2010年11月27日土曜日

(アスベストの)なにが危険であるかの評価基準もないのに、安全も危険もない!ー渡辺治

皆さんへ

この週末はどのようにお過ごしですか。

今日は、「臨海部の未来を本気で考える会」の渡辺さんのHPのブログの内容を紹介いたします。アスベストが危険で多くの問題を抱えていることは知っていましたが、「評価基準」がないということは初めて知りました。



同様に、二酸化窒素の数値ももまた公害問題の大きな評価基準になるのですが、これも現在設定されている基準が何に基づくものなのか、どうして基準の変更がなされたのかということは曖昧です。

研究者によっていろんな説があるようですが、問題は、現在、川崎の小児喘息の罹患率は全国平均をはるかに超えているという事実です。川崎北部では小学校区でなんと17%のところがあります。児童100名のうち17名が喘息だというのです。

これも二酸化窒素だけが原因ではないと言われていますが、二酸化窒素がその大きな原因のひとつであることは間違いありません。小児喘息が自動車の排気ガスによるものなのか、臨海部の工場から発生するものなのか(臨海部の高い煙突から出される公害物質が海風に乗って北部に流されているという説もある)、それらの複合的なものなのか断定はできません。

しかしこの罹患率の高さは何を意味するのか、それに対してどのように対処するのか、この問題も、行政・企業・市民による調査、研究、具体的な提案が急務だと思われます。川崎の公害運動に関わってきた人たちのご意見をお願いいたします。

崔 勝久

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なにが危険であるかの評価基準もないのに、安全も危険もない!

今、日本のアスベストのレベルというのは世界から本当に立ち後れている。

それもそのはず、いったいどういった状況が危険であるのか、安全であるのかの判定する基準さえもうけておらず、それなのに、安全だとか危険だとか論じている世界で、これ以上が危険という数値を決めていないのに、そんな論述はなりたたない。

これを、ばかみたいに時間をかけてやっているといおうか、ただ、問題をなかったことにするのに、政府や行政がうまく使っているだけである。

例えば、亜硫酸ガスが危険かどうかとうことを論じるのに、何PPM以上を危険とする、ということを決めていないのに判定が不可能であることと同じように、アスベストでは、まったく決められていない。

これが、アスベスト問題を解決する上で、また、被害の拡大を防ぐ上のさまたげになっている。

最近の、水戸参議院議員の国会答弁でも、最後に、基準値を検討して定める必要があるとした主張に対して、環境省は、まったく答えなかった。

つまり、アスベスト問題を解決したくないのである。その間に被害は出続け、人はどんどん亡くなっているのに、それを知らないふりをしているということでもある。

もし、このまま中皮腫や、肺がんが増え続け、そしてその責任が、基準値をもうけなかった環境局の「不作為」となれば、環境省の責任はまぬがれない。

今、求められているのは、スレートが粉々になった時にはどのように飛散して危険なのか、また、湿潤したらどれほど安全であるかの、科学的データだろう。

これをまったく知らずに、スレートが安全かどうかの論議もなりたたないのがなぜ分からないのだろうか。多分、論議すらしたくないのだろう。

アスベスト問題は、まさに国や自治体の「不作為」他ならない。

渡辺治 「本気で臨海部の未来を考える会」HPより
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html

2010年11月24日水曜日

伊藤部長との対話を求めてー臨海部と中小企業の将来について

みなさんへ

昨日、私が臨海部の、事務局の責任においてテープ起こしした質疑応答資料をみなさんにお送りしました。

当日の講演者の伊藤和良、川崎市経済労働局産業政策部長から私のコメントに対して注意がありました。その内容は、私が引用した伊藤さんの「川崎は工業化のなかでしかやっていけない」という発言は、前後の説明がないので誤解される恐れがあるというものでした。

そのため伊藤さんの当日のプレゼン資料の核心部分を添付資料にしてみなさんに公開させていただきます。なお、さらに詳しい資料を望まれる方は私に連絡ください。大変熱のこもった、貴重な資料だと思います。

