2009年2月17日火曜日

「川崎南高校を活かす会」の闘いの意味について

みなさんへ

以下、渡辺さんから今日、会の状況をお聞きし、HPからの記事を転送いたします。新聞では、川崎市議会が「県の手抜き調査を糾弾!工事停止へ!」という内容で報道されたのですが、実際は川崎市
環境局は一切、動かないとのことです。そのため渡辺さんはさらに市議会への働きかけを強めたいとのことでした。

阿部市長が県立南高校跡地の売却先をUR(都市公団と地域公団(地方都市開発整備部門)がひとつになり、「独立行政法人都市再生機構」=URとなったもの)にするようにと神奈川県知事に書簡を送り、知事は跡地の売却のために校舎の解体を命じたところ、その工事の過程でアスベストが飛散し、渡辺さんたちは解体工事の差し止めを求めています。

詳しくは下記のHPをご覧ください。
渡辺さんたちは、校舎をそのまま残し、地域に必要なたとえば保育園とか老人ホームなどに活用することを主張しているのですが、URは大手ディベロッパへの転売によって莫大な利益を得るように計画されています。大手ディベロッパは大型ショッピングセンター建設を予定しているようです。現在、「南高校」の隣にはエスパーという大型ショッピングセンターが既に存在していて、その隣に同じようなものが作られることによって近隣の中小店舗はビジネスができなくなることになるでしょう。

これは川崎をどのような街にしていくのかという根本的な考え方が問われる問題です。URに売却する前に、川崎市は都市計画の変更によってそのプロジェクトがスムーズにいくようにしました。「南高校」跡地には病院や老人ホーム、保育園はできないようにしたのです。ゲームセンターなどは許可する条例の付則まで作っています。これによって実際的には大型ショッピングセンターしかできないようにしてしまっているのです。

アスベストの飛散の事実を市議会は認めたのですが、実際に解体工事を中止させるのかは予断を許しません。校舎の解体を進め、すぐにでも神奈川県はURと土地の売買契約をしたがっているのです。

市側は地域商店街のヒアリングは終えた、反対している人はごく一部と宣伝していますが、すべては形式的に、自分たちの計画を正当化するために、多くの住民の知らない間になされています。

従って私たちは渡辺さんたちの闘いを全面的に支持し、まずこのプロジェクトそのものを白紙撤回させ、「南高校」跡地はどのように活用するのかに関して、改めて地域住民の意見を聴くことから始めなければならないと考えます。このように住民の意向を無視して(一部の賛同者の声を取り上げる形で)、
物事を進めているということそのもの、そして住民の反対の意見は一切聞こうとしないところに、私は「地域自治」の崩壊を見るのです。新たに、住民が中心
になって自ら考え、決めていく新たな制度が乞われる所以です。

この「南高校」と同じように問題されるべきプロジェクトは地下鉄建設です。
皆さんのご理解とご協力をお願いします。

崔 勝久



「川崎南高を活かそう会」 事務局 渡辺治 http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/

川崎市議会が県の手抜き調査を糾弾!                
工事停止へ!      
県のずさんな事前調査にアスベストの飛散を心配した地元住民が市議会に陳情を出し、それを受けた川崎市議会(環境委員会)が現地視察を行なった上で2月13日に委員会にて立ち入り調査等を行なってきた川崎市環境局から状況を聞き、県の調査に不備があった事を確認し、川崎市として独自に抜き打ち調査を行なう事を決めました。またその調査が終了し周辺住民への説明が完了するまで工事を中止する様、県に求める事を全会一致で決定しました!

2009年2月16日月曜日

新たなHPの開設ー新植民地主義(ネオ・リベラリズム=新自由主義)を考える

みなさんへ

望月文雄さんからのメールで、西川長夫さんの横浜国大での講演会と
川崎でのフィールドワークをきっかけにして新たなホームページを開設
するという案内があります。70歳をとっくに過ぎて独学で取り組まれる
望月さんの熱意には心から敬意を表します。
みなさんの積極的な参加をお願いします。

崔 勝久
SK Choi

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皆様へ    望月
今日は、2月2~4日の西川教授の講義から始まった川崎フィールドワークに
関するホームページを新設しましたのでお知らせします。
目次のタイトルとURLを添付しましたので、ご訪問ください。

新植民地主義(ネオ・リベラリズム=新自由主義)を考えるhttp://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_164.htm

09・02・16      望月

2009年2月15日日曜日

西川長夫さんの「多文化共生と国内植民地主義」を聴講してー朴鐘碩

西川長夫立命館大学院名誉教授の
「多文化共生と国内植民地主義」を聴講して


朴鐘碩

横浜国立大学(加藤千香子教授ゼミ)において、2月2日(月)、西川長夫立命館大学名誉教授による「多文化共生と国内植民地主義」をテーマにした授業がありました。受講者100名余でした。私は、川崎市の「共生」、日立の職場、社会(人権)運動などに隠された問題点と矛盾を考えながら講義を聞きました。

90分近い講義でしたが、冒頭、西川教授は、『日本における多文化共生とは何か』(新曜社)を紹介し、川崎市の「共生」について触れました。「多文化主義」という用語は1970年代頃に広がりはじめたそうです。(偶然なのか日立就職差別闘争は1970年に始まっています)

西川教授の著作「国境の越え方-国民国家論序説」、「<新>植民地主議論」を読みましたが、レジメに書かれた「多文化主義(共生)の罠」「共生-差別と搾取の構造」は、正規労働者組合員として会社・組合の体質を批判し、日々葛藤しながら生きる私にとって改めて新鮮な言葉として心に残りました。また、川崎市の「共生」の矛盾と問題点は、この「罠」と「差別と搾取の構造」に尽きると思いました。また、「奴隷解放した」リンカーンを敬うオバマ大統領の就任演説に触れ、多様性(patchwork heritage)から人間を同化・統合・国民国家へと導くものであり、平和・福祉・自由・人権の進展に「チェンジ」は全く期待できないと教授は冷静に予測します。

