2010年7月30日金曜日

仙谷官房長官と朴鐘碩(日立闘争当該)

7月29日の朝日新聞夕刊の「窓」論説委員室のコラムで、石橋英昭記者が「弁護士政治家」というタイトルで仙谷官房長官と朴鐘碩のことを記しています。40年前の二人の出会いが今日の二人を作ってきたのですが、日本の政治の中枢を担う政治家になった仙谷さんと、40年勤めあげ来年5月に定年を迎える朴鐘碩のことを想うと、不思議な気がします。定年の時の集いはどのようなものになるでしょうか。

以下、コラムの全文を記します。

弁護士政治家  論説委員室から 朝日新聞夕刊7月29日

東大在学中に司法試験に合格した仙谷由人さんが弁護士登録をしたのは、25歳のとき。最初に担当したのが、日立製作所の就職差別事件だった。

在日韓国人の朴鐘碩さんが、国籍を理由に採用を取り消され、入社試験で日本名を使ったことも「ウソつき」だとされた。裁判では不当な民族差別だったと認められ、朴さんが全面勝訴した。

「オマエたち日本人が作り出した差別だ」「この裁判にかかわることでオレは生き方を変える」。深夜までよく青年弁護士と議論したのを、来年日立で定年を迎える朴さんは、覚えている。

40年近くが過ぎ、仙谷さんは官房長官に就いた。戦後補償などをめぐる発言に原点の体験がにじむ。ふらつく政権内では、その調整力が頼りにされる。今もどこか、面倒見の良い、法律事務所のボスといった風情である。
見渡せば、早くに政治家に転じた枝野民主党幹事長、谷垣自民党総裁と、山口公明党代表、福島社民党党首、また横路衆議員議長も弁護士資格を持つ。25日に任期が切れた江田参院議長もそうだ。

与野党ねじれのもと、数を頼んだ乱暴な国会運営はできない。ルールに基づいて、損得を比較考量し、弁論で説得する。求められるのは「法治国会」だ。法律家がこれだけ政治の中心にいるのは、時代の必然だろうか。
週参議員で弁護士出身は現在31名。この中から首相が生まれれば、鳩山一郎以来のこととなる。<石橋英昭>

崔 勝久

2010年7月28日水曜日

横浜市で何が起っているか?―自由社版「つくる会」教科書をめぐって―加藤千香子

 横浜市では、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)の自由社版教科書『新編 新しい歴史教科書』が、昨年夏の採択決定に基き、今年4月より市内18地区中の8地区(港南区、港北区、青葉区、都築区、金沢区、緑区、瀬谷区、旭区)の中学校で使用が義務づけられています。この教科書は、以前から内容における大きな偏りや、間違いが多いことが指摘されていました(採択後にも40ヶ所もの訂正が行われています)が、現在公立中学校では横浜市でしか使用されていない教科書です。

 ここでは、横浜市における教科書採択の問題、現在どのような動きが進んでいるか、そしてそれに対抗するための私たちの取組みについて述べたいと思います。

1 採択決定の経緯
教科書採択が決定されたのは、昨年8月4日の横浜市教育委員会でした。横浜市の教科書採択は、すでに2005年から、各学校の意見が排除され、教科書取扱審議委員会の答申をもとに市教委が採択するという手続きになっています。今回の採択は、中田宏元横浜市長(採択決定後に市長辞任)が任命した今田忠彦教育委員長ほか6人の委員の採決によって行われました。その際、他教科が従来通り挙手裁決、歴史だけが無記名投票という不公正な方法がとられ、しかも学校現場の声はもとより教科書取扱審議会答申(答申では自由社の評価は大変低い)すら無視したものであったことが明らかになっています。

 また、市教委では、「つくる会」に同調している市民団体が請願してきた採択地区の市内一地区化を方針として決定し、県教委に変更の承認を求めていました。教科書採択後の10月の県教委では、この市内一地区化の件は激論になり、一地区化に反対する渡邊美樹委員が辞任するなどの混乱を引き起こしながらも、承認の決定がされました。この市内一地区化は、現在検定中の「つくる会」系教科書を8地区どころか全市18地区で使用させるための採択を目指しているものと考えられます。