★伊藤さんの講演の趣旨は3点です。
1.脱工業化とは異なる、工業都市としてのDNAを受け継いだ「新たな世界モデル」を作りたい

2.京浜臨海部が競争力を失うことは、日本全体の問題であり、京浜臨海部は首都圏に隣接し好立地にあり、研究開発の拠点として次世代製品を開発する最適の苗床として活かしていきたい。

3.ものづくりの夢を壊さないでほしい

★私の意見と伊藤さんとがすれ違っているのは次の2点です。

1.脱工業化は先進国の歴史的な流れであり、そのため臨海部の6-8割の面積を占める素材・装置産業(石油、鉄鋼業など)はこの10年で統合・縮小を余儀なくされると予想されるが、伊藤さんはこの点に関しては一切、触れていませんし、行政としても市民、企業、研究者と一緒になってそのための準備をしようとしていません。市長選でもこの数十年、産業政策論が闘わされたことがありません。これは川崎の未来に関することで避けてはならない問題です。

2.臨海部や中小企業が世界的に競争力を失わないように、活性化させること(及びものづくり)の重要性は認識しますが、問題は行政がそのためにどのような政策を出すのかという点と、経済の問題は経済だけで終わらず、自治の在り方、教育、福祉全てと関係し、世界に誇る国際都市・川崎にするには、まず国籍における差別を行政自らがなくさなければならないという視点です。この点でも伊藤さんのご意見は伺うことができませんでしたし、現市長も沈黙を守っています。

★私は、伊藤さんが中小企業に貢献したいという思いを強く持たれているようなので、例えば市として、中小企業のものづくりに役立つように、研究開発の拠点を作るように、伊藤さんが自ら、行政内部で強く働きかけるようにされれば、私たちも協力したいと思います。

★川崎に研究開発の拠点は200以上あると、伊藤さんは報告されていますが、これは大企業が独自にやっているもので、中小企業のものづくりを残し、発展させるには、そして新たな産業を興すには研究開発が不可避です。これまで、中小企業は大企業の下請けであったのですが、独自に生き残るには、市が研究開発の場を作りそれを彼らが自由に活用できるようにすることが、市としてやるべきことだと思います。数多い必要な政策の中で、市がやるべき最大の政策はこの点だと思います。


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崔 勝久
SK Choi

2010年11月16日火曜日

日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで(望月文雄)

韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談が、立命館大学の『東アジアの思想と文化』(第3号、2010年10月、アジア思想文化研究所)で翻訳され大幅に修正・添削されて掲載されています。同研究所の承諾を得て、広く多くの方にその対談を読んでいただくべく、望月文雄さん(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議代表」のHP(Syndrome)に転載をお願いしました。対談についての望月さんの感想文を紹介いたします。日韓の知識人が「併合」の違法性に抗議したことを批判し、現在の国民国家による「植民地主義」を正面からとりあげるべきだとする対談内容に注目したいと思います。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_%20page_206.htm

崔 勝久

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日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで

               望月 文雄

2010年1月4日韓国の京郷新聞掲載記事「韓・日併合100年、現在と未来を問う」の日本語訳を読んでの感想です。自分の認識不足を少なからず指摘され、変革を促されている時代の中での在り方を啓発されるものでした。

1、1989年の歴史的認識
 「グローバル化と2010年」という項のなかでの尹教授の発言1989年の社会主義陣営の崩壊が「近代の終焉」または「新しい時代への移行」のきっかけになったと思う、という発言に西川教授は、1989年はフランス革命200周年と重なり、「天安門事件」があり、ベルリンの壁が崩壊したその年です、とその年の重要性を語り、「フランス革命とは何か」と設題して「フランス革命については人権宣言を含め、会報的な側面のみが注目を引いてきたが、革命が植民地主義を乗り越えることはなく、革命を受け継いだ共和政は、むしろ植民地主義を推進し、アルジャリアやベトナムなどを含む一大植民地帝国を形成したと述べる、現在のフランスが「植民地主義」をいまだに身解決であることを指摘しています。