マスコミは「初の黒人大統領の誕生」と盛んに騒ぎ立てましたが、大統領の地位を掌握した人間が弱者の立場で政策の「チェンジ」を期待することは幻想であるということです。聴講生として参加した上野千鶴子東大教授も自由討論で、学生の質問に「オバマは平和主義者ではない」事実を語っていました。

「グローバル化の対応策である多文化主義言説は、植民地と先住民を隠蔽し、共生は差別と搾取の構造に改めて照明を当てる」ことになり、「グローバル化は第2の植民地主義(植民地なき植民地主義)であり、新自由主義は<新>植民地主義」です。

「民族(国民国家)をいかに越えるか」という課題に、西川教授は『日本における多文化共生とは何か』を参考にしています。<日立闘争は在日朝鮮人というあるがままの自分を否定する社会への闘いであったことから、民族的アイデンティティを求めてナショナルなものに回帰するようであって、実際は、民族主義イデオロギーを解体する動きであったと思います。><民族の主体性は、やはりこの個の自立から出発する>(崔勝久)崔氏は、自由討論で「生き方を問いながら足元の問題を取り組む重要性」を補足しました。

19歳で日立製作所を訴え、同化した私にアイデンティティはありませんでした。まず日本名から本名に変え、民族・歴史・言語を学び、自分が何者か、を知ることでした。民族という国民国家に傾倒する組織は、当事者に民族の主体性がない、裁判は同化に繋がると批判し、当初、日立闘争に関わることはありませんでした。しかし、闘争がしだいに進展する中で、「民族」という課題よりも足元の具体的な差別・抑圧の現実から逃避せず、生き方をかけて人間らしく生きようとする姿勢こそ普遍的な当事者のアイデンティティであると私は理解するようになりました。

日立就職差別闘争から2010年で40年 (韓日併合の年に開業した日立製作所は創業100年) になりますが、「「共生」は、差別・抑圧を隠蔽する」だけでなく助長します。組織・権力者は「共生」は悪用し、問題・矛盾も隠蔽し、人間を管理・支配し、国民国家を強化します。意識する、しないに関わらず、人間は国民国家に組み込まれています。「国民国家の形成は近代のあらゆるイデオロギーが動員され」、多文化主義や共生の下で機能する企業ぐるみ選挙、社会貢献活動、教育・自治体の組合などの労働運動も組織動員されます。

国民国家体制を崩す、あるいは個を確立しようとすれば、例えば企業社会でおかしいことはおかしいとものを言わなければなりませんが、ものが言えない、言わせない(職場)環境になっています。(連合)組合は、労使一体の「共生」を悪用し、全てトップダウンで決めて、沈黙する労働者を管理・支配します。組合員は、このようなやり方に疑問を感じても、「どうすればいいのか?」悩み、抵抗できず、熟考する間もなく、沈黙して決定に従うしかありません。このような経営組織体質から経営者に有利な労働条件が決まり、欠陥製品が生まれ、不正取引、談合、不祥事などが起こります。さらに経済破綻は、新自由主義の下で人間を選別し、過度に競争を煽り、労働者の人間性をおろそかにし、利潤・効率を優先した結果であると思います。企業・行政・教育関係に職を求める学生たちは、日々生き方が問われる事態に直面しますが、自分で決断するしかありません。

「私はこの「勇気」という言葉に注目したい。それは危険な一線を越える勇気である。公共性論にもし可能性があるとすれば、それは目前に開かれている世界を直視する「勇気」にかかわってくるだろう」「勇気」と開き直りは、社会変革に繋がる可能性があります。

学生の内定が取り消され、就職が困難な状況になっていますが、景気調整弁として利用され、正規を含め低賃金で働く非正規・派遣・外国人の労働市場は、西川教授の言葉で言えば、(多国籍)大企業資本にとって「広大な植民地」と言えるかも知れません。これを「植民地なき国内<新>植民地主義」というのではないでしょうか。

戦後65年になりますが、未だに個が犠牲となり、日本人の労働者・住民が職場や地域でものが言えない状況です。声を発しても住民の意思が反映されない現実があるにもかかわらず、「共生」の下で設置された「外国人市民代表者会議」などの存在意義が次第に問われてきます。上(権力)から与えられた「多文化共生」は、国民国家を克服できないことは、聴講してよく理解できました。 
 
川崎はじめ日本、「世界の各地に、暴力によってあるいは術策によって、一方的に自由を奪われ、土地や文化や生活を奪われ、排除されるかあるいは隷従と同化を強制され、現在もその後遺症に苦しむ多数の住民と集団が存在する」にも関わらず、「共生」は国民国家統合の戦略となっています。これに立ち向かう「脱植民地化」は、つまるところ「私たち個々人の生活と生き方の問題」となります。


2月3日(火)「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」との懇親会の報告
一日かけて地域の民族学校、桜本保育園、ふれあい館などを訪れ、夕方、川崎の「共生」を批判する川崎連絡会議メンバ-と懇親会を持ちました。西川教授はじめ立命館、横浜国大、一橋の学生たち、双方で17名が参加しました。

「当然の法理」を盾に外国籍職員を差別する「運用規程」、阿部市長の「準会員」発言の問題など、10年以上に亘って川崎市の「共生」を批判してきた連絡会議の概要を報告しました。また元桜本保育園保育士二人から当時の保育について報告がありました。

