2007年11月29日木曜日

外国籍の被生活保護者は不服申立てできない?

皆さんへ

今日、元ケースワーカーの竹野さんから聞いた話では、外国籍の被生活
保護者は、生活保護法の第9章で記されている、「不服申立て」はできない
そうです。

なぜならば、生活保護法の第1章、(この法律の目的)は、
「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に
困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を
行い、その最低限の生活を保障するとともに、その自立を助長することを
目的とする。」

憲法第25条(国民の生存権、国の保障義務)全て国民は、健康で
文化的な最低限の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部門について、社会福祉、社会保障及び
公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

つまり憲法で保障されている「生存権」は日本「国民」を対象にしている
のであって、外国人は対象外にされているのです。

しかし生活保護法の「国民」に外国人も含まれて生活保護を受ける
ことになったのは、法律の作られた昭和25年当時、多くの朝鮮人・中国人
が日本に残り、彼らが「解放国民」として植民地支配をした日本国土から、
本国に帰国する状況にはなく、彼らの状況を放置できず、「当分の間」、
「恩恵」として認めるようになったのです。

北朝鮮への帰国事業は、そのような生活保護を受ける朝鮮人が
ますます多くなっていくことに対して、日本国家として、植民地支配の
総括の意味をこめることなく、ただただ在日朝鮮人を日本から追い出した
かったということがテッサ・モーリスースズキさんの本で明かにされています。
日本社会への絶望から祖国に帰りたいという気持ちを逆手にとって、
10万人以上の在日朝鮮人を「追い出した」ということです。

北朝鮮への帰国を願う運動が川崎から始められたということは、当時、
それほど生活保護を受ける朝鮮人が多かったことを意味します。
その川崎で、公務員になったK君が、ケースワーカーになって、もはや、
3年間は我慢して「奉仕」する仕事(竹野談)、を自ら志願しているのだから、
なんとしても実現させたいものですね。

崔 勝久
SK Choi

訂正

皆さんへ

「きそく裁量」という元々書かれていたものを、私が「規則裁量と」と勝手に
書いてしまいましたが、富永君の指摘で、「覊束裁量」であることが
わかりました。私のミスです、ごめんなさい。

なお、「覊束」とは、押さえつけて自由にさせない、つなぐ、つなぎとめる
という意味だそうです(角川の漢和中辞典)。

要するに、生活保護を申請するのは、国民の権利であって、国民の
「最低限度の生活を保障する」(生活保護法第1条)(これを英語では、
Basic Incomeというそうです、わかりやすいですね)のに、木っ端役人が
自由裁量で、勝手に生活保護を出すとか、ださないとかはできないよ、
一定の条件を備えた案件はそのまま、生活保護を認めなければならない、
ということのようです。

そうだとすれば、K君の指摘のように、ケースワーカーの職務は
「公権力の行使」ではない、ということですが、それに対して富永君は
以下のことをあげてくれています。

ただ、最高裁は、「住民の権利義務を直接形成し,その範囲を
確定するなど」を公権力の行使としていますので、権利の制限
だけでなく、逆に権利を形成するものも含まれるという整理です。 
これは行政法学に由来する整理です。行政事件訴訟法3条の
「行政処分」の学説上の定義を横引きしたものです。
あと、ワーカーが法定代理人という整理になる場合は、別途

その点について精査が必要になるかもしれません。

崔 勝久

外国籍公務員がケースワーカーになれない理由の問題点

皆さんへ

韓国籍の川崎市の職員が、ケースワーカー希望で、3度断られて、
先週、4度目の申請をしたのですが、市がなんとか彼を抱きかかえ
ようとしながら断ったのは、ケースワーカーの職務でどうしても
「公権力の行使」によって「当然の法理」と抵触するものがあり、
それがクリアーできないので、だめだというのです。

それは、例えば野宿者が緊急入院して、「意思行使」ができない
状態の人に「職権」で生活保護を申請する「措置」をとること、
勿論、その決裁は上司がするのですが、その「職権」が「公権力の
行使」に当たるというのです。

