2010年2月28日日曜日

国連人種差別撤廃委員会に参加してーイギリスより

ロンドンのぺ・ジウォンから望月さんへのメールを望月さんが公開されたので、朝鮮学校の件で国連人種差別撤廃委員会に参加した彼女の経験は貴重だと判断し、私のHPでも公開させていただきます。日本のメディアでは報道されませんでしたが、実際の国連での会議では、「在日の人権状況に関しても教育、雇用、年金、参政権などのことが幅広く取り上げられた」とのことです。

崔 勝久

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望月様


ご無沙汰しております。イギリスのペジウォンです。お元気でしょうか。メール新聞はいつも拝見させていただいております。本当にありがとうございます。

実は、私は24,5日の国連人種差別撤廃委員会に参加してきました。前田先生のブログにあるよう、各委員から厳しい批判と指摘があったように思われます。とても充実した内容の会議であったように思います。在日の人権状況に関しても教育、雇用、年金、参政権などのことが幅広く取り上げられました。8年ぶりの日本政府
審査でしたので、新しい委員たちもいて、それほど詳しいわけではなく、日本のNGO側の情報提供とくに、現場でのご説明やブリーフィング会などを開きました。しかし、彼らは専門家であるだけに、すぐ人権侵害、国際条約違反な事柄であることを見抜きました。

韓国での市民運動というのは国連関連の運動はあまりしていないので、個人的にはとてもいい経験でした。日本が方々は国連や国際世論をより活用していく必要があるように考えます。もちろん、イシューの性質によって違うのですが、これから国連を十分活かす必要があるかもしれません。個人的にはより組織的に国際社会への要請活動を取り組む方法などについて考えてみなければと思いました。

ともかく、日本のマスコミが国連での懸念を日本内に報道しているようで、少しでも効果があってほしいものですが…。

要請などもあり、韓国でもマスコミに記事を載せていく予定です。KINなどからも緊急声明書を出しました。

簡単な感想ですが、読んでいただきありがとうございました。それでは、また。


ペジウォン

2010年2月27日土曜日

「地域再生」と「在日」ーエクソドスはもういらない

『人間回復の経済学』(神野直彦 岩波新書)を読みました。『地域再生の経済学』と合わせて読んだので、重なる部分もあったのですが、「人間」を重視する著者の思いはよくわかりました。この本は、人間をホモ・エコノミスと捉える新自由主義を徹底的に批判します。そして「日本の構造改革は、歴史のハンドルを切りまちがえている」と糾弾し、人間が人間らしく生きるために、同じ間違いを犯してはいけないということを強く主張するのです。

著者は、「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費を実現したトータルシステムとしての社会を「ケインズ的福祉国家」」と規定します。即ち、福祉国家の背景には、大量生産・大量消費があり、それを支える重化学工業が不可欠であったという理解です。

私は川崎の革新市政のときに「青い空」を求め、患者を中心とした公害闘争も勝利したことを知りました(『よみがえれ 青い空―川崎公害裁判からまちづくりへ』(篠原義仁編著 花伝社)。しかしそのときに臨海部の工場からのばい煙や廃棄物の規制をしたのは事実でしょうが、公害を生みだすに至った社会のト―タルシステムを問い、臨海部のあり方そのものを根底的に問うて市民の憩えるウォターフロントにしようとする長期的なプランがだされたのでしょうか。

私は保守・革新を問わず、日本の国のあり方として「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費」を前提にした、トータルシステムとしての社会であったのではないかという、著者の指摘に深くうなずくのです。そして川崎はまさにその最も典型的な例ではないのか、と改めて考えました。阿部が批判した、それまでの革新市政の福祉政策が、実は工業化を前提にして、臨海部からの税収で福祉に取り組んでいたということです。阿部市長は福祉を切り捨て行財政改革に取り組み、ここに至って盛んにエコ・環境政策を吹聴するのですが、それによって、川崎が持続的な、人間がまともに「生き延びる」社会になるのか、臨海部が持続可能な、人間が住める地域社会になるのか、私は徹底的に厳しく検証しなければならないと思います。

川崎の工業化の歴史は100年、それは「韓国併合」と時期を同じくしています。工業化による「公害」と、「在日」の苦難は起こるべきして起こっているのです。「公害」と「差別」の真っ只中で川崎の「在日」から北朝鮮への帰国運動の声が上がりました(『北朝鮮へのエクスドス』(テッサ・モーリス・スズキ 岩波書店))。今ここに生きる「在日」は、祖国に生き延びる場を求めるのではなく、国籍を超え「住民が生き延びる」ための「地域再生」に全力を尽くすべきだと私は思います。

2010年2月24日水曜日

川崎・市民フォーラムの集会案内

みなさんへ

すこし春らしくなってきました。
川崎での市民運動として長年、大きな役割を果たしてこられた
「市民フォーラム」が初めて、「在日」の参政権の問題を
取り上げられたことに敬意を表します。

私たちの、「新しい川崎をつくる市民の会」は3月27日(土)に
近藤敦さんをお迎えして学習会をもちますが、6日に持たれる、
「市民フォーラム」にも是非、ご参加いただければ幸いです。

私は、「在日」問題の「専門家」のパターナリズム的な傾向を
批判してきましたが、何よりも問題にすべきは、圧倒的多数の
無関心、或いは、排外主義な対応であり、そのためには、
今回の外国人の地方参政権に関する正確な知識を広く情宣
することが重要だと思います。

今日の朝日新聞の社説で、「朝鮮学校排除はおかしい」と
遅まきながら、高校無償化法案において、北朝鮮への「制裁」として、
朝鮮学校を排除すべきだという拉致担当相の意見を批判する
見解をだしました。歓迎します。

川崎のこれまでの市民運動・住民運動がまちづくりを謳いながらも、
「在日」の問題を視野に入れてこなかった中で、
今回の「市民フォーラム」の企画は画期的なものとして大いに
歓迎します。

第133回川崎・市民フォーラム
日時:3月6日(土)18時15分
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール研究室1
「川崎臨海部の原動力=在市朝鮮人子孫の参政権を拒否して
いいのか? どう保障すべきか?

