2011年2月28日月曜日

延々と差別される労働のまち川崎区ー渡辺治

引き続き渡辺さんのブログの内容を紹介いたします。

川崎市の南部、川崎区、そこには「在日」が多く住み、長年の当事者の運動によって「多文化共生社会の実現」が市のスローガンにもなっています。しかし、渡辺さんが指摘するような問題が残っています。この時期に日本人住民である渡辺さんからこのような主張がなされたことを高く評価したいと思います。

ここ川崎区は長期のスパーンで見れば明治以来の「国づくり」が象徴的に現れているのです。昨年の「韓国併合100年」はまさに川崎の埋め立てがはじまり工業化が推進された時期でもありました。

渡辺さんは触れていませんが、臨海部や川崎港の問題は民主党の新たな「国づくり」の政策として脚光を浴び始めています。東京・横浜・川崎は京浜港として日本の2大拠点(ハブ)に選定され、川崎だけでも1000億円の投資が港湾施設の拡大などに使われる予定です。そんな金があるなら福祉に回せという政党もいますが、福祉の充実には賛同するものの、川崎の臨海部・港湾そのものをどうしていくのかは単なる反対だけではなく、市民・行政・企業・議員による話し合いの場を設けて、50年先の川崎のあるべき姿を求めてグランド・デザインづくりをはじめるべきではないでしょうか。

川崎区の問題は「他と同じ施しを」(渡辺)ということではなく、川崎区の問題(臨海部は市全体の2割の面積)は住民自治の在り方に関係し、それを基盤としながら新たな「街づくり」のイメージ、グランド・デザインづくりに住民(市民)が当事者として関わることによって実現されていく、ということを確認したいものです。


崔 勝久

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延々と差別される労働のまち川崎区ー渡辺治
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html

多分、川崎臨海部と言って、どのような場所かをイメージできる方はほとんどいないだろうと思う。

かつては、工場からの煙がもうもうと立ちこめて、今の産業道路のあちら側さえよく見えなかったという。海にむかって、右から風が吹くと、体が白くなり、海側から風が吹くと、体は赤くなったそうだ。右側には、浅野セメントの工場、海側には日本鋼管の製鉄所があった。

今は、日本鋼管は脱煙装置などを整備し、ほとんどばい煙は出さなくなった。ぜんそく患者は増える一方で、そんな中、川崎公害裁判が起こる。裁判は長期に渡り、裁判所に玄関前で息絶えたという原告もいた。

今は、空気が奇麗になり、公害がなくなったようにも見えるが、交通による排気ガスは、また新たなぜんそく患者を生んでおり、産業道路沿いの小学校のぜんそく罹患率は年々悪化している。

また、関東大震災後、関東圏の通信網が完全に機能しなくなり、最初に救助に来たのがアメリカだった。モールス信号を得たアメリカが救援物資を送ったのだった。日本国内は、どのような規模の地震だったか、どれだけの被害を受けたのかも、何日たっても分からなかった。そんな中、在日韓国人が、日本人に危害を与えたというデマが流れ、日本人による自警団が組まれ、在日をわかれば、かたっぱしから殺し、その数は、数千人、神奈川県内では、5000人に達したという記事も存在する。

死体は、今の池上町に集められ、そこで焼かれたということであるが、今はその場所は公園となっている。過労、労災、事故、公害病、雇用問題、賃金問題などで、労働運動は年々激化していた地域でもあった。

一連の労働問題、民族問題は、今は息をひそめているようにも見えるが、在日の参政権の問題、公害問題は、今でも火はつかないまでも、くすぶっている。

こういった地域に対して、行政は、手をつけられないでいる。その結果、なんら方策も立てられずに、納税者はほうっておかれている内に、大都市では、公共施設が最もないエリア、福祉施設、文化施設、運動広場、公園、緑も最もないエリアとなっている。つまり、完全に差別状況にあると言っていい。これが昨日書いた、差別状態の内容である。

少なくとも、他と同じ施しを受けてもよいのではないかと思う。もし、日本の産業や経済に対する功績を少しでもありがたいと思うならば、医療、福祉、文化施設、環境問題などには、どこのエリアよりも公費がつぎ込まれるべきではないか。

こういったことを、市や県、国に訴える政治家さんがほとんどいないのが不思議でたまらない。あいかわらず、誰も、企業の方向を向き、その企業を支えて来て、犠牲になってきた、住民の方を向かない。労働者がいて始めてなりたつ企業である。

本末転倒な政治の結果、今の差別状態が生じてしまった。次の選挙ではどうにか「まとも」な政治が行える議員さんが選ばれて欲しいと思う。

不健康な川崎、差別される川崎、そこに未来はあるのか?ー渡辺治

「本気で臨海部の未来を考える会」を主宰する渡辺治さんが会のブログを毎日更新しています。大変なことですね。県立南高校を解体するという県の方針に反対し、3年近くにわたって多くの市民と反対運動を続けてきましたが、県と市は結局、方針通り建物を解体し、今は更地になっています。渡辺さんが会のブログで2回にわたって主張した内容をみなさんに紹介します。

この南高校の場所は、市の臨海部の2大拠点(もうひとつは殿町)である南渡田地区(JFEのTHINK中心)に隣接した重要な地域です。そこが住民運動で3年もの長期間行政の方針が中座し、その後も行政と住民との話し合いの場がないというのは異常な事態としか言えません。

1年前に地元選出の超党派の議員と運動を続ける住民との話し合いの場が持たれましたが、その後の進展はありません。広大な跡地をどうするのか、これはまさに川崎の地方自治の試金石です。早急に、住民(市民)と行政、議員が話し合う場を作る必要があります。幸い、議員と行政は議会のでの付帯事項もあり、「話し合いの場」作りに同意しているので、4月の選挙後、その場作りはなされるべきです。この4月に新たに選出される議員と住民、行政との話し合いの動向に注目したいと思います。

崔 勝久

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不健康な川崎、差別される川崎、そこに未来はあるのか?ー渡辺治
「本気で臨海部の未来を考える会」のブログより
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html

川崎区にはかつてから熱を扱う工場が沢山あった。それは、アスベストがいたるところに使われていたことを意味する。

パッキン、耐熱材、アスベストで編んだ手袋、ガラスを冷やすためのアスベストのプール、電気配線の耐火被覆材、配管材の耐火被覆材、原材料にアスベストを多量に使った工場、そして、工場自体もアスベストスレートで壁も屋根もできていた。

隣の鶴見区や大田区では、工場の周辺で多くの人が亡くっている事例があり、厚労省は予算をつけて、希望者には健康診断を受けさせ、多くの被害者が明らかになった。

川崎の北部は起伏に富んでおり、山を削り、谷を埋めて住宅地を作ったが、そこに、ありとあらゆる廃材が埋められた。また、川崎の南部の大部分の土地は、浅野総一郎の時代から、ありとあらゆるゴミが人工島や埋め立てに使われた。

そして、現代になって、いたるところの土中から土壌汚染やアスベストが発見されるに至っている。大田区では、3億近くの費用が投じられたが、除去しきれずに封じ込めて公園になった。川崎市の幸区では、5億8千万円もの費用が投じられて土中のアスベストが除去された。

過去の、産廃業者が利益をあげたそのツケが健康被害として、また巨額な除去費として現代そして、未来の人々に重くのしかかる。

川崎区、鶴見、大田区などの工業地帯は、戦前から、強制労働、労働問題、公害問題、人種問題など、工業化、産業化の裏で犠牲になった地域だった。

そして、その時のツケもまだまだ膨大に残っている。また、まだまだ巨額の税金を国、県、市に納めながら、他に流用され、納税者のためにはあまり使われることはない。

そういった状況下で南高問題は生じたのだ。どうせ、この人たちには、緑も、高齢者施設もいらない、消費者としてせいぜい消費税を払わせよう。ということで、高校跡地に商業施設。そういった、差別的な考え方がその都市計画には見え隠れする。

南高は実は、当初から土壌汚染問題だった。しかし、その途上で、アスベスト問題に気づかされた。どれも、川崎市が多くの労働者を犠牲にして、工業化を進めた結果出て来た「毒」である。そして、すでに多くの子供たちの健康を犯しているだろう。川崎市が生まれ変わるには、まず、これらの過去の「毒」を取り去ることから始めなければならない。

これは公害問題のみではなく、差別問題、労働問題、高齢者問題、保育問題、教育問題、全てにわたってとりくまなければならない。「健康」な状態で、日本を作ってきた川崎を取り戻すことは、イコール、日本の未来をつくることにもなる。

2011年2月26日土曜日

Web研究会を発足させませんか。

Web研究会を発足させませんか。

Twitterで得難い経験をしました。沼崎さんとは一度もお目にかかったことはなく、たまたまTwitterで知りあい、「多文化共生」をめぐる論争になりました。140字以内という制限があるなかでの論争ですから、次から次へと論争がリアルタイムで展開します。「25日のTwitterでの長時間の論争を公開します」(その1) http://t.co/0zbajXb, その(2) http://t.co/hC5FkVX を参照ください。

チャンネル2やその他でもネットの論争は口汚くののしりあい、レッテル貼りをしてまともな論争にはなりえないとこの間の経験で感じていました。金明秀さんも経験されたようですが、いくら誠意を尽くしてまともに論争しようとしても全くはなしにならない場合が多いのです。しかし140字がどのような基準で設定されたのかわかりませんが、非常にいい字数です。言いたいことを要約するにはとてもよくできていると思います。また、論文を読むには、URLを記せば相手側はそこから論文を読めるので、140字だけの勝負に終わらせない方法があるということです。私の場合、ブログがありますから、そこで大体、A4で2枚以内にまとめたものをTwitterではURLだけ書き込めばいいのです。

沼崎さんはどういう方かまったく存じ上げていないのですが、感情的にならず、丁寧に自分の立場を書かれたので、いい論争になったと思います。そして課題も明らかになりました。要は、彼は仙台で恐らくニュ―カマーが日々経験している問題に関わりながら、それを「多文化共生」という言説で説明されたのでしょう。官僚の体質、地方自治の実態にも批判的な、リベラルな活動的研究者だと思われます。

仙台という土地柄、川崎のように人口の2%が超える外国人がいるとか、朝鮮人集落があるということではないのでしょう。しかし近くにトヨタの工場ができましたし、地方都市として多くの外国人が住むようになったという状況の中で、誠実に外国人問題に取り組んでいるのではないかと想像しています。

しかし40年前の日立闘争から「民闘連」をつくり、民族差別と闘う地域活動を提唱し、その後「多文化共生」批判を展開する中で「地域社会の変革」を考えるようになった私としては、住民主権が保障されていない住民自治のあり方や、地域経済を含めた「地域社会の変革」に結び付かないような「多文化共生」論は、結局のところ、マジョリティの問題を問わず、外国人問題を特化し外国人を二級市民化するパターナリズムによると考えざるをえなくなっていました。

私のこの考えを沼崎さんがどのように理解されたのかは不明です。おそらく、私の論文は御存じないでしょう。ブックレット『地方参政権』やPP研(52号)の「『民族差別』とは何か、対話と共同を求める立場からの考察」、「人権の実現―『在日』の立場から」など「新しい川崎をつくる市民の会」の記録に掲載されているものはまったく目にされていないと思います(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/)。

しかしTwitterの論争の経験を通して、私は新たな可能性を感じました。そこでWeb研究会の立ち上げを提唱したいと思います。題材は先の沼崎・崔論争をきっかけにして、外国人問題に各地域で取り組む人たち、「住民主権に基づく地方自治」のあり方を模索する人たち・地方自治の研究者、地域社会の経済や臨海部などのあり方に関心がある人たち、また、「多文化共生」に学問として取り組む研究者、植民地主義を批判する政治思想史の研究者、歴史研究者、憲法学者などと協働して、「多文化共生」とは何かを深め、それを各自の研究や地域の実践に生かしていけばどうかという考えです。

幸いにして、『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)の発行以降、多くの研究者と市民運動を進める人たちと知り合うことができました。アカデミズムと運動との協働は必要不可欠だと痛感します。ジャスト・アイデアですが、みなさんの御意見はいかがでしょうか。積極的な参加をお願いします。特に若手の研究者と市民運動に関わる人の参加を熱望します。

2011年2月25日金曜日

25日のTwitterでの論争の一部を公開します(その2)

5.地方自治体の実態について
――地方自治体はいかがですか。川崎は政令都市として外国人施策ではもっとも進んだ都市とされていました。その市長が、「いざというときに戦争に行かない外国人は『準会員』としたのです。日本人との違いがあって当たり前だと。崔・加藤共編『日本における~』参照。
(沼)自治体は首長に大きく左右されます。首長次第で、自治体レベルの行政サービスには大きな差が出ます。しかし、国の施策から自由にはなれない。
――そんなことはありません。「当然の法理」は首長が決断すれば、それですむのです。橋下や河村でさえ、あれだけのことをやっているではありませんか。外国籍公務員を管理職にすることを最高裁も違憲とは言っていません。
(沼)橋本や河村は騒ぎを起こしているだけです。何も実質的なことはできてやしません。まして、「普通」の首長の下の「普通」の自治体は、今でも常に「上級官庁」にお伺いを立て、その「指示」に従います。それを批判していた方が、上級官庁のトップにおなりになりましたけど。
――高知の橋本ですか、大阪の橋下ですか?前者の橋本はそれなりに政府の意向に反して外国人の門戸の開放を具体化しました。川崎の伊藤市長は、政府の方針に反して、指紋押捺問題でそれを拒否した外国人の告発をしませんでした。地方自治体は何もできない、ということはありません。
(沼)大阪の橋下のほう。
(沼)何もできないとは言ってないでしょ。

6.「多文化主義」=「共生」
(沼)私は、外国人参政権にも外国人被選挙権にも外国籍公務員にも全然反対ではないし、むしろ賛成ですから。念のため。
――「多文化主義」=「共生」とは日本政府の方針ですよ。それにそれがおかしいという議論はほとんどありません。地方自治体においては、「多文化共生の実現」を謳ってもそれは政治参加を認めず、生活権を認めず、最先端のところでも川崎のように二級市民化しているだけです。
(沼)だから、私はヨーロッパ的な社会「統合」を、怪しい多文化主義とごっちゃにして多文化共生=統合みたいに言うのはおかしいと言いたいだけです。
(沼)おかしいという議論をしていこうではありませんか。
――喜んで。「おかしい」の実態がまず重要です。それと「おかしい」と判断する思想的な根拠も重要です。先ほどのヨーロッパを「多文化主義」の例とされたのは過ちです。その点はいかがですか?
(沼)舌足らずなら誤りますが、ヨーロッパを多文化主義の例とは申しておりません。「社会統合」の例と申しております。
――それは私の間違いでした。「社会統合」はその通りですが、「多文化主義=統合」は日本の政府、地方自治体を含めての基本路線ですよ。そうすると、地方自治体の「多文化共生社会の実現」は根本において間違いであると沼崎さんは考えているのですか?

