2009年12月30日水曜日

「本気で臨海部の未来を考える会」のブログ(12月29日)を読んでー「まちづくり」の課題について

「本気で臨海部の未来を考える会」のブログより(12月29日)を読んで。
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/

住民らが感じていた矛盾、そして当初の怒り、はこの「リスク産業のでっちあげ事件」とでも言おうか、それに集約されるのだと思う。なにかがおかしい。なぜ、こんなことが許されるのか。そして住民訴訟をして分かったことは、行政と議会は、「議会制民主主義」という仕組みを駆使し悪用し、財源を自由自在に私物化していたということだった。

渡辺さんの怒りは、上記の内容に集約されています。議会制民主主義という仕組みの中で行政と議会が、住民の意向を無視して、自分たちで国の意向を反映させながら推進してきたこれまでのやり方に対する告発です。指摘は正しいと思います。

「土壌汚染」を口実に、南高校校舎を解体したことに対する怒りがそこにあります。当然です。しかし現実は、渡辺さんを中心とした3年にわたる裁判闘争と住民の「抵抗」にも拘わらず、校舎は解体されました。その現実を直視すると、校舎の跡地をどう「活かすのか」という課題が浮かび上がります。それはまさに、「本気で臨海部の未来を考える会」の頭に記されている「旧県立川崎南高校の有効活用を求める」ことであり、「小田栄西地区計画の見直し」(=「浜川崎駅周辺地区」という、期限限定の、都市再生特別措置法にもとづく都市再生緊急整備地域の見直し)ということです。

南高校跡地の有効活用は、「浜川崎駅周辺地区」のみならず、渡辺さんのブログのタイトルである「臨海部」のあり方を根底的に見据えながら検討されるべきでしょう。渡辺さんの怒りは、現実的な課題として、これまで抗議の矛先を向けていた、市及び県を相手にして対話をしていくなかで止揚されていかなければならないのです。新たな闘いが来年からはじまります。毎日ブログを更新し問題提起をし続けてきた渡辺さんに敬意を表します。

『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(有斐閣)を是非、お読みください。実は、川崎の「公害」問題は解決されていないことがわかります。編者・著者は川崎市の「公害」問題はまさにこれからの「まちづくり」の課題であると指摘します。しかし「まちづくり」が「持続可能な社会」(Sustainable Community)を目指すのであれば、私がその英単語を意訳したように「住民が生き延びる社会」であるべきで、宮本憲一の定義には、川崎の歴史において公害の真只中で生きてこざるを得なかった外国人の実態が見過ごされています。

臨海部の問題を具体的に考えるためには、桜本や小田、渡田などという町そのもの活性化を図るべきであり、その実践課題を行政、住民、企業、市民活動家が集い話し合う中から道筋が見えるように思えます。その取り組みを始めたいですね。

2009年12月28日月曜日

「住民が生き延びる地域社会」の実現、というのはどうでしょうか

いよいよ今年最後の週になります。みなさんはどのように
過ごされるのでしょうか。滝澤さんから問題提起された、
「まちづくり」「都市計画」が行政側の言質になっている
という点に関して考えています。


勿論、「共生」と同じで、言質そのものに本来的な意味が
あるのでなく、上野さんが私たちの本の中でも指摘されて
いるように、その言質は時代ごとに、全く意味内容が
変わっています。ですから、運動側が自分たちの意図
する意味にしていけばいいという一面もあるのですが、
「共生」が「多文化共生」になる過程で、完全に支配者側
の言葉になったことを考えてみると、やはり私たちが
求める時代に合ったキーワードを作るべきですね。


そこで「麻生まちづくり市民の会」のHPを参考にしてください。
http://web-k.jp/asao-shimin-no-kai/
私たちが使う言質とほぼ同じです。でもよく見ると私たちが
求めるものと何か違うように思います。
みなさんはどのように考えられますか。


いろんな経験を持つ人たちが、「時代の言葉」を使って、
麻生区で必要とされている市民運動を活発にしている
ようです。私たちが参考にすべきことが多くあります。
しかし歴史の過程の中で現実の問題を捉え、その問題を
生みだした社会の構造、基盤を変革するという意気込みを
感じることができないのです。事務所まで区役所に置いて、
行政にもの申す事ができるのでしょうか。


今朝起きてふと思ったのが、住民が「生き延びる」地域社会の実現、
ということです。これは英語のSustainable Communityの私訳です。
普通はこれを「持続(維持)可能な社会」と訳しています。
阿部市長はもちろん、行政はよく使っています。しかしこれは
政治家、官僚の上から目線での言質だと感じます。阿部市長は、
これまでの福祉中心の体制では川崎市はもたない、だから
行財政改革をすると宣言したのですが、そのときに使われたのが
この単語です。


『環境再生』で宮本憲一は、Sustainable Communityを
このように定義付けしています。
「平和、環境・資源・生物多様性の維持・保全を枠組みに、
絶対的貧困の除去、民主主義、基本的人権と自由が総合的に実現
する社会」


宮本憲一の定義にもどこか海外での定義の臭いがします。
しかし基本的には、「住民自治の実現」と外国籍住民を含めた
「全住民の平等」の概念をいれれば賛成です。普通、「まちづくり」
というのは行政も、市民運動側も景観や建物の建築基準を強調する
ことが多いのですが、彼の定義には、それを含めてもっとソフトを
強調している点を私は評価します。


「住民が生き延びる」地域社会(Sustainable Community)とは、
「平和と民主主義を希求し、国籍に拘わらず全ての住民の自由、
平等、基本的人権を保証し絶対的貧困を除去すると同時に、
環境・資源・生物多様性の維持・保全を根底に据えた、
住民が主体となった住民自治を志向する地域社会」
というのはいかがでしょうか。



--
崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2009年12月22日火曜日

渡辺さんの「環境衛生問題は、一体誰が作ったのか?」に賛意を表します。

一体わたしたちの近代日本は誰の犠牲の上に成り立っているのか? 今の競争力、経済力。>どれだけの人が、環境被害に合ってそして、悔しい思いをし、救済されずに、涙を飲んだ>か。そこで生じている南高問題はどのように解決すべきなのか、よく考えて欲しい。

渡辺さんが毎日、ブログの更新をしています(「本気で臨海部の未来を考える会BLOG」
(http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html)。
川崎の公害は、臨海部の「工場や交通による排気」ガスによる被害でした。南高校の問題は、それとは関係のないように見えますが、まさに渡辺さんが看破しているように、これまでの公害を生みだした環境を再生しようとする、川崎市の政策の中心のひとつに置かれているのが、臨海都市拠点としての浜川崎駅周辺地区なのです。その地区の中心にあるのが、南高校です。

しかし臨海部の再開発は、これまで公害を生みだした社会の構造を批判的に総括したうえでなされているのでしょうか。多くの学者が臨海部の「環境再生」に向けて現状の分析、検証、提案をして、それを行政は自分たちに都合のいいように選択して、施策にしています。しかしその学者たちが、都市再生緊急整備地域に位置つけられている浜川崎駅周辺地区で南高校の跡地をめぐって3年も計画がとん挫している事実を知らないのではどうしてでしょうか。

現場の重要性を説く学者もまた、現場を離れた観念操作をしていたのではないでしょうか。『環境再生』を私は高く評価しますが、しかし16名の著者の誰ひとり、臨海部に外国人住民が多いこと、その人権をめぐっての考察をした人はいません。彼らはその外国人多住地区を何度も訪れたはずなのに、外国人の問題が「見えなかった」のでしょう。「持続可能な社会」(Susutainable Commity)の内容が根本的に問われる所以です。

私は、そもそも都市計画が国と行政の発意で大きな枠が決められ、それに従って地域のあり方が決められてきたその手順が、まったく逆であったと思うのです。地域住民の意向をまず聞き、それに基づいて市民の総意である全体像が作られるべきものが、大企業の意向を最優先し、その便利性を図る形で交通網が整備されるというこのあり方が問題なのです。その結果が、まるでモンスターのような臨海部のコンビナートの姿であり、産業道路の上を走る高速道路をつくり排気ガスをまき散らす結果になったのです。そうなるのはわかりきっていました。

南高校跡地の活用の論議は、国策に従って産業優先の都市計画をしてきたこれまでのあり方を根本的に批判し、住民中心のまちづくりをしていくことを宣言することになるのです。

川崎に住む外国人住民もまた政治参加を果たし、住民としてあるべき「開かれた地域社会」建設に参加することになるでしょう。川崎の埋め立て作業が始まったのは、まさに日韓併合のその年からで、来年100年を迎えます。私たち「在日」が自分の住むまちづくりに参加するのは当然のことです。

2009年12月19日土曜日

いい本に出会いました、「地域再生」の歩みの参考に



『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(永井進ほか編著 有斐閣選書 2002)を読み終えました。南高校跡地の問題に関わり、また「在日」の地域社会での政治参加について模索してきた私にとっては、まさに最良のヒントを与えられた本でした。

川崎南部の公害問題を通して「維持可能な地域社会」(Sastainbale Community)をどのようにつくりあげることができるのかについて、3名の編者と16名の著者によって書かれた力作です。この「維持可能な」というのはもっとなんとかならないのかという気もしますが、行政への影響も大きいようで、思い出してみれば阿部市長の最初の当選の時にもこの単語は使われていました。しかしそれは福祉や外国人施策に力をいれてきた、財政破産寸前の川崎市を行財政改革していくものとして語られていました。

しかしこの本では「維持可能な社会」をこのように定義しています(宮本憲一)。「平和、環境・資源・生物多様性の維持・保全を枠組みに、絶対的貧困の除去、民主主義、基本的人権と自由が総合的に実現する社会」。ここに外国人の政治参加を保証する住民自治の実現がはいれば私は全面的に賛成します。

最後にこの本では、「環境被害のピラミッド構造」を直視し、川崎の公害問題を社会全体の在り方の問題として把握します。従って、公害の直接的な原因とみられた「交通体系や道路構造のあり方、それらを規定している臨海部コンビナート地帯を中心とした産業構造や都市構造のあり方、さらには川崎におけるコミュニティや市民参加のあり方をめぐる諸問題」まで分析や考察をしようとしています。

ここで指摘された問題点がその後の川崎の施策の中でどのように評価され、具体的なものとなってきたのか、私は徹底的に調べようと思います。南高校の跡地の問題が、アスベストの発見によりさらに多くの解決すべき問題が潜在的にあるとわかってきましたが、なによりも、この問題が川崎の都市計画の一環であり、川崎が直面している「環境からの再生」を図るために避けては行けない、最も根本的な問題であるということがわかってきました。

地域住民は南高校跡地を公園とか緑の批難所にしたいという素朴な要望をもっているのですが、その想いを川崎全体の歴史と現実の中で、そしてこれからの社会をつくりあげるのに最も重要な核として、都市計画そのものの中で位置付け説明されなければならないでしょう。

来年は日韓併合100年、期せずして川崎の埋め立て工事が始まってから100年が経ったそうです。川崎の海は工業の発展を目指した国策に翻弄され、完全にWater Frontを無くした、コンビナートに占拠された化け物のような都市になってしまいました。南高校跡地の活用を軸として、市民を中心とした「地域社会の再生」「川崎の再生」に向けた第一歩にしていきたいものです。

2009年12月17日木曜日

南高校跡地問題、一歩前進ー川崎区市議との懇談会の実現

昨日、川崎区の市会議員全員と委員会の後の時間を南高校問題で、地域住民、「活かそう会」のメンバー8名とで話し合う場が設定されました。

県立南高校の解体に反対し、「活かそう会」を結成して県の強引な解体作業に反対してきた住民に対して、解体の過程でアスベストが発見されたこともあり、住民と県側が双方で提訴する事態になり、県と市とも行政が「活かそう会」との対話を拒んできたのですが、その硬直した状況を打開すべく持たれたのが、昨日の懇談会でした。

その実現は、市会議員が自分の選出された区の問題でありなんとかしようという動きと、同時に、「活かそう会」内部でも建物がすべて解体された今、「対話」路線に舵を切ろうという動きがひとつになったものでした。行政側もその動きに関しては注目をしています。市議と住民との懇談会の実現と、今後の進展に行政が加わるようになれば、今後の跡地活用に関してその解決に向けた大きな一歩になると思われます。会の最後は、住民からの懇談会の継続と行政の参加を要請する発言で終わりました。

住民側は跡地活用に関する要望を訴える発言が多かったのですが、市議からは注目すべき二つの発言がありました。ひとつは、南高校の跡地は都市開発の一部であり、都市計画のゼロベースを求めることには無理があるというものでした。もうひとつは、跡地の活用という住民の要望が先鋭化され、都市計画の一部であるという市政の立場と対立することがないようにしたいというもので、いずれにしてもこれまでの対立はリセットしたいというものでした。

私は二人の市議の発言を前向きなものと捉えました。それは住民に対して自分たちの要望だけを行政に求めるのでなく、多くの問題を抱えた現実・課題を踏まえた上で、これまでの対立は水に流して話を勧めて行こうという呼びかけだと思います。

行政側も、住民との話し合いなしには都市計画を進めることはできません。一方住民側も、都市計画の全容を見ようとせず、南高校跡地だけを取り上げて、世界史上最悪の都市計画などという扇動的な情宣は控えるべきです。ここは住民側も広い視野と柔軟な姿勢をもって、まちづくりに参加すべきでしょう。

行政側の都市計画も頓挫しているばかりか、本当にそれが数十年先を目指したグランドデザインになっているのか自信がないのだと思われます。ここは双方本気になって腰を据え徹底的に話し合い、研究し合ってまちづくりの在り方を求める必要があります。そしてそれが住民自治の根幹です。その第一歩が始まりました。

2009年12月15日火曜日

野中広務と姜尚中の対談を目の当たりにして


昨日東大で、「闘いとしての政治」「信念としての政治」というタイトルで、野中広務の講演、それに姜尚中と森達也(ドキュメンタリー作家)の鼎談があり、満員のところ、A女史の手引きで無事、傍聴できました。

野中広務と辛淑玉との対談を読んでいた私は、野中の老獪さを感じていたのですが、今回「社会的差別との闘い」というテーマもあったものの、野中広務は終始、政治家として戦争を忌み、平和を求め国民の繁栄を願う<保守>政治家の信念を披露、84歳の遺言と胸を張り発言していました。それはそれで彼の人となりを垣間見る思いがしました。確かに後藤田と通じるものがあるのでしょう。小沢批判は最後の最後まで厳しいものでした。

姜尚中は、野中広務が非差別部落出身と公言し差別の経験に触れたので、その点を彼の政権内での経歴、麻生首相の巷間伝わる差別発言とのからみで発言を引き出そうとするものの、ものの見事に空振りでした。彼は安易に部落差別を語る人ではなかったのです。彼の半眼に開いた両棲類のような眼、政治家としての信念を語る語調から、野中の両義性を賛美し少数者(非差別者)としての発言を引き出そうとする姜や森の誘いには一切、応じませんでした。

部落差別は現実を直視することでしかなくならないと正論を発する森達也の言葉にも、眉ひとつ動かさず無視しました。そこに私は部落差別の深淵を感じざるをえませんでした。結局、野中広務をして部落差別の現実を吐露させたのは、姜尚中や森の言葉ではなく、辛淑玉の、自分の信念によって身内との崩れる人間関係に涙する姿しかなかったようです。

<情>の人、多数派の幹部でありながら大政翼賛会的な集団化に警鐘を鳴らす人、などなど野中広務を評価する流れが出てきたのはどうしてなのでしょうか。辛淑玉との共著がヒットしたことがきっかけなのでしょうか。私は野中論議が非差別部落問題につながることはないように思います。「当然の法理」を前提にして外国人を排斥してきた戦後日本の在り方について質問をしかたったのですが、短い時間では噛み合わないなと感じ、質問書を途中で破ってしまいました。

自分では部落差別の現実にものを言わないものの、周りの人が取り上げることを野中広務はどのような思いで見ているのでしょうか。一筋縄ではいかない政治家は戦争を知らない世代に<平和>だけを語り死にたいと思っているようです。彼が自民党の幹部として犯した罪のことはもう触れられることはないようですが・・・

2009年12月13日日曜日

義母が救急車で運ばれたときに想ったことー国籍条項はやっぱ、やめましょう

みなさんへ

暖かい日もありますが、これからどんどん寒くなるそうです。
みなさん、年末にかけお体をお大事に。飲みすぎには
気をつけましょうね(自戒)。

昨日、自宅で義母が倒れこみ、救急車を呼びました。
幸い、今日会ったら元気でぴんぴんしてましたので安心です。

救急車には川崎市消防局と書いていました。
若く溌剌と動いてくれたのは若い人たちで、いわゆる、
消防局員です。外国人は排除されている職務です。
彼らにはとてもいい印象を持ちました。動揺する家族に
冷静に説明し対応してくれていました。

しかしそのとき思ったのは、日本語で説明できない住民
に対応するには外国語ができる消防局員(士)がいれば
いいなということでした。川崎の人口の2%を占める
外国人の数からして、外国籍の消防士はいたほうが
いいですね、昨日は痛感しました。

国の見解の「当然の法理」に基づき、「公権力の行使」を
川崎市は独自に「市民の意思にかかわらず、市民の自由、
権利を制限する」と解釈したので、義母のようにものも
言えない患者を病院に運ぶのは、「市民の自由、権利を
制限する」ことになり、「公権力の行使」であり、外国籍公務員
には就いてはいけない職務ということになるのでしょう。
ケースワーカー同じですね。

消防士ということですぐに連想する火事の際に出動する
仕事は、家を壊したりするので「市民の意思にかかわらず、
市民の自由、権利を制限する]ということになり、外国籍
公務員はだめということなんでしょうね、きっと。なんか
法律があるんでしょうか? 知っている方は教えてください。

地方分権が叫ばれ、地方公務員の住民へのサービスが
強調される今日、「当然の法理」を声高に批判せずとも、
「公権の行使」を時代に合った新しい解釈で表現できない
でしょうか?

川崎の場合、政令都市としては全国で初めて、
「門戸の開放」を実現したのですが、そのときは、
市民運動の要求と、国の「当然の法理」を両立
させるために川崎方式なるものを考え出し、
「公権力の行使」の独自な解釈を生み出し
「運用規定」に反映させました。

私たちは12年にわたってそのことが、外国籍公務員
の昇進・職務の制限をうみだす差別制度だと、市に
運用規定」の撤廃を求めてきました。しかし「運用規定」
そのものは何も外国人のために作られたのでなく
(もっともらしく「外国籍公務員のいきいき人事」などと
副題にしていますが)、私たちが強調してきたように、
ジョブ・ローテーションによって市職員の合理化をはかる
ことが目的でした。「運用規定」そのものの抜本的な
見直しが必要かどうかは組合が判断することでしょう。

「運用規定」に明記されている「公権力の行使」の解釈
だけを変更すれば、「当然の法理」云々の論議をせずとも、
また右翼的な民主党議員と闘って市議会で論争せずとも、
うまく行くような気がします。

国は、「当然の法理」の建前だけを尊重してくれればよく、
地方自治体がどのような職務を国籍条項にあてはめようが、
はずそうが、個々の具体的な職務の判断には口出ししない
と言っているのですから。

というわけでみなさん、「公権力の行使」とは何かの新しい
解釈を考える必要がありそうです。

外国人問題に精力的に関わり、姉妹都市の韓国・富川市
との交流を図ったり、日韓の高校生の交流を進めている
市の職員のみなさん、私たちが「運用規程」の問題を
取り上げないと批判してきたからと怒らず、ここは一緒に
なって英知を集めましょうよ。いくら当初の動機が純粋で
自分たちは「共生」を求めて一生懸命やったからといって、
現行の「運用規定」は明らかに差別制度です。

この問題をないことにして日韓の親善や、慰安婦問題や
教科書問題に言及しても、やはり問題は残ります。
現存する明らかな差別制度に口をつむぐことは、よくない
ことです。心も痛むでしょう。ここいらで一挙に解決するために
力(英知)をあわせようではありませんか!

