2008年12月25日木曜日

クリスマス・メッセージー来年に向かって

みなさん、お変わりありませんか。

昨日はクリスマス・イブ、私たち夫婦は、ホームレスの人が大多数の小さな教会の礼拝に出ました。これから数年続くと思われるこの不況の中で、私たちの私生活の今後を含め、多くのことを考えさせられました。
私は寒くなるにつれ、また坐骨神経痛で杖を使うような生活です。今年は、杖に始まり、杖に終わりそうです。まったくこの世はままなりませんね・・・・

体はなかなか思うようにならないのですが、それとは裏腹に、この10年、川崎市の「多文化共生」政策を
批判してきた運動は大きな転機を迎え、心がはずみます。昨年の上野千鶴子さんを迎えての「多文化共生を考える集会」がきっかけになり、今年の7月に私たちのこれまでの運動の集大成ともいうべき本を出しました。それ以来、私自身の世界は大きく広がりをもちはじめました。川崎の「共生」批判は世界的な、歴史的な課題としてあるということをはっきりと自覚するようになり、その自覚の下で、来年は新たな闘いになると確信します。

まず、「共生」の看板を掲げながら外国籍職員の国籍条項を頑なに守る阿部市政についてです。この「当然の法理」に基づく政策は戦後一貫した日本政府の見解なのですが、この解決は実は簡単であることがわかりました。そんな国籍条項なるものは撤廃すると明言する市長を新たに立てればいいのです! 来年10月は川崎の市長選です。最有力候補とも会いましたが、彼は、当選すれば国籍条項の撤廃を約束しました!

もうひとつ、私がこの40年「在日」の生き方を求めてきたその目指す方向がはっきりとしました。今日はそのことを報告し、今年のクリスマス・メッセージとします。意外なことに、それは在日の権利の要求ではありませんでした。被参政権のない、また北朝鮮を排除する、今盛んに語られる参政権の要求ではなく、「住民自治の確立」がそのキーワードです。

私は本の出版がきっかけで立命館大学のシンポに呼ばれ、その際に知った京都の市長選で主張された「区民協議会」のコンセプトに関心を持ちました。是非、川崎で実現させたいと考えています。日本の民主主義が形がい化しているのは住民自治がないからと捉え、戦後60年の代議制民主主義を捉えなおすには、住民が主役となる仕組みを作らなければならないというのです。そこでは、住民は国籍に関わりなく(永住権の有無も問いません)、公募公選で、予算をとり、区のことはそこで決定するのです。住民不在の行政、市議会への批判にとどまらず、住民が自ら考え、決定し、責任をとるという仕組みです。

外国人は被選挙権・選挙権をもちます。国会での決議は不要で、条例の制定で可能になります。住民が当事者として自分のことは自分で考え決定し、責任をもつという住民自治の実現です。外国人は住民ですから、その住民自治を担うメンバーとして責任を担います。在日の権利の主張の観点では、この問題は見えてこないので、民族運動としては捉えませんが、私としてはこの40年間の総括と考えています。

外国人の権利の主張ではなく、住民自治の観点からこの運動を進めたいと考え、公務員の国籍条項の撤廃と合わせ、この主張を受け止めてくれる候補者を来年の市長選に推すことになります。この話はすでに進行中で、市長立候補者との政策協定が鍵になるでしょう。李仁夏牧師が生きておられたら手を叩いて喜んでくださると確信します。

マイノリティが参加してマジョリティを変革することで、マイノリティ問題が解決されていくのです。マイノリティのためになることがマジョリティのためになるというこれまでのテーゼは間違いです。結局、為政者はマイノリティを一定の領域に抑え込むことで全体の統治を自分の思うように進めるという結果が出ています。アンチテーゼではなく、私たち自身がマジョリティの抱える問題の本質を変革していく主体になり、そのことによって、これまでの国民国家に基づく仕組みではない、住民主体の自治の仕組みをつくることによって、歴史は大きく変わっていきます。

日本人が抑圧者で、在日が被抑圧者であるというこれまでの捉え方でなく、両者とも歴史の課題を担うということではまったく対等にその責任が問われるという観点に立ち、自分の生きる足元から変革していく、このことが単なる夢でなく、来年は具体的な目標になります。みなさん、来年は忙しくなりそうです。くれぐれもお体にには気をつけてくださいね。

Merry Christmas and A Happy New Year!