財政の自立性が地方再生の条件―『地域再生の経済学』(神野直彦 中央新書)より

「豊かさを問い直す」という副題のこの書物からも多くのことを教えられました。地方財政の著者がこの本で説く最も重要なことは、地方自治体の財政的な自立があって、地方再生が成り立つという点で、これは環境とSustainable Community(持続する社会)を強調するこれまで読んだ本では指摘されていなかったことで、よくわかりました。

しかしここは地方財政の研究者にお尋ねしたいのですが、著者は国との関係において、現在の地方自治体は様々な方法でがんじがらめにされていると指摘して、「税制改革のシナリオ」を提唱するのですが、8年前に出されたこのシナリオはその後、どのように進展したのか、教えていただけませんか。或いはその点を説明した本の紹介でも結構なのですが。

この本で触れられていないのは、そのシナリオは地方自治体独自で作成・実行できるのか、中央政府の改革によって可能になるのかという点です。現在、多くの知事たちが言い始めている地方分権ということや、民主党が強調する地方分権という概念は、税制の面では、神野直彦教授の主張する方向で検討されているものなのでしょうか。

この本で気になったことは、アメリカとヨーロッパを二項対立的に捉え、前者を市場主義、後者を反市場主義としている点です。アメリカでもサンフランシスコの例やボストンもそうですか、環境を守るということで市民が中心となったまちづくりの例も報告されています。

工業化からポスト工業化の流れの中で、地方の疲弊の問題、都市における「過疎化」の問題などが位置つけられ、地方自治体が果たさなければならない役割があることと、それと国家の役割が簡潔に説明されています。しかしいずれにしてもその中心に住民のニーズを置くということでは、一貫しています。

文化と伝統を地方再生の中心に据えるという記述をどこでもよく見るのですが、そのたびに川崎では無理かと思っていました。この本で挙げられたドイツの工業地帯のルール地方の例は、あれっと思いました。環境汚染と都市荒廃で有名であったのに、800平方キロという広大な工業地帯に公園のようなものをつくったのですが、それはむやみに工業地体の建物を壊したのでなく、製鉄所の内部をナイトクラブにしたり、巨大な外壁をロッククライミング用に改造したとのことです。著者は、「地域社会の再生は地域文化の再生」でなければならず、「既存の建築物は、その地方の歴史の語り部でもある」と記しています。そう捉えると、川崎の臨海部で残すこと、活かすことは多くあるように思えるようになってきました。

2010年2月22日月曜日

日本の「過疎」化についてー滝澤貢

漠然とした発言であることをはじめにお断りした上で、

地方では、町村はもとより、
市部、特に中核都市(人口およそ30万人)でさえ
過疎化を免れない現実があります。

かつて、過疎は地方の課題でした。でも今
人口140万を超える川崎でなぜ「過疎」なのか。
「過疎」という言葉が示す地平では、このことに説明が付きません。
東京都下での商店街も「過疎」です。

「過疎」という問題ではなく、
わたしは「日本のスラム化」が始まったのではないか、と
前々から感じていました。
地方とか、一部商店街の問題ではなく
都市部ももちろん、「首都」東京(石原の大好きな言葉)も
スラム化している、いや、すでにスラムなのでしょう。

これは、「命を守りたい」を、単なるポーズやかけ声で終わらせず
本気の政治課題にしない限り、取り戻すことは不可能だと思います。
自民党にできるはずもありませんが
民主党も今の状態では無理でしょう。
というか、日本国憲法を標榜する
「全て日本国民は」無理難題なのかもしれません。

ベースは敗戦後の日本の歩みの、当然の帰結なのでしょう。
世界経済の問題などは、付加的要素に過ぎません。

だからこそ、わたしたちが「自治」「全ての住民参加」を
「地方」政治の(地方に限らず、政治全ての)基本に据えようとする道は正しいのです。



MITSUGU TAKISAWA 滝澤 貢
http://kawasakich.exblog.jp/

2010年2月21日日曜日

『地域再生の条件』(本間義人 岩波新書)を読んでー住民が主役ということ

「地域再生」とか「まちづくり」が言われだしたのは、日本全国でどうしようもなく街が寂れてきたからであり、その根本的な原因は政府(官僚)の政策が間違いであって、今も懲りることなく、反省なしに中央からの計画をだしているという認識を著者は示します。地方自治体も国からのおこぼれをもらおうとその指示に従うところが多いのだけれども、それらの中で、市民・住民がやる気になって地方自治体を動かし、創意工夫で活性化し始めたところがあるということを、全国の例から示してくれます。

Sustainable Community(持続する社会)を言う学者は、公害とか環境を問題を軸に話すことが多いのですが、著者は、地域再生の条件をとしてよっつあげます。
第一は、すべての人々の人権が保障された地域に作り直すこと
第二は、地域の人々がその地域の仕事で生活しうるように再構築すること
第三は、自然と共生する地域にする
第四は、住民自身が地域再生の主役になること

『環境再生』(有斐閣)では公害と闘ってきた住民が新たなまちづくりを始めることを強調していたのですが、それはそれで川崎臨海部の実情がわかりよかったのですが、この本の著者は地域再生のアプローチが違い、より具体的であるように感じました。特に、福祉を全面的に掲げ、ノーマリゼーションという単語で、外国人を含め全ての人権を主軸にして、高齢者や障がい者のためのまちづくりはその地域すべての人のためになることだというのは、まさにその通りです。この視点は『環境再生』にはなかったものです。是非、川崎の各地域で住民が中心となってこの本を叩き台にして議論を深めていければと強く思います。

何よりも住民が主役ということは誰でも一様に口にするのですが、市民参加のまちづくりというのはまだまだこれから始まるのだと思います。商店街がシャッター通りになってきている各地の状況は川崎も同じで、桜本もまた昔の、夕方になれば人も通れないくらいに混雑していたことが嘘のようです。これをどのようにして活性化させることが可能なのか。

桜本や大島、小田という商店街も考えてみると、臨海部の労働者が少なくなり、臨海部で働く人が川崎区でほとんど住まなくなってきている状況、及び臨海部そのものが全体としてポスト工業化の時代になって寂れてきているという状況と関係しているのです。阿部市長が自画自賛しているように、臨海部のエコタウン、リサイクル(環境)産業ということで、まちが活性化されていくでしょうか。これは企業と識者と行政が既存の設備を活用した企業の活性化を図った計画で、具体的な住民や商店街の活性化にはなっていません。

何を軸にまちの活性化を図るのか、これは行政からのハード対象の助成金ではなく、ソフトを中心として住民自らが具体案を作り上げていく創意工夫でしかその端緒はつかめない、ということをこの本から学びました。

日本の北朝鮮バッシングは、アメリカの9・11報復と同じ、狂気の沙汰ですね

日経の2月21日の報道によると、「朝鮮学校の除外 無償化巡り要請 拉致問題相」とありました。なんということはない、政府が4月1日から施行しようとしている高校無償化について、拉致問題担当相が、在日朝鮮人の生徒の学ぶ朝鮮学校を無償化の対象から外すように、文部大臣に要請したそうです。文部省の政務三役は除外するかどうかの検討に入ったということです。「北朝鮮への圧力を示すカードのひとつにしたい」考えだそうです。