2 採択後の動き
自由社版教科書が採択されたことに対し、横浜市教職員組合(浜教祖)では、自由社版教科書の採択の経過と内容を批判しながら独自に同書の使用を前提とした授業案集『中学校歴史資料集』を作成、今年4月に組合員へ配布しました。これは、「教員の指導上の戸惑いを払拭し、子どもたちの学びを保障する観点から」のもので、教員組合として当然の対応です。

しかし、これに対して市議会で一市議から出た質問を受けた市教委・山田巧教育長は、「教科書の適切な使用等について」(4月28日付)の文書を出し、「横浜市教育委員会が採択した教科書を必ず使用しなければなりません」「教員の管理監督及び教育課程の管理運営を適切に行っていただくよう」といった内容を各中学校長に通達しています。また市教委は『資料集』を「極めて不適切」とし、「今後、このような文書を教員に配布しないこと」「学校ポストについては、今後、職員団体活動に使用しないこと」という「警告」文を浜教組に手渡しました。こうした動きをとらえた『産経新聞』は、5月以降、浜教組の『資料集』配布を「法律違反」行為と断定、紙面第一面で扱うなど激しいキャンペーンをはじめました。さらに、「つくる会」は浜教組への厳重処分を市教委に申し入れ、また5月25日の参議院文教科学委員会でも義家弘介議員(自民)が取り上げています。

この中で持ち出されているのは、教科書使用義務をうたう学校教育法34条に反するという論理ですが、肝心なのは、同じ学校教育法34条の2にある、教科書以外の教材使用の自由が無視されている点です。教科書だけを使って授業をすること自体、現場ではきわめて非現実的といわざるをえませんし、授業に際して多面的な観点や学問的な理解の助けになる教材は不可欠です。浜教組の行為を問題にする側や市教委の動きは、自由社版教科書の使用義務づけの徹底化に加え、教員の教育活動に大幅な制限を課すことで、上からの管理・監督を強めるものにほかなりません。大変大きな問題をはらんでいます。

3 横浜教科書研究会について
昨年秋に発足した私たちの「横浜教科書研究会」では、市民、教職経験者と大学の研究者とで自由社版教科書の内容の検討を進めています。その結果、特定の価値観や道徳を教え込もうとするために生まれる歴史の歪曲や誤り、アジアや世界に背を向けた内向きの「日本人」中心史観、天皇の力の実態以上の評価など、戦前の国定教科書とも酷似している内容が具体的に明らかになってきました。

この検討の成果をもとに、自由社版教科書を使用しなければならない学校現場の先生方
に役立ててほしいと考え、「自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?」Vol.1、Vol.2を作成し、横浜市立全中学校に送付しました。Vol.1は序論にあたるもので、実践編のVol.2では原始・古代・中世・近世を対象に、各時代の全体的な問題点の指摘のほか、32のテーマと8つのコラムを設定し、①学びたいこと、②ここが問題(教科書の問題点)、③アドバイスを具体的に提示しました。この教科書で授業せざるをえない状況に追い込まれた現場の教員の方たちにとって、実践的な力となることをめざして編集したものです。今後、Vol.3近現代編の発行も予定しており、教科書検討の際には、ぜひ参考にしていただきたいと思います。
 
この問題は横浜市だけの問題ではありません。目下進行中の中学校教科書検定や来年度の教科書採択ではこうした動きがさらに強まり、全国的にも広がりをみせる恐れもあります。それを食い止めることは言うまでもありませんが、進行しつつある教育現場の管理強化に抗するとともに、これを機にあらためて「歴史」を学びなおしていくような動きをつくっていくことも大切と考えます。みなさま方からのご協力、心より願っております。

※冊子普及や資金カンパにご協力ください。
「自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?」Vol.1 協力金1部300円以上
「自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?」Vol.2 協力金1部800円以上

  横浜教科書研究会
  〒240-8501 横浜市保土ヶ谷区常盤台79-2
横浜国立大学教育人間科学部歴史学研究室
電話 045-339-3434  FAX 045-339-3437
メールアドレス yokohamakyokasho@yahoo.co.jp

                             (加藤千香子)

2010年7月27日火曜日

韓国の「多文化共生」の実態―国際結婚が10%を超える!

韓国の「多文化共生」の実態―国際結婚が10%を超える!

