2010年12月31日金曜日

今年最後のメッセージ、「労働者にものを言わせない「企業内植民地主義」 朴鐘碩

みなさんへ

いよいよ今日は大晦日、速かったですね、この1年。
来年定年を迎える日立の朴鐘碩が、「外国人への差別を許すな・
川崎連絡会議」HPの掲示板に、今年最後のメッセージを発しています。
彼の報告をみなさんにお知らせして、ことし最後のメールにいたします。
どうぞ、よいお年をお迎えください。

崔 勝久
SK Choi

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労働者にものを言わせない「企業内植民地主義」 朴鐘碩
2010年12月31日

日立製作所労働組合は、2010年12月、「2011年春闘の基本方針」(機関紙)を組合員に配布した。また私が属する支部は、来年4月実施の統一地方選挙で同地区の組合書記長を横浜市会議員候補として「委員会で擁立を確認」し、その「組合ニュ-ス」を無言(説明なし)で組合員に配布した。

「春闘の基本方針」を決めた中央執行委員会は、「委員会で議案の提案、審議の全会一致」「職場組合員の意見収集等を行ってきた」「組合員からの意見にも配慮がなされている」と見解を機関紙に載せている。これを読むと、日立労組は組合員の意見を反映する「民主的な組織」であると誤解する。

書記長が市会議員に立候補することは、組合員は全く知らないことであり、「関心もない、どうでもいい」ことである。個人で立候補すればいいことであるが、組合費を使っている。組合員に情報を隠蔽し、結論だけ通知する「組合ニュ-ス」は、「候補者支援の入会申込書」まで付いている。さらに組合掲示板には候補者のポスタ-まで貼ってある。

「春闘の基本方針」は、「委員会で議案の提案、審議の全会一致」したこと、つまり、これも「結論」だけが組合員に通知される。「職場組合員の意見収集等を行ってきた」「組合員からの意見にも配慮がなされている」ことは、一切ない。

組合員たちは、職場で何も話し合っていない。(事前に会社側と協議した内容を)執行部役員は、議案、方針とする。組合の活動、運営に都合のいい、何も言わない、えない、指名されて「選ばれた」評議員が集まる「評議員会」で「全会一致」となり、執行部の意向がそのまま反映され承認される。執行部への批判、反論は一切ない。

組合員に議案、方針の説明はなく、組合員不在時に「組合ニュ-ス」、機関紙が机上に置かれる。「組合ニュ-ス」、有料の組合機関紙は読まれることなく、そのまま廃棄処分になる。私は、質問、意見を執行部、評議員、組合員に送っている。私のe-mailを読んで、チラシ、機関紙の内容を確認する組合員も時々いる。
私のe-mailを読まない組合員も数名いるが、ほとんど読んでいるようだ。質問、意見を出しても、執行部から回答はなく無視されているのが現状である。

執行部は、結論だけを組合員に押し付ける。何も知らされないし、話し合うこともない。理由を明らかにせず、執行部は職場集会を中止(私が職場で大きな声で質問、意見、組合を批判したから?) して 10年以上になる。執行部(と経営者幹部)は、組合員にものを言わせない。元組合員であった経営者幹部、管理職は、このような事実は十分承知しているが、「組合のことだから。何も言えない。わからない。知らない。」とうそぶいている。組合員がものを言う、話し合う場はない。つまり、戦後、65年経過するのに企業社会に「言論の自由」はない、ということになる。こうした状況(日常)は2011年も続くだろう。

組合員は、毎月、半日分の労働時間を組合費として強制的に給与天引きされている。ものが言えなくても、家族のため、自分のため、生きるために我慢して、組合員は働いている。ものが言えなくても、労働者は、企業社会で「生活できる」。組織に問題、矛盾があっても、沈黙し自分だけは長生きしたい、と思うのが本音かも知れない。

企業社会、組織で人間らしく生きるとはどういうことなのか、問われ、悩み続けた2010年だった。おかしいことはおかしいとものを言わせない、抑圧的な経営(環境)は、労働者に重くのしかかり精神を蝕む。(民族)差別、排外主義を生み出している。

果たして企業社会に民主主義は生まれるか、脱「企業内植民地主義」を目指して、定年退職する予定の2011年も「続日立闘争」は続く。

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」掲示板より、
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html

2010年12月30日木曜日

今年一年の、文字通りの総決算の論文をお送りします。

今年の私のブログのなかで一番反応が大きかったのが、「個人史―私の失敗談(その6、全てを失い新たな旅路へ)」でした。
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/10/blog-post_18.html)

その失意と新たな決意のなかで今年最後に書いた論文が『季刊 ピープルズ・プラン』52号で掲載されました。http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage29.html
「民族差別とは何か、対話と協働を求める立場からの考察」というタイトルは、今の私の正直な気持ちを表したものです。ご一読いただき、御批判や御意見をいただければ幸いです。


昨夜は、妻と銀ブラを楽しみ、カンヌ賞をとったドイツ映画の「白いリボン」を鑑賞し、俳優の息子のバイト先で食事をしました。「白いリボン」は白黒の写実的な描写で、背景と人の心理を描ききります。戦前のドイツの片田舎で起こった事件が次から次と展開されるのですが、家父長制社会の実態、その中での女性の位置、性差別、階級社会の実態(農民と男爵)を何の感傷もなく暴き、その不気味さがナチスドイツの戦争の始まりの告知と見事に一致しています。「善き人のためのソナタ」で好演した俳優も出ており、子供たちの演技もすばらしかったです。何よりも脚本と監督のミヒャエル・ハネケの社会と人間を見る冷徹な目には感心しました。来年の1月16日までテアトル銀座でやっています。どうぞご鑑賞ください。

ついでに食事をされる方には、女性客が8割という韓国料理店を紹介します(千山苑、http://r.gnavi.co.jp/e083200/)。サイ・ホージンに会いたいと言っていただければ何かサービスがあるかもしれません(笑い)。

映画と言えば、加納美紀代さん原作の「青燕」、戦前日本でパイロットになり箱根で死んだ韓国人女性の話で日本でもDVDをご覧になることができますが、愚息はその映画で司会役として好演しています。

同じく韓国俳優が熱演する「力道山」もDVDでの鑑賞をお勧めします。村松友視『力道山がいた』(朝日文庫)がプロレスファンとして、最後に力道山が朝鮮人であることをどのように受けとめたかを感動深く書いていますが、その実態を映画はしっかりと描き出しています。正月休みにどうぞ。ついでに、亡くなった私の父は、力道山と同郷(北朝鮮)で、彼の相撲時代からの谷町の一人でした。ボクシングオーナーとしての父を力道山は兄さん、兄さんと呼んでいたことを今も鮮明に覚えています。戦前、戦後を生き切った「在日」のしたたかな面、ダーティな部分と人間臭さをぷんぷん匂わせていた一世たちです。

私は「在日」2世として、正面から日本社会の「変革」に挑戦していくつもりです。みなさんの温かいご支援とご協力をお願いします。今年も後2日、どうぞよい正月をお迎えください。これが今年最後のメッセージです。来年もよろしくご愛読ください。


崔 勝久

2010年12月24日金曜日

Merry Christmas & A Happy New Year!