7.「移民の人権問題」
(沼)「多文化共生」の名の下の日本政府の基本路線といっても、法務省、総務省、厚労省、文科省など、それぞれ微妙に、時にはかなり違いますね。ただ、「移民の人権問題」を正面から捉えていないという点では、共通で、それは誤りだと思っています。
――「移民の人権問題を正面から捉えてない」点はその通りです。それでは日本に居住している外国人の人権問題(政治参加を含めて)はどうなのでしょうか。「当然の法理」をアプリオルなものとしていませんか。そしてそのことを運動側も問題視できなかったことはいかがですか?
(沼)運動側とは、誰のことでしょうか?
――運動側とは、民族差別と闘い、「多文化共生」を実現すべきだと主張、活動してきた、例えば川崎では市職労であったり、民闘連のような運動体のことです。
(沼)なるほど。そちらの事情になると、私は詳しく存じ上げません。私が多少知っているのは、仙台および東北地方のことなの

8.地方自治体の「多文化共生」施策
(沼)地方自治体の「多文化共生」施策のほうは、地域によっても自治体によっても様々なので、一概には言えませんが、評価できるものと、そうでないものとがあるという認識です。
――地方自治体の「多文化共生」で評価できるものとは?まさか「外国人市民代表者会議」などは言わないでしょすね。沼崎さんは川崎を含めた地方自治体の実態を調べたのでしょうか。鄭香均の最高裁判決以降、人事において評価すべき制度を打ち出したところがあるのでしょうか

9.ミクロな取り組み
(沼)私は、参政権問題方面については調査しておりません。外国人労働者の「集住」地域や、そうでない地域の国際結婚、様々な市民グループの活動などを、少し調査しています。私が評価するのは、ものすごくミクロな取り組みのほうが多いです。
――ミクロな取り組みは必要です。苦労がおおいと思います。しかし世界の国民国家の歴史の中で、「多文化主義」とか日本の「多文化共生」の持つ意味は何かという思想の問題はしっかりと論議したいですね。それと政治参加抜きにした人権はありえません。

10.外国人の政治参加は既成社会への「埋没」か「変革」か
――日本の住民自治がないという議論にならず、「外国人市民代表者会議」を外国人の政治参加と位置つけたということは、既存社会への埋没ではないですか。私は「賛成派」の思想、論理を問題にしているのです。そこに日本の住民自治の問題の変革につながる質があるのかと。
――外国人の政治参加が認められていないのは、実は、日本人そのものが地域社会において「住民主権に基づく地方自治」になっていないから、日本人同士の対話による協働作業が保障されていないから、と私は見ています。私たちは、自ら参加して「埋没」ではなく「変革」を求めます。
(沼)日本に住民自治はありません。自治体行政は全て総務省(旧内務省)の管轄下にあり、全ての部署に中央省庁からの出向職員がおり、県警の本部長など警察庁のキャリアです。議員は、後援者の「御用聞き」であり、民の陳情を官に伝えるだけ。全て根本的な変革が必要です。
――この点は同意します。しかし往々にして外国人の政治参加の問題を権利の付与と捉え、日本の住民自治がまともでないと認識していないなかで、外国人の参政権の問題が語られています。それはいびつな日本の住民自治への埋没なのです。この点はいかがですか?
(沼)そもそも住民自治がないのだから、ないところには埋没もできないかと思いますが、外国人参政権への「反対派」の方々の物言いがあまりにも支離滅裂なので、なんとお答えしていいか分かりませんね
――日本の住民自治がないという議論にならず、「外国人市民代表者会議」を外国人の政治参加と位置つけたということは、既存社会への埋没ではないですか。私は「賛成派」の思想、論理を問題にしているのです。そこに日本の住民自治の問題の変革につながる質があるのかと。
(沼)「賛成派」が誰のことかよくわかりませんが、「外国人市民代表者会議」は外国人参政権をむしろ否定するものでしょう?
――「賛成派」とは「外国人・・会議」を推進してきた人たちです。「共生」推進論者と言ってもいいと思います。彼らは「参政権」を否定する人ではありません。しかし住民自治の問題と切り離して、外国人だけの独自のカテゴリー設定を画策しました。それが二級市民化です。

11.最後に
(沼)「外国人市民代表者会議」と聞くと、台湾総督府評議会を連想してしまいますね。台湾研究が本職なもので。
――沼崎さん、「連想」は結構ですが、「外国人・・会議」がどのようないきさつでできたのか、その経過は把握されるべきですね。仙台においても「多文化共生社会の実現」ということで「外国人・・会議」の提案があるかもしれませんよ。
(沼)どうも。
――沼崎さんへ、昨日は長時間のお付き合い、ありがとうございました。これでお互いのバックグランドがわかりました。さらに話を深めていきましょう。沼崎さんのミクロの実践から見える世界と、私のいう「多文化共生」のマクロ問題点を共有化し、具体的な実践課題まで見えてくればと願いま
す。

25日のTwitterでの長時間の論争を公開します(その1)

25日のTwitterでの長時間の論争を公開します。

ここのところTwitterに時間をかけています。昨日のTwitterでの長時間の論争を公開します。お相手は仙台の文化人類学を専攻する沼崎一郎さんという大学教員です。4時間にわたったTwitter討論にお付き合いくださった沼崎さんに感謝です。ありがとうございました。

かなり問題点がはっきりとしてきたと思います。なお段落にして項目をつけたのは私の判断です。「多文化共生」は当り前のように軽く言われていますが、論争を通してかなりの認識の違いがありました。

これは私たちの置かれている状況がことなる所為でもあるでしょうが、目の前の実践が乞われる状況下で一生懸命取り組んでいる人たちが、そのミクロな状況を、政府が使いだした「多文化共生」という言質で表現しているからだと思われます。

しかし「多文化共生」あるいは「多文化主義」というものは、外国人の急増という事態に対して世界の国民国家が直面している歴史的問題です。

それは大きくは植民地主義の問題として把握するべきであり、まさに「国民国家は植民地主義を再生産する装置」(西川長夫)ではないかと考える必要があると思います。

従って現場で外国人の直面する問題に誠実に対応しようとする人たちと、マクロ的に植民地主義の問題として捉えようとする私たちは対立するのではなく、外国人問題を生み出す社会構造を直視し、その変革を願うということでは同じ課題を担っていると考えるべきでしょう。

また討論を通して、「日本に住民自治がない」という認識では一致しました。これをどのように変革するかという視点のないところで、外国人問題を取り上げることは「既存社会の埋没」につながるというのが私の主張で、これは今後継続して議論を重ねていくべきだと思います。

幸い、「多文化共生」=統合」はおかしいということでは両者は同意したので、そのことの再確認と、具体的な課題について協働できればと願うばかりです。

崔 勝久

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1.「多文化共生」は名前を変えた同化政策
(沼)「多文化共生」政策が、名前を変えた同化政策として、「異」人の管理と支配に使われるだけに終わるのか、それとも、「日本社会」そのものに風穴を開けることになるのか。それは未だ分からないと、私は思う。同化支配政策にさせないための闘いを続けなければなるまい。
――「多文化共生」は日本社会の「統合」政策として出されてきています。「当事者」も参加して一緒に考えるのでなく、外国人にとっていいことは何かを、当事者抜きに専門家が発表していますね。「外国人市民代表者会議」という「政治参加」制度は、「ガス抜き」と上野千鶴子は喝破。
(沼)ガス抜きにもなってません。しかし、もっと地道な活動をしている人々もいますし、そうした活動に自治体の方が動かされているところもあります。そういう人たちは、「多文化共生」も「統合」も口にしませんけどね

2.「統合」について
(沼)最近「多文化共生」言説で、「統合」という言葉がよくでてくるが、原語の“integration”と日本語の「統合」では、語感が随分違う。原語では「統べる」という意味は薄いが、日本語ではこちらが前面に出てしまう。特に行政が言いだすと。
――行政は「統合」ということを「共生」という単語で政策を進めているということは、近藤敦さんが明確に言っています。これはニュアンスの問題でなく、実態です。外国人の政治参加を承認するという風にはなっていません。被選挙権のない参政権っておかしいでしょう。
(沼)もちろん根っこのイデオロギーに問題がないわけではないが、少なくとも「建前」としては、“integration”とは、“assimilation”でも“segregation”でもない、「和して同ぜず」の社会を作ろうというものだったはず。
――「はず」ってなんですか?観念でなく、実態を直視すべきです。誰が「和して同ぜず」の社会を作ろう」としたのですか、そこに当事者として外国人は参加していたのですか?「「共生」を批判する: 「当事者主権」とは何か?」http://t.co/3kghzpX
(沼)「統合」は「社会」の統合であり、「共生」は「多文化」の共生です。つまり、日本政府(総務省)の試みは、移民問題の脱政治化/脱国政化です。移民問題を、住民「間」の人間関係問題、「定住外国人」と自治体サービスの問題に転化しているのです。
――外国人の政治参加が認められていないのは、実は、日本人そのものが地域社会において「住民主権に基づく地方自治」になっていないから、日本人同士の対話による協働作業が保障されていないから、と私は見ています。私たちは、自ら参加して「埋没」ではなく「変革」を求めます。

3.日本に住民自治はない
(沼)日本に住民自治はありません。自治体行政は全て総務省(旧内務省)の管轄下にあり、全ての部署に中央省庁からの出向職員がおり、県警の本部長など警察庁のキャリアです。議員は、後援者の「御用聞き」であり、民の陳情を官に伝えるだけ。全て根本的な変革が必要です。
――この点は同意します。しかし往々にして外国人の政治参加の問題を権利の付与と捉え、日本の住民自治がまともでないと認識していないなかで、外国人の参政権の問題が語られています。それはいびつな日本の住民自治への埋没なのです。この点はいかがですか?

4.「社会統合」について
(沼)「社会統合」って概念が、海の向こうで提起された時にはそうだったという意味です。それが、日本に輸入されて妙なことになってるから、そう表現しただけ。
――沼崎さん、「海の向こう」ってどこですか、オーストラリア、カナダでも「多文化主義」の概念そのものが批判されています。塩原良和『変革する多文化主義ーオーストラリアからの展望』は読まれましたか?西川長夫さんは?つまり国民国家の本質問題として提起されているのです。
(沼)ヨーロッパです。それから、私は「建前」を問題にしています。「建前」も重要だと思ってますから。実態は、もちろん、あなたの仰るとおりです。
――ヨーロッパは「多文化主義」ではなく、統合体の中に外国人労働者を入れ込みました。「文化」「文明」はドイツ、フランスのイデオロギーです。西川長夫『国境の超え方』(平凡社2001)参照。彼らは「多文化共生」を建前としていません。むしろ固有文化を武器にした排除です。
(沼)「統合」は「社会」の統合であり、「共生」は「多文化」の共生です。つまり、日本政府(総務省)の試みは、移民問題の脱政治化/脱国政化です。移民問題を、住民「間」の人間関係問題、「定住外国人」と自治体サービスの問題に転化しているのです。
――「転化」しているの主語は「日本政府」ですか。地方自治体は?「多文化共生」は「日の丸」「君が代」推進と一体化されているのですよ、何の疑問もなく。実態として外国人を「二級市民化」しています。移民問題は「二級市民化」で、その批判を「同化」としないでくださいね。
(沼)もちろん「転化」の主語は日本政府ですよ。

2011年2月24日木曜日

「力道山の世界」から思うこと。

最近、私のブログがどれほど読まれているのか、統計を見て、それに含まれないが私がMLからメール通信で送っている人の数を足してみました。あくまでも延べ人数ですが、この2年で10万人になります。いや、驚くべき数ですね!

