2009年7月30日木曜日

「共生の街」かわさきでこんなステッカーが堂々と張られているとは・・・


みなさん、暑中お見舞い申し上げます。
暑いですね、お変わりありませんか。

今日、川崎の駅近くでしゃれた感じの「Bar and Restaurant」と
書いた店があり、思わず立ち止まって見てしまいました。
正面には大きな木のドアがあり、こんな店があるんだと
思って、思わずドアーに張られたステッカーに目をやりました。

「暴力団関係者並びに、暴力団関係者と認識されていまうような、
服装及び言動の方 又は、中国人、不良外国人の入店を固く
御断りします。」

これは暴力との関係を切ろうとする勇気ある行為なのか、
外国人排斥の排外意識なのか、みなさんはどのように
読まれますか?

「共生の街」かわさきでこんなステッカーが堂々と張られているとは・・・

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崔 勝久
SK Choi

2009年7月28日火曜日

『世代間連帯』を読んでーこんな夢を見ました(その2)

現役保母(今は保育士というそうですね)の妻や、地域のママたちを対象に40年ボランティアをしている人に私の「夢」を説明したところ、肯定的な返事がもどってきました。ウム、これいいかも・・・

私の特技はどんな嫌なときもすぐに寝て、寝ながら考えることです。朝起きれば大体考えがまとまっています! 今朝は、昨日の「夢」の修正版が浮かんできました。

1.市(あるいはNPO)は、地域の母親に自給2000円を支払うとき(まあ1000円でもいいか)、全額を地域貨幣で支払えば、市の財政的負担はさらに軽くなります。

2.地域マネーで母親たちは買い物をするのですが、最初は大手スーパーは仲間に入れず、街の商店街だけに
限定するのです。10%のディスカントになりますが、地域貢献と客が増えることで了承してくれるでしょう。

3.地域マネーをもらった母親は買い物だけでなく、介護の支払いもその地域マネーでできるようにしましょう。現金化すれば地域貨幣の額面(金額)の90%しかもらえないので、彼女たちは全額活かせる買い物や介護の支払いに使うでしょうね。そのことでその貨幣の流通は加速されるはずです。地域活性化につながりまっせ。

4.学校の校舎を活用して、公的な塾をするというのはどうでしょう。東京でも試行されてましたが、市の職員を減らすことだけを考えないで、彼らの活用・能力を活かせませんか。学生や地域のボランティア(勿論最低保障は自給1000円、もっと払ってもいいですね)にも参加してもらいましょう。学童保育は復活、夜間中学も復活させ、事情があって中学を終えることができなかった人、日本語を学びたい外国人は喜ぶでしょうね。それらの支払いにも地域マネーを使えるようにしましょう。塾に多くのかねを払っている人は廉価で、学力をつけてくれる「公的塾」はよろこびそうですね(鍼灸の治療を受けているとき
この話をしたらバイトのおばさんは大賛成でした!)。

5.地域マネーは最初に基金として数億円(5億円くらいから出発)を市が銀行に預けますから、地域マネー
で税金や水道・ガス代なども支払うようになると一挙に地域マネーの流通化は進み、地域でそのお金が回ることになりますね。一体、この仕組みでどれほど街が潤うのでしょうか、仮に10万円を地域マネーでもらった女性が買い物をする、商店街の人も換金すると10%損なので、そのマネーを活用するとする  と100(人)X10万(円)X5(回転)=5000万円/月になり、年間で一挙に6億円規模になります。川崎市全体で、100人位の希望者はすぐできるでしょうね。


会計士や財政学の専門家の目からはこの「夢」はどのように見えますか。ご意見をお寄せ下さい。

2009年7月27日月曜日

『世代間連帯』を読んでーこんな夢を見ました

この本は社民党の辻元清美議員と上野千鶴子さんの共著です。
現在の「貧困」「危機」状況をどのように捉え、どのような具体的な政策が可能なのかを考える玉手箱です。私は岩波新書は大体数時間で読むのですが、この本は3日かかってまだ読み切れていないのです。すぐにあれっ、これ川崎で応用したらどうなるんだと考え始めるともう先に進めなくなります。