アメリカの9・11へのブッシュの報復は狂気の沙汰と言いながら、日本のこの狂気の沙汰に関して沈黙が続くのはどうしてでしょうか。間違いました。沈黙が続く現象が狂気の沙汰なんですね。

北朝鮮バッシングのひとつは、まず外国人参政権について朝鮮「籍」をはずすということが当たり前のように言われていることです。朝日新聞をはじめ、進歩的と言われているマスコミもこの点に関しては沈黙です。次に教育の問題ですが、朝鮮学校には、韓国籍や日本籍の子供もいるのですよ。それよりも何よりも、そもそも教育を受ける権利を、外交関係を理由に、拉致への報復ということで制限するということが許されるのでしょうか。無償化の施行の決定対象から、北朝鮮の民族学校をはずすというのは、憲法違反です。

みなさん、怒りましょう、そして日本国籍を持つ人は恥ずかしく思ってください。これはまさに、理性を失い報復に走る政府を支援した、アメリカ国民の狂気そのものではないでしょうか。気持ちのよさそうな日曜日の朝だと思ったのに、日経の朝刊を見て、怒りがこみ上げ気分が悪くなりました。

マイノリティ論の問題点

川崎での日立闘争以降の運動の中でたどり着いたマイノリティの運動論が、「要求から参加へ」と「マイノリティのためにいいことがマジョリティにもいいことである」というテーゼのようです。そしてこのテーゼは、「多文化共生」というスローガンで語られています。私たちは、『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)で、「多文化共生」を批判しました。今後、「多文化共生」を言うのであれば、まずこの本を読んでからにしてくださいと言えるだけの水準、内容にはなっていると自負します。

今日は、川崎で未だに言われているこのマイノリティの運動論を批判します。
「要求から参加」へというのは、「在日」はこれまでのような日本社会の差別に対して糾弾や要求するのでなく、外国人市民代表者会議などに参加して、或いは参政権を付与してもらって日本社会に参加して、その組織や仕組みの中で要求を実現していくべきだという論理のようです。これは何重にも間違った主張です。日本社会に差別がある限り、「在日」はその不当性を糺し差別をなくす運動をしなければなりません。そしてその「要求」というのは、そもそも住民・市民が行政に対していかなる場合にも基本的に追及しなければならない行動です。それは「公共性」の追求、という言葉でも説明可能です。

「要求から参加へ」の「参加」は既成の組織や仕組みへの参加を意味するのであれば、「参加」して何をするのでしょうか。「要求」するのではないのでしょうか。私は、既成の組織や仕組みへの「参加」は「埋没」と同じと見ます。差別や、不平等を生みだす社会の「変革」への「要求」こそ、私たちの目的であるべきです。それはマイノリティがマジョリティと一緒になって変革すべき社会全体の課題です。

もうひとつ、「マイノリティのためにいいことがマジョリティにもいいことである」ということが、外国人市民代表者会議のテーゼにもなっているようです。しかし、どうしてそう言えるのでしょうか。これを例えば、社会的弱者である高齢者や「障がい者」のためにいいことはすべての人にとっていいことである」というのであれば、話は違ってきます。なぜなら、全ての人は誰もが、高齢者になり、身体的に不自由になる可能性が高いからです。だから高齢者や「障がい者」が、お金がなくとも安心して暮らしていける社会をつくることは、地域全体の課題になるのです。

しかしマイノリティの状況に対してマジョリティが問題にするとき、それは自分たちマジョリティが持っている同じ権利や境遇をマイノリティに保障すべき(してあげるべき)だということになり、自分自身は安全で確固たる場に身を置きながら、その場がマイノリティ差別を生みだしているにも拘わらず、その基盤の上で成り立っている社会と自らが闘うことをせず、そのマイノリティへの姿勢がパターナリズムであることに無意識なのです。

上野千鶴子が『当事者主権』(岩波新書)で指摘するように、識者や行政の人間がいくら差別者のためにいいことだと思いそのための制度を作ろうとも、自分たちにとっていいのか悪いのか判断は当事者がするのであって、マジョリティの善意な人間がしてはいけない、と私は思うのですが、みなさんはどのように思われますか?

2010年2月18日木曜日

川崎市議会に陳情書を提出

川崎市議会に、「新しい川崎をつくる会」滝澤貢代表が陳情書を提出しました。今議会で、「反対案」と私たちの早期実現を求める「賛成案」が審議されます。楽観は許されません。3月2日に自民党の議員が外国人の
地方参政権に対して質問をする予定で、市長がどのように応えるのか、注目されることです。

崔 勝久


「永住外国人の地方参政権の確立の早期実現を求める」
意見書を川崎市議会であげる事に関する陳情

陳情の要旨
表題の法案につき、今通常国会での法案化の議論がなされると聞き及んでおります。川崎市はどの政令都市よりも早く日本国籍を有しない外国籍住民(無国籍を含む。以下、同じ)の人権保障政策を推進し、「多文化共生社会の実現」を市のスローガンにした都市であるがゆえに、外国籍住民の政治参加を積極的に受け入れ、「多文化共生」の内実化を図り、開かれた地域社会をめざすべきであります。市議会におかれましては、あらゆる住民一人ひとりを大切にするネットワーク作りと街の活性化に励み、住民主権の地方自治を目指して、過去(1994年10月3日)の市議会全員起立で国への「定住外国人に参政権を求める」意見書が可決されたことと、情勢の変化を踏まえた上で、国会において早急に法案化を実現すべく、川崎市の意思と要望を意見書にしていただきますようにお願いいたします。

全文は以下のURLでご確認ください
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_196.htm

2010年2月17日水曜日

外国人の地方参政権と公務就任権についての学習会のご案内

外国人の地方参政権と公務就任権についての学習会のご案内

政府民主党が今国会で提出しようとしている、外国人の地方参政権の法案に対して、賛否両論がでています。しかし「在特会」を始めとした右翼陣営の反対はすさまじく、また多くの国会議員も絶対反対の主張をしています。
しかしその反対の根拠は、外国人の参政権は違憲であるというのですが、亀井静香国民新党代表が言うように、外国人の参政権付与は「日本人の民族感情を刺激する」(日経新聞 2月4日)と、あくまでも感情的で正確な知識に基づいたものでありません。圧倒的にこの問題について無関心な人が多い現実を見たとき、正確な知識を踏まえて、徹底的に議論をする必要があると判断し、以下の学習会を開催することにいたしました。

1.学習会内容:外国人の地方参政権と公務就任権について
2.講師:近藤 敦、名城大学教授  
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901019370903442
3.日にち:3月27日(土) 午後13時半ー17時半
4.場所:日本基督教団川崎教会(http://navikana.com/044-211-2335/)
川崎市川崎区小川町11-13