こんなことを40年もやってきた私は来年65歳ですよ。
市の職員のみなさんもまもなく定年でしょう。まだそこまで
いかない若い職員、外国籍公務員になった人たち、市民運動、
組合活動、NPO従事者も、一緒にいかがですか。

これは、私の来年に向けた心からのメッセージです。


崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2009年12月11日金曜日

阿部川崎市長との面談内容

1.面談前の応接室で

今日、午前10時40-50分の間に市長室で面談しました。

面談に当たり、待合室で会ったのは、船橋兵悟、総務局理事

秘書部長でした。彼は私の顔を見るなり、お久しぶりですねと、

挨拶をしました。話を聞くと、元人事課の課長で、「連絡会議」

との交渉の席に出て、「運用規程」の見直し発言をし、民団新聞

に 大きく報道された人物でした。



なんだか、阿部市長との面談の実現といい、斎藤まちづくり局室長、

大澤課長、船橋秘書部長との出会いといい、全く予期せぬ出来事
でした。誰かが画策してもこんな風にはいかなかったでしょう。


2.面談のイントロダクション

阿部市長には、お招きにあずかりありがとうございますという挨拶

で握手をして、私たちの『日本における多文化共生とは何か』を

手渡しました。市長は短く礼をいい、「読んでみます」と答えました。



私は、自分の考えとして、外国籍市民の問題は行くつくところ、川崎

の住民自治、市民の政治参加がどのように内実化、実現されるの

かということに尽きると考えていますと、自説から話を始めました。



3.国籍条項について

阿部市長からは、国籍条項のことは、みなさんの期待されたよう

にはできず申し訳ないという発言がありました。私は、国民国家と

いう制度がある以上、(国籍条項撤廃の)むつかしいことはわかり

ます。しかし煙草の吸殻を捨てることを注意もできないという事態が

(外国籍職員に)起こっており、改めて(運用規程を)見直していた

だきたい、と話しました。市長は、具体的な提案があれば話して

くださいということだったので今後、窓口になった大澤課長と話し

合いを進めていくことができると思います。



「見直しが必要」と公言された元人事課の課長が秘書室のトップ

になったということからして、ここはどのような見直しが可能か、

どのような問題があるのか、こちらの要求だけでなく、人事課の

「苦しみ」にも耳を傾け、一緒に解決の方向を目指したいと思います。



国籍条項の話は最後にも触れ3度、短く出しました。その際、

民主党の仙石さんは、私たちの主張をよく理解されていますと話し、

政権政党は阿部市長が決断されても支持しますよと、暗に伝えた

のですが、「有名な方ですね」という対応しかありませんでした。



4.南高校の跡地の問題について

南高校の跡地に関しては、住民の要望を聞くということは既に

言及していると市長は何度か強調しました。私は、それはわか

っていますが、住民も行政と一緒になって問題の内容を理解し、

解決に向けて努力する必要があり、そのためには行政と話し

合う場がなければならず、どのような形が相応しいのかは、

斎藤室長とよく話し合っていくことを認めていただきたいと

単刀直入に切りこみました。市長はうなずき、斎藤さんに話し

合った内容は自分に報告するようにと指示されました。



飯塚議員をはじめとした16日の市議との懇談会の話しにも

私が触れると、既に阿部市長はわかっているという表情でした。

裁判の取り下げに見られるように、住民は対話路線に向かう

のは間違いないと思われますという説明にも黙って聞いて

いました。様子を見ようということでしょうか。



(斎藤室長は面談後の私との話で、その懇談会は重要だと

いう認識をもっているようでしたので、この点はしっかりと準備

する必要があるように思えます。)



市長は、南高校の跡地の問題は川崎駅周辺地区という都市

計画の問題の一部であり、JRの駅建設を計画しており、土地

の確保もできている、また福祉施設の要望が住民の間で強い

ことも聞いているが、あの地域の周辺には福祉施設がかなり

できてきている、という2点を市長は強調していました。



今後行政との話し合いを進めるなかで、市長の発言を踏まえ、

その実現性、問題点、対案などをしっかり協議するべきだと

思いました。



いすれにしてもJR駅の建設、全体の都市計画のなかでその

面積の5割以上を占めるJFEの計画は5年前のものであり、

大きく社会情勢が変わってきた今、改めて南高校の跡地の

活用を含め、都市計画全体を見直すという作業が不可避に

なるでしょう。



5.臨海部の開発に市民の声を

最後に、臨海部の問題に関しては、学識者と行政による案

しか提示されてないが、もっと市民の意見を取入れてはどうか

と話しました。市長は具体的な提案があればいつでも受け入れ

検討するという対応でした。川崎区の今後の産業政策とも

からむ話なので、この点も市民として積極的に取り組む

必要を感じました。



6.最後に

阿部市長との今日の面談の内容は、いずれも簡単に結論が

でない問題で、その中で関係部局との話し合いを進め具体的

な提案を望むと市長が明言された以上、関係部局との真摯な

対話を市長が承認したことになり、市民側の責任は重大という
強い印象をもちました。


阿部市長が市長選の最終日、私との対話をするという約束を
実行されたことに敬意を表します。

崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2009年12月7日月曜日

同時代史学会の大会にお出で下さり、どうもありがとうございました。

「共生」を批判する: 学問は過去の出来事(歴史)を捉えることができるのかー「同時代史学会」に参加して

崔 勝久 様

先週の土曜日には
同時代史学会の大会にお出で下さり、どうもありがとうございました。
また、丁寧な感想をお寄せいただき感謝しております。

私は、現在、学会の代表をつとめております。
市民に広く開かれた学会を目指しておりますが、
実態はまだまだ不十分です。
学会自体は、運動にはタッチしませんが、
学会に参加しているメンバーには
さまざまな運動に参加している人も少なくありません。

当事者が現存しておられる中で行う同時代史の研究は、
緊張感のあるものにならざるを得ません。
研究者にとっては自分の生き方が問われることにもなります。
しかし、それは古い昔の歴史を専攻している人には味わえない
醍醐味でもあると思います。

崔様のブログは、まだ一部分を拝見しただけですが、
大変に興味深く読ませて頂きました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

12月7日
浅井良夫

--------------------------------------------

浅井良夫さんへ

ご丁寧なご返事、ありがとうございます。
日立闘争の件で研究発表された土屋さんからは、
私の感想に対して大変ご丁寧なご返事を送って
くださいました。

思想と現実の出来事とはどのような関係になるのか、
これは文献を集めただけでは見えてこないものなのでしょう。
もちろん、証言も同様です。それらの「証拠」の真偽を
明らかにする作業抜きに、先に研究者の結論ありきで、
そこに証拠を当てはめるという手法が社会科学の論文で
多く見られると私は感じて来ました。

「在日」の運動とそれを担ったリーダたちの思想との関連は
大変、興味深いもので、アメリカの黒人神学、韓国の民衆神学
との相関関係、同時に同時代的な全共闘運動、解放同盟の
実践などとの関係から浮かび上がらせると、歴史の一駒が
浮かび上がるように思うのです。

土屋さんや、加藤さんの今後の御研究に期待しています。
その作業はまた、現在の閉塞状況を突破していく切り口に
なるのではないかという期待が、私にはあります。

先生の、また貴学会のますますのご発展を祈念します。
今後ともよろしくお願いします。

崔 勝久

PS:浅井さんのご返事をブログに掲載させていただいて
よろしいでしょうか。

-----------------------------------------------

崔 勝久 様

ブログに載せて下さっても差し支えありません。

日本の学問が、欧米から理論を輸入し、
それを当てはめる悪弊からいまだに脱していないことは
ほんとうに嘆かわしいことです。

12月7日
浅井良夫

2009年12月6日日曜日

学問は過去の出来事(歴史)を捉えることができるのかー「同時代史学会」に参加して

昨日、東大の本郷キャンパスでの「同時代史学会」学会の研究発表会に、横浜国大の加藤さんのご紹介で参加しました。加藤さんが紹介くださったのは、その日のテーマが「60年代論の再構築」であり、「越境する市民権運動―川崎市南部における日立裁判支援運動と黒人神学」だったので、当事者として話を聞いてみないかということでした。

HPで発表者の土屋和代さんのレジュメを読み、実は、あまり気が進まなかったのです。というのは、以前、東大の博士論文で川崎の「多文化共生」を教育の分野から取り上げ、日立闘争をその後の川崎の「共生」運動のキートーンとして位置つけながら、当該の朴鐘碩と私への接触がなく、数度の手紙での問題点の指摘に対しても全く反応がなかったという、韓国の研究者との苦い経験があったので、今回も同じ思いをするのは嫌だなと思っていたからです。

しかし、この学会は、若い学者に発表の機会を与え、それを経験あるいろんな分野の学者が愛情をもって鍛えていく、問題意識の交換をしていく場だと感じました。最初の発表の「青春文学と青春歌謡にみる60年代」は、斎藤さんの軽妙な語り口(歌を口ずさみながら)だったので、そうかここはこんな雰囲気の学会なんだといい印象をもちました。次に登場したのが、日立闘争を取り上げた土屋さんの発表でした。

日立闘争当事者が参加すると加藤さんから事前に知らされていた土屋さんは逆に話しづらかったのではないかと心配しました。4-5年にわたってインタビューや資料収集を重ね、淡々と話される土屋さんに私は大変、いい印象を持ちました。地域での黒人差別の問題を直視し、その運動の必然性、正当性を黒人神学として保守的な信仰理解から展開していたコーン博士は、まさに私が学生時代、「在日」のアイデンティティに悩み、日立闘争に関わっていたときに読み、また実際に川崎でお会いした人物でした。

土屋さんは、その黒人神学を受容し「在日」の立場で実践した人物として李仁夏牧師をとりあげ、市民運動のトランスナショナルな一面を実証するのに成功していました。李先生こそ、「在日」を代表する知識人であり、日立闘争の中心人物、差別との闘いを地域で切り開いた人物なのですから、彼の思想(神学)と実践とを結びつけようとしたのは当然です。しかし、やはり私が危惧したとおり、思想と出来事の因果関係を土屋さんは逆に捉えていました。彼は目の前でアイデンティティに悩む「在日」青年の悩みを受け止め、実践を支え、ともに闘い、そこで見えたことを思想として書き表したのです。彼の思想(神学)に影響を受け、運動がはじまったのではありませんし、運動が彼の神学に影響を受けたとは言えません。彼はその運動の意味を解き明かしたのです。

コメンテータからも鋭い質問がありました。その中で二点、ひとつは、「在日」のアイデンティティの回復を目指す運動と、行政との交渉(改良運動)の関係。二つ目は、「在日」の地域での運動の中での分裂は、他の地域でもあったのか、ということでした。しかし土屋さんの報告では、「在日」の地域での運動の内部分裂という現象は説明されていたが、それが何であったのかという点では十分な理解がなかったのではないかと感じました。

当事者として発言を求められた私は、2分ばかり、「在日」の差別と闘う運動は全国的に「多文化共生」に収斂されている、その「共生」は政府・企業を巻き込んだ新自由主義の流れの中で捉えるべきだと話しました(これではわかりませんね、何のことか)。

その後の懇談会では、いろんな方にお目にかかりました。新しい出会いを喜んでおります。また土屋さんとも話す機会があり、年甲斐もなくこちらの問題意識や、過去の経験等を話したのですが、土屋さんの今後の研究の参考になったのかどうかはわかりません。しかし60年代に日立闘争勝利の後、地域活動を始めた私たちは既に「貴重な存在」になっていて、現在の閉そく状態を突き破るためにも、その時の出来事を理解、把握することが重要だと語られていたことには賛同します。

学問(研究)は過去の出来事(歴史)を捉える事ができるのか、これは大変困難な仕事と思われます。文献、インタビューをできるだけ多く集めるだけでなく、その真偽さえ批判的に捉えなおし、歴史という広大なステージの中で、ひとつの出来事を複合的に理解して、またそれを歴史とは何であったのかと総合的に解釈していくわけですから。研究者って大変ですね。土屋さんをはじめ、学会の皆様のご活躍を心より祈ります。皆様の研究成果から学び、実践の場で活かしたいと願ってやみません。

2009年12月2日水曜日

阿部市長との面談の実現(?!)

先月末、川崎市総務局市民情報室市民の声担当から、阿部市長が私との面談をしたいという、驚くべき連絡がはいりました。

私は、阿部市長に「市長への手紙」コーナーに数度メールを送り、返事をいただいたことがありました。南高校の跡地と、国籍条項に関することですが、後者には触れていませんでした。調べてみると、私との面談は市長の人事課の課長への指示に基づくものであることが判明しました(偽メール―ではありませんでした!)。

人事課課長への市長からの指示は、市長選の投票日に私が阿部市長に出会い、「阿部三選阻止」のビラを渡しながら、阿部市長とは考えは違うが、対話をしたいと申し込んだところ、「喧嘩でなく、対話であれば約束します」と話されたからだというのです。私はビラを渡した後バスに乗ったものの、言い忘れたような気がして阿部さんのところに駆けつけたところ、「戻ってきてくれてありがとう」と話され握手したことを思い出しました。そのときの、「対話を約束します」という言葉は何故か、必ず実現されると確信しました。

人事課課長への指示ということから、国籍条項の問題を含めても話しあう考えがあると推測できます。私は、担当局の方としっかりと意見交換をしてからであればと考え、阿部市長の面談の申し込みに応じることにしました。「面談はおひとりでお願いします」とありますので、一人で面談します。

今年の春に入院したときに読んだハンナ・アーレントの、「話し合いの保障」こそが民主主義の要ということは、「在日」の在り方、住民自治の仕組み、実際の運動の面で、私のものの考え方、行動にとって最も重要な基準になったと思います。意見の違いがあってもいいではないか、どういうことがあっても逃げず、排除せず、対話をするという信念で、私は苦しい局面を切り開くことができました。それが師走になって、阿部市長から面談を申し込まれるようになるとは、意外でもありながら、大きな喜びです。

市長との個別面談でどのような進展になるのかわかりませんが、まず担当の方がたとしっかりと話し合い、市長に対しては感謝とともに、率直な話をしたいと願っています。

2009年11月25日水曜日

中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)を読んで


近現代史の専門家である中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)を読みました。

文学と歴史書の関係については、田川建三の遠藤周作批判を既に読んでいたので、私には中村さんの司馬遼太郎批判は物足りませんでした「イエスを描くという行為―歴史記述の課題」(『宗教とは何か 宗教批判をめぐる』(洋泉社 2006)。遠藤と同じく、司馬の読者もまた、『坂の上の雲』をフィクションでなく、ノンフィクションとして読むでしょうし、本人もまた事実に基づいて書いていると自覚している点でも同じです。

中村さんはさすが近現代史の専門家として、司馬が目を通したであろう当時の資料の批判と、その後の学問的成果を踏まえながら、司馬史観を批判します。中村さんの指摘はあたっていると思います。その点に関してはその通りなのですが、どうして物足りなさを感じるのか、考えてみました。

司馬史観の批判はあたっているのだが、ではどうして司馬はそのような史観をもって資料を解釈ないしは無視したのか、という点では、中村さんは、司馬の産経新聞時代に培った「サービス精神」に帰着させます。勿論、「司馬を論じることは、日本文化を論じることである」ということは強調されています。彼が読まれた時代(「高度成長下で・・野放図にまで成長してきた『戦後的価値意識』)を代表していた」という指摘もあります。

司馬遼太郎は、私は夏目漱石後の国民作家と位置付けられる作家ではないかと思っています。勿論、二人の文学の質ではありません、国民から受け止められ、評価されてきたという意味です。そういう意味で、朴裕河の漱石を批判した『ナショナル・アイデンティティとジェンダー漱石・文学・近代』(クレイン 2007)(私は評判になった『和解のために・・』『反日ナショナリズム・・』よりもこの本を評価します)では、どうして漱石が国民作家になっていったのかという背景がナショナル・アイデンティティをキーワードにしながら描かれているのですが、中村さんにはこの点の分析が希薄です。

学問の専門分野が違うということかもしれませんが、司馬の「サービス精神」をキーワードにしたのではあまりにも彼を国民作家と仰ぐ人が多い現象の説明としては弱いのではないのでしょうか。私見では、司馬遼太郎批判が、ナショナル・アイデンティティ批判につながる視点として提示されていないからではないかと思われるのですが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。しかし司馬史観と「つくる会」の事実認識・歴史認識のレベルを知り、教科書問題の背景を知るためには必読書であるということでは異存はありません。個人的には、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を正面から論じてほしかったですね。それは戦後歴史学の評価・批判にもつながると思います。

2009年11月23日月曜日

朝日新聞の社説の疑問に賛同―「外国人選挙権」「まちづくりを共に担う」


23日(月)の朝日新聞の社説に、鳩山首相や小沢幹事長が前向きなために外国人選挙権に関して、「来年の通常国会にも法案」がでる見通しとあります。一部には根強い反対が民主党内にもあるそうですが、このままいくように思えます。鳩山政権は「多文化共生社会」をめざし、朝日は、「実現へ踏み出す時ではないか」と主張します。ここは「多文化共生」を批判した、私たちの『多文化共生とは何かー在日の経験から』を是非、一読していただきたいところですね。

日本に永住する外国人は91万人、そのうち「在日」は42万人だそうです。朝日は、「外国人地方選挙権を実現させることで、外国人が住みやすい環境づくりにつなげたい」、そのことが、「分権時代の地方自治体の活性化させることもできる」と主張しますが、ここのところは外国人施策の「先駆者」川崎市の実情を見ていると、ことはそんなに簡単ではないでしょう。

外国人の政治参加と言っても、非選挙権はなく、悪い意味で、日本の政治風土に埋没するように思えます。今度の川崎の市長選で日本の政治風土を実感しました。そこでは市民が不在で、立候補者同士の議論も全くなく、駅頭で頭を下げるか、車でぎゃあぎゃあ叫ぶくらいの選挙運動でした。公職選挙法を恐れ、公示後の市民の主催する集会に全員ドタキャンする始末です。日本の政治風土を変え、「分権時代の地方自治体を活性化」させるのは、外国人地方選挙権の実現でなく、日本人自身の、市民の政治参加の実現でしょうね。

反対論に対して、「人々の不安をあおり、排外主義的な空気を助長する主張には首をかしげる」という社説の主張には賛成です。「孤立させ、疎外する方が危うい。むしろ、地域に迎え入れることで社会の安全化を図るべき」とはちょっとひっかかりますが、まあ、いいでしょう。まだ多くの日本人にはこの認識さえないのですから。

私がこの間主張してきた、「朝鮮」籍者排除を前提にして、反北朝鮮感情に配慮していると見られる民主党の枠つくりに、朝日は疑問を呈します。「別の政治的理由で一部の人を排除していいか。議論が必要だろう」ということですが、産経や読売の主張に比して、この主張は正常ですね。ここから朝日新聞ももっと問題を深めてほしいものです。「当然の法理」を根拠にした、外国籍の地方公務員の差別待遇にまで話が及べばいいのですが。

外国人の政治参加の保障は、国の見解である「当然の法理」に地方自治体が縛られている限りだめです。ここを突破して、住民自治の実現を目指し、日本の地方自治の在り方を根底から作りなおすことが日本人・外国人にとっても最も重要な、課題なのでしょう。

2009年11月22日日曜日




今日は川崎の桜本町の2万人集まるという「日本の祭り」に、横浜国大の学生が参加し、ホットドッグやコロッケパン、焼きそばパンなどを売りました。彼らは、大学の授業として「川崎フィールドワーク」があり、そこに参加した者たちが中心となって、呼びかけ合い集まったのです。私はそのフィールドワークのアレンジをした経緯があったので、彼らの準備に関わることになりました。

今朝は雨で、祭りはどうなることか、買った材料はどうなるのか心配しましたが、幸いに雨はやみ、最後まで雨が降ることはありませんでした。とは言うものの、全く経験のない彼らがどう作り、販売するのか、正直、
えっ、この子たち、そんなことできるの、と心配しました。

心配通り、祭りが始まる時間になっても、ホットドッグを作る段取りもまったくできずもたもたしていました。焼きそばを鉄板で温めるだけなのに、熱い熱に手こずり、コロッケを恐る恐る半分に切っていました。それでも私は一切口出しせず、彼らがどうするのか、ずっと見守ることにしました。

幸い、準備したパンにはさむ材料は全部さばけたのですが、コロッケとコッペパンが残りました。私はかれらがそれらをどうするつもりなのか、周りの店も後片付けし始めているので、ああ、売れ残ったしょうがない、
と言い出すものと思っていましたが、なんと彼らは意外な行動をとりはじめました。コロッケやパンを袋に詰め、人の多い所に行って、売ってきたのです。どのように呼びかけたのかわかりませんが、全部売ってきました。完売です!