これは韓国籍公務員の国籍による差別と私たちは主張してきました。
しかし元ケースワーカーの竹野さんによると、問題の根は深く、
そもそもケースワーカーというのは国民の「生存権の保障」をする
「補助機関」に過ぎなくて、「執行機関」は別の管理者だというのです。
そこまではこれまで私は理解していたのですが、問題は、「意思行為」
のできない野宿者を「補助」することを「職権」ということで
「公権力の行使」と理解する、その理解の仕方にありました。

竹野さんによると、これは国民の生存権の問題で、その「補助」をする
ためのケースワーカーの「措置」を「公権力の行使」とするのは、
間違いという考え方でした。

当事者のK君は、
「ここは私も同感です。国民の権利・義務を制限する職務ではなく、
給付行政なのですから。また、生活保護行政は、第1号法定受託事務に
属するものであり、さらに、執行機関に認められる裁量権の範囲も、
いわゆる自由裁量ではなく、覊束裁量という狭いものです。」という
意見です。

これはケースワーカーの存在そのものをどのように捉えるかという
大問題で、韓国籍の青年K君を拒む市側の主張は、国籍を問題にして
いるようで、その実、福岡の餓死事件のように、生活保護の申請に
対して審査し、認めてあげるかどうかは自治体が決める、やって
あげるという考え方なのです。

やってあげるという立場からすると「職権」で「意思行為」のできない
人の申請措置をするから、「公権力の行使」と考えるし、反対に、
国民の「生存権の保障」を「補助」するという立場に立てば、これは
「公権力の行使」でもなんでもないということになります。

国と自治体は勿論、これ以上、生活保護者を増やさないという
考え方ですし、ケースワーカーは被生活保護者の管理、チェックを
行う仕事と捉えている訳です。これは生活保護法や憲法に反する
というのが、竹野さんの意見です。

従って、国籍を理由にした差別問題で終わらせないで、国や自治体
が生活保護者をどのようにとらえているのか、ケースワーカーの役割
をどのように捉えているのかという問題にまで広げようと考え、来年
早々、学習会をもとうと思います。みなさん、いかがですか。できれば、
川崎市の人事課、ケースワーカーの人たち、参画室にも参加をよびかけ
たいと考えています。あくまでも一方の当事者である市の関係者にも
参加をしてもらい、ケースワーカーの「職権」と国民(住民)の生存権
との関係、そもそも「公権力の行使」とは何か、それと外国籍公務員の
「当然の法理」をどのように考えるのかを一緒に学習したいと考えています。

参考までに、「生活保護法」とは、社会権の一つである生存権のため、
対象は「国民」で、憲法解釈からすると、外国人は対象外なのです。
しかし、外国人登録法と同じで、「当分の間」、「恩恵」で外国人も
日本人と同じように、見てあげるという考え方で、これが北朝鮮帰還
問題とからまります。政府・自治体は、生活保護者が多い朝鮮人を
日本から追い出したかったのです。このことはモリス教授が記しています。
(テッサ・モーリスースズキ著『「帰国事業の影をたどる 北朝鮮への
エクソダス』(朝日新聞 2007)

またこの帰還運動は川崎から始まったのです。今回の韓国籍青年Kの
ケースワーカー問題は、植民地支配の問題、国・自治体の、国民の権利に
対する考え方の問題が関ってきます。それが「当然の法理」を軸にしながら、
川崎市と攻防をすることになります。