近藤さんは主にヨーロッパの実情に精通され、外国人の地方参政権については、賛成する立場から、日本社会に積極的な提言をされています。 
学習会の内容としては、参政権反対論者の主な主張の検証と、同時に賛成者が拠って立つべき、明確な学問的な根拠についての講演を受けて、参加者からの活発な意見交換を考えております。賛成・反対の主張が憲法論を掲げながらも、あまりにも感情的な議論になっている現実ですので、近藤さんからはこの間展開されている、外国人の地方参政権の意義とその根拠について詳しくお話をお願いしたいと考えております。

また外国人の公務就任権の問題は、鄭香均の最高裁判決と関連しますし、私たちが川崎で12年にわたり運動してきた主題です。政令都市では外国人施策では最も先端を行っていた川崎ですが、外国籍公務員が管理職に就けない問題は、参政権によって「公の意思形成への参画」という理由が根本的に問われることになり、また外国籍公務員の就ける職務が限定されてきたことも見直される、大きな転換点が来たと思われます。この点についてのご意見も伺いたいと考えています。多くの方のご参加を歓迎いたします。

「新しい川崎をつくる市民の会」
代表    滝澤 貢 (連絡先:skchoi777@gmail.com)
川崎市川崎区小川町11-13 日本基督教団川崎教会付

2010年2月15日月曜日

「在特会」、ついに、川崎に現れる!

「在特会」のHPで今日午後、川崎駅隣の、ルフラン前で示威行為があることを知り、早速、現場に駆けつけました。

雨が降る中、6-7の若い人、30代くらいの人がアジ演説をして、中年の人が韓国語のパネルを首から掛けてました。「出て行ってください」と韓国語で書いてました。私は彼らのところに行き、ビラはないんですかと尋ね、1枚もらってきました。

善良な市民がわざわざ雨のところ、ビラをくれと来たものだから彼らも喜んだのでしょう。「このままでは日本は乗っ取られてしまう」「日本国民が一致して、闘いましょう」「川崎市には陳情をして、議会で決議をしてもらう」ということを話していました。

ビラはB4で、「クリーン川崎連絡会」と「健全な国民社会を実現する運動」の連名です。タイトルは、「外国人参政権法案に断固反対」あり、その下の小見出しは、「日本の永住権を取れば、日本の地方議員選挙に投票できる」「外国人の参政権推進派の人って?」「民主党小沢一郎氏の発言」「北朝鮮支持者にも参政権」「全国各地での外国人参政権反対運動」とありました。

右翼も今や、戦闘服を着て車からガンガン音楽をならしアジるスタイルから、市民運動スタイルに変身したようで、街頭での示威行動、議会への請願・陳情という形に変わってきています。それが横浜では功を奏し、教科書が全市、「つくる会」系の教科書一本になる状況になってきたので、川崎の「在特会」の動きも無視してはいけないと思います。

右翼は必死になって議会に働きかけ、街頭示威行動をするのですが、一方、これまでのところ「運動圏」のグループや個人は全く動きがないですね。これではまずい、と思っております・・・

2010年2月13日土曜日

最近の参政権論議で感じること

伊藤です。

市議会への外国人参政権「陳情書案」など、最近の左右両方の動きも見て、二つの事を感じました。

1。日本の憲法の表現がどうであるかに関わらず、基本的人権は国家の枠を超える「普遍的な」権利として歴史に登場し、長い過程で彫琢されて来たものです。だから「国籍」などでその権利が制限されるなど、いわゆる現実 政治(統治)の都合で制約するなどは全くおかしい。 

しかし日本国憲法には「人権は・・・・「国籍によっては差別されない」・・・とは書いてありません。つまり差別を容認する惧れのある憲法、でしょう。在日外国人の参政権を門前払いする主張は、この文言を楯にしている。

まずこの原則を巡っての分裂が最初にあります。理由は歴史過程で被害者の側だったか、加害者だったか。次いで戦後処理の未清算と近現代教育の放置。国民が政治権力をひっくり返した事がない日本の体質、いわゆる国民性・・・。

何でもござれのようですが、この問題は現代の国民国家と政治機構の根本原理・根本システムに直結しているから、自ずから広い範囲の問題と接している。  また逆にとても広く影響が及ぶ。

 かつて論争になった日本単一民族論は、敗戦後に「収縮した」国民国家を理屈付ける空論ですが、他民族の統合支配(五族共和)に失敗した帝国日本が加害責任を回避し、一国平和主義に活路を見出した戦後過程では、他民族との協調・共存の態勢を平和裡に築く意志など、無いに等しいものでした。  
 
2。国民国家の壁は厚く、押しても引いても容易には動かない。国際化がこんなに進んでも、国籍を条件とする血縁主義の立場から日本への「帰化」を勧める(閉じた同化)方針は、多数の同意を得る傾向にある。閉じたシステムに替わるものをどう作って行くか。その可能性を何処に見出せるか?。

多くの試みのうち「多国籍」の容認実施提案、アジア平和構築の外交努力と共に、地方参政権で露わになって来た自治体の住民自治が、そのひとつの方向に違いない。しかも今は、此処でも「後ろ向き」の、右派の動きが展開しています。

大陸国家などではもっと違うかも知れませんが、国境で区切られているため、新手の「鎖国」は肌に馴染み易いもので、多数の国民を惹きつける ネオナショナリズムの御旗となるでしょう。名古屋の危険さは、まだ詳細を知らないので断定出来ませんが、新たな住民「動員」の仕方ではないか。

地域での統治手段の実験だと感じます。  いずれにしても、地方自治には住民参加が不可欠になって来ているからですが、それにしても新しい装いで日本人以外を同化・排斥・排除する国際化真っ只中の「鎖国」が、ありありと見えます。 

いつか来たと良く似たような内向きの自己本位の道。閉じた国家を、しかしいつまで維持出来ると思っているんでしょうね? 国際化が、国粋化と同時に進む。やがて自由に身動きならないどこか到着点へ向かって。

この時代を、ここを解剖し批判し、対案を出して行きたいと思います。
   

2010年2月12日金曜日

名古屋の「地域委員会」でも、国籍条項

名古屋の「地域委員会」でも、国籍条項

今日のテレビ朝日で、名古屋の河村市長が、地域委員会のモデル地区(小学校区)を選定したことを知りました。予算は年間1000万円で、使い道は自分たちで決定するそうです。市長は、「市民の自立」を強調し、現在の議会制民主主義は、議員の職業化が顕著で、その傾向を打開するのが目的だとか。

委員は立候補制で、事前に登録した市民(小学校区民)は、平均10%くらいで、八つのモデル地区で先行実施しながら、名古屋市全体に広げていくようです。投票形態は、登録した市民が郵送で立候補した人たちの中から選ぶらしいです。

河村さんが立候補したときからの公約の一つで、私は注目していました。しかし外国人の参政権を反対し、私は彼の国粋主義的な臭いを感じ、危険視していました。彼の著作の中では、南京事件を否認し、中国人にいつまで謝罪をすればいいのかと、自民の右翼顔負けの論陣を張っています.

