2008年10月25日土曜日

同一労働同一賃金の意味すること

みなさんへ

市内パート女性
待遇「正規職員並みに」
法改正後県内初 解決援助申し立てへ


東京新聞10月23日の記事で、横浜市の聴覚障害者支援施設に勤める女性パート職員が、厚生省神奈川労働局に紛争解決援助を申し込んだということが報じられました。申し込んだ内容は、「正規職員とパート労働者の仕事内容がなどが変わらないのに待遇は異なるのは、両者の差別を禁じたパートタイム労働法に違反する」ということです。

彼女には、非正規社員(パートタイマー)として「正規社員に適用される昇給や退職金がこれまで認められていない」ということです。よこはまシティユニオンが彼女を支援しているとのことで、これまでの交渉では、彼女の人材活用の運用などは通常の労働者と同じであり、契約期間が実質的に無期であることは、当事者間で違いはなく、問題は職務内容の違いについてで、事業団は「中核的業務が異なる」と主張し、彼女は正規社員と同じ仕事をしているのに待遇の差別があるのは不当としている点です。

<外国人への差別を許すな・川崎連絡会議>を11年にわたり関わってきた私がこの記事に注目したのは、日本では、外国人への不当な待遇が当然視されてきたからです。しかもそれらを取り締まるべき行政は、「当然の法理」という超法規的な政府見解を根拠に、採用した外国籍公務員の職務・昇進を制限しています。研修生という名目で外国人を安くこき使ったり、外国人ということで賃金・保証の面で差別することはそもそも国籍を理由にした差別は労働基準法で禁止されているのです。これは、「同一労働同一賃金」の原則の逸脱です。彼女の問題提起は、国籍・女性という理由でなくとも、非正規社員ということで、この「同一労働同一賃金」の原則を逸脱することの不当性を指摘したものです。

正規の職員を少なく非正規社員を多くして企業の利益を上げるというのは、新自由主義の政策下で正当化され、促進されてきました。格差の拡大が指摘されるゆえんです。そもそも資本主義社会においては労働力は労働力として認められるべきであるのに、国籍や性別によって差別が生まれたのはどうしてでしょうか。階級論では説明しきれないと思われます。そもそもの国民国家の成り立ちからして、女性と外国人は市民として認められていなかった(二級市民であった)、植民地支配においては多民族を搾取し、低賃金でこき使ったという事実が想定されるべきでしょう。

ドイツにおいて戦後の補償が100兆円あり、ユダヤ人への不当な労働に対する補償を現代も続けているということを知るならば、この日本社会においては、日本国家として植民地支配の謝罪・補償をすることを決定し、同時に日本社会のあるべき姿として、あらゆる(国籍・性・資格を問わず)労働者の賃金・権益を保障しなければならないはずです。

今回、東京新聞で取り上げられた女性の闘いを支持するとともに、彼女の個別闘争で終わらせないで、日本の戦後責任・これからの社会作りを念頭におきたいと思います。そのためには、植民地支配の総括なく、資本の論理を最優先させた新自由主義に対しては否を言わなくてはならず、新自由主義政策を掲げる川崎阿部市長の3選を阻止する闘いは極めて重要だと考えます。みなさん、川埼の市長選はもう来年秋ですよ。阿部市政の新自由主義政策による問題点を明確にしていく地道な作業から始めましょう。

あまり、他のグループの違いを強調せず、一致できるところで共闘をするということはできないものでしょうかね・・・・・

崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2008年10月24日金曜日

在日に韓国の国政参政権付与ー民団新聞より

みなさんへ

10月22日の民団新聞より

「在外国民に国政参政権」
「中央選管委 意見書提出」

「韓国では、20005年6月の公職選挙法改正により、永住の滞留資格取得後3年が経過した19歳以上の外国人に地方参政権が既に与えられている」が、「憲法裁判所は昨年6月、在外国民に投票権を制限した公職選挙法と国民投票法などの条項について・・・「憲法不合致」の判断を下して今年末までの関連法条項の改正を求めていた」。