「共生」の矛盾と問題点について意見交換し、西川教授は、「当然の法理」について「国家権力は、法律でもない、何でもない、いい加減な論理がまかり通って、国民国家形成に悪用している。」と、感情を込めて話されました。この発言を聞いて、私は「春闘が始まり、組合員を沈黙させている(連合)組合幹部のやっていることも同じだ!」と思いました。

後日、教授から「小生がこの2,30年間書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と大変貴重な意見をいただきました。

2009年2月14日土曜日

川崎市で「多文化共生」を考えるーフィールドワークの報告書

みなさんへ

2月2日の横浜国大での西川長夫さんの講演の翌日から、
川崎で二日間にわたるフォールドワークのあったことは
先にお知らせいたしました。望月さんの報告書もお送りしました。

望月さんからのメールで、岩間優希さんの報告書の
ことを知り、早速読みました。岩間さんのみずみずしい感性で、
それぞれの現場での感想、そこで出会った人の印象が
淡々と記されています。素晴らしいリポートだと思いました。
現場をアレンジさせていただいた者としてうれしく思います。
フィールドワークに参加されたメンバーの中での、これからの
交流を楽しみにしています。

川崎市で「多文化共生」を考えるー 岩間優希(立命館大学博士課程)http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_159.htm
(中部大学国際関係学部小島亮ゼミで作成している冊子『パラチンタ』
への掲載用に執筆したものとのことです。本人の承諾を得て、望月
さんのホームぺージに掲載されています)

是非、上記ホームページで岩間さんの論文(報告)をお読みください。


崔 勝久

川崎の地下鉄プロジェクトについて

みなさんへ

川崎の市長選が今年の10月に行われます。
その前に国政選挙があり、どれほど自民党が大敗するのか、
それによって民主党が躍進し、それがどれほど各市長選に影響を
及ぼすのか、まだわかりません。

阿部現市長はまだ正式には表明していませんが、三期目を
狙っているのは確実です。前回は自公民推薦の阿部と共産党と
市民運動が推す岡本一氏の対決になり、20万対14万票差でした。
私たちは「阿部三選を阻止する川崎市民の会」を作り、市長選に
備えています。その過程で地下鉄プロジェクトが大きな争点に
なるということがわかってきました。

前回の選挙で阿部が苦戦したのは地下鉄建設に対する反対があった
からだという印象を阿部本人が強く持っています。彼にとっては
自分の苦戦が意外だったのでしょう。それがあってか、今回は阿部
自身と、地下鉄を強く進めてきた川崎商工会議所から地下鉄建設
の声は聞こえてきません。しかしそれは市民運動側さえもが誤解して
いるように、阿部は地下鉄プロジェクトに懐疑的になっていたり、
消極的になっているということではありません。逆に彼はそれを
当然のこととみなし、着々と準備をしているのです。

調べましたら、平成17年3月の定例会で市長が議会で、地下鉄
プロジェクトを推進することを報告していますし、平成19年度川崎市
高速鉄道事業会計決算概況の総括事項のところで、明確に、
「平成17年3月に、本住吉接続系買うについては中止し、路線を
一部変更して武蔵小杉駅に接続する計画で、継続して地下鉄事業
を推進するという市の方針を決定」と記しています。

阿部が地下鉄のことに言及していないということで、このことが
争点にならないという判断はいかがなものでしょうか。阿部はアンケート
調査でも推進派が多いのでもうこれを既定路線とすると明言しています。 

川崎の地下鉄建設の運動をしてきた「市民研」は、「横浜市営地下鉄
グリーンラインに学ぶー「川崎市営地下鉄建設」の是非」という短いが
大変説得力のある資料をだしています。興味のある方はご連絡下さい。

総額6000億円の総工事費で、そのうち川崎市は一般会計から
約2000億円を出す予定だそうです。選挙の争点にさえしないで
なし崩し的に計画を実行するつもりだと思われます。川崎の猪俣市議は、
全国で地下鉄工事を敢行する地方自治体はおそらくないので、
国からの補助金が出るのを待っているのだろうということでしたが、
恐らく国と市の間でそのような話が進められているのだと思われます。

この公共事業投資は、街をどのようにしていくのかという街作りの
基本的な考えと関連しており、阿部は大型集合住宅を中心とした
(川崎の人口が増え、住民税が増えたと自慢していますが)街作りを
断行し、環境破壊(規制緩和)、保育園の不備等が目につくように
なってきています。統合になった県立南高校を住民の反対を押し切って
解体し、大型ショッピングセンターを建てようという計画もすべて関連
するものと思われます。

これをどのような闘いにしていけばいいのか、みなさんのお知恵とを
拝借し、市長選勝利に結び付けたいと考えています。


崔 勝久

(上記定例会における阿部市長の発言)川崎縦貫高速鉄道線整備事業における市民意見の反映についてのお尋ねでございますが、一昨年の1万人アンケートでは、「財政状況等がよくなるまで着工を延期すべき」と「予定どおり地下鉄の建設を進めるべき」の、地下鉄事業を前提とした考えを示された市民の方が半数を超えておりまして、地下鉄の必要性は認めていただいたものと理解しておりますので、再びアンケートを実施することは考えておりません。しかし、市民の方からの意見を事業に反映させることは大変重要なことでありますので、今後、事業を進める中で、あらゆる機会をとらえ、御意見をいただき、計画に反映させてまいりたいと考えております。

西川長夫教授著作「<新>植民地主義論」 / 朴鐘碩

西川長夫教授著作「<新>植民地主義論」 / 朴鐘碩
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」掲示板より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index.html


「国民国家」「多文化共生」の歴史的な意味を問う立命館大学大学院・西川長夫教授が横浜国立大学で講義します。また日本の先端「共生」都市と言われる川崎を訪れ、地域で社会運動に関わる人たちと意見交換し、交流の場が設定される予定です。