 このことは現在の世界的強硬の原因を産んでいる「新植民地主義」の根幹と同一であると宣言します。新植民地主義は「勝者の独り占め社会」両極化(勝者と敗者)社会への現象に象徴されると両者は論じます。西川教授は植民地主義とは資本と国家による搾取と抑圧のグローバル化された形態であり、1989年は新しい植民地主義の始まりでもあると提言しています。

2、歴史意識の問題
 この項でわたしが考えさせられたのは「併合」という言葉に対する西川教授の見解です。「併合」という言葉は条約を締結する当時に新しく作られたもので、AとBが一つになるという意味で、朝鮮を徹底的に従属的な地位に置くことを露骨に示しながら、同時に「併合」という言葉から感じられる平等なニュアンスをあたえるために考案されたものだと指摘します。これに対し尹教授は韓国では「強占」という言葉が使われるがこのことばでは植民地の包括的問題を盛り込めないといいます。両社は植民地じだいについての歴史教科書に記述について「民族の英雄的な抵抗運動のみを打ち出すのであれば、植民地化が植民地支配者をいかに野蛮にし、植民地化された人々の悲惨と堕落について等の問題は欠落してしまうという指摘は強烈です。そして、両者は「内面化された植民地主義を各自が見直す必要を強調します。

3、新たな東アジア共同体をめぐって
 日本の韓流ブームの功罪に触れていますが、西川教授の「わたしは一般に韓流と言われているものに疑問をもっています。ユン様に熱狂するのはどのような階層の人々で、何に熱狂しているのでしょうか。わたしが見たところでは、かって小泉首相を追っかけていた女の子やおばさんたちが、今度はユン様のファンとなっているような気がしますね」と述べている部分は正論でしょう。教授はさらに「ヨン様を賛美することは、韓国人に対する差別の感覚が下敷きになっているのではないか、そんな印象を受けます」と私見を追加しています。これを受けて尹教授は「健全な市民社会が成立しなければ、健康な東アジア共同体はありえないということ」と同調しています。

4、普遍的な共同体の構築のために
 西川教授の「西洋近代の歴史をたどれば、市民社会というのは、決していいものでも、ありがたいものでもなく、公共性も同様です」という発言は注目すべきでなないでしょうか。教授は公共性について「アングローサクソン的な脈略と、フランスの公共性の概念との間には、大きな違いがあるといい、フランスでの教強制の現れとしてイスラム教徒に対するブルカの着用禁止にふれます」が、「アングローサクソン的な脈略」に関しては言及しません。これは一寸理解が不足するように思えます。

しかし、市民社会を構築するには避けて通れない問題が話合われています。尹教授の「わたしは、ハンナ・アレントの公共性の概念と、東アジアに「おける儒教的な公共性の概念を作ってみたかった」という発言からどのような市民社会が望ましいのかと「定住者でなく移民と難民が中心となるような市民社会がモデルですとテーゼを展開し、メルチの「問題があると集まって来るが、それが解決されればまた散らばっていくという、移動しつづける不定形の共同体、フランスの文学者モーリス・ブランショのいう「国籍や年齢、身分や職業の異なる、多様な人々による集まりの『コミュニケーションの爆発』に通じる共同体」を提示する西川教授。これらの裏面には古語の市民の強い独立意識が前提されるという意味合いが含まれるのでしょう。

5、未来に向けて
 尹教授のオバマ大統領のノーベル賞受賞演説での「正義の戦争」発言への失望感に同調して西川教授はオバマ発言の問題点を解明して言います。「オバマは、就任演説でアメリカの建国者たちの名を挙げながらかれらに帰らなければならない。その理想を継承すべきだということをしゃべりました。オバマは、アメリカが今までやってきた戦争をすべて肯定したのです。「正義の戦争」というのは、その延長線上で出されたものです。わたしはオバマの演説を聞きながらすごくいらいらしました。アメリカの建国者といわれる人々こそが、先住民である「インディアン」を暴力的に追い出して国家を建てた張本人ですね」と。