Merry Christmas & A Happy New Year!

今年はお世話になりました。心から感謝いたします。おかげさまで、期せずして、自分のやるべきことに没頭できるようになりました。

今日は休日、クリスマスを前にして聖書に関する本を紹介します。
本田哲郎『聖書を発見する』(岩波書店)と
田川建三『イエスという男』(作品社)の2冊です。

田川さんの本は「逆説的反抗者の生と死」について世界的な聖書学者が記したもので、漠然とキリスト教にロマンチックなイメージをもっている人は、彼の描くイエス像に驚くでしょう。「存在しない神に祈るーシモ―ヌ・ヴェーユと現代」『批判的主体の形成』(洋泉社)は、上野千鶴子さんが何かのあとがきで社会を変えたいという熱い想いを持ちつつ「自分は祈らない」とあった内容と通底しています。

本田さんはSPYSEEでは、「大阪釜ケ崎にて,日雇労働者に学びつつ聖書を読み直し,また「釜ケ崎反失業連絡会」などの活動に取り組んでいる」と紹介されています。もっともオーソドックスな神信仰の上で現実の釜ケ崎から「いちばんちいさくされた者とはだれか」「どこに立って聖書を読むのか」を問い、圧倒的な説得力をもって人間としての生き方を説きます。

「罪からの救い」を求めるクリスチャンにとっては受け入れがたい立場でしょうが、本田さんは自分の実存を賭けて聖書を読み解きます。そこまでいくと、カソリックやプロテスタント、いや宗教の枠さえ超えて訴えるものをもちます。お二人の健康を願い、後世に残る著作の完成という大業が成就されることを祈るばかりです。

みなさんはクリスマス祝会をもたれるのでしょうか。みなさんのご健康と、ますますのご活躍を祈ります。来年はお互い、少しでもよりよい社会に向けて歩めますように。よいお年をお迎えください。

メリークリスマス!


崔 勝久
SK Choi

「植民地主義」研究会に参加してーその2   朴鐘碩

「植民地主義」研究会に参加してーその2 朴鐘碩

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」HP掲示版より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.htm

思い出深い、研究会でした。

西川長夫教授は、青年、学生たちが不況社会でどのような生き方をするのか、展望は持てるのか、重要な課題であると思われたようです。「この問題は奥が深い。考えれば考えるほど行き詰まって泥沼に入る。出口が見つかるのか。参加した学生、若い人たちの声、感想を聞かせて欲しい。」と語られていました。

加藤千香子教授は、「続日立闘争」と「植民地主義」との関係に注目されたようです。

翌日、西川長夫教授は、19歳で始めた裁判に触れ、「よく学生たちに声をかけたね。学生たちもよく応えた。」と笑顔で話され、「今の時代だったら裁判できたかどうか?わかりません。」と当時を思いながら私は応えました。

西川先生ご夫妻、パ-トナ-の大学時代の友人2人、それに私たち6人で昼食を共にしました。友人とパ-トナ-は、このような機会が得られたことを喜んでいました。研究会に参加した友人は、「昨日、学生たちは身を乗り出すように真剣に聞いていましたね。今の世の中、学生の就職は深刻な問題です。パクさんの話と本(「日本における多文化共生とは何か」)を読んで「多文化共生」の意味が理解できました。とても分かりやすかった。パクさん変わりましたね。」と感想を語ってくれました。

西川祐子さんは、「長夫さんの理論は、現場で鍛えられる必要があると思います」と述べられていました。2日間でお別れするのは辛い京都での研究会でした。
私は、研究会で学んだことを支えとして、新たな気持ちで翌日から現場に向かいました。

現場は、日立労組が組合員の声も聞かず、すでに「2011年春闘の基本方針」を決めていました。相変わらず組合員に説明せず、組合員が不在時、机上にチラシ置いていました。それでも組合員は沈黙しています。企業内植民地主義は、待ったなしで容赦なく、ものが言えない労働者に重くのしかかっています。

2010年12月23日木曜日

崔さん、情報ありがとうございます。

さすがに健康に関する関心は高いようで、TMさんから以下の
メールをいただきました。

坂内さんからは、「大事な本紹介いただき有難うございました。」
という『あなたの癌は、がんもどき』についてのメールがありました。
また、香港のICさんからもからも「この本面白そうだね」という
コメントをいただきました。

今朝は、若い研究者のメールで、ノロウイルスで気分が悪くなった
とありました。くれぐれも解熱剤やその他の薬を一緒に呑まないように。
近藤誠によると、ワクチンも絶対的なものでなく、若干の「有効性」は
あっても、「有用性」には疑問とあります。ワクチンは翌年にはもう
効かず、免疫性を持てなくなるので、子供や老人に流行りだと言うので
ワクチンに頼るのは止めた方がいいようですよ。

ワクチンはタンパクから作るので、アレルギーを起こす人もあるようです。
特に小さなお子さんをお持ちの方は、子供は40度(正確には41度)の
熱であれば脳は大丈夫だそうなので、慌てて解熱剤や医師の言うとおり、
なんでも薬に頼るのは止めましょう。

それではみなさん、年末、呑みすぎないように、お体には注意しましょうね。

崔 勝久

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崔さん、情報ありがとうございます。

コレストロールや血圧については医師の浜六郎さんも本で指摘してますね。

「コレステロールに薬はいらない!」読書メモ
http://tu-ta.at.webry.info/200812/article_5.html
から
==
コレステロールを薬で下げなければならないようなことはほとんどなく、コレステロール値が240~260の人が最も健康で長生きでき、薬で無理に下げると、免疫力が低下し、かえって死亡率が高くなるという話。この値は要治療とかの基準で薬を売りたい製薬業界を儲けさせているという指摘
===

2010年12月22日水曜日

近藤誠『成人病の真実』のお薦めーこれは絶対です!