例えば、「子育て」とファミリー・サポート・センターと地域貨幣のことを考えてみました。
ゼロ歳児は実際に保育園にあずかってもらうこと自体が大変です。ですから待機児童の問題を完全に解決している地域はありません。働いていないと保育園で預かってくれず、預かってくれるところがあれば(それも安く)、保育園に預けて働きたいという女性はますます多くなります。だから「潜在的な」待機児童は地方自治たちが把握しているよりはるかに多いのです。

子供は親の所有物でなく、社会のものだということが本の中で何度も繰り返されます。忙しく苛立っている親よりは、愛情をもって、また専門家の目でみながら接してくれる保育士(他人)の方が子供にとっていいに決まってます。犬を見る専門家は自給3000円で、人間の子供を見る専門家は1000円なのか、上野さん、いいこと言いますね。

私の私案。
1. 市が保育園(認可、公立)を建設して待機児童問題を解決しようとしないで、地域のベテランお母さん、おばさんの自宅で子供を預かってもらうのです(ファミリー・サポート・センター)。でもそれは現行の自給700円ではだめです。最低の1000円は預けたい人が支払い、残り2000円は市が払うのです。その代わり、研修を有料で受けてもらいます。家の改善も必要かもしれません(市が貸し付ける)。即ち、地域の女性に雇用の場を提供するのです。需要に見合う供給は十分でしょう。預けたい女性、働きたい女性は多くいるからです。

2. 市の支払う2000円は建設費を一切払わないで働く人の自宅を活用するのですから、
市が社会の財産である子供の育成のために自給2000円支払うのは安いものです。また働く人はすべて(市の嘱託、あるいは)NPOのスタッフの位置付けにして当然のごとく、社会保険にも加入し、3000円(親から1000円、市から2000円)の中から子供のために保険にも強制加入してもらいます。

3. 自給3000円であれば、1日5時間でも1万5千円、週5日で7万5千円、1か月で30万円になります。これならいいでしょう!

4. ただしNPOは全額を現金で支払わないで、川崎の地域貨幣で払います。女性は地域貨幣で地域で買い物をします。まあ、1000円分でどうでしょうか。

5. 地域の商店街は、その地域貨幣を地元の銀行(大手都市現行ではない)に持っていくと現金を受け取ります。ただし、90%の分だけ、現金化可能にするのです。地域商店街は、地域への社会貢献の心をもって10%の損失を甘受します(その分、税金で特権を受けれるようにする)。

6. 地域銀行は地域貨幣を市に戻し、記された金額の90%分を市から現金でもらいます。市は銀行への手数料として、通常の半額の金利にしてもらいます(銀行も社会貢献してもらわなくっちゃ)。

7. 市(あるいはNPO)は、再び、却ってきた地域貨幣をその額面通り、ファミリー・サポート・センターで働く女性に支払います。市は10%(マイナス銀行への金利分)は利益と捉え、それをさらに限定された投資に使います。

この試案は夢ですが、例えば桜本商店街は地域貨幣の勉強会を始めているとのことです。
地域貨幣はなかなか世界的に成功しているところがすくないのですが、本を読んで考えたこの試案だとどうでしょうか。市の責任、商店街、銀行、子供を預けたい親、働いて収入を得たいと思っている地域の女性、みんなwin-winになりませんか。

このことを考えているとき、もうひとつアイデアが浮かびました。それは子供を預かる女性は自分の子供もまた市からの支援の対象としてお金(現金と地域貨幣)をもらえるのです。だって、子供は社会の宝なんですから。いずれのしても数字の部分は変更可能です。

こんな風にこの本を読んでいるものですから、いつまでたっても先に進まないのです。っみなさんにも是非一読を勧めます。

2009年7月26日日曜日

反省します。

昨日、「共生」批判のブログの内容をMLで送っている市民運動を積極的にされている女性から、崔さんは高尚過ぎてという、お叱りを受けました。

私はすぐに、斎藤純一さんのむつかしい講義内容みたいなものがあったからだと、責任転嫁をしようと思ったのですが(笑)、どうして彼女が私のメールを「高尚過ぎる」と言ったのか思いを巡らし、「スロー都市宣言」と書いたことを思い出しました。

これは、川崎の地下鉄建設で5分くらい早く移動できるということで5000億円もの投資をするのでなく、「スロー」でいいから福祉・介護を徹底的にやるべきだという趣旨だったのですが、「スロー都市宣言」はイタリヤで金持ちが余裕のあるところから始めた「スローライフ」を彷彿させますよね、どうしても。

