2009年7月6日月曜日

「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」に参加してー朴鐘碩

東京外大で開かれたCultural Typhoonに参加した
朴鐘碩の感想文をお送りします。
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」HP掲示板より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html

これをきっかけにして、「多文化共生」のもつ意味について
意見交換をさせていただければ幸いです。韓国の研究者の
方は韓国語でも結構です。できればそれらの多様な意見を
MLやHP上で公開し、共有化させていただければ幸いです。
http://anti-kyosei.blogspot.com/
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崔 勝久
SK Choi


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「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」に参加して      朴鐘碩

7月4日、東京外国語大学(TUFS)で「Cultural Typhoon in Tokyo 2009」(掲示板NO.245)が開かれました。

主催準備した山内さんは、「在日」の中の多様で「日立就職裁判をはじめたとき、私(朴鐘碩)にはIdentityがなかった」と話していました。「民族」について全く無知であった私が高校卒業して間もなく、19歳で始めた3年半に亘る「日立就職差別裁判闘争」の記録(DVD20分)が放映され、続いて私、崔勝久、番匠健一、山内明美4人のパネラーが与えられた課題に従い、各15分発題しました。

当初、予定時間は(14:30~16:10)100分でしたが、参加者(25~30名)から多くの質問・意見・感想が出され、最終的には3時間半のディスカッションになり、18:00頃終了しました。

参加者は、差別・人権・多文化共生について関心を持つ(海外からの)学生・大学教授が大半を占めていましたが、行政機関に携わる職員もいました。

山内さんは「大変有意義なパネルになりました。会場からの質問やコメントも途切れることがなく、こんな学会ははじめてでした。とても嬉しかったです。」と嬉しい悲鳴を語っていました。

私が、気付いた主な内容は、戦後、外国人を多くの職場(分野)から排除している(川崎市をはじめとする自治体、日本学術学会の)「当然の法理」は、ナショナリズムと繋がっています。しかし、多くの知識人・文化人はじめ日本人は知らない、(戦争責任を)問うこともなかったという事実が提起され、日本の思想を支配し、外国人を排除している「当然の法理」を問う必要がある、と思いました。そのためには、10月に予定されている川崎市長選で、「当然の法理」を理由に職務制限している阿部孝夫市長の3選を阻止し、市民が主体となって「運用規程」を廃棄する候補者を擁立する必要があります。

「日立闘争」(DVD)の記録にもありましたが、当時20歳足らずの生意気な私は、共に闘う日本人青年を「糾弾」しました(自分を問うことなく、糾弾すればするほど自分が日本人に甘えていることに気付いた、という苦い経験を何度もしました)。彼らは、沈黙しましたが、生き方を問い、共に緊張関係を維持し、「日立闘争」を続けること、議論を継続しながら克服してきました。

この分科会に参加した海外(オ-ストラリア)に住む(日本人)女性は、「糾弾されると、何故、日本人はものが言えなくなるのか?沈黙するのか?」という素朴な問いかけがありました。また「運動の中で日本人は糾弾されなければ分からないこともあります。その中で変わる人もいます。糾弾は必ずしも悪いことではない」と語っていました。「糾弾」は、対話を継続しなければ意味がないように思います。

私は、先輩から厳しい「糾弾」(批判)を受け、反発もしました。しかし、無知な私には謙虚に素直に批判を受け止め、自分から始めた、生き方が問われた「日立闘争」を続けるしかない、と思いました。「日立闘争」から多くを学びましたが、これが私にとって一番大きかったような気がします。

「人権・共生」の街と知られる川崎は、他自治体に比べれば先進的な自治体であるというイメージを持っていた。しかし、「今日、川崎の実態を聞いて、驚くと共に認識を改めなければならないと感じた」参加者が多かったのではないかと思います。また、多くの人たちが川崎の実態を知るためにもフィールドワーク(掲示板NO.234参考)に必要性を感じ、「是非、実現してほしい。参加したい」という積極的な意見も出ました。

最後に参加した加藤千香子(『日本における多文化共生とは何か』編者)横浜国立大学教授は、「日本人として、朝鮮人として、また、単純に違いは違いとして認め合うというより、人間として現実に直面している具体的な課題とどう向き合うのか、真摯に継続的な対話が必要である」とコメントいただきました。

参加者の皆さんから貴重な意見・感想を戴きました。ここに紹介することはできませんが、今後、意見交換することが確認されました。

Happening at the Welcome Party
予定が大幅に遅れた分科会終了後、Welcome Partyに参加しました。そこで思いもしなかったhappeningが起こりました。

海外からの教授・学生を含め、多くの参加者(200名程?)がいる中、主催者実行委員である岩崎稔東京外国語大学大学院教授から、「70年代の日立闘争の朴さんから挨拶お願いしたい」と頼まれました。

司会者の方は、英語通訳していましたが、4月Auckland(NZ)でEnglishを学んだ(3Wの)経験を試すチャンスと考え、自己紹介と『日本における多文化共生とは何か』を下手なEnglishで紹介、挨拶しました。(通じたかどうかわかりません。皆さん笑顔を浮かべていました)
紹介したせいなのか、Party会場で本と資料を販売できました。

「日立就職差別闘争」のDVDは、是非ほしい。今のこの社会状況だからこそ、学生たちに見せてやりたい、と数名の教授から話を伺うことができました。

40年近く経過した今、横浜国立大学に始まった講義で学生たちは、教材にした「日立闘争」に関心を示しています。本当に驚くばかりです。

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