そのことによって「300万人余りと推定される在外国民に現地投票や郵便投票を通じ投票権を保障」
することになりそうである。それによって「大統領選挙と国会議員選挙の時、選挙権が行使できる」
とのことである。

中央選挙管理委員会が関連する法律の改正意見を国会に提出したので、まだ反対意見もあり、決定されたわけではないが、恐らくその方向で論議され、決定されるように思われる。在日韓国人も同じ
韓国国民として選挙する権利が与えられるべきだという考えで、韓国国内では、選挙の権利を付与されても徴兵の義務を果していないのは不公平という議論もあるのこと。

さてさて、在日韓国人は、「本国」の選挙にも関わり、日本の地方参政権を獲得して日本の地方選にも関わるようになるのであれば、忙しくなりそう・・・形式的に間接民主主義の制度が具体化されることで本当の意味で、在日が社会的責任を果たすことになるのか、ここはよく考えたいところ。

韓国はやることがはやく、外国人への地方参政権の付与を実現し、今度は海外の国民にまで選挙権を与えるということは、これは韓国という国民国家の国権をさらにグローバルに拡大し、影響力を行使するようになり、多くの海外の韓国人まで政治に巻き込むということになるのではないか・・・これは国民の権利とか、という次元だけでいいものと判断されていいのか、立ち止まって考えたいところである。



-- 崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2008年10月21日火曜日

拉致問題と在日の民族主体性の問題

みなさんへ

11月の立命館大学のシンポジュームでの発題の依頼を受けて、20分で何を話すべきか、いろいろと考えています。皆さんのご意見、ご批判をお願いします。

私たちはこの11年、川崎において「共生」批判を展開してきました。その間、世の中は「共生」賛歌で満ち、私たちのような「共生」批判は、まるで「共生」を推進する運動体に対する誹謗中傷であり、超過激派集団ではないかとの陰口を叩かれてきました。

それがこのところ世界の「多文化共生」の先進国から、どうも「多文化共生」というのはマイノリティを吸収していく、国民国家の新たな統治政策ではないのか、という意見が出始め、それを学者が発表しだしたようです。しかし私たちはその世界の動向を知り、日本の学者の見解を学び、川崎で「共生」批判をしていたわけではまったくありません。

私たちは、川崎の「共生」運動の実態を知れば知るほど、これでいいのかと考え、問題の所在は何かを突き詰めるのに10年かかったということです。私たちは、「当然の法理」というのは日本的な差別思想にもとずく政府見解であることははやくから認識できました。従って、川崎が「門戸の開放」を実現しながらも、その根底には、「当然の法理」を前提にし、法ではなく国籍によって、外国籍職員には市民の自由と権利を制限する職務と昇進を禁ずるという川崎の独自の解釈で、市の職員は法に基づいて市民に対するべきという法治国家の原則を破るという大きな、致命的な過ちを犯していたことも分かってきました。しかしそれらのことが「共生」の名の下で、市民・運動体・市の組合・行政が一体となって行われている事態を見て、私たちは「共生」批判をせざるをえなかったのです。今は多くの研究者の助けを得て、新自由主義社会の下での「多文化共生」とは何かという明確な問題意識を持ち始めています。

しかし一方、日経連の外国人労働者の必要性を主張する動きに対しては、早くから批判がありました。そのことも「共生」の名の下で言われだされたので、「共生」はおかしいという指摘もあったようです。しかしそのようなニュー・カマーの労働者の導入に対する批判はありながら、川崎の「共生」運動は在日の提案からなされ、川崎市の外国人施策は日本で最先端を行っているという評価は揺るがず、「共生」が権力と一体化し始めたことにたいする、内在的な批判はなかったようです。

従って「共生」批判には、私たちのような川崎の在日の運動の流れをしっかりと捉えた上での内在的な批判と、ニューカマー政策が「共生」の名の下で行われていることに対する外在的な批判があるということがわかります。