どうして売れ残ったものをそこまで必死になって売りさばこうとしたのか、私は彼らに聞いておらず、その理由はわかりません。ただ私は、おう、こいつら、なかなかやるじゃんと思いうれしかったのです。

全部売り切り黒字でしたが、彼ら8名分の人件費は入っていません。それでも完売を喜び、祝杯をあげました!

じっと見守り、自分たちでやり始めるのを見守ったことがよかったのでしょうか。わたしがじれったくてなんか指示し出したら、このおっさんはなんや、ということで間違いなく反発したか、少なくとも、自分たちから積極的に行動を起こそうとはしなかったでしょうね。

いずれにしても桜本商店街のみなさん、商材を準備してくれた量販店の人たちの御世話になりました。学生諸君の将来に乾杯!

--
崔 勝久
SK Choi

2009年11月19日木曜日

客観的な学問ってあるのかしらーノンフィクションを読んで


いろんな頭の痛いことが続いたので、息抜きで『神々の捏造―イエスの弟をめぐる「世紀の事件」』(ニナ・バーリー、東京書籍)(原題は、『Unholy Business』)を読みました。訳者あとがきで、「こんなにおもしろいノンフィクションがあっていいのか!」とありますが、同感です。マグナダのマリアとかイエスの弟のヤコブについてのややこしい翻訳ものがたくさんありますが、それとはまったく異なります。

ヨセフーヤコブーイエスの名が刻まれた骨箱がイスラエルで発見され、それはイエスが実在したことを証明するものだということで、大変な話題になりカナダの博物館で展示されたそうです。

その他「ヨアシュ碑文」と象牙のザクロの実が、伝説のソロモン王が建造した「第一神殿」の実在を示す、史上初の物的証拠やとして、ヤコブの骨箱とほぼ同時期に発表されたそうです。それがなんだと言う方もいらっしゃるでしょうが、実は、それらの遺物は聖書の記述の正しさを証明するものとしてカトリックは勿論、アメリカの福音派から歓迎され(韓国もそうでしょうね)、またそれはイスラエルのナショナル・アイデンティティを鼓舞し、パレスチナ侵略を正当化するものとして、現代的・政治的に大きな意味をもっていたのです。

その遺物が世界中で大きな話題になり、その真贋をめぐる裁判闘争まで行われたのですが、イスラエルとパレスチナの紛争がありながら、そのような遺物の不法な発掘と販売には、民族・国境を越えたシンジゲートが作られており、世界中の博物館や大学、個人のコレクターにばらまかれているそうです。

それにしても、その真贋を決めるのは考古学や碑文学、古代の言語学等なのですが、それら研究家においても見解が異なり、そこに研究者の個人的な事情や、信仰理解がからまり、純粋な学問成果という客観的なものはないということがわかります。20世紀の最大の発見と言われている「死海文書」は一定の発掘分野からでたものではないのですが、そのようなものは基本的にはありえないということがよくわかりました。

日本の旧約聖書学者の第一人者であった関根正雄をして(『古代イスラエルの思想―旧約の予言者たち』(講談社学術文庫)、「霊」の働きとその信仰なくして聖書は理解できないというのであれば、聖書学や考古学も信仰とは別のものとしてありえないという結論になり、私は同意できません。私はどうしても人間の生き方、というものに執着します。

2009年11月14日土曜日

「こんな教科書はいらない」横浜集会に参加してーその(1)




11月12日(木)、横浜で開催された「戦争賛美 偏った歴史観の  こんな教科書はいらないー自由社採択&1採択地区撤回を求める 11.12市民の集いー」に参加しました。


会場は200名を超える人が集まりましたが、現役の教師はほとんどいなくて、元教師の比較的高齢の方が多いのに驚きました。 現場はいろいろと大変で参加できないのでしょうという司会の解説がありましたが、いろいろと大変という意味は、現場での教師の発言が困難になってきているというのと、雑用に追われて現場の教師は教科の内容にまで神経を使う余裕さえないという意味であると、私には聞こえました。この現実は教科書採択の背景にある重要なファクターでもあるでしょう。


私自身は、自由社の教科書の内容に驚いています。『日本人の歴史教科書』(自由社)の「はじめに」では、藤岡信勝が、「歴史の知恵に学ぶ」「「自虐史観」の歴史教科書」「日本の誇るべき歴史と伝統」「珠玉の名講義と標準的教科書」というタイトルを掲げて自論を展開しています。


日本の現状を憂い、「この日本を立て直すためには、何を拠り所にすればよいのか。多くの人々がこのことに思いを巡らし、ほぼ共通の結論に達しています。」(おい、本当か?)「日本人が自己を取り戻すには、モデルを外に求めるのではなく、日本のよき文化と伝統に立ち返り、長い歴史の知恵に学ぶしかないということです。」


そもそもこの前提が間違っていないか、むしろ人類の歴史として日本を相対化し、世界の英知を集めて日本を見つめなおすという視点が完全に欠如しています。歴史を「加害者」「被害者」という単純な二項対立的な視点でなく、複合的に捉え、なおかつ観念論に陥らずに悲惨な現実を直視するという捉え方が不可欠だと思います。


教科書問題はそれだけを捉えて問題にしてはいけないのではないでしょうか。私は、横浜で自由社の教科書がどのような過程を経て実現されたのか、その要因は何かを分析し、同じことを川崎や全国で展開させないようにするにはどうすればいいのか、考えたいと思い参加しました。

2年後には全横浜市の中学校で自由社の歴史教科書が採択されることはほぼ、確実だと思われます。 逆説的にいえば、これを反面教師としていかに偏ったものの見方かということを子供たちに考えてもらういい機会でもあると思うのですが、そのような授業ができるような教師側の体制になっているのでしょうか。自由社以外の今の教科書では、子供たちに植民地支配の問題点を十分に考えさせる授業(教育)ができていたのかという、根本的な現実批判から始めなければならないと、私は考えています。
 
横浜で自由社の教科書が採択された背景には、民主党の躍進、グローバリズムと新自由主義政策、多文化共生政策とナショナリズムの強調が一体化されていると私は見ます。研究者の協力を得て、この事態を読みほどき、実践に結実化させたいものです。

2009年11月3日火曜日

韓国の呉在植さんとの35年ぶりの出会い


韓国の呉在植さんとの35年ぶりの出会い

今日、東京の富阪キリスト教センターで、第一回目の市民公開文化講演会として、韓国からいらした呉在植(OH Jaeshik)さんのお話を伺いました。学生の民主化闘争の始まりで韓国ソウル大学大学院から急遽日本に戻った私を故李仁夏牧師やこの呉さんが、RAIK(在日韓国人問題研究所)の開設にあたって、主事として務めることを勧めてくださったのです。日立闘争と地域の活動をすることを条件に主事就職を承諾した私は、文字通り、「在日」問題の専従として全力をあげてそれらの問題と課題に関わってきたことをつい、先日のように思います。

呉さんは、昔と同じように温厚な顔でやさしい話し方でしたが、物事の本質を突く講演内容でした。日本のキリスト教会を中心に韓国の民主化闘争との連帯運動を背後から支援してきた中心人物であることは、知る人ぞ知るという方です。「東アジアの平和を考える」というタイトルで、北朝鮮にどのように対するべきかということから話を始められました。

6者会談というのは、それぞれがお互い20世紀の過去に戦争に関わってきたメンバーであり、未来志向の、覇権主義を乗り越える視点をもった新たなフレームでないと成功しない、敵として北朝鮮を追い込むのでなく、新たなフレームつくりの仲間として、思いやりをもって受け止めるという考えです。この新たなフレーム作りということが今日の呉在植さんのテーマでした。これは国籍や民族を超え、人間をもっとも貴重な存在とする考え方であり、「東アジアの平和」は国際政治や地理的なことにとどまらず、その考え方は地域社会や国家内部においてもその内実を問うものとしてあるということを主張されていました。

過去、日本の教会にあって韓国民主化闘争に関わったことのある人たちが多く集まり、その人たちに対して呉さんは、加害者意識も被害者意識も同じコンプレックスで、それは未来志向の新たなフレーム作りに関わるなかで乗り越えなければならないということを強調されました。50年前、平和十原則を確認し、二回目は開催されなかったバンドン会議(第一回アジア・アフリカ会議)を、近い将来、北朝鮮の平壌で、日本のリーダーシップで開催できるようにしてほしいというエールで講演は終わりました。

2時間の講演と質疑応答でしたが、久しぶりにキリスト者の会合に出た私は、川崎での闘いを温かく見守ってくださる関田さん、NCC元総幹事の東海林さん、現NCC総幹事でICUのときの後輩である飯島君、当時お世話になったNCC職員の山口さん、などにお目にかかることができました。また司会をされた方は、故鈴木正久さんのご令嬢であることを知りうれしくて名刺交換をしました。川崎では滝澤牧師との交友を深めていますが、たまには東京のキリスト者の会合にでるのもいいものですね。

また、講演会の後、講演会で挨拶をされた朴聖焌さんと、韓国のキリスト教会の現状や日本の地域社会で起きていることなどの意見交換ができたことはうれしいことでした。15年前にお会いしたときと全く変わらず、権力に阿附せず、自己保全・拡張を志向する教会への厳しい批判的な姿勢を持ち続けていらしているご様子で、何よりです。

川崎の市長選で阿部三選阻止を謳った集会には残念ながら、教会関係の方はいらっしゃいませんでした。地域から世界を見つつ、教会の人たちとも対話を進めたいと願います。

2009年11月1日日曜日

拝啓 阿部市長殿(その3)

拝啓 阿部市長(その3)

このメールが阿部市長が当選されてから3度目のメールになります。
24日の投票を前日に川崎駅西口で、夜の9時にお会いした崔勝久
(チェ・スング)と申します。

今日は、神奈川新聞(11・1)の2面にある市長のインタビューの
記事についてです。地下鉄についての発言が主でしたが、最後に
抱負を尋ねられ、「人材育成では、女性や障害のある職員を
積極的に登用することを考えている」と答えられています。

どうして市長はここに、外国人(ないしは外国籍職員)と加えられ
なかったのでしょうか。阿部市長の、「感情ではなく、科学的」な姿勢を
強調されるのであれば、労基法が断じているように、国籍による
差別はしない、試験を通って公務員になった人は、自分の能力を
生かしてがんばってほしい、とおっしゃるべきだと思います。

社会の弱者とされている人たち(マイノリティ)へのエールに
なるでしょう。政府の「当然の法理」にこだわらず、首長の判断で
職員の能力に応じて職務、昇進を決めると宣言されることを
心からお勧めします。国際都市川崎にふさわしい判断だと
確信します。

2009年10月30日金曜日

"横浜市があぶない”(民団新聞10/28)


”横浜市があぶない”「教科書採択区を統一化」「全国でも異例」と

民団新聞が伝えています。




私のコメントを次のように引用しています。

「自由社版の中学歴史教科書は2年後には横浜市の統一教科書になる。

ほぼ間違いなくそうなるでしょう。今後は全国の市議会で『つくる会』

教科書賛成派を増やし、教育委員会の委員を代えながら、最終的には

教科書採択を採決で勝ち取ろうとしていく。こうした横浜方式を許しては

ならない」



何度も触れていますが、東南アジアでは日本軍を西欧帝国主義国家

からの解放軍として迎えたという記述や、現地の人の歓迎ぶりを

示す写真を掲載している教科書を見て、どうしてそんなことが言えるのか、

そのような歪曲した歴史観を子供に伝えてどうするのか、それを採択した

「教育者」に伺いたいですね。



東京で始まり、横浜で本格化するとなれば、全国に波及するのは

避けがたいとも思いますが、このような歴史の流れを傍観する

わけにはいきません。



「横浜方式」が可能になるためには、まず市議会において、「つくる会」

系の教科書をよしとする議員が多数を占めなければなりません。

川崎では民主党の中でも見解が分かれています。各議員の

考えを確認する作業から始めなければならないようですね。



気をつけなければいけないのは、「つくる会」系の教科書をよしとする

人たちは同時に、「多文化共生」論者でもあるということなのです。

「多様性」「自己責任」などを強調する政治家は、新自由主義論者

であり、彼らが教科書の採択に動くと思われます。ネオ・リべが

ナショナリズム、多文化共生と結びつく構造は、是非、研究者に

よって解明していただきたいですね。



新教科書の採択には、首長が明確な意思をもって、「つくる会」系の

教科書を普及させたいと考え、そのために自分に賛成する教育委員会

の委員を順次選び、議会の承諾を得る必要があります。要はこの流れを

切ればいいのです。



横浜の中田元市長がそれなりに人気があり、構造改革も市民から

受け入れられていたという事実、彼の在任中に、特に教育委員会の

委員を選ぼうとしたときに市民運動がおきなかったこと、マスコミが

危機感を全くもたなかったこと、を考えると、この流れを切るという

作業も簡単ではないように思えます。



いずれにしても「横浜方式」を実現させないように英知を集めましょう。



  崔 勝久
  SK Choi

2009年10月29日木曜日

最高裁 国籍条項を削除 司法修習生の選考要綱(朝日新聞)


29日の朝日新聞の見出しを見ておどろきました。えっ、金敬得のときに国籍条項はなくなったんではなかったの?


そうか、最高裁は金敬得の司法修習生の採用に際して、国籍条項は残したまま「相当と認めるものに限り、採用する」との方針を示して採用していたのか。例外的な採用、ということですね。


国籍条項をめぐる日弁連の棄権sy穂は、まことに適切なものでしょう。「高い人格、識見があれば、国籍の有無にかかわらず役割をはたすことができる」。まさにその通りです。


また金敬得の採用問題に取り組んだ元最高裁判事の泉徳治弁護士の談話も、納得のできるものです。「自由に職業を選択し、自己実現をはかることは基本的人権の中核をなす」、いいですね。


さて、川崎の阿部新市長、まだ国の見解である「当然の法理」を盾に、外国籍公務員の職務・昇進の制度的な差別を続けますか。空き缶やたばこの市がらを捨てる人に注意をするのも「公権力の行使」などと言い張るのは、いかにもとってつけた形式論です。


市長として3期目、自分のやり残した仕事を完遂するというのですから、また全職員に、「感情的でなく、科学的」な視点で取り組むことを命じたのですから、職員の把握は市長の責任、各自、全力をあげて仕事に取り組んでほしい、後は自分が責任をとる、これくらいのことは言えませんか。

2009年10月28日水曜日

新たな出立ー荒野に向かって


『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み終えたので、何か前に読んだものでも読もうと本棚に向かい、聖書関係のところで立ち止まりました。田川建三には手が伸びず、どういうわけか、関根正雄の『古代イスラエルの思想―旧約の預言者たち』(講談社学術文庫)に手が行ってしまいました。

読み始めると最初のところに、「族長の時代」「旧約思想の出発点」とありました。関根正雄は、「書斎で学者が考えて思想をつむぎだした」のでなく、「本当に亡びに瀕する一族が何とかしなければならぬという時に、霊感を受けて方角決まり、出発の時も決まって、一族のいわば生死をかけた出発がなされ、そこから思想がはじまった」と記します。

新たな「約束の地」を求めて出発する決断をもって信仰の祖とアブラハムを見てきたこれまでの信仰理解に対して、そうではなく、「自分の今までの生活環境から根こそぎされてしまった、そういう不幸な人間」としてアブラハムを捉えます。アブラハムの出立についての一番歴史的事実に近い伝承は、「われわれの先祖は、さすらいの一アラム人であった」(申命記25-5)であり、それはヘブライ語の原語からすると、「亡びに瀕した一アラム人」ということのようです。(イスラエルの歴史は旧約聖書のアブラハムのカナンへの出発から始まるとされていますが、それは紀元前2000年のことで、その人たちは、人種的にはセム族に属するアラム族とされているそうです。)

私は、新たな勇気を与えられたような気がします。「約束の地」は後世の後付けでしょう。アブラハムは、実は何の保証のないところで、一族を率いて失意のうちに、しかしそこから出ることに神の祝福を感じて、荒野に出立したに違いありません。

我、ここに立つ、いざ、荒野に旅立たん。私たちの闘いはここからはじまるのです。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで

昨夜、NHKの「爆笑問題」があり、ゲストは、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)の作者、加藤陽子さんでした。

中学生を相手に5回にわたり、日清戦争から太平洋戦争にいたる、日本の近現代史を講義したものを本にしたもので、「歴史的なものの見方」について記しています。豊富な知識を縦横に駆使しながら、学生を相手に丁寧に応えているので、私は大変面白く読みました。 特に、「絵・書き文字」は印象的です。下手うまで、まことに適確です。

歴史的な人物としては名前くらいは知っている人物の手記や著作を要領よく適切に引用しているので、歴史的出来事の背景がよく見えるようになっています。

戦争は引き起こされる、それを国民は自ら賛成するように「教育」、利益誘導されるので、後出しで簡単な批判はできないこと、しかし同じことが国民国家によっていつでも起こりうることが説得力ある形で書かれています。9・11テロと日中戦争の類似点、相手を「一種の討匪戦」と見ていたことを冒頭に記し、現在の問題を過去の出来事から見つめなおすという視点は、普通は説得力がないのですが、この本はその点でも成功しています。

自由社の中学歴史教科書が、横浜の一部の地区で今年採用され、2年後には全ての地区に拡大されることがほぼ決定的と報告しました。その教科書では、日本の東南アジア・太平洋地域への侵略は、実は西洋帝国主義からの解放戦争であった、日本の軍隊は「解放軍」として受け入れられたという記述が、日本の軍人を歓迎する現地の人の写真入りであります。

この本では、直接的に「つくる会」のような史観を批判していませんが、言外に、明確に批判していると、私は読みました。

満州に移住するように利益誘導する政策があったので、多くの貧しい農村から満州に行くようになったという背景の説明もあります。今生きる私たちはこのような国家の「誘惑」を直視して反抗できるのか、戦争を許さない闘いは、そのような足下の問題から始まるということも示唆しています。

爆笑問題の大田光は、加藤さんとの話で、最後に天皇や三種の神器に触れ、何もそんなことに関心を示さない若い人が、最後に伊勢神宮をはじめ、「日本の本質」に無意識のところで強く惹かれているということに触れていましたが、それこそ、ナショナル・アイデンティティの問題であり、そこに強く反発しながらも、同じ原理に囚われてきた「在日」のあり方に関係すると、私は勝手にうなづいてしまいました。

2009年10月27日火曜日

阿部現市長の快勝かー報道内容にに疑問


昨日、阿部さんの勝利の記者会見がありました。マスコミは総じて好意的です。2期8年の実績を市民が評価したという記述が目立ちます。しかし、本当にそうでしょうか。棄権が65%にも達したという事実を各新聞社は分析していません。

27日付けの朝日新聞によると、阿部さんは、7つの区の内、6つの区で1位、唯一負けたのは宮前区だけで、ここは民主の福田さんの基盤があるところです。福田さんは無党派層では勝つだろうと予測していたのに、ここでも阿部さんが40%で、福田さんの32%に勝っています。「支持政党と投票先」では、阿部さんは民主の29%をとり、喧嘩をしたはずの自公からもそれぞれ51%、61%占めるに至っています。

この結果は阿部さんの快勝のように見えます。しかし重要なことは、投票率は35%しかなく、そのうちの阿部さんの得票率は37.33%ですから、有権者の13%、総人口で考えると10%の支持しかないという現実です。有権者の13%の支持しかないのに、選挙で勝ったということで、公約実現を旗印にして攻撃的にやれば、これまで以上の摩擦が生じることは目に見えています。自公民は野党の立場で厳しく対応するでしょう。ここで阿部さんが、「市民党」の立場を主張できるのか、これが最大のポイントです。「市民党」を名乗るからには、市民の声に耳を傾け、市民との(自分に反対するグループであっても)対話を実行しなければなりません。それが阿部さんにできるのでしょうか?

阿部さんは、民主の攻勢に勝ったことで口も滑らかに「市民の勝利」を謳い、地下鉄建設を批判した前原国土交通相を「内容をわかりもしないでそのような発言をするのはお粗末。大臣として失格だ」と憤りを示したそうです(神奈川新聞より)。この発言に私は阿部さんの人の言うことを聞かない、攻撃的な性格をみます。

投票日の夜、9時になってもまだ駅に立ちつくしていた阿部さんは、私を貴重な1票と思ったのか、「市民党」党首として心構えを変えたのか、意見は違っても対話をしましょうと話しかけた私に、「喧嘩ではなく、対話をしましょう、約束します」と応えました。選挙用の言葉なのか、心からの言葉なのか、今日、私は市長あてにメールを送り、南高校跡地の活用に関しては住民が参加して話し合う場の保証を求めました。私たちも喧嘩でなく、真摯な対話を保証する、と記しました。

さあ、なんと返事が来るでしょうか?