今朝のテレビ朝日のスーパーモーニングで、韓国の国際結婚の実態が報道されていました。2000年は3.5%であったものが、2009年には10.8%になったそうです。それだけ国際結婚が多いのは、農村に嫁に行く韓国の女性が少なくなり、子供を産み、働いてくれる若い嫁を海外から迎えるためという説明でした。現在韓国農村の3割は国際結婚によるそうです。そこには色濃くジェンダー問題が潜んでいます。

7月25日(日)に日本学術会議主催の「グローバル化するメディア社会と文化的市民権」の公開講演会があり、「市民の会」の伊藤さんと私が参加しました。そこでの基調報告は韓国延世大学の金賢美教授によるもので、大変興味深いものでした。今朝のTV報道でも解説されていましたが、国際結婚の対象は中国、ベトナム、日本、イズべキスタン、カンボジア等にも及び、その仲介業者は現在、未登録業者を含めると2000社にもなるとのことです。TVでは人身売買、奴隷売買と言ってましたね。その通りです。

金教授の講演からは、韓国はNGOの活動が活発で、政府は外国人労働者を受け入れる体制を迅速に法制化している実態が伝わりました。NGO側は、「文化的市民権」ということで、「同化」を進め「韓国らしさ」を当然視・強要する政府の政策と、それを受け入れる一般社会に対して、「多文化共生」の必要性とともに韓国社会の閉鎖性に批判的です。金教授は、マスコミとNGOは外国人の人権(「再配分」と「承認」)の重要性を強調した論陣を張っているものの、当事者不在である実態を指摘されていました。

講演を聞いた多くの人は、韓国の「多文化共生」政策が進んでいると感じたかもしれませんが、私見では、勿論韓国から学ぶこともありますが、それは表面的な分析で、韓国は政府(国家権力)の力が強く、それにもろに対抗するためにNGO活動が逆に盛んにならざるをえない、何故ならば、地方自治の実態があまりに「未熟」だからだと私は分析します。NGO側の運動も大きくは、外国人の人権を謳いながらも「多文化共生」政策を裏から支える形になっており、その主張はキリスト教の影響か(?)博愛主義的で観念的だという印象を受けます。

「多文化共生」は韓国の例を見ても、日本と同じく、結局は国民国家の強化につながり、マジョリティのあり方を根本的に批判、変革する視点が圧倒的に希薄です。外国人をどう受け入れるのかというレベルで留まっています。

私は今いくつかの論文を書いていますが、マイノリティ問題はマジョリティ問題という曖昧な概念でなく、マジョリティの何が問題なのか、そこを徹底的に論議する必要があると思います。私の結論は、日本、韓国における「住民主権に基づく住民自治」の仕組み(及びそれを必要と考える市民の考え方が希薄)をつくる過程で、それを外国人と一緒に論議しながら、マジョリティを変えていかなければならないというものです。

詳しくは、「オルタナティブ提言―「在日」の立場から」(季刊『ピープルズ・プラン』)、及び「人権の実現―「在日」の立場から」『人権の実現』(斎藤純一編)、(『講座 人権論の再定位』(全5巻、法律文化社)で拙論の掲載が決定したらお知らせします。

2010年7月19日月曜日

『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again

西川伸一『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房、2000)を読みました。内閣法政局の存在は勿論、「当然の法理」はその内閣法政局の見解、意見であることはよく知っていました。しかし内閣法制局とは内閣の憲法を解釈するところくらいの認識しかなく、その意見というものがどのような意味をもつのか、不覚にもこの本を読んで初めてわかりました。ということで、「当然の法理」again、もう一度とりあげましょう。

「各省庁の官僚が起草した法案、政令案は内閣法制局に、国会議員に手による議員立法は議員法制局にもちこまれ、文字どおり一字一句にいたるまで入念に審査」されます。

内閣法制局の審査を経て成立した法律で最高裁から違憲判決を受けたものは一つもなく、70名からなる内閣法制局は1885年以来の歴史があり、戦後も「誤謬」のない、すべての官庁の法制化にあたって最高の権威をもち司ってきました。そこで定められた「論理」は変更が許されず、「一度示した憲法解釈、法律解釈はだれが首相でも、政権交代があっても従来の見解を固守する」ようになっているとのことです。

