2007年10月25日木曜日

川崎市との直接交渉の日程、決定

川崎市との直接交渉の日程が決定しました。

日程は、11月22日(木) 14:00~16:00
場所は 川崎区休日急患診療所  4階 大会議室

今回は「運用規程」の「見直し」(私たちの言葉では、「改悪」)について
話し合いをすることになります。

「運用規程」の「見直し」、それは単なる実務的な作業だとして、組合も、
民闘連も問題にする考えはないようですが(事前に市当局が相談したとの
情報も入っています)、私たちの理解は違います。

「公権力の行使」をする職務は、すべて上司の決裁を得て執行するので
あれば、現場の職員の国籍が何故問われるのか、ということを今回、
突きつけたいと考えています。

また、前回の交渉で前人事課の課長は、鄭香均が東京では認められている
のに川崎では制限されていることのおかしさを指摘したところ、同じ法律
なのに地方自治体ごとに異なった対応をしているのはおかしい、
また外国籍公務員には将来のことを考えて職務にかかわらずいろんな
経験をしてもらいたいので、10年前の「運用規程」は見直すと、前向きな
発言をしました。今回の「見直し」を準備した現課長は、部長、局長から
市長までの決裁をとったそうです。そうであるならば、どこでその前課長の
前向きの発言はどこで否定されたのか、その論理は何か、市当局から
回答をもらいます。

というわけで、皆さんの参加をお願いします。今回はおもしろそうですよ!

崔 勝久

2007年10月24日水曜日

「共生」批判:ようやく川崎市の外国籍公務員から非難文がだされる!

ブログをご覧になっているみなさんへ

本日、川崎市の外国籍職員の承諾を得て、彼が作成し、マスメディアに
手渡した非難文を、ネット上で公表することことになりました。

彼はあくまでも「個人のスタンス」を崩さず、組合や運動体とは距離を
置きながら、自分個人の意見として市に匿名で非難文を出し、外国籍
職員の待遇などに関する交渉をしようとしているようです。

私個人の意見としては、
1.運動体は、彼の意思を尊重する。
2.個人的であれ、市との折衝の仲で約束させた内容は、公にして、
市の「空約束」にさせないようにする。

この2点を本人に申し入れています。

崔 勝久

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「外国籍職員の任用に関する運用規程」の見直し(2007年8月16日)を非難する

 川崎市人事課による標記見直し手続について、同市の外国籍職員に対して、あまりにもひどい差別的な取扱いがなされています。
 多民族の共生と豊かな人権のまちづくりを標榜する川崎市の職員人事を担う人事課の所業であることを思うと、黙ってはいられず、ぜひ日本、いや全世界にこの問題を明るみに出し、真相を知ってほしいと思い、非難をする次第です。

1 川崎市では、1996年度実施の職員採用試験から、消防士を除く全ての職種における国籍条項を撤廃し、翌97年4月、その具体的な内容を要綱で定めた(標記運用規程)。これにより、外国籍職員は、全職務の約20%を占める「公権力の行使」「公の意思形成への参画」に係る職務への配属が制限されることになった。職員の身分等に関しては、地方公務員法又は条例若しくはその個別委任を受けた規則、要綱によるべきであるにもかかわらず、「内閣法制局見解」(いわゆる当然の法理)を拠り所として白紙委任的に要綱が制定されたことに対して、あらためて問題として提起したい。

2 市人事課は、今回の見直しのポイントとして、市組織改編、法令の改正・廃止等の変更を理由に挙げているが、そもそも10年間放置されたこと自体、異常極まりない。足かせをはめられた対象職員に、さらに目隠しをするようなもので、これまでの市人事課の不作為についても糾弾したい。

3 今回の見直しにより、制限職務数が182から192となった。この間の機関委任事務の廃止といった地方分権の流れを汲んでおらず、職務の内容まで踏み込んだ「改善」がされたとは到底言えるものではない。

4 市人事課は「市民から望まれる職員」をどう考えているのだろうか。職務遂行能力や市民から信頼されるに足る誠実性が必要であるとするならば、それを持っていない者にこそ職務制限を設けるべきはなかろうか。それをせず、単に国籍だけを理由として制限を加えることには、合理性は見出せない。区別ではなく明らかな差別、労働基準法、国際人権規約違反である。

5 また、同見直しは、対象職員に対して事前説明が一切されずになされた。対象職務が増加するということは、対象職員の人事異動の機会を制限することと同義である。内部規則に当たる要綱に基づく行為であっても、それが職員の身分等を制限する場合には、その行為は行政行為に該当し、不利益変更に際しては、処分の相手方の意見を聴かなければならないのであって、その手続きを踏んでいない行為は当然無効となる。たとえ、人事事項に関しては任用権者に一定の裁量権が認められるとしても、その濫用の疑いは免れない。

6 対象職員に内容を伏せておきながらも、運用規程撤廃を叫ぶ市民団体に対しては、決裁前交渉の実施や、施行後直ちに文書を送付している本末転倒も甚だしい。運用規程のサブタイトルに謳われた「外国籍職員のためのいきいき人事」とは、市民団体にいい顔をし、市人事課がいきいきするという意味なのだろうか。

7 さらには、事前説明を怠った市人事課は、事後における対象職員からの問い合わせに対しても受身の姿勢を固持し、自らの説明責任を過小化しながら2週間以上も放置した。市人事課の言い分は、今回の見直しは、制度ではなく別表だけのものであり重要性が低く、また、来年度の人事異動の説明に間に合えばよしという、当事者意識の欠落した安易な考えによるものである。

 以上がこの間の事実関係です。最近、公務員による不祥事が多く市民からの信頼を失墜させています。とくに川崎市ではそれが目立ちます。そのような現象を考え合わせると、上記のような市人事課による市職員への思いやりのない対応が、職員の堕落を生む遠因になっているような気がしてなりません。
 この投稿によって、川崎市役所の心臓部たる人事課に温かい人間的な血が通い、それが職員へ行き渡ることができれば、きっと、いきいきとした、すばらしい川崎市に生まれ変わると信じたいです。

「外国籍職員の任用に関する運用規程」の差別強化を認めない! 
川崎市外国籍組合員

2007年10月22日月曜日

『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その3)ー朴鐘碩

『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その3)

【民族運動としての地域活動】
日立闘争から地域活動に導いたのは、既述したように青丘社初代主事の崔勝久氏です。川崎の地域活動を語るのに彼の存在を否定することは、歴史を歪曲・隠蔽することになります。私の青春時代は、「30年に及ぶ運動の蓄積」の基盤となった日立裁判と地域活動に費やしました。表に出ることなく裏で日立闘争を実質的に担った崔氏は、闘争に関わった青年たちを地域活動へと導きました。
彼は、私と出会う前から、「私達は、自分の所(教会)に人を集めるのではなく、自分から出て行くべきではないでしょうか?例えば、地域の学校の教師とか教育について具体的な話し合いをするというのもその一つでしょう。また、私達個人は生活の為、名前や就職の問題で妥協し、泣き寝入りしたかもわかりませんが、それらのことに教会が具体的に一つ一つ抗議し、なお、個人をも助けるということをやっていかなければならないでしょう。<差別社会の中でいかに生きるか>というのは、この人間と価値と尊厳(=人格)以外の金銭や才能が重んじられ、それらが人間を押しつぶしている社会の中で、いかに人間らしく生きようとするのかということです。現代の社会は、確かに、民族差別を行い、朝鮮人を朝鮮人として尊重していくということはありません。そういう中で、朝鮮人である自己を受けとめるには、民族意識を持つことが不可欠であるということは先に、何度も強調してきました。そして、また、差別というのは決して人間の意識の有無の問題ではなく、差別を生み出すような社会の構造の問題でもあるということも指摘してきました。」(「差別社会の中でいかに生きるか-われわれの教会と反省-」燈台1970年12月)と地域における教会の役割と<差別社会の中で青年はいかに生きるか>について教会青年会で語っていました。崔氏と私の出会いは、「『ルサンチマンとパラダイムの転換』-上野千鶴子をどう読むか-」参照。

崔氏は、「朴君を囲む会」結成、裁判資金集めのため川崎駅前のパチンコ店、桜本地域の韓国人家庭の訪問など当初から精力的に動き日立闘争、民闘連活動に生き方・生活を賭けました。
ソウル大留学中、本国が民主化闘争で激しく揺れる中、スラム街の教会活動から学んだことを川崎教会で実践し青年を指導しました。教会を拠点にして桜本・池上を中心にした子ども会活動が始まりました。
田島支所・外国人登録係に配属された山田職員は、自ずと多くの朝鮮人と接触することになり、地域のオモニたちから「やまださん!やまださん!」と呼ばれ親しまれ、「信頼」されていたようです。朝鮮人の多くは、日常的な差別に直面し、「明日の飯が食えるかどうか」という状況の中で彼は安定した地位を得ていました。彼に限らず、教会牧師・保母たちは一定収入が得られる、地域で「優遇」された立場でした。当時、子供会活動に関わる青年たちは、現在のふれあい館・青丘社のスタッフが一定の報酬を得る体制は無く、無報酬のボランティアでした。
が、差別によって屈折した自分を卑下することしかなかった、「礼儀・常識」を知らない青年たちの表情も明るくなり、次第に素直・謙虚さとあるがままの自分の姿を取り戻してきました。青年たちは、たとえ無報酬であっても「自分の存在価値を認めてくれる人がいる!場所がある!」ことを発見し、生きる喜びを心から実感しました。
私は「はっ!」と思いました。自分で変えようと思わなくても、運動は人間の性格を肯定的に変える、と。こうした一途な青年たちの姿に理解を示し、「息子、娘」のように暖かく家庭の食事に迎える教会のオモニもいました。

日立闘争後、「在日同胞の人権を守る会」を作り、韓国人青年が教会に集まり、地域活動、児童手当獲得集会などのビラ、ポスタ-を作り、故金敬得弁護士、作家高史明氏、詩人金時鐘氏を招いて生き方を話し合い、読書会、聖書研究など様々な活動を展開しています。
「崔勝久氏は韓国の貧民街で教会指導者たちの地域活動と家庭訪問を見聞体験し、この池上町においても可能であると自信持って青年たちを説得しました。彼は池上地区の地図を教会青年会室に貼り、針に各戸住民の名前を記入した紙を付け、青年たちをグル-プ編成し新年早々、『実態調査』を開始しました。
 年末に入念に計画した池上の子供たちの家庭訪問を、正月返上で教会青年と実施しました。原則として政治の話は絶対してはいけない、必ず靴を脱いで家の中に上がり込んで酒を酌み交わしながら、じっくりオモニ、アボジの話を聞くことを確認して青年たちは区分けされたブロック単位にチ-ム編成し、果たして順調に進むか、疑問と不安を抱きながら、家庭に入って行きました。予め酒を好むアボジの家に入り込んでいつまでも教会にもどらないチ-ム、当てずっぽうで断られて数軒目で部屋に上がったチ-ム、さまざまでしたが池上地区の実情が少しずつ判りました。教会青年会室に戻った私たちは、酒を匂わせ状況を報告し、資料(川崎における地域運動-民族運動としての地域活動をめざして-在日同胞の人権を守る会編)として纏め、教会で寝泊まりする日が多くなりました。運動は楽しむことであり、継続こそが力であると痛感しました。何かをしたくてたまらないほど生きることを求め、喜びに満たされ、充実した時期でした。
 私は、『あらゆる既成のものに疑問をいだき、たてまえではない、自分自身の腹の底から納得できる<民族>を求めた』のです。歴史を見て明らかなように、人間の解放運動は、
どうでもいいような、つまらないと思われた小さな活動から出発しています。」
(「韓日交流-過去を踏まえて未来への提言」『続日立闘争』1995年朴鐘碩)

「朴鐘碩さんと家族の生活史は川崎の『在日』の青年の姿そのものであったからである。」と山田は書いていますが、当時の記録が残っています。
「この教会と保育園を基盤にして、私たちは、日立の就職差別を糾弾するビラを地域の同胞家庭に配布し、過去に朴君がそうであったように、いや自分自身がそうであったように、朝鮮人であることを忌み嫌い、なんとか逃避したいと思っている同胞に対して、そうじゃない、私たちも朝鮮人として胸を張って生きようではないかと語りかけた。また、日本の学校で日本名を名乗っている多くの同胞子弟に再び同じような体験をさせまい、この子どもたちが韓国人として人間らしく生きることを願いつつ、私たちは子ども会活動をはじめた。
子ども会活動は夏休みに行い、私たちは教会の青年会室に泊まり込み、午前、午後、夜の3つのプログラムを計画した。下は幼児から上は中学生までの子どもたちが池上町の韓国会館に集まった。午前中、夏休みの宿題を教えたり、韓国語の歌を教え、午後はプ-ルや公園に連れて行き、野球をし、夜になれば花火大会、オバケ大会、幻燈、紙芝居というように、私たちはよき遊び相手となって、子どもとの関係を深めていった。しだいに子どもの名前を知るようになって、韓国語で読み方を教え、在日同胞の歴史、日本社会での韓国人の置かれている差別の実態、それに日立の就職差別の話をわかりやすく説明していった。日立の話となると、同胞の子どもたちは、真剣に耳を傾け、家に帰ってアボジやオモニに話す子どももいた。この地域に住む多くの同胞子弟は、すでにアボジやオモニの姿を見て、自ら生きることに希望を失い、自信をなくしていた。
私たちは、1ヶ月の夏休み中子ども会を通して、同胞家庭とのつながりを着実に進めた。日立闘争は、こうした子ども会活動ばかりでなく、川崎教会のあり方から桜本保育園の保育あり方まで大きな影響を与えた。保育園は、民族保育ということを打ち出し、質・量において発展し、より多くの子どもを抱え、同胞子弟だけの民族クラスをもつに至った。そして、無認可保育園から公認の保育園になった。
日立糾弾の地域集会が新たに作られた教会堂でもたれたとき、一人の保母から過去の保育園の歩みが涙を流しながら語られた。集会に参加した父(母)からは、韓国人が日本人と同じように税金を払いながら、児童手当をもらえないのは差別ではないかという行政による差別が訴えられた。私たちは、夏休み集中子ども会活動のあと、日立に諮問委員会を認めさせ、完全勝利によって、新たな闘いとして、『人権を守る会』を中心にしながら児童手当及び市営住宅入居の問題に取り組んだ。私たちは日本人と同じように税金を払っている。義務だけを強制し、権利を何一つ認めないのは明らかに民族差別であるという内容の公開質問状を市長に提出した。予期に反して、一発回答で児童手当の支給と市営住宅の入居が認められたため、運動そのものに盛り上がりがなかった。
しかし、行政からの回答があっても、市議会での条例変更(国籍条項の撤廃)がなされなければならないと知り、冬休みに池上町を中心にして署名活動を展開した。『人権を守る会』の青年たちは、池上町を四つのブロックに分け、4人グル-プで分担された区域を家庭訪問した。いままで民族差別を観念的にとらえていた私たちは、家庭訪問するなかで、独り暮らしの老人や同胞家庭の生活実態を知り、当惑せざるを得なかった。とにもかくにも区域で具体的な活動がなされなければならぬ、という実感をもちはじめたのである。」(「民族運動として地域活動」崔勝久1977年)