2009年10月26日月曜日

川崎の市長選の結果をどう見るのか

川崎の市長選の結果をどうみるのか


残念ながら、35%の低い投票率のなか、2位の民主の福田さんを2万票の差で引き離し、阿部さんが当選しました。私たちの阿部三選阻止の闘いは負けました。

阿部さんは、「市民の勝利」(神奈川新聞)と話した ようですが、彼を支持したのは、110万の有権者の 中でたかだか13%です。それを「市民の勝利」とは お門違いです。今回の選挙で、各政党の「市民不在」 の体質、私たちの「市民運動の力量のなさ」が明らかに されました。

棄権した市民は65%にも上っています。この数字は 私たちがビラ配りをしたときに感じた通りの結果ですね。 当選者が14万票というのも、私の予想(危惧?)した 通りでした。

岡本さんが共産党支持者の60%少ししか集められなかったことは若干、意外ですが、この政党支持者の 母数がいくらなのか、その数字は信頼できるのかという 検証が全くなされていないので、なんとも言えません。 しかしそれでも仮に100%であっても、10万票には 及ばなかったことになります。

私は、岡本さんの見識の深さには敬意を表しますが、 選対と党の選挙のあり方には大いなる疑問があります。 是非、じっくりと話し合いをしたいと願います。岡本 さんが市民の立場に立った公約を語り、阿部批判を もっとも的確にしたからといって多くの市民の共鳴を 得られなかったのは何故なのか。

私は、立候補出馬を表明した後の、「空白」の6カ月にその問題が表れていると思います。「空白」とは何も しなかったのでなく、労組と共産党の市議を中心とした集会にしか顔をださず、市民運動と一緒になって、運動をつくりあげていこうとしなかった、そのあり方を言っています。

今後、市民の勝手連的な運動と一緒に学習をしながら進もうとするのか、「指導」「管理」の対象にするのか、その方向性です。岡本さんの公約の中での弱点は、住民自治の具体的な仕組みがないことと、外国人施策の欠如だと、私は見ました。後4年後を目指して、共産党シンパでない一般の市民とどのような関係をつくりあげていくのか、大いに議論をしたい点です。

私たちの準備した市民集会に、阿部現市長の対抗馬としての3人の候補者がドタキャンしました。告示後に市長選に関わる集会に候補者が参加することそのものが、公職選挙法に抵触する恐れがあると表明したのは、岡本陣営だけです。後は、スケジュールの問題にすり替えました。私は、各陣営のドタキャンをして何の謝罪もない、代理人も送らない、そこに違和感を感じ、そこに各党の「市民不在」の体質を見ます。

私は選管に何度も確認し、選挙法違反を取り締まる川崎警察・知能犯課とも話しました。今朝も選管の課長に確認の電話をいれたのですが、彼らは、告示後に市長候補が選挙に関する討論をする市民集会に参加することそのものが違法であるとは言いません。市民集会を装った選挙運動や選挙演説はだめですよ、「清き一票をお願いします」と言ったり、候補者の名前を連呼すること、会場に候補者の名前を大きく目立つように掲示するのはだめですよという公職選挙法の説明をするだけなのです。

選管は、逆に公職選挙法に抵触しない限り、堂々と候補者は討論をしもらっても良いとは、説明しません。これは彼らの権力の大きさを考えると、とても卑怯な、官僚的な対応だと言わざるをえません。多くの人を委縮させるからです。ここで選対の関係者が選管に電話をして、候補者の討論会参加は法に抵触する可能性があると聞いたからというので、候補者には参加させないほうがいいとドタキャンになったと推測されます。それにしても何故、突然、集会の当日になって急にそんなことを言い出したのか問題は残ります。もし危険性があるというのであれば、私たち主催側と弁護士を入れ事前に一緒に検討しようということにならなかったのでしょうか。

告示によって初めて確定した候補者が、お互いの事前の運動と主張を踏まえて、最終的にどのような討論を展開するのか、これは市民にとって、重要な「知る権利」「選択する権利」の行使であり、告示後であれ、候補者間の真摯な討論を禁止・制限するような法は存在しないのです。それをどうして選対と各候補者、及び各市民運動体は、「自主規制」するのでしょうか。また、警察がこの件に関して、「でっち上げるかもしれない」などと言い繕うのでしょうか。むしろ、市民の先の「知る権利」のために、また他の候補者と自分の違いを市民に知ってもらうことがどうして法に抵触するのか、もし警察当局が起訴をするというのであれば、正面から受けて立つべきです。私は選管にも来ていただいた上で、各政党、市民運動体と一緒にこの点の学習会をもちたいと思っています。是非、実現させたいものです。 

民主党、自民党は一般市民と関わりのない、党内の密室で候補者を決め、これまでの阿部市政をどのような立場で批判するのか、阿部市政を支えてきた自民と民主両党がどのような見解で立候補者をたてるのかの、一切の総括のないところで、新たな候補者が立ちました。従って両候補者の思いは語られても、市民と一緒に考え、学習し、政策をたてるというところが全く見られませんでした。「市民の会」で集会後、要望書をだしましたが、それにどのように誠実に応えてくれるのでしょうか。

特に、分権という立場から、川崎の地理的な特性を考え「準区議会」を提唱した福田さんの主張は高く評価します。これまでの市長選にはなかったことです。しかし住民を「傍聴者」の立場に置く提案がどうして住民自治を保障する仕組みになるのか、外国人の政治参加に対してはどうなのか、全く応えることができませんでした。後、教科書問題、憲法問題に関しても答弁を逃げました。今後、しっかりとご自身の見解を示すことが、もし次回も立候補されるのであれば、必要不可欠だと思います。私たちと対話をされませんか?

今回の選挙過程と結果を見て、冒頭に記した、「市民運動側の力量のなさ」を私は最大の課題と捉えました。阿部三選阻止の闘いは負けました。独自の候補者を選び、一緒になって市政のあり方、特に住民自治のあり方については深く学習しながら、大都会川崎のまちつくりをどうするのか、経済・交通網はどうか、最も重要な課題である福祉はどうなのか、ということを視野に入れ、4年後に備えることが可能なのかどうか、一緒に闘ってきた友人たちと話し合いたいと思います。

みなさん、お疲れ様でした。川崎にいない方々も今回の市長選には大いなる関心をよせてくださり、私たちを勇気づけ、激励してくださいました。心から感謝申し上げます。

2009年10月24日土曜日

みなさん、お疲れさまでした!
川崎の市長選は、明日の投票を待つばかりになりました。

「ストップ・ザ・阿部三選」「阿部現市長を落選させて新しい川崎を」という
見出しのタイトルのビラを今日も1000枚以上、撒きました。これで
この2日で9000枚、撒いたことになります。

川崎駅でのビラまきの後、自宅近辺で残ったビラでポスティングをして、
皆さんの拠出で作ったビラを1枚も残さず撒きました。

さて、駅と商店街のビラまきで喉をカラカラにした私たちは、一杯飲み、
いい機嫌で川崎駅からバスに乗ろうとしたとき、なんと、阿部さんに
会いました。9時も過ぎていたので、拡声器の使用は禁止されており、
阿部さんはエスカレータの下、静かにスタッフと挨拶をしていました。

私は、私たちのビラをとり出して渡し、阿部さんに、私は阿部さんと意見は
違うのですが、いずれにしても御苦労さまでしたと握手をしてバスに乗り
込みました。

何か言い忘れた気になり、運転手に聞いたらまだ後一分あるということ
で、駆け出し、阿部さんに向かい、また握手をしながら、阿部さん、
私たちは意見が違いますが、当選されたら、しっかりと対話
しましょうね、と語りかけました。

人出もなく、選挙戦も終わって感傷的になっていたからか、阿部さんも
わたしの手を握りしめて、戻ってきてくれてありがとう、喧嘩ではなく、
対話をしましょう、約束します、と話しました。

勿論、阿部さんは、私が崔勝久とは知る由もありません。しかし
その時の好々爺とした表情から、私は彼が当選したら、対話ができる
かもしれないと感じました。勿論、それは、わかりません。
わからないと言えば、岡本さんになるのか、福田さんになるのか、
或いは阿部さんが三選するのか、そのものがわかりません。

日曜日の結果を見て、いろんなことを考えなければならないようです。
私たちの、「阿部三選阻止」は中途半端、誰を市長に推したいのか
わからないという批判もありました。その通りです。

しかしこれは私たちの運動の問題に止まらず、川崎の市民運動全体が
抱えている問題でもあるのです。選挙後、川崎の市民運動はどう
あるべきなのか、やるべきことは何か、多くのことが見えてきました。
まずしっかりと対話をしましょう。いろんな運動間では、決定的に
この対話が不足しています。まずここから始めなければならないように
思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。
-- 崔 勝久SK Choi

2009年10月21日水曜日

10・15集会参加者の質問・要望です

「新しい川崎をつくる市民の会」参加者の質問・要望です。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_184.htm

25日まで後、5日。川崎駅は、各党が入れ替わり立ち替わり、旗を立て、
おそろいのユニフォームを着た人が必死でビラ配りをしています。
毎日こんな様子を見るのは何か、わずらわしいですね。

こんな選挙運動をいつまでするんでしょうね。
まずマスコミ批判。どうして彼らは、各候補者のマニフェストの
内容についてのコメント・批判をしないのでしょうか。

代表して朝日新聞。阿部現市長が落選したら、「世紀のスクープ」
をした朝日の功績大です。しかしその朝日が何故その後、まともな
市長選に関する記事を出さないのか、社の方針か、記者(局)の
意欲か能力の問題かわかりませんが、まだ投票日まで時間が
あります。きっちりと記者名を記した記事を出して
ほしいものです。

公職選挙法を怖がる市民の「自主規制」を無くして、各候補者間の
まともな討論の場を作るべきです。川崎では市民フォーラムとJCに
よる2回の「討論会」がありましたが、いずれも候補者間のまともな
討論は一切、無し。こんな政治風土を変えないと、住民自治、
地方分権などできるはずもありません。

私たちが計画し、3人の候補者がドタキャンした市民集会は
大きな意味があります。阿部三選阻止を前提にした集会で、
阿部さん以外の候補者の討論を前にして、阿部さんに代わる
市長はだれがふさわしいのかを市民の目で見て聞いて、
判断しようという企画だったのですが、集会後、市民の知る
権利、という観点が見えてきました。

政党や候補者の選挙運動・選挙演説でなく、市民の権利
レベルでの、告示後、確定した候補者を集めての討論集会
は必要不可欠だと、考えます。

私は、あらゆる人の対話・議論を保障するというのが、
これからの住民自治を考える最も重要なことであると思うのです。

みなさん、いかがですか?

崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2009年10月19日月曜日

ドタキャンした3人の候補者への要望書

さきほどのメールで、川崎市長選の現況を報告しました。
阿部現市長と民主の福田候補が横一線、らしいです。

阿部は問題だが、福田になるともっと怖い、という人の声が
結構、聞こえてきます。教科書問題などへの氏の見解を危惧しているのでしょう。

私は、阿部の最大の問題は、市民に、特に自分を批判する
人・団体には一切、耳を傾けない、対話を拒否する、頑なな
姿勢だと考えています。

昨日、川崎駅で、岡本さん、福田さんが情宣活動しているところに
出会いました。ドタキャンがあり、それを私たちが厳しく批判して
いることを知りつつも、彼らは私を見て、(今回は)「申し訳なかった」
と率直に話していました。その顔を見れば、選挙用の作り笑いでは
ないということはわかります。私は意見が違っても、この人たちとは
対話ができる、と確信します。

初志貫徹。阿部三選阻止です。
阿部以外の誰が市長になろうとも、私たちは新市長との誠実な
対話を続けていきたいと思います。

15日のドタキャンにも拘わらず決行した集会での意見・要望・質問を
事務局で整理して要望書にしました。候補者ごとに質問の内容は
変えてあります。昨夜メールし、今から郵送します。

選挙直前であるから、まだ態度未定な人にとって、この要望書と
候補者の回答は貴重な判断材料になるでしょう。告示後の
アンケート調査とその公開は、法律違反で逮捕もありうると
固く信じている人が多いですが、彼らが正しいのか、私たちの
判断と行動が軽率なのか、結果を見てみましょう。

ついでに、私たちの判断と行動で、私たちの行為を警察が問題にして
起訴したとしても、それはそれで、市民の知る権利を公職選挙法の
精神を曲げて解釈していることが問題になるはずです。どっちに
ころんでも私たちの集会の決行と、要望書の提出には意味が
あったことになるでしょう。

さあ、候補者に私たちの要望書に応える勇気がありますか?

要望書: http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_183.htm
15日の「新しい川崎をつくる市民の会」集会の全容も掲げてあります。

崔 勝久

選挙って、わかりませんね


今日の神奈川新聞は、阿部現市長と、民主若手の福田さんの横一線と伝えています。共産の岡本さんと、自民の原さんは「伸びず」で、苦戦を強いられています。
*
しかし奇妙なことに、世論調査では、「福祉の充実」(49.5%)、「子育て支援策」(37.1%)とあり、両方で、86.6%にも及びます。地下鉄はわずか、10.7%の7位の下位です。それなのに、「福祉」では誰よりも具体案をだし、自公民によって支えられてきた阿部市政をはっきりと批判する立場にある岡本さんがなぜ、延びないで最下位にいるのでしょうか?
*
岡本さんの見識の深さと、二回目に賭ける決意の強さがわかるが故に、残念ですね。私はこれは選挙戦の戦略の過ちとみます。6か月先行して立候補したのに、労組と共産党市議のシンパへの働きかけを最重視した戦略です。確実にということも言えますが、しかしそれでは勝てないということは私は強く感じていました。ご本人に進言したこともあります。
*
「福祉の充実を前面に掲げる岡本氏は、共産党支持層の約6割を固めたが、無党派支持層以外からの支持がほとんど得られていない」。共産党支持層を6割から100%にしても、勝てないのです。岡本さんのカリスマ性のなさ、などを挙げる人もいるようですが、これは誤りです。戦略はそれを作る人、団体の体質から必然的に生まれるものです。ここにメスを入れない限り、新たな戦略はつくれません。
*
6か月の空白、私はここに岡本選対の決定的な過ちを見ます。一般市民の動向、勝手連的な市民の自然発生的な動き、これを察知し、指導・管理するのでなく、対等な立場で、福祉にターゲットを絞った戦略で市民との対話を続けていたならば、私は今回は勝つ可能性があったとみるのです。
*
しかしまだ6割が態度未定だそうです。後1週間、鳩山や岡田といった民主の有名人が続々とつめかけてくるなかで、岡本さんが埋没せず、福祉の充実を願う市民の心をとらえてくれることを願うばかりです。

2009年10月18日日曜日

川崎警察から電話がありました・・・

川崎警察刑事課知能犯係です。選挙違反を取り締まる総元締めです。
私が数日前に訪問し、告示後の市民集会に候補者が参加すること、集会案内のビラを配布することの法律上の問題点を確認して来ました。その際、特定候補者を「当選させる目的」やその「氏名」を記していないビラが、過去に警察によって問題にされた事例があったのか、後日、調べて私に電話をしてくれるという話になっていたのです。

結論は、なし、でした。当たり前です。
私は、政治団体でない市民運動をする人たちまでも、過剰なまでに告示後の運動について「自主規制」していることをかねて、いぶかしく思っていました。だめだだめだと思いこまないで、まず自分で公職選挙法を読んでみる、その法律で規制されていることが何なのかを明確にする、その上で、告示後、確定した候補者達の公約を比較検討し、誰に投票するのかの判断材料にする、このような当たり前のことをどうしてだめだと思い込んでいたのでしょうか。このような市民の、当然の権利を削ぐようなものをどうして突破しようとしてこなかったのでしょうか。

そこまで行こうとしない背景に、官憲による「でっち上げ弾圧」への恐怖があります。警察当局が不当にも、些細なことを不法とでっち上げて、候補者を起訴してイメージダウンを図るというものです。権力をもつものは、自分たちに反対する勢力にいつでも弾圧する可能性があることは認めます。しかしそれを口実にして、公職選挙法で何が規制されているのかを読まないで、ただ弾圧の可能性を掲げて、市民の当然の知るべき権利を自ら放棄することは問題です。

今後、「選挙運動」「選挙演説」でなく、候補者の討論を保障する市民集会を告示後、行うことを重ねていけば、今の「自主規制」はなくなるでしょう。その為には、その集会における候補者と政党、及び聴衆の守るべきマナーが何か、周知徹底させる必要がありますね。
それでもやる価値はあると思いますが、みなさん、いかがですか?

2009年10月17日土曜日

3人の候補者のドタキャン劇について

15日の「新しい川崎をつくる市民集会」は、参加を約束していた候補者が3人ともドタキャンするいう醜態を見せました。

自民と民主は、スケジュールが合わないということを口実にし(おいおい、選対さん、候補者本人の意向を無視していいの?)、共産党は、公職選挙法の違反になるのでと、正面から、市民集会を準備してきた私たちが、あたかもそのような初歩的な「常識」さえ知らなかったのでも言っているかのようです。

あるいは、当局の弾圧の可能性にも言及しているようですが、そうであれば、当局がどんな論理で何を根拠に「弾圧」するのかを調べ、それに抵抗し、潜り抜けるにはどうすべきなのかを検証すべきですね。

それには公職選挙法の内容をまず調べることです。敵の武器、根拠を知らず、闇雲に怖がって撤退を繰り返していてはいつまでたっても勝てません。

「ちょっと待った!」、ドタキャンを決め何の謝罪もしなかった共産党さん、告示後の、選挙に関する市民集会のどのような行為が、公職選挙法のどこに抵触するというのですか? ビラ配りですか、集会への候補者の参加ですか? 単なる「弾圧」の可能性ですか?市民運動を馬鹿にしてはいけませんぜ。

警察からの「弾圧」があるから、岡本さんが集会に不参加を決めたのは正しかったというのは、違います。「弾圧」は常時、あります。

選管も警察も、私たちの集会の持ち方、配布したビラに関して、一切、問題があるという指摘はできませんでした! しかしそれは岡本さんの選対だけではありません、市民運動、労働運動に関わってきた多くの人も同じ「常識」に取り憑かれているようですね。 しかしまず、「風聞」に惑わされず、自分で公職選挙法を読んでいません、そういう人は。

さすが選管と警察は、公職選挙法をよく読んでいました!
後生大事に持ち出したのはいいのですが、そこに書いてあるのは、立候補した人及びその特定の人を 支援する「政党その他の政治団体」の選挙運動の規制なのです。

選管は何が法律違反という具体的なことは言えず、法律にはこういうことをしてはいけないと書いてあるという説明しかできません。違反かどうかを判断するのは、警察で、彼らは、「政党やその他の政治団体」が市民集会を装って「選挙運動」「選挙演説」をすることを監視しているのです。

彼らが当選したら、市民との対話、粘り強く懸案事項を一緒に研究するということができるんでしょうか、ここが心配ですね。

4年後、告示後に堂々と市長選に関する市民集会をやりましょう!
市長候補者に参加してもらいましょう!
ビラを配布しましょう!
頭の固い政党、労組、市民運動家と事前にしっかりと準備しましょう。
公職選挙法の勉強をしましょう!


崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

横浜1採択地区化に抗議をーメールの再再転送

横浜国大の加藤さんから送られてきた転送メールを再転送します。
今回の決定に横国の名誉教授、現役教授が賛成派に回っていることに
随分と憤慨されていますが、それはそうですよね。

なお、県の教育委員会の委員であった渡辺美樹(ワタミ社長)さんが
辞表を提出していますね。経済的に授業料を支払えなくなった学生が
増加し、それへの対応を訴えてきたのに教育委員会は応えなかった
という理由らしいのですが、まともなことを言いますね、渡辺さんは。

ところで、「一採択地区化」が決定したのですから、「まともな理由」を
提示できなかった市教委の狙いは、いよいよ、自由社の教科書の
横浜市場の占領でないのかという疑問が生じます。いかがでしょうか?