崔 勝久

2007年11月27日火曜日

市との交渉の報告


皆さんへ
22日に、川崎市と第19回目の交渉を行いました。市側は参画室と人事課のそれぞれ課長を含めた5名でした。こちらは12名。議題は、
1.「準会員」発言の説明2.東京都で認められている職務が川崎で制限されている理由
2.制限されている職務182が192に増えた理由
3.全人事課課長の「運用規程」を見直すという前向きな発言が無視された理由
その他以下、話し合われた内容;
1.「準会員」発言の趣旨は、参画室の高村課長によると、実際の川崎市における差別の現実に対して、「会員」「準会員」と表現した、という説明でした。私たちは、それは阿部市長の「正論」で話した趣旨ではない、彼は国家の本質は「戦争をする単位」であり、地方自治体はは国権の一部を担い、日本国籍をもつ者と外国人が、権利義務において区別があるのは当然と断定している、と反論し、市長との面談を要求しました。
阿部市長が、いざという場合に戦争に参加しない外国人は「準会員」という脈略で話しているのは明かで、有事の際には市民の財産を提供させるという国策に順ずる協力体制が既に作られているという現実と、改憲論者の市長の思想が「準会員」発言になっていると指摘しました。
2.3.に関しては、他の地方自治体がどのような対応をとろうとも、川崎市は独自の「公権力の行使」の解釈によって職務を振り分けたので、それを遵守するという頑なな姿勢で一貫していました。
4.も同じです。「運用規程」を見直すというのは、新たにできた法令などに合うように、整合性をとるということであり、実際の現場で、外国籍公務員が就くことでどのような問題があるのかは問わないという姿勢でした。「公権力の行使」とされる一般市民への強制を伴う行為は、すべて決裁事項として上司が判断し、現場ではその判断に従うだけなのにどうしてその公務員の国籍が問題になるのかという点では、相変らず、それは「当然の法理」だからだというトートロジーの反復でした。
唯一、現場で決裁をもらわなくとも即決すべきことがあるという反論が人事課からあったのですが、それは、道路をはみ出した荷物を片付けさせるという類のもので、そんなものは常識で判断できるし、その職務を外国人が担ってはいけないということはないだろう、という問いには、いや、それは「当然の法理」だから・・・・という回答でした。
路上でのタバコ、空きビンの投げ捨てを注意し聞かない場合は、罰金を科すのも、「公権力の行使」だから外国籍公務員はだめ、ということでした!
5.その他のところでは、韓国籍公務員のK君が交渉に出席し、3度、ケースワーカーになりたいと希望を伝えたところ、人事課は市への非難書を公表した当人であることからなんとか希望を叶えさせたいと「運用規程」に従い照査したところ、1点、ホームレスが緊急入院された場合、本人に代わって申請「措置」をしなければならず、それが「公権力の行使」にあたるので、ケースワーカーはだめという回答であったそうです。
K君は数日前、改めて、ケースワーカーになる4度目の申請をしました。私たちは、「当然の法理」「公権力の行使」は川崎独自の判断基準ということでいいのだけれども、どうして弾力あるかたちで対応できないのか、ケースワーカーになりたいという青年の思いを国籍を理由に門前払いしていいのか、この件を具体例として市長に話をしろと迫りました。年内には何らかの決論がでるものと思われます。
なお予断ですが、参画室課長の発言で面白かったのは、これまで「準会員」発言への要望書がありそれを読んだところ、その内容は、これまで要求してきたことが阿部市政になっても守ってくれるのかどうかの打診だというのです。それって、既得権の保護の要望ってことですねよね。「共生」の実態を垣間見た思いです。東京新聞、民団新聞では記事にするということですので、改めて報告します。段々と寒くなりました。
皆さん、お体には気を付けてください。
崔 勝久

2007年11月3日土曜日

外国人は「市民」「住民」であることを前提にしよう!

富永君から貴重な意見が寄せられました。

外国人も「市民」であるか、「住民」であるかと理屈を言い合うより、
外国人も「市民」「住民」であることを前提にして、それなのに、
採用した外国籍公務員を国籍によって差別するのは、おかしいよねって
言うの、いいですね!