子ども会活動通じて見えたのは、日本経済を支える(京浜工業地帯の)企業の公害をまともに受け、社会から疎外・差別され、厳しい生活環境を強いられ、日本人の子どもが朝鮮人の子どもを、桜本の子どもが池上の子どもを、池上の子どもがより貧しい弱い子どもを差別し虐める、という子どもの世界において既に「強者と弱者」が選別されているということでした。差別が再生産され弱者である子どもが犠牲になっています。(学校でも)虐めを受ける子どもにグル-プのリ-ダとして自信を持たせる試みもしました。しかし、単純に民族差別として捉えきれない、弱者が弱者を虐めるということでした。この差別構造を子どもたちにどのようにわかり易く説明すればいいか?青年たちは、子どもたちから突き付けられた重い課題を生き方の問題として常に問わなければなりませんでした。

地域活動は、崔勝久氏の実践指導と理論・思想が基盤になっていることは、日立闘争から今日までの彼の論文を読めば理解できます。
「行政闘争は、在日朝鮮人に対する制度上の不平等をなくす闘いではない。不平等を無くす闘いを通して、生活と人格破壊をもたらしている社会的実態(それが差別の本質である!)を変えていく闘いである。行政における制度上の差別が問題であるならば、それをなくすればことは済む。しかし、行政の責任を追求するのは、在日朝鮮人の抑圧された社会的状況を放置することによって、ますます差別を拡大しているからである。
行政上の制度が変わることによって、在日朝鮮人の社会的実態がすべて変わる訳ではない。社会的実態を変えるのは、朝鮮人自身の力であり、それなくしていくら制度が改善されても、それは所詮、恩恵にしかすぎず、何の足しにもならない。・・・我々の目的は、在日朝鮮人の生活と人格破壊をもたらす民族差別に対して、多くの同胞と共に要求を出して闘い、そして、そのような民族差別が存在していること自体が、日本人民衆の解放を疎外していると考える日本の友人とともに、この地域全体の解放を志向するところにある。」(『民族差別とは何か』崔勝久1977年2月)これは、民族差別の裏に日本人民衆への抑圧があると記した、地域活動の体験から得た人間解放理論です。

日立闘争から生まれた川崎の「民族運動としての地域活動」は、既成組織の価値観を拒否し自ら生き方を求めた青年たちを惹きつけたと言えます。崔氏をリコ-ルした教会青年も地域活動を無視できず、川崎に来ました。在日韓国人の主体性を求める生き方を自分の足元から見つめることを提唱した崔氏のリコールに対する、組織としての総括がないのはどういうことでしょうか。

「とにかく民衆へという指向性のようなものは強くあった。それが実践に関わっているものの共感を持っている。だから川崎の場合、むしろ地域にいくことによって問題があるんだ、見えてくるんだ、そこに取り組む課題があるんだという形で、川崎へ川崎の地域へとなびいていった経緯があるんだけれども。」と、裵館長は「積極的に地域活動に参加した」ように語っていますが、彼は子ども会活動・現場に全く参加していません。「在日同胞の人権を守る会」の青年たちとの話し合い、活動にも参加していません。また、日立裁判を支援した「朴君を囲む会」から発展・解消した「民闘連」について李牧師・裵館長が語っていますが、2人は準備段階から消極的姿勢で、「大阪で第1回の全国交流集会を解放会館で開いた」(山田)が、参加していません。歴史を捏造してはいけません。

【まとめと課題】
ふれあい館は、市の施設です。対市交渉で明らかになりましたが、初期民闘連から分裂した「かながわ民闘連」の事務所および連絡先はふれあい館になっていました。サポ-タであった「連絡会議」の望月代表は、ふれあい館に赴いて会費を納め、金秀一 (は今年退いたらしい) 事務局長がその場で領収書を発行しました。また、「かながわ民闘連」の役員(李仁夏、裵重度)をはじめ関係者は、ふれあい館の(主要)スタッフの地位を占めています。つまり公共施設であるふれあい館は、「運動体(としての実態はなくなった?)」の事務所を兼ね、人事もそのメンバ-で構成されています。つまり、これは「人権運動」を担う一部の人間が利得権を得るという、明らかに行政と運動体の馴れ合い・癒着ではないか?という批判もあります。そもそも市の委託事業体となったふれあい館がどのように行政のあり方を批判する地域活動を展開できるのでしょうか。
行政の全面的な資金援助によって運営されるふれあい館などの人権施設は高く聳え、そこで働く職員は安定した収入を得ることができます。しかし、格差社会の下で暮らす、弱者である住民(庶民)・労働者の生活は「今日・明日の飯をどう調達するか?」と抑圧・差別を受け、厳しい状況の現実は変わりません。

山田職員は、「まとめと課題」で「川崎市の施策の推進力となったのは、やはり『在日』の30年に及ぶ運動と蓄積と支持者の広がりが挙げられる。」と、行政、組合、運動体・三位一体の「共生」の成果を賞賛していますが、結論として、川崎は共生の街ではありません。共生を悪用しているだけです。市は、運動体・組合を包摂し、批判する個人・「連絡会議」のような市民団体を排除し、問題を隠蔽しています。「共生」は、問題・矛盾を意図的に隠蔽することでもあります。「運用規程」は、権力と組合・運動体の妥協の産物であるということがこの本を読んで理解できました。
「地方自治体を巻き込ん」だのではなく、地元運動体・市職労は、権力である行政に巻き込まれたのです。川崎は、市民・住民を国民国家に統合するモデルケ-スとして最先端を歩んでいます。

李牧師は、「連絡会議」望月代表に「分派活動するな!」と語ったそうです。これは、「川崎の人権運動は、かながわ民闘連・ふれあい館が窓口になっている」ということを言いたかったのかも知れません。
裵館長は、「市に抗議するようなことはしないで、ふれあい館に来ればよい」と集会で発言しています。これは、行政を批判・糾弾しないふれあい館(職員)が「人権の窓口になっている」ことであり、住民の欲求不満を市にぶつけるのではなく、刈り取って処分するバッファ装置の役割を果たしているということです。これは、まさに私が職場で経験していることです。表面上、組合員の声を反映すると謳いながら「組合が窓口」となって、職場の民衆である組合員の欲求不満(解消のために組合員から集めた組合費を勝手に使い格安(海外)旅行・ゴルフ・スキ-・懇親会などを開く)・意見を一応聞くものの、最終的に組合員の意見を無視・排除して予め決めた組合幹部の方針を経営者と一体となって組合員に押し付けるやり方です。

「共生」の裏に、差別を制度化した「運用規程」、阿部市長の「準会員」発言、「共生」のシンボル・ガス抜き「外国人市民代表会議」、ふれあい館「わくわくプラザ」の人身事故、市・市職労・運動体の癒着など、川崎市は多くの問題・矛盾を抱えています。
しかし、こうした事実に「川崎の『共生』運動はどこかおかしい」と疑問を感じても、マスコミはじめ教会・牧師・信徒・教師・自治体職員など人権運動に関わる人たちは、共生を悪用している行政やふれあい館のあり方について批判しません。
個に戻って、「人間としておかしいことはおかしい」と疑問を素直に投げ、権力との「共生」(癒着)を告発し、批判することは、戦争に導く右傾化社会に歯止めをかけますが、日本社会は「共生」の仮面を被った人権運動に流れています。
権力の「共生」イデオロギ-に惑わされないために、「連絡会議」の「公開書簡」と「何故、私は『共生』を批判するか」(blog)を合わせて読むことを薦めます。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_133.htm
(http://anti-kyosei.blogspot.com/

 次から次へと「共生」を賞賛する本が出版されるのは、国家、自治体、企業、組合、教会、運動体、学校などの多くの組織が個を潰し、息苦しい新たな戦前のナショナリズムを煽る社会状況だからこそそのニーズがあり、ビジネスになるという判断が出版社側にあるからです。

【最後に】
民族差別の不当性を訴えた日立闘争は、結局日本社会の日常性に潜む差別を取り除くこと、全ての人が、弱者が弱者のまま、主張し受け入れられる開かれた社会を求めることであった、ということが次第にわかってきました。
人間の解放は、「民族的独自性の虚構にいつか気付き、現在のあるがままの自分の姿に真の価値を見出」し、結局、集団や組織に頼るのではなく個に戻ることかも知れません。
朴鐘碩(パクチョンソク)という自分を見出し、30年以上日立に勤め、共に働く労働者の姿を見て、「そういうことだったのか!少し見えた!少しわかった!」という快感というか喜びを感じています。
自らの足元で開かれた社会・組織を求めて具体的な闘いを孤立してでも地道に続けること、それが自分にとってより一層人間的に生きるということであり、新しい時代を開くことになるかも知れません。
人間としての自立を妨げる「共生・人権運動」は、人間を潰し差別を助長します。組織の中に埋没していると、視野を狭くします。個よりも組織を優先・擁護する傾向になります。互いに顔色を覗い、効率を優先し楽な方向に流れていきます。
「共生」を偽装する社会、組織の価値観を批判すれば、人間は自ずと嫌われ孤立します。差別と向き合うということは他者から嫌われることかもしれません。
私は、企業社会の労働者への抑圧・差別に抵抗し、「おかしいことはおかしい」と訴え、開かれた社会・組織を求め、人間らしく生きたいと思います。
たとえ失敗や後悔があったとしても、歴史の不条理に立ち向かい、日立闘争のように人権は上から与えられるものではなく、弱者が主体となって生き方を賭けて獲得するものであるという開拓者精神で皆さんとの共闘を願い、連れ合いと3人の息子たちと共に新しい道を切り開き、私の「日立闘争」を歩み続けたいと思います。

朴鐘碩2007年10月22日

『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その2)ー朴鐘碩

「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その2)

【日立就職差別裁判闘争の抹消】
まもなく40年になる日立闘争の意味と歴史をどう評価するか?
これはいろんな角度から検証する必要があります。
「『ルサンチマンとパラダイムの転換』-上野千鶴子をどう読むか-」参照

山田職員が編集委を務めた市民向け啓発冊子「在日韓国・朝鮮人を理解するためのハンドブック」に、日立判決が掲載されていました(1990年12月、市民局刊)。ところが、国籍条項撤廃宣言(1996年)以降、市は人権資料から日立裁判を抹消しました。
撤廃宣言前まで、市職労・民闘連などの運動体は市役所前で派手なパフォ-マンスを演じ撤廃を叫んでいました。撤廃宣言後は、ピタッ!と止まりました。彼らは、問題があることを認識しながら、(当時の)高橋市長の「英断」を評価し、目頭が熱くなるほど歓迎しました。
外国人に門戸を閉ざしていたこれまでの地方自治体制度の撤廃宣言は、運動体にとって「成果」、行政にとって「英断」の図式を想定し、互いに祝杯を上げるシナリオができる筈でした。「もはやこの川崎・横浜・神奈川で市長の『英断』に抗議・批判する運動勢力はいない」という彼らの予測を裏切り、川崎の撤廃宣言は差別を固定化する、と私は市長に抗議文・公開質問状を提出しました。運動体の図式とシナリオは崩れました。抗議文と公開質問状は、「共生」の実態を暴露・批判する出発点になったと言えます。また、市長の「英断」はなく、国・自治省の事前承諾を得たことも明らかになっています。このような経過もあって、市・運動体・組合は、「運用規程」の問題分析に頭を使うべきなのに、「共生」の実態を次から次へと暴露し批判する「連絡会議」への反発を強めたと思います。

当然、これまで「人権・共生」の契機となった日立闘争を都合よく人権資料に掲載し、利用してきた市・運動体は、今後その扱いをどうするか、検討せざる得なくなったわけです。歴史を歪曲した「つくる会」の教科書が人権団体から厳しい批判を浴びていますが、市は「つくる会」と同じように、日立闘争の成果を都合よく人権施策で利用し抹消しました。
李牧師、裵館長、山田職員3人は日立闘争を語っていますが、ふれあい館に日立闘争の資料はありません。私が館長に資料を求めた時、彼は「どこにあるか知らない」と対応しています。資料がないということはふれあい館に集う人達やスタッフに、地域活動の出発点となった日立闘争の歴史・意味を伝えていないということです。市当局が人権資料から日立闘争を抹消したことも触れていません。
3人の発言は、日立闘争のかわりに指紋押捺拒否闘争を「共生」の起点にしたいようです。確かに、指紋押捺拒否闘争は「全国的な政治課題」となって「『在日』にとってはものすごい転換点」であり、「罪人扱いに等しい」指紋押捺を廃止させたことは、成果を得た闘いでした。
ところが米国の9・11事件以降、テロ対策の一つとして、政府は外国人の取り締まりを強化し、外登法(入管法)を改正しました。ニュ-カマ-と呼ばれる外国人の指紋押捺が義務付けられたのです。この時は「全国的な政治課題」とならず、人権運動体は抗議行動も起こさず沈黙しました。オールド・ニュ-カマ-ズの間で、外国人を差別・分断を生み出す結果になり、新たな問題が浮上しました。指紋押捺拒否闘争は何であったのか、人権運動のあり方・総括が改めて問われることになりました。
(李)「自治体の意識変化」は、「私はある意味で82年が境だと思います。」
(裵)「一般論としては、指紋の問題ぐらいから意識をしてくるというのが一つの見方です。」
(山田)「指紋押捺拒否闘争で、『在日』の問題が『在日』の多住地域だけの問題ではなく、やっと全国的な政治課題になった」
(裵)「91年というのは我々『在日』にとってはものすごい転換点だと思っているんですが意外とそういう認識はありません。」
(裵)「70年代に始まった(日立闘争と言わず)権益擁護闘争が、行政闘争に広がりを持っていくわけです。」
(李)「最後になるけれども、私個人に即していえば日立の就職差別と闘いながら『在日』の問題に関わってきました。」
こうした発言から、地域運動と日立闘争の繋がりを「できるだけ否定しよう」としているのではないか、と思います。彼らの思惑は別にして、生き方を賭けて作り上げた民衆の歴史を消すことはできません。