しかしよく考えてみると、この川崎での「共生」の流れは、日立闘争から地域活動をはじめそこから指紋押捺印運動などを経て出てきた概念だとすると、私が40年前から主張してきた、在日朝鮮人として、本名で生きるということは実は共生ということではなかったのか(共生と「共生」の違いは、後者が権力と一体化してきたことを指す)ということに気が付きました。

そうすると今や、本名で生きるということさえ、元入管の職員が在日の新しい像として言い出すようになり、完全に「多様性」とか、「多文化共生」という概念として権力側の言葉として使われてはいるのですが、そもそも在日の生き方として、本国の統一・民主化闘争連帯という政治運動に関わることのみが在日の主体性であり、日本名を使い本籍をいつわるような朴鐘碩の運動には協力できない、それは在日の「同化」傾向に拍車をかけるだけとしてきた民族主体性を求める人たちは、日本に定着し、共生を求める動きそのものを批判してきたのであり、「共生」に対しても外在的な批判しかできなかったという理由がよくわかります。

そしてまた在日の民族主体性を求めて韓国に留学に行きそこで民主化闘争に関わり「北のスパイ」として逮捕された多くの人たちには、これまでその逮捕は南の「でっちあげ」ということでの釈放運動がなされてきたのですが、民衆が国境を越え北に「不法」に行ってきたことが何が悪いのだという論理で、「でっち上げ」論は不問に付されてきました。徐京植氏などは岩波で、そのような北に行き南で捕まった200余名の人の活動を高く評価するような記述をしています。実は私も、総連の幹部から日立闘争のさ中、北朝鮮に行かないかと誘われた経験があります。民族意識に燃え始めた私とってそれは実に魅力的な誘いでした。徐氏が指摘するようなそのような200余名の在日もまた、総連の誘いを受けその手配のもので北に行き日本に戻ってきたことは間違いないでしょう(個人の力でそんなことはできません)。

これまでその行為は在日の民族意識の結果、国家を超えた民衆の行為として、むしろ称えられてきました。しかしよく考えてみると、それは拉致を実行した北朝鮮・総連の組織的な体制において可能であったのではないでしょうか。拉致は無理矢理に日本人を連れていき、在日は自ら総連の誘いに乗り「主体的」に北、我が分断された国の北側に行くのだという自らの意思で行ったということは異なります。しかしそれらの行為を可能にしたのは、実は北朝鮮及び総連の戦略であり、「不法」に自由に国境を越えて北と日本を往来するというシステムがあったからなのではないでしょうか。実に、拉致問題と、在日の「不法」に北に行くという問題は表裏一体ではなかったのかと考え始めました。

在日の主体性論議が最近亡なくなったという立命館大学の主催者の表現に、私はひっかかります。まず、私たちが盛んに論争してきた「在日の主体性論」とは何であったのか、この論議をいかなるタブーを設けず、まずきっちっりとすべきです。以上の論議を進めるに際して、私は、日本は植民地支配の過去の謝罪を行っていないこと、従軍慰安婦や強制労働に対する不払いなど数多くの問題が残っているという点では、恐らく上記の徐氏たちと同じ意見です。また、拉致問題が日本のナショナリズムを喚起し、日本の歴史的な課題を曖昧にしているという点、及びその拉致問題で民族学校の子弟に対する差別事件が続発しそれを日本のマスコミも報道さえしていないという点、でも同意します。

ただし私は、日本人の「当事者性」を問いつめながら、在日もまた、歴史に対する「今日の責任」については日本人と全く同じように問われているという点を曖昧にし、在日の歴史的責任は本国の状況に関わることという認識には同意できません。国境を越え、東北アジアで全民族的な視点から新たな共同体を模索する考え方にも積極的にはなれません。それは李建治が分析するように、韓国という国民国家の前提・強化につがる視点を払拭していないということだけでなく、私にはそれは民族観念であり、国境を超える作業は私たちが生きる、まさにこの日本(私が強調したいのは私たちが住む地方自治体)において、足もとから国境を超える実践を始めるべきであると考えます。これは発題内容ではありません。そこに結び付くかもしれませんが。みなさんのご批判をお願いします。

