2009年11月25日水曜日

中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)を読んで


近現代史の専門家である中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)を読みました。

文学と歴史書の関係については、田川建三の遠藤周作批判を既に読んでいたので、私には中村さんの司馬遼太郎批判は物足りませんでした「イエスを描くという行為―歴史記述の課題」(『宗教とは何か 宗教批判をめぐる』(洋泉社 2006)。遠藤と同じく、司馬の読者もまた、『坂の上の雲』をフィクションでなく、ノンフィクションとして読むでしょうし、本人もまた事実に基づいて書いていると自覚している点でも同じです。

中村さんはさすが近現代史の専門家として、司馬が目を通したであろう当時の資料の批判と、その後の学問的成果を踏まえながら、司馬史観を批判します。中村さんの指摘はあたっていると思います。その点に関してはその通りなのですが、どうして物足りなさを感じるのか、考えてみました。

司馬史観の批判はあたっているのだが、ではどうして司馬はそのような史観をもって資料を解釈ないしは無視したのか、という点では、中村さんは、司馬の産経新聞時代に培った「サービス精神」に帰着させます。勿論、「司馬を論じることは、日本文化を論じることである」ということは強調されています。彼が読まれた時代(「高度成長下で・・野放図にまで成長してきた『戦後的価値意識』)を代表していた」という指摘もあります。

司馬遼太郎は、私は夏目漱石後の国民作家と位置付けられる作家ではないかと思っています。勿論、二人の文学の質ではありません、国民から受け止められ、評価されてきたという意味です。そういう意味で、朴裕河の漱石を批判した『ナショナル・アイデンティティとジェンダー漱石・文学・近代』(クレイン 2007)(私は評判になった『和解のために・・』『反日ナショナリズム・・』よりもこの本を評価します)では、どうして漱石が国民作家になっていったのかという背景がナショナル・アイデンティティをキーワードにしながら描かれているのですが、中村さんにはこの点の分析が希薄です。

学問の専門分野が違うということかもしれませんが、司馬の「サービス精神」をキーワードにしたのではあまりにも彼を国民作家と仰ぐ人が多い現象の説明としては弱いのではないのでしょうか。私見では、司馬遼太郎批判が、ナショナル・アイデンティティ批判につながる視点として提示されていないからではないかと思われるのですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。しかし司馬史観と「つくる会」の事実認識・歴史認識のレベルを知り、教科書問題の背景を知るためには必読書であるということでは異存はありません。個人的には、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を正面から論じてほしかったですね。それは戦後歴史学の評価・批判にもつながると思います。

2009年11月23日月曜日

朝日新聞の社説の疑問に賛同―「外国人選挙権」「まちづくりを共に担う」


23日(月)の朝日新聞の社説に、鳩山首相や小沢幹事長が前向きなために外国人選挙権に関して、「来年の通常国会にも法案」がでる見通しとあります。一部には根強い反対が民主党内にもあるそうですが、このままいくように思えます。鳩山政権は「多文化共生社会」をめざし、朝日は、「実現へ踏み出す時ではないか」と主張します。ここは「多文化共生」を批判した、私たちの『多文化共生とは何かー在日の経験から』を是非、一読していただきたいところですね。

日本に永住する外国人は91万人、そのうち「在日」は42万人だそうです。朝日は、「外国人地方選挙権を実現させることで、外国人が住みやすい環境づくりにつなげたい」、そのことが、「分権時代の地方自治体の活性化させることもできる」と主張しますが、ここのところは外国人施策の「先駆者」川崎市の実情を見ていると、ことはそんなに簡単ではないでしょう。

外国人の政治参加と言っても、非選挙権はなく、悪い意味で、日本の政治風土に埋没するように思えます。今度の川崎の市長選で日本の政治風土を実感しました。そこでは市民が不在で、立候補者同士の議論も全くなく、駅頭で頭を下げるか、車でぎゃあぎゃあ叫ぶくらいの選挙運動でした。公職選挙法を恐れ、公示後の市民の主催する集会に全員ドタキャンする始末です。日本の政治風土を変え、「分権時代の地方自治体を活性化」させるのは、外国人地方選挙権の実現でなく、日本人自身の、市民の政治参加の実現でしょうね。

反対論に対して、「人々の不安をあおり、排外主義的な空気を助長する主張には首をかしげる」という社説の主張には賛成です。「孤立させ、疎外する方が危うい。むしろ、地域に迎え入れることで社会の安全化を図るべき」とはちょっとひっかかりますが、まあ、いいでしょう。まだ多くの日本人にはこの認識さえないのですから。