私は、日立就職差別闘争、地域活動を経験し、大資本・多国籍企業の一つである日立製作所で働きながら生き方を模索しています。企業社会の矛盾・問題点を考え、西川教授の著作「<新>植民地主義論」グローバル化時代の植民地主義を問う」を読みました。川崎市(だけでなく自治体・連合組合・運動体など)が何故、「共生」を推進するのか、その(組織的)背景が見えたような気がします。また、この本は、世界の歴史的考察に基づいて、<新>植民地主義の抑圧の下に置かれている人間の視点から社会(人権)運動のあり方を問い、今後の活動に多くの示唆を与えてくれると思います。

私がこれまで地域や職場で過度に「民族差別」について悩んだこと、理解できなかったことを見事なまでに吹き飛ばしてくれたような気がします。以下の内容は、「<新>植民地主義論」から重要と思われる部分的抜粋です。勝手な引用ですので、西川教授が「あとがき」で書いているように、「実生活の中で<新>植民地主義の圧力をひしひしと感じているより広範な読者」である皆さんに購読を薦めます。

・「植民地主義には近代のあらゆるイデオロギーがかかわっている」
・「女性は「最後の植民地」という言い方を借りるなら、国民は広大な「最初の植民地」であった」
・「異文化交流のパラドクスは、国民国家の矛盾的な性格を映しています。近代の国家はほとんどすべて、国民主権と国家主権を前提とする国民国家です」
・「異文化理解や異文化コミュニケーションは決して平和裡に行われているのではなく、さまざまな摩擦や対立葛藤あるいは闘争のなかで行われていると思います」
・「多文化主義は支配的な移民の側の論理であって、先住民の側の論理ではありません。多文化主義言説は一般に、未来を語ることによって過去の重要なある側面を隠蔽する傾向があります。政策としての多文化主義が提唱される真の理由は、彼らがそこに記されているような民族間の平等や正義や人道主義的な理想に突如目覚めたからではなく、旧来の国家システムがうまく機能しなくなったからでしょう」
・「公共性問題によって真に問われているのは、国民国家の存立自体であることを知らねばならない」
・「多文化主義の対象であり、多文化主義にとって最も気がかりな存在である先住民族は、多文化主義について最も批判的なまなざしをもっている。じっさい自分たちの土地を侵略し、生命を奪い生活を破壊してきた移民たちが、その罪を問われようとしているいまになって多文化主義と共生をとなえ、自己の存在を正当化しているのだ」
・「右も左も、自由主義も共同体主義者も、自分たちが歩みはじめた論理を最後まで追求しようとせず、あたかも越えようとしない一線を設定しており、引き返し点があるかのようである。その理由は理解できなくもない。そこから先は未知の深淵が広がっており、それを越えなければ己の足元どころか己の存在が危うくなってくるからだろう」
・「私はこの「勇気」という言葉に注目したい。それは危険な一線を越える勇気である。公共性論にもし可能性があるとすれば、それは目前に開かれている世界を直視する「勇気」にかかわってくるだろう」
・「国家は法や制度や国家の理念を修正して(例えば福祉国家からネオ・リベラリズム)グローバル化に順応する一方で、ゆらぎ始めた国民統合の強化を図り、国民文化や国民精神を称揚し、ナショナリズムやナショナル・アイデンティティを強調する。移民を受け入れながらも移民を排除する、あるいはマイノリティの権利を認めながらもマイノリティを抑圧する」
・「一瞬の共同体を成立させる社会運動は定住者よりは移民(あるいは移動民)をモデルにしていると考えてよいだろう」
・「戦後とは植民地である」
・「国民国家は植民地主義の再生産装置である(したがって大学や教育一般も植民地主義の再生産装置である)」
・「だが脱植民地化は私たち個々人の生活と生き方の問題である」

2009年2月13日金曜日

西川長夫さんの講演に対する投稿

みなさんへ

2月2日、横浜国大で西川長夫さんが「多文化共生と国内植民地主義」というタイトルで講演されました。いずれ、横浜国大から講演内容及び質疑応答の内容と参加者の感想文が活字化されると思います。

90分の講演時間では西川さん御自身、思っていらっしゃることの万分の一も語れなかったと思っていらっしゃるはずです。新植民地主義とは、国内植民地主義とは、それとポストコロニアリズムとの関係は、また西川さんのこれまでの国民国家論の考察が「当然の法理」に対する闘いであったという認識を示された以上、議論の内容をさらに深めたかたちで出版していただければと願います。西川さんの質疑応答の中での発言において、これまでの著作では触れられなかった西川さんの一面がわかったという指摘も複数の方々から出されており、加藤さん、いいかたちで論争を深めましょうね。

講演会に参加された伊藤秀雄さんからその日の講演に対する感想文が送られてきました。以下、投稿の内容です。

崔 勝久SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352
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講演会は意義深いものでしたが、全体に漠然とした印象でした。共生と国内植民地主義を大まかな枠として「提示」したと思いますが、それへの批判は「こんな課題だ」と言う見解を示したと言えるか、やや不鮮明と感じました。レジュメを速読した時には、その批判の核心が明瞭に指摘されると「期待」したのでしたが。もちろん、自分が実践的に答えるべきだ、しかしそれは簡単に行く訳でも無い、と承知した上で、無いものねだりに近いのですが。「国内」とは社会の「内部」、と言う意味だろうななど散漫に考えながら、それではどこが「内部」なのか? 分からないな・・・そこまでで思考が進みません。 この日はたいそう充実した時間を過ごしました。多くのひとにも触れあえて楽しかったです。

