
「民族保育」という言葉を掲げなければならないという現実がある
としたら、それを掲げさせていることの責任はわたしにもあるのです。 

そのことに責任を感じ、その現実をなんとかしようと思う時に、
わたしのとるべき道はいくつかに分かれるでしょう。一つは責任ある
者としてお詫びの心を持つこと。一つは責任ある者として民族差別と
共に闘うこと。しかしわたしがするべきことはこのいずれでもないよう
な気がします。

そうではなく、わたしもまたわたしの現場で「普遍性」を求めて産みの
苦しみを続けてゆくこと(121ページ)にあるのではないか。わたしたち
の暮らすこの社会の軋轢は、日本人であるがゆえに免罪されるもの
ではないからです。

わたしたちもまた人間としての普遍性を獲得することにおいてのみ、
この社会の軋轢をはねのけることが出来るのだと信じるからです。
以上、感想終わり。

滝澤 貢

2008年8月11日月曜日

鈴木道彦さんからのメッセージです

鈴木道彦さんから朴鐘碩へのメッセージを、御本人の承諾を
得て、ブログに掲載させていただきます。

鈴木道彦さんは、昨年、60年代のご自身と「在日」との関わりに
ついて出版されました。『越境の時―一九六〇年代と在日』 (集英社新書)

大変、感動的な本で、「在日」の問題にどのような姿勢で、どのように
関わりをもとうとしたのかについて記されています。
是非、一読をお勧めいたします。

崔 勝久

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朴鐘碩様

先日は『日本における多文化共生とは何か』をお送り下さり、
有り難うございました。

御礼がすっかり遅くなりました。ようやく一段落しましたので、
昨日初めて御著を拝見し、感銘深く読了したところです。

「日立闘争」から現在まで、朴さんがずっと問題を深めて
こられた軌跡も、あらためて確認しました。口当たりのよい
「共生」という言葉が諸刃の剣であることも、鮮明に指摘されて、
時宜を得た問題提起になっていると思います。

「民族保育」の実践にかんするレポートは、細かい事実を
どこまで理解できたか心許ないところがありますが、
「普遍性」を求めて行く産みの苦しみ、という149ペー ジの
言葉には、非常に共感しました。

上野千鶴子氏の発言も、興味深く読みました。彼女の広い
知見に裏づけられた言葉は、 いつものことながら、沢山の
考えるヒントを与えてくれます。

7月21日の集会も行ければ35年ぶり(?)で朴さんにも
お会いできたし、高史明氏とも久々に旧交を温めることが
できたと思うと、実に残念です。

折角の機会を逃しましたが、どうぞ今後もますますお元気で
活躍されますように。取り急ぎ御礼まで。

鈴木道彦

2008年8月10日日曜日

朴裕河さんからの激励のメッセージ

みなさんへ

7月21日の出版記念会には遅れて来られて二次会から参加された、
韓国の朴裕河(パク・ユハ)さんが韓国から送ってくださった激励の
メールを本人の承諾を得て、みなさんにお知らせします。

朴裕河さんは、『和解のために』(平凡社)で2006年に大仏次郎賞を
受けました。韓国のナショナリズムを正面から批判するという、ある意味
では韓国社会にとっては衝撃的な本を韓国で出版し、それを日本語に
翻訳したものです。

しかしあとがきを書いた上野千鶴子さんをはじめ「進歩的」日本人学者
とマスメディアは日韓の問題を曖昧にしたまま朴裕河を持ち上げたとして、
「朴裕河現象」という言葉で一括りにして日本の学者から批判され
始めています。

しかし彼女が(また上野さんが)日韓のナショナリズムそのものを批判し、
相互批判を前提にして日韓の共同作業を提案することを、私は強く
支持します。

他の著作として、『反日ナショナリズムを超えて』(河出書房新社 2005)も
ありますが、私は昨年出版された『ナショナル・アイデンティティとジェンダ
漱石・文学・近代』(クレイン)を強く推薦します。この本で考察されたことが
後の2冊の核になっていると思われます。

ナショナル・アイデンティ(NI)にどれほど強く日本人は取りこまれたきたのか
ということが漱石の作品を通して論証されます。彼女はフェミニズムの
立場から、NIなるものが実は日本人の間の様々な差異を男(知識人)の
立場から主張されていることを漱石を例として批判するのですが、それは
過去の問題としてではなく、そのことが問題にされなかったのは、実は、
今も日本社会は同じ質の問題を抱えているのではないかと憂い、その指摘
は開かれた社会への希求からであることを明示します。