【地域と教育現場】
李仁夏・裵重度・山田貴夫・江橋崇・宇野豊・崔忠植・文京洙・姜恵楨の8氏が後半で座談しています。
「今の国旗国歌の法案の問題だとか、教科書の問題、そういうことにものすごい影響されて、やっぱり私は日本人なんだから日本の教育をきっちり受けたいと。・・地域の学校の卒業式では、来賓の人は喜んで立って、我が意を得んという感じで、君が代を歌うわけですよ。私は歌うのがいやだから終わってから入場するんです。それだけでもうやり玉ですよ。」と、東九条の崔園長は現場の状況を語っています。「共生」をめざす地域も右傾化とナショナリズムの問題を避けることはできません。
李牧師は「チマチョゴリを着た民族学校の子どもがいじめを受けるということは川崎ではないということが、朝鮮学校の尹日赫校長によって発言されているのを見ても、今おっしゃられた現象が川崎ではあまりない」と、競争を煽る受験戦争・ホームレスの人たちへの虐め・差別の現実を考慮せず、「共生」の成果を自慢しているようです。
李牧師がナショナリズムの問題にぶつかった時、どのような姿勢で臨むのか?公立学校に通う子どもを持ち、人権運動に関わる親は、国旗・国歌とどう向き合っているのか?校長・担任教師に中止を求めているか?という課題は避けています。企業もナショナリズムを煽っていますが、(連合)組合は黙認しています。

市が青丘社(ふれあい館)に委託しすべての児童を対象にした「わくわくプラザ」で小1児童が2階窓から転落し、頭蓋骨骨折の重傷を負った(2003年11月11日マスコミも大きく報道した)事件の根本原因は未だに究明されず、書類送検されたにも拘らず、理事長や館長をはじめ誰も責任をとっていません。民間(企業)ではありえないことです。
企業・組織の不祥事の内部告発、欠陥製品の暴露、無理なノルマから起こる人身事故が発生していますが、企業は、製品の不良が発覚すれば根本原因が判明するまで徹底的な原因追求・再発防止・責任が問われます。人身事故であればなおさらです。
(「拝啓 ふれあい館副館長 三浦知人様」崔勝久)参照。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_78.htm

ふれあい館周辺の大ひん地区(桜本を中心とする7つの町)の公立学校、神奈川県の「ふれあい推進校」で「差別を克服する実践が公教育の現場で実施された」と書かれています。
しかし、事件(事故)の責任を現場の人間に押し付け、真の事故原因も解明できないのに「差別を克服する実践」ができると思えません。また教師自身が言いたいことも言えない、沈黙を余儀なくされている現場で他人の子どもの人権を本当に擁護できるか疑問です。管理職である校長・教頭は国から国旗・国歌を義務付けられ、教師に押し付け現場を監視する役目を担っています。反対・批判すれば厳しい処分を受けます。主任制導入、管理強化、負担増大の中で教師たちは声を発することも困難な状況です。

連合傘下の組合・組織は、自治体職員、教師、企業の労働者の個を認めず、「共生」を強制しています。民族差別・排外主義の裏に(教育)労働者への人権抑圧があり、差別を制度化した「運用規程」があります。許認可権のある管理職に外国人は就けないと明記しているわけです。韓国人は校長・教頭になれないということです。さらに教え子たちは非常勤になれても正式教員になれません。川崎市が「運用規程」を改悪し、職務制限(差別)している事実を、教師たちは教え子にどう説明しているのでしょうか?
地域のオモニ(母親)から「自分の子どもが就きたい職に就けず国籍を理由に(就職)差別されたらどうするか」と、問われた市の人事課長は、「諦めさせる」と応えています。この官僚職員の返事は、市長の「外国人は準会員」と同じ、つまり「外国人は2級市民だから差別に屈服しろ!」ということです。
また、川崎市は、国籍条項撤廃宣言、「運用規程」完成、外国人市民代表者会議発足後まもなく新たにポ-ルを設置して国旗を常時掲揚し、23年ぶりに中止していた自衛隊員募集を再開し、映画「南京1937」を上映する市民団体に対して妨害する右翼団体の行動に屈して会場変更を求める要請書まで出しています。さらに市(教委)は「つくる会」教科書採用を否定しませんでした。
李牧師、裵館長、山田職員3人は、「共生」と現実が乖離している一方でこうしたナショナリズムを煽る市(権力)とどう対峙するのか、座談で一切議論していません。

民族差別という狭い視点と「共生」スローガンだけでは、戦争に向かう国家権力・行政と対峙することはできません。社会全体が右傾化している中で、川崎市が配慮して弱者である外国人への差別・抑圧を緩和し、権利を拡大し強化することはありません。
あるとすれば、「パ-トナ-」である市職労組合、運動体を利用して、問題点、課題、矛盾を隠蔽し、表面的に飾った限定された範囲の「共生」を拡大するだけです。
李牧師自ら、「共生というのは上から行くと同化になってしまう。少数者の個別に生きる主体が発信することを受け止められる社会が本当の意味の共生で、そういうものを目指せる運動がこれから大事」「鄭大均氏の意見が地方参政権の中ですっかり権力に取り込まれてしまっていますね。それは非常にある意味で危ない」と語っているように、「共生」は、運動の「成果」を刈り取り、常に弱者を痛めつける権力の思想であり策略です。(鄭大均氏も後で述べる地域活動に一時的に参加しました。)
東九条の宇野氏は、「行政は権力です」「行政とのパ-トナ-シップ」とはっきり言っています。弱者を虐げる権力を批判・糾弾せず、何故運動体は行政と一体となって「共生」を賞賛・強調するのでしょうか?いくら当事者が「力のある側に自らを置く同化ではなく、社会的少数者側が発する共生への参画を呼びかけ」ても、権力は人権運動の「成果」を逆手にとって悪用し、組合・運動体を包摂し、社会的弱者を抑圧・分断・管理・統合します。運動側の成果を述べるだけでなく、その成果が為政者の立場からはどのように見えるのか、その両面を見ようとしない運動の評価は一面的です。ふれあい館建設の意義を語るとき、同時にそれが市の委託事業であり、市の民営化政策を担う施策であったことも押さえなければなりません。物事は多面的に評価しないとその全容が見えません。

【「多文化共生教育とアイデンティティ」】
「桜本保育園の開園」
「長女の公立幼稚園への入園手続きの際、“向こう岸の人がここに入っちゃいけません”と断られたのが、被差別体験の原型となる。あとで牧師の子どもであることから入園を認められたものの、この原体験が李仁夏牧師に対して在日同胞に目を向かせるきっかけかけとなった。」(P64)この文書を読んで「あれ?」と思いました。
李牧師は、「長女の入園差別」事件を、最近特に強調しているようですが、私が教会に出入りしていた頃、あまり聞かなかった話です。「在日同胞に目を向かせるきっかけとなった」のであれば、日立闘争以前から差別した幼稚園に抗議した(?)歴史があるということになります。
その歴史があるのに、当初、何故教会が就職差別に関心を示さなかったのか疑問です。礼拝後、崔氏は信徒から冷たい視線を浴びながら必死に日立裁判を訴えましたが、役員の中には教会が支援することに反対する人もいました。日立本社糾弾闘争の頃からマスコミが大々的に報道しても、「本当なのか?」と疑う雰囲気さえありました。
「牧師の子どもであることから入園を認められた」のであれば、「牧師の子」でない、差別に抗議もできない、弱い立場に置かれ不安定な生活を強いられている多くの朝鮮人の子どもが差別されていた当時、どうして地域で何のアクションを起こさなかったのか?という疑問が生じます。
日立闘争、地域活動のような人間解放を求める運動は、教会信徒の全面的な協力・支援を得るまでに紆余曲折を経て時間を要しています。
人権運動は「個」から始まります。当事者が「おかしいことはおかしい」と主権を訴えて闘いは始まるのです。運動体・組織は沈黙、静観するだけです。私は、普通に生活していたおばさん、あのアメリカの公民権運動の発端となったおばさん・ロ-ザ・パ-クスが座席移動を拒否した時、彼女はどのような考えで拒否したのか?を考えます。彼女は、人間として「おかしことはおかしい」という単純な怒りと疑問から行動を起こしたのではないでしょうか。

日立闘争の意味を訴えた崔氏が、教会青年から「同化論者である。日立闘争は同化に繋がる。」と青年会の代表委員をリコ-ルされた時、「長女の入園差別」を体験し、日立闘争を支援した李牧師は、自分の信徒である崔氏をリコ-ルした「事件」にどのような対応をしたのか、在日韓国教会はその後、リコ-ル事件をどのように総括するのようになったのでしょうか、気になります。

「桜本学園の前身-池上町子供会」
「子供会は、1974年8月から週2回、町内会館・民団韓国会館を借りてその実践が始まる」と誰が語ったのか?「週2回」は間違っています。
全く何もない状態から始めた子供会は、まずチラシを作成し子どもたちに配布することから始めました。それは、子供会と言える内容ではありません。土木作業、ダンプ運転手、水商売などきつい不安定な職で生計を立てる親を持つ、迷路のような細い路地で遊んでいる子どもたちにとって、青年たちは、「良きお兄さん、お姉さん」であり子守役でした。予測したようにオモニ(母親)から出た言葉は、「総連なの?民団なの? えっ!教会の人なの。あんたたちももの好きな青年だね」と皮肉られ、毎日顔を合わせるようになると「信頼」関係ができるようになったのです。
教会は、差別に苦しむ地域住民の実態、社会問題に目を向けない信仰理解とは何か?と問われていました。観念として理解するもののいざその問題に直面した時、李牧師はじめ教会役員、保母たちから「新築されたばかりの教会・保育園が汚れる。子どもたちが暴れて教材・設備を壊したら誰が責任持つのか?」という子どもたちへの偏見・反発が当然のように出てきました。教会・保育園は使用できませんでした。それでも青年たちは外で子どもたちの遊び相手となり「週2回」(と決めることはできる筈もない)でなく毎日プール、炎天下でソフトボール、夜は空き地で花火をしました。教会を開放するように関係者を説得したのは(後の青丘社の初代主事)崔勝久氏です。青年たちは、夜・反省会で出会った子どものこと、その子どもの親は何をして生活しているかを話し合い、翌日のプログラム・教会から池上町まで歩いて子どもを集める準備に追われ、教会青年会室で寝泊りしていました。翌年から町内会館です。

李仁夏牧師は、「同化ではなく共生を-『在日外国人の住民自治』出版にあたって」「二つの地域運動(川崎・桜本と京都・東九条)は力のある側に自らを置く同化ではなく、社会的少数者側が発する共生への参画を呼びかける。それは少数者側が責任主体となることを意味する。」と書いています。「共生」は運動体を包摂する権力のイデオロギ-である、と主張する「連絡会議」の批判を意識し反論しているようです。
しかし、呼びかける主体が少数者(「共生」批判する市民団体「連絡会議」)を排除しています。批判・問題・矛盾を隠蔽し、自分たち組織にとって都合のいい、仲間内の意見・成果だけを取り上げ「共生」を賞賛・賛美することは、馴れ合い・癒着・寄生であって共生と言えません。李牧師の「共生」は明らかに偽装です。
そもそも弱者との「共生」を求める人たちが、「感情的な反発」で意図的に真摯な議論・対話を避け、権力者(強者)と同じ手法で、何故批判(者)を無視し、排除するのでしょうか? 弱者である外国人の声を「市政に反映」するために外国人市民代表者会議を求めた人たちが、何故批判(者)を排除するのでしょうか?人間性、信仰理解、理性が問われます。

「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで(その1)ー朴鐘碩

「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで (その1)

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」(「連絡会議」)は、昨年11月、「共生」を批判した「李仁夏青丘社理事長への公開書簡」(「公開書簡」)発行しましたが、川崎市は挑戦するかのように「外国籍職員の任用に関する運用規程-外国籍職員のいきいき人事をめざして-」(「運用規程」)を改悪し、外国籍職員の職務制限を182から192に拡大しました(2007年9月)。
今年2月20日『在日外国人の住民自治』(富坂キリスト教センタ- 在日朝鮮人の生活と住民自治研究会 編)に続いて、「共生」を賛美する『多文化共生教育とアイデンティティ』(金侖貞著9月7日)が刊行されています。

日立就職差別裁判闘争(1974年6月勝利判決)から生まれた在日大韓基督教川崎教会を拠点にした、池上・桜本の子供会(同年7月)を出発点とする地域活動から30年以上経過しました。多くの人たちが生活のため沈黙を余儀なくされ、「(就職)差別されても仕方がない。諦めるしかない。」と泣き寝入りしていたのですが、裁判勝利判決は「やればできる!」と、これまでの在日朝鮮人の価値観を覆しました。
礼拝堂で開かれた「裁判の結審前に開かれた勝利判決獲得をめざした地域集会で、あるアボジ(お父さんの意味)から児童手当と市営住宅の国籍条項を撤廃してほしいという意見が出され」(山田)、川崎市はこれを認めました。マスコミは、これを川崎方式として報道しました。
日立闘争を支援した「朴君を囲む会」は発展・解消し、日立本社糾弾闘争で繋がった各地の韓国人・日本人青年が教会に集まり、「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)を結成しました。川崎方式は民闘連を通じて全国に波及しました。子供会活動は、桜本学園から学童保育・ロバの会、たんぽぽの会、中学生グループに発展しました。
こうした地域活動は、生き方を求めている20歳前後韓国人・日本人青年たちの魅力となり、無償ボランティアの青年たちが増え、教育中心の活動となっていきました。
また日立闘争から生まれた「在日同胞の人権を守る会」に韓国人青年が集まり、地域で様々な活動を取り組みました。