伊藤 秀雄

2009年2月12日木曜日

「当然の法理」に対する西川発言の真意が明らかになりましたー西川さんからのお手紙から

みなさんへ

先週、西川長夫さんの横浜国大での講演会の翌日、川崎でフィールドワークを実施した後の「連絡会議」との懇談会の席上、望月さんが「当然の法理」についての発言をされました。
それに対する西川さんの受け応えについて、後日、望月さんが報告書の中で、西川さんの発言は「当然の法理」の問題を十分に受け止めていないという批判がありました。その場にいた私と、立命館の番匠さんは、西川さんの発言は望月さんが批判されたような内容ではないと記したところ、望月さんはその指摘を受けて、文書を訂正されました。

そこで西川さんの発言の趣旨は、望月さんの誤解されたような内容ではなかったが、「当然の法理」そのものについては西川さんはどのように考えていらっしゃるのか、日本社会においてこの「当然の法理」の問題が広く取り上げられていないこと(望月さんの西川批判もまた、西川さんをしてそうなのかという失望から発せられたものと理解します)を勘案して、この「当然の法理」のもつ問題性をこれからの課題として検討していくことを私は立命館の諸君に提案しました。

本日、西川さんから横浜国大での講演及び二日間のフィールドワークについて、大変心のこもったお礼のお手紙が届きました。その中で、西川さんは今回の「当然の法理」に関するご自分の発言が十分でなかったことを詫び、ご自身の「当然の法理」についての御意見を述べていらっしゃいます。ご本人のご了解を得て、お手紙の中からその部分を公開させていただきます。



以下、西川さんのお手紙の一部を抜粋;
「メールで「当然の法理」について誤解のあったことを知りました。小生の説明不足が原因だと思います。実は「当然の法理」については横浜国大で時間があったらしゃべろうと思い、鄭香均編著の『正義なき国』を読み、知人の弁護士に「当然の法理」の法的根拠なども聞いて準備していたのですが、誤解のないようにこの問題をしゃべるとすれば少なくともまた3,40分は必要だと思い止めました。小生がこの2,30年間書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。小生のあの時の発言は、望月さんが折角言い始められた「当然の法理」についてもっと時間をかけて話し合いが出来ないのが残念だ、という主旨だったのですが、言い方が悪くて望月さんに迷惑をかけてしまったようで心苦しく思っています。」

以上の西川さんのお手紙で、望月さんは完全に「誤解」を氷解されると確信します。そればかりか、国民国家論で、日本の学会のみならず、一般社会に対しても大きな影響を与えられた西川さん御自身が、それは「「当然の法理」に対する闘いであった」と記されたことの意義は大変重要なこととして多くの人にも受け止められられると思われます。今後、西川さんの講演会と川崎のフィールドワークに参加された横浜国大・立命館・一橋の人たちとの間で真摯な意見交換、研究成果の交換がなされるのであれば、フィールドワークを準備した者としてこれほどうれしいことはありません。みなさん、ありがとうございました。私のブログから講演会のことを知り聴講義に来られた方及び、フィールドワークに参加くださいました方々にもお礼を申し上げます。

-- 崔 勝久

SK Choi

skchoi777@gmail.com

携帯:090-4067-9352

2009年2月9日月曜日

伊藤るり教授の「「多文化共生」と人権ー日本の脈絡から」論文に思うこと


みなさんへ

上野さんから「学術の動向」(日本学術会議、2009・1)を送っていただきました。 「公正な社会を求めてーグローバル化する世界の中で」を特集しています。 一橋大学の伊藤るり教授が「「多文化共生」と人権ー日本の文脈から」を、 上野さんが「社会的公正とジェンダー」を発表されています。


上野さんはまたその論文の中で、「再分配の範囲と市民権問題とを 結びつけて考えた時に、居住と所得の発生する場で、国籍を問わず、 すべての人が再分配の対象になるという考え方はできないだろうか」 という興味ある提案をし、具体的に介護保険のことを取り上げています。 私の提案する「区民協議会」とも通底する考え方だと思いますが、 いかがでしょうか。

伊藤るりさんの論文は「多文化共生」の思想、実践を時代的に取り上げながら、 世界の動向をも視野に入れ、日比国際児の集団確認訴訟問題を取り上げて ます。日比国際児への差別はその根に、婚外子差別があることを指摘し、 また「多文化共生」の「共生」がこれまでのように国民国家を単位とした エスニックな文化(民族的少数者の文化)ではとらえられなくなるという 興味ある提起をしています。この点は大いに賛同できます。

しかしこの論点が、これまでの「地域を基盤とする運動」とは異なり、 「直接ナショナルな水準でのシティズンシップを問う運動」という 問題意識から取り上げられている点が気になります。例えば、 裁判を起こした児童を支えたのは学校の友人であり、その地域の 人ではなかったでしょうか。また伊藤るりさんのこの「直接ナショナル な水準でのシティズンシップを問う運動」の強調は、「ナショナルな 水準での包括的人権政策」につながります。この主張には私は 大変懐疑的です。伊藤るりさんご自身も山脇さんたちが2001年の 段階でだした「社会統合」の政策の中で、「民族差別禁止法」の制定 や人権救済機関の設置が実現されなかったことに触れています。

どうして実現されなかったのかその総括、分析なくして同じ水準の提案されていることに納得できません。私はこの問題の根は深く、 日本の植民地支配の総括ができていないことに関連すると見ています。 従軍慰安婦、強制労働の補償がなされないことと同根です。

「おわりに」のところで伊藤るりさんは御自身の報告も「方法論的 ナショナリズム」の「認識枠組」にあることを認めていますが、 まさに「公正を実現すべき単位をどこに設定するのか」というこの「報告で言及されなかった」ことが論議されるべきです。