彼女は日本のNIだけでなく、同時に韓国の、そして「在日」のナショナル・
アイデンティの問題を取り上げ、李恢成と梁石日の作品の分析を通して
見事な批判をします。

自殺した金鶴泳の分析を通して、在日のNIそのものがいかに抑圧的で
あったのかを示すのです。

私たちの「共生」批判の見つめるべきものは何か、彼女ははっきりと
示してくれたと思います。皆さんの一読を勧めます。

崔 勝久

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朴裕河さんからのメッセージ2編

(1)この間いただいてきた本を読ませていただいて、ほんとうに嬉しく
思っていました。 長い期間にわたって、「実感」として感じられた
諸矛盾に対して異議をはっきりと となえ,そしてその思想を「運動」
として実践して、文字とおり「社会を変えて」きて いらっしたことを知って、
深く感銘を受けました。

朴ジョンソクさんもそうですが、そのような朴さんを支えてきた崔さん
の柔軟な 思考と強い行動力にはとくに心から敬意を表したいと思います。

いわば、直接の被害者が声をあげたり闘うことよりも、ある意味では、
そのことに 「コミット」していくことのほうが、はるかに大変で難しいこと
かもしれないと 思うからです。

私も「社会を変えたい」と思ってやってきてはいるのですが、
最近の独島事態を見るにつけても、自分の無力さを感じ、ここ
数週間は ほんとうに憂鬱でした。そういう意味でもすごいことを
なさって来られたと思うのです。

朴さんの文章も、チョさんの文章も、ぜひ多くの人々に読まれる
ことを こころから願っています。子供を日本で保育園にあずけながら
留学した 経験を持つものとしても、チョさんの文章、その中に現れた
崔さんの 行動には心を打たれるものがありました。

どのような「ただしい」志向でも、常に自分の内部を見つめないと即
硬直してしまうことをよく示している内容とも思いました。

(2)
何よりも皆様の試みとなしえたことがすばらしいとおもうのは、
「ナショナリズム」という強力な武器を、本書の上野さんの言葉で
言えば「水戸黄門の印籠」をあえて捨てて、(私の言葉で言えば
「強者としての被害者」の立場に甘んぜずに)闘ってこられたことです。

何々主義に頼らずに抑圧の本質を見抜くことのみが、別の場所に
いる被害者に目をつむることのない実践となり、普遍的なものと
なりうると思うのです。

ソウルにて朴裕河

2008年8月6日水曜日

朝鮮新報(8月6日)、朴日粉記者による書評

みなさんへ

朝鮮新報社の朴日粉記者が朝鮮新報8月6日の文化面で、
私たちの本の書評を記しています。

朴記者は、本書は、「個の位置から」問い直した「意欲作」であり、
「読み応えのある論考が並ぶ一冊」と紹介しています。以下、的確な
引用と合わせ、朴記者がどの点に関心を持ったのか、よくお読みください。
どこよりも早く、なお的確に、新聞紙上で書評を記してくださったことに感謝します。

崔 勝久

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朝鮮新報 8月6日 文化面から引用(5ページ)


より深刻な人間性蹂躙の今
「日本における多文化共生とは何か」

 日立就職差別裁判闘争(以下日立闘争)の勝利から34年―。
本書は、グローバリズム と新自由主義のなかで、変質する「共生」の概念をこの闘いを長年担い、支援してきた人々が「個の位置から」問い直した意欲作である。

 日立闘争は、1970年、日立の入社試験において本名の蘭に日本名を記し、本籍地に現住所を記した在日朝鮮人2世の朴鐘碩青年が、「嘘をついた」ということで採用を取り消され、そのことを不服として日立を相手に提訴し、4年にわたる裁判闘争で勝利した闘争である。

 このときの判決は、日立は民族差別にも基づく不当解雇をしたと日立側を全面的に問責しながら、日本社会にはこる民族差別について次のように厳しく指弾している。

 「・・・在日朝鮮人に対する就職差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数から真面目に生活する希望を奪い去り、時には人格の破壊にまで導いている現在にあって、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前をもち朝鮮人らしく振舞い、朝鮮の歴史を尊び、朝鮮民族として誇りをもって生きていくほかにみちがないのであることを悟った旨、その心境を表明していることが認められるから、民族的差別による原告の精神的苦痛に対しては、同情に余りあるといわなければならない」と。

 あれから40年近い歳月が流れた。しかし、日本では相も変わらず同化と差別がはびこり、政治、経済、言論界など社会の隅々に差別的、閉鎖的、排外主義的な言質が跋扈している。しかも、より深刻な問題を呈しているのは、世界的な新自由主義(ネオ・リベラリズム=ネオリべ)の席巻やグローバリズムの拡大のなかで、企業・行政はネオリべ路線に沿って、利潤を求める競争や効率を最優先させ、地域住民や労働者らに犠牲を強いて、人間性を踏みにじる状況であろう。