私の反省は、介護・福祉の充実というレベルでなく、日本の現状はまさに「貧困撲滅」を宣言しなければならないほど深刻だという認識が甘いということです。朝日新聞で森巣博は「投票用紙で武装し、蜂起せよ」(7月23日)というタイトルで、「毎年30万人を軽く超す自殺者および自殺未遂者を生みだしている日本国家の不謹慎ぶりを考えれば、私の不謹慎さ(朝日での彼の寄稿内容を指すー崔)など、それこそ大型液晶テレビのスクリーンの隅っこにひっそりと付着した微小なホコリみたいなものだから」と記しました。

また、『世代間連帯』(上野千鶴子 辻本清美著 岩波新書)を読み、これは「スロー都市宣言」などという地下鉄とからめた言葉遊びをしていてはだめだ、「貧困撲滅宣言」こそ川川崎の市長選にふさわしいと思い至った次第です。みなさん、いかがでしょうか。

2009年7月24日金曜日

衆議院解散にあたってー川崎の市長選に想う(2)

民主党の躍進で政権交代が具体的になるなかで、共産党も立ち位置を変えてきているようですね。自民と民主は同じとしてきたものを、民主と是々非々で、一緒にできることは共同でと言い始めています。確かに、民主には自民よりどうしようもないタカ派がいることは事実です。

今立候補を表明しているのは、阿部と共産党推薦の岡本の二人だけで、これまで与党として自公と一緒に阿部を支えてきた民主は、今回の市長選では態度を明らかにしていません。しかし自公との距離を置くことを宣言した小沢の下で、鳩山代表も政令都市川崎で自公民路線をとることはないと思われます。即ち、民主党の候補を立てると私は見ています。阿部は自公の人気の凋落を見て無所属を強調し、むしろ、中田横浜市長、橋下、東国原たちの「地方分権」派と一緒になって動こうとしています。そうなると民主党候補も簡単には勝てないでしょう。

ということで、川崎の市長選が近づくにつれ、私たちの立場も明確にしなければならないと考えています。私たちの立場を明確にするとは、世の中の「流れ」に乗ってどの党派に便乗するかということでなく、<街作り>の哲学・思想を明確にしていくことだと思うのです。川崎をどのような開かれた街にしていくのか、それは建物や地下鉄というハードと、教育(子育て)・介護・雇用という(女性・高齢者・青年を対象にした)ソフトが一体となったものです。その中心には、これまでの地方自治の仕組みを抜本的に見直し、市民の政治参加による地方自治を作りあげるという大きな目標が据えられるべきでしょう。

そこでは外国人住民の政治参加が保障され、被選挙・選挙権も当然視されるでしょう。地方公務員の国籍条項は完全撤廃され、民族や性、障碍による差別は許されない社会になるでしょう。

大都市東京と横浜の真ん中にあって彼らと同じような発想で川崎の街作りをするのでなく、異常に高い建物があちこちに建設されたでこぼこの景観でなく、5000億円の投資で赤字を垂れ流しわずか数分早く動けるだけの地下道建設をやめ、子育て・介護・雇用に徹底的に力をいれ、住民が人間らしく生きることができる<街作り>をするのです。それを私は世界に向かって発信すべき「スロー都市」宣言としたいと思います。

2009年7月21日火曜日

衆議院解散にあたりー川崎の市長選に想う

川崎の市長選について

第17回川崎市長選挙の選挙期日が決定しています。
選挙期日       平成21年10月25日(日)
選挙期日の告示日   平成21年10月11日(日)
開票日(即日)    平成21年10月25日(日)
衆議院は今日解散し、8月18日公示、8月30日投票ですから、川崎の市長選は9月になってから市民の関心事になるのでしょう。

現在、川崎で立候補を表明しているのは現市長の阿部孝夫と共産党推薦の岡本一の2名です。静岡市や都議選の結果からして国政でも民主党の躍進はほぼ間違いないものとされている以上、政令都市で民主党が自公と一緒になって3期目を迎える今回の選挙をそのままよしとするのかわかりませんが、民主党の前代表の小沢は地方選においても自民党と共闘をしないと明言してきたので、今回は民主党から立候補する可能性は高いとみられます。