私がこの間主張してきた、「朝鮮」籍者排除を前提にして、反北朝鮮感情に配慮していると見られる民主党の枠つくりに、朝日は疑問を呈します。「別の政治的理由で一部の人を排除していいか。議論が必要だろう」ということですが、産経や読売の主張に比して、この主張は正常ですね。ここから朝日新聞ももっと問題を深めてほしいものです。「当然の法理」を根拠にした、外国籍の地方公務員の差別待遇にまで話が及べばいいのですが。

外国人の政治参加の保障は、国の見解である「当然の法理」に地方自治体が縛られている限りだめです。ここを突破して、住民自治の実現を目指し、日本の地方自治の在り方を根底から作りなおすことが日本人・外国人にとっても最も重要な、課題なのでしょう。

2009年11月22日日曜日




今日は川崎の桜本町の2万人集まるという「日本の祭り」に、横浜国大の学生が参加し、ホットドッグやコロッケパン、焼きそばパンなどを売りました。彼らは、大学の授業として「川崎フィールドワーク」があり、そこに参加した者たちが中心となって、呼びかけ合い集まったのです。私はそのフィールドワークのアレンジをした経緯があったので、彼らの準備に関わることになりました。

今朝は雨で、祭りはどうなることか、買った材料はどうなるのか心配しましたが、幸いに雨はやみ、最後まで雨が降ることはありませんでした。とは言うものの、全く経験のない彼らがどう作り、販売するのか、正直、
えっ、この子たち、そんなことできるの、と心配しました。

心配通り、祭りが始まる時間になっても、ホットドッグを作る段取りもまったくできずもたもたしていました。焼きそばを鉄板で温めるだけなのに、熱い熱に手こずり、コロッケを恐る恐る半分に切っていました。それでも私は一切口出しせず、彼らがどうするのか、ずっと見守ることにしました。

幸い、準備したパンにはさむ材料は全部さばけたのですが、コロッケとコッペパンが残りました。私はかれらがそれらをどうするつもりなのか、周りの店も後片付けし始めているので、ああ、売れ残ったしょうがない、
と言い出すものと思っていましたが、なんと彼らは意外な行動をとりはじめました。コロッケやパンを袋に詰め、人の多い所に行って、売ってきたのです。どのように呼びかけたのかわかりませんが、全部売ってきました。完売です!

どうして売れ残ったものをそこまで必死になって売りさばこうとしたのか、私は彼らに聞いておらず、その理由はわかりません。ただ私は、おう、こいつら、なかなかやるじゃんと思いうれしかったのです。

全部売り切り黒字でしたが、彼ら8名分の人件費は入っていません。それでも完売を喜び、祝杯をあげました!

じっと見守り、自分たちでやり始めるのを見守ったことがよかったのでしょうか。わたしがじれったくてなんか指示し出したら、このおっさんはなんや、ということで間違いなく反発したか、少なくとも、自分たちから積極的に行動を起こそうとはしなかったでしょうね。

いずれにしても桜本商店街のみなさん、商材を準備してくれた量販店の人たちの御世話になりました。学生諸君の将来に乾杯!

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崔 勝久
SK Choi

2009年11月19日木曜日

客観的な学問ってあるのかしらーノンフィクションを読んで


いろんな頭の痛いことが続いたので、息抜きで『神々の捏造―イエスの弟をめぐる「世紀の事件」』(ニナ・バーリー、東京書籍)(原題は、『Unholy Business』)を読みました。訳者あとがきで、「こんなにおもしろいノンフィクションがあっていいのか!」とありますが、同感です。マグナダのマリアとかイエスの弟のヤコブについてのややこしい翻訳ものがたくさんありますが、それとはまったく異なります。

ヨセフーヤコブーイエスの名が刻まれた骨箱がイスラエルで発見され、それはイエスが実在したことを証明するものだということで、大変な話題になりカナダの博物館で展示されたそうです。

その他「ヨアシュ碑文」と象牙のザクロの実が、伝説のソロモン王が建造した「第一神殿」の実在を示す、史上初の物的証拠やとして、ヤコブの骨箱とほぼ同時期に発表されたそうです。それがなんだと言う方もいらっしゃるでしょうが、実は、それらの遺物は聖書の記述の正しさを証明するものとしてカトリックは勿論、アメリカの福音派から歓迎され(韓国もそうでしょうね)、またそれはイスラエルのナショナル・アイデンティティを鼓舞し、パレスチナ侵略を正当化するものとして、現代的・政治的に大きな意味をもっていたのです。