先週、近藤誠の癌に関する新書の紹介をしました(「近藤誠は生きていた!-「がんもどき」理論の最終見解について」http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/12/blog-post_17.html。
私自身の体調がよくなく(何故か、血圧が高くなった)、2週間、降圧剤を呑むなかで、改めて近藤誠の成人病に関する本を読みました。癌と合わせ、成人病の本は是非、みなさんにお薦めします。この休みの間にお読みください。これほど「役に立つ」本はありません!

近藤誠の主張は明確で揺るぎがありません。私たちがもたされていた「病」についての誤った情報、それに基づく考え、行動に警鐘を鳴らします。彼の思いとか、主張でなく、大変実証的で、実際の内外の学術論文の分析から始まり、その誤謬を指摘し、データの正しい読み方を説明する論理的(科学的)なものです。ちなみに、医師は薬品会社のパンフは読んでも、臨床に忙しく不勉強なのです。ですから医者だからといって出す薬をそのまま信用して呑んではいけません。

もう一度、癌について。癌細胞とは、3-4万個の遺伝子をもつ細胞が、複数の遺伝子の突然変異によって癌化されたものをいいます。癌病巣には、直径1ミリでも100万個、1センチなら10億個の癌細胞があるのです。自己細胞ですから、免疫に効くとかいう食品などは相手にしないでおきましょう。そんなことはありえないのです。遺伝子の変異の理由は様々で、まだ完全には突き止められていません。従って、癌は発見された時既に転移しているかどうかの見極めが重要です。また手術後の抗がん剤治療は実際、転移とは関係がなく、患者が苦しむだけです。

近藤誠は癌だけでなく、高血圧、コレステロール、糖尿など、「生活習慣病」と言い直された「成人病」についてもこれまでの私たちの知っていることがいかに間違っているのかを記します。彼によると、無症状で発見された「病」は基本的に治療を受けるべきではないというのです。従って、集団検診、人間ドックによって発見された「病」は、「本物の病気」ではなく、医師や日本の医療システムが作り出した「観念の病」ということになります。

例えば、私は高血圧(200近かった)でしたが、一体「基準値」とは何かから説明します。「基準」とは統計的な処置ですから、原理的に全体の5%の「患者」予備軍を作り出すものなのです。いくつもの検査が実施されれば、何もなくてもどこか「問題」がある人が出てくるしかけです。1998年に厚生省が発表した基準値は、(160/95mm HG)以上でしたが、2000年には(140/90)に引き下げられたのです。

これによって2100万人の人が高血圧と診断され、合計、3700万人の人が高血圧になってしまいました。高血圧の原因は9割以上不明です(これを「本態性」と言うらしい)。しかし血圧を下げることによって死亡率が下がったり、心血管病が減るという実証的なデータは一切ないとのことです。これはコレステロールや糖尿も同じで、数値を下げることと、インシュリンを打つことで延命は実証されず、総死亡数が減ることはないのです。

もっと衝撃的なのは、フィンランドの追跡調査によると、40-55歳の会社管理職をふたつのグループに分け(「くじ引き」試験といい、これがないと実証的に証明されたことにならないそうです)、約600名づつ、何もアドバイスもせず本人の自由にさせとく「放置群」と、医師が徹底的にライフスタイルに介入し定期的に食事内容、運動量、投薬などをする「介入群」に分け、試験期間の5年とその後の10年の追跡調査の結果、心臓死と死総数においては統計学的に意味のある差はでなかったらしいのです。ただし癌死には差があり、喫煙などのライフスタイルの変更による意味があるとの解釈です。

近藤さんによると、絶えざる「介入」によるストレスが問題ということです。絶えず、自分の数値を気にして(私なども日に何回、血圧計を使い出したかわかりません)、それが総死数が同じという結果につながるらしいのです。なんということでしょうか、癌にしても基本的には「老化」と受けとめ、どこか悪くなったら検査を受ける、しかしやたらに手術や投薬に応じないで様子を見るのが一番いいらしいのです。

ポリープは放置しても大部分は大きくならないし、検査で発見された、無症状の癌は大部分、転移しない「がんもどき」であり、「成人病」(「生活習慣病)という言い方は、訂正すべきらしいですね)もまた同じく、「健診をすれば病気が早く発見できて、役に立つ」という「先入観」によるもので、それらは、医者と一般人のあいだの医療に対する「過度の期待」と、思考と行動面における「非科学性」と医師たちの「営利主義」が生み出したものだと断定します。健康診断と人間ドックは健康な人でも5%が「基準値外」になるように
「基準値」を前提にしているのです。そのために人間ドックで8割もの人が「病気」や「異常」のレッテルをはられます。

「検診」には近寄らないこと、もし会社などの集団検診で「異常」が見つかったら、「延命率」と「治癒率」のデータを求めましょう。何もせず、普段通りの生活をして(ただし、タバコはやめましょう)、どこか悪いところがあれば検査を受けるようにしましょう。いかがですか、みなさん、是非この本は読んでください。多くの本を紹介してきましたが、間違いなくこんな役に立つ本はないと思いますよ。

2010年12月21日火曜日

臨海部論争についての感想ー佐無田 光

「新しい川崎をつくる市民の会」では今年になって、臨海部についての2回の学習会を持ちました。第1回目は横浜国大の中村剛治郎さんの講演で、「市民参加による地域再生を目指して」というタイトルでお話しいただきました(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage21.html、http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage30.html)。

二回目は川崎市の経済労働局産業政策部部長の伊藤和良さんから、臨海部と中小企業の将来についての熱い想いを伺いました(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage31.html)。伊藤さんとの対話を続けたいという考えを、中村さん、伊藤さんのご意見を踏まえてブログで記したところ、金沢大学の佐無田 光さんから投書をいただきました。ご本人の承諾を得て、掲載させていただきます。

佐無田さんは、『環境再生』(有斐閣)や『地域経済学』(有斐閣)、「京浜臨海部の再生と地域経済ー地域比較の観点から」(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage34.html)など多くの臨海部に関する論文を書かれています。

これらを踏まえて、行政から伊藤さんあるいは、総合企画室の方、或いは地元選出の議員の方、あるいは研究者や市民の方からのご意見をいただき、議論を深めていければと願います。