私たちは川崎において12年間、国籍条項の完全撤廃を主張してきたのですが、あくまでもどの党派を支援するのかという立場でなく、私たちの主張を理解し、市長になれば、国の「当然の法理」に従わず、地方公務員になった外国人への差別は一切しない(国籍条項の完全撤廃)と宣言してくれる人を支援したいと考えています。念のために、国籍条項を明記したのは「運用規程」であり、その変更ないしは撤廃は市長の専有事項であり、議会の承諾を必要としません。

この間、私たちの学習会で学んできたように、現行の地方自治体の代議員制度をよしとして、外国人にそのシステムに参加する権利を要求する参政権(実際は、被選挙権はなく、北朝鮮を排除することを前提にしている)は、逆に、地方自治の本質的な問題を曖昧なものにすると考えます。

4年に1度選ばれた市議や首長が市民の意向と言いながら自分の好きなようにやっているこの代議員制度を、市民の政治参加と言えるでしょうか。市民の政治参加とは4年に1度選挙に行くことでなく、地域の自分たちの問題を自分で責任をもって意見を戦わせ、予算をとり、自分で決定していくシステムを作っていくことです。そのような地方自治が実現されるならば、そこでは外国人住民もまた、被選挙権・選挙権をもち自ら住民当事者として政治参加していくことになるでしょう。それは市議会を通して条例化されればいいのです。国会で承認を得る必要はありません。

私は、国籍条項の完全撤廃に終わらず、真の開かれた地域社会を求めて、地域住民が政治参加していくシステムを求めることを外国籍住民として、そのようなあり方を求め進めていきたいと考える日本人と一緒になって汗をかく時代が来たように思えてなりません。今回の川崎の市長選はその一歩です。


崔 勝久

2009年7月7日火曜日

川崎市市会議員 猪俣美恵 議会リポート  2009年7月7日

川崎市市会議員 猪俣美恵 議会リポート  2009年7月7日

http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_134.htm

1、 アスベスト対策について
2、 市営地下鉄について
3、 市長出馬要請について
4、 川崎マリエンについて

以上の4点について猪俣議員は核心を衝く質問をしていますが、
市長及び市の官僚はまともな返事ができていません。
どうぞ、各人でご確認ください。

崔 勝久

2009年7月6日月曜日

「共に座る」仲間が与えられんことをー滝澤牧師

日本基督教団 川崎教会の滝澤牧師のメールを
御本人の承諾を得て公開させていただきます。
5日の礼拝の中で語られたメッセージを、岩崎さんたちの
ブックガイドで記された私たちの本へのコメントを受け止め、
送って下さいました。

今後さらに「共に座る」仲間が与えられんことを祈るばかりです。

崔 勝久

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昨日(5日)の川崎教会の礼拝説教の中で、
主題の補足として取り上げたのは詩篇133編でした。

「見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、なんという喜び。」

必要なことは、「一緒に座る」というただひとつのことだ、と。
必ずしも仲良しではない、よく知っているとは限らない
あるいは、知っているつもりで実は知らないこともある。
でも、一緒に座る場所がある。それが恵みであり喜びなのだ、と。

語りたかったことは「隣」という無限の可能性でした。
ただ、教会というコンテクストの中では気をつけないと「信者」という「ペグ・コミュニティ」に留まらせてしまう危険をもっていると感じていました。

まさに、この対談で岩崎さんが語られている通りです。

この「恵み、喜び」は決してペグ・コミュニティに留まるものではないのです。
「隣」という無限の可能性の中に、私たちの「神の国」はある。
しかも、それが現実のわたしたちの営みの中に戸口を開いている。

> 戦後の左派はかなりの部分、逆境になればなるほどペグ・コミュニティにとりついてしまうものだから、結局は党派的になって、自分たちだけが純粋になって安心してしまうということが繰り返されてきた。

これは「教会」と置き換えても当てはまります。
事実として。
でも、だからこそそれが突破口になる可能性も持っている。

わが意を得たり! です。

『21世紀を生き抜くためのブックガイド』「新自由主義とナショナリズムに抗して」より

私たちが昨年出版した『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(崔勝久・加藤千香子編著、新曜社)に対するコメントが、岩崎稔・本橋哲也編『21世紀を生き抜くためのブックガイド』(河出書房新社)で紹介されています。国会議員のブログや大学のサークルでも読まれていることがネットでわかり、喜んでおります。