しかしこの論議には実は現実の地域での「多文化共生」の実態の研究が必要です。「「共生」という思想には、在日韓国・朝鮮人による差別撤廃闘争、民族としての尊厳と人権保障を要求する運動を源とする重要な系譜がある」と伊藤るりさんは書いていますが、 これは一面的な理解です。行政が在日の要望に応じながらどのような解決策を具体化してきたのか、その政策の根に何があるのかという点は全く考察されていません。この点を疎かにしたのでは、せっかくの伊藤るりさんの提案も空論に終わる可能性があります。

上野さんが「ネオリべと多文化共生の親和性」について伊藤るりさんに質問されていますが、この質問の意味を伊藤さんは十分に理解されたのでしょうか。私たちの「日本における多文化共生とは何かー在日の経験から」(新曜社)が参考文献に乗っていなかったことが残念です。 伊藤るりさんの問題意識と私たちが「共生」批判を展開してきたこととはどこかでつながるように思います。さらに問題点が深められ、活発な論議がおこることを願います。

崔 勝久

2009年2月8日日曜日

望月さんの報告内容の訂正



望月さんからのメールを転送します。

望月さんの川崎フィールドワークの報告で、
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」
と立命館・横浜国大から参加されたメンバー
との懇談会があり、その席で、望月さんが
「当然の法理」の問題点を指摘されたところ、
西川さんが応えられたのですが、その発言内容を
望月さんは「当然の法理」の問題を十分に認識
していないと理解されそれを批判するような内容
の報告をだされました。それに対して番匠さんから
望月さんのご理解の過ちの指摘があり、望月さんは
その指摘を受け入れて報告書の内容を訂正したという内容です。私は、この点の誤解は解消された
と思いますが、問題は、「当然の法理」という日本政府の戦後の見解が現在もそのまま継続されており、各地方自治体は「当然の法理」従って外国人への制限(差別)を当然のこととしているという事実です。さらに、そのことに対して市民運動さえもが、問題視しえていないということはどういうことなのか、
この点は究明されなければならない課題として残っていると考えます。

崔 勝久

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今日は、昨日アップロードしました川崎フィールドワーク「多文化共生と国内植民地主義」-西川長夫名誉教授の講演を踏まえて- の文章で西川教授の発言で、私の聞き方に問題がありまして、二人のかたから指摘がありましたので、その部分を訂正しました。また、加藤教授から送られた写真を一枚、使わせて戴きました。また人物の写真を御本人の了解を得ずに掲載しましたが、状況を伝えたくおもいましたので、甚だ恐縮ですが、よろしく御理解をほど、お願いします。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_157.htm
皆様へ             09・02・07     望月

2009年2月6日金曜日

川崎フィールドワーク「多文化共生と国内植民地主義」-西川長夫名誉教授の講演を踏まえて-

みなさんへ

温かい冬ですが、みなさん、お変わりありませんか。
私は「狭窄症」(みのもんたの手術で有名になりました)で歩行が
できないくらいの痛さに悩まされています。3月には手術を受け、
また元気な姿でみなさんの前に現れます!

望月さんのホームページから「川崎フィールドワーク」のリポートを
お借りして皆さんにお送りいたします。望月さんのホームページを
訪問ください。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_157.htm
このブログでは写真はありませんが、望月さんのホームページでは見れます。

望月さんの報告の中で「当然の法理」に関する西川さんの発言内容は、
私は望月さんと違うように聞きました。「当然の法理」は問題であるという
ことははっきりと認識して発言されていたと記憶しているのですが、
この点は改めて御本人の意見を伺いましょう。

また桜本保育園内での写真撮影に関して望月さんは、撮影を禁止された
ことにちょっと「不満げ」ですが、今は園児の保護(人権)のために
どの保育園でも厳しくしているようです。

横浜国大での西川さんの講演の翌日から、立命館・横浜国大・一橋の学生・
院生・博士課程の研究生・職員が参加し、川崎フィールドワークを2日間に
わたって実施しました。訪問したのは以下の四か所です。
特に朝鮮学校と総連支部は朝鮮日報の朴日粉さんの御紹介で実現できました。
心より感謝いたします。

・川崎朝鮮初級学校・保育園、在日本朝鮮人総聯合会川崎支部・NPO法人アリランの家
・桜本保育園・ふれあい館
・川崎沖縄県人会、川崎ファクトリー(南高校解体反対闘争の現場見学)

朝鮮初級学校の金龍権校長、総連川崎支部長の皮進氏、アリランの家の金三浩理事長、
桜本保育園の南宮成根、金健園長、ふれあい館の裵重度館長、沖縄県人会の仲宗根修理事長、
座覇光子氏、川崎ファクトリーの渡辺治氏、各氏にお礼を申し上げます。

崔 勝久

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川崎フィールドワーク「多文化共生と国内植民地主義」
-西川長夫名誉教授の講演を踏まえて-

前日の横浜国立大学「差異と共生」プロジェクト講演会(上記タイトル)の後、2日間の計画で、多文化共生では国内最先端をいく川崎市の実情を見学することになりました。私はフィールドワークのみの参加しました。

2月3日、最初の訪問場所は桜本2丁目に在る民族学校です。正式な名称は学校法人神奈川朝鮮学園川崎朝鮮初級学校です。
朝10時に学校の門前で落ち合う約束でしたので、所在地を知りませんので、2日前に確認しておきました。
1946年秋に東桜本小学校跡でスタートしてから、現在の場所に変わったのは1954年という説明がありました。聞いていた私は自分がNKKに正社員として採用された同じ年であることに、何か通いあうものを感じました。もっとも設立に関しては全く無知なのでしたが