 自分の市民としての自覚をどのように確立すべきかという観点から、非常に激越な示唆に富む対談記事でした。

ソウルのタクシー運転手の話し

先週、私は大阪の高校の同級生家族と3泊4日の韓国旅行を楽しんできました。今回は、韓国で一番食べ物がおいしいといわれている全羅道、全州と木浦を回りました。マッコリ(どぶろく)を頼むとヤカンででてきて、そこに10種類以上のおかずがつきます。そしてそのおかずはお代り自由なのです。それでも1000円くらいでした。

木浦は人口30万人ほどの港町で、海辺のすぐ傍に山があり、そこからは植民地時代に開港された街並みが一望できます。海に面した一等地は大きな道路が交差する日本人街で、山の後ろには朝鮮人の居住地が見えます。そこは人が二人並んで歩くのさえ困難な狭い道が曲がりくねっています。悪名高い東洋拓殖の建物が歴史館になっており、植民地時代の写真が多く見られます。歴史に関心がある人、韓国料理が好きな人には是非、訪問されることをお勧めいたします。

韓国併合によって韓国の近代化に寄与したという話しの嘘は、その山の上から見回せばすぐにわかります。日本が、全部、自分たちにいいように搾取するためにしたこと、鉄道もその為のものであることは一目瞭然でした。その木浦でタクシーの運転手が、ここは大韓民国で一番過ごしやすいところだと自慢げに言っていました。海と山があり、食べ物がおいしいのですから、その気持ちもわかるような気がしました。

私は同級生一行とは別にソウルにもう1泊したのですが、そのときに乗ったタクシー運転手は74,5歳で、梨泰院を通りかかったときに、ここは若い人がお酒をよく呑みに来るという話になり、最近の男は、草食系で頼りないと言い出しました。ある日、若い男がべろんべろんに酔った女の娘を介抱しながら、自分にタバコの火をくれと言ったので、お前の親父はわしより年下で、そんな年長者にタバコの火をくれとは何事か、すぐにその女と一緒にタクシーから降りろとどなった、という話でした。

御存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、韓国は儒教社会で、年長者への敬語は絶対的で、年長者の前ではタバコは吸ってはいけないということが常識化されているのです。ですから、タバコの火をせがんだその男の子は、ハラボジ(お爺さん)タクシー運転手に怒鳴られ、急いでタクシーを降りたのでしょう。まだそのような価値観が生きているということですね。

翌日の最終便で成田に着いた私は、G20の厳しい警備で1時間くらい遅れてソウルを出発し、東京への列車は最終便になっていました。へとへとに疲れ、腰も痛く、荷物も多かったので乗換えた列車の中で座りたかったのですが、あの「優先席」に若い女の子が3人座って話しこみ、化粧をしながら笑いこけていました。ちょっと、あんたら、ここは「優先席」でこの私に席を譲ろうとは思わないのか(都合のいいときに、老人になるのですが・・・)と言いかけましたが、やめました。

私がそのとき思い出したのが、ソウルでの年配のタクシー運転手の自慢話でした。そうか、あそこではお爺さんに怒鳴られて若い人は黙って降りても、ここでは、私が怒鳴ったらなんでそんなことで言われるのかと却って反発をうけるだろうなと思いながら・・・

権威主義、年長者への敬意、疲れた私はいろんなことを考えながら多くの荷物を抱えて新川崎駅を降りました。いかが思われますか、みなさんは。

2010年11月14日日曜日

政府の「多文化共生」政策の思惑と地域における実態、その乖離―「同時代史学会」で想ったこと

昨日、立教大学で「同時代史学会」研究会がありました。発表者は、一橋の博士課程の和田圭弘さんと、立命館の非常勤講師の山本崇記さんの二人でした。和田さんは「1960年代の在日朝鮮人朝鮮語文学圏の金石範―比較リアリズム文学」に向けて」、山本さんは「高度成長期における在日朝鮮人と福祉運動―都市下層社会の変容から考える」という内容の研究発表でした。