崔 勝久

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10月15日、神奈川県教育委員会は、行政区ごとに18地区に分かれている横浜市の教科書採択地区を1地区に統合するよう求める横浜市教委の要望を、4:2 の賛成多数で認めました。


これで、小中学校491校、約27万人の児童・生徒(小学生11万3千人・中学生7万6千人)を擁する全国最大の採択地区が出現することになります。(採択は22年度、使用は23年度から) 複数の採択地区制度を導入している政令指定都市で、統一への変更は全国で初めてであり、今回の決定は、採択地区の小規模化・適正規模化を求める無償措置 法16条や閣議決定に真っ向から逆行するものであり、他の政令市への影響も懸念されます。 



昨日の県教委では、横浜市教委が1地区化の理由にあげた3点のうち、 「小中連携教育のため同一の教科書が必要」に議論が集中しました。 6人の委員平出彦仁委員長(横浜国大名誉教授)福田幸男(横浜国大教授) 具志堅幸司(日体大教授)宮崎(千葉商科大教授)渡辺美樹(ワタミ社長)、 山本正人教育長それぞれに「ふに落ちない」「教科書との関係が明確ではない」などの発言が相次ぎ「変更理由がつたなく、もっとまともな理由を出して欲しい」との苦言も。全員が、2度にわたって提出を求めた市教委の理由書には納得していませんでした。


しかし一方で4人の教育員は、「横浜市教委は教育改革に熱心で感銘した」「市教委の挑戦を応援したい」「リスクがあるがとりあえず5年、10年試して みては?」などの発言を行い、渡辺委員から「あまりにも情緒的。情緒で制度変更してよいのか」「県教育長は市内の地域に学力差があると明言したこともある のに、同一教科書がよいとするのはおかしい」などの批判を浴びる一幕もありました。


 結局採決では、多様化・小規模化に逆行するとした渡辺委員、理由が明確では ないとした宮崎委員が反対、あとの4人が賛成で、1地区化がみとめられました。 皮肉だったのは、全国一のマンモス地区への拡大案を認めたその直後に、愛甲 採択地区を学校数で数校ずつとなる厚木市・愛甲郡の細分化案に全員一致で賛成 したこと。


 渡辺委員が言い放った「(拡大化も小規模化も)市町村教委のいいなりなら県 教委はいらない」「ダブルスタンダーードだ」の言葉には、傍聴者もおもわず頷 いてしまいました。

 終了後、横浜教科書採択連絡会が呼びかけて傍聴者と高嶋伸欣氏が記者会見を行い、抗議声明を発表、HNK・テレビ神奈川、各紙で報道されました。

◆抗議の声をお願いします。

〔宛名〕神奈川県教育委員会 教育委員長 平出 彦仁様

〔宛先〕住所 〒231-8509 神奈川県横浜市中区日本大通33    

(企画調整課)TEL 045-210-8020 FAX  045-210-8920    

 ※神奈川県のHPの「わたしの提案」もご利用できます。     http://www.pref.kanagawa.jp/teian/teian.htm

2009年10月16日金曜日

横浜がとんでもないことになっている


10月14日のブログで「横浜市の教科書採択地区に関する請願、
注目しましょう」
http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/10/blog-post_7773.html
この中で、危惧したことがいよいよ実現されるように
なりました。

16日の神奈川新聞のトップ記事で、「横浜の教科書採択区割り 
18区を一つに集約 全国最大規模 県教委認める」という
タイトルを付け、横浜市教委は「つくる会」系の歴史教科書が
全横浜の中学校で使われることになると示唆しています。
神奈川新聞はどうしてもっと端的に、このことを明示し、
そのことの問題性をしっかりと解説しないのかわかりません。

これまでどこでも使われたことのない、「つくる会」系の
中学歴史教科書は、これで強力な足場をつくったことになり、
川崎を始め、全国に攻勢をかけてくるでしょう。
「つくる会」系の歴史教科書の問題点を明らかにすると
同時に、教育委員会の委員を代えながら、また市議会での
「つくる会」系教科書賛成派(自公民の一部)を増やしながら、
最終的に教育委員会で教科書採択を採決で勝ち取る、
「横浜方式」を許さないようにしましょう。

そのためには、民主党の若手が特に要注意です。彼らは、
自民党の右派以上にナショナリステックで、若さや活力で
大衆を引きつけながら、教科書を代えることを平然と
やってのける危険な臭いがします。

さて、川崎はどうでしょうか。

-- 崔 勝久SK Choi

「敵前逃亡」、候補者全員現れず!

「新しい川崎をつくる市民の会」に出席を約束していた3人の候補者は、いずれも集会直前にキャンセルを通告してきました。

集会実行委としては、集会を中止すべきかどうか検討し、決行を決意しました。候補者が来ないから集会を止めるということは、政治家に依存しない住民自治を求めていこうという私たちの考えではないと結論をだしました。集会に出ないようにという連絡が一挙に広がるなかで、集会に参加していただいた70名の方に心より感謝申し上げます。

3人の候補の選対から来た、キャンセルの理由は以下のものです。

●岡本陣営:告示後に市長選がらみの話をする催しを選管が了承するはずはない、そのような集会に候補者が参加することは「違法」である(に違いない!)。
●福田陣営:スケジュール調整ができない。
●原陣営:スケジュール調整ができない。

以下、反論・各陣営批判
●岡本陣営
選管は、「政治活動を行う団体」か、市民集会を装った「選挙運動のための演説会」か、公共の建物の中で「選挙運動のための演説、候補者名の連呼、候補者写真・ビラなどの掲示」は、公職選挙法に抵触する可能性がある、ただしその判断は自分たちにはできず、警察がする(警察は公職選挙法に基づいて判断する、という)。

私たちは市民集会を企画した(特定の候補者を支援するのではない)、代表は教会の牧師であって「政治団体」ではない、川崎の市政のあり方について候補者を呼び討論する場である、特定の候補者の写真・ビラなどの掲示は一切ない、と選管課長に話したところ、私たちの集会に対する違法性の指摘は一切ありませんでした。その経過を岡本陣営に説明したところ、結論先にありきで、何が問題と考えたのか、その根拠は何か、公職選挙法のどこに抵触するのか、という私の問いには一切答えることができませんでした。

即ち、岡本当選の暁に警察当局がいちゃもんをつける可能性がある、そのリスクは避けたいということでした。岡本陣営は、自ら公職選挙法を読み、今回の集会は違法性があるという判断をしたのでなく、単なる「風聞」に怯え、集会直前にキャンセルをしたのです。公職選挙法は、候補者の選挙活動を規制するためにつくられたものであり、落選運動を規制するものではそもそもありません(候補者が2人の場合は別)。

共産党と労組に依拠した運動では絶対に勝てない、市民運動との提携が必要ということは、岡本さん本人、選対の責任者の尾崎さんにも長時間にわたって直接話してきましたが、ここに来て、選対の古い党の体質が顔を出したということのようです。市民集会に問題があると思うのであれば、どうして私たちとその問題について一緒に考えるという態度をとれなかったのでしょうか。なぜ、直前のキャンセルなのですか。岡本さんの見識と住民の立場から福祉を考える姿勢は高く評価されますが、彼を支える選対は結局、これまでの党・労働組合中心的な体質をもったままでそのことを省みることさえできなかったということでしょうか。

最後に、しかし選対の態度は納得できないが、岡本さんのこれからの政治活動については注目し、協力できることは協力していくつもりであるということは伝えました。私たちの集会は法律違反だと騒ぎたてる選対や市議の意見で岡本さんもまた、集会には参加しないと話していたようですが、法律違反の「風聞」には全く根拠がないこと、そのような問題はすべてクリアして準備してきたことを伝えてほしいと話しました。

●福田陣営
福田選対がすべて福田さんのスケジュール管理をしていたようです。集会と同時間帯に川崎駅に立ち演説をすることを知ったので、スケジュールが合わないという選対の言い訳に対して、なんとか調整できないかと交渉したのですが、最後には「選挙妨害だ」と言い出す始末で、あきれ果てました。

夜遅くまで織田市議を介して福田さんにコンタクトをとったところ、本人は出席して議論をしたいという意向をもっていたようですが、スケジュールをすべて管理する選対の意向には従わざるをえなかったようです。選対は、集会での討論や参加者からの質問でもたつくかもしれないリスクを避け、街頭で「若さでチェンジ」を訴え、スマイルと握手作戦に徹しようと考えたようです。愚かなことです。

私は個人的には、福田さんの考えに与するものではありません。国籍問題、教会書問題、
「準区議会」構想に関しても同意できないことが多々あります。しかし考えはそれぞれ違ってもいいのです。問題は対話を続け、徹底した議論を重ねる人間的な信頼関係があるのかどうかという点です。特に、「準区議会」に関しては基本的な発想には大いに賛同できるので、その構想については徹底的に学習を重ね議論をしていきたいと私は思っていました。国籍条項問題、外国人の政治参加の保障も、その「準区議会」構想と通底します。私はどうしても参加できない、申し訳ないという福田さんからのメッセージを織田市議を介して聞いたとき、今回のことはとても納得できないが、今後も継続して福田さんと協議を続けるという考えに変わりはないことを伝えてほしいと依頼しました。

●原陣営
4時半ころ、突然、原陣営からの電話でキャンセルの通達がありました。北部を回るので集会には参加できとのことで、私は何の抗弁もしませんでした。一昨日も、打ち合わせをして、スケジュールに支障がないように、討論会の出席だけでもいいと話したばかりではないか・・・論外、問題外の外。

ということで見事に、まるで3人の候補者が「談合」でもしたかのように、集会直前のキャンセルでした。選挙が終わればすぐにでも実行委で集会の総括を行います。3人の欠席の意味と、今後の活動のことです。

3人の欠席が知らされても(舞台上の候補者の名前に、赤く描かれたペケ記しで何が起こったのか察したでしょう)、また集会には出るなとい電話連絡があったにもかかわらず、70名もの人が参加してくれました。2時間半にわたる話し合いの最後に、今日の集会は失敗ではなく、新たしい「誕生」だということが何人かの人から語られました。以下は、友人へのメールの一部です。

昨日の「結果」をどう総括するのか、実行委で話し合います。
私個人としては、集会で何人の方が言われていた、「誕生」と
いうことが気になりました。その意味をずっと考えていたのですが、
何の「誕生」か、これは川崎における市民運動の結集ではないか、
個々ばらばらになっている住民運動や個人が、何かの個別的な
出来事に抗するということに留まらず、住民自治の実現を求めて
住民自治を自らつくりあげていくものなのではないか、その核に
なる集まりの「誕生」だったのではないか、と思います。

他の実行委のメンバーがどのようか考えをもつのかわかりませんが、しっかりとはなしあっていきたいと思います。みなさん、お疲れ様でした!

2009年10月15日木曜日

民主党、福田候補の問題点、その(一)

市長選後半、民主党は、国政選挙の流れに乗って続々と川崎に
鳩山首相をはじめとした大物政治家を送り込むようです。

私たちは、阿部三選阻止を掲げ戦ってきたので、その目標は
ほぼ達成されそうだと思います。しかしこれからは、阿部に代わる
新たな市長がどのような思想・歴史観を持つのか、彼らの政治手法、
政治公約はどのようなものなのか、じっくりと見極める必要があると
思います。

まず福田候補の人物評に関しては、先にブログで記しました。
(「 福田紀彦、民主党推薦市長選候補者との面談、印象」参照)
http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/09/blog-post_25.html

まず福田さんの最大の問題点は、阿部市政への明確な批判を
していない点です。阿部市政を8年間支え続けた民主党が
内部で最後の最後まで、阿部か福田かと割れ、阿部さんの「変節」が
原因で結局、福田さんが選ばれたのですが、その際に、何故、
阿部さんに抗して立候補をするのか、どうして阿部でなくふ福田なのか、
その議論が一切、なされていません。

従っていまだに民主党市議の中では、阿部を支持する連合・市職労の
顔色を伺い本気で福田さんを支援する体制さえ作られていないのです。
いわゆる、「ねじれ現象」です。

阿部市政批判のないところで出される公約は、福田さんのカラー
を出しているとはいえ、無色・無臭で、彼のアメリカで得た感性を
味付けとした、口当たりのいいものに終わらざるを得ないのです。

彼は11のマニフェストを掲げていますが、阿部さんと違うのは、
「地下鉄建設、待った」と日本初「準区議会」の新設だけです。
地下鉄建設に関しては、反対を掲げ「住民投票」を提案しています。
滋賀県知事のように中止を公約にするのでなく、「住民投票」に
かけるということは、逆の結果がでたときには辞めるのか、賛成に
回るのか、曖昧です。私は福田さんのキーワードは、この「曖昧」
になるだろうと予感します。

「準区議会」ですが、140万人都市を区ごとに分けていくという
発想は賛同すべきものですが、彼の場合、住民参加に力点を
置くのでなく、知事権限の強化にあるとみます。まず、市長の
諮問機関で決定権がないこと、市議と市職員が中心になり、
住民は傍聴者の立場に置かれているのが特徴です。

即ち、住民の政治参加を保障する組織になっていないのです。
「準区議会」メンバーは、公選公募で選ばれるべきです。そして
外国籍住民の政治参加も保障されるべきでしょう。外国人の
選挙権・被選挙権も条例で保障すべきでしょう。

福田さん及びそのブレーンは、川崎の外国人施策に関して勉強を
していませんでした。国籍条項とは何か、その問題の存在さえ
知らないと応えていましたが、もちろん、わからないことはわからないと
率直に応えることはよしとしましょう。しかし彼は高校まで、川崎生まれの
川崎育ち、そして何より川崎の区から選出され2期、県議を務めているの
です。 本当は「わからない」ということは許されないことなのでしょう。

阿部市政の目玉であった「多文化共生社会の実現」の実態、その問題点、
何よりも、阿部さんでさえ否定できなかった「共生」を掲げさせた、川崎での
歴代市長の外国人施策とそれを実現させてきた、外国人の生活実態、
そのなかからの闘いについて全く無知であった、知ろうとしてこなかったと
いうことです。

後、彼の歴史観の問題点と、それが現実の施策にどのような危険な
結果をもたらすか次回、展開します。

2009年10月14日水曜日

横浜市の教科書採択地区に関する請願、注目しましょう

横浜市の教科書採択地区に関する請願
―現在の18採択地区を維持することー

10月14日、「横浜市の教科書を考える横浜国立大学教員有志」
から、神奈川県教育委員会 教育委員長宛に請願がなされました。
昨日のブログでお知らせしたように、横浜市の教育委は来年度
より、現在の18地区を1地区に変更する要望を提出しました。

「つくる会」系中学歴史教科書が今年横浜で18地区の内8地区で
採択されたものを、来年度は一括してその教科書を使わせるように
制度を変えようとする動きに対して、横浜国大の加藤さんたちが
立ち上がったということです。

いろいろと言いたいことはあるのでしょうが、ここに一点突破で
焦点を絞り、横浜で「つくる系」教科書を使う動きに抵抗する
ものだと思います。全面的に指示します。

怖いのは、同じパターンが川崎にも伝播されることです。今回の
市長選で私たちは候補者にその点を確認したいと考えています。
明日の集会では、各候補者に答えてもらうようにしようと
思っています。

しかし考えてみると、国政レベルでの民主党の大勝は、各地方
での民主党議員の増加と通底しており、それが横浜での全国初の
「つくる会」教科書の採択と結びついていると分析すべきでしょう。
怖いことです。

民営化、多様化、自己責任、日本人の誇りなどの言葉がもっとも
らしく語られるとき、新自由主義がナショナリズムと一体化されて
きていることに注目すべきです。

横浜の教育委員会の中での企業人、著作家はまさにこのような
人々です。川崎の市長選で民主党推薦者が当選すれば、阿部を
批判してきた私たちは、また新たな注意をしなければならないと
思います。教育委の市長の人事構想そのものにも注目し、横浜と
同じことをさせないようにしましょう。

政治が教育委の「中立性」をコケにした? 横浜の場合

昨日のメールで、横浜が18の区の内、8つの区で、「つくる会」系中学の歴史教科書を採択したとき、本当にやろうとしたら、他の8つの区では教育委員の賛成数が3対3の同数になり、委員長は職権で賛成すれば、18区の内16区で、全国で初めて採用されるという結果になっていたようです。

私はそもそも市長が任命した委員がどんな傾向をもった人たちなのか、それを中田元市長は自分の判断で選んだのか、行政からの推薦で選んだのか、疑問でした。そこで横浜市行政調整局人事組織課に確認したところ、自分たちは市長の指示で委員候補者を調べることはあっても、その人選は市長の判断であるということを知りました。

委員は、市教育長、元中学校長、IT企業役員、人材派遣会社経営者、著述家・小浜逸郎、今田忠彦委員長の計6名、自由社が選ばれた区では4、5票入っており、3票が8区あるところから、全くの推測で、3票の内訳は、今田忠彦とITと人材派遣経営者、4名のときには小浜逸郎は間違いなく入っていたと思われます。即ち、この委員会のメンバー構成では半数以上が、「つくる会」系教科書賛成論者と市長は判断し、議会はそれをわかった上で承諾したということでしょう。

これでは、教育委員会は政治的「中立」、「行政の長」は介入しないと建前を行っても、それは通じませんよ、と言いたいところです。違いますか、みなさん。

2009年10月13日火曜日

政治的中立とは何のことでしょうか?

教育は中立、教育委員会は政治的に「中立」の組織である、行政の長の介入を許さない、これって本当ですか?

今日、川崎市教育委員会のある室長とお会いしました。私の知りたかったことは、横浜での、全国初の「つくる会」系中学教科書採択と同じことが川崎で起こうるのか、起こりえないのか、その理由は何か、を探ることでした。室長との対話で、私は問題の所在がどこにあるのか、わかりました。

まず横浜で何が起こったのか確認しましょう。横浜では18の区でそれぞれどの教科書を使うのかを6名の教育委員の無記名投票で決定します。同数の場合は、委員長が決定することができます。今回八つの区で「つくる会」系、自由社の教科書が採択されたのですが、残り8区では3対3の同数でした。従って「反動」「右翼」と言われていた委員長が職権で自由社教科書を採択したら(それには誰も文句を言えない)、18区のうち16区で採択できたことになります。

私見では、来年度以降、採択は一本化され、市内全域で同じ教科書が使われることになっているので、中田元市長が抜擢した今田委員長は、焦らず(大きな反発が起こらないように配慮しながら、戦略的に)、来年度に賭けたのでしょう。

6名の教育委員会委員は、首長が人事案件として議会に出し、承諾されれば任命するという形になっています。決して市長の独善で決まるのではなく、市民が選んだ市議が市長の人事案に賛成して決めているので、(中田)市長だけの問題ではなかったことになります。即ち、「つくる会」系教科書の全国初の採択は、市長と議会の共同作業であったということです。どうしてそれが可能であったのか、その鍵は、民主党の右傾化(愛国、自虐嫌い傾向)にあると見ていいでしょう。

室長との話では、確かに教科書を評価する作業は、まさに政治的「中立」で、政治家や党派の介入を許さない仕組みになっています。各学校での調査研究、調査研究会、その他に教科用図書選定審議会があり、その報告を受け、教育長を含む6名の教育委員会が教科書採択をすることになっています。その選択課程は、非常に厳密で現場での徹底した議論が保障されていると強く感じました。しかしおそらく、これは横浜も同じだったでしょう。

問題は、そのように上げられてきた報告を、教育委員会は参考意見として受け止め、自らの「責任と権限」で教科書を決定するということです。政治的「中立」で検討された報告は単なる参考意見にしかならず、教育委員会は独自の判断で決定できるのです。

そうすると問題は、委員を選ぶ市長の価値観と、方法論(広く教育委員会から推薦された見識ある人物の中から市長が選ぶなど)ということになります。議会は市長と同じ党派(民主党)でしょうから、市長の人事案を潰すはずがありません。「つくる会」系教科書は、これまでの他の教科書と価値観が明らかに異なっています。しかしそれでも国家の検定を通ったものです。

全国で初めて採用されたところからしても、その特異性をよしとする教育委員会委員を市長が意図的に選んだのでなければ、現場からの声が重視されていたら、ありえなかった結論です。特異性をよしとするというのは、「日本人であることを誇りに思う」「これまでの教科書は自虐的過ぎた」という観点から、「つくる会」系教科書が時代に適っていると共鳴するであろう人を、市長が委員として選び、議会も同じ考えで承諾したということなのでしょう。

阿部市長のときには川崎の教育委員会で自由社の教科書を採択しないと決定しました。しかし次の市長が、自由社の歴史観が正しい、これからの<日本人像>にふさわしいと考える識者、経営者などを時間をかけて委員として選ぶという明確な方針をもつのでない限り、自由社が採択されるということはありえないということになります。

ここで、教育の「中立性」がもろくも破れます。市長の教育委員会委員をいかなる価値観、やり方で選ぶかによって、政治性が発揮され、教育委員会の政治的「中立性」がまったく保障されないという事態に、即ち、「横浜方式」が苦もなく川崎で、そして他の地方自治体で実現されるのです。

日本人の誇り、っていうのは、過去の歴史を直視し、「歴史的なものの見方」(加藤陽子、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』)をするんでは、だめなんですか? ここが私にはわかりません。みなさんは、いかがですか。

2009年10月12日月曜日

マスコミの市長選に対する報道に疑問です。

マスコミは、各候補者の公約を何の論評もなく掲げると
いうところで統一されている印象を受けます。

そうでなくて、各候補者全員の公約の問題点をしっかり、
批判的に評論するということで、「公平」であって
ほしいですね。今は、何も論評しないというところで
「公平」になっていませんか。

それは批判的に論評する力、視点がないのか、
ただ候補者の公約をそのまま論評なく報道することが
マスコミの役目と「錯覚」しているのかのどちらかですね。

各社が各候補者の公約の問題点をしっかりと分析、論評する
ことで、一般市民が自分の考え整理をして投票するんでは
ないんですか? 後、2週間、各新聞社さん、よろしく
お願いしますよ。

「阿部市政の8年を問う」(朝日)はずの、阿部さんに対抗して
立候補した人たちが何をどう語るか、私たちは15日の集会で
明らかにしたいと考えています。まさか、新聞社は、阿部さんが
いない集会は「公平性に欠ける」というので、取材もしないの
ではないでしょうね?そんなことでは、各候補者の言い分だけが
報道されて、問題点が見えてこないではないですか?