結婚と同時に、私は地域(運動)を離れ(1981年)ましたが、その後、青丘社、教会を中心にした(青年たちの)活動は、指紋押捺拒否者不告発(1985年)、ふれあい館建設(1988年)、国籍条項撤廃(1996年5月)、外国人市民代表者会議(1996年11月)の発足などの成果を得ています。その効果もあり、川崎市は、市職労・人権運動体と共に「要求から参加」をスローガンに「共生」の道を歩み、「人権・共生」の街として全国に喧伝されるようになりました。「川崎市の施策の推進力となったのは、やはり『在日』の30年に及ぶ運動の蓄積と支持者の広がりが挙げられ」(山田)ます。様々な問題・課題があるものの、兎にも角にもここまで辿り着く道のりは、決して平坦でなかったと思います。

これまでの「在日朝鮮人と日本人の協働の実践が歩みだしたなかに、地方自治体をいかに巻き込んでいったのか、そして参画させていったのかを報告することにより、共生社会の形成に資することを念じている。」と、裵重度ふれあい館長が「あとがき」で書いています。しかし、青丘者・ふれあい館を中心とした運動体は、本当に自治体(川崎市)を「巻き込ん」だのか、「30年に及ぶ運動の蓄積」の結果、問題はないのか、何が見えてきたのか、今後の課題は何か、どのような「共生社会の形成」を目指すのか、私は検証したいと思います。
川崎の「共生」をテーマにする場合、差別を制度化した「運用規程」、阿部市長の「外国人は準会員」発言は、避けて通れない問題です。

【阿部市長の「外国人は準会員」発言】
「日本政府をはじめ地方自治体の在日外国人に対する施策は遅れに遅れている。のみならず、排外的行為や言動が後を絶たない。」と、裵館長は「あとがき」で書いていますが、彼は市長の発言をどのように受け止めたのでしょうか?
外国人市民代表者会議委員長をした李仁夏、中村ノーマンの両氏が市長と会い(2002年4月8日)謝罪・撤廃を求めるのではなく、李牧師は「社会構成員を極端に排除すると、テロが入り込む可能性がある」と「脅迫じみた」言葉で「準会員」発言を「口封じ」しています。李牧師の発言は、「外国人=テロリスト」と誤解されます。
その後、市長は言わなくなりましたがそれはあくまでも市長の政治的な判断です。それをあたかも李牧師は、自分の「口封じ」によって発言がなくなったかのように誇示していますが、それは、李牧師の驕慢です。「『口封じ』で発言をしなくなったからいいではないか」と李牧師は誇らしく言うのですが、そうではなく、民族差別と闘う運動の先頭に立ってきた者として、自治体首長である市長に「準会員」発言の撤回と謝罪を求めなければなりません。
川崎・横浜・神奈川の人権運動体・組合・教会は、抗議文でなく「申入書」を市長に提出しました。しかし、市長から「準会員」発言に関する謝罪・撤回がないにも関わらず、従来どおり「共生」施策を続けるという回答の後、彼らは沈黙しています。
革新市政の時、「市民」に全ての外国人を含めようとしましたが、現在の阿部市長は最終的に外国人をどのように位置付けたのか、市長の「準会員」発言は何だったのか、川崎に住む外国人は市民なのか、住民なのか、市のいう「外国人市民」とは何なのか、日本籍をもつ市民とどのように違うのか、それ自体曖昧です。

【「共生」を推進する川崎市の問題点について】
川崎市は、法律ではなく単なる国(自治省)の見解にすぎない「当然の法理」を理由に、採用した外国籍職員に職務制限する「運用規程」を作成し、差別を制度化しました。市はこれまで交渉で「制限した182職務を見直しする」と言っていましたが、制限する職務を削減・緩和するのではなく逆に拡大(192職務)しました。
市は、自治省の見解である「当然の法理」を「命令・処分等を通じて、対象となる市民の自由の意思にかかわらず、権利・自由を制限する職務」と解釈・規定しています。職員は、上司の許可も無く勝手に「市民の権利・自由を制限する」ことできません。いかなる職務も法律に基づいて上司の許認可を受けて執行します。民間(企業)の従業員も必ず上司の許可を得て業務を遂行しています。国籍で職務を制限すれば労基法違反になります。何故、上司の許可を得て法律に従って業務遂行する職務を国籍で制限するのでしょうか?例えば、墓地、納骨堂への立入検査、理容師、美容師、クリ-ニング、公衆浴場などの開設、営業停止に関する職務まで外国籍職員に制限しています。

市職労は、市当局が外国籍職員の職務制限を182から192に拡大したことに沈黙していますが、差別を正当化した「運用規程」の副題は、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっています。しかし、これは全職員を対象にした人員削減(合理化)を盛り込んだマニュアルです。

市は、職員の中長期の合理化のために、民営化を推進し、廃止する部署には職員を配置せず、現状人員で賄い配置転換します。そのキ-ワ-ドは「能力の活用」という建前の「ジョブ・ロ-テ-ション」です。今年100名、次年以降約1,000名規模の削減も計画しているようです。こうした人員削減計画は、2010プラン(第二次中期計画)に向けた全体の「いきいき人事システム」の具体化の中で、その1コマを支える形で「運用規程」を、市は完成させたのですが、これに関しては一切不問に付されています。
市職労は、そもそもこの全体の構造を検証することなく、「外国籍職員のいきいき人事」ということで、[いいことであるから]とそのまま黙認しました。市当局は、「外国籍職員のいきいき人事」と謳いながら、実は職員削減のために外国人を出しに使った、ということが対市交渉で分ってきました。外国人の「門戸開放」があれば、それが全体としてどのような流れの中で提案されても、それは運動の「成果・勝利」として評価されるのでしょうか?

山田職員は、「日立闘争の与えたインパクト-地域活動の開始」の中で「日本人側の運動-日立闘争後・・・やはり『在日』と恒常的に接点をもてる教員(日立闘争を『在日』の高校生の進路保障の問題として取り組んだ県立高等学校教職員組合)と自治体職員(川崎市職労)の運動だけが続いているといって過言ではない。川崎では日本人の労働運動が先に課題を発見し、『在日』の運動と教育が成立した」と運動体と教師・市職員組合との共闘を書いています。
市職労傘下組織で華々しく発足しながら、今は全く機能せず解体状態の「外国籍組合員交流会(外交流)」があります。「民族差別撤廃の取り組み」を謳う彼らは、自らの権利を侵害している「運用規程」に沈黙しています。
本名問題や民族差別発言には積極的な外国籍公務員は、「運用規程」改悪や大規模な組合員削減計画で外国籍職員を利用し、市当局と一体化する組合執行部にものが言えないのでしょうか?これこそが「共生」の実態を示すものなのではないでしょうか?

「指紋押捺反対闘争は地域活動から出発」し、「運動の全国への波及には自治労の果たした役割も大きかった。自治体の職員がカウンタ-の向こうに立つ外国人がどのような思いで指紋を押捺していたのかを実感し、『なんとなくおかしい制度』と感じていた職員を制度の廃止へと運動化した功績は大きい」と書いています。
そうすると市職労は、労基法に違反する「運用規程」は差別であると見解を出しているのに、組合員である山田はじめ自治労は「なんとなくおかしい制度」を、何故「運用規程」の「廃止へと運動化」しないのでしょうか?

「日本の労働運動の民族排外主義との闘いは十分な広がりも深まりもみられなかった。不況下でさらに保守化していることが危惧される」のは市職労も同じです。組合執行部が組合員の権利侵害を黙認することは、「民族排外主義」以前の問題です。「川崎市の先進的な取り組みに熱い期待を寄せて就職した二十台の若手職員等、層の厚さも他都市に比較すると誇れる財産であろう」、一体、山田氏は何を見てこのようなことを記すのでしょうか。市当局、市の組合を「共生」への関心、関り(その内容こそが問題であるが)
を基準にして評価する山田氏の根本的な姿勢が問われるところです。
また、日立闘争を経て川崎市役所に入った山田職員は、外国人登録業務を携わり、韓国・富川市との文化交流を推進しました。「一部制限付きであるが一般事務職の国籍条項撤廃等の先駆的な外国人市民施策を展開するようになった」「日本の帝国主義的な侵略と植民地支配の歴史が何をもたらしたのかを知ること、その歴史を批判的に顧みることなく、戦後補償を放棄していることが、歴史を創造する主体としての日本人一人一人にどれほどのマイナスをもたらしているのかを深く自覚することだ。」(世界1998.10)と書いていますが、職場の「運用規程」の問題に関しては一言も触れていません。
「一般事務職の制限付国籍条項の撤廃」は、「『当然の法理』を制限した『川崎方式』の限界と問題点はすでに研究者や運動団体が指摘しているのでここでは割愛する。」(「在日外国人の住民自治」)と、組合員である山田は「運用規程」の問題を展開すべきなのにここでも避けています。彼は、自分の生き方・価値観が問われるいちばんしんどい問題と向き合うことから逃避しています。
「共生」を批判する-川崎市職員組合に問う(http://anti-kyosei.blogspot.com/)参照。
市民団体である「連絡会議」が結成されて10年になり、対市交渉は18回に及びます。依然として粘り強く「運用規程」廃棄、「準会員発言」の撤回と謝罪を求めています。
常に「先に課題を発見して」、http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html、「連絡会議ニュース」で公開しています。

【外国人市民代表者会議】
阿部市長は、「マイノリティである在住外国人が暮らしやすいまちづくりは、すなわち市民誰もが暮らしやすいまちづくりに他ならない・・・この(外国人市民代表者)会議のキ-ワ-ドのひとつとして『要求から参加へ』が謳われています」(自治体国際化フォ-ラム2003年1月)。
しかし、外国人市民代表者会議も「運用規程」と同じように、弱者が強者に凭れかかる寄生であり、パタ-ナリズム(温情主義)です。外国人の「市政に参加」するという建前だけで、市はみせかけの「共生」をアピ-ルしたいために外国人を利用したにすぎません。実態は市政に「外国人市民」の声を反映しない市長の御用機関であることは初めから分っていました。「資料の作成、議事録のまとめ方、提言の文章化等では教科書のように厳しい点検を受けた」と山田が書いていますが、代表者会議は市長の御用機関であるからこそ、たとえ拘束力のない提言であっても都合よく捏造します。
市政に外国人住民の声を反映するという、誰もが信じて疑わない「共生・民主主義」を建前にしながら、実態は市(事務局)の越権行為によって都合の悪い、行政を批判する意見を潰し、削除していることは対市交渉で明らかになっています。
市当局のホ-ムレスの人たちへの対応・施策を見れば明らかですが、日本人住民の声を反映しない行政が、外国人住民の要求に応じることはありません。「連絡会議」が提起している「運用規程」、市長の「外国人は準会員(2級市民)」発言を代表者会議で取り上げることもありません。これは労使協調(「共生」)を名目にした、組合員の声を反映しない連合の企業内組合幹部と経営者の関係と同じです。

李牧師は「外国人市民代表者会議が、市長の諮問機関として設置されて、そこの26名の委員の中に『在日』は今現在6名です。当時7名から発足して、今は朝鮮籍が3名で韓国籍が3名という形です。」語っていますが、そもそも公募で、「市民代表者会議」なのに何故民族組織・運動体(青丘社・民闘連)から委員を選出したのか極めて疑問です。
1997年1月26日「国籍条項完全撤廃を求めて・川崎集会」の準備過程で、私は「初代の事務局を努めた」山田に会い、「公募と謳いながら、何故既成民族組織・運動体から予め委員を選出するのか?日立闘争の時、民族組織がどのような姿勢であったか、山田はその組織の実態をよく知っている筈だ。」と問いましたが、彼は頷くものの沈黙し、応えませんでした。その後、市は理由を明らかにしないまま組織からの選出を辞めて「公募」に変更しました。しかし、委員の中には青丘社・ふれあい館と関係する人物が必ず含まれています。
「同化でなく共生を」求める李牧師、裵館長2人は本当にこのような外国人市民の声を無視し、現実と乖離した代表者会議を望んだのでしょうか?「人権運動」のやり方、その「成果」に問題はなかったのか?という反省と点検作業が一切なされていません。
外国人市民代表者会議は「共生」のシンボルになっていますが、市長の御用機関であり、ガス抜きであることは明らかです。上野千鶴子さんも「共生を考える」集会(7月15日)で語っています。

2007年10月19日金曜日

親愛なる後輩のEさんへー朴一著『<在日>という生き方を』読んで

親愛なる後輩のEさんへ

朴一著『<在日>という生き方』(講談社)をペラペラ読んでみました。
なるほど、まとめるとこういう風になるのかと思いましたね。

まあ、8年前の本ですから、今から見ると、足りない部分がありますが、
<在日>の流れはそのとおりかもしれません。
(しかし彼はどうして在日コリアンと記すのでしょうね、私はまずこの表記の
仕方が好きでありません。)

民団や総連という既存の組織に依存せず、市民(個人)の中から、日本人
との共闘という形態をとりながら始まった初めての運動として日立闘争を
取り上げています。

「日立闘争から公民権運動へ」「第三の道」(帰国、帰化、定住)という
タイトルからどのような位置付けかはわかります。日立闘争以降、「民族
運動としての地域活動」という動きがあったことには触れられていません。
八尾の動向の記述はあるので、分析用に集めた資料が十分でなかった
のか、地域活動の視点が著者にはなかったということでしょうか。

また、入管法の改悪でニューカマーに対する指紋押捺が始まるという事態
を許してしまった「在日」の動きを、私は重視していますが、外国人の分断
統治を図る日本政府の戦略(注1)を考えたとき、「在日」の生き方は、
「在日」だけで完結できません。この視点の萌芽さえ9年前の著者には
ないですね。

昔、韓国の活動家が日本に来て、韓国教会の青年と私が会ったとき、その
青年が「地域活動がどうして民族運動になるのか」と反問してきたことを
思いだします。同じように、川崎でも、姜博のような日立闘争以降の世代が、
悩み、反発していました。その後、主事になった李相皓のときに川崎では、
指紋押捺闘争で一挙に盛り上がり、ふれあい館設立と進むのですが、地域
活動と民族運動の位置付けが曖昧なまま残ったと私は見ています。