みなさん、よいお年をお迎えください。


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崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2008年12月3日水曜日

「共生」を批判する: N教授への手紙ー国民国家の呪縛に抗して

康成銀さんへの謝罪


康成銀さんからメールをいただき、私の記事が正確でなく、また私の見解があたかも康成銀さんからの引用で
あるかのように記したことに対して、大変親切なご指摘をいただきました。謝罪し、訂正いたします。

本文は以下のように訂正しました。[]内が訂正した文の全容です。

[第二セッションの康成銀氏(朝鮮大学校)によると、「在日コリアン社会における「分断体制」」という発題をしそのレジュメの中で、総連の元になった在日の組織が1950年に「民戦」(在日本朝鮮統一民主戦線)を作ったということが記されています。(「民戦」は独自の組織でありながらも、日本共産党から直接・間接的な指導を受け、日本の革命活動を担おうとしました。)](()内は修正した箇所)

民戦が組織として日本共産党の傘下組織であったというのは私の間違いです。独自の組織であったが、直接・間接的に日本共産党の指導を受けていたと記すべきでした。私の強調したかったポイントは、社会を変えようとする者が、日本共産党の六全協を契機として、日本人も在日朝鮮人も国民国家の論理にすべて吸収されるようになった、国民国家の論理を超える現実の運動を作り思想として育て上げるよう必要があるのではないか、
ということでした。これは今現在においての課題でもあるのです。

また私が記した、ナショナル・アイデンティティを最優先することになるこれまでの民族運動についての記述は「主観主義的」との批判を受けました。この点に関しては康成銀さんとも意見の交換をさせていただきたい旨を本人にメールしました。この点に関しては、わざわざ鳥取から2度にわたり川崎の集会に参加してくれた民団の役員の方からも以前、同じように批判されました。

立命館でのシンポジュームにおいても、この点について私への批判がありました。今後継続して今後の課題として考えていきたいと思います。私はパネラーとして、主体性についてはいろんな可能性があるのであり、それは本人が判断すべきこと、それをどうして民族主体性が最も重要なものとするのか、また(民族)アイデンティティの追及が当然のこととして語られているが、そのそもアイデンティティとは何かということを問いました。

私は民族主体性ということが観念化され、政治化され、足もとの在日の抱える問題に関わることとを拒んできた過去の日立闘争のときの各民族団体の反応について話しました。足もとの例えば、介護や保育、教育の問題は在日にとって、すべて日本人に委ねることなのか、自分の住む地域において責任をもって関わるべきことなのではないのか、と発題しました。それに対して、徐勝さんからは、日帝時代においても一般の民衆は飯を食うていたという現実はあったのであり、足もとの問題だけを強調するのは問題だという指摘がありました。いずれ、立命館からシンポのことは出版される予定とのことですので、私ももっとしっかりとした主張にしたいと考えています。

崔 勝久

川崎市議会の横暴についての報告書

みなさんへ

吉井さんから送られてきたメールによると、川崎の市議会の実態、問題の所在が正確に説明されていますので、みなさんに転送することにしました。議会は市民を締め出したところで、重要な、議会基本条例を審議しているというのです。