崔 勝久

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2008年10月19日日曜日

ドイツについての理解

ドイツについての理解

三国同盟とかヒットラーユーゲントなどという、幼少時の記憶が残っているに過ぎないドイツだが、ドイツは日本よりも3ヵ月早く、敗戦し、日本の経済復興よりもかなり遅く、戦後の復興を遂げたという記憶もある。

1994年ポーランドに旅行し、アウシュビッツ収容所を見学、ナチスの残虐なホロコーストの実態を見、生証人の老夫人の証言を目の前で聞くこともあった。その後、8日間のツアーで名所巡りもしたが、市民の実態を知るという経験はない。ただ、20年位前のこと、ドイツには教育委員会という制度がないということを耳にした。その後、ドイツには教会税というのがあるということも耳にした。だが実態に関する報告書は目にしていない。

日本の学者、研究者等がドイツに留学し、専門分野の研究に励み、それなりの研究成果を挙げ、その道の権威者になるケースも多い。だが、彼らからは、社会的制度やその中で生活している庶民の姿、実情は報告されていない。

このような状況の中で、10月15日、東京新聞に「強制連行、政治解決を=ナチス被害補償の基金理事(ギュンター・ザートホフ氏)、ドイツの経験きょう講演という記事が載った。翌日、崔さんがその講演を聞き、感銘を受けたというメールが届いた。なぜかその時、私は日本とは違う巨額の補償を行っていることを紹介されて、私たちがそれをどのように受け止め、政治社会に反映することが可能なのだろうか、という疑問が残った。

昨日、半日掛けて、ドイツの教育事情についてネットサーフィンを試みた。幾つかの興味深い記事に出会ったが、中での正確な報告書は「教育事情-ドイツーヨーロッパー各国・地域情報-財団法人 海外職業訓練協会のホームページ(http://www.ovta.or.jp/info/europe/germany/04education.html)だ。その「教育事情」という報告書はドイツの現在の教育事情を正確に伝えている。そのなかで、私が注目させられたのは、義務教育の中で、週2時間の宗教教育の時間がカリキュラムされていることだ。これは、ドイツという国家の成立を考慮すれば当然のことなのだという理解が出来る。

また宗教教育に関しては東京大学大学院教育学研究科、教育学研究室、研究室紀要 第29号 2003年6月の「近代公教育原理『世俗性』と現代ドイツ・フランスの宗教教育―(1)概観― 吉澤 昇」の第二章・第二次大戦後ドイツの宗教教育という項目のなかに「ルッターの『小教理問答』は中学校の教材として今日も用いられ、小学校段階で旧約聖書の教材が多いが、宗教教育の内容は個人の人生課題に対応する方向が、この時期に示された」という部分に興味を抱かされる。

カトリック・プロテスタントというキリスト教の二大勢力が生じ、その双方の手で教育が実施されてきた国柄が現れているといえるのだろう。16州の州政府によって州の教育内容がさだめられていて、国家は州の独立性を無視して教育に干渉できない仕組みになっており、州には文相任命および父母や教員組合による州学校諮問委員会が組織され、教育法令立案には、かならず慈善に州学校諮問委員会にはかることが義務づけられている(宮田光雄・西ドイツの精神構造・Ⅲ戦後ドイツの教育と政治399頁注釈10項より)。

初等から大学まで、学費はすべて国庫負担であるのはフランスなどと同様だ。教会税に関していえば、この税を徴収しているのはドイツだけではなく、デンマーク・スエーデン・オーストリア・スイス・フィンランド・アイスランドなどでも実行されているようだ。(Wikipedia=教会税より)。

このようなヨーロッパ事情(主としてドイツの事情)を垣間みるとき、戦争による罪科とその戦後補償という行為が個々人の・そして国の深く多大な宗教観念に基づいていることが理解できるようだ。