今朝、Twitterで下の二つを「つぶやき」ました。

問題提起その(1)、「昔の写真(2) 力道山関係 」http://t.co/oNFbNWf 力道山の媒酌人の大野伴睦に注目。日本の英雄、力道山を南北朝鮮及び日本の支配者は利用したかったようです。そして力道山は慎重にそれに乗りました。そうするしかなかったのでしょう。

問題提起その(2)、「在日」の解放とは何か。「批判」を「利敵行為」で抹殺するのはなし。私の主張は、国民国家の相対化です。これに例外はありません。社会主義思想と民族愛から「北」に渡り、韓国で逮捕された「在日」は、その後、そのときの思想をどのように総括・発展しているのでしょうか。

解説は不要でしょう。(1)は説明不足ですね。村松友視は尊敬の念をもって力道山の「民族的」な背景にまで言い及んでいます。他の「在日」のライターも書いているようですが、私は読んでいません。村松は「アウトロー」の世界の臭いにも触れていますが、他の「在日」ライターがどこまで肉薄しているのかわかりません。

「アウトロ―」、反社会的団体は許すべきでない、という正論はわかります。しかしどうして「やくざ」に「部落民」や「在日」が多いのか、「第三国人」と言われた戦後の「在日」の実態はどうであったのか、彼らを時の為政者はどのように利用してきたのか、この辺の解明は不可避でしょう。

先日、ある地区のY組の「在日」の大幹部と会いました。呑みながら、私と彼は全く正反対の立場にいるようでありながら、とても似ていると思いました。そう言えば、親父のボクシング・ジムには戦後、練習生として「やくざ」の親分になった人が多く来ていたそうです。しかし親父はそのような人たちとも交わりながら、私には、「やくざ」に頼みごとをしてはいけないと話してくれたことを鮮明に覚えています。

その(2)は、反論・批判が多いでしょう。徐勝は立命館大学のコリア研究所のトップでしたし、徐勝は「在日」を代表するイデオローグで多くの日本人研究者・活動家との親交を深めています。その流れの中で、彼は、花崎批判をしたのだと思います。最近韓国で、「在日」が時の為政者によって「でっち上げ」られたことが明らかになったという報道がありました。今思い返すと、日本のマスコミは全て、「在日」の韓国での逮捕は「でっち上げ」としていました。運動側もしかりです。

しかしその後、「でっち上げ」事件があったのは明白ですが、同時に、多くの「在日」が民族愛と社会主義思想で「在日」「民族」の解放を願い「北」に行ったことは明らかにされました。すると今度は、行ったことが何故問題なのか、どうしてそれを南の政府は裁けるのかという論理になってきました。私はそのことには触れません。確かに韓国政府が「北」に行っても捕まらないのに、どうして「国民」はだめなのかという提起は確かに一理あります。

しかし私が問いたいのは、「北」に行った「同胞」はその後、その時に抱いていた「民族解放」の思想をどのように総括・発展させてきたのかということです。彼らを批難しているのではありません。徐京植の著作を読んでも同意するところが大部分ですから。そのときの当事者から是非、その後の「解放」についての思想の変遷を書いてほしいと願います。

朝鮮戦争のさ中、日本から飛び立つ飛行機が朝鮮半島に行き爆撃するのを阻止したいと思った「在日」が多くいたことはよくわかります。そのとき以来、共産党は六全協のとき日本共産党は国籍条項を採用し、「在日」もまた、国民国家の論理・建前の上で行動することを当然視し始めたのです。日本に住み生きていくのに、「在日」は国籍条項の拠って立つ、国民国家の理屈に従わなければならないのでしょうか?

私はその論理を相対化して、自分の住む「地域社会の変革」に関わらない限り「在日の人権の実現」はおぼつかないと考えるようになりました。みなさんの意見はいかがでしょうか。反論、批判をお願いします。

2011年2月23日水曜日

昔の写真(2) 力道山関係



またこんな写真が出て来ました。
一番上は、力道山がスチュアーデスと結婚したときの写真です。写真好きだった親父が撮ったものなのでしょう。晩酌人は、大野伴睦。裏世界にも通じている大者政治家です。プロレス界発展のために必要だったのでしょう。

二番目は私の誕生日のときだと思いますが、大阪の家に来た力道山が写っていますね。私の小学生のときだから(白い服を着ているのが私)、そのときの記憶はありません。当時、力道山の試合がテレビ中継され、アメリカ人を空手チョップでやっつける戦後日本の英雄だったのです。

最後は力道山の息子と親父です。
力道山には、日本人スチュアーデスとの息子の他に、日本に来る前に北朝鮮にいたときにできた娘さんがいます。万峰号に力道山が会いに行ったことはすでにいろんな本に記されています。その他、総連が力道山に「紹介」した女性との間にも子供がいたことが公にされており、村松友視『力道山がいた』にも触れられています。

どうして総連がそのようなことをしたのか、これは力道山は韓国にも招待されており、韓国・北朝鮮の間での
力道山をめぐる駆け引きがあったからと思われます。当然、「在日」の裏社会の人間も関与していたのでしょう。そもそもが芸能やスポーツの興行は裏社会の組織なしには成り立たなかった時代ですから。

力道山が刺されたとき、私の家には「分裂騒動」があり、母は離婚しておらず、私と一緒に住んでいた叔父叔母と親父との金銭トラブルがあり、そこに力道山がからみ、大阪のビルを担保にしてのお金のやり取りがあったと聞いていました。
 
時代が過ぎ、力道山が朝鮮人であったことももう「秘密」ではなくなりました。本や映画にもでてきます。韓国映画に「力道山」というよくできた映画があります。韓国の俳優が実際に体を大きくして、プロレスをする場面もでてきます。相撲時代の差別のことにも触れており、日本でもビデオショップで借りれるはずですから、是非、どうぞ。愚息がチョイ役で何度かその映画に出て来ます。

住民主権に基づく地方自治を、外国人市民代表者会議は解散を

★形だけは民主主義的な組織が出来上がっていても、実態としては当事者の意向を無視して勝手に物事を進めていることが、先日の「川崎 市民フォーラム」での参加者の発言から改めて思い知らされました。

阿部市長は市民の政治への参加は「市民の責務」だとして、区民会議や外国人市民代表者会議、区毎のタウン・ミーティングをつくりました。しかし区民会議を知る住民は少なく、そのメンバーに選ばれた市民(選定基準は不明)がせっかく討議した、区で決めて使える予算(共同推進事業費)にしても、行政が勝手に決めると、当初から関わってきた市民からの発言がありました。彼は行政に最も近いところでこの間、協力してきた人物なので、区民会議という制度そのものを見直すべきと発言した意味は大きいと思います。

★「多文化共生社会の実現」を看板に掲げる川崎市の「外国人市民施策の推進」予算は、「人権を尊重し共に生きる社会」の中に含まれています。その金額、わずか1000万円にも満たないのです。その内容は、「外国人市民代表者会議の運営など」とあり、看板の「会議」運営にしか予算を組んでいないということになります。これは外国人住民のために何もする考えがないということを意味しています。

勿論、朝鮮学校への支援(条例で定められている)や、ふれあい館への支援は別項目で定められているのでしょう。それにしてもひどい、看板に偽りあり、ですね。川崎市の予算は1兆円を超します。そのうちの1000万円とは0.0001%ですよ。外国人は2%を超えています。

★私は、「外国人市民代表者会議」は解散するのがいいと思います。外国人住民のことは、区単位で住民が参加して討議し、決定する住民自治の制度をつくれば、当然、その中で検討されるべきです。外国人住民の政治参加はそこで実現されます。勿論、被選挙権は当たり前のことです。

3年後の市長選でそのことが具体化されるでしょう。

日立の組合の実態ー「企業内植民地主義」 朴鐘碩

「企業内植民地主義」 NO.2 朴鐘碩

企業社会は、春闘が始まった。組合幹部だけが騒いでいる。現場は春闘と関係ない白けた世界である。組合から組合員に春闘方針、労使交渉の経過説明は一切はない。組合員は、春闘に関心はない。黙ってひたすら業務に励んでいる。春闘の主役は組合幹部と経営者の一部にすぎない。労使幹部で予め決めた「結論」を導くために、スケジュ-ル、シナリオを作り、それに沿って組合員にものを言わせず労使交渉を進める。

組合掲示板に「春闘スト権委譲投票」が公示された。組合掲示板の前に立ち止まって読む組合員の姿を見たことがない。私が役員選挙に立候補したとき、結果を見る組合員の姿を見たことがある。私が近づくと同時に周囲を気にしながらその場から離れる組合員がいた。組合員掲示板をじっくり読むことさえビクビクしながら周囲に神経を使わなければならない職場環境である。

「春闘スト権委譲投票」とは何か、その意味を理解していない組合員もいる。何故「スト権委譲投票」があるのか、誰がどこにスト権を委譲するのか、何故委譲しなければないないのか、議案は組合幹部が勝手に決定しておきながら、何故スト権は投票で決めるのかと疑問を感じる。私は、毎年執行部に質問しているが回答はない。

評議員は、組合員名簿で投票しない組合員をチェックしている。評議員は、意図的に管理職である上司、周囲の組合員に聞こえるように、組合員に「投票しろ!」と恫喝する。組合は、組合員が投票を拒否できないように抑圧的な職場の雰囲気をフルに活用している。評議員の威圧的な姿勢に「投票しない」とはっきり拒否する、できる「勇気ある」組合員はいない。投票用紙は立会人の前で記入する。

組合員から問題点を指摘されてもそれを平気で無視して毎年このような方法で選挙は強行されるため、普段、組合活動に関心はなく沈黙し、業務に追われている1500名近い組合員は、選挙になれば100%近い高投票率である。組合組織のやり方の問題、矛盾を指摘する私のmailを読む組合員は「投票は強制されるもではない。したくなければしなくてもいい」と理解したのか、投票率は85%にまでに下がった。

今回、なぜか、私の職場(選挙区)は、評議員から毎年mail展開されていた投票通知も恫喝もなかった。投票選挙を実施している様子もなかったから、私がいる職場(選挙区)の投票率は(毎年)低いと推測する。各職場選挙区の投票率、選挙結果は公開しない。それでも支部全体の委譲賛成投票は96%を超えている。「春闘スト権委譲投票」の説明はなくても、組合活動に関心がなくても組合員は沈黙し投票する(させられる)。組合幹部は、組合員の労働条件を経営者に要求しているが、組合員は春闘について一切話さない、話せない。組合員から見向きもされない掲示板だけが黙って組合員に語りかけている。

このような職場環境を作っておきながら、中央労組の「職場討議資料」である機関紙は、「会社より提案された具体的な見直し案を基に、職場意見を踏まえた論議を行ない、・・中央委員会において、一定の結論を得ました。各支部・分会においては、職場討議を行ない・・中央委員会に意見を持ち寄られる要請します」と書いている。支部「組合ニュ-ス」も「支部としては中執見解を支持したいと考えます。各職場区におかれましては、意見収集を実施の上・・評議員会に意見・要望と、賛成・反対の態度をお持ち寄りください。」と記している。

組合、評議員は、春闘方針を説明しない。職場討議を実施せず組合員の意見を聞こうとしない。議論もしない。組合員は「意見・要望と、賛成・反対の態度」表明する立場、状況に置かれていない。意志表明することもできない。ものが言えない。沈黙を強要されている。このような状況で、日立中央労組は、勝手に「一定の結論」を決め、支部は「中執見解を支持」している。「会社より提案された」案が「結論」となり、それを前提に春闘のシナリオを決めているようだ。

組合は、ものを言わ(え)ない組合員の委員を集めて「定期大会、中央委員会、代表者会議」などを開き、議案に沿った「結論」を前提にした委員の声を「意見・要望」として機関紙に掲載するが、議案に対する問題点、質問は全くない。「意見・要望」は形式的に受け付けるが、執行部への批判、質問は一切受け付けない。職場組合員から意見・要望・質問は出ることはないから、議案は自ずと結論となる。経営者幹部と組合執行部の思い通りの交渉ができる。ものが言えない組合員の労働条件は、このように決まる。

これは、Sweetheart agreementである。民主党政権を支える連合(労組)幹部と経団連経営者の「馴れ合い」による労働者にとって不利な労使交渉と言える。組合幹部は、組合員から執行部への批判、問題、矛盾を隠蔽し、組合員を沈黙させることによって組織の温存と幹部の延命、経営者の利潤論理のバランスを図ることができる。元組合員であった経営者幹部はじめ現場の管理職は十分解っていることである。世界は、弱者である民衆の人間性を否定し人権を弾圧・抑圧する国民(独裁)国家に囲まれている。企業社会は、その「独裁」(「植民地主義」)を裏付ける一つの縮図といえるかも知れない。

春闘要求の「組合ニュ-ス」は、4月の統一地方選(横浜市議)候補者を応援する記事も掲載している。組合会館は既に「選挙事務所」に変わっている。目的は不明だが「春闘高揚ボウリング大会」を知らせる記事もある。参加する組合員たちは、ボウリングしながら春闘について活発な議論をするのか。

組合支部から職場評議員を通じて、説明もなく以下のmailだけが組合員に展開された。
■ 第一次団体交渉
評議員会にて2011年春闘の要求安に関して全会一致で可決され、支部として、この結論を持って日立労組中央委員会に臨みました。中央委員会では、賃金・一時金に関する要求案が満場一致で可決され、第一次交渉で要求案が提出され、2011年春闘がスタ-トしました。

企業社会で生きる労働者、エンジニアは、組合費だけ納め、経営者・組合のやり方に疑問・問題・矛盾を感じても生き延びるために沈黙するしかないのか。

2011年2月22日火曜日

昔の写真、力動山・白井義男・ベビーゴステロ・親父


1952年、ハワイに行ったベビー・ゴステロと親父です。下はその時世界チャンプになった白井義男とカ―ン博士です。負けたダド・マリノも写っています。力道山のリキジム
にはうちのオールジムから重量級選手だけ、移るようになっていました。
これは誰だかわかりますか。力士時代の力道山と親父です。力道山は同郷の親父を兄貴と呼んでいました。谷町でもあった親父の名前は力道山に関する本には出て来ませんが、力道山が死ぬまで親しく付き合っていました。

今日はむつかしい話しはなしで行きましょう(笑)。

そもそも日本のボクシングの最初のチャンプを決めたのは、昭和23年で、西日本と東日本のチャンプが闘い、その勝者が初代日本チャンプになったのです。うちのオールジムからは5階級のうち、2階級の選手を輩出する名門でした。

私はいつも親父に連れられて東京に行き、力道山の家で泊り、力道山も大阪に来るとうちに来ていました。プロレスの初期のころ、柔道出身の木村や山口という選手と日本のプロレス業界の覇権を争い、力道山は「約束」を無視して無茶苦茶にやっつけたのですが、そのとき、遅い晩飯を食べながらそのときの様子を話していた記憶があります。

「在日」とアウトロー、プロレスとボクシングは興行のためにとアウトローとの付き合いは必定でした。昔のやくざの組長はほとんど難波にあったうちの練習生だったと言います。

芸能界とスポーツ界、ここには多くの「在日」がいました(し、今もいます)。しかし圧倒的多くの場合、出自して生きなければならないというのは、なんともやりきれないですね。

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本邦、初公開!