Cultural Typhoonで韓国の研究者とも意見交換しましたが、これをきっかけにして「多文化共生」を賛美するだけでなく、批判的に検証する作業を、実践と学問の両面から進めていければと願っています。立命館大学では、韓国の安山と川崎を比較研究した論文を出しています(http://homepage.nifty.com/tajimabc/new_page_171.htm)。

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崔 勝久
SK Choi

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     『21世紀を生き抜くためのブックガイド』
  新自由主義とナショナリズムに抗して(P236~238)
岩崎稔・本橋哲也編 河出書房新社2009年4月30日

民主主義の核心的な経験とは
岩崎 内省する左派文化という点では『日本における多文化共生とは何か』(新曜社)を挙げたいんです。地味な作りの本ですが、あるシンポジウムの記録です。著者のひとり、朴鐘碩(パク・チョンソク)さんは、70年代前半の、在日朝鮮人に対するあの日立就職差別事件の原告でした。彼はこの本の中で、自分の在日としての意識が明確になったのは日立闘争の中でだったと語っていますが、問題はそこで終わっていない。日立の正社員になっても、労働組合と会社の結託の中でほとんど発話できない「社畜」にされている。彼は悩んだ末に再びその問題と対決するわけです。確かに日立闘争は1970年代輝かしい成果です。しかし、そういう運動の経験が、民族差別を克服したという神話になってしまわないで、もっと複雑な運動の経験としてさらに掘り下げられている。この本の中心にいるのは崔勝久(チェ・スング)さんですが、彼の民族の問題を等身大の課題として具体的に考えていく姿勢に共感しました。

本橋 民主主義というのは、まずもって私たち自身が自らの言葉で自分の権利を主張し、他者のそれを含めてそれを守るということですね。そこで当然、重要になってくるのは他者の言葉に耳に傾けること。上野千鶴子さんがこのところ言われている「当事者主権」というのは、上野さんご自身民主主義の一つの鍵のようなものだと思うのですが、それに触れて伊藤晃さんがこの本の中で短いコメントを書いておられる。つまり、当事者主権が重要なのはもちろんだが、一方、その当事者の周りにはたくさんの普通の人々がいる。そういった人たちをもう一方の当事者として、どうやって共生していくのかを考えないと、民衆運動は拡がらないし、民主主義は成熟しない。この指摘はとても大事だと思いました。

岩崎 先ほど民主主義の革新的な経験は、異なった人と隣り合ってそこにいるということなんじゃないか。そういう《開かれ》の経験がない限りは、主観的な一体性の中に閉じこもってしまう危険性がある。ジグムント・バウマンが「ペグ・コミュニティ」ということを言っていますが、自分を安全な場所に引っかけて、ペグ、つまり鉤となる一体性に逃げてしまう可能性もあるわけです。戦後の左派はかなりの部分、逆境になればなるほどペグ・コミュニティにとりついてしまうものだから、結局は党派的になって、自分たちだけが純粋になって安心してしまうということが繰り返されてきた。

「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」に参加してー朴鐘碩

東京外大で開かれたCultural Typhoonに参加した
朴鐘碩の感想文をお送りします。
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」HP掲示板より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html

これをきっかけにして、「多文化共生」のもつ意味について
意見交換をさせていただければ幸いです。韓国の研究者の
方は韓国語でも結構です。できればそれらの多様な意見を
MLやHP上で公開し、共有化させていただければ幸いです。
http://anti-kyosei.blogspot.com/
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崔 勝久
SK Choi


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「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」に参加して      朴鐘碩

7月4日、東京外国語大学(TUFS)で「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」(掲示板NO.245)が開かれました。

主催準備した山内さんは、「在日」の中の多様で「日立就職裁判をはじめたとき、私(朴鐘碩)にはIdentityがなかった」と話していました。「民族」について全く無知であった私が高校卒業して間もなく、19歳で始めた3年半に亘る「日立就職差別裁判闘争」の記録(DVD20分)が放映され、続いて私、崔勝久、番匠健一、山内明美4人のパネラーが与えられた課題に従い、各15分発題しました。

当初、予定時間は(14:30~16:10)100分でしたが、参加者(25~30名)から多くの質問・意見・感想が出され、最終的には3時間半のディスカッションになり、18:00頃終了しました。

参加者は、差別・人権・多文化共生について関心を持つ(海外からの)学生・大学教授が大半を占めていましたが、行政機関に携わる職員もいました。

山内さんは「大変有意義なパネルになりました。会場からの質問やコメントも途切れることがなく、こんな学会ははじめてでした。とても嬉しかったです。」と嬉しい悲鳴を語っていました。