金石範は在日を代表する作家であることは間違いなく、その作家の文学論を「リアリズム」と本人が主張している背景を中心にした発表だったのですが、コメンテーターの説明から、「リアリズム」論は北朝鮮の金日成体制の確立過程と在日の組織との関係、またその組織から離脱する本人の立ち位置との政治的な絡みの中で考えられ、文学論としてのみ捉えるべきではないということを知り、納得です。

私としては、まず「在日文学」というカテゴリーの設定が気にかかりました。金達寿以降の在日作家を「在日」というくくりでカテゴライズできるのか、私には疑問です。また、金石範に関しては、在日社会における彼の果たした役割をプラスの面だけでなく、マイナス面を含めてさらに徹底した研究がなされればと思いました。

山本さんの発題は、京都の非差別部落の中の朝鮮人がどのような位置にいるのかについて知ることができる、大変興味深いものでした。「多文化共生」という単語さえ、地域においてはハレーションをおこすという発表者の意見で、地域に住む「在日」が本名で権利の主張をして、被差別部落の運動の中にある民族差別や差別意識と対峙する活動が簡単でないこと、地域運動として地域の変革に関わる「在日」の主体がどのような意識をもっているのか、それと既存の民族団体との関係、在日韓国教会との関係、またその地域出身の「在日」が労働者と自己規定し運動を進める場合の地域社会との関わりなど、さらに意見交換を続け交流を深めたいと思いました。

今日のタイトルは、平成21年4月1日の総務省自治行政局国際室調査による「多文化共生の推進に係る指針・計画の策定状況」(参考資料4)と山本さんの話し、及びその地域の中でカソリックの司祭がはじめた「地域福祉センター」が発行した資料を合わせて付けたものです。

地域としては、被差別部落の中で「多文化共生」という単語さえハレーションを起こし、「在日」としての自己主張が簡単ではないという状況下で、そのセンターの記念誌では、「真の多文化共生」は「異なる多様な国籍や出自の者」だけでなく、「さらに異なる多様な心身の状態にある者」が「お互い尊厳ある人間として認めあいながら、地域社会の構成員として豊かに生活すること」と、もはや「多文化共生」という言説を超えるような位置付けがどうしてなされているのか、その背景を考えると、総務省が強調してきた「多文化共生」施策に対して、1847(都道府県47、市町村1777、特別区23)のうち、「多文化共生」を策定していない、今後もその予定がないが、77%を占めている実態が見えてきます。

すなわち、政府は「多文化共生」という旗を振るのですが、実際の地方自治体においては、予算や首長の意識から、その施策は具体化されるどころか、関心さえもたれていないということです。しかし予算がつくので、外国人の居住地域では「多文化共生」という名で「事業」を展開することが模索されているということのようです。「多文化共生」施策が、本当に地域社会の変革につながるのか、外国人施策として特化されて終わるのか、「多文化共生」という単語に惑わされないで、地域社会の実態を直視する必要があると痛感します。

また西川長夫さんの本を読みなおすなかで(『<新>植民地主義論―グローバル化時代の植民地主義を問う』)、「多文化共生」の「文化」とは何か、それは国民国家の成りたちとも関係し、国家・民族の独自性の強調で異なる者の排除を前提にしたものであった経緯を考えると、安易にこの言質を使うことは慎まなければならないのではないのか、改めて考えさせられます。みなさん、いかがでしょうか。

それと若い研究者が中心の学会であったのに、私のような「在日」の現場からものを言い、具体的な行動を考えている者に対する関心がないようで残念でした。アカデミニズムの世界で生きようとすれば、現場に関わるべきであるということでなく、生きている現実の世界への関心を持って研究を深めてほしいなと思いました。これは私が歳をとってきたということなのかしら・・・

2010年11月1日月曜日

(オキナワ那覇司教からのメッセージー正義と平和全国大会開会ミサ説教

みなさんへ

たまたま『ウシがゆくー植民地主義を探検し、私を探す旅』(知念ウシ、沖縄タイムス)を読んでいるところに、九州の知人から、沖縄那覇でもたれた「正義と平和全国大会」での開会ミサの説教の内容が送られてきました。