ふれあい館建設によって、「共生」のメッカと言われるようになってきたの
ですが、市の委託事業(現在は、指定管理者)をすることは、教育や福祉の
分野を中心に、本来市がすべき活動を、民営化の方針の下、さらに効率
よく事業を進めることになります。そのことによって、これまでのように
在日朝鮮人として展開してきた「民族運動としての地域活動」をどのように
していくのか、もっと具体的には、市の委託を受けている事業体が、川崎市
に対して自由に批判することができるのか、疑問です。

脱線しました。この事業体になった青丘社は、「在日」の運動体という立場
をどのように考えたのか、これはこれで問題を整理したいと考えています。
(このことを、あなたは私の主張する「共生」批判は、「内部批判が究極の
目的」と危惧したようですが、それは違います。)
私は日立闘争以降の民闘連の発足、ふれあい館の設立、地方自治体との
共同作業(⇔「在日」を二級市民として捉える)をどのようにとらえればいい
のか、考えているのです。今、それらの日立闘争以降の流れは全て「共生」
に収斂されています。その「共生」は全面的に肯定すべきことなのでしょう
か? 私は「内部批判」でなく、「共生」批判を通して、日立闘争及びそれ
以降の「在日」の運動を総括したいと考えているのです。

外国人住民を二級市民として位置付けることになる「共生」批判を通して
(=「共生」の脱構築)、新植民地主義を批判する視点を地域の足元で
明確にして、定住化か、本国への係りと東北アジアのあり方を求める
主体形成か、という二項対立ではない生き方が模索できると思います。

この点が徐京植たちの主張との違いになるでしょう。彼は日立闘争を
単なる差別企業への闘い・勝利とみて、「民族運動としての地域活動」
へと進んだことを理解していないように見えます。この方向はナショナ
リズムそのものの相対化、批判となるでしょう。

脱線が続きました。今回のメールの目的は、著者の見解についてです。
日立闘争、教会での私の主張、リコールに際しての金哲顕との論争、
それらをすべて紹介した上で、彼はこうまとめます。

日立闘争を支援した崔氏は「同化を助長する」という理由で会長(ママ
解任されることになった。とはいえ在日コリアンの運動体のなかで
この問題がじゅうぶんに吟味されないまま、日立就職裁判をきっかけ
就職差別・行政差別撤廃運動が各地で個別に展開されていった
ことは、 70年代の在日民族運動の方向性に大きな亀裂をもたらす
原因になった ように思われる。

日立闘争、地域活動、民闘連、教会の動きを知るあなたに直接、「共生」
をどのようにとらえるのか、見解を聞きたいという意味は、理解してくれる
でしょうか。日本で生まれ、地域で育ち、地域活動をしたうえで、海外での
生活を続けてきたあなたに、私たちの「共生」批判の目指すものがどの
ような 質を持つべきと考えるのか、継続して厳しい意見を聞かせてほしい
と願って います。お元気で。

崔 勝久

(注1)『在日外国人の住民自治ー川崎と京都から考える』のなかで、
文京洙氏は「出入国管理計画(第二次)」の内容から以下のように
「日本国民の外延の拡大」というべき方向を指摘します。
「いわば生粋の「日本人」を内包として、日本にゆかりのある者
(定住者、 日本人の配偶者、旧植民地出身者など)を「日本国民」
の外延として 組み入れ、さらにその外側にいわば使い捨て外国人
労働者を置くという、 階層的な秩序が描かれている。」

この『在日外国人・・・』はこれまでの地域での外国人施策がどのように
なされたきたのかを、京都と川崎を事例として論文と座談会形式で明らか
にしようとした労作だが、残念ながら多くの点で賛同できない部分がある。
現状認識や過去の出来事に対する明らかに誤った点が見られる。
この点は改めてあきらかにしたい。

2007年10月18日木曜日

やはりあった「事務決裁規程」

昨日の「決裁」のシステムに関して、確認のために人事課に連絡をしたとこ
ろ、 案の定、「川崎市事務決裁規程」があることがわかり、ネットから市の
HPで確認しました。

昭和41年4月25日制定されていますから、当然、「当然の法理」や「公権力
の行使」などとは関係なく、組織の運営上のシステムとして作られている
訳です。

「公権力の行使」はこの規程の中では、「許可、認可、承認、取消し等
の行政処分その他法令、条例等の規定による権限の行使及び指導、
勧告等の行政指導に関すること。」と記されている内容に該当するものと
思われます。

「市長決裁」「副市長専決」「局長専決」「部長専決」「課長専決」となって
おり、その中身は、それぞれ「特に重要なもの」「重要なもの」「通例的な
もの」「局長専決を要しないもの」「軽易又は反復継続的なもの」と決裁
内容を記しています。

しかし各具体的な職務においてどの場合は、どこが決裁するとは明記
されておらず、「重要若しくは異例と認められる事案又は疑義ある事案
については、上司の決裁を受けなければならない」となっており、組織
運営上、実態としては「公権力の行使」にかかわる事項は、必ず、現場
の執行者の判断でなく、管理職の決裁をうけていたということになります。

これからしても、「公権力の行使」に係る職務に外国籍公務員は就いては
いけないとする「川崎方式」の論理は破綻しています。上司の命令で
動く職員にどうして国籍が問題になりえましょうか。恐らくここで市は、
それは「当然の法理」に従ったからと、トートロジーに陥ります。
現場の実態に合わないこと、同じ法令に基づきながら各地方自治体毎に
判断が異なるという実態になっていること、それにもかかわらずどうして、
政府見解である「当然の法理」に従うのか、これはもう各地方自治体の
判断による、ということになります。

即ち、川崎市は自ら、「当然の法理」を盾にして、外国籍公務員を
差別することを選んだということです。前回の直接交渉で、前人事課の
課長は「運用規程」の問題を認識し、その改正をほのめかせたのですが、
何故、今回の「運用規程」の見直しにあたって彼の意見は無視されたのか、
市長決裁で実行されたということですから、その決定過程を明らかに
させたいと思います。

崔 勝久

2007年10月17日水曜日

川崎市の「共生」施策の破綻、見えたりー「公権力の行使」の偽り

皆さんへ

今日、東京新聞・川崎支局から取材の連絡が入り、早速、会いました。
川崎支局に来て2年になる記者ですが、どのように取材内容を記事にして
報道してくれるのか、期待したいと思います。

さて、今回はぶっそうなタイトルをつけました。人事課から「運用規程」の
ヒアリングをして、その報告をブログにあげましたが、もう少しやさしく、
整理して問題点を報告します。

1.川崎市がなんといっても全国的に名を馳せたのは、「門戸の開放」です。
この実現のために、市当局、組合、市民運動体は政府見解である「当然の
法理」に抵触しないように協議して、市当局が中長期の職員の合理化対策
の位置付けの下、「運用規程」を作成して外国人の「門戸開放」を実現しました。

2.「公権力の行使」と「公の意思形成」のために、政府見解は、公務員は
日本人でなければならないと言ってきたので、川崎市は職務判断基準を
設け、「公権力の行使」に対して川崎市の独自の見解を出しました。
⇔これが「川崎方式」です(問題点が明らかになったので、どの自治体も
追随していません。どこか「運用規程」を作ったところがありますか?)。

『命令・処分等を通じて、対象となる市民の意思にかかわらず権利・
自由を制限する職務』(公権力の行使)、を外国籍公務員に制限し、
同時にその分野に関連する課長以上の昇進を禁じました。

3.これまで市民に立入り検査・命令・強制執行などの「公権力の行使」に
関る職務は法律に基づいてなされるものだから、その執行者の国籍は
関係がないという主張まではしてきたのですが、昨日のヒアリングで以下
のことがわかりました。

現場の「公権力の行使」の執行者は、自分の判断ではなく、必ず、
上司の決裁を得るということです。課長以上、部長、局長、市長の決裁
(承諾)を得て「公権力の行使」を執行するのが、組織運営上のルールです。
このことは、現場の執行者は自分の判断でなく、上司の許可をもって
「公権力の行使」にあたる仕事をするのであって、現場の職員の属性、即ち、
国籍は一切、問題にならないということを意味します。現場の職員は上司の
命令に従うのみです。命令に従う者の国籍がどうして問題にされるので
しょうか。まさに、川崎市の「共生」施策の破綻、見えたり!ではないですか。

4.確認すべきは、「公権力の行使」にあたってどのような案件は課長で
決裁できるのか、部長、までいくのか、或いは、局長が決裁することに
なっているのか、あるいは、市長が決裁するのかという、川崎市の組織
運営上の決まりごとです。これは必ず、文章化されているはずです。
そうでないと巨大な組織である行政は成り立ちません。この文書の提出を
次回の直接交渉で求めようと考えています。

5.「公の意思形成」に関しては、これまで論議されていませんでした。
「公権力の行使」に関しては川崎独自の解釈を提示したのですが、これは
「市政の重要な課題等についての意思決定に係る判断は、ラインの局部
課長職が実務的に行っている」、だから外国籍公務員は、「公の意思の
形成に参画」することになるラインの管理職にはなれない、と説明
されていました。しかし今回、「運用規定」の見直しでわかったことは、
ラインの課長は「公の意思形成」に係るような重要なことは、全て上司の
決裁をとっているということでした。即ち、ここでも、担当課長の国籍が
問われることはなく、責任は上司(部長、局長あるいは市長)がとるという、
組織運営上の仕組みがあるということです。

さあ、これでますます次回の直接交渉が楽しみになりました。

崔 勝久

日本国市民権法案要綱骨子

以下、友人の富永君から送られてきた市民権に関する試案を掲載
します。 これは、このような考え方がでてきたということを紹介すると
ともに、 これを参考にしながら、川崎市の「外国人市民」施策について、
何らかの具体的な提案ができないかを考えたいと思います。

崔 勝久


日本国市民権法案要綱骨子

第1条
市民登録した者は市民の地位を有し、第5条で定める権利と義務を有する。

第2条
次に掲げる要件のいずれかを満たした者は、その自発的意思により市民登録をすることができる。
(1)日本において出生し、日本に住所を有する者
(2)日本に5年以上住所を有している者
2 国は前項に定める者から申請があったときは、これを認めなければならない。
3 市民登録名簿は市区町村(特別区を含む)が管理する。

第3条
前条の規定にかかわらず、次に掲げる者は、それぞれ次に定める手続きの際に、本人の意思の表明によらずして市民登録される。
(1) 日本において出生した者 出生届の際
(2) 日本国籍を有し、海外で出生した者 転入届の際
(3) 前住所地で市民登録していた者 転入届の際

第4条
何人も成人以後の本人の意思表明によらなければ、市民としての地位を奪われない。

第5条
市民は日本国憲法の定めるすべての国民の権利を保障され、すべての国民の義務を負う。
2 前項の規定にかかわらず、日本の国籍を有しない市民は一部の国家公務員の職に就くことができず、また国政選挙に参加することができない。

第6条
市民登録名簿は、市民権の有無を記載した住民基本台帳をもって代えることができる。

(説明図は掲載できず、割愛)

TOMINAGA Satoru    
富永さとる
MBA in Social Design Studies(非営利組織とアドボカシー)

「外国人市民」って、何?

以下の「外国人市民」の定義は川崎市の公式HPに明示されています。

【外国人市民】本市では、外国籍の住民は地域社会を構成するかけ
がえのない一員と考え、1996(平成8)年の川崎市外国人市民代表者
会議条例の制定から「外国人市民」という言葉を使用しています。
さらに、本指針では外国籍の住民だけでなく、日本国籍であっても
外国文化を背景にもつ人(国際結婚により生まれた人、中国帰国者、
日本国籍取得者等)も視野に入れて使用しています。

●川崎市の「外国人市民」は日本人市民と異なるのか、同じなのか、
この点が不明です。川崎市長の、例の、外国人は「準会員」(いざという
ときに戦争に行かないから。たとえ参政権が付与されても同じ、とは市長
の見解)という発言、及び、外国籍公務員は同じ公務員として認めず、
昇進・職務制限しているこの問題を通して、「外国人市民」の位置付けを
問うことが必要不可欠だと思われます。
→私は「外国人市民」=二級市民と理解します。みなさんはいかが?

●日本では、「市民」という法的概念がなく、「市民」=国民(日本国籍
所有者)単なる居住者という意味では外国人も住民だが、住民登録
した者が「住民」とすると、外国人は「住民」ではないことになります。
(そうなると住民登録していないホームレスの人達も、「住民」ではなくなる)

●外国人市民は日本籍市民と全く同じと市当局がもし、肯定すれば、
市民=国民という慣例化された概念を壊すことになり、その場合、では
どうして公務員として採用した外国籍公務員を差別する制度を作ったのか、
どうして外国人を「準会員」としたのか、という問いに答えられないでしょう。
一番望ましいのは、国籍にかかわらず、また住民登録の有無にかかわらず、
川崎に居住する者は「川崎市民」と宣言することなのでしょうね、きっと。
新たな市民憲章が必要ですね(その気はないようですが・・・)。

●参考までに幻に終わった1973年の「川崎市都市憲章」は、市職の
山田君の説明では(『在日外国人の住民自治』(新幹社)より)、以下の
ようなものであったらしいです。川崎市民の定義として原案の第13条
では「川崎市に住む全ての人」(国籍を問わず)になっており、外国人を
含めて市民となっていた。

ただし、川崎市都市憲章起草委員会(1973年2月7日)によると、13条は
そのような文面にはなっていません。

(市外からの通勤・通学者等) 第13条 川崎市外に居住し、市内に土地、
建築物等を所有する者、市内に通勤・通学する者および市の公共の場所
または施設を利用する者等は、法令に定める例外を除き、この憲章の
適用をうける。

●市民権について、友人から「日本国市民権法案要綱骨子」が送られて
来ました。上野さんが絶賛する、沖縄C案を彷彿させますが、法案化への
働きと平行して、地方自治体に働きかけることができればいいですね。

崔 勝久

2007年10月16日火曜日

川崎市の人事課からのヒアリングー「運用規程」の「見直し」について

今日の午前中、人事課の課長と主査の二人(及び参画室から1名参加)、
今回の「運用規程」の「見直し」についてのヒアリングを行いました。
市の見解はこれでわかり、かつ質問をだしたので、次回の直接交渉は
楽しみです!
この報告は少しこみいっているので、忍耐をもって読んでくださいね!