その遺物が世界中で大きな話題になり、その真贋をめぐる裁判闘争まで行われたのですが、イスラエルとパレスチナの紛争がありながら、そのような遺物の不法な発掘と販売には、民族・国境を越えたシンジゲートが作られており、世界中の博物館や大学、個人のコレクターにばらまかれているそうです。

それにしても、その真贋を決めるのは考古学や碑文学、古代の言語学等なのですが、それら研究家においても見解が異なり、そこに研究者の個人的な事情や、信仰理解がからまり、純粋な学問成果という客観的なものはないということがわかります。20世紀の最大の発見と言われている「死海文書」は一定の発掘分野からでたものではないのですが、そのようなものは基本的にはありえないということがよくわかりました。

日本の旧約聖書学者の第一人者であった関根正雄をして(『古代イスラエルの思想―旧約の予言者たち』(講談社学術文庫)、「霊」の働きとその信仰なくして聖書は理解できないというのであれば、聖書学や考古学も信仰とは別のものとしてありえないという結論になり、私は同意できません。私はどうしても人間の生き方、というものに執着します。

2009年11月14日土曜日

「こんな教科書はいらない」横浜集会に参加してーその(1)




11月12日(木)、横浜で開催された「戦争賛美 偏った歴史観の  こんな教科書はいらないー自由社採択&1採択地区撤回を求める 11.12市民の集いー」に参加しました。


会場は200名を超える人が集まりましたが、現役の教師はほとんどいなくて、元教師の比較的高齢の方が多いのに驚きました。 現場はいろいろと大変で参加できないのでしょうという司会の解説がありましたが、いろいろと大変という意味は、現場での教師の発言が困難になってきているというのと、雑用に追われて現場の教師は教科の内容にまで神経を使う余裕さえないという意味であると、私には聞こえました。この現実は教科書採択の背景にある重要なファクターでもあるでしょう。


私自身は、自由社の教科書の内容に驚いています。『日本人の歴史教科書』(自由社)の「はじめに」では、藤岡信勝が、「歴史の知恵に学ぶ」「「自虐史観」の歴史教科書」「日本の誇るべき歴史と伝統」「珠玉の名講義と標準的教科書」というタイトルを掲げて自論を展開しています。


日本の現状を憂い、「この日本を立て直すためには、何を拠り所にすればよいのか。多くの人々がこのことに思いを巡らし、ほぼ共通の結論に達しています。」(おい、本当か?)「日本人が自己を取り戻すには、モデルを外に求めるのではなく、日本のよき文化と伝統に立ち返り、長い歴史の知恵に学ぶしかないということです。」


そもそもこの前提が間違っていないか、むしろ人類の歴史として日本を相対化し、世界の英知を集めて日本を見つめなおすという視点が完全に欠如しています。歴史を「加害者」「被害者」という単純な二項対立的な視点でなく、複合的に捉え、なおかつ観念論に陥らずに悲惨な現実を直視するという捉え方が不可欠だと思います。


教科書問題はそれだけを捉えて問題にしてはいけないのではないでしょうか。私は、横浜で自由社の教科書がどのような過程を経て実現されたのか、その要因は何かを分析し、同じことを川崎や全国で展開させないようにするにはどうすればいいのか、考えたいと思い参加しました。

2年後には全横浜市の中学校で自由社の歴史教科書が採択されることはほぼ、確実だと思われます。 逆説的にいえば、これを反面教師としていかに偏ったものの見方かということを子供たちに考えてもらういい機会でもあると思うのですが、そのような授業ができるような教師側の体制になっているのでしょうか。自由社以外の今の教科書では、子供たちに植民地支配の問題点を十分に考えさせる授業(教育)ができていたのかという、根本的な現実批判から始めなければならないと、私は考えています。
 
横浜で自由社の教科書が採択された背景には、民主党の躍進、グローバリズムと新自由主義政策、多文化共生政策とナショナリズムの強調が一体化されていると私は見ます。研究者の協力を得て、この事態を読みほどき、実践に結実化させたいものです。