沖縄、「在日」、ジェンダー、外国人労働者、多文化共生、格差の拡大、これらをトータルに、現在の問題として捉える必要を痛感します。「韓国併合100年」の今年、それを問題にするのであれば、過去の「併合」の国際法上の合法性ではなく、まさにこの社会が過去の植民地支配を払拭することなく、今、植民地支配を継続してきているという事実ではないでしょうか。

沖縄の声に耳を傾けたいと思います。

崔 勝久


(オキナワ那覇司教からのメッセージ
2010年9月

《守礼の邦は踏みにじられて》
オキナワは戦後と日本復帰を未だ実感していません。沖縄の司教も司祭、助祭団も修道者も信徒も当然のことながら基地反対です。このオキナワ問題の根源に目を向けないで、「反対」、「平和」、だけを唱えて沖縄に連帯にしていると嘘ぶいている政府と日本国民の無関心と偏見と差別意識に対して沖縄は単なる基地反対そのもの以上に苛立ち、抗議しています。

沖縄の空にはハトがふさわしい。鉄の翼が轟音を立てて、我が物顔で飛び交う空、それは本来あるべき南国沖縄の紺碧の空には異様な光景です。一日240数回も、轟音とともに軍事訓練の離着陸をする戦闘機、しかも岩国基地所属やグアム、ハワイ所属の最新鋭F22や、F15機も大量に飛来しての訓練です。空だけではなく、地上では町、村、山地を無差別に夜昼関係なく基地に絡む様々な弊害、米兵による人権無視の犯罪行為等、数え上げるときりがない。そのために綱紀粛正を唱えているが空しいばかり。

ヌチドゥタカラを生きる沖縄は琉球王国時代から、平和と守礼を重んじる邦だ。チムグルイを敏感に生きるウチナーンチュには、人間の尊厳を肝に銘じ平和を求める心が今も根強く生きています。

平和を甘受している日本の皆さん、皆さんの今日ある経済的発展と、「平和ボケ」の裏には、沖縄が「捨て石」同然、65年間、今日にいたるまで、戦後処理の犠牲にさらされている現実に目を向けてください。この平和の地を、沖縄の心、県民の声を無視し続けて、戦争に備え、「太平洋の要石」として基地を押し付けている日本国民と日米両政府に沖縄全県民は強く抗議し続けています。日本人は沖縄差別の潜在意識に自ら目覚めて欲しい。これが那覇教区を含め、沖縄県全宗教者が終始一貫して発言し続けている祈りです。

那覇教区民も沖縄県民と心を一つにして行動し、宗派を超えた「沖縄宗教者の会」とともに、基地反対・平和と祈りの集会を毎年行なっています。政派、宗派を越えて、沖縄は不当な基地には反対のスタンスをとっています。心のこもらない机上で捏ね上げた文書や、行動の伴わない声明文などたいした意味をもたないと感じられてなりません。

《今頃、普天間を取り上げる中央のメディア》
「アメとムチ」に翻弄され、莫大な振興事業も本土企業に吸い上げられるだけで、基地絡みの補助金や交付金は何ら経済発展に結び付きません。沖縄の人々の誰一人として基地を容認するものはおりません。私たちは沖縄の信徒も県民も、日本人(敢えて沖縄県民以外のヤマトンチューを指す)が、沖縄をどのように考え、取り扱ってきたか、正しい歴史認識を見極めた上で沖縄問題に取り組んでもらいたいと主張しています。

最近、普天間飛行場問題が政治の場だけでなく、社会問題としても注目を集めているが、これに対して日本人は皮相的な同情論や現実離れした意見を述べ、連帯などと申して、ほんの一部の人々が来県し、発言しているのを見受けますが、日常の生活では「沖縄の問題」として胡坐をかいているだけと感じられてなりません。沖縄で基地を囲み米軍に声を張り上げてご満悦してどれほどの意味、効果があるのか、これで沖縄の痛みに連帯したなどと自己満足に陥っているのではないかと疑わざるを得ません。それよりも永田町で日本人に向かって、政治家と民衆に沖縄問題を問いかけるべきです。