私が、気付いた主な内容は、戦後、外国人を多くの職場(分野)から排除している(川崎市をはじめとする自治体、日本学術学会の)「当然の法理」は、ナショナリズムと繋がっています。しかし、多くの知識人・文化人はじめ日本人は知らない、(戦争責任を)問うこともなかったという事実が提起され、日本の思想を支配し、外国人を排除している「当然の法理」を問う必要がある、と思いました。そのためには、10月に予定されている川崎市長選で、「当然の法理」を理由に職務制限している阿部孝夫市長の3選を阻止し、市民が主体となって「運用規程」を廃棄する候補者を擁立する必要があります。

「日立闘争」(DVD)の記録にもありましたが、当時20歳足らずの生意気な私は、共に闘う日本人青年を「糾弾」しました(自分を問うことなく、糾弾すればするほど自分が日本人に甘えていることに気付いた、という苦い経験を何度もしました)。彼らは、沈黙しましたが、生き方を問い、共に緊張関係を維持し、「日立闘争」を続けること、議論を継続しながら克服してきました。

この分科会に参加した海外(オ-ストラリア)に住む(日本人)女性は、「糾弾されると、何故、日本人はものが言えなくなるのか?沈黙するのか?」という素朴な問いかけがありました。また「運動の中で日本人は糾弾されなければ分からないこともあります。その中で変わる人もいます。糾弾は必ずしも悪いことではない」と語っていました。「糾弾」は、対話を継続しなければ意味がないように思います。

私は、先輩から厳しい「糾弾」(批判)を受け、反発もしました。しかし、無知な私には謙虚に素直に批判を受け止め、自分から始めた、生き方が問われた「日立闘争」を続けるしかない、と思いました。「日立闘争」から多くを学びましたが、これが私にとって一番大きかったような気がします。

「人権・共生」の街と知られる川崎は、他自治体に比べれば先進的な自治体であるというイメージを持っていた。しかし、「今日、川崎の実態を聞いて、驚くと共に認識を改めなければならないと感じた」参加者が多かったのではないかと思います。また、多くの人たちが川崎の実態を知るためにもフィールドワーク(掲示板NO.234参考)に必要性を感じ、「是非、実現してほしい。参加したい」という積極的な意見も出ました。

最後に参加した加藤千香子(『日本における多文化共生とは何か』編者)横浜国立大学教授は、「日本人として、朝鮮人として、また、単純に違いは違いとして認め合うというより、人間として現実に直面している具体的な課題とどう向き合うのか、真摯に継続的な対話が必要である」とコメントいただきました。

参加者の皆さんから貴重な意見・感想を戴きました。ここに紹介することはできませんが、今後、意見交換することが確認されました。

Happening at the Welcome Party
予定が大幅に遅れた分科会終了後、Welcome Partyに参加しました。そこで思いもしなかったhappeningが起こりました。

海外からの教授・学生を含め、多くの参加者(200名程?)がいる中、主催者実行委員である岩崎稔東京外国語大学大学院教授から、「70年代の日立闘争の朴さんから挨拶お願いしたい」と頼まれました。

司会者の方は、英語通訳していましたが、4月Auckland(NZ)でEnglishを学んだ(3Wの)経験を試すチャンスと考え、自己紹介と『日本における多文化共生とは何か』を下手なEnglishで紹介、挨拶しました。(通じたかどうかわかりません。皆さん笑顔を浮かべていました)
紹介したせいなのか、Party会場で本と資料を販売できました。

「日立就職差別闘争」のDVDは、是非ほしい。今のこの社会状況だからこそ、学生たちに見せてやりたい、と数名の教授から話を伺うことができました。

40年近く経過した今、横浜国立大学に始まった講義で学生たちは、教材にした「日立闘争」に関心を示しています。本当に驚くばかりです。

2009年7月3日金曜日

上野千鶴子さんの発題についてのコメントー検索で見つけたブログより

『日本における多文化共生とは何か』の検索から
菊池浩平さん(千葉大学大学院課程に在籍、言語学者)のブログに
出会い、私たちの本について学習会を持たれたことを知りました。
そこで上野さんの発題についてのコメントがありました。
やはり見る人は見ているのですね。