崔 勝久

噂のチャンネル的選挙ブログ参照:http://blog.abe3.boo.jp

「阿部市政の8年問う」(朝日)


皆さんへ
連休はいかがお過ごしですか。


川崎は、昨日、川崎駅前は選挙演説で大賑わいでした。私たちも15日の集会のビラを配ったので、市民の反応はよくわかったのですが、一般市民の選挙への反応はいまいちというところです。神奈川新聞もそう伝えています。


各候補者、公約やらなんやらで自分をアピールをするのは当たり前ですが、それだけ読むと重要な事実が隠されてしまいます。即ち、この8年間、自公民は与党として阿部市政を支えてきたという事実です。


この点、朝日新聞のタイトルは見事に今回の選挙の本質を突いています。「阿部市政の8年問う」、まさにその通りです。朝日のスクープ、阿部さんが自公を切り民主単独で推薦を受けたいというこの報道は、阿部三選阻止が実現されたときには、歴史に残るものになるでしょう。あの記事で臭わされた、阿部現市長への皮肉、揶揄を市民は敏感に感じ取ったに違いありません。


15日の集会では、私たちは候補者同士の、文字通り「討論」を計画しています。なんで阿部さんに対抗して立候補したのか、他の(阿部さんを除いた)立候補者の問題点をどのように考えているのか、それに対する「抗弁」は?


その上、司会者や参加者からの質問も厳しいものになるでしょう。それでいいのです。人格批判はしませんが、候補者の考え、公約の問題点は明確にさせるべきではありませんか。この点、日本のマスコミは「公平性」の建前に縛られて、批判をしませんね。まだ2週間あります。各マスコミは徹底した候補者の公約の問題点を指摘して、選挙戦を盛り上げてほしいですね。


-- 崔 勝久SK Choi
skchoi777@gmail.com

携帯:090-4067-9352

2009年10月10日土曜日

選挙の行方、混沌


公明党がやはり、自主投票を決定しました。85000票がどこに流れるのか、選挙の結果に大きな影響を与えるものと思われます。彼らは共産党の岡本候補には投票しないでしょう。公明を切って捨てた
阿部さんにどれほどの票が行くのか?
*
民主の福田さんは国民の間でまだ民主党風が吹いているので、本来ならば、絶対有利なはずですが、
連合・市職労が阿部支持をだし、民主党市議の中でも連合の締め付けで福田支持の運動ができず、福田さんの立場はかなり微妙。無党派の風が吹かないと当選はできないでしょう。本人はいたってまじめに「住民自治」という、票にならないことを一生懸命話しているので、本来であれば、ミニ集会を重ね、じっくりと政策論争をしたいのでしょう。イメージ戦略は本人が望むところではないはずです。
*
阿部さんは、後援会や連合がかなり露骨な締め付けをしており、それが票に結びつくのか、こればかりはわかりません。現職知事だから新たな思い切った政策は出せないと言いながら、公開討論会では、
意気シャーシャーと自信満々に話していました。
*
原さんは、ゼロからの出発としていますが、8年間政策の面でも阿部さんと一緒にやってきた人が、どのように総括をして新機軸をだすのか、お聞きしたいところですね。
*
ということで、15日の私たちの集会はおもしろくなりそうです。JCの公開討論会は候補者が一方的に原稿を読むような感じで話すだけで、デイベートが一切なく、15日は、彼らが阿部市政の何を批判して立候補したのか、他候補の問題は何と考えているのか、私たちの準備する厳しい質問と合わせて、参加者に「満足」いただけるようなものにしたち考えています。
乞う、ご期待!

公開質問状への回答、一歩前進!

今日からの連休、どのように過ごされるのでしょうか。
私たちは集会のビラをまきに川崎の主要駅に立ちます。
6000部はポスティング業者に依頼し、残り4000部を
配布することになります。
*
共産党推薦の岡本さん、民主の福田さんから回答が来ました。
やってみるものですね。それなりの成果がでました。
阿部さん、原さんはまだ届いていません。*
質問1.国籍条項の完全撤廃について
岡本:国籍を理由にした職務・昇進の制限は不当な扱い
   (5日の市民フォーラムでは、撤廃を約束)
福田 : 判決を踏まえて一定の見直しが必要か検討
*
質問2.阿部市長の外国人は準会員、国家というものは
    戦争をするときの単位との考え方について
岡本: 現市長の見識を疑う
福田: 自分はそのような認識は持っていない
*
質問3 「つくる会」の歴史教科書を川崎の歴史教科書採択について
岡本: 認めることはできない
福田: 教育委員会が決定するもので、行政の長は介入すべきでない
*
質問4 政府の国旗・国歌の強制について
岡本:絶対許されない。懲戒処分を行ってはいけない
福田:日本国民の統合の象徴。自らの誇りとして掲揚、唱和すべき
*
質問5 住民自治を徹底するのに行政単位を区単位に小さく分けること。
    外国籍住民の政治参加の保障について
岡本:現行の区民会議は抜本的に見直す必要あり。外国人の政治参加
    の保障が必要
福田:「準区民会議」を新設。定住外国人の地方参政権は国と調整し、
   実現に向けて検討
*
二人とも、阿部市政より一歩踏み込んだ回答でした。
●外国人は「準会員」という阿部発言に関しては、二人とも完全否定です。
●自由社の教科書採択に関しては、岡本さんは明快ですが、福田さんは
逃げました。横浜のやり方からして、教育委員会メンバーを変えて時間
を かけて採択したのですから、教育委員会のメンバーが公選公募出ない
限り、 福田さんの主張は的がはずれています。
●国旗・国歌に関しては二人の見解は完全に分かれます。
●二人ともまだ曖昧です。今後の話し合い、検討が不可避でしょう。
しかしこの二人は対話の姿勢を持っていると思われます。
・岡本さんは外国籍住民の政治参加の保障に言及するものの、そもそも
 住民 の具体的な政治参加の「器」構想が曖昧で実態としては従来通り
 になります。
・福田さんは「準区民会議」という具体的な構想があるものの、住民の参加
 の位置つけが不明です。そこに外国人の参加を認めることと、地方
 参政権の問題を混同しています。前者は条例、後者は国会決議が必要
 ですが、まだ福田さんは外国籍住民の政治参加の保障と「準区民会議」
 における住民参加の保障の問題が十分に検討されていません。
 その検討に私たちも参加したいですね。
*
それではみなさん、いいお休みをお過ごしください。
*
-- 崔 勝久SK Choi
skchoi777@gmail.com

2009年10月9日金曜日

「公平性」って何ですか?

「公平性」って何ですか?

10月15日の「新しい川崎を作る市民の集会」について多くの批判的な意見が寄せられています。多くは、阿部さんを「排除」するのはけしからん、「公平性」の原則に反する、また、各運動関係団体との協議なく(挨拶なく?)、勝手連的に集会の準備を進めるのは気に食わないというものです。

川崎では阿部現市長と、共産、民主、自民推薦(支持)の計4人の立候補者が揃いました。私たちの集会に対して、阿部さんを「排除」した集会は「公平性」に欠けるので新聞報道できないというところがありました。勿論、報道してくれる新聞社もあります。

「公平性」ってなーに? 私たちはそもそも評論家でなければ、マスメディアの人間ではありません。8年続いた阿部市政による社会のひずみ、具体的な被害に関して、これをなくそうとする集団です。ポスト阿部、これを阿部さんに対抗して立候補した人にどのように解決することを約束させるのか、このような実践的な課題をもって集会を準備しているのです。

15日の集会は、市民フォーラムとJCによる集会を経て、また阿部市政に異を唱えて立候補した人たちの公約を検討して、最終的に、彼らが新しい川崎をどのようにするつもりなのか、それは私たちの課題を解決してくれるものなのか、この点を明確にする場です。

国籍条項の問題に関しては、単に外国籍公務員の処遇の問題でなく、住民自治を保証する制度をいかに作るのかという、地方自治の在り方の根底を問う問題であるという私たちの主張が市長選で取り上げられることになりそうです。

これは国会で論議される外国人の参政権の問題と根本的に違います。外国人の参政権論議は、被選挙権を排除し、北朝鮮を除くというもので、これでは外国人の政治参加とは言えません。住民の政治参加をどのように保証させていくのか、この戦後日本の地方自治の在り方を根底的に問う論議の中で初めて、外国人住民の政治参加が意味をもつのです。ご理解いただけるでしょうか。

2009年10月8日木曜日

阿部現市長の3選阻止から、市政の具体案をめぐる闘いに


今日の神奈川新聞は注目です。
まず阿部現市長が最後の市議会で感謝の言葉を述べたが、
拍手は皆無、とのこと。「市長と各会派との冷え込んだ関係を
象徴する場面」と書いています。

各党派は阿部さんをどこも支援しません。阿部さん支援は、
電機労連の富士通、キャノン、東芝らですが、実際に組合員が
どのような投票行動にでるか、わかりません。頼みの市職労も
同じでしょう。医師会、商工会議所・町内会などは、阿部が
当選しないと見ると、ころっと態度を変えるでしょう。

公明党は、同日選挙の参院補選で自主投票を決定しました。
市長選も同じ態度をとるしかないでしょう。8万5千の
公明票は、阿部さんにはいかず、原自民か福田民主に流れると
思われます。しかし、原自民は検討して15万票、20万票に
どれほど上乗せするのかという勝負になりそうです。

同じ神奈川新聞で、福田さんの「準区議会」を全国初で新設、
とありますが、内容は、市長の諮問機関で決定権はなく
(川崎外国人市民会議と同じ)、市議と市職員とで決め、
市民は傍聴と発言の機会はあるというものの、これでは
住民の政治参加とは言えません(ハンナ・アーレントや
京都の区民協議会案は読んでないな?)。

福田さんは現行の区民会議は廃止する方向とのこと、これは
いいですね。条例も変えなければなりません(今の議会の
力関係では可能)。しかしせっかくだからもう一歩踏み込んで、
原さんさえ言っている区長の公募、住民の「準区議会」
への参加(区民議会のメンバーは、公選公募にする)と、
決定権を与えるべきです。市長の拒否権を与えてもいいのですが、
その際は、準区議会で説明することを条件にすべきでしょう。
もっと、福田案は検討されなければなりませんね。

今のままでは、市長と市議の権限を大きくするだけです。これは
道州制と同根です。住民自治とは住民の政治参加です。

2009年10月7日水曜日

ビラが完成しました。いよいよ本格的な運動を始めます!

皆さんへ

本日、8色のカラー印刷のビラ送がられてきました。
多くの方々のご協力でビラが完成され、感謝です。
ビラそのものが必要な方はご連絡をいただければ
郵送いたします。

さて、「新しい川崎を作る市民の会」実行委員会主催による
集会は、阿部現市長を除く3名の候補者の参加を求め、
市民との質疑応答の中で、最終的に候補者がどのような考えを
持って新たな川崎を作ろうとするのかを明確にしていくことを
目的にしています。多くの方の参加を求めます。

ビラ配りのスケジュールは以下の通りです。参加してくださる
方は、現地に集合ください。楽しくやりましょうね。胸がはずみます。

9日(金) 朝8時ビラ配り開始 川崎第3庁舎前
10日(土) 午後1時 JR川崎駅時計台前
11日(日) 午後1時 JR溝の口改札口
12日(月) 午後1時 JR武蔵小杉 改札口
13日(火) 朝8時   川崎第2庁舎前
14日(水) 朝8時  川崎区役所前の歩道橋
15日(木) 朝8時  川崎本庁時計台前

市長選運動のHPは、http://abe3.boo.jp/
噂のチャンネルのブログ:http://blog.abe3.boo.jp/

崔 勝久SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

阿部さん、同じ轍を踏む(?)

明日、川崎市長選と参議院神奈川補選の同時告示です。
同日選挙になります。国政選挙の後、大した盛り上がりは
見られません。川崎は投票率が大体、35-40%で、今回、
「民・自決対決 軸に」(神奈川)とメディアが煽っているので、
それでも50%行きますか、どうか。

8年前、阿部さんは、現職市長に挑戦し、今回自民から出馬
する原さんたちの支援で勝ちました。今回、その原さんと、
民主の福田さんが(いずれも阿部さんを支援したそうですが)、
阿部市政に挑戦します。2期務めた市長は3期目は負けるという、
同じ轍を踏むことになるのでしょうか(?)

自民の原さんと阿部さんは同じ支持層で、阿部さんは、票を奪い合う
懸念について「ありうると思う。大変厳しい選挙になる」(神奈川)と
話しています。阿部さんによると、「原さんとは政策をすり合わせる
機会も多く、それほど政策も違わない」と言っていますから、原さんの
独自性は何か確認したいところです。

マスコミは自民と民主の対立と煽りますが、共産党推薦の岡本さんは、
存在感を示し始めているように感じます。川崎はこの40年の歴史で、
保守系は阿部さんの2期、8年だけですから、今回、本気で政権を
奪い取ろうとしています。自民・民主・現職の対立と一概に決めつける
ことはできません。

阿部さんは「日本一への5本柱」を発表しましたが(河村たかしの
物真似?)、「思い切った政策を言えないのは現職の弱みでもあり
強みでもある」と話していますが、これって、何も新しいものはない
ということですよね。


崔 勝久
SK Choi
ブログ:http://anti-kyosei.blogspot.com/
選挙の噂のチャンネル的ブログ:http://abe3.boo.jp/

2009年10月6日火曜日

川崎市長選、候補者揃う、混戦!


川崎市長選、候補者揃う、混戦!
自民党が原修一・元市議会議長の立候補で、4名になりました。阿部現市長、岡本共産党推薦、福田民主推薦、原自民推薦という顔ぶれです。


猪俣市議と昨夜のフォーラムで立ち話をしたのですが、私も彼女が言うように、原市議は15万票を取るように思います。温厚で根回しの上手そうな原さんは、おそらくライバル政党にも顔がきくのでしょう。公明党の票が流れることが予想されます。そうすると、もう少し上乗せされる可能性が出てきます。


そうすると、予想される投票者数は50万票として(これでもこれまでの川崎の投票率より多めにしています)、残りは35万票。岡本さんの最近のめりはりの効いた演説が受け入れられらば、共産党の固定票の6万を超え前回の14万票を超すかもかもしれません。


残りは20万票。これを固定票のない阿部さんと福田さんが分けるのか、あるいは時代の風に乗って民主の福田さんが伸びて、他党の固定票をとるのか、ということになります。


こう考えると、案外全国的に顔が知れている政治家がどれほど川崎を訪れるのかという、どこでもやっていることが決め手になるのか、それとも公約が市民の心を打つのか、両方でしょうね。


噂のチャンネルとしては、1枚岩でない民主党が連合・市職労の圧力をはね返して公約の内容で勝負せず、駅での街頭演説で、あくまでも若くてイケメンのイメージ戦略で行こうという声を聞いています。しかしそれでは、住民自治を最大の政治課題とする福田さんが気の毒です。鍵は、福田さんの基盤がない、川崎区と幸区、まさに私たちのホームグランドです。


そこで私たちが企画する、10月15日の市民集会の役割が出てきます。市民が本当に知りたい候補者の考えを引き出し、阿部市政に反対してきた個人・グループへの約束という言質をとりたいと思います。自分の政治理念で勝負しようとする候補者が、その場で何が他候補と違うのか、公衆の面前でがちんこ勝負をしてもらいましょう。

みなさん、10月15日、周りの人に働きかけ動員してくださいね。

ビラは、http://abe3.boo.jp から印刷してください。

崔 勝久


2009年10月5日月曜日

川崎市民フォーラムに、市長選候補者が参加 岡本さんは国籍条項撤廃を約束

今日7時から川崎溝の口で、市長選両候補の参加を求めてのフォーラムがありました。主催者発表150名。参加した候補者は、共産党推薦の岡本さん、民主党推薦の福田さんの両名で、現市長の阿部さんは書面による回答でした。

2時間にわたるフォーラムは2時間にわたり、フロアーからの質問に対して、両候補者が応えるという
形で進められました。一番注目すべき発言は国籍条項に関するものです。私が質問をしました。

岡本さんは、マニフェストでは永住外国人は「住民自治の担い手」と明言していますが、その内容は不明です。そのほかには、「地方参政権を認めるよう、国にはたらきかけていきます」とあり、外国籍公務員の昇進・職務の制限を定めている「川崎方式」への言及はありません。しかし、私の質問に対しては、当選すれば、国籍条項の撤廃を約束しました。公衆の面前でこのことを約束した候補者はこれまでいませんでした。これはおおきな成果でした。

一方、福田候補者は(あっけらかんと)、国籍条項のことはよくわからないとの回答でした。わからないことはわからないと答えるしかなく、そこに開き直りの臭いはなかったので、「連絡会議」からの公開質問書も行っているので、勉強をして、しっかりと回答できるようにしてほしいなと思います。

今日のフォーラムの報告は改めて整理してお送りします。

崔 勝久
ブログ:http://anti-kyosei.blogspot.com/
選挙の噂話しのブログは、http://abe3.boo.jp/

市長選 唯是氏が出馬断念 (朝日)

みなさん、おはようございます。
今朝の朝日新聞で、私たちが「危険人物」と警告していた、
宮崎の東国原知事の「一番弟子」の雄是一寿が立候補を
辞退したそうです。勝てないと悟ったのでしょうか。

しかし懲りない自民党は新たな候補者を立てるとのことです。
今週、告示ですよ。そうすると、阿部が自民に頭を下げる
ことで決着という筋書きも出てきそうですね。そこには公明も
乗りやすく、怖いですね・・・

今回、自民に追随しなかった公明の状況判断は正しかった
ということになります。8万5千票の公明固定票の行方が気になります。

今晩、市民フォ-ラム主催で、岡本共産党と福田民主党の対決が
7時から溝の口のテクの川崎で行われます。

そうすると15日の私たちの「ストップ・ザ・阿部三選」での両氏の
デイベートと私たちの質問への対応が楽しみになります。

-- 崔 勝久SK Choi

2009年10月4日日曜日

阿部現市長を市職員や保育園関係者らが告訴

去る9月初め、新聞報道で、民間会社が経営する保育園が突然倒産したこと、その会社に川崎市がお金を支援した金額は1億円にもなること、経営状態のよくない会社にろくに調べもしないでお金を支援した責任は阿部市長にあるとして、市長が告訴されたということを知りました。勿論、その「事実」に対して、私たちも市のあり方を批判したことがありますが、市長の告訴のことは知りませんでした。

新聞では原告の名前は伏せられており、私はどんな人が告訴したのかなと思っていました。 しかし先週、その原告が私のよく知る川崎の女性職員であることを本人から知らさせれました。それは東京都の韓国人職員の鄭香均が石原知事を訴えたのと、同じですよね。私は川崎の市の職員にそのような勇気のある女性がいることを知り、うれしくなりました。

彼女から訴状と証拠の新聞記事が送られてきたので、みなさんに紹介します。原告8名、弁護団11名になっており、原告の立場は記されていませんが、その職員を除いた他の人は、夫婦が原告になっていることからして、保育園の突然の閉鎖で迷惑を被り怒った保育園関係者(或いは父母)と思われます。

川崎市は、東京都の(株)エムケイグループという、当初通信機器やOA機器を販売していた会社が学童保育や保育園を経営するようになり、川崎に作ったふたつの保育園に78,534,421円の補助金をだしたそうです。その金をMKは他の事業の資金繰りに使い、保育園関係者には給料も払えなくなり、突如、閉鎖したとのことです。

訴状は、安易に民間会社に「丸投げ」したことを指摘します。「保育事業の安定的継続性を前提にしその補助金等の助成をするのでなければ、その公金支出に公共性、公益性は存在しない」、「経営状態、財務に関する資料を総合的に検討」していたら、少なくとも10月末の全園廃止の前、4月の新年度には「補助金等の支払いには公共性、公益性がないと判断すべき」であったと記します。

「地方自治体は、・・・最小の経費で最大の効果をあげなければならない」(地方自治法第2条14項)、「地方公共団体は、その財政の健全な運営に努め」る(地方財政法第2条)と規定されているのに、川崎市の一連の補助金は「違法もしくは不当な公金の支出」(地方自治法242条)であると言うのです。

また、MKが資金繰りのために保育以外の他の事業に補助金を使った「疑いは濃厚」であり、その補助金等の交付は取り消すことができたはずなのに、市長及び関係職員はそれをしなかった、従って彼らは、「川崎市に与えた損害につき、損害賠償責任を負うものである」ので、「被告川崎市長は、川崎市を代表して、別紙債務者目録記載の債務者(阿部孝夫!)に対し、金78,534,421円・・・を支払うように請求せよ」という主張になっています。即ち、市長の阿部孝夫は、債務者の阿部孝夫に対して金を払えと、原告が訴えているのです。うむ、そんな論理があったのか?