      2008年10月19日   望月 文雄

2008年10月15日水曜日

ドイツのギュンダー・ザートホフさんの講演を聴いて

ドイツのギュンダー・ザートホフさんの講演を聴いて
「記憶から未来へつなぐ責任―ドイツの経験」

ナチズムの犯罪に対してドイツは戦後補償として総計100兆円位を支給したそうである。
ドイツ政府と企業が出資した強制労働者への補償基金にあたる「記憶・責任・未来」財団で、氏は同財団が2000年に設立されて以来の活動家とのこと。この措置によって、世界のほぼ100カ国、170万人以上のナチ体制下の元強制労働者及びその他の犠牲者に対して、総額47億ユーロ(約7兆円)の補償が支払われたとのこと(氏のプロファイルより)。

氏は日本の運動に対しては何もアドバイスすることはない、課題は自分で見つけ、自分で解決すること、しかし日本の運動をする人たちにはがんばれと言いたい、と挨拶をした。

氏の講演を通して、このドイツでの闘いの過程には様々な問題や苦闘があったことを思い知らされた。しかし氏たちは、歴史に対する「今日の責任」を訴え、党派、組合、教会などにおける反対意見を巻き込んで進んだとのこと。

日本の互いに孤立している「タコ壺」型運動に、違いを強調し一緒に行動できない「在日」の組織・運動に、一体何が欠けていたのか。歴史に対する「今日の責任」意識がなかったからなのか。しかしそんな分析をしてみてもはじまらない、その分析は研究者にまかせよう。私たちは日本の植民地支配の決着をつけられないでいる。そのまま戦後を迎え、そして今は新自由主義の下、今の時代を、歴史を嘆くしかないのか。

「在日」はもはや「本国」か「日本定着」かを問うことなく、日本定着が当たり前のこととなっている。40年前私の提起した、「在日朝鮮人として日本社会に入り込む」という主張が、「同化論者」として在日韓国教会青年会の委員長を解任されたことを知る人はもういないかもしれない。私のその主張は日立闘争に参加し、地域活動を立ち上げ「民族差別と闘う砦つくり」を目指したものの、その運動母体は「共生」を掲げるようになり、行政と組んで「多文化共生社会の実現」を求めるようになってきている。

「本国」の政治状況に「在日」として民主化・統一を目指して直接的に関わり、日立闘争に与しなかった人たちは、今の「共生」をそもそも根底的に受け止めることはできなかったことは想像に難くない。しかし私は「共生」を内在的に批判する。日本に定着している事実の上で、日本の、植民地支配をひきずる歪められた歴史に、私たち「在日」も正面から参加し、歴史に対する「今日の責任」を担いたい。その鍵は、地方自治にあるように思える。氏の講演を聴きながらいろんな想いが次から次へと出てくる・・・・

2008年10月14日火曜日

T牧師との対話から思うこと

T牧師との対話から思うこと

T牧師とは知りあって(私が押しかけて行って)もう1か月になるのでしょうか。
彼が私たちの『日本社会において多文化共生とは何か・・・』の中の「民族保育」に関する論文への感想として、保育の現場において、「民族保育」を柱とする教育方針に疑問を呈しながらも、「在日」の保育園にそのように思わしめる背景に日本社会の差別があることを認め、しかし、だからと言って自分は「贖罪意識」を表明したり、民族差別と闘うということをしないで、自分の場で自分がやろうとすることをしっかりとやり進めたいと記しました。それを「在日」への無関心と読んだ人もいたかもしれませんが、むしろ私は、それをT牧師からの私たちに対する共闘への呼び掛けととらえました。