さっそくメールを出し、勉強会に呼んでいただければ、みなさんと
意見の交換をしたいとエールを送りました。
実現されればいいのですが・・・

崔 勝久

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「勉強会の第4回.『日本における多文化共生とは何か』をようやっと読み終わりました.本書の内容についてはいろいろな理解があるはずですが,個人的には,日本人 vs. 外国人のような二項対立の構図を「当事者」という枠組を持ち込むことによって組み換えることが可能なはずだし,そうすることが重要であるというふうに理解しました.」

中略

「留意しておく必要がある重要なポイントだろうと感じたのが,最後の章で上野が指摘していたこと.すなわち「共生」や「多文化共生」は某かの実体が伴っているわけではなく,文脈や意図によってどうとでも定義・運用が可能な,それ自体は空虚な概念である(ここらへん,構築主義の武器はやっぱり重要だなぁと改めて思った)ということです.だとすれば,私たちが考えないといけないのは自分たちの考える「共生」や「多文化共生」が,知らない間に意味をすり替えられていたり,誰かに占有されていたり,それを押しつけられたりすることに対して,まずは「嫌だ」とか「おかしい」とかの意思表示することなのだろうと思います.」

Practical website
「多文化共生」の勉強会 第4回[reviews]
http://dormouse.oops.jp/logs/archives/2009/06/10-220940.html

「共生」についてー松浦大悟、参議院議員のブログより

「共生」についてー松浦大悟、参議院議員のブログより

ネットサーフィンをしていて松浦大悟の公式ウエブサイトを偶然に見つけました。
民主党の参議院議員の松浦大悟氏が『日本における多文化共生とは何かー在日の経験より』を読んだ感想をブログに記しています。
(http://www.dai5.jp/cgi/blog2/blog.cgi/permalink/20090611003502#)

「多文化共生の取り組みにおいて重要なのは、当事者の声に呼応した政策になっているかということ。国家の都合だけを押し付けることを「共生」とはいわない。」
正確「共生」の問題点を理解されているように思います。一度、お呼びして意見交換をさせていただきたいですね。

崔 勝久

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「共生」とは、異なった背景をもつ者同士が、お互いを尊重し、違いを認め合うこと。決して「同化」や「排除」のことではない。ましてや、日本に役立つ外国人とそうでない外国人を選別することではない。

80年代に「多文化主義」の考えが日本に導入されたとき、「共生」という言葉はマイノリティにとっての叫びだった。日本の中でのマイノリティである外国人が、まさにマイノリティの当事者として、日本社会の生きにくさについて異議申し立てを行っていったのだった。こうした歴史が「共生」の起点であると本書はいう。

90年代、それが行政の政策の言葉に置き換わっていった。

多文化共生の取り組みにおいて重要なのは、当事者の声に呼応した政策になっているかということ。国家の都合だけを押し付けることを「共生」とはいわない。

2009年7月2日木曜日

「ものが言えない企業社会」ー日立の現場からー朴鐘碩

「ものが言えない企業社会」

4月の職制変更により、私がいるグル-プは別の職場に異動しました。
 職場が変われば、職場区と組合員構成も異なります。ところが異動した組合員は、組合に自己申告していないのに、評議員から異動通知が知らされます。「評議員(組合)は、どのようなル-トを通じて組合員の(職制)異動を知ることができるのか?」と疑問に思い、質問したのですが、回答はありません。

 私は、組合(執行部)の問題点・矛盾を指摘し、質問・意見をe-mailで組合員にも展開してきました。しかし、今回職場が変わり、評議員はBCCで情報伝達するようになりました。私の質問・意見が組合員に展開されることを防止するためのようです。組合員が意見交換できるように組合員のアドレスを展開するように要求していますが、拒否しています。(組合員はさらにものが言えなくなります)
 
 議案・方針などが掲載された、日立労組機関紙(「HITACHI UNION NOW」組合員の購読料は組合費に含む。1部6円)、「処遇制度に関する意識調査」など「職場討議資料」が組合員の不在時(を狙って)、机上に配布されます。(機関紙は、発行日から2W以上経過している)