崔 勝久

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残念ながら、現在の憲法解釈では憲法上に出てくる「住民」は日本の
国籍を有する者というのが判例です。腹のたつことに、地方自治に
関する第8章も含めてです。 

しかし、地方自治法以下の地方自治法制では「住民」に国籍は関係ない、
ということは一貫しています。 これは、非常に荒っぽい言い方をすると、
憲法にはより多くドイツ法系の要素が残り、地方自治法制にはより多く
アメリカ法系の要素が入ってきたからだと小生は理解しています。
ここにこちらが乗じるべき間隙があると言えます。 

住民投票に参加できるかどうかということと、住民であるかどうかという
ことは、必ずしもイコールとは言えません。 日本国籍者でもたとえば
赤ん坊は投票できないので、投票できる人の範囲と主権者の範囲は
完全にイコールではないと言えます。たとえばニューカマーの場合なら、
何年住んだら投票できるようにするかという線引きの問題が出てきます。
前者が意志能力の問題であるのに対して、後者は社会の一員と言えるか
どうかという本質の違いはありますが。 

問題は、今の法制が日本生まれ・日本育ちで外国籍という住民の存在を
全く想定していないことにあると言えます。このため、地方自治法制では
住民であるのに、参政権が保障されない、という矛盾が生じていると
言えます。川崎市に「住民ではない」と認めさせる結果になるよりも、
「住民だが投票できない現状にある」という認識を表明させるのが得策と
思います。

そうか、「外国人市民」ってやっぱり「住民」でも「市民」でもなかったんだ

皆さんへ

川崎市のことを調べだしたら、きりがないですね。頭が混乱してきました。
私の理解は間違っていますか?

川崎市自治基本条例が平成17年4月1日から施行されているのですが、
その中の「住民」とは、住民(本市の区域内に住所を有する人)と31条で
軽く、おっしゃっているのですが、これは(住民投票制度)に関しての定義
です。しかし「川崎市多文化共生推進指針」の「施策の具体的内容」にある、
3.社会参加の促進 (1)市政参加、では④「住民投票制度を創設する
際に、外国籍の市民の参加を検討します」とあります。

ということは?
外国籍の市民(=「外国人市民」)は、「住民投票」参加に関しては「検討」
の対象だということですね? ということは、外国人は「住民」ではまだない
(=住民投票ができるまで)ですね?

これって、憲法93条にある「住民」とは地方参政権を持つものであって、
結局、憲法上「住民」とは日本国籍者のことで、川崎市の「自治の基本を
定める最高規範」である「川崎市自治基本条例」では、やはり「住民投票」
ができない外国人って、「住民」ではないということになりませんか?

ということは?
「川崎市自治基本条例」第3条 定義 (1) 市民 本市の区域内に住所を
有する人、本市の区域内で働き、若しくは学ぶ人又は本市の区域内に
おいて事業活動その他の活動を行う人若しくは団体をいいます。

この「市民」の定義からすると、外国人も「市民」になるのですが、「住民」
でない「市民」は想定されてないようで、やっぱり、外国人は「外国人市民」
であって、普通の日本国籍をもつ、日本人市民とは違う、ということに
なりそうですね。

せっかく「市民」とはという「定義」をしたのだから、誤解の余地のないように、
川崎のいう「市民」とは国籍に関係しませんって、はっきり言えよ、って
ところですね。そうか、やっぱり、「外国人市民」は「市民」じゃないんだ!

ついでに、先の「川崎市多文化共生推進指針」の「4.共生社会の形成」
(3)市職員の採用  ① 市職員の採用や任用のあり方については、他の
自治体と連携しながら検討していきます。

これは何?
この間の人事課の課長は、鄭香均が指摘した川崎でだめな仕事も東京
では問題ないって話した内容について、川崎は川崎の「公権力の行使」の
規程に基づき判断して、運用規程の「見直し」(=改悪)をしたと話して
いたが、それは、「他の自治体と連携しながら検討」するとした「指針」に
反してませんか? 

そうか、検討したけど、やっぱり何も変えないと決めたということのよう
ですね。どうしてそう決めたんですか? そうか、「当然の法理」に基づいて
ということか、かくしていつもトートロジーで、言うことが元にもどりますね。

そうすると、前回の課長が交渉で話したことは何の意味もなかったという
ことになりますね。おいおい、ざけんなよ!22日の交渉でまたいじめようと。

皆さん、お休みなさい!

崔 勝久