みなさんへ

今日は、一休み。ボクシングを観たことがない人に贈ります。http://tubetw.it/110222001017390

フィリピンの選手で、世界最高峰の技術、スピード、パンチを持つ注目すべき選手です。
何がすごいかと解説しますと、相手の右のフックを受けながらそれを予想して最小限の「被害」にし、間髪いれず、カウンターで強烈な左フックを打つ、そのタイミングのよさです。

ここに防禦と攻撃の技術だけでなく、天性の勘のよさを感じます。お互い構え合っているところで相手側を打つというのは大変、むつかしいのです。自分もその距離に入ると殴られることを意味しますから。

浪人中、住まいの上にあったジムで、プロのボクサーとスパーリングをしたことがあります。勿論、私はまともな訓練は受けたことがなく、小さいころからの見よう見まねで対戦したのですが、相手は私が素人で、かつオーナーの息子と知らず、生意気ながきということで思いきり殴ってきました。

1ラウンドは「互角」でやりあったのが運のつき。2ラウンドはヘッドギア―を外してスパーリングを続けました。そこに強烈な右フックを叩きこまれ、そのまま頭からマットにもろに倒れこみました。後は気を失い、気が付いたら病院でした。

1週間、入院しました・・・

私の小さいころ、ベビーゴステロという天才、フィリピンボクサーがうちのジムの看板選手で、彼はフラッシュ・エロルデと対戦したことがあります。彼こそ、フィリピンの初代英雄です。

ベビー・ゴステロのことは城島充『拳の漂流ー「神様」とよばれたベビー・ゴステロの生涯』(講談社)をお読みください。その背景に、オーナーであった親父の「在日」の姿が垣間見れるはずです。

ゴステロは引退後、10人くらいのチンピラを相手にして素手で一瞬にして殴りたおした武勇伝の持ち主ですが、最後はやくざの用心棒のような存在になり、刀で顔を切られたりしたそうです。

当時、私は産経の記者だった城島さんのインタビューを受け、その記事が産経新聞で連載されました。本邦、初公開!
http://www.spopara.com/sp/feature/9912feature/jyojima991227-01.html



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崔 勝久
SK Choi

2011年2月21日月曜日

川崎の港湾・臨海部を考えるー(2)人工島・東扇島への橋の建設

先の(1)「基本的な視点の提示」(http://t.co/mmgLAI2)で記したように、川崎・横浜・東京は連合で京浜港として日本のハブ港になるべく申請し、今回民主党政権から選ばれました。「国際コンテナ戦略港政策」というものです。阪神と合わせ、これで日本の2大ハブ(拠点)港になります。

川崎が「国際コンテナ港」に相応しくなるため、港湾の拡大や整備に1000億円の予算が使われる(川崎は三分の一の負担)と誰もが思うでしょうが、しかしその半分以上は、実は人工島の東扇島と水江町をつなぐ橋建設に使われます。三カ年事業費として市長から提案されている130億円の予算のうち、100億円がこの橋の建設のため(設計を含めて)だそうです。

水江町には川崎駅からバスが通っていますが、そこから人口島・東扇島に渡るには海底トンネルしかなく、万が一のことを考えて市は、随分と前から国に東扇島と水江町をつなぐ橋を国の方で作るように申請していたとのことです。現在は、既存の海底トンネルの他はJFEのプラベート海底トンネルしかなく、東扇島に着く荷物は有料の高速道路(湾岸線)か、市の海底トンネルを通って産業道路に出るしかありません。産業道路がこれ以上混まないようにするという和解が公害闘争のときになされていて、水江町と東扇島間の橋ができれば問題になるはずです。或いはそれを避けるには、高速道路を無料化するしかありません。羽田空港の拡大を考えると、空港からわずか10分足らずで東扇島に着くルートはトラック業社としては無料で使いたいところでしょう。

しかし何故、その橋を車用のみに限定して、鉄道使用を考慮しなかったのでしょうか。かつてそのような計画があったとも聞き及びますので、ひょっとしたら費用の節約のために川崎・横浜・東京の連合体は車用の橋建設を申請したのかもしれません。もともと国に橋建設を申請して内諾を得ていた川崎市は、今回の「国際コンテナ戦略港政策」にハブ港となるべく申請する際に、スムーズな輸送を目的に橋建設を掲げ承諾されていたので、今度は堂々と国のお金で(市の負担は三分の一)、工事を進めることになるのです。念願成就というやつですね。

しかし何故、国や市は、輸送は鉄道をメインにするという決定をしなかったのでしょうか。鉄道にすれば車の数が激減し、排気ガスの問題もいい方向にいくのは確実であったのに、環境都市や炭酸ガスの削減を掲げながらどうして鉄道にシフトする決定をしなかったでしょうか、これは明らかに失政です。首長は勿論、各党派の責任は大きいと思います。

貨物用の東海道線は既にあり、水江町には貨物の取扱をする線路が既に設置されているので、やろうと思えば、高速道路(川崎では1メートル作るのに1億円と言われている)よりはるかに安い費用でできたはずです。3カ年事業で100億円の支出が予想されているので、恐らく完成までには橋の建設に川崎市は300億円以上の負担を強いられると思います。しかしながら、川崎市には地下鉄建設のための基金が200億円あります。これをぶちこみ、環境都市・川崎の一大方針と言い放ち、東京・横浜の承諾を得て改めて国に建設は鉄道輸送用と方針変更(ただし追加金額はすべて市が負担)の提案をしてほしいものです。

これだと、臨海部に関する事業はすべて反対、そのおかねを福祉に回せと言い続けてきた共産党も賛成に回るんではないでしょうか。また、環境都市・川崎の建設に反対する党は、自公民ともないものと思われます。要は、各党派とも、市のかなり前からの橋建設の動きを察知していながら、単純に賛成や反対の立場でいただけで、50年後の川崎のことや車公害の削減を本気で考えてこなかったものと思われます。もし研究してきたというのならば、各党派ともその報告書を発表ください。

過日、(財)東京経済研究所の報告書の発表会がありましたが、その際も、水江町と東扇島間の橋建設が港湾拡大の目玉であるとの説明は一切、なされませんでした。川崎北部の小児喘息は全国平均よりはるかに高く、ある地区は17%にも及んでいます。これらは車の排気ガスが主な原因と言われており(私は、臨海部の煙突からでる物質の影響はゼロとは言えないと思っている)、臨海部から東京・横浜、全国から東京・横浜を経由して川崎に来る荷物は100%トラックを利用しているので、その何割かでも鉄道にシフトする政策を断行すべきでした。まさに失政としか言いようがありません。

しかし川崎市の予算は全て単年度制なので、各党派が本気で環境都市・川崎を思うのであれば、今からでも鉄道へのシフトを対案として提出すべきだと思います。或いはかつて東京都青島知事が万博中止を唱えて当選したように、3年後の川崎市長選で鉄道へのシフトを唱える候補者を出すしかないのでしょうか。

2011年2月20日日曜日

3月27日(日)の明​治大学でのシンポジュ​ームの案内

明治大学でのシンポジュームの案内のチラシをお送りします。みなさんのグループや職場などでご案内いただければ幸いです。

朴鐘碩と私の発題と、東京外大の岩崎稔さんのコメントに基づいて質疑応答が予定されています。

「多文化共生」を批判する私たちの考えや行動には違った意見をお持ちの方も多いと思います。是非参加してくださり、議論をしませんか。私たちの目的は、意見は違っても一緒にできることは行動に移して協働しあうことですから。

よろしくお願いします。

崔 勝久
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◇◇◇ 明治大学大学院文学研究科 文化継承学Ⅱ主催 2010年度国際シンポジウム ◇◇◇

1970年「日立就職差別闘争」がもたらしたもの
~開かれた地域社会と真の「共闘」を求めて~


講演者:
朴 鐘碩氏(日立就職差別裁判元原告、日立製作所社員、「外国人の差別を許すな・川崎連絡会議」事務局長)

崔 勝久氏(RAIK(在日韓国人問題研究所)元主事、青丘社元理事、「新しい川崎をつくる市民の会」事務局長)

コメンテーター:
岩崎 稔氏
(東京外国語大学教授。哲学、政治思想、カルチュラル・スタディーズ)

日時:2011年3月 27日( 日) 14時~
場所:明治大学 リバティータワー 8階 1083教室


【内容】
現在、学生や労働者たちは戦後最大の就職氷河期という切実な問題に直面し、不安にさらされています。

雇用とは個人の生活そのものに関わる最も重大な問題のひとつですが、就職難はより「周縁化」された人びとに一層深刻な影響をおよぼすことになります。特に日本社会は、国籍を理由に、戦後一貫して在日朝鮮人に門戸を閉ざしてきました。

そのような就職をめぐる日本社会のタブーに対し、かつて一人の在日朝鮮人二世の青年が企業と日本社会に向けて疑義を提した「事件」がありました。1970年に就職採用の取り消しを在日朝鮮人差別であるとして提起したこの裁判闘争は、被告企業である日立製作所の名を冠して、一般に「日立就職差別闘争」と呼ばれています。

裁判は、4年後原告の完全勝訴というかたちで幕を閉じますが、このたたかいは日本人と「在日」市民が共同で取り組んだ画期的なものでした。日立闘争の「勝利」後、裁判をはじめとする支援運動に取り組んできた人たちは、今度は開かれた地域社会や職場を求めて、「日立闘争」の経験をより深化させる試みを続けることになります。

今回は、日立闘争元原告で裁判後日立に就職し、今年定年を迎えられる朴鐘碩氏と、彼と一緒に歩んでこられた崔勝久氏の両氏をお迎えし、当時の時代背景の下「闘争」をとおして彼らが求めたものは何だったのか、そしてその後のお二人のそれぞれの取り組みを、当時の映像を交えて紹介して頂きます。

「多文化共生」があらゆる分野で語られる現在、日本人と在日外国人との真の「共闘」、「課題」は何なのかを考えてみたいと思います。一人でも多くの方の参加をお待ちしています。

【連絡先】 本庄十喜 (明治大学大学院文学研究科所属、明治大学文学部助手)
090-9828-1172、tokitoku10@gmail.com

小森陽一さんの講演内容についての疑問―前向きな問題提起として

金曜日に小森陽一さんの講演を聴きました。「神奈川・横浜の教科書採択が危ない!」という集会です。横浜で何が起こっているのかは、加藤千香子さんの説明を参考にしてください(「横浜市で何が起っているか?―自由社版「つくる会」教科書をめぐって―加藤千香子 」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/07/blog-post_28.html))。

小森さんは、東大の教授で「九条の会」の事務局長です。小田実、加藤周一亡きあと、会の実質的な責任者であると聞いています。よく準備されたレジュメに沿って、ゆっくりとしかし説得力のある話し方で、前に座っていたご婦人がたは何度も大きく頷いていました。結論は、草の根運動によってナショナリズムを強化しようとする動きに攻勢をかけようという、運動を鼓舞する話で、集まった1000名の人は満足していたと思います。

話の内容は、横浜の教育委員会がいかに前例のない汚ないやり方で「つくる会」系の中学教科書を採用したのか、それを全横浜、神奈川さらに全国展開のモデルケースにしていこうとしているが、その政治的背景は何かを説明したものでした。北朝鮮バッシングでは足りず、尖閣諸島という国民の感情・感覚に訴える領土問題を持ち出し、過去の歴史のごまかしで反民衆・女性、・アジアのナショナリズムを作り出そうとしているというのです。

尖閣諸島問題はまさに菅・小沢の闘いの最中、沖縄の選挙で米軍の移転を求める動きの中で起こり、沖縄返還協定の際にアメリカが沖縄への軍事力維持をねらって「火種」として仕込んでいた尖閣諸島の帰属問題が、クリントン国務長官発言によって「切り札」として使われた、従って尖閣諸島の問題はアメリカの「画策」であり、戦後処理の問題としてある、教科書問題はそのような(政治状況の)流れの中で出るべくして出たものなので、草の根の運動によってその流れを食い止める攻勢をかけなければならない、という趣旨でした。

しかし私にはいくつか小森さんの話に疑問が残ります。1時間では全てを語れないということもあるでしょうが、何点か指摘します。その一、教育委員会の委員長が悪者になっているが、彼を選んだのは中田市長であり、その任命を市議会が了承したということが語られず、「つくる会」系の人間とつるんだ委員長の責任になっています。これはネオリベ系の民主党議員や橋下、河村のような首長が増えたという社会の流れと関係する大きな問題であるはずです。

その二、アメリカのサンフランシスコ平和条約の時から「画策」してクリントンが「切り札」を切ったとされるその発言内容は明らかにされませんでした。帰ってネットで調べてみると、日本のマスコミはこぞって「日米外相会談でクリントン米国務長官が尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象であることを表明した」と伝えています。しかしこれだと、アメリカは日本サイドに立ち、中国に警告を与えたということになります。しかし一方、クリントンはそのような言質を与えなかったという説もあり、アメリカの政府高官は「日本と中国の領土問題には、アメリカは中立を守り、介入しない、両国の大人の対応を期待する」と正式にコメントしています。私にはその後の北方領土についての菅発言を見ても、尖閣諸島問題は日本政府の主導のように思えます。クリントンが出した「切り札」とは何だったのでしょうか。

その三、小森さんは戦後処理の問題として尖閣諸島を位置つけますが、これはそもそも明治以来の日本の植民地支配の問題なのではないでしょうか。私には小森さんは、闘う民衆(国民)は被害者であって、アメリカの傘下でナショナリズムの復権を願う支配者が問題であると二項対立的に捉え、その動きが教科書問題と連動しているので、教科書問題を草の根レベルで闘う必要があると主張しているように思えます。しかし植民地主義歴史観というものはまさに支配した側、された側の両方の民衆の中で生き続けてきたと見るのが、ポストコロニアリズム的な考えではなかったでしょうか。

その四、どうも「九条の会」の人と話をしていると自らに巣くう植民地主義、或いは加害者として存在する日本人、という認識が希薄なように感じます。また九条を守る(それ自体は正しいが)平和運動が、足下の地域の問題を取り上げるというよりは、集会などによって仲間を増やすという方向に向かっているような印象を受けます。例えば、川崎の市長が「いざと言う時に戦争に行かない外国人は『準会員』」(これは、日本人は戦争に行くということを語っている)という発言に関しても、ほとんどの人が関心を示さず、ましてや抗議しようともしません。外国人公務員の差別制度や、戦後の「在日」に対する差別・抑圧の根幹になった「当然の法理」関しても無関心です(「『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again 」参照。http://t.co/7I8tZY6)。平和運動は幅広く、地域の問題と直結していると自覚し、多くの他の運動体との協働がなければ、あるいはそのつながりを求める思想的な営みをしないと、運動は広がらないと思われます(事実、1000名の集会においても若い人はほとんど見られませんでした)。私は、小森さん自身が自覚的にこのような問題を取り上げ、提起すべきだと考えます。