2009年11月3日火曜日

韓国の呉在植さんとの35年ぶりの出会い


韓国の呉在植さんとの35年ぶりの出会い

今日、東京の富阪キリスト教センターで、第一回目の市民公開文化講演会として、韓国からいらした呉在植(OH Jaeshik)さんのお話を伺いました。学生の民主化闘争の始まりで韓国ソウル大学大学院から急遽日本に戻った私を故李仁夏牧師やこの呉さんが、RAIK(在日韓国人問題研究所)の開設にあたって、主事として務めることを勧めてくださったのです。日立闘争と地域の活動をすることを条件に主事就職を承諾した私は、文字通り、「在日」問題の専従として全力をあげてそれらの問題と課題に関わってきたことをつい、先日のように思います。

呉さんは、昔と同じように温厚な顔でやさしい話し方でしたが、物事の本質を突く講演内容でした。日本のキリスト教会を中心に韓国の民主化闘争との連帯運動を背後から支援してきた中心人物であることは、知る人ぞ知るという方です。「東アジアの平和を考える」というタイトルで、北朝鮮にどのように対するべきかということから話を始められました。

6者会談というのは、それぞれがお互い20世紀の過去に戦争に関わってきたメンバーであり、未来志向の、覇権主義を乗り越える視点をもった新たなフレームでないと成功しない、敵として北朝鮮を追い込むのでなく、新たなフレームつくりの仲間として、思いやりをもって受け止めるという考えです。この新たなフレーム作りということが今日の呉在植さんのテーマでした。これは国籍や民族を超え、人間をもっとも貴重な存在とする考え方であり、「東アジアの平和」は国際政治や地理的なことにとどまらず、その考え方は地域社会や国家内部においてもその内実を問うものとしてあるということを主張されていました。

過去、日本の教会にあって韓国民主化闘争に関わったことのある人たちが多く集まり、その人たちに対して呉さんは、加害者意識も被害者意識も同じコンプレックスで、それは未来志向の新たなフレーム作りに関わるなかで乗り越えなければならないということを強調されました。50年前、平和十原則を確認し、二回目は開催されなかったバンドン会議(第一回アジア・アフリカ会議)を、近い将来、北朝鮮の平壌で、日本のリーダーシップで開催できるようにしてほしいというエールで講演は終わりました。

2時間の講演と質疑応答でしたが、久しぶりにキリスト者の会合に出た私は、川崎での闘いを温かく見守ってくださる関田さん、NCC元総幹事の東海林さん、現NCC総幹事でICUのときの後輩である飯島君、当時お世話になったNCC職員の山口さん、などにお目にかかることができました。また司会をされた方は、故鈴木正久さんのご令嬢であることを知りうれしくて名刺交換をしました。川崎では滝澤牧師との交友を深めていますが、たまには東京のキリスト者の会合にでるのもいいものですね。

また、講演会の後、講演会で挨拶をされた朴聖焌さんと、韓国のキリスト教会の現状や日本の地域社会で起きていることなどの意見交換ができたことはうれしいことでした。15年前にお会いしたときと全く変わらず、権力に阿附せず、自己保全・拡張を志向する教会への厳しい批判的な姿勢を持ち続けていらしているご様子で、何よりです。

川崎の市長選で阿部三選阻止を謳った集会には残念ながら、教会関係の方はいらっしゃいませんでした。地域から世界を見つつ、教会の人たちとも対話を進めたいと願います。

2009年11月1日日曜日

拝啓 阿部市長殿(その3)

拝啓 阿部市長(その3)

このメールが阿部市長が当選されてから3度目のメールになります。
24日の投票を前日に川崎駅西口で、夜の9時にお会いした崔勝久
(チェ・スング)と申します。

今日は、神奈川新聞(11・1)の2面にある市長のインタビューの
記事についてです。地下鉄についての発言が主でしたが、最後に
抱負を尋ねられ、「人材育成では、女性や障害のある職員を
積極的に登用することを考えている」と答えられています。

どうして市長はここに、外国人(ないしは外国籍職員)と加えられ
なかったのでしょうか。阿部市長の、「感情ではなく、科学的」な姿勢を
強調されるのであれば、労基法が断じているように、国籍による
差別はしない、試験を通って公務員になった人は、自分の能力を
生かしてがんばってほしい、とおっしゃるべきだと思います。

社会の弱者とされている人たち(マイノリティ)へのエールに
なるでしょう。政府の「当然の法理」にこだわらず、首長の判断で
職員の能力に応じて職務、昇進を決めると宣言されることを
心からお勧めします。国際都市川崎にふさわしい判断だと
確信します。