この裁判は、背景としては、阿部現市長が行財政改革を掲げ、民営化を進めるなかで、公立保育園を民営化し、当初は社会福祉法人までであったのを株式会社まで認めたところから発生した問題だと思われます。勿論、すべて公立保育園にするというのは無理です。しかし市はなし崩し的に規制緩和をしないで、少なくとも社会福祉法人であってもその経営状態と保育の実体は把握し、株式会社にはなおさら、倒産して育児やその父兄に明迷惑がかからないように、行政はしっかりとした管理と「規制」をすべき責任があります。

ここに行財政改革を大上段に振りかざして、川崎市の財政危機を訴えてきた阿部市政は、保育とは何か、教育とは何か、それに対して行政の責任は何か、という基本的な姿勢(思想)が誤っていたと断言せざるをえません。この裁判に注目しましょう。

横浜国大川崎フィールドワーク、無事終了






横浜国大川崎フィールドワーク、無事終了

昨日、横国大学生約20名と「引率」された加藤さん、松原さん、マスターの学生、オーストラリアからの留学生、立命館大学と一橋の博士課程研修者2名の川崎フィールドワークが無事終了しました。2回目の川崎フィールドワークは、今回は横国の正規のワークショップという授業の一環として、いくつかのコースの中で学生が選択して参加したものです。

午前10時から休みなしに移動して、6時半までぎっちりと組まれたコースで、学生さん、お疲れさまでした。「在日」のオモニの経験談、「多文化共生保育」の桜本保育園と「多文化共生」実践のふれあい館、桜本商店街の見学、木賃宿の見学、ホームレス・沖縄・「在日」の発題を、1日で経験したのですから大変だっと思います。

その後、恒例の韓国屋台での二次会、11時まで、飲み・食べ・だべりの楽しい時間を過ごしました。そのような場だからこそ、話し合えるものがあり、率直な意見交換もできました。桜本の「日本の祭り」という2万人を超す人が集まる祭りに、横国大の学生が屋台を出してはどうかという話で最後は盛り上がりました。

横国の学生は総括会の最後で、沖縄やホームレス、「在日」のことは初めて知ったという正直な「告白」をしていました。私自身も受験勉強で、「在日」の歴史のことなど知らなかったので、受験競争を勝ち抜いてきた学生たちが実際の社会の現実を見せられたとき、絶句するしかないということはよくわかりました。今後、大学側が、今回の経験を教育と研究の場で生かしてくださることを願うばかりです。

学生諸君、また会いましょうね。
なお、ご協力くださった多くの方に感謝いたします。
総括会議に参加くださった方々もありがとうございました。

崔 勝久
ブログ:http://anti-kyosei.blogspot.com/

――――――――――――――――――――――――――――――――
なお、当日のスケジュールは以下のようになっていました。

ワークショップ「差異と共生」企画
「多文化共生」都市の歴史と現在~川崎桜本フィールドワークツアー
日時:10月3日(土)9時半~18時半 
*9時半にJR川崎駅中央口時計前に集合(時間厳守) 
*費用は、交通費(バス代210円×2)+昼食代(+懇親会2500円)
京浜工業地帯の中心地である川崎市桜本地区を中心に、地域を歩き、当事者の方々と対話しながら・・在日や沖縄出身者のおかれた歴史と現在、オールドカマー・ニューカマーを含む住民、子どもたちや高齢者の状況、スラム・ドヤ街の過去と現在、川崎市や地元商店街の取り組み、今後の都市のあり方などを考えます。 終了後には地元の方とともに懇親会を予定しています。

予定9時半     JR川崎駅中央口集合 →バスで桜本へ10-11時  
宋富子さんと対話 於:桜本・在日大韓基督教会川崎教会          
(桜本保育園で「オモニの会」最初の会長、高麗博物館館長、一人芝居の上演)11-12時 
 
桜本保育園訪問(多文化保育の現場)12-13時  
池上町(京浜工業地帯旧スラム地区)内の食堂で昼食13-14時  
川崎市ふれあい館訪問(裵重度館長のお話)
http://www.seikyu-sha.com/fureai/14-15時半 
桜本商店街・セメント通り(コリアンタウン)を歩き、商店街の人と会談         
「本気で臨海部の未来を考える会」の渡辺治さん参加          
(秋のまつりでは2万人参加、地域活性化の取り組み)  
        
→バスで川崎駅に       
16-16時半 日進町ドヤ街を歩く
16時半-18時半 懇談会 
於:日本キリスト教団川崎教会(滝澤貢牧師) 
             
沖縄県人会の座覇さん、「ホームレス」支援に取り組む竹野さん、               
「外国人への差別を許すな川崎連絡会議」朴鐘碩さん参加
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html
19-21時  懇親会 於:韓国居酒屋・酒幕(会費2500円)
http://www.hotpepper.jp/strJ000726900/map/
(崔 念のため:普通は食べ放題飲み放題で2500円ではできませんよ!)



2009年10月2日金曜日

10・15集会ビラができました


みなさんへ
川崎市長選挙は10月25日で、私たちは15日に阿部に対抗する候補をお呼びして、私たちの思いをぶっつけてみようと考えています。
阿部に対抗する人であれば誰であってもいいわけではありません。
今回、自民が支援するという候補者は、宮崎の東国原知事の「一番弟子」で、大川周明や岸信介を尊敬するとの情報が流れ、ここにきて一挙に危機感がただよい始めました。本人が本当に立候補するのか、まだわからないところがありますが、私はメールで15日の参加を要請しました。
民主党推薦の松沢神奈川県知事の「ひぞっ子」の福田紀彦、共産党推薦の岡本一、そしてその「怪しげな人物」はそれぞれ、阿部より本当にましなのか、私たちの運動を理解し、思いを実現してくれるのでしょうか、徹底的に話し合い、検証したいと思います。
みなさんにお願いがあります。添付資料でビラをお送りしますので、そのビラをできるだけ多くの方に送っていただけませんか。そして当日、みなさんの集会参加をお願いいたします。
1.日時:10月15日(木) 18:30-21:00
2.場所:川崎市立労働会館(ビラの地図参照)
3.主催:「ストップ・ザ・阿部三選 新しい川崎をつくる市民の会」実行委員会

-- 崔 勝久SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

南高校の問題を捉える新たな視点

南高校の問題を捉える新たな視点

渡辺さんが今日のブログで詳細に説明しています。是非、一読下さい。
「鞆の浦も南高も、官僚政治、政官財政治の悪乗り」
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html

勿論、以前から渡辺さんは同じ主張をしていました。今回の違いは、政界・官僚・大手企業(商社、建築業者)の三位一体による不正行為が糾弾される流れの中で、南高校問題を取り上げていることです。

八ツ場ダム建設の中止、及び今日の朝刊で報道された、ポニョの構想が生まれた鞆の浦の埋め立て事業の差し留めという大きな流れです。ついでに、この鞆の浦の埋め立て事業の差し留めを勝ち取った日置弁護士は、南高の住民訴訟の弁護士団長だそうです。

渡辺さんはブログの中で、政治家が介入(口利き)すると2%のバックマージンが入ると いう、これまで慣例になっていた仕組みを暴いています。そうすると、本来県立高校の跡地の活用は、当然のこととして地元住民と相談すべきところ、阿部現市長が唐突に(勿論、これは県とのできレースでしょう)、松沢県知事にUR都市機構という天下りの温床である独立法人に南高校跡地を売却してほしいと頼んだことは、様々な憶測を生みます。

URが大手デベロッパーに売却すると、100億円の利益をだすそうです。そこから何人の政治家にバックマージンがいくのでしょうか。これに関わった川崎自民党の何某、ウム、 県知事や川崎市長にまで行くのかしら?

このようなプロジェクトは必ず隠れ蓑が必要です。今回は、URに売却して大手商業施設を作るには、それを正当化する川崎の都市計画や、他の病院や福祉施設は作らせないという条例も完備されていました。「日本の都市計画史上燦然と輝く「汚点」となることは確実である」と渡辺さんが怒るのももっともです。

以上のことは政権交代で可能になったことですが、この波が今後の日本社会の行くべき流れとして、私は正面から、南高校跡地の活用に関しては、都市計画を白紙にして住民・識者・行政が一緒になって検討する委員会を作ることを強く主張します。それと南高校解体過程で生じたアスベストに関する住民の不安解消のために、住民と行政が合同調査を実現させるべきです。

一体、この提案を拒む政治家とはどういう人なのでしょうか。公明党は唯一、その合同調査に関する公開質問にこたえることをしませんでした。さて、阿部現市長に対抗する候補者はこの南高校問題にどのように応えるのでしょうね。みなさん、10月15日の集会に結集して確認しましょう!

岡本氏がマニフェスト 子育てや福祉に重点(神奈川新聞 10.2)

昨夜、岡本さんの事務所開きに行ってきました。200名ほどの
支持者で熱気ムンムン。
岡本さんは、「阿部市政は、ひと減らしや民営化など行財政改革
の名の下で福祉切り捨てを行ってきた。市民の暮らしを優先する
市政に変えていきたい」「阿部との一対一でも勝てるのに、相手は
3人になって票がわかれるので、絶対、勝つ」と意気軒昂でした。

私は4人の候補者のうち、阿部現市長と、自民が推す(岸信介、
大川周明崇拝者の)唯是一寿は別にして、岡本さんと民主の
福田さんとは面談しました。岡本さんは3人の阿部対抗馬と
しては、最も見識があるという印象をもちます。しかし、
今年初めからの選挙運動は、共産党市議と組合が段取りした
ところだけを回っており、市民運動との接点がなかったところに
(ああ、市民フォーラムがありましたね)、党派の固定的な手法
と狭さを感じました。

民主の公約が連日テレビや新聞で報道される中、川崎市民が、
阿部現市長とのこれまでの「つながり」を重視するのか、民主の
流れか、保守的な自民(公明は不明)か、「市民の暮らしを優先
する」とする共産党のいずれを選ぶか、拮抗すると思います。

私たちは「ストップ・ザ・阿部三選」を掲げますが、これは阿部
以外であれば誰でもいいのかという問いに答える必要がありますね。
私は、15日、私たちの集会で阿部に対抗する3人の候補者に、
歴史観、阿部市政との具体的な違い、個別運動に対する理解を
明らかにさせます。それによって、候補者や党の雰囲気でなく、
候補者自身が自分をアピールすることになるでしょう。

阿部以外の誰がいいのかは有権者が決める、私たちはその判断材料を
提供する、候補者の実態をあきらかにする、という立場に徹したいと
思います。いかがでしょうか。

少し硬めのブログは、http://anti-kyosei.blogspot.com/
選挙選の噂系は、  http://blog.abe3.boo.jp/

崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2009年9月30日水曜日

市長選用のサイトを立ち上げました

川崎の市長選は意外な展開になってきました。
宮崎知事の東国原の「第一弟子」が立候補し、
自民が支援するそうです。8万5000の固定票をもつと
言われる公明党が追随するとなれば、強敵です。


http://blog.abe3.boo.jp/
完全に若い、携帯世代を対象にしました。携帯電話でも
きれいに見れます。


街頭で配布するビラで、サイトを知らせ、15日の集会で
反阿部の結集をはかりたいと考えています(三位一体方式です!)。
不十分なことは十二分に承知しながら、やるっかないという
気持で、楽しんでおります。
みなさんのご協力お願いいたします。

2009年9月29日火曜日

自民、唯是氏支援へ 東国原氏ブレーン無所属で出馬

自民、唯是氏支援へ 東国原氏ブレーン無所属で出馬方針 (神奈川新聞)

川崎の市長選が「面白く」なりました。東国原市長のブレーンで、「都市・地方振興フォーラム」代表の唯是氏が立候補を決め、自民党が支援するそうです。公明も乗りそうですね。

このフォーラムのHPには、次のようにあります。しかし活動内容、沿革から見ると、2007年にできたばかりで実態はよくわかりません。例の東国原と自民党の古賀を引き合わせたフィクサーのようです。72年生まれですから、35歳ですか。

尊敬する人物として、大川周明を挙げていますから、危険な臭いがしますね。若く、イケメン(?)で政治センス、行動力、広い人脈あり、東国原の「一番弟子」とのこと。芸能界にも通じているようで、満を持して川崎からデビューという感じですね。強敵です。

是非、15日の「ストップ・ザ・阿部三選 <現市長>を落選させる市民の会」集会には来ていただきたいですね。

都市・地方振興フォーラム
▶理念◀
 都市・地方振興フォーラムは、「中立公正」「客観性」「不偏不党」を基本原則に、特定の個人や団体の利益・不利益ではなく、広く公益に資することを目指して活動する
▶目的◀
 都市・地方振興フォーラムは、都市や地方が直面する様々な社会問題に関し、政治・行政・経済・文化・経営の各専門分野のみならず、関連諸領域や地域住民の視点を包含する総合的な検討・議論を深め、多角的な政策やアイディアの提言を行なうことで、地域振興に貢献する

2009年9月28日月曜日

調布ムルレの会30周年記念 特別市民講座で講演

今年になってすぐに講演依頼があり、レジュメも準備をしていたのですが、あっと言う間に9月になり、26日(土)に調布に行って話をしてきました。

30年も継続して「在日」問題に向き合っていらっしゃる主宰者の坂内さんをはじめとしたみなさんの真摯な姿勢には頭が下がります。坂内さんとは、<在日朝鮮人問題>について私がICUの学生のときに無教会の高橋集会で話をしたことがあり、それ以来のお付き合いということになります。40年ということですね。

当時、生意気盛り(今もそうですが)で、話した内容が小冊子になり、それが韓国で翻訳されているとのことです。坂内さんから与えられたタイトルは「在日朝鮮人から日本人に問う」というもので、田中宏さんや著名な歴史学者が講演されるような場で、私が何を話せばいいのか悩んでいました。

私は自己紹介に以下のことを記しました。
「在日朝鮮人である私がどのような資格で、何を日本人に問うのか。過去、日立就職差別闘争から40年、在日朝鮮人への差別を『歴史の歪み』と認識し、“被害者”として“加害者”である日本人の責任を問うてきたが・・・自分たちの責任はどこで問われるのか、ずっと考えてきた。来るべき社会(歴史)への責任という次元では、日本人も朝鮮人も皆同じ、足元で『開かれた地域社会』建設に向けて共に歩むべきで、それこそ私たち『在日』を含めた皆様との共通課題ではないのか」

当日話した内容もそれに沿ったもので、「在日朝鮮人から日本人に問う」というとき、その目的語は何か、恐らく「歴史的な責任」ということが念頭に置かれ、そのことを当事者から話してもらおうということであったのでしょうが、私は、「歴史的な課題」を強調し、それは朝鮮人が日本人に「問う」ものでなく、共に担うものではないかという、日頃の主張を披露しました。この「責任」から「課題」に至るまで、私は40年かかったということですね。

日本で最も外国人施策としては進んでいる(とされている)川崎市の実態、「当然の法理」、阿部三選阻止について説明をしました。30名ほどの聴衆者には少しわかりにくいかとも思いましたが、終わった後、(お世辞も半分含めて)比較的、好評でした。特に同じ「在日」の女性からは、「在日」もまた民族主義を克服していいかなければならないという、多くの「同胞」からは絶対に受け入れられないような内容も、それこそ自分の言いたいこと、よく言ってくれたと「称賛」されました。二次会のビールのおいしかったこと!

聴衆者の中には川崎の方もいらして、市長選のことに関心を示した方もいらっしゃいました。15日は、阿部の対立候補者を招いて、阿部市政の何が問題と考えるのかについて、私たちの関心事に応えてもらう場を設定しました。自民党からの候補者も内定したようで、それに公明が便乗するのかどうかわかりませんが、いよいよ阿部現市長、共産党の岡本、民主の福田、自民のXの4名の決選です。

彼らは国籍条項の撤廃についてどのような見解を示すのでしょうか、みなさん、15日(木)には是非、来て下さいね!