その五、教科書採択問題の背景として小森さんは時事的な問題を取り上げ説明しますが、もっと身近な問題、例えば外国人労働者が増えることや海外への経済進出は新たな植民地主義の問題と捉えるべきで、その国家戦略のためには、過去の植民地支配の全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう、それが「多文化共生」のイデオロギーであり、「つくる会」系の教科書採択に結びついているのではないでしょうか。小森さんにはこのような視点がまったく見ることができませんでした(「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。」参照。http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/blog-post_04.html)。

私の指摘を組織批判と捉えず、仲間からの前向きな問題提起と理解していただけることを願います。

2011年2月17日木曜日

非正規労働者の裁判闘争と、横浜人活事件と国鉄闘​争ー不条理に泣く人に​幸あれ、イエスの「9​9匹と1匹」の羊の譬​えを想う

200名の自殺者を出し、戦後最大の組合つぶしと言われた国鉄闘争。「国鉄」といってももう知らない人が多いかも知れませせんね。国鉄の「分割・民営化」(佐高信は、「分割・会社化にすべきだと言ってますが)を掲げた中曽根によって国鉄は潰され、JRが誕生しました。

国鉄を解雇された国労1047名の最終和解の「終結」がいよいよ目前になっています。15名が「政治和解」のサインを拒み、裁判を継続するとのこと。政治和解と言っても、20年以上の闘争をしてきたのに、たかだか、2200万円(これを高い、もらい過ぎと言う者がいるとのこと、呆れますね)のはした金で、しかも「職場復帰」に関しては政府は一切言質を与えていないとこと。この「職場復帰」の内容が来月一杯で明らかにされるとのことです。

15名の内、国労の2名の当該は、当局の課長へのでっち上げの暴力事件(横浜人活事件)で停職処分であったという理由で、JR採用を拒まれ裁判を続けています。懲戒免職となった5名は職場復帰を果たしたのに、どうして自分たちだけがという不条理に対する怒りは収まらないことでしょう。その当該の一人のアピールを直接聴きました。その集会のチラシを添付資料にしておきます。

「政治和解」を承諾しない人は当局からも、運動側からも見捨てられた人です。私は聖書にあるイエスの「99匹と1匹」の羊の譬を思い出しました。「政治和解」に応じない人たちの中でもいろんな立場、主張があるのでしょう。しかしその中でも上記の、「でっち上げ」ということが明らかになったのに、「停職処分」を受けたということでJRに採用されなかった人の怒りは当然と言えば、当然のことです。組合側の「暴力」を暴くということで当局が裁判所に提出したテープの裏側に、当局が「でっち上げ」を陰謀する内容が録音されていたという、なんともしまらない話も明らかにされました。

その集会では、NPOが経営する外国人に対する日本語講座と日本語教師養成講座を業務とする「教育情報研究所」が偽装倒産をし、東京地裁で「解雇は無効、解雇権の濫用」という判決を勝ち取ったのに、お金をとれないで闘いを続けている丹羽さんのアピールも聴きました(添付資料参照http://wewin.blog47.rc2.com/blog-category-1.html)。その会社は「偽装倒産」を繰り返し、被害者との「和解」に応じて和解金を支払う約束までしながら、お金がないとのことで約束を履行しないそうです。それでも民事ではどうしようもないとのことでした。

彼女は年収200万円にも満たないと言いながら、自分よりはるかに条件のいい日航や大手組合の闘いに健気にも協力しようという姿勢をもっていました。非正規社員の闘いは悲惨です。裁判の傍聴に来てくれる人も段々と少なくなっているとのことです。公務員や大手企業の組合は、今では老若男女を問わず苦境にある非正規労働者を無視してきた過去、現在の責任を感じているのでしょうか?

この問題は急に出てきたものではありません。外国人と女性の非正規労働者が解雇されていたときには問題になっていなかったのに、働き手の男の解雇が表面化してから大きく取り上げられるようになりました。上野千鶴子のこの指摘は正しいと思います。私は日本社会のこの不条理がまかり通るようになったのは、戦争責任、植民地支配の責任を一切取らなかったことが根底にあると見る、野田正彰の慧眼に驚きます(野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店))。みなさんはどのように思われますか。

孤独な中で闘いを続ける、いと「弱き人」に幸いあれ。応援します。


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崔 勝久
SK Choi

これまでの書評をまとめました

ここ数年の間にブログで書評したものを紹介します。関心のある方は参考にしていただければ幸いです。


1)「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。」
http://t.co/3riw1pa
長谷川亮一『『皇国史観』という問題―十五年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策』(白澤社、2008)

2)「近藤誠『成人病の真実』のお薦めーこれは絶対です!」
http://t.co/xv5Sufd
近藤誠『成人病の真実』(文芸文庫)

3)「近藤誠は生きていた!-「がんもどき」理論の最終見解について 」
http://t.co/r10sqrX
近藤誠『あなたの癌は、がんもどき』(梧桐書院、2011)

4)「自由主義経済学を根底的に批判する本を読んで 」
http://t.co/IR6rXF4
Ha-Joon Chang『世界経済を破綻させる23の嘘』(徳間書店、原題は「23 things they do not tell you about capitalism」2010)
斎藤貴夫『経済学は人間を幸せにできるのか』(平凡社)

5)「こんなに共鳴した本はありません、文京洙『在日朝鮮人問題の起源』 」
http://t.co/hNWXYTN
文京洙『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン、2007)
金侖貞『多文化共生教育とアイデンティティ』(明石書店、2007)、
広田康生「アジア都市川崎の多文化・多民族経験」(宇都榮子編著『周辺メトロポリスの位置と変容』(専修大学出版局、2010)
西川長夫『<新>植民地主義論 グローバル化時代の植民地主義を問う』(平凡社)

6)「田中宏著『在日外国人 新版―法の壁、心の壁』を読んで 」
http://t.co/JHvM1Bc
田中宏『在日外国人 新版―法の壁、心の壁』(岩波新書)
佐藤勝己の『在日韓国・朝鮮人に問うー緊張から和解への構想』(亜紀書房)
田中宏、板垣竜太編『日韓新たな始まりのために 20章』(岩波書店)

7)「朝鮮王妃閔妃(ミンビ)の暗殺の真意って知ってます?」
http://t.co/f1sICCx
金文子『朝鮮王妃殺害と日本人―誰が仕組んで、誰が実行したのか』(高文研、2009)
中塚明『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠陥を問う』(高文研、2007)
角田房子『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』(新潮文庫 1988)

8)「中塚明著『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠落を問う』を読んで 」
http://t.co/yJW2QJs
中塚明『現代日本の歴史認識―その自覚せざる欠陥を問う』(高文研、2007)

9)「『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again 」
http://t.co/7I8tZY6
西川伸一『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』(五月書房、2000)

10)「『経済学は人間を幸せにできるのか』の斎藤貴男は大丈夫か?」
http://t.co/PluUZHZ
斎藤貴男の『経済学は人間を幸せにできるのか』(平凡社)

11)「『鉄条網に咲いたツルバラ』を読んでー朴鐘碩 」
http://t.co/axCk6sO
朴敏那(パク・ミンナ) 『鉄条網に咲いたツルバラ』(同時代社、2007)

12)「『イエスの現場―苦しみの共有』を読んで 」
http://t.co/k3jnin7
滝澤武人『イエスの現場―苦しみの共有』(世界思想社)
滝澤武人『福音書作家マルコの思想』
田川建三『批判的主体の形成』(洋泉社)

13)「学問は未来を切り開くのか、現実の後追いなのかー「川崎都市白書」を読んで 」
http://t.co/VL4zOFm
専修大学『平成20年度 川崎都市白書』(専修大学出版局)

14)「「地域再生」と「在日」ーエクソドスはもういらない 」
http://t.co/ieK6eGk
神野直彦『人間回復の経済学』(岩波新書)
篠原義仁編著『よみがえれ 青い空―川崎公害裁判からまちづくりへ』(花伝社)
テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクスドス』(岩波書店)

15)「『地域再生の条件』(本間義人 岩波新書)を読んでー住民が主役ということ 」
http://t.co/MDh4qxt
本間義人『地域再生の条件』(岩波新書)
永井進編『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(有斐閣)

16)「いい本に出会いました、「地域再生」の歩みの参考に
http://t.co/vwZWkot
永井進編『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(有斐閣)

17)「中村政則氏の『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)を読んで 」
http://t.co/z1Rsycj
中村政則『『坂の上の雲』と司馬史観』(岩波書店)

18)「客観的な学問ってあるのかしらーノンフィクションを読んで 」
http://t.co/7T26P4k
ニナ・バ―リー『神々の捏造―イエスの弟をめぐる「世紀の事件』』(東京書籍)

19)「新たな出立―荒野に向かって」
http://t.co/YzveJUP
関根正雄『古代イスラエルの思想―旧約の予言者たち』(講談社文庫)

20)「『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで
http://t.co/BfT5lcl
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

21)「『21世紀を生き抜くためのブックガイド』「新自由主義とナショナリズムに抗して」より 」
http://t.co/DzptuaG
岩崎稔・本橋徹也編『21世紀を生き抜くためのガイドブック』(河出書房新社)
加藤千香子・崔勝久共編『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)

22)「『グローバリゼーションと植民地主義』(西川長夫編著)を読んでー朴鐘碩、日立の現場から 」
http://t.co/eCkM20Y
西川長夫・高橋秀寿編『グローバリゼーションと植民地主義』(人文書院、2009)

23)連休閑話―暇つぶしに読んだ本、河村たかし伝
http://t.co/x9pkjgd
河村たかし『おい河村、おみゃあ、いつになったら総理になるんだ』(KKロングセラーズ)

24)西川長夫論文「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」を読んで
http://t.co/tJdeYow
西川長夫「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」『言語文化研究』(20巻
3号、立命館大学 国際言語文化研究所)

25)「ハンナ・アーレントに触れて」
http://t.co/Aa1nuqS
ハンナ・アーレント『人間の条件』『革命について』

26)「二宮厚美著『格差社会の克服ーさらば新自由主義』の紹介 」
http://t.co/yS5caSD
二宮厚美『格差社会の克服―さらば新自由主義』(山吹書店)

27)「植民地主義の克服と「多文化共生」、を読んで 」
http://t.co/AncFrz2
藤岡美恵子編『制裁論を超えて』(新評論、2007)

28)「『北朝鮮へのエクソダス』を読んで
http://t.co/nzmXRqe
テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(岩波書店)

29)「「共生」の問題点を探る-『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』を読んで」
(その1)―朴鐘碩  http://t.co/OOqfE30
(その2)―朴鐘碩  http://t.co/cYHvJlm
(その3)―朴鐘碩 http://t.co/3nj8Spu
在日朝鮮人の生活と住民自治研究会『在日外国人の住民自治 川崎と京都から考える』(富阪キリスト教センター、2007)
金侖貞『多文化共生とアイデンティティ』(明石書店、2007)

30)「親愛なる後輩のEさんへー朴一著『<在日>という生き方を』読んで 」
http://t.co/OHQEr5p
朴一『<在日>という生き方』(講談社)

31)「朴裕河著『和解のためにー教科書・慰安婦・靖国・独島』を読んで思うこと 」
http://t.co/bFAoo8n
朴裕河『和解のためにー教科書・慰安婦・靖国・独島』(平凡社)
李建志『朝鮮近代文学とナショナリズムー「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社)

32)「新たな地平を切り開こうとする比較文学の学者、李建志に期待する 」
http://t.co/Cuhaiw0
李建志『朝鮮近代文学とナショナリズムー「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社)

2011年2月16日水曜日

ブログで何がよく読まれたのか、初めて知りました

Twitterをやり始めたら、忙しくって、忙しくって(笑い)。もう大体様子がわかったので、いい加減にしたいと思います。ついでにfacebookにも顔をだし、どんなものかわかりました。なんとそこにはHKの孫の名前があり、私がよく知る人の名前が沢山ありました。驚きです。

Twitterをやって、Googleのブログとつなげるといいなと思い、そのようなことが可能であることもわかり、早速実行しました。私はブログで初めて、「統計」を知り、そこに入ってどのような内容がよく読まれているのか知りました。今後の参考にします。またみなさんにもお知らせして、お読みになっていないものに目を通していただければと、以下、整理してみました。こんなに読まれているとは自分でも驚きです。謝謝!