だから、地方公務員法には国籍条項がないにもかかわらず、1953年の法制局の見解、すなわち、かの有名な高辻発言の、「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるためには、日本国籍を必要とする」という「法政意見」が今に至るも生きて、各地方自治体を牛耳っているのです。法律でも政令でもないので、改正されることはなく、「意見」ゆえに変えようがないものとされています。この「国家意思」はのちに、地方公務員の場合、「公の(或いは地方自治体の)意思形成」と読みかえられています。

従って「当然の法理」を破るのはまずは地方自治体の首長の勇気です。かつての高知県の橋本知事がその先例です。外国籍公務員の管理職を拒んでいた「当然の法理」は、地方参政権が実現されると「公の意思形成の参画」が承認されるので、議員立法であれば内閣法制局の「意見」に影響されることなく外国籍者の管理職は実現します。

ここで注意すべきことは、この10年以上、議員立法による外国人の参政権の法案化の動きは、昭和28年に内閣法制局長官が、憲法15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」を、日本国民の「専有」でなく、「奪うべからざる権利」(かつての天皇制とは違う)という見解に基づいているということです。そうだとすれば、これを未だに日本人だけの権利と自民党の国会議員や市会議員が強調しているのは、無知か、わざとこれまでの経緯を隠しているとしか言えません。首長の決断ですべてが変わります。

臨海部についての川崎市民懇談会の報告(修正版)

臨海部についての川崎市民懇談会の報告
(17日の報告について曖昧な点のご指摘が中村さんからなされ、26日に修正しました)

7月17日(土)午後1時から5時まで、横浜国大の中村剛治郎教授をお招きして、臨海部についての懇談会をもちました。「川崎臨海部の歴史・現状・課題についてー市民参加による地域再生を目指して」という主題の下、中村さんの約2時間にわたるお話しとその後の活発な質疑応答があり、大変、有意義な懇談会をもてました。参加者は21名で、一般市民の中から広範囲な方々が参加されました。市会議員、行政の方の参加もあり、今後、この懇談会で論議されたことを叩き台として継続して議論を進め、市政に反映させたいと思います。

詳しくは後日出される事務局からの講演録を参照していただきたいのですが、中村さんのレジュメを添付いたします。実際のお話はレジュメを元にして融通無碍、興味あるエピソードを混ぜながら、漫談調でありつつ、ずばりと本質を突くものであり、市民の間では臨海部の問題はタブー視されていたものを、臨海部に関心をもたせ夢をいだかせるような、思わず引き込まれるような、熱のこもったおはなしでした。講演録をご期待下さい。

中村さんのお話を要約しますと、以下のようになります。

1.工業化の過程で生まれた臨海部は100年目にして転換期を迎え、ここで100年後の展望をだす絶好の機会とするべきである。一時、広大な空き地が生じたものの、アジアの旺盛な需要のために見事に素材産業中心の臨海部は復活したように見えるが、それは「事実認識の問題」で、これからの世界経済のあり方を勘案したとき、川崎におけるポスト工業化のあるべき姿を明確にすべきではないか。

2.川崎は「川の先」から由来し、東京に近いという立地条件を最大の武器にすべきであり、アジアの先進国日本はポスト工業化時代への突入に際して、知識集約型の産業に向かうもののこれまでの産業構造をそのままにするのではなく、思い切って環境・自然を大切にする方向に向かうべきである(多摩川の干潟などを破壊するような神奈川口での羽田と結ぶ橋の建設は、世界からどのような評価を受けるのか。高速道路をこわしてまで自然を優先し、新たなまちづくりを目指したボストンや、韓国ソウルのチョンゲチョンを参考にすべき)。

3. これまでの、先進国は研究開発でアジアは廉価な労働力提供地という認識ではなく、アジアが世界最大の市場になりそこに研究開発の拠点や、高品質の製造拠点になることを認識すべきである(日産マーチがタイで生産され日本に逆輸入されること、GEは開発拠点としてアメリカより、中国・インドに圧倒的に力をいれることを発表済)。