崔 勝久

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崔さんへ

金沢の佐無田です。
いつもメールをありがとうございます。リプライせずに失礼しておりましたが、ようやく時間を取れましたので、感想などお伝えしようと思います。

先般の伊藤部長との学習会について。こうした場に出てくる伊藤部長の姿勢には感心しますし、地域産業政策に関して市民の参加する議論の場を作って行こうとする崔さんらの努力にたいへん敬意を覚えます。継続的な住民学習と開かれた地方行政の関係へとつながっていければ何よりなのですが。

伊藤部長の提起する「川崎を研究開発都市にする」「中小企業の製造業の技術力を活かしていく」方向に私も賛同します。問題は、それをどのような全体構想あるいは都市像の下で実現していくか。この点が伊藤さんと崔さんの間でも議論がかみ合わなかった点のようでした。

私なりにいくつかの論点を整理すると、

1. JFEなどの大企業の工場に残ってもらうことと、研究開発機能の集積や中小企業の技術力との連携を図ることが、どうつながるのかという関係性が明瞭に見えないこと。両者を「工業集積」と括ってしまうと、地域内での産業連関が見えなくなってしまいます。日本の大企業は研究開発を内製化し、外部調達しませんから、そのままでは、最新鋭製鉄所が地域にあっても、地元の研究開発型中小企業にとってはメリットがありません。

THINKのような施設は、JFE都市開発の事業であって、JFEにとっては
不動産の有効活用ではあっても、THINKの入居企業の研究成果をJFEが柔軟に調達して製鉄所の競争力を高めるような関係には、(以前調査したときには)なっていませんでした。もしこのような関係が形成され高度化するならば、JFEは簡単に地域から出て行かないでしょうが、現状では川崎立地のメリットは不動産と設備が残っているということだけで、同じ大都市圏立地の千葉県蘇我に機能集約すると、いつ判断されてもおかしくないと懸念されます。この点で、川崎市の産業政策が、臨海部大企業と地元中小企業との関係構築(とくに研究開発面での分業関係)にどう携わってきたのか、産業政策の具体的な中身のお話はどうだったのでしょうか?

2.中小企業再生の条件と地域労働政策について。
伊藤さんも指摘されているように、中小企業の問題は高齢化と後継ぎがいないことです。なぜそうなるのか。現在の日本の労働市場は階層的で、大企業からの離職・転職は生涯所得の大幅な減少を不可避とするので、優秀な人材ほど大企業志向で、大企業に囲い込まれる傾向にあります。しかも、グローバル競争のもとで、大企業は下請け中小企業の選別を進めたので、コスト削減圧力が高まって中小企業の労働条件はさらに悪化し、資金繰りも厳しく、技術開発に投資するような余力がなくなっていくという悪循環にあります。

こういう構造をそのままにして、地域の中小企業再生策はどのくらいリアリティがあるのか、という論点です。実際に、川崎市の企業数はどんどん減少しているわけです。日本でアメリカのような流動化した労働市場を展望することは現実的ではないですが、北欧やドイツのように、地域レベルの職業訓練政策、創業に失敗した場合の再雇用保障制度、大企業と中小企業の垣根を越えた地域的な労働組合の連帯運動など、地域労働政策の進展がなければ、現在の地域産業政策だけでは中小企業の再生というのは難しいのではないか。

3.製造業とサービス産業との関係について。
伊藤さんは、「設計、計量検査、エンジニアリング、給与計算、在庫管理と原価計算、財務と保険、輸送、設備機械の修繕と保全、検査」などの高付加価値サービス産業は製造業の生産がなくなればなくなってしまうと言っていますが、それは現状維持の視点で、私はサービス産業についてはもっと戦略的な位置づけが必要ではないかと思っています。大企業に依存する垂直分業ではなく、研究開発型中小企業を主体にした技術力の強みを活かす地域経済を展望するならば、経済仲介機能を発揮するビジネスサービスの発展が不可欠です。

いい技術があっても売れなければ意味はなく、売れても安く買いたたかれていては地域経済は発展しません。グローバル経済におけるモジュール生産が進展し、すり合わせ的な下請け系列関係が揺らぐ中で、日本の中小企業の課題として、いくら技術力があっても、大企業以外のチャンネルでそれを国際的な技術市場に「売り込む力」が弱いということがあります。

しかし、技術開発力に強みを持つ職人的な中小企業が、個々に国際的に自ら売り込むことまで期待するのは無理があります。技術の売り込みに関しては分業し、経済仲介機能を担うビジネスサービスを身近に調達できるのが理想です。海外から地元企業への投資の仲介、技術の海外移転の契約の仲介、海外市場とつながるための人材の仲介などを、大企業に頼らず、地域企業の損にならないように交渉できる信頼に足るビジネスサービスを戦略的に地域に育てる必要があるのではないか。そして、これを実現する上で「都市の国際化」が条件の1つとなるのではないかという論点につながります。

都市の中で国際化に対応できるビジネスサービスが育つには、まず都市の国際化が必要であり、外国人起業家が次々出てくるような社会風土があるかどうか。川崎市は国際化に熱心な自治体で、アジア起業家村などの政策もありますが、上記のような国際的なビジネスサービスの集積につながり得るものなのか、もう少し検証が必要かなと思っています。

4.臨海部に遊休地が発生して跡地利用を考えるときに、産業立地で埋めるべきかどうか。装置型重化学工業の立地から、高付加価値な研究開発型産業へと変わっていくならば、従来と比べて広大な産業用地は必要でなくなり、もっと生活条件をも考慮した空間編成がされてもよいはずが、そうならないのはなぜか。1つは民間企業の私有地だからという土地所有の問題があります。民間企業の取引に任せていれば、バラバラでしかも低付加価値な土地利用になってしまう恐れがあるので、川崎市側としてもそれはまずいと考えて、できるだけ一体的な土地利用転換を促すようにずいぶん苦労されているという印象です。

しかし、もう1つには、一体的な土地利用転換のための道筋をつける話し合いの場を設けたとしても、まず地権者である企業の意向を無視するわけにはいかず、国や県の支援も必要であって、そうしたメンバー中心に臨海部再編を協議するので、産業立地以外の発想が出てこないという問題です。(直接的に固定資産税収を求める市行政の利害もあるかもしれません)臨海部の将来像を描くときに、産業の発展を展望することはもちろん1つの大事な見識ですが、そればかりではなく、生活の質を求める住民の素朴な要求というのも大事な要素で、お互いが鋭く対立しあいながらも、独自の解決策を見出していくプロセスにこそ地域発展のダイナミズムがあるのではないかと思っています。