★「近藤誠は生きていた!-「がんもどき」理論の最終見解について」 http://t.co/r10sqrX
私のブログで一番関心を引いたものらしく、今更ながら、紹介します。

★ついでにべスト2-5位を紹介します。
2位「朝鮮王妃閔妃(ミンビ)の暗殺の真意って知ってます?」http://t.co/eZ7nZut、
3位「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか」http://t.co/3riw1pa

★続き、4位「「当事者主権」とは何か」http://t.co/3hUWXlX、
5位「名古屋の「地域委員会」でも、国籍条項」 http://t.co/g1WGwzb、
以上、ベスト5でした。

★★★大体、私の傾向はお分かりいただいたと思います。多岐にわたっていますが、今一番力をいれているのは、「 川崎の港湾・臨海部を考えるー(1)基本的な視点の提示」 http://t.co/mjVqXzY です。感想をお願いします。

その他によく読まれたものを紹介します。
・「伊藤成彦さんの論文「北朝鮮の人工衛星発射をめぐる政府・マスコミの狂態」http://t.co/WfjXvNf
・ 「私はどうして「共生」批判をするのかー朴鐘碩(その1)」 http://t.co/wAAPqiJ
・「外国人労働者問題と「多文化共生」について」 http://t.co/ZqYT1Wr
・「マイノリティ論の問題点」 http://t.co/iPEbvEr
・「鄭香均さん、お疲れ様でした!」 http://t.co/xKr60Nj
・「川崎市職員の驚くべき自殺率」http://t.co/SiaoOjR
・「伊藤るり教授の「「多文化共生」と人権ー日本の脈絡から」論文に思うこと」http://t.co/Tx2QaGf
・「ユニクロの会長発言、そうか、新自由主義って国民国家の強化と一体なんだ!」http://t.co/wjuEIRI

2011年2月14日月曜日

川崎の港湾・臨海部を考えるー(1)基本的な視点の提示

川崎市が横浜と東京と連合して「京浜港」として国の指定を受けました。2大ハブ(拠点)港の一つに選ばれたということです。その問題点を示し、同時に港・臨海部を考える視点を提示しました。添付資料をお読みください。

大体、ブログの原稿を書き上げていたのですが、今朝、川崎市財政部のX課長とお会いし、本当に1000億円の予算を組むのか、そのうち三分の一を市が負担するというのは本当かなどを確かめに伺いました。氏は大変丁寧にこのプロジェクトの背景、進行状態(議論されていない部分を含めて)を説明してくださり、改めて原稿を書き直した部分も多くあります。

市民がただ意見を述べ、行政をそれを聞き置いたり採用したりするのは「対話」ではなく、その議論及び政策決定の過程に市民が参加することの重要性をお話しし、改めて、行政と市民、それに超党派の議員、有識者を交えて議論を積み重ねていくことがいかに大切か、再確認した次第です。

このことはしばらく何回かブログで展開いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

川崎の港湾・臨海部を考えるー(1)基本的な視点の提示

今、私の手元に(財)政治経済研究所から発行された3冊の小冊子があります。「川崎港東扇島 コンテナターミナル・ファズ物流センター問題―その破綻の軌跡と解決策」(2001年8月)、「川崎市の土地行政の変遷と今日の課題―未利用地(『塩漬け土地』)・土地開発公社問題」(2001年11月)、そして10年経って今年発行された「川崎港の未来は・・・国際コンテナ戦略港湾政策は川崎市と市民生活を豊かにできるのか」(2011年1月)です。

この3冊の報告書で明らかにされたことは、川崎市が保有する土地や港湾の致命的な問題(既に第三セクターのKCT・川崎コンテナ・ターミナルは破産し、現在、市の直営)は、すべて国の政策が先行し、それに呼応するかたちで川崎市が国や民間からの資金を投入した結果、生起したものであるということです。そしてそのパターンは新たな民主党政権になっても踏襲されようとしています。「国際コンテナ戦略港政策」です。これは羽田空港のハブ(拠点)化政策と合わせ、新たな国策として制定されたものです。これは過去の過ちを総括して今後の地域社会に貢献するものなのでしょうか?

港湾の問題は都市計画と一体化したものであると既に国が明言しています。従って、川崎市の港湾問題は臨海部のあり方、地域社会・日本社会のあり方と不可分であり、港湾の問題を通して、展望がもてない臨海部の問題の所在を知ることになるのです。住民の寄りつくことのない臨海部は、国策によって海を埋め立て作られた重化学工業(鉄鋼や石油精油の工場)がその大部分を占めています。これまでの自民党時代からの失政の上にその総括なく、横浜市と東京都との連合で国の二大拠点に選定された港湾政策ははたして「国際競争力の強化」につながり、低迷する日本全体の港湾を活性化させ、地域社会に繁栄をもたらすものなのか、そしてそれは未来につながるものであるのか検証されなければなりません。これらの問題を何回かに分けてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

先日、私は「日本共産党川崎市議団の『委託研究報告書』完成!報告のつどい」に参加し、報告書の作成者である二人の専門家、研究者の話しを聴きました。10年前の川崎港の「コンテナターミナル・ファズ物流センター問題」報告書作成に関わっていた二人の講演は私には大変刺激的でした。話の内容は、過去の港湾政策の失政にはあまり触れず、今の「国際コンテナ戦略港湾政策」の問題に終始したものでした。それでも控えめな表現でしたが、どのように過去の過ちを総括しているのかという問いかけは、国や市当局だけに向けられたものでなく、私自身を含め、市民サイドはこの間、10年前のコンテナターミナルとファズ(Foreign Access Zone)が抱えていた問題をどれほど深く検証し、臨海部のあるべき姿について論議してきたのかという、市民の責任を問うているのではないかと私は受け留めました。

私見では、10年前の報告書にあった、CTとファズの失敗の背景として国の政策決定過程の問題(専門委員会の役割)もさることながら、「徹底したディスクロージャー」「公正な専門家の分析」「市民の討議」の3点こそが膨大な投資を要する港湾政策になくてはならないという指摘は、今回の「国際コンテナ戦略港湾政策」問題を論議するに際しても全く同じく当てはまると思います。

結論的に言うと、世界の貿易の中でアジアの占める割合が多くなり、韓国の釜山、上海、香港、台北などの港が既にハブ(拠点)港としての実績を上げ、自国内だけでなく、そこを中心にして近隣の国々にも積み替え輸送するシステムが出来上がっており、欧米の航路は最も効率のよい港としてそれらのアジアのハブ港を利用しているのに、これまで失敗してきた港湾政策を「選択と集中」で阪神と京浜の2港に絞ることによって「国際競争力」をもつことができるのでしょうか。

既にオーバーキャパシティ(過剰施設)で大型船は来ずコンテナも集まらない川崎港を、停滞し始めている欧米用にさらに拡大する方針に無理があるのではないか、ハードとソフトの両面ではるかに先を行くアジア港湾の後追いではらちがあかないのではないかという疑問が残ります。それに24時間の積み下ろし作業は高賃金の日本で可能でしょうか。日本海岸にある多くの港は既に目の前の釜山をハブ港としているのに、それを止めさせて積み荷を遠く離れた阪神と京浜の港に引き戻すことができるのでしょうか。それに国際基準のコンテナを全国に輸送するには、日本国内の道路やトンネルなどのインフラはそれらを受け入れる整備がなされてないと言うのです。

その話を聴いた会場からは、どうしてそのような不条理な決定がなされるのかという質問が湧きあがりました。講師は、それは国の官僚の判断であると説明していましたが、それは金太郎飴のように、(ダムと同じく)中央政府が決定した政策に各地方自治体が便乗してどこでも同じようなことをやってきたという意味なのでしょう。その過ちは、都心に近く、本来もっとも付加価値の高い場所に人が近づくことのできない石油コンビナートや鉄鋼を中心とした重化学工業地帯をつくりあげた時から始まっているのです。そのような臨海部から必然的に公害が発生し、多くの市民に危害を加えてきました。その問題はまだ完全に解決されたと言えない状態です。

保守、革新を問わずに、川崎市政はそのような工業地帯からの法人税(30%を超える)によって川崎市民の福祉政策(そこに違いはあっても)をまかなってきました。そのやりくりのために、世界的に見ても新たな発展の余地があり、十二分に付加価値が付く産業に転換させ、市民の憩いの場となるべき可能性のある臨海部を放置し続けてきたのです。

臨海部は川崎全体の2割の面積で、そのうちJFEのような鉄鋼会社は6割を占め、石油関係をいれると7-8割になると思われます。しかしグローバリズムによる世界の動きは想像以上に速く、臨海部の多くを占めるそれらの装置産業は早晩、「縮小と統合」の決断を迫られるでしょう。それまで私たち市民はただ手をこまねいて待つしかないのでしょうか。私たちは50年、100年先の最も付加価値のつく海辺の臨海部のあり方を議論しなくていいのでしょうか。それには何よりも、行政パーソンだけでなく、市民が参加して都市計画そのものの政策論議、決定過程に加わる制度の保障が必要です。どうせ東京と横浜と一緒にやるなら、東扇島にかけようとする橋に鉄道を通し東海道線と繋げてはどうか、こんな発想が縦割り行政にできますか? 環境都市・川崎に相応しいと思いますが、阿部市長、いかがでしょう?

2011年2月9日水曜日

「性的マイノリティと​地域社会」報告ー佐藤​和之

Subject: Re: 「レズビアン差別」に対する崔さんの意見についてー金志映
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/httpanti-kyosei.html)

崔勝久 様、

ML上で「レズビアン差別」が話題になっているようなので、
私が主宰するCS神奈川懇話会のレポートを添付します。短文
で、参考以上ではありませんが。なお、CS神奈川懇話会は少
人数の勉強会ですが、いつか崔勝久さんを招いて話をしてもら
おうと、勝手に考えています(笑)。

ところで、昨日今日とアイヌ民族支援団体の集会に行って来ま
した。彼らとは、私がやっているチェチェン支援運動と共闘関
係にある訳ですが、彼らに崔さんの論文を紹介すると、やはり
頗る評判がいい。

また、一昨日まで大阪・鶴橋にいる在日の友人宅にいました。
が、今回は在日関係の取り組みではなく、労働運動と「カザフ
スタン文化センター」訪問が目的でした。カザフスタンは、強
制移住でチェチェン人と高麗人とが出会った場所です。文化セ
ンターは、ある在阪カザフ人が日本人スタッフと、アングラに
いるロシア人らに支えられて運営しています。

おっと、長くなりそうなので、以上。



佐藤和之
Kazuyuki Sato

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ちらし6.25第八回CS神奈川懇話会
「性的マイノリティと地域社会」報告

6月25日(金)川崎市の中原市民館において、市民連帯神奈川の懇話会が開かれ、7名が参加しました。話題提供者は、性同一性障害であることを公表し、世田谷区議会議員になった上川あやさん。まず、上川さんから約2時間に及ぶ報告があり、続いて参加者との間で活発な質疑応答がなされました。

テーマは「性的マイノリティと地域社会」ですが、法務省人権擁護局が掲げる強調事項のうち、世間の関心度が低いワースト2が「同性愛」、ワースト3が「性同一性障害」であるという調査結果があります(ワースト1はアイヌ民族問題)。しかしながら、LGBT(レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)など性的少数者をめぐる諸問題は深刻であり、しかも論点は複雑多岐にわたります。そこで主催者としては、時間制約なしに問題提起をしてもらうよう、あらかじめ話題提供者に依頼しておきました。

さて、上川さんの「性的少数者と人権-とりまく社会状況と困難」と題する報告では、性染色体という生物学的医学的な話から始まり、体と心の性ないし性的指向とが一致しない、あるいは性が決められない者の内面的葛藤、周囲の差別・偏見と社会的不利益、性的少数者のNGO活動、同性同士が結婚できる国と同性愛者を死刑にする国、日本の「性同一性障害特例法」と今後の課題など、次から次へと重要な問題提起がなされました。さらに、自分自身の生育歴と家族・学校・職場の話、シンガポールやアメリカでの生活、性別移行とカミングアウト、NGO活動から区議会議員当選までの経緯、様々な少数者の声を尊重した議員活動などを紹介。

そして、沈黙からは何も生まれないこと、民主主義制度を動かすのは人であること、議会や行政に少数者の声を届けるには当事者のVisibility(存在の可視性)こそが鍵であることを、上川さんは自己の体験から力説していました。

報告の最後に、アイデンティティの根幹である性のスペクトラムと、多様な人々の連帯が社会を構成していることが、結論として指摘されました。実際、同性愛者だけでも人口の10%と言われているそうです。但し、差別を恐れる人は「苦しい・・・」とさえ言えないことから、問題は不可視化されています。したがって、性のあり方をめぐる「ふつう」や「常識」を問い直すと同時に、想像力ある周囲への対応が必要でしょう。そして近年、性的少数者に対する日本社会の認識は、確実に変わってきています。

質疑応答では、性自認に関するジョン・マネー説の問題、現行「性同一性障害特例法」の性別変更条件、「障害」という規定などをめぐり討論になりました。性自認の決定要因には、先天的なものと後天的なものがあるという説が、最新の研究だそうです。さらに現在、戸籍上の性別変更には、①性別適合手術、②婚姻なし、③成人前の子なし、という条件がありますが、その点を改正していく必要性が説かれました。

そして一般に、LGBTなどを「障害」だとすれば社会的に取り組むべき課題となり、「個性」だとすれば自己責任の領域へ追いやられます。その場合、「障害」=悪という前提がありますが、その点にも疑問が投げかけられました。

終了後の交流会では、皆が議論に没頭し、気がつくと1日が終わろうとしていました。こうして、スリリングでラディカルな夜は、瞬く間に過ぎていきました。最後に、26日午前1時のツイッターから、上川さんの呟きを紹介しておきます。

「川崎市での講演から帰宅なう。講演終了後もディープに武蔵小杉の居酒屋さんで語り合って帰路につきました。高校時代、武蔵小杉のマンモス校(男子校^^;)に通っていた私だけれども、周辺環境の激変ぶりには驚くばかり。駅から高校への通学路が思い出せませんでした…」。

2011年2月8日火曜日

「当事者主権」とは何か?