4.その流れの中で、高品質の鉄鋼を生産し輸出していた日本の鉄鋼メーカーは、早晩、アジア、ブラジルで高品質の鉄が生産され、日本での生産拠点である川崎・千葉の工場は大幅に縮小せざるをえなくなる。また高炉の十分の一で高品質の鉄を生産されるようになってきた電炉への切り替えもバージン資源の有効利用という面からも検討されるべきではないか。廃プラスチックをコークスの代わりに再利用しているJFE方式のみが評価されているが、(そうすれば関東全域から廃プラを集積しないとそのキャパに合わず、臨海部は関東の廃プラのゴミ捨て場になり、ますます臨海部で住民が憩えないという環境が持続することになるという問題も残る。)そのような廃プラスチックをそのままプラスチックにする新日鉄のマテリアルリサイクル方式と比較・検討するような論議(技術的な検証)も必要ではないか。

5.川崎の環境都市宣言の目玉で、先端技術産業として注目されている代表的企業として電気自動車用のりチームイオン電池メーカーのエリートパワー(株)があるが、世界的研究開発拠点とはやし立てられていたが、実際は、開発研究施設は滋賀に置き、臨海部は量産工場だけである。川崎市も県も巨額な助成金をだしたが、生産は自動化さされており、地域の雇用につながるとは思えず、手放しで評価すべきかは議論が必要ではないか。

6.日本の研究開発は企業ごとに行われていて、産業集積(クラスター)を謳い、次代産業の可能性を追求するのではなく、集積の構造やそのシステムがどのようになっているのかを研修すべきではないか。あまりに安易にクラスターということが言われている。

7.本来、海は公共のものであり、太平洋岸の好立地にありながら付加価値の低い素材産業のコンビナートを建設したのは、廉価で埋め立てをしたからで、そこが民間企業の土地所有になっており、公共性をもった土地利用との間に問題がある。土地の所有・権利・土地利用の関係を法令化するのに10年以上かかるので、長期的な視点から
事前に取り組む必要があるのではないか。

8. 最後に大都市の条件は人口の大きさではなく、そこでの文化の影響力がどれほど広範囲に及ぶのか、商業が盛んになり、商業が活気あるかたちになっているのか、住民の経済と生活基盤の盤石さ一致しているのかということが、目安になる、現在の川崎は、東京の影響下にあり、臨海部の空き地も「さみだれ式」に対応するばかりで、都市としての明確なグランドデザインがなく、市民の一体感もない。市民全体が川崎に誇りを持ち、夢をもてるような町にすべきである。そのためにも、川崎の臨海部を海辺として市民が憩えるような転換を図るべきではないか。
(以上、文責事務局)

質疑応答の中では、臨海部は暗いイメージしかなく、敢えて関心を持とうにも持ちようもない状態であったが、中村さんのお話を伺い、希望が持てた、このような学習会を継続してやってほしいという声が圧倒的でした。また川崎区は労働者の街で、産業道路にある池上町のような、消防車もはいれないような地域(これも臨海部の問題としてとらえるべきでしょう)の実態が不問に付されてきたという意見もありました。

勿論、既存の川崎市の路線を実務的に担っている行政マンや、行政の政策発表を大本営発表のようにそのまま何の検証もなく報道してきたマスコミにとっては、耳の痛い内容であるかもしれません。しかし中村さんのような意見(中村さんは、地域経済学会の会長であり、金沢市や神奈川県の産業政策に深くコミットしてきた現場に詳しい研究者)が実際にあり、それに市民が好感をもって聴いたことは事実であり、行政にとって、何よりも川崎市民にとって、臨海部に関心を持ち、今後、自分たちの意見を行政に反映させていくい機会になると思います。

請期待中村教授的講演録、再見!

崔 勝久

2010年7月16日金曜日

「当然の法理」を問う 鄭香均さんが横浜国大で講義 ー  民団新聞より

「当然の法理」を問う 鄭香均さんが横浜国大で講義

【神奈川】東京都の保健師として管理職就任を認めない
「当然の法理」の不当性を問い続けてきた鄭香均さんが
5日、横浜市保土ヶ谷区の横浜国立大学で約90分の「特別
講義」を行った。同教育人間科学部の加藤千香子教授が、
「差異と共生」の授業枠の中で招請した。

 鄭さんは看護3職から国籍要件が外された88年、都の保健師
として採用された。外国籍としては当時、第1号だった。その後、
上司から管理職受験を勧められながら、日本国籍がないことを
理由に拒否され、裁判に訴えた。

 最高裁での敗訴について、鄭さんは「日本には正義がない。
日本の民主主義が問われている」「当然の法理は日本国籍
保持者全体に係わる問題」だと諭した。他人の苦労話とばかり
思っていた学生の中には、予想外だったのか、一部で戸惑いと
反発も見られた。