しかし、川崎の臨海部では、対抗的な市民運動の主体も、その意思決定に関与するチャンネルも弱いというのが難しさです。世界各地のサステイナブルな地域づくりを見ても、市民運動側から環境とか人権とか非経済的な価値を求める力が強く、それを受けて産業サイドがそうした非経済的な価値を活かした新しいビジネスモデルを開発するという関係性が見られます。はじめから産業優先だと思考が既存の構造にとらわれて斬新な発想が生まれないわけです。

産業政策を否定するのではなく、しかしそればかりで臨海部を考えるのでもなく、環境再生や市民生活の再生を大事にする見識と産業政策的思考が交わる場をどう設定するかという、政策統合の論点があるのではないか。このあたりが崔さんが提起したかったところなのではないかと思います。

その他にも論点はあるかと思いますが、とりあえずここまでの感想をかねて、考えを整理してみました。また時間を取れたときにしかご返事できないかもしれませんが、崔さんのお考えもお伺いできればと存じます。

今後のご活動も期待しております。

2010年12月20日月曜日

「植民地主義」研究会に参加して  朴鐘碩

「植民地主義」研究会に参加して  朴鐘碩

私と私のパ-トナ-は、12月18日、立命館大学大学院西川長夫名誉教授の「植民地主義」研究会に招待されました。パ-トナ-が大学時代下宿していた京都大学に近い場所でした。

参加者は主催者である西川教授、立命館大学の(留)学生はじめ西川祐子教授、横浜国立大学学生、「日本における多文化共生とは何か」編著者である加藤千香子教授、中部大学教授、パートナ-の大学時代の友人など15名程でした。

1975年に製作された「日立就職差別裁判」(日立闘争)、20分のDVDを観たあと、参加者の自己紹介、「植民地主義」研究会の趣旨説明がありました。
私は、1974年の勝利判決後、日立製作所に入社し、40年近い職場での体験、見えたこと、残り1年となった来年11月に定年退職を迎えるにあたっての心境など「続日立闘争」と「植民地主義」をテ-マに話しました。

加藤教授から「「1968」と「日立闘争」、そしてその後」についてコメントをいただきました。日立闘争(1970~74)「1970年代日本の『民族差別』をめぐる運動」『人民の歴史学』(2010.9) http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage18.html参照。
私の「続日立闘争」の意味は、「協調」「共生」を揚げながら「自由にものが言えない」「労働者のものを言わせない」日立の職場環境を問うことになった。

その後、西川長夫教授から私を支えた「パ-トナ-の話を聞きたい」との要請があり、参加者は私の話しよりもパ-トナの話に強い関心があったようです。彼女は、私との出会い、3人の息子たちのこと、日常生活のことを話しました。

学生たちの関心は、卒業後の直面する就職問題でした。企業社会(日立)の様子、組合の実態を聞いてやはり驚いたようです。真剣な眼差しで聞いてくれました。パ-トナ-の友人は、何度も頷いていました。中部大学教授は、授業で「日立闘争」を扱い、「(碧南)高校の先輩が日立という大企業を相手に闘ったことはすごい、誇りの思う、と発言した学生がいた」ことを教えてくれました。

大学院生から「民族差別」から「労働者の問題」に意識が変わった経過について、具体的に話して欲しい」、西川長夫教授から「仕事の内容」「職場で一人なのか、同僚との関係は?」などの質問がありました。

私は、組合との関係、職場での具体的なエピソ-ドを正直にありのまま話しました。参加者の皆さんの驚きを見て、閉鎖的な企業社会の実態は、公に知らされていない、と私は思いました。
西川祐子教授は、自らの体験から「裁判で闘っているときより、職場に入ってからの方が実際もっとしんどい」と話されていました。40年近い体験は、全くその通りでした。

4時間近い研究会は、あっという間で短く感じました。終了後、西川祐子教授の手料理による、1年前倒しの「退職記念」パ-ティとなり、参加者の皆さんから祝っていただきました。

西川教授ご夫妻の家族的な暖かい雰囲気に包まれ、パ-トナ-も私も「研究会に参加できてよかった」と帰宅する新幹線の中で余韻に浸っていました。西川教授ご夫妻はじめ参加された皆さんに心より感謝申し上げます。

なお、私の「続日立闘争」と「植民地主義」の内容は、後日整理でき次第公開します。

2010年12月17日金曜日

近藤誠は生きていた!-「がんもどき」理論の最終見解について

私は妻の乳がん手術の経験から、近藤誠の本を読み、彼への信頼は高かったのですが、彼が乳房の全摘切除(ハルスレッド手術)から乳房温存療法を日本において実施しはじめ、信頼する同級生に2000以上の患者を紹介してきたのに、その同僚が巨大な診療報酬詐欺を働いていたため(著書の最後に言及)、彼の社会的信用も堕ちたと聞いていたので、新刊の『あなたの癌は、がんもどき』(梧桐書院)は待ち遠しかった本でした。


期待通り、著書の主張は明快で、かつ説得力があります。恐らく、癌に関してはこれが彼の最後の本になるような気がします。


癌の手術を受けたら誰でも、転移しないようにということで医師から薦められる薬は呑もうとするでしょう。しかし私は妻の手術後、彼の本から意味のない抗がん剤のリストの中に彼女が呑み続けている薬があることを知り、彼女に呑むことを止めるように話をしました。躊躇と恐怖からその話を医師に出せずにいた彼女が思いきって話をしたら、「ああ、止めてもいいですよ」ということでした。


私の知人にも、胃がんの手術の後の抗がん剤の使用をやめた方がいいと助言したことがあります。彼女はとても元気だったのですが検診で胃がんであることが判明し、すぐに手術を受け、その後抗がん剤を呑む中で、何カ月もいかずに亡くなりました。

近藤誠は、日本の製薬メーカーが海外での否定的な実験結果を無視し(承認を受け)販売していることに対して、データを分析しその偽りのからくりを暴きだし、何百億円のヒット商品の「息の根」を止めています。

近藤誠は、あらゆる集団検診、人間ドックなどは受けないようにと言います。そこで癌の兆候が発見されても、何もしなかった人と比べて死亡率に違いがないというのです。小さなポリープが発見されても、それが癌になり、転移すると言われていますが、それは仮説に過ぎないと断言します。