 そうした今日的な問題意識を持ちながら、いまや政財界もこぞって唱えるようになった「共生」とは何かを、フェミニズムの立場から論じた上野千鶴子・東大教授の論考、「共生の街」川崎を問う崔勝久氏の問題提起など、読み応えのある論考が並ぶ一冊。

とりわけ、上野氏が外国人の「参加」や「参画」「多文化共生」ということもそれが使われる文脈次第で異なる意味が生まれると指摘、「そういった言葉自体になにかの意味が本質的にあるわけではなく、それがどのような文脈においてどのように使用、流用、盗用、動員されるのかという可能性にいつも注意深くなければならない」と警鐘を鳴らしていることに頷く。
                               (朴日粉記者)

高史明氏の講演内容と私の感想

 08・08・06   望月 文雄

昨日、小田実の「河」という出版記念会に引き出されました。
昨日の小田実の「河」六千ページにわたる作品を読みたいという希望
を いだかされました。
なぜ、「河」を読みたいのか、「河」は九年もかかっている作品で、
生きて いる間には完成しませんでした。それは「共生」にかかわる
新しい視点が 込められていると思います。

かれは「何でも見てやろう」という文章で世に出ました。ベ平連の中心
になり、 ベトナム反戦で大きな力となったが、彼の死後出てきた「河」は
「何でも見てやろう」と見てきた事の思いを正直に表そう、自分の
意思表示を 明確にという、従来の立場から変化して、日本社会の
変革を求めるという風に。

戦時中大阪大空襲の炎に囲まれた体験が、フルブライト交換生時代
にある。 それを1923年の関東大震災の在日朝鮮人虐殺の想いを
馳せ、 大阪大空襲の体験に重ねている。自分は日朝のハーフとしての
体験を 小田の「河」には日本は変わらなければならないんだという
意識が鮮明に 出ている。

見る小田から行動する小田へ、阪神大震災であやうく死という体験
を経て、 また、日本政府への要求が受け入れられず、さらに、
新潟の大震災への 重複体験は変革を求める行動を起こすことへの
変化となった。 何を変えなければならないのか。

布施辰治の韓国での叙勲、建国功労賞、野間宏の「暗い絵」に出てくる
京大の学生は布施辰治の息子。 日立闘争は、強制への扉で子の扉を
開いてどこへ行くのか。丸山真男の日本への問題提起は1980出版の
日本思想体系第31巻(岩波)で、日本の戦前の思想の根を抉っている。

敗戦という問題は日本の根幹に関する問題(国体に関する根幹)を提起。
それは明治憲法と教育勅語という問題と、神ながらの道への天皇の思想が
問われているのだ。しかし、日本の思想はそれを風化させている。天皇が
ポッダム宣言の受諾を躊躇している間に二度の原爆投下を受ける。

戦後の日本は賠償問題に着手しない間に、朝鮮動乱がぼっ発、その
時点で GHQの日本支配の重点の転換が(賠償から日本の復興へ)
なされた。 それによって日本の政治は経済の進展へと変化した。


感想
戦前戦中の植民地支配の賠償金問題を含む戦後処理を無視し続けて
よいのか。 戦後の在日問題は、歴史を直視してこなかった政治にあり、
当然の法理という 場当たりな見解を国会審議に懸けることなく、国家の
基本方針として黙認する という不条理を最高裁が公認したという、
非倫理理念が存在する。 人権尊重とは何か。理性的な在日朝鮮人
から日本人に突きつけられた 問題提起であるのだろう。

2008年8月5日火曜日

「ネオリべって経団連の会長の名前かと思ってました」

みなさんへ

本当に暑い日が続きますね。
千葉のCさんから出版記念会での感想文が届きました。
抜粋してその内容の一部をお知らせします。

そろそろみなさんも本を読まれたと思いますので、感想をどうぞ。

昨日、辛淑玉(しん・すご)さんと会いました。
本の内容に関しては「全面的に同意します」というご感想で、
3年後の市長選を念頭に置き、石原と対決しようとした彼女から,
これからも具体的な(失敗例を含め)アドバイスをいただこうと
思っています。

夏風邪が流行っているそうです。ご注意ください。

崔 勝久

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21日はお疲れ様でした。問題意識をかき立てられる非常に
エキサイティングな 集会だったと思います。

集会で崔さんや朴さんが提起された、現実の闘いの中で
つかんだ確信こそが、 われわれ労働者階級の理論であって、
それを言葉にして労働者階級の闘いを 励ますのが、闘う
陣営にあろうとする知識人の役割ではないかと思います。

朴さんの「ネオリベって経団連の会長の名前かと思って
いました」という言葉は、 単なるギャグにとどまらない、
聞いている労働者の劣等感を吹き飛ばし モヤモヤを
すっきりさせる、実にナイスな言葉だと思っています。