「当事者主権」という単語は、障害者の中西正司さんと上野千鶴子さんが書いた『当事者主権』(岩波新書)で有名になり、今ではマスコミでも普通名詞として使うようになっています。この本のことをどちらの発言かわからない、立場が不明と批判する人がいましたが、それは間違いです。二人の著者が自分の障害者、女性としての闘いの中から見えてきたことを話し合ううちに、お互いが刺激しあい、一人の意見が止揚されるなかで一体となり、まさに二人の意見としてだされたのが「当事者主権」であったのでしょう。

この本の中には刺激的なことばが散らばっています。「当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれもー国家も、家族も、専門家もー私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である」(4頁)、「当事者主権とは、社会的弱者の自己定義権と自己決定権とを、第三者に決してゆだねない、という宣言である」(17頁)、「当事者主権の考え方は、この代表制・多数決民主主義に対抗する」(18頁)。ほれぼれする啖呵です。

しかし、「当事者主権」はいつのまにか、ケアされる(或いは差別される、マイノリティ)側の当事者だけでなく、ケアする(或いは差別者、マジョリティ)側も当事者であるという認識が広がり、定義が曖昧になって来ました。「この用語法のもとでは、世の中に『当事者でない者はだれもいない』と言うことも可能になる程度に、当事者概念のインフレを招き」、そこで改めて上野さんが、「当事者とは誰か、ニーズとは何か」を正面から論じています(「ケアの社会学」『季刊at 15号』)。

上野さんはケアの現場から論じるのですが、そこには専門家やケアする側の言い分がいろいろとある中での発言と受け取れば、彼女の言い分はまことに明確です。「『なにをしてほしいかは、私に聞いてください』ということ、これこそが『当事者主権』の思想である」。この思想は、ケアを必要としている人だけでなく、あらゆる「マイノリティ」とされる人たちにとっても有効です。勿論、在日朝鮮人にとっても。

「在日」にとって差別とは何か、「当事者」としての「在日」は何をしてほしいと訴えているのか、このことをどうして「当事者」抜きにして、憲法学者や社会学者(心理学者も含めましょう)、それに「多文化共生」に携わる行政の担当者は「専門家」としての意見を述べたがるのでしょうか。

しかし、ケアとは何かはケアを受ける人が一番よく知っているのと同じく、日本社会の何を差別・抑圧と捉え、何をしてほしいのかということは、まず、「当事者」である「在日」から聞くべきなのではないのでしょうか。それを客観的な歴史、法体系、憲法問題などをよく知らない一般の人に「啓蒙」することが重要だとばかり、「啓蒙」に走ることを職業にしている「専門家」や「連帯」を唱える運動体もあります。彼らはひどい場合、自分の意見に合わない、或いはやり方が気に入らないからと「当事者」との「共闘」を公然と拒みます。どうしてこういうことがおこるのでしょうか。これは大変不幸なことですね。

「在日」が日本人の立場性を問い、沈黙を強いるようなやり方に対して、私は批判をしています(「『民族差別とは何かー対話と協働を求める立場からの考察―1999年『花崎・徐論争』の検証を通じて』http://www.justmystage.com/home/fmtajima/」。「在日」が何を欲するのか、この「当事者」の意見を無視して、客観的に必要で正しいことを進めればよいというのは間違いです。「在日」にもいろいろと意見の違いがあります。何が正しいとは言えません。しかし「当事者」にいいことであると、「専門家」に勝手に判断してほしくありません。自分たちに都合のよい「当事者」だけを相手にし、他を排除するようなことはやめていただきたいものです。私たちのような「多文化共生」を批判する「在日」「当事者」とも一緒に議論をしようではありませんか。

「多文化共生」をどうして私たちは批判するのかについてまず、しっかりと耳を傾けて理解してほしいものです。批判の仕方がおかしいとか、一生懸命やっているひとを無視しているというのは的外れな反論です。日本政府と行政は結局のところ、「当事者」からの差別への怒りの声であった「共生」を求める声を吸い上げ、「多文化共生」をスローガンにして掲げ、社会の「統合」を求める政策を遂行しようとしているのであり、外国人「当事者」と一緒になって論議し決定しようとはしていません。外国人市民代表者会議があるではないか? これは、「行政のパターナリズム(父長的温情主義)」「ガス抜きの場」(上野千鶴子、『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』)です。

「在日」の徐京植と障害者の安積遊歩とはどこが違うのか。安積の言葉は激しく、恐らく反発して逃げた人も多いでしょう。しかし彼女は健常者を突き放したり沈黙を強いてはいませんし、決して切り捨てることをしません。それに付き合いきる人も偉いですが、その両者のぶっつかりあいから新しい道が見えるのです。しかし日本人としての立場性を問う「在日」はこれまでどうであったでしょうか。私は自分自身を振り返っても反省することが多いと考えています。

差別・抑圧を生み出した歴史・社会構造の歪みを身をもって知る「在日」「当事者」として、その歪みを日本人と協働して変革していこうという働きをすることが私たちの課題です。
まず何はさておいても「当事者」の声を先にお聴きください。そして意見の違いがあっても対話を続けましょう。全てはそこから始まります。

2011年2月7日月曜日

ご講評どうもありがとうございましたー長谷川亮一

(以下、長谷川さんのメールより)

長谷川です。ご講評どうもありがとうございました。

「おわりに」(の「戦後における国体論の変容」の節)に裏付けが無い、と
いう点は、手厳しいご批判、かつ今後への期待として受け取らせていただきま
した。若干の釈明的補足ををしておくと、当該個所は、第1章における議論を
踏まえた上で書いたものです。

そもそも、天皇制がいわゆる象徴天皇制という形で、男系世襲君主制として
“存続”しているという事実がある以上、いわゆる国体論が「終戦」とともに
消失したなどといえるわけがない、ということは、ほとんど自明の前提という
べきもの、と私は考えています。さらに、戦後の文部省(文科省)の教育政策
が、象徴天皇制と、それを基軸とするナショナリズムの教化をひとつの基軸と
して展開されてきたことも、教科書検定や日の丸・君が代の押しつけなど、
様々な事例から知られる通りである――ということが、あの話の前提でした。

とはいうものの「“強い”国体論」と「“ゆるやかな”国体論」の対比が必
ずしも明確でない、きちんと論証されていない、という点は確かにその通りで
ある、ということは痛感しております。この点については、たとえば、美濃部
達吉や津田左右吉に代表されるような、リベラリストとして大正期の学界を
リードし、十五年戦争期の「“強い”国体論」の犠牲となり、戦後は象徴天皇
制のイデオローグとなった天皇主義者たちをどうとらえるのか、といった問題
とかかわってくるのではないかと思っています。

最近の私見では、そもそも「国体」/天皇制というものは基本的に融通無碍
なものであり、歴史的に一貫するものを一切持たないにもかかわらず、一貫す
るものを持つかのように装っている、というのがその本質であろう、というよ
うに感じています。おそらく「天皇(制)はなぜ続いたか」という問いを立て
ること自体が誤りである(なぜなら、この問いは「天皇制に何らかの意味で一
貫したものが存在する」ことを前提としているからである)。

長々とわかりづらい話を書いてしまい申し訳ありません。それでは。

2011年2月6日日曜日

「レズビアン差別」に対する崔さんの意見についてー金志映

みなさんへ

休日はどのように過ごされたのでしょうか。この2,3日はあまり寒さは厳しくなかったですが、乾燥していて喉が痛かったですね。みなさん、風邪にはご注意ください。

さて、若い研究者が自分の研究成果を発表して、仲間や先輩学者の批判を受けながらもまれる「同時代史学会」に顔を出した私は、隣の女性と話す機会がありました。韓国の大学を終え東大で学ぶ彼女は、後日、私からのブログ内容を送るメールへの感謝と共に、「在日」である私の話を聞きたいということで、お会いしました。ジェンダーに関する造詣も深いようであったので、私が書いた「立命館大学の若手研究者による『レズビアン差別事件』論文に思う」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011_01_01_archive.html)についての彼女の意見を求めました。この間、「レズビアン差別」と「女性差別」とは違うということで、私の意見に対するメールが何通か寄せられていたからです。

彼女からの返事を以下に記します。私一人で読むにはもったいないと思い、本人の承諾を得て、みなさんにも読んでいただきたいと思いました。これで堀江論文への私の意見の中の、私の認識の不十分な点についてさらに議論を深めていけるようになると思います。私もこれをきっかけに「女性差別」「レズビアン」などジェンダーに関する本をしっかりと読むことにします。

金 志映(キム ジヨン)
博士課程
東京大学大学院総合文化研究科
超越文化科学専攻比較文学比較文化分野

ご自身の自己紹介:
私は現在、戦後ロックフェラー財団から奨学金を受けてアメリカに一年間滞在した文学者たちの「アメリカ」表象をテーマに、博士論文を執筆しております。この留学制度は、アメリカの対日文化冷戦政策の一環として準備されたもので、その裏には日本人知識人を親米化する意図があり、大岡昇平や福田恒存、江藤淳など戦後を代表する多くの文学者たちがアメリカに招かれています。そのような時代状況のなかで、各文学者がどのようにアメリカを体験し、表現したのか、そしてそれらの文学的言説が当時の言説空間のなかでどのような役割を果たしたのかを明らかにすることに現在の関心があります。こうした考察を通して、戦後日本がもっぱらアメリカとの関係を軸にナショナル・アイデンティティを築いていくなかで、アジア諸国が多くの人々の意識から抜け落ちてきた歴史認識の問題を、もう一度明らかにし、問い直すことができればと考えております。

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(以下、ご本人のメールから)

もととなっている堀江さんの論考を探したのですが、まだ学校の図書館に入っていないみたいで、残念ながら本文を入手できませんでした。何せ本文を読んでいないので、崔さんの感想だけを読んで少し考えたことを書きますが、私の読み違いになってしまうかも知れません。ご容赦ください。

まず私は、同性愛者差別の問題は女性差別の問題と連動しているという崔さんの認識には全的に賛成します。また、レズビアン差別の問題を教会内のほかのさまざまな問題との関連のなかで捉え、教会の構造を根本的に問い直すことは、最終的には必要であるだろうと考えます。

ただ、「ホモフォビア」/「レズビアン差別」問題の根底に社会構造化された女性差別の問題がある」という認識の構図には個人的に違和感を覚えましたので、少し考えましたことを書いてみたいと思います。私の今までの理解では、男と女の二項対立を支える強制的異性愛と男性中心主義が基盤となって「男」を優位におき、それと二項対立的に構築された「女」を従属させる現在の社会構造は成り立っている。その表れが同性愛嫌悪あるいは同性愛差別であり、ミソジニーあるいは女性差別であるというふうに理解しています。つまり、「ホモフォビア」と「ミソジニー」、そして同性愛差別と女性差別が互いに連動し、折り重なっていると捉えるべきで、同性愛問題より女性問題がより根本にある、というまとめ方になるとやはり違和感があります。

したがって、女性差別の根底にミソジニーがあることは確かですが、ミソジニーを認識するだけではレズビアン差別問題を解くには不十分な気がします。これは一方で、フェミニズム運動内部から出てきた問題提起ともかかわっています。フェミニズム運動は「女」という主体を運動の基盤としてきましたが、一方で「女」という普遍的なカテゴリー/アイデンティティがあると想定することが、改革の可能性を前もって限界づけていたことに気づきました。そもそも「女」と「男」のジェンダー関係を揺るがすためのフェミニズム運動が「女」を前提としてしまうなら、「女」を超えて根本的にジェンダーの在り方を変革する可能性は内側から食い破られることになる。フェミニズム運動は「女」を離れては成立せず、しかし「女」を本質主義的に想定してしまうことは運動の可能性を前もって制約することになるというのが、昨今のフェミニズム運動が抱えるジレンマでもあります。

例えば七〇年代以降に盛り上がりをみせた「女性史」研究などは、「女」に関する「歴史」をかなり補充することに成功しましたが、歴史叙述において結局「女の歴史」は周縁にとどまったままゲットー化され、男性の歴史を中心におく認識構造そのものは温存されるという行き詰まりに逢着しました。そこでジョーン・スコット(著書『ジェンダーと歴史』)などは、「女」の歴史を発掘するだけでは十分でなく、同時に歴史記述の基本的な概念となっている「女」や「男」、「人間」といった普遍的とされた概念そのものが歴史的にどのように成立したのかを明らかにすることが必要であると提唱しています。

この方向性はフェミニズム全体の動きと足並みを揃えていて、ジュディス・バトラーのまとめによれば、「女が言語や政治においてどうすればもっと十全に表象されるかを探究するだけでは、じゅうぶんではない。フェミニズム批評は同時に、フェミニズムの主体である「女」というカテゴリーが、解放を模索するまさにその権力構造によってどのように生産され、まさに制約されているかを理解しなければならない」ということです。

通常、「女」や「男」というときには「セックス」と「ジェンダー」と「性的な欲望」の間に首尾一貫性が想定されていますが、「女」というカテゴリーがどのような規律や排除の権力のもとに作りだされているのかを問い直す地点から、フェミニズム運動が主体としている「女」がいったい誰を代表しているのかを問うとき、やっぱりレズビアンの問題を女性差別の問題に置き換えてしまうと、見えなくなる部分がたくさんあるし、レズビアン差別の問題を女性差別の問題に従属させるべきではないように思います。

その意味で、もし「「レズビアン差別」問題をきっかけにして女性差別の問題への視点を深めていけば」という提案が「レズビアン」差別を「女」差別の特殊(?)な一つの事例として捉え、レズビアンの問題を解決するためにはまず女性差別問題を考えるべきだ、という方向であるなら、そこに新たな抑圧が生じる可能性があることを恐れます。実際、初期のレズビアンの運動はフェミニズム運動と連動していましたが、運動を進めていくなかで徐々に限界に気づき、レズビアンの側からの異議申し立てもあって、現在では両者の関係ははるかに複雑なものになっています。

ちなみに、崔さんは男の同性愛者が昨今のマスコミで頻繁に取り上げられ、ひとつの「文化」として市民権を与えられている(?)ように見えるのに対して、女の同性愛者はあまり大衆的なレベルで共有される文化表象として登場しないことを挙げられ、そこに同性愛者差別の内にある女性差別を見て取り、「ホモフォビアの根底に女性差別がある」ことを示す事例として解釈されていたように思いますが、これはとても興味深い論点であると思いました。

しかし、歴史的に見ても男性よりも女性の同性愛に対して遥かに寛容であった事例がありますし、昨今のマスコミのゲイ表象は、男の同性愛に対してホモフォビアがないことを表わすよりも、あるいは禁忌が強く働いているからこそ男の同性愛者を戯画化した上で消費しているとも取れそうなので、解釈にあたってはもう少し慎重になる必要がある気がします。これは私にとってはまだ難しい問題ですが、むしろホモフォビアはやはり共通していることをしっかり見抜くことが大事なのではないかという気もしますが、いかがでしょうか…?