癌には転移をする(している)本物の癌と、転移をしない「がんもどき」があるというのです。後者が圧倒的に多いということは言うまでもありません。前者であれば、何をしてもだめ、後者であれば、そのまま何もしないで様子を見ることを薦めます。集団検診や人間ドックで癌患者は急速に増えているのですが、それによって死亡率が下がることもなく、検診などをしない群(グループ)とほぼ同じだというのです。


免疫を高めるなどという話の欺瞞性についても、癌とは何か、それがどのようなメカニズムで転移するのかという説明から始まり、むしろ細胞の抵抗力が重要とのことです。体にメスを入れることによって、転移しないはずの腹膜などがかえって手術によってそこから癌細胞が浸透していくということも、なるほどと納得です。

癌で人が死ぬのではありません。転移によって臓器の機能が低下して死ぬのです。近藤誠は、癌に怖がることはないと素人に語りかけながら、癌の専門家、現場の医師にも最後の挑戦状をたたきつけたと思いました。

私に癌が見つかったら、還暦を過ぎ未だに慶応大学医学部の講師である近藤誠に相談にのってもらおうと思っています。是非、一読を薦めます。

2010年12月16日木曜日

名古屋で実施される住民投票に外国人は参加できるのか?

この間私は何度も名古屋の河村市長の唱える住民自治は外国人を排除するものであることを指摘してきました(「名古屋の「地域委員会」でも、国籍条項」、「地域主権? 覚悟はあるのですか(石弘光氏 朝日新聞4月10日)」。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/02/blog-post_12.html
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/04/blog-post_10.html

名古屋市の住民投票では現在のところ、外国人の参加を認めていません。新潟市においても同じです。川崎では認めています(川崎市の住民投票制度には問題がありますが)。このように政令都市内においても、あるいは地方自治体においても、住民投票に外国人を認めるかどうかでは違いがあります。

民主党が外国人の地方参政権を認めて法案を国会にだすと言いながら、結局は流れました。民主党内部や、自民党を含め、大きな反対があったからです。中国や北朝鮮との外交問題が表面化するや、一挙に参政権どころか、最終的に決定された、朝鮮学校への高校無償化も保留にされ、大阪や神奈川のようにこれまでの資金援助も見直す動きさえ出て来ました。

これに対して一般市民も愛国心を刺激されたのか、このような動きを歓迎しているようです。あんな過激な「在特会」に賛同する人は多くないと言ってきた学者も多かったですが、やっぱり彼らはフロントランナーの働きをしていたのです。

ネット上では、ウヨクが地方自治体は条例で実質的に外国人の政治参加を認めているという声を上げ始めています。日本の新サヨクは観念的で、植民地支配の清算を言いますが、実際に地域でどのようなことが起こっているのか、どのように外国人の政治参加の権利を排除しているのかということには全く無知であり、知ろうともしていません。

既成サヨクは党の勢力拡大に一生懸命で、地域ではこれまでの「連帯・友好」路線の継続で、せいぜい、総連(北朝鮮)だけでなく民団(韓国)にまで広げようとするくらいです。せめて今の「名古屋ブーム」にあって、住民投票に外国人が参加できないのはおかしいという声くらいあげられないものでしょうか? 私の知る限り、このような発言をしている人を私は知りませんが、この声が広がることを願うばかりです。みなさんの御協力を請います。

2010年12月14日火曜日

自由主義経済学を根底的に批判する本を読んで

『世界経済を破綻させる23の嘘』(徳間書店、原題は「23 things they do not tell you about capitalism」2010, by Ha-Joon Chang)をお薦めします。この30年間、世界を席巻してきた新自由主義政策を支えてきた自由主義経済学の価値観、問題点を徹底的に、しかも脚注をつけることなく優しく説明したいい本です。表紙にはマーティン・ウルフ、チョムスキーやスティグリッドからの賛辞があります。世界的にも注目されている新鋭の学者のようです(参照、http://www.youtube.com/watch?v=whVftuVbus )。

日本語タイトルは何か、やすっぽい感じがしますが、中身は濃く、経済学の学者としての見識と社会をよくする意欲をもつ著者の、人間としての質の高さを感じますし、実際、この本から多くのことを学びました。

最初のページには「本書の七つの読み方」として、読者の問題意識に応じた読み方を記しています(私は、それは不要だと思うのですが)。そして「経済の「常識」を疑ってみよう」という「はじめに」に続いて、23個の「常識」として、例えば、「市場は自由でなければいけない」、「インターネットは世界を根本的に変えた」、「富者をさらに富ませれば他の者たちも潤う」、「教育こそ繁栄の鍵だ」などということに対して、それは真実ではないと、具体的な例証を挙げながら反論します。そして最後に「世界経済はどう再建すればいいのか」として8個の原則を明示します。

今年の5月のブログで「『経済学は人間を幸せにできるのか』の斎藤貴男は大丈夫か?」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/05/blog-post_20.html)と書きましたが、この著者は、自由主義経済の影響で一般の人が常識として受け入れている価値観を、歴史的に根底的に反論、批判し、政府による政策の重要性とその原則を明らかにするのです。

なるほどと思ったことはいくつもありますが、「貧しい国が発展できないのは起業家精神の欠如のせいだ」のところで、小額の金を妥当な金利で貸す(マイクロクレジット)でノーベル賞を受賞した、バングラデシュのユヌスがどうして「うまくいかない」のかと知り、驚きました。しかし説明を受けるとその通りで、小額のお金で牛を買ったり、携帯電話を貸すビジネスをはじめても、多くの人が同じようにし始めるともう利益を上がられなくなる(合成の誤謬)という現実に直面せざるをえなくなります。結局、「「起業家ヒロイックな個人」という神話をはねつけ、起業家精神を集団的に発揮させられる制度と組織をつくりあげる手助けをしなければ、貧しい国々が貧困から抜け出し、その状態を維持することは決してない」のです。

ここから想像できるように、著者は資本主義経済においては、この30年の自由主義経済が誤っていると断言し、政府による金融規制を強調しながら、社会保障の充実(しかしそのあり方は各国の状況に応じて異なる)、公正な社会実現は、「私たちの目標、価値、信念次第」と具体的なことは読者に投げかけます。経済は専門家でなければわからないのでなく、食品や環境と同じように、普通の市民が「活動的経済市民権」を行使して、「重要な原則」と「基本的事実」を把握すればいいというのです。