市民局人権・男女共同参画室から事前に送られてきた「外国籍職員の任用
に関する運用規程」の「見直し版」には、これまで「公権力の行使」に係る
職務は182であったのが、新たに192になり、その内訳は、新たに規定
されたもの23、削除されたもの13で、差し引き10職務が追加になったもの
と理解していました。従って、削除した理由と追加の根拠について人事課の
見解を聞くことが今回の目的でした。

1.人事課の見解
①「削除」した職務についてこれは基本的に関連する法令がなくなったり、
法令が統合されたことによって、一つひとつの職務が根拠とする法令が
なくなった(例えば、これまで結核、性病患者などは、一括して「感染症の
予防及び感染症の患者に対する医療に関る法律」となった)ため、職務と
しては明示されないが、従来と同じように、外国籍公務員はそれらに関係
する仕事は制限されることになり、実質「削除」ではないということが判明。

②「新たな追加」した職務についてこの10年、新たに作られた法令に
基づき、「川崎方式」(「公権力の行使」を「命令・処分などを通じて、対象
となる市民の意思にかかわらず権利・自由を制限することとなる職務」と
いうように川崎独自の「職務判断基準」を設けた)によって新たに制限した
職務が23にのぼるということが、判明。
これらはまさに機械的に、一律、外国籍公務員への職務を制限したことを
示しており、内容を見ると、例えば、「路上喫煙者」や「飲料容器散乱防止」
への「注意・指導、その指示に従わない場合の過料徴収の実施」がある。
なんで、そんな仕事を外国人の公務員がしてはいけないことになるの? 
「保護者の児童虐待等への立入検査」や、「自動車リサイクル法関連業者
の登録許可」などもあり、全く機械的に制限したことが明らかです。

③今回の「見直し」は現課長が作成、上司(市長まで)の決裁をえたもの
との説明があったが、それでは、前回の直接交渉で前人事課の課長が
発言した内容(鄭香均が保健婦として東京で認められているが、川崎
では制限されているというように、同じ法令であっても地方自治体ごとに
違いがあるのはおかしい、また外国籍公務員には「運用規程」にかかわらず
いろんな経験をつませたいといった前向きな発言)はなんであったのか?
(交渉記録:http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_88.htm)

2.追加の質問(電話で課長に確認)
①「公権力の行使」を伴う職務(強制執行、立入検査、命令など)であっても、
現場の職員は全て上司の決裁を得ることを前提にしているのであれば、
どうしてその業務を執行する職員の国籍が問題になるのか。

②前課長の発言があったにもかかわらず、結果として「川崎方式」として
職務の内容を検討や他地方の実態との整合性を図ることなく、形式的に
制限するという決断はどのような考え方で、なされたのか、その最終決裁
をした市長はどのような見解で、元通りでいいという決断をしたのか?
→市当局内部の検討内容の公開

●人権・男女共同参画室は上記の人事課の決定に何の役割りも影響も
与えてないことが判明。外国人市民代表者会議の要望も市長は完全無視。


③「公権力の行使」は「川崎方式」でそれなりに明記されているが、「公の
意思の形成への参画」が外国人に禁止されている理由」は何か? 
(事務全般にわたり最終的に責任を負うのは、「市政の重要な課題等
(行政運営、組織運営に関する基本的事項等)についての意思決定に
係る判断」を「実務的に行っている」ラインの局部課長職とされており、
事務の一部を専任的に遂行するスタッフとしての局部課長級と分けられて
いる。そのラインの局部課長職は外国籍公務員には禁止されているのだが、
しかし、今回の「運用規程」の「見直し」のように、全て上司に報告され、
上司の決裁を得るのであれば、どうして局部課長職の国籍が問題になる
のか?
現課長によると、課長が自分で判断できる内容と、決裁を得なければなら
ないことは明記されている、ということであったので、次回、その文書の提出
を求めた。

みなさん、ここまで読むのに苦労したでしょう、ご苦労様でした。
それでは次回、川崎市との直接交渉の場で。

崔 勝久

共生を「共生」として批判する視点についての試案

7・15「共生」を考える研究集会の報告集をだすにあたって、どのような
視点で、 「共生」批判をするのか、「前書き」の骨子を考えています。

1.日立闘争から地域活動への歴史在日の生き方として、韓国の民主化
闘争支援、統一への係りという本国指向から、日本の地で足元の差別の
現実を 直視する流れとして日立闘争を捉える
①国籍条項との闘い→金敬得の弁護士資格獲得→外国籍公務員として
鄭香均の「当然の法理」との闘い
②民族運動としての地域活動→民闘連の結成
a)市に対する国籍条項撤廃の動き
b)教育を中心とした地域実践のはじまり

2.指紋押捺との闘い→地方自治体から国家への問題提起(入管法
改悪で、指紋押捺をニューカマーに実施させることになり、外国人の分断
統治への反対運動ができなかった総括が運動側にない)

3.共生を旗印にした行政との関係強化
a)ふれあい館の建設
b)門戸開放→「運用規程」による差別の制度化(「当然の法理」の正当化)
c)外国人市民会議の創設d)市としては総合的な外国人施策を打ち出す⇔
外国人住民の二級市民化

●以上の1-3の流れから共生ということが在日の運動の中から提示され、
定着してきたものと理解する

●その共生の動きを、何故「共生」としてとらえ批判するのか
1.国家としての南北朝鮮に依拠せず、個人(「市民」)の立場から始めら
れた 民闘連は、運動方針、運営方法から存在意義が大きく退歩(現在は、
解散宣言をしていないだけの状態か?)、また組織運営上の公明さ、情報
公開の面でも、市の組合の関係、他組織との関係の深さにかかわらず、
市民運動としての資格なし(運動体としての実態はない)

2.地域における民族差別と闘う砦と位置付けられていた(社)青丘社は
ふれあい館建設によって、市の委託事業者から指定管理者になり、
民族差別と闘う主体が曖昧になる→民闘連との関係性が不明→教育
事業体で、そのうえに運動体たりうるのか⇔市の民営化路線に便乗・加担

3.民闘連とふれあい館(青丘社)を一体として捉えても、運動の目的が
定かでない→参政権獲得運動?(最近、川崎市職員組合と集会をしたとか)
⇔足元の差別の直視という原点からすると、その運動は、二級市民化の
拒絶であるべき

4.川崎市は外国人を国籍に拘らず市民とするのか、不明(「かけがいの
ない一員」としながらも「外国人市民」として一般の日本籍をもつ市民とは
区別をするー1973年に国籍に拘らず市民としようと意図した地点から
退歩)→外国人は二級市民と断定(市長の「準会員」発言、差別を制度化
した「運用規程」及び、今回の改悪)

5.共生を求める運動であるならば、外国人を国籍にかかわらず「市民」
としてみとめさせることが、この間の運動のレーゾンデートルであるべきで
あるにもかかわらず、市長の、外国人は「準会員」という発言を撤回させ
られないでいる→二級市民の拒絶の不徹底

6.青丘社の李理事長は、市長の「準会員」発言を撤回させるより、
「口封じ」することで、市長の発言の責任問題を沈静化する働きをした→
運動体として致命的な過ち→二級市民であることを拒絶せず

7.運動としては市当局と柔軟に妥協をしても、運動の原則は明確に
すべき(外国人も国籍にかかわらず同じ市民であるべき=二級市民
の拒絶)であり、全ての情報公開が原則

8.外国人市民代表者会議のもつ曖昧さを指摘せず、共生のシンボル
として行政と運動体は賛美してきたが、これは「ガス抜き」(上野)であり、
何ら決定権もなく、参加者の選定、役割りも曖昧、市の職員が全て
お膳立て ⇔市の「パターナリズム」(上野)

9.行政の共生は外国人(住民)を二級市民として固定することであるが、
今の運動体(民闘連・青丘社)はそのことを拒絶せず、事業体になることで
市の施策に反対できなくなっている⇔行政と青丘社の唱える共生を
批判する最大の理由

10.ふれあい館は市の委託事業者(指定管理者)であり、対市の関係性
が曖昧になる→館長発言(市に抗議するようなことをしないで、ふれあい館
に来ればよい)→地域の在日の代理人としての役割りを自認する体質に
なる
(市の施策に批判的に対峙せず、事業の規模拡大路線から起こった
問題として、学童保育を撤廃してその民営化路線として始まった「わくわく
プラザ」におけるふれあい館の「事件」がある。子供の頭蓋骨骨折という
「事故」がどうして起こったのか、書類送検されたにもかかわらず、
責任者が誰もでてないということは説明不可能ー本来であればふれあい館
が「わくわくプラザ」の問題点を指摘し、子供の安全のために自ら市の基準
以上の体制を組むべきだったのは?)

11.少数者にとっていいことは多数者にとっていいことだと運動側は
唱えるが、例えば、外国人の門戸開放という大命題のために設置された
「運用規程」が市全体の中長期的な合理化政策に基づくものであることを
敢えて看過してきた

12.「要求から参加へ」という運動側のスローガンは、外国人を二級市民
とする市の方針に対抗できず、社会の変革でなく、埋没をもたらしている、
またその参加なるものは、市が許容する範囲内の中でしか実現できて
おらず、その枠を突き破る主体(運動、思想の両面においても)になり
えていない

●結論として、私たちの「共生」批判は、市当局の外国人を二級市民として
とらえようとする制度、首長の発言に反対するものであり、運動側への
批判は、行政との協同作業が事業化することに進み、二級市民である
ことを拒絶しようとしていないばかりか、地域住民にその情宣活動も一切、
していない(情報公開の原則から離脱)⇔今後、外国人を市民として
認めさせる運動を展開すべきか?

●この外国人を二級市民化する動きは、そもそもの国民国家の成立の
ときから、女性と外国人を排除することから出発していることと符合し、
労働力不足を外国人労働力でまかなおうとする経済界の要望に
こたえながらその外国人を二級市民としておいて置こうとする国家戦略
とそれにあわせる地方自治体の施策である、というのが「共生」批判の
骨子になる。

以上の私のまとめ方に対しての皆さんの意見はいかがでしょうか。
●「多文化共生」は原理的にナショナリズムを肯定し、日本のナショナリズム
の攻勢への抵抗になりえない
●最後に、上記1の運動を一緒にやってきたにもかかわらず、片方は行政
との提携を共生として推進し、国家・市当局の外国人の二級市民化
反対しないことに反して、私たちはどうして「共生」批判をして、二級市民化
を 図る発言・制度の撤回・反対を求めるようになったのか?
私見では、それは日立闘争の位置付け、意味付けの違いからくるものと
思います。
また、それは地域の中で、官僚化し、「反権力の権力」になりつつあった
青丘社の地域活動(体)に疑問を呈した、保育園のお母さんの問題提起を
どのようにとらえようとしたのかに起因するものと考えます。

下記、論文を読み、私の主張の妥当性についてみなさんのコメントを
いただけますか?
(曺慶姫の桜本保育園の「民族保育」を考えるー自立を求める歩みの中で) http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_41.htm 参照   
                                 
崔 勝久

2007年10月12日金曜日

朴裕河著『和解のためにー教科書・慰安婦・靖国・独島』を読んで思うこと

朴裕河著『和解のためにー教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社)を
読みました。著者の批判的な知性と、日韓両国のナショナリズムを
批判する、その切り口、何よりもこのような本をまず韓国で出版した
その勇気に心からの敬意を表します。

著者の朴裕河(パク・ユハ)は韓国の高校を卒業して慶応、早稲田で
日本近代文学を専攻、博士号を取得し、現在、韓国の世宗大学で
教鞭をとっておられます。

またよりによって最後まで読み進めたら、後書きは上野千鶴子さんが
記していました。私はさもありなん、と妙に納得しました。上野さんの
後書きも十分に挑戦的です。パク・ユハさんの批判的知性と、「あえて
渦中の栗を拾う」勇気に敬意を評するだけでなく、日本の読者への
警告と、著作に対する論点を付け加えています。ひとつは作者の小泉
の靖国参拝に関する理解に対する意見であり、もうひとつは、「慰安婦」
問題を取り上げてきた両国の「運動体の果たした役割りとその問題点」
についての総括が必要とされるという指摘です。

2006年の11月に発行されているので、これまでの日韓両国に
おける上野批判を意識した上での後書きだと思われます。
上野さんは、日本側の「基金」の試みは韓国の女性運動の
ナショナリズムによって「封じ手」になり、この問題を日本の
「良心的」な女性団体は、「加害者国民意識」(=相手を対等に
みないパターナリズム)によって指摘できなかった点と、韓国側が
「民族よりジェンダー」を優先させたと日本側団体の代表を批判
した点をとりあげています。

ここはパク・ユハさんの著作に対する論評なので、これ以上、この
問題は触れませんがいずれ戻ってきたいと思います。日韓の
運動の連帯と共闘とは何なのか、両者の同調が必要なのか、
独自の理解による多様な運動への関わり方が認められるべきで
はないのか、この点に関する、批判覚悟の上野さんの問題提起
と見ました。

さて、パク・ユハさんですが、実に勇気のある女性だと思います。
厳しく日本のナショナリズムの問題点を指摘しながら、右派であれ、
左派であれ、日本の実情を理解してこなかった韓国のステレオ
タイプな日本理解を批判します。日本への批判はそのまま、韓国の
批判になるのではないか、韓国民自身が同じ発想と論理をもって
いないか、まず自己批判からはじめるべきであるということを、教科書・
慰安婦・靖国・独島(竹島)の問題に即して解き明かしていきます。

国家権力は国家のために生きるように(=戦争に行くように)国民を
「洗脳」し、「愛国」を押し付けるが、それは日本・韓国も同じであり、
両国のナショナリズムそのものに本質的な違いはないと主張します。
「抵抗のナショナリズム」批判をする李建志の著作の引用の中で
私はパク・ユハさんのことを知るようになったのですが、李建志が
彼女の著作に共鳴する理由はよくわかりました(李建志『朝鮮近代
文学とナショナリズムー「抵抗のナショナリズム」批判』)。

いずれにしてもこの本の要約をいくらうまくしても彼女のよさは伝わらない
と思います。まずみなさんに、この本を一読することを薦めます。

私が関心があるのは、それではパク・ユハは著作で示した明確な
ナショナリズム批判を元にして、在日のことをどのように捉えてきたのか、
日韓の真の和解を求める彼女は「共生」、「多文化共生」を無条件に是と
するのか、私たちの「共生」批判を理解し受け入れるのか、ということです。
私はいつか彼女との対話を切望します。