私はこのような問題は、議会、議員の質ではなく、地方自治の制度的な欠陥だと思います。
行政も議会も住民を阻害していても、住民は手も足も出ないという状態です。

川崎は住民自治条例と、議会基本条例によって形式的に民主主義を貫徹させた都市になることです。しかしいくら市長が、「市民の市政への参加は責務」としたところで、それは説教であり、実際問題として住民は疎外されたままなのです。ここを打破するには、これまでの地方自治の仕組みを根底的に変革し、住民が自分で考え決定するようにするしかありません。

来年の市長選でこのことを政策に掲げる候補者を立てましょう。


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崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352



---------- 転送メッセージ ----------
差出人: mag2 0000219072
日付: 2008/12/03 6:00
件名: 探検!地方自治体へ 第72号“制度的真空状態”での川崎市議会基本条例検討
宛先: skchoi777@gmail.com


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探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~      第70号 08/12/03

★“制度的真空状態”での川崎市議会基本条例検討★
~質問書に対する川崎市議会からの回答~

1.問題の所在
2.回答の中味
3.“制度的真空状態”の雰囲気
4.議会はチェック機構を創設すべき
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1.問題の所在

「川崎市議会へ質問書を提出~議会基本条例の検討プロジェクトの審議過程公開拒
否~」(第70号 08/11/13)
http://archive.mag2.com/0000219072/20081113060000000.html

に対する回答を2008/11/24、16時30分頃、川崎市役所本庁舎総務局において議会事
務局から口頭で聞いた。

何も新味のある情報は得られなかったが、この間の活動で、議会が“制度的真空状
態”で重要な審議をしていること、議会をチェックする機構が内部に何も存在してい
ないことに改めて気が付いた。本稿はそのことについての試論である。

2.回答の中味

先ず、質問ではないが、『「市長への手紙」に準じ、受付日から15日以内を目処
に「文書」で回答』を要求したことについて、回答は以下、
『「市長への手紙」のような制度は設けておらず、従って、文書回答の規則も存在
しない。今回は事務局から口頭で回答する。』
確か、「いつでも要望書を受付けます」とのことであってが、ここにきて、規則は
ないから答えても答えなくても「議会の勝手でしょ!」という返事と同じになった。
本音が出たというべきであろう。

「議会のあり方検討プロジェクト」についての質問に対する回答
1)質問…会議の傍聴或いは会議の討論部分の市民への公開を拒む理由
公文書開示請求に対する不開示理由と同じである。
1.今後のプロジェクトでの検討、協議に支障が生じると考えられる。
2.市民の間に混乱を生じさせる恐れがある。
3.公にすることにより、率直な意見交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわ
れる恐れがある。

これについては、これまでの回答と同じであり、言葉が見あたらないくらいである
が、すでに反論してある。

2)質問…公式機関の特別委員会ではなく、「団長会議」諮問機関とした理由
議員の身分や位置づけ、議会の役割や位置づけ等、幅広い調査検討が必要であり、
そのため“任意”の会議である「団長会議」の下にプロジェクトを置いた。

まったく説明になっていない。同じように議員が集まるのであるから同じことをす
るだけであり、笑ってしまうような回答である。このような回答をする以外にない事
務局の担当者は気の毒であり、それを結果として強いたプロジェクトの大島委員長
(高津区選出・自民党)は無責任というべきである。

3.“制度的真空状態”の雰囲気

“任意”の会議との説明を受けたと書いた。では、『任意の会議とは何か』を聞い
た処、回答は次のようであった。

『規則等の規定がまったくない会議で議題、決定等については特に定めがない。諮
問機関も同様であり、従って、第1回会議で「傍聴及び報道機関の取材お断り」を決
定した経緯がある。』

更に説明して、『例えば、この会議に出るために役所に来る途中、事故にあっても
所謂通勤災害にならない。』
えっ!と思ったので、『では、議会事務局が何故一緒にやっているのか?』と聞い
た処、怪訝そうな顔をして『議会をサポートするのが仕事ですから…』との答が返っ
てきた。こちらの質問の意図がわからなかったらしい。