(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/05/blog-post_04.html)
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/05/blog-post_1284.html)「河村たかしの危険性について」、朴鐘碩の「河村たかしの思想」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/05/blog-post_09.html)も参照ください。

私は外国人の政治参加として、国政レベルに影響されず、条例ベースで可能になる区民協議会のような地域に密着した政治の仕組みに注目したのですが、河村たかしの考える「市民の自立」の中には、外国人を含めていないことが判明しました。やっぱりな、という感じですが、どうしてグラスルーツの政治にさえ、外国人住民を排除しようとするのでしょうか。困ったものです。

名古屋市の「名古屋市地域委員会のモデル地域募集要項」(平成21年12月7日)の中に、「「公募委員」及び「推薦委員」の候補者になるためには、以下のいずれも満たす必要があります。」その第一は、「満18歳以上の日本国民」とありました!
(http://www.city.nagoya.jp/_res/usr/c/076/316/siryou01.pdf)

なお、名古屋市の地域委員会のコピーは、「地域委員会(仮称)で“日本一住民自治が行き渡った街”ナゴヤに」でした。日本一がこれでは困るんですけど。

2010年2月11日木曜日

外国人の参政権に賛成ー選挙権、被選挙権も

崔さん

すみません。いろいろと受信Eメールがおおく、貴信のすべて
を精読できてませんが、情報等ありがとうございます。

外国人の地方政治への参政権をみとめると、津島列島が
のっとられるとか、名護市など日米安保の国政がからむ
地方選挙では「国益に反する」困った事態が生じるとか、
反対派は口実を述べていますね。口実にすぎません。

そんなことをいいだしたら(ただし、以下は学者的ではない、
おおざっぱな議論)、そもそも天皇家だって「外来」だし、現在の
東京の土地だって、外資所有が多い。すでに、経済はグローバ
ル化していて、日本経済はのっとられている。いやその日本
資本が、海外で海外の資産をたくさん所有している。市場では、
すでに国境はない。

この時代には、地方選挙では投票権&被投票権をみとめて、
外国人の方々のご意見を地方政治・政策に反映させることで、
地方の諸政策が改善され、適正化されます(やや甘いかな?)。

外国人の政治家(市会議員)が生まれることで、外国人コミュニティ
の政治参加意識もより活性化すると、期待されます。島国根性の
日本政治家の「狭い視野」にたいする、よい刺激になるとおもい
ます。日本の地方政治、地方議会を国際化する上で、外国人
市会(町会、村会、区会)議員の誕生は、重要だと思います。

以下のEメールとは、かみ合ってません。すみません。


山崎

川崎で「在特会」の参政権反対の動きがあり

川崎の「在特会」が参政権反対に動こうとしているようです。
「在特会」のHPに投稿された反対運動を進める「質問」と、
その回答のメールを掲載します。

これは何ということはない内容なのですが、問題は、憲法論を
表面的に読み、賛成件は違憲という考える人が98%という産経
と、賛成が60%という朝日の報道です。まったく正反対の報道
ですが、ふたつのアンケートがどのような方法論で出された
結論なのか、数字をそのまま信用することはできません。

川崎では既に、参政権反対の陳情がなされており、「在特会」の
動きもありそうで(彼らは民主党右派と組みそうですね)、
一般市民への正確な情報提供を大々的にやる必要があります。

なお、猪俣市議を中心に、川崎の「在日」の歴史に触れながら、
反対論への反論、北朝鮮排除の法案の問題点を
記した参政権賛成の陳情を準備が進んでいます。

みなさんの、お知恵拝借。

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崔 勝久
SK Choi

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川崎で外国人参政権反対決議を成立させよう
高橋 賢一 2010-2-10 0:04 [返信] [編集]

私は在特会の会員でもありますが、このたび新しくクリーンかわさき連絡会という市民団体を立ち上げた高橋といいます。今回は、皆さんにご相談を受けていただくために書き込みました。

現在、川崎市において外国人参政権反対決議を成立させるために動いています。ところが、ご存知の通り川崎市は非常に左派が強いところでして、現在の議席数では民主18、自民17、公明14、共産10、神奈川ネット2、無所属1(計63)という状況です。

このうち、公明と共産、神奈川ネットを合わせた26という時点で1/3を超えており、民主の大半が否決に回ったら衆寡敵せず、あっという間に潰されてしまいます。自民会派からは反対決議に賛成してもらえる旨の内諾は得ているので、いかに民主会派を切り崩していけるかにかかっています。ちなみに民主にも反対決議賛成派の議員はおり、その議員からの話によると「日和っている議員が少なくない」との事。もちろん、強行に外国人参政権に賛成する民主議員もいます。今回ここに書き込みをしたのは、いかに民主の議員をこちら側に引き寄せるべきかを相談するためです。

今、そのために取っている行動としては、外国人参政権反対決議を成立させた、あるいは成立させようとしている地方自治体の議員に話を聞いて、成立のための戦略を教えてもらう事、請願に際しての署名を募る事、請願者を募る事などです。他にも良い知恵があれば、どうかご協力ください。よろしくお願いします。
Re: 川崎で外国人参政権反対決議を成立させよう
かぷち~の 2010-2-11 8:47 New [返信] [編集]

団体立ち上げお疲れ様です。かぷち~のです。

自分も外人参政権反対署名活動してます。今は事故にあったせいで休止中ですが。自民の県議会議員さんにも後ろ盾になっていただいてます。

それで議員さんの行動ですが、反対署名をもっと膨大なものにするために
それぞれの議員さんで署名集めをしてくれるようです。
うちは自民が圧倒的多数です。

そちらでも自民さんにそのような実働部隊的な協力をお願いしたらどうでしょうか?