「脱工業化」という「常識」にも著者は批判的で、インターネットやサービスを過大評価しているとしながら、ものづくりの重要性を強調します。そこで「研究開発」と「職業訓練」の重要性を彼は何度も取り上げています。

私は川崎のことを思い浮かべました。工業化ということで素材・装置産業を推進して臨海部を作ってきた産業政策を見直し、中小企業がものづくりを続け生きて行けるようにするには、地方政府が中小企業と一緒になって(資金援助をして)、研究開発の機関をつくるしかないと、再確認しました。この点は川崎の中小企業が研究開発を今後継続して自力でやっていけると思っているのか、自分たちも一緒になりながら地方政府の支援を受けて研究開発機関を作ってほしいと思っているのか、確認していきたいと思います。

「伊藤部長との対話を求めてー臨海部と中小企業の将来について」
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/11/blog-post_24.html

2010年12月13日月曜日

12・5女性国際戦犯法廷から10年の集会の報告記事への投稿の紹介

本当に一年、はやかったですね。なんか、毎年、はやくなるような
気がします。

12月9日の報告記事に対して、ふたつのメールがありましたので、
御紹介します。

崔 勝久

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この記事を送ってくださり感謝です。
知っている人の名前を見つけて「頑張っているね」と思いました。
女性たち(とこころある男性たち)の粘り強い闘いが
少しずづでも流れを変えていっていることを信じます。

大阪のSYさんより

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この活動は、とても大事です。次の機会には必ず出席します。

世界の到るところで、現に人間狩りが(戦争などと共に)公然と行われ、
主に子供・女性を売り飛ばす、グローバルな奴隷貿易が世界的に展開
されています。

そして例えば、コーヒーやバナナなど農業分野では、飢餓賃金で死の
労働をさせられ、その「有機」産品が「フェアトレード」と推奨されている。
先進国の消費者が歓迎する! 

私達は、飢餓するひと達の上で踊る、あやつり人形のようです。
つまり、黒幕が居るわけで、しかしそれは人間の顔をしていない。

こうした現実の、多面的なリンクを、きちんと見て行かないと、と
痛感します。

現代の植民地主義の一現実、その課題に対して、自分に何が出来るか、
きちんと対面して行きたい。

川崎の伊藤さんより

2010年12月6日月曜日

「市民の会」の一年noを振り返って

みなさんへ
12月に入ったなと思ったら、もう第二週ですね。既に忘年会や集会などでみなさん、お忙しいと思います。私のように呑み過ぎにはご注意ください(笑い)。

「市民の会」とは、「新しい川崎をつくる市民の会」のことです。昨年の市長選で、阿部市長候補に対抗する候補者をお呼びして1000名集会を企画しました。しかし3名の候補者は全員、まるで言い合わせたように、集会当日、午後になって集会参加をキャンセルしてきました。それでも70名以上の人が会場に集まり、「新しい川崎をつくる市民の会」を作るべきだという声に応えてつくったのがこの会です。

この一年で「市民の会」がどのような歩みをしてきたのか、「市民の会」事務局の最長年者が「市民の会」記録のHPを作成し、学習会の実施、ブックレットの発行、市議会への陳情書の作成、臨海部や「国内植民地主義」や「多文化共生」に関係する論文などを整理してくれました。4-5時間にわたる学習会のテープ起こしも大変な作業だったのですが、公表できることを心より感謝します。是非、一読下さい。
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/

なお、「市民の会」の公式のHPは別途、この一年の歩みを総括し、中長期的にどのようなことをなすべきなのかを思想的に、実践的に模索していきながら公表したいと思います。いずれにしても3年後の市長選には、臨海部の産業政策、外国人の政治参加(国籍条項の撤廃)、住民主権に基づく地方自治の具体的なあり方などについて、私たちの意向を反映させることができる市長候補を擁立したいものです。

川崎における多くの市民運動に携わっているグループ、個人との連携を深め、違いよりは共通点を見つけ出し、3年後に備えたいとねがってやみません。みなさん、よろしくお願いいたします。

「市民の会」の一年の歩みをを振り返って

みなさんへ

12月に入ったなと思ったら、もう第二週ですね。既に忘年会や集会などでお忙しいと思います。私のように呑み過ぎにはご注意ください(笑い)。

「市民の会」とは、「新しい川崎をつくる市民の会」のことです。昨年の市長選で、阿部市長候補に対抗する候補者をお呼びして1000名集会を企画しました。しかし3名の候補者は全員、まるで言い合わせたように、集会当日、午後になって集会参加をキャンセルしてきました。それでも70名以上の人が会場に集まり、「新しい川崎をつくる市民の会」を作るべきだという声に応えてつくったのがこの会です。

この一年で「市民の会」がどのような歩みをしてきたのか、「市民の会」事務局の最長年者が「市民の会」記録のHPを作成し、学習会の内容、ブックレットの発行、市議会への陳情書の作成、臨海部や「国内植民地主義」や「多文化共生」に関係する論文などを整理してくれました。4-5時間にわたる学習会のテープ起こしも大変な作業だったのですが、公表できることを心より感謝します。是非、一読下さい。
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/

なお、「市民の会」の公式のHPは別途、この一年の歩みを総括し、中長期的にどのようなことをなすべきなのかを思想的に、実践的に模索していきながら公表したいと思います。いずれにしても3年後の市長選には、臨海部の産業政策、外国人の政治参加(国籍条項の撤廃)、住民主権に基づく地方自治の具体的なあり方などについて、私たちの意向を反映させることができる市長候補を擁立したいものです。

川崎における多くの市民運動に携わっているグループ、個人との連携を深め、違いよりは共通点を見つけ出しながら、3年後に備えたいとねがってやみません。みなさん、よろしくお願いいたします。

2010年12月1日水曜日

「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んでー朴鐘碩

みなさんへ

はやいものですね、もう、師走になりました。あっと言う間の1年でした。
みなさんはどのような1年をお過ごしになられたでしょうか。

立命館大学の名誉教授の西川長夫さんが『長周新聞』で連載された文章に加筆・訂正した「新植民地主義の発見」の感想文を朴鐘碩が、「外国人への差別を許すな川崎・連絡会議」の掲示板に発表していますので、下記に紹介します。西川論文:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html