川崎朝鮮初級学校                    挨拶する加藤教授と金学校長 

学校長の金龍権(キム・リョンゴン)先生の説明で驚いたことは学童の月謝が月2万円という高額であること。そのため入学希望者の諦めてしまう場合が多いということ。学校側としては、「一条校」相当の認定をして頂きたいという希望をもっていますが、現時点では絶望てきです、と苦境を訴えておられました。生徒数は1~6年で58名、保育園児童が18名、
川崎市からの補助が学童1人に年間6万円(私算348万円)。先生の数は保育園まぜて10名。今まで不動産税の非課税対象だったのが、拉致問題以降課税対象とされて税負担が厳しいとのこと。日本には全部で70校あるとのことですが、北朝鮮からの援助は年間3億円ということでした。
     
  四年生の授業                       教室の後に置かれていたスポーツする人形

授業参観した各教室での印象は児童がのびのびとそしてとても元気で先制と応答しているのが印象的です。授業は全て朝鮮語です。初めての場合でも1学期学べば言葉の不自由はなくなるということでした。これは聞き捨てならない事実です。

学校を出て、池上町の道飛館という朝鮮料理店へ向かいます。産業道路を横切り、池上町に入ると家と家との間を細い道(幅1間=1,8米)が縫うように走っている。
                                           
   移転当時の校舎(1954年)                    昼食を摂った道飛館                       

同じテーブルに座った学生から望月さんのホームページはすごいですね。資料をプリントしたらこんな厚さになりましたと、指を開いて見せました。食後、歩行困難な崔さんは私に道案内を依頼して自転車で行く。浜町を行くか、桜本を行くか一瞬迷うも目の前の道を進む。
道を北方向にしばらく歩くと、右側に桜本小学校が見える。小学校を過ぎると、加藤教受が「ここは青丘社ですね」と足をとめました。「はい、朝鮮総連の後に見学する計画ですね」と返事をしながら、浜町を回ったほうがよかったのかと一瞬、思案しましたが、しかたがありません。桜本商店街を南の方へ向かう。朝鮮総連の事務所は浜町3丁目3番地、道の角。事務所の前に見覚えのある自転車が置いてあるのを見て、間違いないと安心します。
       
   朝鮮総連の事務所                     元気なハルモニたち         

二階の会議室に案内されると、15人の学生で部屋は一杯。女性職員がハーブ茶を給仕してくれました。甘く爽やかな口当たりで、緊張感が和らぎます。税所に委員長の皮進(ピ・ジン)が挨拶し、実情に就いてはNPO法人「アリランの家」理事長の金三浩(キム・サンホ)さんの説明になりました。NPO法人「アリランの家」は「在日本コリアン高齢者福祉施設」の名称です。週2日、合唱の時間があり、10数人の人が集うようです。高齢者福祉事業としては20人以上の対象者がいないと経営が困難だそうです。設備としてな浴室とカラオケ設備のある広間で、今日は合唱の時間なので、高齢者の人が集まっています、後で合流しましょう、と案内されました。


金理事長は77歳で私と同学、私は早生まれで3月10日に77歳になります。彼は、小学校のころ、創氏改名が施行され、金から金田にされ、クラスで挨拶するように担任から指示され、新しい苗字を告げたとき、日本人同級生が一斉に笑い出し、恥ずかしい思いをしたと回想しました。このとき、私は自分のクラスでは幾人かの在日児童が存在したが、担任からそのような指示がなされた記憶がなく、卒業まで元(ゲン)とか、申(シン)という苗字のままだったことを思い出していました。それにしても、侵略戦争の賠償を行ってこない日本て一体全体どんなに厚かましい国家なのでしょう、という重たい気分になります。
          
   歌う学生                        朝鮮総連事務所で説明に耳を傾かる参加者たち    

一階に降り、ハルモニたちのいるカラオケ設備のある部屋に移動しました。最高齢93歳と説明されましたが、皆顔色がよく、年齢より若い感じ、皆が笑顔で私たちを迎い入れてくれました。ハルモニたちはアリランハイという歌を合唱してくれました。学生たちは男女一人づつ歌い、崔さんも自慢?の喉で一曲披露しました。和やかな交流の時で予定時間を30分オーバー。外に出て記念写真を、幾人かが撮影します。

青丘社に着くと三階の和室に案内され、早速、保育園活動のビデオが上映される、南宮副園長の「74分という上映時間です」という言い訳で。1月28日の民団新聞で大きな紹介記事があったようですが、それは夜の話し合いの時に曹慶姫さんから配られました。ビデオのあと年齢別になっている保育室を順次案内して頂きました。児童の写真は写さないでと配慮をうながす、副園長の言葉が耳に残ります。午前中の初級学校ではそのような注意事項は一事もなかったので、少し違和感が走りました。…授業参観の写真…
     
    青丘社桜本保育園での参観             懇談会で司会をする崔さん     

青丘社の後、ふれあい館への移動を副園長が案内してくれましたが、私は5時半の採血、注射があるので、そちらは失礼して自宅へまっしぐら。所要をすませ、6時半前に東田コミュニケーションハウスへ自転車をはしらせます。到着しますと、部屋の中では女性たちの声がします。入ろうかと迷っていますと、文さんが部屋から出てきて、「二階の会議室でなく、下にしました。お茶の支度ができますから、でも時間が9時まででなく8時までなんです。崔さんの予約とは1時間少ないのですが」との説明。曹慶姫さんも来て準備を終えていました。(崔勝久・曹慶姫夫妻の論文集のURL=http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_89.htm)