 組合から、資料に関する説明は一切ありませんが、「ご意見・ご要望がありましたら、以下の期限までに返信をお願いいたします」(質問は受け付けない)というmailがBCCで評議員から組合員に展開されます。
 組合(幹部)は、内容も説明せず、一方的に資料を配布し、何も知らされない、理解していない組合員(評議員も内容を理解できず、説明できない)に「意見・要望を求める」行為は、あまりにも横暴であるとしか、言いようがありません。IBM事件を教訓にした日立製作所のスローガン「基本と正道」、また「民主主義の原則」に反します。

 また、機関紙に掲載された日立労組の「議案・方針」は既に「結論」になっています。このようなやり方に組合員は、「説明もなく、勝手に結論を提示しておいて意見・要望を求めるとはどういうことか?順序が逆だ!」と疑問と反感を感じるものの、業務(優先)に追われて(疲れて)、質問もできません(できない職場環境になっている)。ですから敢えて「意見・要望」を提出する組合員は皆無です。

「結論」を出しておきながら、何故、組合は組合員に「意見・要望」を求めるのか?
「意見・要望」はどこに反映するのか?
何故、組合は組合員に「職場討議資料」(議案・方針)を一切説明しないのか?
日立労組中央本部が発行した機関紙に「職場討議資料」と書かれているのに、組合員が自由に意見交換(職場討議)できる場を設定しないのか?
労使一体で従業員にものを言わせない職場環境を作っておきながら「意見・要望は出ない」ことを前提に、敢えて「意見・要望」を求める組合(幹部)の意図は何か?など多くの疑問を感じています。

組合員35,000人から集めた莫大な組合費はどこに使われているのでしょうか?
日立労組は、組合員から組合費を強制徴収し、組合幹部への報酬はじめ一部の組合員を対象に(海外)旅行、ゴルフ、ボ-リング大会などの親睦活動にも使っています。しかし、幹部の一人は「組合は親睦会ではない」と明言しています。

今回に限らず2009春闘も組合員への事前説明は一切無く、ワ-クシェアリングを名目に1日/月の休日増加、基本給と賞与カット(することによりどれだけの赤字が補填できるのか具体的数字は示さない)は、組合員だけでなく管理職も疑問を感じたのですが、「世界不況、7500億円赤字、談合・冷蔵庫不正表示による公取委からの営業停止処分などの不祥事」が続き、誰もが沈黙するしかない雰囲気です。「賞与が出るだけでもいい」と(本音を)漏らす管理職もいます。

しかし、親会社である日立製作所に追随したようですが、関連会社の中には「休日は無く基本給カットされた」会社もあると聞いています。親会社が休日でも、関連会社従業員が出勤しますから、日立製作所の生産工程への影響、リスクは少ないことになります。
つまり、関連・下請・子会社の従業員の(献身的な)犠牲の上に親会社・日立製作所の損益・技術は支えられていることにもなります。

日々エンジニアである彼(女)らが、必死に魂を仕事(技術開発)に打ち込んでも、おかしいことはおかしいと率直にものが言えない企業社会(組織)は、様々な不祥事を起こします。

(日立製作所の)労使協調・協創のあり方に日々疑問を抱き、積極的に質問・要望・意見を組合(幹部)に提言していますが、完全に無視されているのが現状です。

朴鐘碩

「Cultural Typhoon」案内

「Cultural Typhoon 」案内

日時 2009年7月4日(土) 14:30~16:10 room 213
場所 東京外国語大学府中キャンパス
    JR中央線武蔵境駅から西武多摩川線に乗り換え多摩駅下車
http://cultural-typhoon.org/
 
「共生」の政治学 - 川崎から –

神奈川県川崎市は、日本最大級の臨海開発地であり、また外国人労働者の街としても知られている。いま、この地域に住む人々から「〈多文化共生〉とは何か」という問いかけがはじまっている。90年代以降〈共生〉は、地方自治のキーワードとして広がりを見せているが、この現象はネオリベラリズムと癒着し、「公的な自由」の空間を喪失させ、集会などがつぶされていく現実を展開させている。本パネルでは、川崎を具体的事例として取りあげ、〈共生〉をめぐって引き起こされて来た諸問題を検討し、新たな運動の可能性を探る。

1.日立で働きつづけて
日立製作所勤務 朴 鐘碩

2.川崎の「多文化共生」政策の実態について
  元社会福祉法人青丘社主事 崔 勝久

3.多文化主義言説と<新>植民地主義
              番匠 健一

4.“当然の法理”とは何か?
一橋大学大学院言語社会研究科 山内 明美