朴は日立闘争で入社し40年経った今、来年の定年退職を前にして、西川論文が展開する「新植民地主義」に触発されながら、日立製作所という大企業と組合組織の実態を描き、「自分の置かれている状況に合わせて・・・西川論文を理解・解釈」しようとしています。(朴一編『在日コリアン辞典』(明石書店、2010)の「日立就職差別裁判闘争」の項を私が書いています)

同じく、韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談「日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで」について望月文雄さんが感想文を書いているので、合わせてお読みください(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/11/blog-post_7217.html)。対談:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage14.html

崔 勝久

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「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んで 朴鐘碩
             
多国籍企業・「HITACHI」のロゴは、世界の主要都市にあります。今年創立100年を迎えた日立製作所は、31,000人の正規所員、グル-プ全体で約36万人の労働者が働いています。1910年に朝鮮半島は日本の植民地となりましたが、日立は、技術躍進の歴史を記念イベントとして展開しています。技術を誇る記念誌「開拓者たちの挑戦-日立100年の歩み1910~2010-」に日立就職差別裁判は記載されませんでした。技術は進歩しても労働者への「抑圧」は変わりません。日帝の朝鮮植民地化と国策に沿った日立経営100年の歩みは無関係ではないはずです。

植民地から60年(「解放」から25年)経過した1970年、日立就職差別裁判(日立闘争)が始まりました。74年横浜地裁で勝利判決が出され、日立製作所に正規所員として私は入社しました。この裁判は、民族団体から「同化に繋がる」と厳しい批判を受けました。しかし、私は19歳で始まった日立闘争、その後川崎南部(池上・桜本)で始まった子ども会(地域運動)を経験し、「民族」と人間らしく生きることを学びました。日立闘争は、同化への道ではありませんでした。植民地主義に繋がる「同化裁判であったか?」関心ある人たちがどのように判断するでしょうか。「就職差別されて当たり前」の風潮・価値観があった中で、多くの人たちの支援、世界的な運動の力で差別の壁を崩しました。「日立に入ったら、何が起きようとも一人でやるしかない」と覚悟したのです。

2011年11月、(裁判期間を含め)41年間勤めた日立製作所で定年を迎え、私自身の「続日立闘争」は、一旦「終わる」ことになります。悩み、解のない生き方を問い続けているうちに40年が過ぎてしまいました。開かれた民主的な会社・組合組織を目指し、企業で人間らしい生き方を求めて組合活動をやってきました。役員選挙にも自分勝手に立候補しました。自分の置かれている状況に合わせて西川長夫立命館大学教授の「植民地主義の再発見」(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html)を理解・解釈しました。

「植民地主義の再発見」を読んで、私の「続日立闘争」は、ものが言えない企業社会、組合組織の「労働者の植民地化」を問うことになると更なる自信を深めました。(日本人)労働者にとって「民族差別は関係ない、どうでもいい問題」のようです。また組合(幹部)の組合員への人権無視は日常茶飯事です。差別・排外と沈黙を強いられている労働者の問題は表裏一体です。これは日立の経営方針、職場環境、組織のあり方など全て繋がっています。

「植民地主義」の陰険な「隠蔽の方法は、逆に触れることなく意識下に抑圧するやり方です。人種差別や植民地主義の隠蔽はその代表例で、差別する側の人間がそれを自覚することは決して容易ではない。また仮にそれを自覚したとしても、私たちの思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい。」

組合幹部は、労働者にものを言わせない(言わない)暗い職場環境を作っています。組合員エンジニアたちは、おかしいあるいは疑問に感じることがあっても誰一人「触れることなく」、「抑圧されている」のが実態です。「ものが言えなくてもいい。労使幹部が一方的に労働条件を決定してもいい。生活できればそれでいい」という「思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい」ようです。

どこの世界でも言えることですが、人間らしく生きるために生き方をかけて、自ら属する組織を批判することは並大抵のことではありません。しかし、「堕落を救ったのは抵抗運動でした。だが抵抗運動があったがゆえに、その堕落さの深刻さに対する考察が弱められるということが起こりえたのではないでしょうか。」「堕落」は、植民地主義を補強します。

「植民地化は、住民やその土地を変えてしまう」が、企業社会における「植民地化」は経営者幹部・エンジニア(労働者)の理性や倫理観、人格まで「会社人間」に変えてしまいます。そのために様々な矛盾・問題・事件が起こりますが、根本解決するために互いに議論することはありません。「植民地主義は、私たちが社会や様々な集団の中で占める位置によって姿を変え、あるいは姿を隠して現れ」ています。労働者を「擁護する」連合あるいは「人権」を標榜する運動体にも言えるのではないでしょうか。

毎年11月は、人権週間があります。(東京)人企連主催で、加盟企業は人権標語募集の案内を全従業員にmail展開します。優秀作品は表彰されます。人企連および運動体との関係の詳細は「日本における多文化共生とは何か」を参照してください。

「新植民地主義の本質は、その下にある国家は、理論的には独立しており、国際法上の主権のあらゆる外面上の装飾を有しているということである。現実には、経済体制・政治体制は外部から指揮されている。」民主党現政権を支える連合傘下の企業内組合はじめ多くの組合は、労働者の人権を「外面上」「装飾」し、「独立」しているようですが経営者に「支配」されています。「組合を裏返せば会社になる」ことは、「沈黙している」組合員は十分承知しているようです。

「独立した国の内部には植民地や植民地主義はありえないとする民族主義的な前提が、国内における植民地的状況、収奪や抑圧、差別や格差、等々、などの存在を見えなくしていることは事実です。」これはまさに「共生」を標榜する川崎市の「外国籍職員の任用に関する運用規程」(「当然の法理」を理由に外国籍職員に許認可の職務・決裁権ある管理職に就くことを制限するマニュアル)、阿部現市長の「準会員」発言、戦争責任を問わない組合幹部の「労働運動」を厳しく批判しています。

西川教授は2009年2月2日横浜国大で「多文化共生と国内植民地主義」をテ-マに講演し、翌日、「川崎連絡会議」との交流会において「小生がこの2,30年間、書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と結んだ言葉が印象的で今も脳裏から離れません。「私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならないとおもいます。」

日立闘争がそうであったように自分の置かれている現場で、個別・具体的な活動を通じて、思想・信条を乗り越えて対話を継続し共に歩むことが人類の永遠なる課題である「植民地主義」を克服し、歴史の和解を目指す近道であるような気がします。