フィールドワークの一行の到着は6時半。人数が少し減っています。懇談会をせずに帰られた人が数人おられたようです。…懇談中の写真…
     
   考え込んでいる西川教授               真剣な番匠さん
      
自己紹介が一巡しても学生たちの名前と顔が一致しない。私は自分が一番問題に感じていることは、日本人として「当然の法理」とどのように対処するかが当面の最大課題に感じていますと説明を加えました。少し時間をおいて西川教授が「自分はそのようには感じていない」と感想を口にしておられました。反論はたてませんでしたが、学者の理論と実際との違い(乖離)を痛感しました。現に川崎市の職員運用規程は当然の法理に対応して作ったと全文で明確に宣言しているのに、その重みを味わっていない西川教受だという思いがズシンと胸に来たのです。この懇談中の崔さんのビデオへの感想は「民族別の食事というフォーカスは共生謳歌で、支配者の理論に乗じていることの証明。一人一人の家庭の味を出せばそれがよい。その良さが分からないことが問題です」という言葉に集中するでしょう。民族という言葉を強調せずに、その児童の家庭の味をだした食事が大切なのだという芋の持つ、脱民族意識が重要だという趣旨。皆さんはどのように考えますか。


2月4日、朝9時半と言われたので、その時間の会場の川崎沖縄労働文化会館に到着、用務員の人に挨拶して、三階の事務所に顔を出し、館長の中曽根さんの来意を告げると中曽根さんは集合人数を問い、「では三階の和室でいいですね」と案内してくれました。持参した冊子(キョレイ・トンシン=はらから通信と「従軍慰安婦」問題と戦後五十年の2冊)を茶卓に乗せ、時間を見ると9時35分。開催は10時からかと思い直し館内を見て回る。屋根瓦は沖縄の物産らしく、二階の屋根に狛犬が二つ設置してある。…写真…
10時5分前、タクシーが南側の露地に連続しては入ってくる。…写真…
     
  9時55分タクシーを降りる参加者たち         川崎沖縄労働文化会館二階屋根の狛犬

歩行に難がある崔さんには三階までの階段が辛そう。テーブルの周りに座布団を敷く時間は十分あったのに、私は全く気づかず失礼しました。十時過ぎ沖縄出身二世の座覇光子さんが来場、荷物をほどいて、冊子と畳んだ模造紙の束を取り出します。模造紙を広げると、沖縄戦の版画集の切り張りです。冊子は「うりずん」という「沖縄のたたかいに連帯する東京会議」の機関誌でした。その機関紙の連載投稿した彼女の自伝でした。(私のホームページにも彼女のページがありますので参考になさってください。URL=http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_127.htm)
         
  説明する座覇さん                   川崎沖縄労働文化会館から出て来た参加者

座覇さんは模造紙の説明を始めたとき、「これは望月さんに手伝ってもらって」…と言い出しましたのに驚きました。記憶になかったものですから。あるようなないような、記憶です。アウシュビッツ写真展で写真集を模造紙で造ったことは記憶にあるのですが。残酷な沖縄戦の話で日本の軍隊が沖縄の人に惨い仕打ちをしたのに、侵略戦争を反省しない戦後歴代の政府は、「減退は住民保護を最重点にします」などを平気でうそをつく。

昼食は少し離れた労働会館内の食堂で摂ることにする。私は加藤教授と同じテーブルに着く。そこで、持参したサンドイッチを開きながら糖尿病の食事制限や金景錫(キム・ギョンソク)さんの訴訟の話(戦時中の日本鋼管でストライキをおこした強制連行の朝鮮人労働者で拷問され半身不随にされ、放置された被害が1991年に来日、政府と日本鋼管に損害賠償を求めた)を手短にしたりしました。食後、教授が最上階にある労働文庫を見に行かれました。私は歩行困難な崔さんとギャラリーのソフアーで感想を話合っていました。

午後1時半、最後の訪問地、「本気で臨海部の未来を考える会」「川崎南高を活かそう会」(URL=http://www.owat.net/kawafac/home.html)の集合地、川崎南高前へめいめいタクシーに分譲して行くことんさなりました。私は自転車なので単独行動をし、自宅に立ち寄り、手に持つを置いて、徒歩で元とに行きました。まだタクシー組みは来ていないようです。確認のために署名を見、立会の婦人と話を交じえましたが、来た様子はないとのことでしたので、小田栄町の角で4時までタクシーの来るのを見ていました。南高前の様子を覗きながら。
待ちくたびれて、南高前に戻り、立会の婦人と話しますとそこに長谷川さんという男性が来、携帯電話で事務所に連絡を入れてくれました。「一行は1時半から集まっておられるというのです。1時半?その時はまだ労働会館前でしたよ、と私。ですが、事務所で会合されていることはたしかです。奥さんが迎えに来てきださいますから、待ってください」と長谷川さん。
    
  解体中にアスベストの使用が判明          抗議の展示物でバリケードになっている

自転車で来られた夫人に案内され、会場になっている川崎ファクトリーに案内されました。
すでに、渡辺さんの話は終わっていて学生たちの感想発表になっていました。学生たちが終わると私に発言を指示する崔さん。渡辺さんの話を聞いていないので、話に困り、自分のトラウマである、終戦前後の体験談と、渡辺さんの事務所の場所が昔、私が日本鋼管に勤務していた頃には、アスガラ(石炭の燃滓)置場で、私の同僚が夜勤なのに、酒を飲みすぎそのアスガラの山で一夜を寝過ごし、出勤しなかった話、隣接地に魔の池という池がありそこで水死体と2度出会った話などをしました。渡辺さんという人は私が昔希望して技術者になりたいと旧制工業学校へ進学した夢の技術者、その技術者以上の技術者なのです。本来の技術、建築だけでなく、(都市設計や文化めんでの活躍、それに市民活動の実際)と私にとっては新人類のように思える人物なのです。私の心中には無意識に羨望が働いたのでしょうか。私の話を聞いた人には理解できない話だったのではと思い後悔の念が湧いています。
                               2009年2月6日 望月 文雄