 一方で、「日本人ならば日本の法に従うのは当然だと
思っていましたが、ふだん、法を意識していない私は、
知らず知らずのうちに法に縛られすぎているのではないか」
と肯定的に受け止める意見も目立った。

 加藤教授は、「公務員は公権力であり、それに従う
のは当然だとしてきたいまの学生世代には、えっ自分? 
なに、どうして? という感じでしょうね。こうした揺さぶり
こそが必要」と確かな手応えを感じていた。

(2010.7.14 民団新聞)

2010年7月15日木曜日

韓国から来た、ある民族主義者A教授との対話

A先生、先日は長時間お話をする機会をつくってくださり、ありがとうございました。A先生は韓国から来て30年経ち、もう15年も日本の大学で国際法の教鞭を執っていらっしゃるそうですね。国際法の専門家として、地域や地方自治体より、国家対国家の関係を重要視し、その意味で帰化をし、韓国のオリジンを公言する政治家として日本の国政に参与することの意義、重要性を強調されていました。

オールドカマーとニューカマーとは、例えば指紋押捺を強いられる点を具体例として挙げて、その違いを強調されていました。オリジンを明確にする、民族アイデンティティにもっとも関心がおありのようで、「在日」の本名で生きること(元野球選手の張本が毎週日曜日、テレビで張本として出演していることに憤慨し、Changと名乗るべきだということでしたね)、帰化してもオリジンをはっきりとさせるべきだということでしたね。

私はそんなA教授に対して、民族主義者ですね、と言いました。否定も肯定もされず、ちょっと意外な表情でした。アイデンティティを明らかにするという当然のこと、どこでも通用するであろう正当な主張に、それは民族主義ですねと言われ、若干、揶揄されたような、そんな倫理的な言い方は観念にすぎず、実際の生活の実態を知らずに倫理的なあるべき論を言っていると言われているような気持になられたのでしょうか。

実は私も40年前から民族に目覚め、日立闘争に関わるようになってから、日本社会の差別と同化の歴史・政策を糾弾し、本名で生きることを宣言し、地域の「同胞」子弟の教育、その父母や行政への働きかけに全力をあげ取り組んできました。公立学校の教師にも「在日」を日本人と同じように教育するのは、無自覚な同化政策だと彼らを糾弾してきました。

しかしA先生、65になった今、私は学校の先生が正義感からか、自分の価値観からか、多文化共生を掲げ、「在日」は本名で生きるべきだと「在日」子弟に働きかける実践を教師集団の目標に掲げている実態を見て腹立たしく思うのです。自分と関係をもつ数年間で、どうしてその子供たちに民族的な自覚をもって生きて行くように、本名を名乗るように説得、教育しようとするのでしょうか。差別に負けないよう、勇気をもって生きて行くようにというきれいごと、建前をよくも恥ずかしくもなく言えるものだと思います。

教師自身が言いたいことも言えない状況に置かれているということを子供たちはよく知っています。もっと長い時間をかけて、人間としての在り様を求めていけるように(またそのように生きられなくとも)彼らを見守ることはできないのですか、長い一生の間で自立して人間らしく生きることを求めてくれればいい、自分もそう生きるからと、生徒(学生)に教師として言えることはせいぜいそこまでということに気がつかないのでしょうか。

A先生、私は、「在日」もニューカマーも日本で定着して生きようとする場合、永住権をとるのか、日本国籍をとるのか、まったくその人の自由だと思いますよ。問題は、日本社会に定着するのであれば、その地域の住民として国籍に拘わらず、その地域のあり方に関心をもち関わりをもたなければ、そしてその地域がよくなっていかなければ、自分自身の生き方が不自由になるということです。A先生はそのことを認めながらも、でも日本社会がそのように受け留めないのではないか、だから帰化して国政に参加して、そのような状況を上から変えていくべきだと強調されました。

それは飛躍しすぎです。観念・論理としてはありえても(またそのよう考える政治家もでるでしょうが)、自分の住むところで人間らしく生きることを求め続けない限り、そしてその要求を他の人々に認めさせない限り、実は社会は変わらないのではないでしょうか。それを証明するのは、障がい者の運動です。一切動くことのままならない障がい者が看てくれる人に申し訳なく思うのでなく、当然の権利として自分の欲することを口に出し求めるには闘いが必要です。同じことではありませんか、私たちも。