ただし、兵庫で反対署名が無くなったり(盗難でしょうけど)してますし、特ア人から物理的な妨害が考えられますので注意してくださいね。

2010年2月6日土曜日

外国人参政権法案の意図について

伊藤です。
外国人参政権の「政府提案」は、迷走していますが、この法案は何を意図したのか。特に次の点(対立点)をしっかり理解する必要があると思います。

1。「在日」を国籍で篩い分けする。------- 「北」を排除する。
2。被選挙権は与えない。--------------地方政治の主体として認めない。
3。国政への参加を拒絶している。-------国民統治・日本国籍に固執。

ここでは、地方参政権が国政との関連でどのように把握されているかにつき考えを述べます。グローバル化した世界の中の「アジア」で、日本国家が今後確保したいと考えるだろう政治的位置は何だろう。 基地の対立に表れた対米関係の変更・再考も含めて、超大国中国に対抗し、それに次ぐ「準覇権」だと思います。
この実現のためには、第一に近隣諸国との緊密な外交関係が不可欠です。外国人への政策が変わるのも当然の成り行きです。その反面、国内の統治、国民統合がこれまで以上に緊要な課題として意識されるでしょう。

こう考えれば、上記三点の理由と解答が分かるのではないか。まず、外国人参政権が実現すれば(単にささやかな形式的権利に過ぎなくても)韓国及び台湾、中国などとの協調・提携を緊密に出来、つまりは超大国中国を牽制も出来る。

しかし、国政には関与させない。あくまで国籍の取得、帰化などを通じて、日本への「忠誠」を求める。これは振り返って生来日本人の精神的、政治的態度をも拘束する道具に、充分なるでしょう。この文脈で、朝鮮民主主義人民共和国は反日だから差別し、アジア共同体の最下位に位置付けておき、将来には参政権の可能性を持たせたと考える。

民主党政権が、国籍を越え国民国家の枠を開いて、平等と人権尊重の社会へ、また戦争責任(の一端)を解決する方へ、更に開かれた住民主権の実現の方へ、外国人参政権成立と言う政策を以って大きく政策変更を進めた・・・・のでは無い。

当然と言うか、期待はずれに過ぎなかったと言うか・・・・。これらの課題は、日本社会が取り組み解決すべき課題として、私達の目の前にあるものです。それを再認識できる機会をいま改めて手にしている。

いま自治体の審議を求め、国籍に関して開放的ではない憲法の制約を越える方へ、外国人を日本人と差別しない、国籍や国境によって人権は制約されないと言う原則を掲げて、この問題を闘って行く地点にいると思います。

地方参政権が仮に成立した場合の問題、また国政と地方自治の関係(対等か従属か、或いは単に行政機構の指示---実行系統なのかなど)については、充分には考えていません。一部は先日の意見にちょっと書きましたがもっと深めるべき重要点です。----息切れせずに追って行く積もりです。

2010年2月4日木曜日

参政権は「民族感情刺激」-亀井静香

日経の朝刊(2月4日)は、政治面で小さく、亀井静香の発言を載せています。曰く、「参政権を付与したために民族感情が刺激され、対立が生まれてくる危険性もないわけではない」と反対を改めて表明したそうです。

そうか、庶民派を自称し、中小企業の立場から大企業のあり方を批判し、喝采を浴びた亀井静香は、小さな党でありながら、存在感を誇示しているようです。

もと警察官僚であった彼は、浅間山荘事件の新左翼の学生たちを取り調べているうちに、命を賭ける彼らの姿から思うところがあり、政治家への転身を決意したと言われています。パチンコ業界の裏の裏まで知り、一旦は自民党から追い出されてから再び与党の一翼を担うようになった彼の庶民性とは、所詮、現実を切り開くものでなかったようですね。

外国人が地方参政権をとることが、日本人の「民族感情を刺激する」。なんと、わかりやすい! 感情に流されずに知性と良心を重視するのでなく、未来への展望を語ることのない政治家はなんとつまらない。日本人民衆に偏狭なナショナリズムを払拭することを訴える政治家は出て来ないのでしょうか・・・

そのような政治家や櫻井よしこのような右翼評論家が、鄭大均の、「在日」の「アイデンティティと国籍の乖離」を表面的にとらえそこから帰化を勧める主張に便乗し、取り上げる、なんとおぞましいことでしょう。貴君は、国民国家を絶対視せず、その枠に収まることを全ての前提にせず、未来を展望しようとはしないのか、鄭大均。

私はそこに現実に対する君の絶望を嗅ぎ取るのです。不器用で、いつも自信のなさそうであった貴君が、いくら勇ましい言葉を発しても、私は全く同意することはありません。桜本の地域活動で、「劣等生」の「在日」中学生と対話を続けていた、貴君の優しさが懐かしい・・・貴君はいつも斜めに構え大上段からものを言う人間ではなかったのに。

「共生」を批判する: 川崎市議会にやっぱり出てきた、参政権反対の陳情

崔勝久さま

右からの反対論は予想通り強くなりました。

小生は、一般的には、歴史はジグザグに進むものな
ので、100%原理原則どおりでなくとも、相対的前
進ならば擁護すべきなのではないかと考えます。

地方参政権法案についても、いろいろと問題はあり
つつも、成立すれば社会の外国籍住民に対する認識に
前進をもたらすと考えられるので、成立しないよりは
成立した方がいいと考えていました。今も半分はそう
考えています。

しかし、朝鮮籍排除は、筋が通りません。

統治権(主権)の1つの構成要素である領土高権に
服さざるを得ない住民であることと、「被治者の自己
統治」を本質とする民主主義の理念とが、非日本国籍
住民の地方参政権の根拠だとすれば、外国人登録証に
朝鮮と書いてあろうがなんと書いてあろうが関係ない
はずで、この排除は原理原則に反します。

したがって、この法案には反対すべきだと考えます。

さらに原理原則論を唱えれば、日本語版が解釈の基
本となる日本国憲法は、基本的人権を国籍の有無によっ
て不当に広く制限しており、その上、主権者である国
民たる要件を下位の個別立法に預けてしまっており、
立憲主義的憲法のとしての内実を欠いています。なぜ
ならば、「誰が主権者か」という立憲主義憲法の一番
の基本を、下位の個別立法に丸投げしてしまっている
からです。この憲法は欠陥品です。英語版がどうなっ
ていても、救いようがありません。落第です。
そして、国籍法が血統主義オンリーになっているこ
とによって、憲法14条法の下の平等の規定自身に矛
盾する法システムを構築してしまっています。同じよ
うに日本で生まれても、親の血筋(門地)によって生
まれた瞬間に差別される人々をつくるシステムになっ
ているからです。
私は、現行の憲法を改憲するか、それに準じる措置
として、国籍法を改正するか、国籍に準じるものとし
て拡大型の市民権制度をつくるかでもして、立憲シス
テムの根本を変えて、「生まれた瞬間に血筋で差別さ
れない」システムに変えない限り、この国は「民主主
義国家」ではあり得ず、「奴隷主(親の血筋が日本国
籍である特権階級)の民主主義国家」でしかあり得な
いと考えます。古典古代時代のギリシャ・ローマには
共和制・民主主義の時代がありました。奴隷制のもと
で。