ポストフェミニズムの時代といわれる今、クィア研究はとてもさかんに行われていて、ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの撹乱』
(竹村和子訳、青土社、一九九九)、イヴ・コゾフスキー・セジウィック『クローゼットの認識論――セクシュアリティの20世紀』(外岡尚美訳、青土社、一九九九)などは私も多くを学んだクィア研究の代表的な成果ですので、もしも興味がありましたら、お勧めしたいです。

そのほか、「女」と「レズビアン」、女性差別と同性愛差別、フェミニズムやクィア研究の関係を考える上で参考になりそうな文献で、崔さんにも推薦したいものをいくつか見つけました。まずは、英語文献でもオッケーであれば、Cambridge University Pressから出ている”A History of Feminist Literary Criticism"(ISBN0521852552 )
(http://www.amazon.co.jp/History-Feminist-Literary-Criticism/dp/0521852552/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1296981694&sr=8-1)という入門書のうちHeather Loveという人がまとめた第16章”Feminist criticism and queer theory”が一番フェミニズム/レズビアン・フェミニズム/クィア研究とのあいだの複雑な関係を明快にまとめていると思うのですが、これは翻訳がまだ出ていないみたいなのでちょっと入手が困難かもしれません。

日本語文献では、バトラーの思想を分かりやすくまとめながらフェミニズムと「女」のカテゴリーについて書いたものとして、丹治愛編『知の教科書 批評理論』(講談社選書メチエ282/講談社、2003)のなかの第6章「「女」はもはや存在しない?―フェミニズム批評』」(遠藤不比人)、クィア批評が従来のフェミニズムに提起する問題としては、大橋洋一編『現代批評理論のすべて』(新書館、2006)のうち三浦玲一「フーコーからバトラーへ」(p.108-111)を読むと問題の在り処が分かりやすい気がします。

2011年2月4日金曜日

「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。

長谷川亮一『『皇国史観』という問題―十五年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策』(白澤社、2008)を読みました。私はこの本は、「皇国史観」と「15年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策」にターゲットを絞っているものの、日本の「国体」とは何であったのか、そしてそれは現在においても、「その時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」だけなのではないのかという問題意識に基づいて書かれたものと受けとめました。

小熊英二は膨大な資料を駆使して日本の「単一民族論」が時代状況に応じて出てきた便宜的なものでしかないことを証明しました。長谷川は学部、修士、博士論文で一貫して「皇国史観」をとりあげこの著作に至ったと述べています。私はこれまでの自分の理解がいかに断片的なものであったのか、例えば、「八紘一宇」とは何かについて、それがどのような時代背景の下で、どのような考えによって流布されたのか、そしてその概念そのものも日本書紀の字面を利用して「作り上げ」られたものであるのかということがよくわかるようになりました。

「皇国史観」、これを私は「植民地主義史観」と捉えていましたが、戦後民主主義の時代になり、「皇国史観」は徹底して批判されて来ました。そして完全に過去のものと思われています。しかし実は、「皇国史観」とは何であったのか、これまで十分に検証されていなかったというのです。長谷川は、「国体」とは、天皇制を柱として「対内的には異民族支配・異民族統合を正当化すると共に、対外侵略を正当化する理念」であり、そして「皇国史観」は、「一九三0年代以後の対外侵略と国民統合・国民動員の正当化の必要に応じて、(日本書紀などの)一連の書物を恣意的に取捨選択しながら作り上げられた歴史観」と簡潔に整理します。

文部省に動員されて歴史書作成に協力していった歴史学者はある意味、戦争への「協力」を求められたと見ることができるのでしょうが、その「戦争協力」の度合いに濃度差があったとしても「戦争責任」は曖昧にされてはならない、同じ歴史研究者として長谷川はその点を自分の問題として受けとめようとします。しかし長谷川は先人を弾劾するのでなく、自分も同じ道に陥ったかもしれないという可能性を見つめながら、先人の言論を丁寧に読み込み批判します。

日本の各団体、運動体も戦前戦中、自身の運動課題の実現のため(という口実で)、こぞって戦争に自ら進んで協力していったにもかかわらず、その責任は追及されず問題点は曖昧なままになっています。部落と女性の解放運動、労働運動もしかり、日本のキリスト教会も同じです。戦争責任告白をしたもののそれは聖職者間での議論に留まり、実際に朝鮮、中国その他のアジア諸国に行き殺戮、侵略行為をし日本の領土拡大をよしとしてきた一般信徒の間でその告白文をめぐる論議がなされませんでした。そして今ではその戦責告白は有名無実化されています。

「皇国史観」と「国体」に対してその当時の文化人、知識人はどのように考えていたのか。辺見庸が鋭いのは、嬉々として軍の慰問に行く文化人の問題点を鋭く見据えながら、自分であればどうであったのかと捉え返し、過去の人を安易に糾弾していない点です。それは、先人を危機的な状況にある現在に生きる自分にかぶらせて捉え、その中で不十分であっても自身の歴史に対する責任を全うしたいと本気で考えているからでしょう。

中野敏男によれば、戦後いち早く日本人の「主体性論」を記した、あの大塚久雄と丸山眞男が自ら戦争協力をするという姿勢を見せなくても、当時の時代状況を無意識にせよ肯定的に反映させた論文を書いていたと言うのです(『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』)。中野の指摘の通り、彼らの戦後の主体性論が、アジアの植民地支配被害当事者を視野に入れず植民地主義の問題を正面から取り上げない水準で展開したことと無縁ではありえないでしょう。

責任問題を含め、社会と自分自身を厳しく検証せずに過去のことを曖昧にしている最大の問題点は、現在の歴史状況、動向に関して過去と同じような曖昧な態度をとっていることです。長谷川が最後に記した、「国体論がその時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」という箇所に私は凍りつきました。

そうだったのか、戦後の日本社会というのは植民地を失くし、日本国統合の「象徴」となった天皇制を柱とする体制をそのまま残し、今の状況に都合よく変質した「国体」だったのか。そう考えると憲法一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国統合の象徴であって、この地位は、主権の存在する日本国民の総意に基く」はなんともやりきれないものに見えます。はやりこの国は、外国人を「二級市民」として受け入れながら、日本人によって成り立つということを全ての前提にしているのです。

横浜の自由社版教科書のことが気になります。横浜全市の中学でこの教科書を使わそうという動きがあるのはどうしてなのでしょうか。これは特殊横浜の問題ではありません。教科書の記述が子供に与える影響が云々されますが、私は長谷川の著作を読み、教科書の記述内容の問題に留まらず、教科書を代えようと画策する人たちが何を企んでいるのかを明らかにすることが重要だと思いました。

それは現在の「国体」の質に関係し、現在および将来の国民国家日本の新たな植民地主義戦略にとって必要なイデオロギーを歴史教科書において正当化し、国内統合を求めようとするものではないでしょうか。その一つが「多文化共生」です。外国人が急増し(外国人労働力を必要とし)、海外市場の拡大を求め、海外企業に資本参加して利益を求める大企業の動向、その方向に国家戦略を定めるには、過去の植民地支配は全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう。しかしそのような手前勝手な認識を中国、韓国その他のアジア諸国が認めるでしょうか。

長谷川の著作の「おわりにー戦後への展望」には主張を裏付ける資料があるわけではありません。これを欠陥とみるのか、問題意識の発露とみて今後を期待しようとするのか、評価がわかれるでしょう。私は後者に与します。

2011年2月2日水曜日

日立の労働組合の実態ー朴鐘碩

「企業内植民地主義」 NO.1 朴鐘碩

The worst sin towards our fellow creatures is not to hate them, but to be indifferent to them: That’s the essence of inhumanity. George Bernard Shaw
(ほかの人間に対する最悪の罪は、彼らを憎悪することではなく、彼らに無関心でいることだ。それこそが、残酷さの本質だ)

「職場討議資料 2011年総合労働条件改善闘争の取組みを主要議題とする電機連合第97回中央委員会議案に関する日立労組見解」を掲載した有料(購読料は組合費の中に含む、1部6円)の機関紙(HITACHI UNION NOW)が、組合員に配布された。「日立労組中央委員会はていきされている議案について慎重に検討した結果、次の見解を以って臨みたいと思います。各支部・分会・単組においては、本見解について十分な職場討議を行うよう要請します」

これまで企業内日立労組の実態について書いてきた。改めて機関紙から問題点をいくつか列挙すると、
1.(私が抗議するから)機関紙は、組合員が不在時に説明もなく配布されるようになった。
2.組合は、「職場討議資料」である機関紙に記載されている議案内容を一切説明しない。
3.組合員に「職場討議」を求めておきながら、議案は「結論」として位置づけ、3万人を超える組合員に配布している。
4.「十分な職場討議を行うよう要請します」と書かれているが、支部、分会、単組は職場集会を開かない。職場討議は一切なし。
5.議案内容の説明もないのに、組合員は何を討議すればいいか、何もわからない。
6.議案内容が記載されず不明なのに、見解は「特に問題ないと考えます」と結論付けている。
7.全ての議案は、組合員の討議を待たず「原案支持」と記載されている。
など、機関紙が配布される度に多くの疑問が沸いてくる。しかし、組合に質問する組合員はいない。定年が近い組合員である私の質問、意見、要望は、依然として無視されている。

機関紙は、一部の組合幹部が勝手に決めたことを伝達する組合員への「通知書」である。「議案は全て満場一致で可決したから、組合員は黙って従いなさい。組合員は余計なことは考えないで、業務に集中して組合費だけ納めればいい」と暗に伝えている。

定年近くなれば、ものが言えない組合員は、我慢して「円満退職」するまで時間に流されていくようだ。「不条理なこと、おかしなことがあっても、波風立てないでおとなしく定年まで我慢すればいい」だけかも知れない。定年近くまで組合員の位置で働く(管理職になれない)エンジニアは稀である。ある年齢に達すると、多くは関連会社への出向、天下りあるいは管理職に昇格する。

日立労組は、組合員の声を無視して全て上から決定していることがわかる。組合員は、機関紙を読まず机上に放置、あるいはそのまま廃棄処分にする。機関紙、議案の内容と関係なく一日の業務に追い込まれ、職場の雰囲気に呑み込まれていく。

組合活動は、組合員の置かれている現実、直面している問題と乖離している。生産活動に従事せず、組合費で生活し、現場と「別世界」にいる組合幹部の日常行動は不明である。現中央執行委員長は、私が勤務する職場の委員長だったが、「昇進」した。支部委員長選挙で私と競い議論した相手である。

今年4月の統一地方選に向けて、横浜市議会議員選挙立候補予定者の選出決定は、候補者自ら「昨年11月30日開催のソフト支部第7回評議員会にて横浜市会議員候補(戸塚区)予定者として御承認を戴きました」と支部労組発行、新年号のチラシに書いている。組合員の中には、「職場で何も知らされていない。なにも話し合っていない。誰が決めたのか。個人で立候補すればいいのに何故組合が組合費を使って応援する必要があるのか」と内心反発し、怒りを感じるものの組合に抗議することはない。

評議員会は、労使双方で職場から予め組合員を指名して、対立候補が出ないように仕組まれた「選挙」で決まる評議員の集まりである。評議員は、組合員の意見を聞かず職場組合員の「代弁者」となっている。その「代弁者」は、評議員会で何も発言しない。上から提起された議案に「賛成」の意思表示をするだけである。組合の独裁的なやり方を批判し、議案に反対することはない。このように議案は全て「満場一致」で可決できる仕組みになっている。これが企業社会の労使一体を前提とする、全体主義という「民主主義」である。

毎年、私は評議員に立候補しているが、残念ながら当選したことはない。当選できない、させないように組合も会社も事前に準備しているようだ。当選しないことはわかっているが、それでも立候補することに意味があると自分を慰めている。

評議員に立候補させられ(し)た組合員に、「自らの意志で立候補したのか、何故、立候補するのか、組合に不満があるのか、どのような組合を作ろうしているか」などの所信を尋ねると彼らは困惑する。沈黙が彼らの返事である。普段、組合に関心もない、ものが言えない後輩の組合員が選挙になると突如立候補させられる。彼らに質問し所信を聞く私が浅はかだった。

企業の正規労働者は、組合員の声を無視し、全て勝手に決定する企業内組合に強制加入させられ、組合費を給与天引きされる。「組合費は税金」と言う組合員もいた。組合を脱退する自由はない。脱退すれば最悪解雇に繋がることもある。組合員は生活できなくなる。文句・苦情を公に訴えれば組合・会社から睨まれ、昇進の妨げになるかも知れない。それより毎日、抑圧的な企業社会の職場環境で取り繕った笑顔を失わないで共に仕事する同僚、上司の冷たい視線に耐えられるだろうか。企業社会で生き延びるためには黙って我慢するしかないのだろうか。しかし、沈黙は「企業内植民地」体制を強化する。

昨年末、西川長夫教授は、植民地主義研究会で「この問題は奥が深い。考えれば考えるほど行き詰まって泥沼に入る。出口が見つかるのか」と語られていました。教授の「国民国家論の射程 あるいは<国民>という怪物について」(柏書房1998年)に(企業内)労働組合をはじめ人権運動体の「反体制運動はなぜ体制化するか-世界システム論的観点から」と、私が知りたかった内容が書かれています。

「反システム運動は、資本主義経済の政治的構造と世界ブルジョア階級の自信を根底から動揺させてきた。しかし、まさにその成功、部分的成功のなかで、これらの運動は資本主義世界経済とその上部構造、すなわち国家間システムを強化してきた」
「反体制運動はなぜ体制化するか。自由民権運動がなぜ国権に、ナショナリズムにとらわれてしまうのか、その必然性といいますか、これはもっと広くわれわれの戦後50年に、われわれが知っている世界の、あるいは日本の歴史過程をずっと見ていっての一つの悲しい結論でもありますが、反体制運動はやがて体制化する、そういう教訓をわれわれは学んでしまった」
「反体制の運動であるから国民国家批判になるかといえばそうではないわけで、むしろ反体制の運動であるからこそ民衆を巻き込んで国民国家を助ける。ナショナリズムを強化するような機能・効果を持ってしまった」と書かれています。

企業内労働者は、生産活動の歯車の一つである。生産から得られる莫大な利益は企業、国民国家を支え強化する。戦後65年、企業経営者、労働運動の戦争責任を不問にしたことは、企業社会から民主主義、言論の自由を追放し、反体制運動を体制化したことにも繋がった。(教育)労働者は沈黙し、ものが言えなくなった。反体制運動が、いつのまにか多くの住民・市民を巻き込み、体制を強化するあるいは補強する運動にもなっている。植民地主義を強化する「労使協働」「共生」のスロ-ガンは、そのシンボルである。

「労使協働」「共生」の矛盾と問題点は何か、を知るには、属する組織が真に開かれた質を持っているか自らの生き方を賭けて確認することかも知れない。