以下、少し会話を重ねたが、議会事務局担当者の感覚が筆者の感覚と全くずれてい
ることがわかり、『民間なら部屋を使うことも許可されないだろう。部屋の電気代も
問題になる。』と言って切り上げた。問題はこの感覚を育てた雰囲気であると考えた
からだ。

“制度的真空状態”とはこの感覚のズレをどういう言葉で表現したものかと考えあ
ぐねていたときにふと思いついた言葉である。

制度的真空とはときに見かける表現だから、頭に浮んだと思われる。但し、これは
“無法”とは異なる。規則はないのであるが、それにかわる“暗黙の了解”があるの
だ。どう言おうか?「そんなに難しいことを言わなくても、だいたい判っているよ」
という世界である。

閉じられた世界である川崎市議会(どこの自治体議会も同じであろうが)では、多
くは“暗黙の了解”で運営され、外部から注目されないが故に、自らだけで「常識」
を無意識に形成してきた。しかし、地方分権改革が急激に進むなか、住民からの監視
の眼が光るようになってくると、その「常識」のなかに実は「非常識」も培っていた
ことが明るみにされてきたのである。今回のこともその一つであると考えれば、残念
ながら驚くにあたらないと言うべきであろう。

4.議会はチェック機構を創設すべき

これまでのことをまとめてみよう。

1)川崎市では、議会の最高規範となる「議会基本条例」案が“制度的真空状態”に
おいて決められようとしている。
2)川崎市には(他の地方自治体共通か)、議会をチェックする機構が存在しない。
3)行政のチェックは議会が行う仕組である。また、広聴制度「市長への手紙」、苦
情申立制度「川崎市民オンブズマン」等、市民のチェックを可能にする制度を作って
いる。
4)議会には「請願・陳情」という市民が政策をお願いする制度だけである。「議長
への手紙」はない、「川崎市民オンブズマン」はオンブズマン条例第2条で市議会を
対象から外している。議会は自らの内部にチェック制度を設置していない。

5)会議の傍聴或いは討論部分の公開を拒む理由として、公にすることによる“会議
メンバーへの制約”及び“市民の間に混乱を生じる怖れ”を挙げている。両者共に全
く理解しがたい。公に討論することが議員の仕事、それを聴くことが市民の立場であ
る。
6)一方、「団長会議」は規則等の規定がまったくない任意の会議である。その諮問
機関である「議会のあり方検討プロジェクト」も同様である。
7)規則等の規定がない任意の会議で、傍聴も含めて市民に非公開で、議会の最高規
範となる「議会基本条例」案が検討され、これをチェックする手立てが市民に何もな
い。
8)「公文書開示請求」に対する「部分開示」について「異議申立」をできるが、形
式的な相手は市長である。

9)規則等の規定がない任意の「団長会議」の下、恐らく他の議員にも非公開の“制
度的真空状態”において、実質的に「議会基本条例」となる案を策定している。
10)更に、この状態を“法令の見地”から批判する議員もいない。
11)本来、委員会条例で規定される特別委員会で議論するのが筋である。
12)議論の内容が何であれ、議員だけでの会議であるから「団長会議」の諮問機関で
あろうと、特別委員会であろうと、中味は変わらない。 
13)従って、「団長会議」の諮問機関として検討する理由は何もない。

14)また、議会事務局は特別委員会の設置について職責をもって働きかけるべきである。
15)奇妙にも規則のない『任意の会議』の記録が公文書になっている。

16)現状、慣行の束によって議会運営が行われているのは理解できないわけではない。
17)また、団長会議も必要な機能であることも判る。
18) しかし、この慣行を安易に利用することを慎むだけの思慮深さが必要である。
19)慣行による惰性が非常識化を生んでいることを今回の例は示している。

結論として、
20) 議会は自らの内部にチェック制度を設置すること、これを「議会基本条例」の議
論の一つに加えることが必須と言える。

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編集発行人 吉井俊夫
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