地域の変革が可能であり、仮に成功しても、地域ごとに格差が生じ、その変革された部分さえ、日本政府は平準化ということで元に戻すかもしれないということをいくつかの例をあげられました。地域の発展は国と別にはありえないということは私も認めます。しかし、国の政策だけで地域がよくなるということはありえません。地域は地域の独自の歴史・文化・風土をもち、その住民が主権者として関わることなくしては地域の変革はないと、私は考えるのです。

地域住民一人一人が大切にされ、一人一人の意見が尊重されるようになって初めて、外国籍住民もあるがままの姿で、また各人が大切だとするアイデンティティ(価値観)が受け入れられるのです。同性愛者のアイデンティティが尊重されることも基本的には同じだと思います。ですから時間がかかっても、外国籍住民も日本人と一緒になって、そのような社会にすべく、そのような社会をつくるべく闘うしかない、と私は考えます。

A先生、昨日は初めての出会いでした。ずけずけと失礼なことを申し上げたかもしれません。非礼をお詫びいたします。これをきっかけにして、韓国からのニューカマーとして日本に定着しようとされる方々と十分な対話をすべきだということを学ばせていただきました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

2010年7月8日木曜日

仙谷長官に期待―中韓の戦後処理「改めて決着を」(朝日新聞)

今朝の朝日で、仙谷由人官房長官が7日、都内で講演をして、中国や韓国などとの戦後処理問題について「ひとつずつ、あるいは全体的にも、改めてどこかで決着し、日本のポジションを明らかにする必要がある」と述べたそうです。

新聞報道では、朝鮮人や中国人の強制連行、遺骨収集、在韓被爆者、朝鮮総督府時代に日本に持ち帰った財産の他、日韓基本条約の「改善」にまで踏み込んだようです。従軍「慰安婦」問題については報道されていませんが、彼にその点に関する問題意識がないということは絶対にないでしょう。問題はむしろ、これまでの運動側がどのように再組織をして、
「慰安婦」問題の具体的な提案をするのかということではないでしょうか。

私は6月5日のブログに、「拝啓、仙谷官房長官へ」を書き、期待を述べました。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/06/blog-post.html

改めて、仙谷さんへの期待を表明します。根拠は何もないと言えばないのですが、彼からのメールにあった、日立就職差別裁判の闘いで学んだ、これだけは譲れない<モチーフ>に期待するからです。11日の選挙結果、9月の党代表選などマスコミで民主党の内部に関していろんな情報がながれるでしょうが、仙谷さんはどのような対応をするのでしょうか。

>先日民団婦人会の研修会に出席する機会がり、40年前の日立就職
>差別裁判の闘いの一端で学んだ私のモチーフなどを話しました。
>だれがなんと言おうとこれだけは譲れない私の精神的財産です。

2010年7月7日水曜日

鄭香均さん、昨日のご講義、お疲れさまでしたー加藤千香子


昨日の横浜国大での鄭香均の「特別講義」は、加藤千香子教授の
「差異と共生」の授業枠の中で具体化されました。これで
日立闘争の当該の朴鐘碩が2回話しをしたので、「在日」の
戦後史に残る人物2人が横国で「特別講義」をしたことに
なります。昨日のブログで記しましたが、「在日」当事者
からの話を聴き、関連する資料や本を読み、学生が自分の頭で
考える機会が体系的に作られればいいなと、思います。

加藤さんが鄭香均に出したメールをご本人の承諾を得て、
ブログで公開させていただきます。それで、読者のみなさんは、
特別講義の内容、学生の反応を知ることができるでしょう。

また、加藤さんが日立闘争における日本人と「在日」の「協働」
に関して学会で発表されたことを、香均の話を聴き、どのような
方向で発展させればいいのか、その思いを記されています。

崔 勝久

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鄭香均さま

昨日は本当にどうもありがとうございました。また、蒸し暑い教室
でのご講義、おつかれさまでした。
昨日の講義、今日もずっと考えさせられていました。

何より、ご自身の看護婦・保健婦になった経緯からはじまり、
それだけでも重い意味をもつ内容ながら、さらに裁判へ、そして
後半では「正義」や「民主主義」をどう考えるかという、現在の日本
社会とそこに住む者に向かって問いかけるという展開、
一言一言の重さと深さを実感しながら、聞き入ってしまいました。