彼女は独島への論文のサブタイトルを「ふたたび境界民の思考を」として、
マージナルなところで生きざるを得なかった人々への理解を示し、その
ような人々を国家の論理で国家の中に引き入れてきた事実に注目します。
その彼女が、日本の閉鎖的なナショナリズムの下で生き、同時に南北
朝鮮の分断と対立に翻弄される在日の存在への深い理解がないわけが
ないと確信します。

私が危惧するのは、彼女が切望する両国の「和解」が安易に「共生」へ
転用・利用されることはないのか、という点です。この点の考察は、
「共生」に行かざるをえない人のことをまず理解し(これはパク・ユハ流
ですね)、それにもかかわらず、その批判をすることが実は、日本社会
の局地的な問題でなく、世界の歴史の中で必要なことであるということを
考える道筋になると思われます。まさに批判というものが普遍につながる
ということでないと、それは中傷だとか、非難になります。

在日を生きる当事者として、「共生」の背景とその主張の必然性を
十分に理解・把握し、それを受け留めながら止揚していく道が、「共生」
批判であるということを、私はパク・ユハに会ったら話したいと思います。

崔 勝久

2007年10月6日土曜日

「共生」批判 企業と「人権」・運動体(2)ー朴鐘碩

共生批判 企業と「人権」・運動体(2)

行政は、民間企業に就職差別解消、雇用促進を求め、労基法、職安法に
違反すれば是正・勧告する立場です。
しかし、国籍を理由に「運用規程」で外国籍職員の職務を制限(差別を
固定化)した川崎方式は、隣接する横浜市、神奈川県はじめ全国の
自治体に波及しました。「運用規程」 (川崎市のみ存在)は、市・市職労・
運動体の三位一体・「共生」の産物です。「連絡会議」は、その「共生」の
実態を明らかにしました。

私は、行政、企業、(自治労)組合、人権運動体の「共生」(癒着)を裏付ける
集会に参加したことがあります。神奈川県主催の「就職差別啓発セミナ-」
は、 ふれあい館長、かながわ民闘連、神奈川人権センタ-も積極的に協力
して いました。
人権を求める運動体が就職差別、職務制限する自治体に抗議せず、
主催する行政の「人権集会」に参加していました。これは、行政の人権施策・
差別解消を是正要求し、糾弾するのではなく、運動体は「要求から参加へ」
をスローガンに、権力者と癒着した見せかけの集会である、思いました。
戦前、似たような朝鮮人同化政策がありました。この姿こそ運動体が
方針転換し権力の「共生」論理に便乗したことを意味する、と私は気付き
ました。

 横浜市主催の「人権啓発講演会」は、東京人権啓発企業連絡会
(人企連) に加盟する銀行人事部と民闘連の教師が講師として現場
報告していました。 さすがに利潤を追求する企業・銀行は商品(利息)PR
も忘れず報告して いました。 (民族)差別を生み出している職場、ものが
言えない労働者、労働者を抑圧 する組合、国旗・国歌、行政・企業の
戦争責任、国籍で職務制限している 主催者の差別行政などの問題は
一切提起されませんでした。

平日の昼間に開かれた会場は、一般市民の参加はなく行政指導で企業
から出張扱いで派遣された総務・人事、行政関係者だけのようでした。
「他人事である」民族差別・人権啓発に関心はなく、日常業務の疲労が
溜まった参加者の半数は気持ち良く居眠りしています。 「人権尊重」と
印刷された(人企連加盟のNTT)テレフォンカードを記念に 貰い、顔には
出しませんが内心喜び、交通費・日当も支給され、彼らの 生活は保証
されています。

講演が終わると、組織動員された参加者は眠りから覚め、一言も語らず
我先にと出口に向かい、家庭・職場・居酒屋(?)に向かって走り出す姿は
何を意味するのでしょうか?
神奈川県は、NGO神奈川人権センタ-に補助金を出しています。わくわく
プラザで人身事故を起こしたふれあい館は川崎市の全面資金援助により
運営されています。行政支援の下で自治体首長の御用機関である
外国人市民代表者会議、外国籍県民かながわ会議、人権施設建設
などの動きは「共生」を名目にした全国的な人権運動の流れになって
います。

このような背景があるせいなのか、運動体も市職労組合も申入書を提出
したものの、差別を制度化した「運用規程」、阿部市長の「外国人は
準会員」 発言に、その後全く沈黙しています。市長が職務を182から
192に制限を 拡大したことにも沈黙です。
市長であろうとも、組合員の人権を侵害する労働条件を独断で決定
できません。 つまり、労働者の権利を擁護する組合執行部は、当事者で
ある外国籍職員 および組合員の意見を聞くことなく勝手に決めた可能性
があります。
日立製作所労働組合も市職労と同じ連合に加盟していますが、組合員の
意見を無視して組合幹部が経営者と勝手に労働条件を決め、組合員に
押し付けるやり方は同じです。
労使協調の下で労働条件を決定し、「運用規程」を作り、市長の「準会員」
発言が出てくる裏には、労働者にものを言わせない抑圧と差別が必要で
あり、 個を認めないその抑圧と差別によって組織が運営される深刻な
題があります。 形式的、形骸化した「民主主義」という仮面を被った組織は、
誰もが 「公平・平等」と信じて疑わない「選挙」を常套手段として「独裁者」を
選びます。

企業・行政の人権研修の目的は、差別をなくすために差別を生み出して
いる 要因を除去し、労働者が人間らしく伸び伸びと働ける職場環境を作る
ことです。 現実と乖離した企業・行政の人権啓発と裏腹に労働現場は
利潤追求、 ハイテク技術開発のために労働者を選別・分断し競争を
煽って います。 生産量に応じて人員を調節(解雇・追放)できる、経営者に
とって 都合の いい偽装請負、また「研修・実習」名目にした、強制連行
された 朝鮮人と 同じように低賃金、過酷な現場で働いている外国人
労働者の 実態が 報告されています。

企業社会のビジネスパースンは、日々より高度な技術開発のために
疲労困憊になり、人権どころではありません。自分たち(日本人労働者)
でさえいいたいことも言えず、我慢して働いているのに、外国人の
「人権は他人事」であり、まして民族差別、「そんなの関係ありません。
そんなゆとりすらありません。」

研修は、上司から追いまくられている業務を離れて一時の開放感を味わい、
鼾をかきながら居眠りする休息時間です。職場に戻った受講者は、
研修内容はすっかり忘れ、遅れた工程を取り戻すためにこれまで
以上に躍起になります。これが日立製作所(企業・行政)の人権研修です。
何のためにやっているか?誰のためにやっているか?それを問う必要は
ありません。人権研修は「やればいい、受ければいい」のです。成果よりも
「実績」を残します。

人企連に加盟する企業と運動体・組合の関係は、「カネが動く」という噂を
聞きます。行政・企業は、「要求から参加へ」方針転換した運動体、組合を
良きパートナーとして包摂し「共生」体制を確立しました。
運動体が川崎、横浜、県の自治体主催の人権集会の「窓口」なっている姿
を 見て、運動体・組合は、いつから企業・行政と癒着して「人権窓口」となり、
現実と乖離した集会を開くようになったのか?と私は疑問を感じました。

7/15「共生」を考える集会、8/25反省会で発言しましたが、裁判勝利
判決後、 私は「職場の日本人と上手くやっていけるだろうか?これから
一人で 決断しなければならない。」と不安と期待を抱いて日立に入り
ました。 必死に技術を覚えながら、「職場は何かおかしい? 私は仕事
だけして いればいいのか?」と悩みながら月日が経ち、5年後、胃潰瘍で
1ヶ月 入院しました。

何故自分は入院する状況に追い込まれたのか?病床で聖書を読みながら、
裁判までして日立に入って私一人で何ができるのか?このままビジネス
パーソンとして埋没する以外にないのか?神経質にならず気楽に逞しく
生きる方法がないものか?悩んでいました。人間らしく生きるためには、
働く人たちがおかしいことはおかしい言える職場にすることだ、孤立しても
素直に言うしかないと決断し、民族差別と労働者の問題について考えざる
を 得ない状況になったわけです。

私が地域運動から離れ、閉塞された職場から生きる出口を求めて
悩んでいた頃、外では運動体が日立闘争を都合よく利用(悪用)して
企業・行政との「共生(寄生)」を謀っていたようです。
「人権」運動も、運動する人間も資金が必要です。自分の立場、生活を
維持するために本能的に自己防衛します。あるべき組織・生き方・価値観
を求めて批判すると、組織は「人権」を無視して、個を潰すか追放する
傾向になります。

行政・企業は、運動体の弱点に付け込み包摂します。権力者というのは
手を汚さず常に袖手傍観し、運動体の「成果」を利用し、弱者を選別・分断
し、 孤立する方向に仕向け、弱者に弱者を管理させます。そして歴史は
都合よく 改竄されていきます。利用されている当事者は、隠蔽された矛盾
を問うこと なく、抑圧を前提にした差別と闘い、人権を求めます。
強者の犠牲者として、常に弱者である民衆を生死の瀬戸際に追い込み、
差別・抑圧することは、戦前の植民地主義を前提にした「融和」に通じる
新たな「共生」思想である、と言えます。

朴鐘碩2007年10月6日

2007年10月3日水曜日

新たな地平を切り開こうとする比較文学の学者、李建志に期待する

李建志著の「朝鮮近代文学とナショナリズムー『抵抗のナショナリズム』
批判」(作品社 定価1800円)を読みました。30歳後半の若い学者の
登場を歓迎しましょう。
今回は、氏の簡単な紹介にし、詳しい論評は次の機会にします。

李建志は東京生まれの在日で、現在、広島大学教員とあります。
私は彼の本を読みながら、上野千鶴子が女性学というものを認めない
既成の学会、大学当局と闘いながら独自の地平を切り開こうとしてきた
という、彼女の日経のある雑誌での記事を思い出しました。

私は彼の著作の内容は勿論、注の部分や後書きを読み、この学者の
問題意識に共鳴し、学者としての今後の可能性に期待したいと強く
思いました。

彼がこれまでの在日の学者や評論家と違うと思うのは、まず、アイヌ語、
ベトナム語、中国語、韓国語を学び(多くの人はヨーロッパの言語を
習得します)、アイヌ、沖縄、在韓華人、「小笠原西欧系島民」と
マイノリティの存在を直視し、在日朝鮮人の抱える問題を相対化
しています。

氏の最大の特徴は、「抵抗のナショナリズム」を批判するまなざしです。
在日だからといって安易な日本ナショナリズム批判、日本社会「告発」
をすることを厳しく自らを戒め(従って、在日朝鮮人文学などという
カテゴリーを作る日本社会に便乗するかのごとき梁石日にも批判的な
論文を記します)、権力・権威を批判する先鋭的な日本学者にも決して
擦り寄ることはしません。「反権力」にも「権力」は宿る、と氏は喝破します。

民族を絶対視する韓国社会のあり方にも容赦はありません。
「民族」は脱構築されなければならない、と宣言します。
従って、自らの在日の立場に関しても、「自分に与えられた(「他称され、
イメージされた」)位置に安住することなく、それらを批判し続けている」、
と鮮明にし、「いわば逃げ水のような永遠の自己革新、自己批判を
続けた、その先にある『場所』」と追う、とあります。
(私はこのような言い方は好きなのです。)

このような歩みをする氏のことですから、既成の学問分野に従事する
諸先輩とは厳しく対立するのもまた、いたしかたないことだと思われます。
氏はそれを甘受し、「新しい学問」「新しい時代」を志向しようとします。
まあ、そこまで啖呵を切った以上、その思いを支える研究の質、学者
としての実力は、徹底的に検証に耐えるものになってみせるという
覚悟とみました。大いに期待する所以です。

鄭大均の引用が多く、彼とは同じくしないと言いながら、ではどこがどう
違うのかは明示されていません。また「差別と闘い、抵抗する実践も
大事ではあるが」としながらも若干、シニカルなようです。むしろ
「優れた『生活戦略』」を称え、「差別をやりすごし、するぬけ、きりぬけ、
差別する人や文化をからかう実践」に注目します。まあ、差別と闘うと
銘打っている運動体や、日本社会を批判する文化人の質を問おうと
しているのだとは思いますが・・・

鄭香均の東京都を相手に最高裁まで闘った運動が、総括できずに
終わったことを考えると、上野さんがいう「当事者主権」という意味や、
李建志の次のことばが妙に心にひびきます。

「マイノリティ運動の問題として私が考えていることは、マジョリティの
なかの「反体制的」な考え方のひとがマイノリティを『本尊』として祭り
あげることで成立する運動、その政治性のことである」

しかし鄭香均自らが立ち上がり「当然の法理」の本質と対峙しようとした
その歩みを根底的に否定する、鄭大均とは「同じではない」という
のか、彼と同じと言うのか、李建志に確認したい点ではありますね。

私は氏の主張からは、間違いなく、「共生」をも脱構築し、「共生」の
氾濫を批判すると思います。一度、議論したいですね。

是非、みなさんに一読をお勧めします。

崔 勝久

2007年10月2日火曜日

川崎市の「運用規程」改悪の疑問

川崎市が「運用規程」を改悪して、外国籍公務員に制限する職務数を
182から192にしたことは先に報告した通りです。

しかし「外国人の差別を許すな・川崎連絡会議」代表の望月さんの
指摘によれば、外国人に制限してた10職務を182から削減して、
制限する職務を20増やし、その結果、全体として192になったという
ことです。望月さんのHPの論文を参照ください(「運用規程」の改悪)。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_134.htm

外国籍公務員にある職務に就かせるかどうかは、川崎市が独自に
「運用規程」を作成してその中で一定の基準を設けています。それは
「公権力の行使」の川崎市の独自の解釈によるものであり、市民の
意思にかかわらず、市民の自由、権利を制限することを「公権力の
行使」と定めたそうです。

そうすると、東京都で現在、鄭香均が認められている保健士としての
職務が川崎で認められていないのはどうしてか、その点を彼女が
川崎市との直接交渉の席で問うた内容が、今回、ほぼ、川崎市でも
削除されているのです(まさか、鄭香均が言ったから変えたとは
死んでも言えないでしょうね)。しかし、どうして、どのような理由で、
これまで川崎市が儲けた基準が変わったのか、どうして今になって、
これまでの川崎方式の「公権力の行使」の解釈を変えたのか、
彼らは説明をする義務があります。

参考までに、外国籍公務員にこれまで制限されていた職務で、今回
解除されたものの中にこのようなものがありました(笑わないで、
読んでください)。

●「狂犬病予防に係わる事務のうち、犬の登録、狂犬病予防注射票の
交付等」
(これって、そもそもどうして、外国籍公務員に係わってはいけないと
していたの?)