2009年9月25日金曜日

福田紀彦、民主党推薦市長選候補者との面談、印象

福田紀彦、民主党推薦市長選候補者との面談

今晩、福田氏の超多忙なスケジュールの中から、約40分の時間を割いてもらいました。 話した内容は、

1.「従軍慰安婦問題」や南京事件を否定し、日本の賛美に終わるような他の民主党の議員との違いを明確にしてほしい(阿部は問題だが、福田氏がそのような「右翼」的な議員と同じだから、それだと選挙は棄権するか、むしろ阿部の方がましという逆キャンペーンが張られている現況を説明する)。
2.横浜の教科書採択(自由社)をどう思うのか、川崎でも同じことをするのか。
3.川崎の「国籍条項」の問題と、阿部の「準会員発言」をどのように思うのか。
4.南高校の問題についてはどう思うのか。
5.15日の「ストップ・ザ・阿部三選」集会への参加の要請。

氏はまだ若く(30代後半か)、高校からアメリカで学んだらしく、人の話はじっくりと聞き、自分の知らないことは知っている振りをすることなく、率直な意見交換ができる人物とみました。一番心配した、巷間言われている「右翼」ではないと判断しました。どちらかというと、リベラルな考えの持ち主なのでしょう。極端な主張、例えば、南京事件はなかったとか、「従軍慰安婦問題」はすべて軍がやらせたというような考え、主張は受け入れられないと話していました。

しかし、アメリカのケネディの影響で国を愛することを強調し、右だ左だとレッテル貼りをすることはよくない、歴史観で市政の在り方を論じることはできない、検定教科書のうちどれを使うかは、彼が目指す「コミュニティ学校」で自由に選択させるべき、などと状況を踏まえてその真っ只中で自分の考えを述べるというのではなく、一般的な(特にアメリカで見聞きしたような)意見に終始していたので、今後、選挙運動の中で、自分の具体的な態度・意見を明確にすることを求められるようになるでしょう。

「国籍条項」の問題や、「準会員」発言の問題は全く知らなかったようです。まあ、川崎市選出の県議であっても知らないことは仕方がなく、恥ずかしくもなく、今後勉強して知って正しい判断をしてくれればわけです。私たちの『日本における多文化共生とは何か』を贈呈しました。上野千鶴子さんのことは全く知らなかったようで、まあ、それ自体は何ら恥じることではないのですが、さすが黙っているわけにはいかず、福田さんはあまり本を読まないタイプですね、と言いました。

南高校の件では時間もなく、住民の不安の解消のためには行政と住民とで合同調査をすること、跡地をどう活かすのかについては住民も参加して論議・決定するようにすること、 この2点をしっかりと考えておいてほしいと言っておきました。氏は、南高校の状況は県の行政からの説明からしか聞いていないようです。しかし、住民の不安の解消や施設建設に住民が参加することは、何がなんでもわかるでしょう。そう願いたいですね。

今後、10月5日と15日、市長選候補者を呼んでの討論会の場が設定されているので、福田氏も自分の立場や主張を明確にしていくものと思われます。

2009年9月24日木曜日

川崎市職員労働組合と日立製作所労組との類似性―朴鐘碩

川崎市職員労働組合と日立製作所労組との類似性―朴鐘碩

第40回日立製作所労働組合ソフト支部定期大会「すべての議案が可決される」  

8月4日開催された定期大会の結果は、組合から説明もなく8月27日発行の(大会から3W以上遅れ、紙切れ1枚の)チラシ「ユニオン ソフト」のみで知らされました。

ソフト支部委員長は、「課題は残したものの一定の成果は残せた」と冒頭挨拶しています。「夢ある未来への前進~豊かな個の実現と働きがいのある職場づくりをめざして~1.ゆとりある豊かな生活の実現をめざして2.安心と働き甲斐ある職場の実現をめざして3.人に優しい社会の実現の実現をめざして4.組織の強化発展をめざして」また、「統制委員と表彰者」が決まり、「すべての議案が可決され」ました。「表彰者」は、「表彰規程に基づき」組合役員・委員11名、「特別表彰」は、組合出身の横浜市会議員と女子ソフトボール部」が選ばれました。

「表彰された」役員・委員は、心から喜びの表情はなく、どことなくぎこちない感じです。なぜか視線は下に向いています。

しかし、なぜ、このような「表彰規程」があるのか、役員・委員、横浜市会議員、女子ソフトボール部が何故「表彰」されたのか、何を基準に「統制委員」を選んだのか、説明がないため疑問に感じている組合員は少なくありません。また、この大会には「ご来賓」としてソフト執行部から中央委員になった2名、元衆議院議員、横浜労働者福祉協議会事務局長、全労災横浜支所課長、中央労働金庫戸塚支店長が出席しています。一般組合員(は参加できない)の意見を反映するより、何故このような人たちが「ご来賓」として出席し、定期大会で挨拶するのか、組合(議案)とどのような関係なのか組合員には理解できません。

予め指名され、普段意見・要望など出さない、組合活動に関心もない、沈黙している組合員が「自ら立候補する」形式で「信任」された代議員130名が出席したはずです。「時短取組、単身者住宅手当、「政権交代をし、私たちの声を国政に届けてもらえるよう」な衆議院選挙、各種共済PR、組合イベント充実」などの質問・要望が代議員から「出された」ようです。

しかし、こうした質問・要望は、本当に代議員から出されたのか?職場の組合員の意志を反映したものか?誰が提案したのか?疑問です。拳を上げた「大会代議員のみなさんの「団結ガンバロ-」三唱」の顔(写真)の姿は、これから「組合員の権利を勝ち取ろう!」という「ガンバロ-」ではなく、上からの押し付け(やらせ)と言いたいことも言えない、自分(個)を犠牲にし、指示に従うしかない悲壮感だけを代議員の表情から私は読み取ります。

「HITACHI」で働く20代、30代のエンジニア(正規労働者)は、企業社会で長生きするために自らを殺して、沈黙する以外にないのでしょうか?川崎市職員労働組合と川崎市長候補・阿部孝夫の(自治体の)「政策協定」(http://anti-kyosei.blogspot.com/ 2009年8月23日)は、民間企業日立製作所経営者と労組幹部も同様な関係と私は理解します。具体性のない、「行政改革」には、「人権の尊重と平和への貢献」「多様性と個性を尊重し、多文化共生社会の創造」「高齢者、障がい者などが安心して暮らせるまちづくり」と地域住民の現実生活と乖離した表現となっています。

労働者の人権を擁護すべき市職労多田昭彦委員長と「外国人は準会員」と差別発言した、新自由主義者・阿部孝夫市長の「労使協議」は、「安定的な労使関係」「職員の意見反映に努め、職員総参加の市政運営を推進」と記されていますが、「政策協定」は職員(組合員)の声を反映したものか疑問です。

日立労組定期大会の議案にあるように、これは「組織の強化発展をめざして」います。「個の実現」「人権の尊重」「多様性と個性を尊重し、多文化共生社会の創造」と裏腹に組織維持と幹部の延命を優先しています。弱い立場にいる労働者(個)の存在(人権)を無視する組合は、組合員の汗と血の結晶である組合費を使って「政権交代」をめざす特定政党あるいは新自由主義者を支援します。

私の職場に「政権交代実現」のチラシが組合掲示板に貼られましたが、組合員は見向きもせず、喜びの表情を見せることも話題にすることも全くありません。逆に白けている感じです。組合(連合)幹部が応援・期待した「政権交代実現」で、組合員(個)の意思を尊重するのでしょうか?組合員が自由にものが言える、開かれた職場環境になるのでしょうか?それは期待できないでしょう。

ものが言えない職場、幹部の延命、組合員の人権よりも組織維持を優先させるなど足元に存在する多くの問題と矛盾を不問にしたまま、「個の実現」「人権の尊重」「多様性と個性を尊重し、多文化共生社会の創造」はできません。

9月1日の川崎の防災訓練は、軍事訓練か(!?)
























皆さんへ

9月1日の川崎で防災訓練は、自衛隊による軍事訓練のようでもあったようです。その時の貴重な写真を入手しました。写真と一緒に送られてきたメッセージには、「阿部市長は率先して、川崎港東公園を「首都圏防災拠点」としてしまい、また「有事法制成立は意義あること」と言って、そこに自衛隊等の訓練場所としてしまいました。」とあります。

まさに阿部は憲法「改悪」論者であり、「いざという時に戦争に行かない外国人は『準会員』」として、『会員』である日本人は、戦争に行くべきものとしています。

小林よしのりの数年前に出した本の帯には、「戦争行きますか? それとも日本人やめますか?」とあったそうです。

崔 勝久

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
川崎の防災訓練は、軍事訓練(川崎市職員からの投稿)
9月1日川崎区東扇島東公園で行われた「八都県市合同防災訓練」の写真を送ります。当日、私は勤務で動けませんでしたが、T氏が1人でゼッケンをつけて、会場内を歩き回り、写真を撮ってきました。

下から 1 ヘリポートに着陸しようとする自衛隊大型ヘリ 2 海上自衛隊輸送艦を母艦としてそこから出てきたホバークラフト2隻が公園内の人工海浜に着岸 3 自衛隊車両  4 これも ホバークラフト  5 動員された小中学生たち  6 ホバークラフトから緊急医療車が降りる 7 阿部市長の講評を整列して受ける関係者(行政 消防 警察 海保 自衛隊等)

阿部市長は率先して、川崎港東公園を「首都圏防災拠点」としてしまい、また「有事法制成立は意義あること」と言って、そこに自衛隊等の訓練場所としてしまいました。そして今、住民を「自主防災組織」に組み入れ、また小中学生を動員して自衛隊車両への乗車体験などをさせています。日常生活に自衛隊が入ってこようとしているのです。

2009年9月21日月曜日

戦争に行くから国民なんだってー滝澤貢(日本キリスト教団 川崎教会牧師)

みなさんへ
連休はいかがお過ごしですか。川崎教会の滝澤牧師のブログから、以下の文書を引用させていただきました。「いざというとき戦争に行かない外国人は準会員」という阿部の、市長当選のときに放言されたこの内容は、民族団体、市民運動から抗議を受けたが、これまで通り、「共生」政策を続けるという阿部の甘言で、すべて矛を収めてしまいました。

しかし8年経った今、阿部に抗議すべきは、「在日」への差別に対する抗議でなく、日本社会そのものを愚弄する発言と理解する動きがでてきました。阿部は国民国家の本質を云うつもりであったのでしょうが、日本は戦争をしないと憲法で明記している国なのです。

阿部の発言を「在日」への差別と捉えてしまった運動の体質、及び阿部本人に「口封じ」をした「在日」のリーダーの行動、これらはすべて歴史の一過程として受け留めつつ、新たな視点を提示して、歴史を切り開く流れに参加するべきだと私は思いいたりました。みなさんはどのように考えられますか。

崔 勝久
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦争に行くから国民なんだってー滝澤貢(日本キリスト教団 川崎教会牧師)

「いざというとき戦争に行かない外国人は準会員」。
これは阿部孝夫現川崎市長の言葉だ。 この言葉を逆から考えてみたい。外国人(定住外国人も含むということだが)が準会員なのであれば当然日本人は正会員ということだろう。

いろいろなところでわたしは自分の考えを表明してきているが、わたしにとって、こういう「単純二分法」ほどかみつきたくなる論法はない。阿部市長の言い分ではわたしは否応なく「日本人=正会員」に組み込まれることになる。そうなると、わたしは否応なく彼の定義の前半にも引きずられることになるのだ。

つまり「外国人=戦争に行かない」の逆、「日本人=戦争に行く」の中に組み込まれる。単純二分法とは白か黒か、表か裏か、二つに一つしかない。それ以外という選択肢はない。 ということは、「戦争に行かない日本人」というカテゴリーはあり得ないということだ。わたしは喜んでそのカテゴリーに入ろう。

だが、阿部氏のカテゴリーにはない。そうであれば、わたしも安心して所属できるカテゴリーを阿部氏に基本姿勢を変えてでも作ってもらうか、そうでなければこういう市長には辞めていただくほかない。 「中央の小泉、川崎の阿部」。ワンセンテンス・ポリティクスをうまく使ったつもりのお二人。

だが、ワンセンテンスは決して政治をわかりやすくしたのではない。劇場化しただけだ。そしてその劇場の聴衆は、やがてもっと確実なものへと目を向けるようになる。大衆は馬鹿ではない。単純二分法やワンセンテンスを武器にする者たちは、やがて大衆から疎まれる。「現実」とはそれほどには単純ではないからだ。 大衆を支配しようとする者たちは、あの手この手を使う。だが被支配者は選挙という「最悪を避ける」力を行使して反撃する。川崎は今がその時。

日本基督教団川崎教会  のブログより
http://kawasakich.exblog.jp/8983954/

2009年9月18日金曜日

川崎市長選で現職・阿部氏 民主候補「風吹かない」(神奈川新聞 9・17)

川崎市長選で現職・阿部氏 民主候補「風吹かない」(神奈川新聞 9・17)

阿部現職知事が強気です。「仕上げの4年にしたい」と意欲を示し、「(民主党推薦の)福田(紀彦)さんが立っても、風が吹かないのではないか」という認識を示したそうです。

政治家というのは、鉄面皮といいますが、よっぽど面の皮が厚くないと務まらないですね。8年間自分を支えてくれた自公に、何の挨拶もなく切り捨て、民主単独の推薦を哀願して断れたのですから。阿部「市民党」を名乗るそうです。

彼にまともな「認識力」があったら、みっつの与党から推薦を断られるということはなかったでしょう。彼が民主党の「風は吹かない」と判断したということは、「風が吹く」可能性が高いということでしょうね。阿部「市民党」になって、「逆に私を支援する個人、団体が固まってきている」というのですから、大した自信家です。まあ、阿部さーん、結果を見てみましょう。阿部の三選は絶対に阻止して見せます!

「いざというときに戦争に行かない外国人は、『準会員』」「会員と準会員の間で差別があって当然」と当選時から言い放ってきた阿部は、まさに戦争肯定論者、憲法「改悪」論者であり、「中央の小泉、川崎の阿部」と時代に乗って当選したのですから、時代の要請で、今回は落選させなければならないのです。

しかしムードで終わらせず、ムードに乗ってでもどうあっても落選させ、新市長にどうして阿部ではいけなかったのかという点をしっかりと質す必要があります。10月25日の選挙までこの点に力を注ぎたいと思います。みなさん、いかがですか。

2009年9月16日水曜日

市長選、民主党本部 推薦決定 福田氏が3基本政策(朝日10・16)

市長選、民主党本部 推薦決定 福田氏が3基本政策

朝日新聞は今日の朝刊で、神奈川版トップ記事にして福田氏が民主の正式推薦を受けたことと、彼の基本政策を伝えました。

今週中のマニフェストを発表するそうですが、昨日発表された3つの基本政策は以下のものです。
1.地下鉄よりも教育や医療、福祉優先
2.官僚依存の市政からの脱却(市幹部の天下りの撤廃)
3.区への分権

彼の歴史観はHPからは伺えませんが、出された3つの政策はまさに私たちが主張してきたことと一致します。「天下り禁止」は阿部市政に対する批判です。「区への分権」は大いに評価すべき点ですが、今後、現在の「区議会」との違いや、外国人住民の政治参加をどのように理解するのか、知りたい点です。

共産党推薦の岡本氏もまた地下鉄建設に反対の意向と聞いていますが、まだ本格的に市長選の焦点にしていくという点では曖昧です。また地方自治の具体的な指針がないこともこの間、数度にわたり指摘してきましたが、ここも岡本陣営の弱点です。さらに岡本陣営は、 外国人施策に関しては、「参政権」の実施を国に働きかけるという程度の水準で目新しいものは何もありません。私は、これは岡本陣営の勉強不足、また国民国家論を基本にして未だに党員の「国籍条項」をもつ共産党の体質と関係すると見ています。

今後、市長選候補者に対して、歴史観(教科書問題を含む)、地方自治の在り方、外国人施策(国籍条項の完全撤廃)などについて明確な回答を求めていきます。みなさん、一緒にやりましょうね。

2009年9月15日火曜日

阿部「市民党」を自民、公明は支持するのか?


阿部「市民党」を自民、公明は支持するのか?

さて、今日、初めて川崎市議会を見に行きました。
なんと言うか、とても退屈なところですね。質問、再質問、回答も事前に全部官僚と話し合っているのですから、あれだと、全部ネットで流せばいいと思うんですが・・・

阿部「市民党」に対して昨日は、自民党は阿部の変節を強く批判し、独自候補を匂わしたようです。今日の公明は、大した批判もなく、独自候補に関しては触れませんでした。そこで巷では、摩訶不思議な噂が流れだしています。

自民と公明は、一旦は怒りのポーズをしながら、結局、阿部を裏で支えるのではないかというのです。それは自民が本当に独自候補を擁立できるのかということにかかっているのかもしれません。杉山なにがしという自民の県議は、結局、降りたそうです。準備不足と言いながら、きっと、どこからか何かしらのプレッシャーがあったのでしょうね。

これから各候補に対して、こちらの疑問に対して明確な回答を求めたいと考えています。民主本部の小沢、岡田、鳩山たちが賛成しているという永住外国人の参政権をどう思うのか、政府見解の「当然の法理」については? 外国籍公務員の昇進・職務の制限を制度化した国籍条項の完全撤廃はどうか? 南高校の跡地を阿部は大型ショッピング・センターにすべく県知事にURに売却するように要請したが他の候補はどうか? などなど一杯ありますね。阿部を批判する個人・グループは反対する内容を明確にしましょうね。

そうそう、なんで途中で投げ出したかよくわからない(隠れ右翼の)横浜市長は、4年をかけて(まさに右翼の)人材を登用して、戦争を反省しない教科書を採用させました。まさか、川崎に次期市長はそんなことを目指さないでしょうね、これも要確認です。阿部三選阻止の運動はこれからですね。

民主党総支部協議会は、阿部・福田両氏に何を尋ねたのかー阿部を落とした内幕

吉井さんからのメールで、民主党の岩隅千尋市議のブログを知りました。その中で、彼は阿部ではなく、福田を選んだ協議会での10日の「面接」時の情報の一部を公開していました。
http://blogs.yahoo.co.jp/chihiro1890/39970870.html


岩隈:「市営地下鉄問題は、どう考えますか?」

阿部市長:「新しい枠組みを考える。新交通システム、電池電車のようなシステムに切り替えコストを半減する。計画変更と住民投票はセット。いずれにしても、今使っているお金はムダになるので見直しは必要。」

新交通システム案などはじめて聞きましたよ。だったら、私の議会での答弁に、もっと真摯に答えて欲しかったかぎりです。 私の議会質疑なんて、けんもほろろにバッサリ切り捨てられたんですから。

福田県議:「地下鉄は原則反対。大型公共事業よりも人にお金をかけたい。待機児童問題にお金は回したい。児童生徒の基礎学力向上など教育施策も考えたい。」

地下鉄問題に関する、福田県議のお答と私の案に隔たりはありませんでした。 以上の点から私がどちらを支持したのか明白でしょう。

私は、先日も自身のブログに書きましたが、「私」を考えずに「公」の観点から判断いたしました。 そして、総支部協議会での決定が県連の決定にもなったのです。

2009年9月13日日曜日

民主 分裂選挙か 川崎市長選 一部市議が現職支援(神奈川新聞 9・13)

民主 分裂選挙か 川崎市長選 一部市議が現職支援(神奈川新聞 9・13)

おなじみの光景が見え始めました。市議・県議・国会議員による協議会で、誰が選ばれようとみんなで一致して支援しようとなっていたはずなのに、多数決で24名の協議会のメンバーで決定した(福田14票、阿部9票 白紙1票)ところ、市議会議長の潮田なにがしは、自分は連合(市職労)の支援を受けて当選しているから阿部を支援すると、反旗をひるがえした模様。それなら最初からそういえばいいのにね、そうか阿部は勝つと思っていたのか。いずれにしてもこの福田の勝利は若手市議のおかげでしょう。

民主党市議団団長の飯塚氏は、同じく市職労支援で連続当選している人物。外国人最多地区の川崎区選出で、今回はどうすんでしょうか、市職労の意向に従うとなるのか、自分を推してくれた区民の意向を聞こうとするのか、そんなものは無視するのか。民主主義の代議員制で選ばれたんだから、後は自分勝手というところなんですかね・・・

読者のみなさんはここ連続のメールで川崎の事態を理解されているでしょうが、もう一度、整理しましょう。現市長の阿部は自公を捨て民主単独の推薦を求めたが、若手のアメリカ帰りの福田県議が民主の推薦を受けることにほぼ決定(まさか、いまから本部がひっくり返さないでしょう、阿部は小沢事務所にアプローチしているという情報もありますが)、阿部は「市民党」として独自に出馬。後は自民が独自候補を模索中(公明はそれに乗るでしょう)、自民の県議の杉山は党の支援なく立候補。後は、共産党推薦の岡本氏が出るので、計5名の闘いということになりそうです。

断トツで勝つ可能性があるのは都議選と国政の流れからして、民主の福田紀彦。断トツの勝利がないとしたら、杉山を除く4名がドン栗の背比べをというところか。40%の得票率であれば、20万票を誰がとるかの勝負になり、40%を超えるとすると、無党派は福田に投票する可能性が高まるでしょう。得票率が下がると、公明党の基礎票8万5000の行く方がどうなるのか・・・

共産党の岡本氏は今年の頭から立候補を表明し、労働組合と共産党市議団と町内巡りなどをやってましたが、保育園などで思い切った施策をだし、署名活動に精をだしていることが功を奏すれば、ぎりぎり勝利の可能性もありそうです。

神奈川新聞の2面では、市職労の大会に出席した阿部は、自分を支援している労組に、目一杯の愛想をふりまいていたようです。新聞は皮肉っぽく、“頼みの綱”の市職労が気にしている新人事評価制度について「目的は皆さま方の仕事を楽にすることなどと、“リップサービス”を忘れなかった」そうです。阿部と市職労に「喝!」。あほか、あんたら、185名の職員が精神疾患で長期治療を余儀なくされており、8年で30名もの正規職員が自殺しているというのに、おふざけでないよ、まったく。

その市職労に30名もの外国籍公務員がいます。彼らはどうして沈黙を守っているんでしょうかね。そうか、郷にいれば郷に従えっていうやつですかえ(急に花魁調になりんした)。阿部はやっぱり、「多文化共生」を言い続けるんでしょう。そうか、そのスローガンを阿部が掲げる限り、外国人公務員や、差別問題に関わってきた市民運動・NPOも阿部支持、あるいは沈黙を守るというわけですね、わかりやすーい。