「安全保障」、「外交政策」、「日米同盟」、「国益優先」などを理由に、日本政府と国民は沖縄だけに基地の固定化を図ってはばかりません。戦後の経済発展と平和維持を甘受している日本。そのために沖縄だけに基地問題を押し付け、「配分正義」などどこの県も真剣に取り上げてはくれません。安保を堅持しようという全国の知事たちにして、基地を受け入れない。日米安保の前提が崩れています。他の県が受け入れないから沖縄が受け入れる以外にないと、一種の差別を平気で固辞しています。日本政府は政権が変わろうと、琉球処分以降、東京政府がもってきた体質が根底に流れていると沖縄県民は感じています。

《千の談話・声明文より行動を!》
基地反対とか平和アピールとか、声明文など机上で捏ねた作文を発するより、沖縄がやっている民衆による大集会を、その万分の一の規模でもいい、東京で行ってください。日本国民の関心がどの程度のものか、誰も読まないような作文より目に見える行動、汗を流す皆さんの行動からのうねりこそ、沖縄と連帯、人々に基地の問題を意識させるものだと思います。「平和」の反対は「戦争」ではない。平和と戦争に関して、「無関心」であること。愛の反対が憎しみではなく無関心だ、とのマザーテレサの言葉と同じです。

沖縄の目線で普天間報道を行わない日本本土のメディアにも日本人の無関心はあらわれている。それは、今年のJCJ賞に沖縄の二地方紙「沖縄タイムス」と「琉球新報」が選ばれたことでも表れています。受賞の選考理由として全国紙が米国一辺倒の報道に終始する中で、「沖縄県民の怒り、悲しみを伝えるとともに、日米同盟の種々の問題を掘り起こした」ことを指摘しています。

《カトリック正義と平和委員会に提案と要望》
基地反対を呼び掛け、沖縄に連帯して不正義に基づく沖縄の基地に真剣に取り組む姿勢があるなら、沖縄に来て「座り込み」や基地を取り巻く「人間の鎖」などに参加するよりも、東京で大集会を開いてください。三万人集会を東京で、政府のお膝元でやってください。首都圏の日本人の沖縄に対する無関心さを呼び覚ますために。三万人集会でも、基地反対に対する沖縄県民の声と毎回開かれる県民、市民集会に比べればその千分の一すらなりません。

沖縄に本気で連帯する気持ちがあるのなら、沖縄ではなく政府のお膝元で大集会を開く行動をとるべきです。国益の名のもとに、沖縄だけに犠牲を強いているのを平気で見過ごし無関心でいる日本人に日本のど真ん中で大衆のうねりを見せてください。
皆さまの誠実な連帯に期待しています。

カトリック那覇教区
司教 ベラルド・押川壽夫
(正義と平和全国大会開会ミサ説教で谷司教が朗読)

うれしいメールをいただきました。

臨海部についての第二回目の懇談会の講師をしてくださった伊藤和良産業政策部長から、メールをいただきました。今回の懇談会の内容に関する私のコメントについて、大変、心のこもったメールをいただきました。発題された資料を作成していただいたということですので、この点もみなさんにお知らせします。希望者は連絡ください。
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/10/blog-post_30.html)

私はますます対話の重要性と、しっかりとものを考え発言していく市民の責任を痛感しています。臨海部に関する学習会を続けるとともに、川崎にある市民運動の横のつながり、活性化についても考えていきたいと思います。これこそが川崎をよくしていく最も重要なものであると確信するからです。いろんな意見、立場の違いがあるでしょうが、違いではなく、共通点を探りながら、大きな市民のうねりを作り上げたいものです。

崔 勝久

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崔 勝久 さま

おはようございます。ブログも拝見しました。
(中略)
資料は本日、コピーしてお渡しできるようにします。これなかった他の人にもお配りできるよう、少し多めにコピーしておきます。準備ができましたら、メールしますので、なにとぞ、よろしくお願いします。

川崎市経済労働局産業政策部長  伊藤和良