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富永さとる  MBA in Social Design Studies

2010年2月3日水曜日

川崎市議会にやっぱり出てきた、参政権反対の陳情

みなさんへ

はやり、外国人参政権反対の陳情が川崎市議会の市民委員会がだされ、3月から審議されます。以下、その内容を公開します。そのうえ、市議会に参政権反対の決議を求める動きがあり、楽観は許されない状況になってきました。

国会での法案提出がまだ未定ですが、このところ反対意見が目に見えて増えているようです。これまでありえないと思われてきたことが、いよいよ具体化してきたからでしょう。しかし反対意見はそれなりに論理的です。違憲であることを、それなりに説明しているのですが、逆に賛成意見は「情緒的」だと感じます。民主党も、政府も参政権法案は合憲であることを前提にしているだけで、きっちりとした説明責任を果たしていません。単に小沢・鳩山一派が政治的にごり押しをしているという印象を与えています。

川崎では地域活動をしているグループも圧倒的に、この法案に関しては無関心です。ここは、住民自治とは何か、外国人が多く住む地域において、外国人を排除して、住民自治が成り立つのか、永住外国人が地方参政権を獲得するのは、合憲か違憲か、それは地域社会にとって必要なことなのか、そうでないのか、ここで徹底して市民レベルでの論議を喚起したいものです。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子 朝日新聞社)を思い浮かべます。戦前の日本は、アメリカの9・11テロに対する報復、征伐と同じように、相手国とまともに対応することなく、悪い相手側を懲らしめる戦争を始めたとあります。

北朝鮮は拉致と核兵器実験でとんでもない国だから、その国の人間には参政権は与えるべきではない、もっと制裁をすべきだという主張が当然視されています。これは思想・信条によって、差別をしてはいけない、法律の下では平等であるべきという憲法の基本精神が無視されており、そのことの問題点を指摘するマスコミもありません。怖いことです。9・11のテロの後のアメリカのようです。川崎は、横田めぐみの両親の住む町、
誰がそんな国の人間に基本的人権を認めるか、そんな声が充満しています。

みなさんは、以下の陳情の内容をどのように読まれますか。

崔 勝久

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陳情第161号
                            平成21年11月4日
川崎市議会議長    潮田智信 様
                            中原区木月3-50-7-302
小澤 正志

「永住外国人住民の地方参政権付与法案」に対する陳情

陳情の要旨
 表題の法案につき、次期通常国会採決を「民団」から強い要請が与党及び各地方議会に働きかけていると聞き及んでおります。市議会におかれましては、同法案の採決阻止をお願いしたく陳情いたします。

陳情の理由
1 日本国憲法では参政権を国民固有の権利(第15条1こう)としていますが、地方参政権もその自治体の住民が選挙することになっています(第93号第2項)。そして平成7年2月28日の最高裁判決で「住民とは日本国民を意味する」としています。

2 参政権に賛同する人々は同判決にある「憲法上禁止するものではないと解するのが相当である」との部分を取り上げて最高裁のお墨付きを得たとけん伝(ママ)していますが、この部分はあくまで傍論であり主文ではありません。この判決では原告(民団団員)の訴えは棄却されています。

3 韓国では平成17年、在韓永住外国人の一部に地方参政権を認めました。相互互恵主義にのっとって日本でも認めるように働きかけがなされておりますが、昨年の韓国地方選挙で選挙権を得た日本人はわずかに100名未満です。現在、日本には永住外国人は約70万人であり全く互恵相互(ママ)といったものではありません。

4 韓国では平成21年、在日韓国人に地方参政権、大統領の選挙権を認めました。祖国の政治に参加・貢献することは極めて当然のことです。2か国の参政権を持つことは不公平であり、極めて不自然です。

5 諸外国でも認めていると主張する人々もおりますが、北欧を中心にEU等20か国くらいであり世界のすう勢ではありません。それを無理やり日本に当てはめることは妥当ではありません。

6 基本的人権であるから、また納税しているから認めよという人々もおりますが、では選挙権のない未成年者には基本的人権はないのでしょうか。また、納税していない低所得者や学生には選挙権は付与されないのでしょうか。普通選制度が成立してから80年以上たった今、納税も人権も、参政権とは直接関係ありません。

7 国政ではないからよぴではないかという人々もおりますが、地方政治といえども国政に密接に関係しており、教育・治安・安全保障等重要な役割を担っていることは地方議員の皆様が一番よくご存じだと思います。

 もって、川崎市の有権者の一人として同法案の法制化に反対し、良識の総意をもって、廃案に問われますよう念じ、陳情を申し上げます。

2010年2月2日火曜日

「共生」を批判する: 97%が憲法違反、亀井静香の参政権反対論について

伊藤です。

「外国人の地方参政権」については、市民の会内部で充分に意見交換する必要があります。私も先日は簡単に発言しただけですが「統合」「国民国家」が鍵になって来たと感じています。

右翼陣営が猛烈に反対運動を行って、排外主義・ナショナリズム高揚の兆しを見ていると、戦争責任が日本と言う国家・社会に刺さった骨、押しても引いても抜けない骨だとの印象が強まるばかりです。

法案の骨格が「被選挙権なし」「”朝鮮籍”を排除」なら、私は賛成しません。選挙権が、国家の温情で与えられる、これぞまさに日本への、外国人統合の具現化でなくて何でしょう。 
これは、東アジアでの「準・覇権」を睨んだ戦略だと思いますがどうでしょう? 



 もちろん第一の、世界規模の覇権は中国です。(関連して日米関係が再編するのも、当然に不可避の情勢です。別論)

しかし、もしも法案が可決成立した場合には、国政には小さい風穴が開くでしょう。何かが確かに変わるに違いないのです。ゆっくりと思わぬほうへ。その時は、その情勢をしっかり把握し、その時点で市民運動はいったい何をするのか、改まる課題にどう取組むのかが、次の問題になります。

例えば自治体の外国人会議等は、再編必至になる。外国人の、市政への発言権は強くなり、(・・・・反対派はこの趨勢を怖れている。当たっていると言えますね。) 日本国家への「統合」の期待線を越えて、更に民衆レベルで、例えば東アジア共同の家のごとき運動が始まる。 そうすると「だいたい外国人、日本人の区別がいつまでも何のために必要なのか」など次第に疑問視され、その無意味があらわになる、当然です。そして、被選挙権が「当然の理」として獲得される日が遠くないでしょう。

納税している住民には主権がある ”代表(権)なくして課税無し”だったか(正確さは怪しい・・・)。民主主義政治の、権力と課税の根本原則をいつまでも無視して偏狭な日本血縁主義で国家を統治し、また国際化している地域社会を経営するのは、土台無理だからです。

それで、その時には何が変わって来るかを討論しながら、課題を明らかにする義務がある筈です。いまはまだ、法案の提案が未定です。私の考えはやはり此処で中断し
ますが、当座の素材にお読みの上、皆さんの意見を願います。

「共生」を批判する: 97%が憲法違反、亀井静香の参政権反対論について

崔様

活発な情報発信、ありがとうございます。

> 外国人の多く住む地域で、外国人の政治参加なく、住民自治が
> 可能なのでしょうか?