学生にとっては、後半、自分たち自身の権利にかかわってくる
問題だという指摘が、おそらくまったく予想外だったのだと思います。
他者の苦労話だと思っていたら、いつのまにか当事者は自分?
えっ? 何、どうして? という感じでしょうか。
少なからぬ戸惑いもあったかもしれません。
ですが、こうした揺さぶりこそが必要なのだと感じます。
本当は、鄭さんの揺さぶりを受けて、さらに私たち教員の方で
学生に咀嚼させ、考えさせていかねばならないのですね。

来年も講義されますか?という学生の質問がありましたが、
学生は拒否反応ではなく、もっと知らなければならないことに
気づいた、そのうえできちんと対話したいという前向きな姿勢の
表れなのだと思います。


これは私見ですが、70年代には「日本人」が「在日」に向き合
うことと(「共同」)とは、「抑圧者」である自己を認めること、告発
を受けることでありました。

ですが、それはともすれば贖罪意識や観念的な「抑圧者」の自覚に
終わりかねないものでもあったでしょう。鄭さんは、そうではない
新たな「共同」の方法を提案されたようにも思います。

もっと必要なのは、「日本人」自身が、国家の奴隷になる被害者でも
あるというその痛みを自覚し、その意味で自らの人権を何より大事
にすること―実はそれが現在難しいのですね―ではと、あらためて
考えています。

2010年7月6日  加藤千香子

2010年7月6日火曜日

横浜国大での鄭香均の特別講義を聴いて

みなさんへ

蒸し暑い日が続きますが、お変わりありませんか。私はこの1カ月、
「人権の実現ー「在日」の立場から」という論文づくりに没頭
していたのですが、ようやく書き上げました。『講座 人権の再定位』
(全5巻 法律文化社)の第4巻、『人権の実現』(編集 斎藤純一)
のなかの論文で、この秋に出版されるとのことです。

昨日、加藤千香子教授の「差異と共生」の授業枠で、鄭香均の
特別講義がありました。約90分の話で、岩手の高校時代、まったく
就職ができなかった経験から始まって、東京都の保健士になる過程、
裁判所の判決内容など、時には涙を浮かべながらも、学生に「主権
在民」の意味を問うなど、学生にとってはとてもチャレンジングな
特別講義だと思いました。本当にいつ聴いても香均は話が上手。
話す内容がそのまま原稿になるという、天才的な才能の持ち主です。

判決の持つ意味について、「在日」にとってというより、日本人自身
にとってどのような意味を持つのかという彼女の説明については、
学生たちは理解ができず、自分たちの勉強不足を告白していました。
しかし「在日」を可哀そうな存在と思っていたであろう彼らが、しっかり
と憲法を含めて勉強をしないと何もわからない、見えてこないということ
を実感したということこそ、今後の第一歩だと思います。

私自身は、石原慎太郎都知事が「与党には親等が帰化した党首、幹部
が多い。先祖への義理立てか知らないが、日本の運命を左右する法律
(外国人地方参政権)を作ろうとしている」発言から、多くの政治家や
ひいては芸能人にまで、誰が「在日」かということがネット社会で
話題になっている、異常な「魔女狩り」に似た騒ぎに注目しました。

この騒ぎは一体、なんでしょうか。とても嫌な状況ですね。私は娘が、
生きるためにアメリカに留学したいと訴えてきたことを思い出します。

私は、「韓国併合」も知らない大学生がいるという事態と、この「在日」
騒ぎの持つ意味をしっかりと考えるためには、小手先の対応でなく、大学
において「在日」についての体系的な教育プログラムを作る必要があるの
ではないかと、強く感じました。当事者の話を聴き、疑問点を出させ、
一定の本を読ませ、リポートを提出させ、とにかく「在日」の状況を知り、
それによって日本社会の実態をどのように考えるのか、複合的に考える
訓練を大学でしないでどこでするのでしょうか。

大学関係者に考えていただきたいですね。いかがでしょうか。
横浜国大だけでなく、このメールを読まれている各大学関係者の
みなさんのご意見をお願い出来ますか。私たちも積極的に協力
させていただきます。

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崔 勝久
SK Choi