「在日」を被害者とし、日本人を加害者とする固定的な観念から一体、何が生まれてきたのでしょうか。そこからは「在日」が日本人に向かって、「被害者」の強みから物を申すという関係性が生じます。それでは「在日」自身はどこで己の在り方を批判的に見直すことができるでしょうか。私は「在日」が物を申すのは、歪められた現実・歴史に対してであって、日本人や日本社会ではないと思うのです。だからこそ、「在日」は日本人と全く同じように歴史と現実に責任を負い、現代に生きる者として日本人と一緒になってその歪みに対して闘っていかなければならないのです。

「在日」という枠はとっぱらうべきです。「在日」という特殊領域を作ることによって、為政者は「在日」をその枠の中に閉じ込め、「在日」もその枠の中の権利獲得で満足するのです。「要求から参加へ」という「在日」のスローガンはなんとささやかなものであったことでしょう。「在日」の要求を完結していくことで、日本社会そのものの変革をもたらす質をもち、その「要求」していくことが「参加」であって、特殊領域は拒否すべきです。

「マイノリティのためにいいことはマジョリティのためになる」というテーゼは、日本の運動をスポイルすることになりました。なんだかんだといいながらお金をだせばいいのか、 連帯の名前をだせばいいのか、こんな日本人を誰が作ったのでしょうか。それはすべて「在日」の責任だと、私は思います。

民族主体性は不要です。自分の生き方を追及すればいいのです。「民族主体性」という言葉には正しい生き方という倫理的なニュアンスがあり、「母国語」や「本名」を名乗らない「同胞」を見下し、「正しい」「民族的な生き方」を押し付けるという傲慢があります。私はこの40年間、自分のやってきたことの貧しさが恥ずかしいのです。こんな社会しか作ってこなかったことに私たちの次の世代に申し訳ないと思うだけで、彼らに説教をする資格は私にはありません。

2008年10月11日土曜日

立命館のシンポに参加します

みなさんへ

私たちの本をたまたま目にした立命館大学コリア研究センター
のスタッフの方から、11月に開催されるシンポジュームに
パネラーとして私に参加してほしいと連絡がありました。20名
をこえる学者が発題し、最後の討論で著名な「在日」の学者と
一緒になって、私のような者が何か言えるのかと躊躇した
うえで、結局、引き受けることにしました。

私に声をかけてくださったスタッフの方は、おそらく私たちの本
を読んで、私が日立闘争から地域活動へ、そして「共生」批判
の運動をこの40年にわたって続けてきたことに注目したので
しょう。私に発題をさせて、私たちのやってきたを在日の学者、
参加される日本人関係者と議論させたいと目論んだものと
思われます。

理論や思想は現実の問題の解決を図る「仮設」であり、実際の
運動が優先(先行)するが、いかなる理論・思想・運動もすべて
相対化され、批判的に検証されなければならないと考える私は、
実はこれまで、運動・実践を何かの思想や理論に基づいて
やってきたことはなく、多くの学者の書くものは、過去や現実の
出来事についての「後知恵」、理屈づけにすぎないと不遜にも
思っていました。

「共生」が在日の運動から出るようになり20年が過ぎ、今や
政治経済、あらゆるところでもてはやされるようななったときに、
「共生」を捉えかえそうという動きは歓迎されるものであるとは
言え、それでは「共生」を主体的に主張してきた(している)
運動や組織、それを称えてきたマスコミや学者、あるいは
「共生」の運動を内在的に批判してこなかった在日知識人は、
どのように「共生」の動きを検証・総括しようとするのか、これ
は実にむつかしいことと思われます。

というわけで、私の参加にどのような意味があるのか
わかりませんが、私を指名してきたスタッフの「勇気」に
応えるべく準備をしようと思っています。

最後に、実は私はそのスタッフの方にひとつの条件を
付けました。私は、新自由主義の阿部川崎市長の三選阻止
のために、新自由主義施策にどのような対抗の理念、政策を
掲げて闘えるのか、参加者から知恵・知識を得ることができる
ように協力を要請したい、そのことが認められるのであれば、
参加すると要請しました。さて、どうなりますか・・・

崔 勝久
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立命館大学コリア研究センター国際シンポジウムの資料から
「浮遊する在日コリアン-同化と差別のなかで」