→それは、不可能です。

------
そもそも外国人に参政権を与えないといいながら、
日本の政治の内容を決めているのは、米国でして、
古くは90年代の公共投資政策600兆円は米国
からの圧力で、実施されました。米軍への
思いやり予算にしても、まあこれだけ、日本の政治的
自立性を放棄しておきながら、何を今更
「外国人に日本の政治がのっとられたら困る」のか、ばかばかしい
意見です。それをいうなら、すでに、日本の政治は米国に
乗っ取られているでは、ないですか。自民党が、みずから
国家主権を放棄しておきながら、その政治に日本の住民
たる永住者を参加させない。おかしな話です。

1永住者が身近な生活のことで政治参加することは
認めず、他方日本の平和がかかわるような沖縄の基地
問題では、100%米国のいいなりで政治を動かしている
わけです。本末転倒とはこのことでありましょう。

----
すみません、崔さんの緻密な憲法論議とことなり、おおざっぱな
意見です。厳密にはこういう発想は、正しくないのかな。


山崎 拝
平成22年2月1日(月)

2010年2月1日月曜日

市民参加による政治って何なんでしょうか?

市民参加による政治って何なんでしょうか?

阿部市長は、当選前から、各政党から袖にされた所為なのでしょうか、あるいはかなり前から官僚で政治学者であったので「市民参加」の概念の重要性は認識していたのでしょうか、市民との対話、市民参加の政治ということを強調しています。私は、住民自治とはまさに、市民が主体となって政策決定に参加していくことを保障するシステムだと思います。しかしそれはどのようにして可能なのか、この点を徹底して検討しないと、市民参加は空疎な言葉になります。

民主主義とは代議員制度そのものと理解されていますが、代議員制度は政党政治になって各党の議員数に頼るようになり、住民の意思を反映させる制度とは必ずしも言えません。代議員制度を否定しませんが、それに代わって、或いはそれと並行して、住民の意思が反映される仕組みはないものでしょうか。

行政は、市民(住民)参加を強調するのですが、実態は、自分たちが決めた施策に対して、その過程で市民の参加を求め意見を聞く(或いは聞き置く)、という程度のものです。結論は、行政が決めた、官製の「公共性」であり、市民参加はその正当化に口実を与えるだけにすぎないものになっています。そもそも、いろんな利害が対立するのに市民とは誰のことか、それはどのようにまた誰が決めるのか、またその市民の意見はどのように施策決定に反映されるのか、このような議論のつめがないことが、市民参加を空しいものとさせているように思うのです。

私は、県立南高校の校舎を残せと3年にわたって闘ってきたグループに最近関わっていますが、行政訴訟と地元での座り込みを中心にしてきたにも拘わらず、校舎は完全に解体されました。しかしその跡地はどうするのか? 県は、川崎市の都市計画に基づいてその跡地を売却したがっているのですが、今後は、過去の高度成長期に住民の意向とは関わりなく、まさに行政判断で作られた都市計画そのものの検証作業が、市民と共になされなければならないでしょう。官製の「公共性」は、もはや住民の意向を反映させたという正当性を主張できないところまで来ています。

しかし市民とは誰か、住民とはどこまでの範囲の人を言うのか、様々な主張がありうる住民の利害関係、地権者の立場・意向、関係してきた行政の立場、市政に関心を示す一般市民、これらの人々が円卓会議で一堂に会したからといって、解決されるものではないでしょう。即ち、市民を参加させる形式だけでは事態は一歩も解決に向かいません。

私は、ある研究者から紹介された『地域環境の再生と円卓会議―東京湾三番瀬を事例として』(三上直之 2009 日本評論社)を読み始めて、この本を皆さんにも読んでいただいて、「市民参加による政治参加」について、意見の交換をしたいと思っています。実践的に、大変参考になる力作です。現場に関わりながらも、学者として理論化することを心がけ、市民参加による施策決定にこれほど情熱と誠意をもって書かれた本を私は読んだことがありません。

97%が憲法違反、亀井静香の参政権反対論について

ネットで産経ニュース(1月29日)が、金曜討論の内容を報じました。北脇保之(浜松市市長)の賛成論と、亀井静香の反対論が報じられています。

1)北脇氏は、ドイツでは外国人コミュニテーが別個形成されており、それらの弊害が多く、外国人労働者の多い浜松市でもその傾向がみられる中、外国人に参政権を与えて、市としての「統合」を図るべきという、近藤敦さんに近い見解です。「社会安定と発展に必要」という立場です。

2)一方、亀井静香は、国民党党首として絶対反対で、自分たちが反対すれば法案は通過しないと断言します。反対の根拠は、私が小論で説明したようにステレオタイプな理解で、近藤さんによって完全に論破されていると私は見ますが、それでも依然として、反対論の根拠にされています。

3)亀山静香によると、参政権は、①憲法上では、日本人「固有」、②最高裁の判決で認めているのは、「傍論」、③植民地支配に関しては心からお詫びをしないといけないが、参政権付与とは別、④帰化条件の緩和、⑤地方自治が外国人の参加で危険性が生まれる→国政に強い影響、⑥納税は公共施設を使っているので、当然、⑦帰化による同化を推進、

4)一方、近藤敦さんを批判しながらも、憲法の「許容」説に立っていた長尾一紘・中央大教授は、「許容」説で、参政権反対の立場であったが、それは「読みが浅かった」と反省し、「禁止」論の立場から、反対になったそうです。特に、中国の影響を危惧し、「国家の解体に向かうような最大限に危険な法律」だそうです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100128/plc1001282154020-n1.htm

5)産経は、朝日とは全く違う一般市民は反対というアンケート結果を載せています。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100128/sty1001281848004-n1.htm
今回のテーマ「外国人参政権」について、26日までに2万4869人(男性1万8710人、女性6159人)から回答がありました。「参政権付与は憲法違反と思う」「参政権は国籍取得が前提」は9割を超えました。
 (1)参政権付与は憲法違反と思うか。YES→97%、NO→3%
 (2)納税は参政権の根拠になると思うか。 YES→4%、NO→96%
 (3)参政権は国籍取得が前提と思うか。YES→97%、NO→3%