次に新たに制限された職務を紹介します(23職務追加)。
●「墓地・納骨堂・火葬場の施設の整備改善、使用制限、禁止命令、
営業許可の取消」
●「毒物、医薬品販売業者等に対する報告の徴収、立入検査等」
●「特定動物飼育業に係る許可・取消・勧告・命令等」
(ああ、もう馬鹿らしいからやめ。詳しくは望月さんのHPをみてください。
そもそも公務員は、法律に基づいて職務を執行するのであり、公務員の
性別や国籍によって、その業務執行が制限・禁止されていいいのか?)

もうひとつついでに、
●「自動車リサイクル法関連事業者への登録許可」
(なんで? なんで外国人の公務員はこの仕事、だめなの? そうか、
北朝鮮とか、ロシアに中古車を売る連中と外国籍公務員はつるむ
かもしれないと考えたな?)

というわけで、川崎市との直接交渉を11月はじめに行います。
みなさん、期待してください。ああ、楽しみだな、今回のことを決めた
人事課の連中は何と説明するのかな、今回の決定を何にも
事前に知らされてなかった参画室はどう対応するんでしょうね。

それにしてもこんな市の決定を、組合は黙って承認したとはね、
いくらなんでもひどい! そうか、民営化によって組合の仕事を
なくすといっても何の抵抗できない組合員にとっては、朝鮮人の
公務員のことなんか知ったことか、ということか?



崔 勝久

「共生」批判 企業と「人権」運動体(1)ー朴鐘碩

「共生」批判 企業と「人権」運動体(1)

生活現場である組織を「共生」批判することは、誰もが生き方を
迫られます。しかし、自分の足元を見つめることは、人権運動の
基本です。また、人間性を求めることは、イエスを語るまでもなく
「孤立」することです。
 
就職差別再発予防のために組織された東京人権啓発企業連絡会
(以下、人企連)は、「東京に本社を置く企業を中心に、同和問題・人権
問題の解決を目ざして活動」し、120社近くの企業が加盟しています。
(http://www.jinken-net.com/jinkiren/jinkiren.html)
'94年日立、'95年日本電気(NEC)、’96年富士銀行、’97年ソニ-、’98年
三越が会長役(任期1年)をしています。

戦前、日帝は「枕木一本に朝鮮人一人」と言われるくらい多くの
朝鮮人を強制連行し、鉄道・土木建設工事現場で過酷・危険な
重労働・低賃金で酷使しました。戦後、朝鮮人を就職差別して
いた旧国鉄は民営化されて、東日本旅客鉄道となり人企連に
加盟しています。

 人企連は、「差別図書である『部落地名総鑑』の購入、採用に
あたっての差別選考等の反省を契機として、それぞれの企業が
差別体質の払拭」を訴えています。
活動内容は、「同和問題、人権問題に対するトップ層の自覚と認識を
深めることを目的」としています。「より質的に高い企業内啓発担当者
を養成し、毎年度、会員企業の新入社員を対象として、日比谷公会堂
で約2,000人を集め、講師には経験豊かな方々を招聘して講演と
啓発映画による合同研修会を開催」しています。

 当会の役員は、世界人権宣言中央実行委員会、部落解放基本法
制定要求国民運動実行委員会、反差別国際運動(IMADR)
日本委員会、部落解放研究所、東日本部落解放研究所等の会長、
副会長、理事に就任し、また賛助会員、法人会員になって、「人権」
運動体とも深く繋がり、「あらゆる差別の撤廃」を謳っています。
こうした人権組織は、行政、企業、運動体、連合傘下の組合と
一体となった「人権啓発」集会にも名を連ねています。

 ’96年12月2日、言論界、経財界の著名人が中心となって、
日本帝国主義がアジアに侵略した歴史的事実を歪曲・隠蔽する
ため、「『新しい歴史教科書をつくる会』(以下「つくる会」)創設に
あたっての声明」が出ました。朝鮮半島を始めアジアに侵略した
天皇制日本の軍隊による韓国人女性への陵辱は、彼女たちの
勇気ある証言によって明らかとなった、にも拘わらず、この声明は、
「『従軍慰安婦』強制連行説を安易な自己悪逆史観」として捉え、
アジア侵略・犯罪の歴史を正当化する、という戦争責任の反省
など全く感じられない許し難い内容です。

続いて12月20日、「歴史教科書に対する声明」が「正しい歴史を
伝える国会議員連盟」から出ています。
「つくる会」賛同者として、経済界から人企連企業なっている
経営者が名を連ねています。
 小冊子によれば、人企連は、「今後の企業内研修においては、
差別を見抜く感性を磨き、差別解消に向けて確実に実践し得る
社員をより多く育成することが課題であります。
 さらに、その成果を自社内のみにとどめず、関連企業、関係先
等に幅広くその輪を広げていくことも肝要です。

また、国際社会において大いに叫ばれている自由、平等、平和は、
日本国憲法に謳われている精神でもあります。世界の経済的
発展の一翼を担っている日本の企業として、その立場をしっかりと
自覚し、人権尊重の精神を自らのものとすると共に、その実現に
向けて努力していくことが今後の新たな課題の一つでもあります。

 人権尊重は人類普遍の原理であり、また世界共通の価値観
でもあります。我々はこの際一人ひとりの基本的人権は、侵される
ことのない永久の権利であることを改めて確認することが大切
。そして、人権尊重が世界の潮流となってきた現在、国際化時代に
対応し得る企業体質の構築に向けて、私たち一人ひとりの
意識改革-『内なる国際化』-の実現に取り組むことが必要です」
と差別解消、人権尊重を訴えています。

 では、何故、人権啓発、差別体質の払拭に取り組む人企連の
経営者が、何を意図して「つくる会」声明の賛同人として名を
連ねたのか?当時、以下の12社が経済界から「つくる会」声明
の賛同人となっています。
  相田 雪雄(野村証券KK常任顧問)
  上野 公夫(中外製薬KK会長)
  淡河 義正(大成建設相談役)
  岡本 和也(東京三菱銀行専務取締役)
  櫻井  修(住友信託銀行取締役相談役)
  鈴木三郎助(味の素KK取締役名誉会長)
  山本 卓眞(富士通KK会長)
  友国 八郎(大阪商船三井船舶株式会社相談役)
  後藤 千秋(株式会社大林組専務取締役)
  坂野 常隆(清水建設株式会社取締役相談役)
  渡辺 晴郎(丸紅株式会社常任顧問)
  広瀬 駒雄(株式会社大京取締役副社長)
(「東京人権啓発企業連絡会を糾弾する!」1997年7月31日
朴鐘碩資料集)

日帝のアジア侵略戦争によって朝鮮人は強制連行され、侵略に
利用した国旗・国歌を教師たちに現在も強制しています。国旗は、
企業のセレモニ-にも必ず登場し、企業社会で日常的に屋上、正面
玄関のポ-ルに掲揚しています。

川崎市は、「運用規程」で外国籍職員を差別し、ガス抜きと
呼ばれる外国人市民代表者会議も発足しました。また新たに
ポールを設置し、国旗を常時掲揚し、改憲を求める阿部市長は
「外国人は準会員」と発言しています。そして「つくる会」が歴史を
歪曲したように、市は人権資料から日立就職差別裁判を抹消しました。
これは経団連が低賃金で外国人労働者を求め、組合員の声を無視
するガス抜き組合との「共生」、「つくる会」への賛同の動きと完全に
合致します。

ジャ-ナリスト・梶村太一郎氏は、アジアへの侵略、「従軍慰安婦」強制
連行の事実を歪曲した「つくる会」を「『つくる会』の許しがたい
『日本優越史観』」と題して、「彼らには人権意識が全く欠落して
いるため、犯罪事実を否定することが被害者に対する第二の迫害で
あることに気付かない。・・あまりに自己中心的な精神的退行と幼児化
を体現している」と酷評しています。

オリンピック、ワ-ルドカップサッカ-などの国際試合で日本人青年たちが
日の丸を広げ、顔に貼って熱狂しながら応援する姿も日常茶飯事
となり、厳しい批判を浴びた映画「プライド・運命の瞬間」のスポンサ-
である中村功東日本ハウス会長、財団法人日本サッカ-協会ヘッドコ-チ
であった岡田武史監督も「つくる会」に名を連ねています。

西川長夫氏が書いているように「政治権力が民族をシンボル
として操作している。権力イデオローグは、目的達成のために
民衆を動員する手段として民族の存亡を揚げて大衆にアピール
する。民族が“下から”形成される反面、“上から”巧みに操作
され」ています。サポ-タ-もアスリ-トも、自分ために応援、競うのでは
なく国家のためにやるように「共生」 (強制)されていきます。

「つくる会」賛同人として名を連ね、その人企連経営者が役員として
君臨する人権団体と企業の関係は、「共生」という癒着です。
人権組織は、役員が「つくる会」に賛同した事実をどのように受け止
めているのでしょうか?「共生」は、人権団体・運動体を包摂し、
強者が弱者を選別し抑圧する思想です。

オフィスで働く人たちは、日常業務に追われて勤める会社、経営者が
何をしているのか?相対的に考えるゆとりすらありません。
会社(組織)が不祥事を起こしても他人事のように傍観できるのは、
幹部によって情報が完全に遮断・隠蔽されるからです。外部から抗議
を受けたり、不祥事が暴露された時に初めて現場労働者は、経営者
の理念・哲学・思想・姿勢に気付きます。しかし、職場で不祥事、企業
犯罪について話し合う、自由で柔軟な雰囲気は全くありません。不祥事、
犯罪の後始末(教育)を押し付けられるのは、なにも知らされない
労働者です。「組合は経営者に根本的解決を会社に求めた」という
声を聞いたことはありません。

経団連に加盟している多くの企業は、朝鮮人を就職差別し青年たちの
夢、人格、命を奪ってきました。戦前、朝鮮人を酷使した企業は戦争責任
を問うこともしません。ちなみに朝鮮半島が日帝の植民地となった1910年
に創立した日立製作所は、2010年に1世紀を迎えます。財界は、
「自由、平等、平和」を謳う日本国憲法改正を諮る政府の動きに便乗して
いるようです。

国旗・国歌を拒否する教師たちが厳しい処分を受けていますが、
企業内組合は会社・侵略戦争で利用した国旗掲揚、国歌斉唱を企業が
実施しても黙認している状況です。組合は、表面的な「平和・人権・共生」
を無言のスロ-ガンにしているだけです。そう言えば野口武利連合静岡会長
も「つくる会」の賛同人になっていました。

私は、人企連の会長役をした日立製作所三田会長、金井社長に
公開質問状、人企連に抗議文、公開質問状を提出しましたが、回答は、
「1.『新しい歴史教科書をつくる会』への賛同者は、個人としての行為で
あり人企連としては会員各社のトップであれ、一般社員であれ、個々人の
思想や行動に関して、それをとりあげてどうこうする立場にないという
ことでコメントは差し控えたい。従って文書による回答は行わないこととする。
2.尚、補足しますが、人企連としてこの様な問い合わせに対していちいち
回答していたら収拾できなくなる恐れがある為、回答できない。」という
人企連の設立趣旨に反する内容でした。就職差別事件を起こし、差別
解消・人権啓発に取り組み、開かれた明るい職場を目指す日立製作所
の経営方針にも反します。

「偽装請負」を厳しく問われた御手洗経団連会長は、「当社としても
人類との共生が企業の理念です。人類との共生というのは人を大事
にしろということでしょう。」(偽装請負・朝日)と語っていました。
格差社会である現在、企業社会の「共生」論理も明らかに強者の
思想であり、弱者を虐げ、労働者を分断し、失業者を生み、切り捨
てます。労働者の抑圧を前提にした「共生・差別解消・人権尊重」の
スローガンで企業イメージを取り繕います。
企業社会は、オカシイことはオカシイと自由にモノを言うこともできません。
労働者の人間性、人格を破壊する要因は、職場にいくらでもあるのに、
経営者はそれを指摘せず隠蔽します。

人間としてのアイデンティティを維持できない、個性を発揮できない
状況です。技術早期開発と利潤追求の裏で差別が再生産され、
働く人間の個を潰している現実と開かれた経営組織を目指す
という矛盾を企業はどのように止揚し、経営に反映するのか?
人企連は、本当に「差別を見抜く感性を磨き、差別解消に向けて
確実に実践し得る社員をより多く育成」しようとしているのか?
利潤に繋がる個性だけでなく、働く人の人間性・個が本当に
生かされるためにはどのような組織にすればいいのか?
など根本的に見直すことが経営者とって最大の課題です。

10原則からなる経団連企業行動憲章の前文で「国の内外を
問わず、人権を尊重する」と宣言し、「従業員の多様性、人格、
個性を尊重するとともに、安全で働きやすい環境を確保し、
ゆとりと豊かさを実現する」原則も書かれています。
最後に「本憲章に反するような事態が発生したときには、
経営トップ自らが問題解決にあたる姿勢を内外に明らかにし、
原因究明、再発防止に努める」とも宣言しています。従って
経営者は率先垂範し、積極的に従業員の人権を擁護しなければ
なりません。そうなると組合員の声を反映しない企業内組合の
必要性と存在意義はなくなり、高額組合費も給与天引きされ
なくてすみそうです。これだけ読むと内外から人権後進国と
非難された日本は、経・財界も利潤追求一辺倒から本当に
「人権尊重の経済システム」に移行しているのだろうか?と懐疑的に
なります。

「一個人が、体制を支配する権力機構(『共生思想』)に平気で異を
唱え得るようにすること、これこそが、袋小路にはまり込んで
おかしくなっている社会、企業、組合、学校、運動体を救う切札に
なり得る」(千葉県教育委員会総合批判の試み・第1章)のです。

朴鐘碩 2007年10月1日