日時: 2008年11月14日(金)、15日(土)
場所: 立命館大学朱雀キャンパス5F大講堂
主催: 立命館大学コリア研究センター
参加費: 無料
助成: 韓国国際交流財団



第6セッション 大討論:「在日論」再考 16:15~19:00
司会:尹健次(神奈川大学)
 かつて自らの生き方とそれを規定する構造要因とをそれぞれが、それぞれの見方・立場をぶつけながら論じられてきた在日朝鮮人論から「論争」が消えて久しく、在日コリアンは心地よい「在日」言説にどっぷり浸かっているように見える。かつての論客は今、何をどのように考えているのだろうか。「在日論」の毒と薬は何か。「在日」を論じようとする人たち、もしくは論じ始めている人たちは、かれら・彼女らから何を学び、何を受け継ぎ、何を批判的に克服し、何を提示するべきなのか。

パネラー:朴一、崔勝久、鄭暎惠、文京洙+報告者

2008年10月5日日曜日

新たな出会いへの期待

みなさんへ

昨日、私は、平和無防御条例をめざす「新たなスタートの会」に
出席しました。川崎を”戦争をしないまち”にするために、
「平和無防御都市条例」制定を目指して直接請求運動を起こし、
3万人を超える署名を集め市議会に提出した人たちの集まりです。

去る7月23日、5名の請求代表人が市議会で意見陳述をした
のですが、「阿部市長は、地方自治体は無防御地域宣言は
できないという「国の見解」なるものを繰り返し、「地方自治法に
抵触する」との反対意見を提出しました。その上、議会での
質疑で「この署名をされた方が内容を理解していたどうか」と
署名そのものへの疑問を投げかける等、市民の平和を願う思い
に向き合わない対応に終始」(「報告集」より)したそうです。
市議会市民員会の各政党もすべて反対したとのことです。

この市民運動を展開してきたメンバーは、条例案が否決されたので、
今後の川崎における運動をどうするのかということで、昨日の集会を
準備されました。会に出席した私は、このメンバーとの新たな出会い
に大いなる期待を抱きました。

1.彼らは、市民の立場で、平和を希求する立場から、国を
絶対化せず、地方自治体のあるべき姿を求めて行動を起こし、
3万人を超える川崎市民の署名を得るなど、自らが当事者として
行動を起こすという姿勢を貫いているという点において、
私たちの考え、立場と一致する。

2.彼らが作成した条例案では、「平和的生存権の保障」の項で、
「国籍を問わず、川崎市に居住する全ての人は平和のうちに
生存する権利を有する」とあり、その主張は、(日本の)戦争に
行かない外国人は「準会員」とした阿部市長の主張と真っ向から
対立し、私たちが10年にわたり主張してきた内容と一致する。

3.彼らの主張は、平和の希求を根本に据えて、市民の生活全般
の在り方にまで及ぶ可能性を秘め、福祉切り捨て政策を掲げ
実行する、新自由主義信奉者の政策を批判し、川崎のあるべき
姿を求めるという姿勢において、私たちの立場と完全に一致する。

ということで、私は彼らとの新たな出会いへの期待をふくらませ、
今後、一緒に歩めるとの確信をもちました。その集会の中で、
参加者から、3万人の署名を集める中で、特に南部地区に
ては外国人の署名が15%を超え、それらが、地方公共団体の
議会及び長の「選挙権を有する者」でないという理由で、無効に
なったことを素直に、それはおかしいという発言が多くだされました。

川崎では外国人の住民投票は認められたのに、条例請求の署名
ができないということが明らかにされましたのです。また私たちが
進めている「阿部三選を阻止する川崎市民の会」の呼びかけ文の
内容に賛同し、すぐに入会するといううれしい発言をしてくれる方も
おられました。請求が否定された以上、市長選運動に直接関わり、
その準備にかかるべきではないかという意見もありました。

今日はうれしい報告です。
崔 勝久