2008年11月26日水曜日

再度の「呼びかけ文」

みなさんへ

29日の川崎市民フォーラムで発表できるように、これまで何度か修正
してきた呼びかけ文をさらに、書き直しました。

勿論これはどこかからぱくってきたようなものではなく、
これまで私たちが日立闘争以来、追い求めてきたことの
ひとつの帰結だと考えています。

しかし多くの方々から教えていただいたこと、アドバイスして
いただいたこと、または著作を通して知ったことをすべてを動員
して私の問題意識においてまとめたものです。関係するすべての
方々に感謝申し上げます。

勿論、これは最終ではなく、ここから始まるものです。みなさんの
アドバイスをお願いします。

これまら師走に向かって寒くなります。お体にご注意ください。

崔 勝久

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阿部川崎市長三選阻止への呼びかけ

<川崎市政に変革をー地域住民を主役に>

何故、阿部三選を阻止しなければならないのでしょうか。
阿部市長は「構造改革」を掲げ、市場原理を最優先し福祉を軽視する新自由主義の政策によって、川崎市民の格差の拡大と貧困化をもたらしました。川崎市の「行財政改革」を目標にした阿部氏は、行政の合理化、民営化を図り、福祉や保育・教育の分野にまで「市場化」「民間化」という競争原理を持ち込むことによって、市民生活に多大な被害をもたらしています。市が1億円を支援した民間保育園の倒産はその一例です。

阿部氏は、「多文化共生社会の実現」を看板にしながらも、いざというときに戦争に行かない「外国人は準会員」と公言してきたことを頑なに撤回しようとしません。外国人を二級市民と見做す考え方は、彼の「改憲」の持論と表裏一体で「戦争をする普通の国」にするということであり、国が憲法で二度と起こさないと約束した戦争に、川崎の住民を加担・動員させていくということを意味します。

川崎市をどのような街にしていけばいいのでしょうか。それは、すべての住民の、憲法で謳われた平和を希求して人間らしく生きる基本的人権、福祉の向上を保証する、「開かれた地域社会」を目指すことにほかなりません。地域住民が主役となるには、地域住民の自治が保障されるように行政の仕組と、市政の根本的なあり方を変えるしかありません。

「戦争をする普通の国」にするための「改憲」と対応した道州制導入によって、住民自治は機能しなくなります。そのような政府の動向に賛同する阿部市長に対抗して、私たちは、地域住民が主役になるためには小さな行政単位の地方自治が必要不可欠であり、地域住民が主役となる住民自治を勝ち取っていくには阿部三選阻止をしなければならないと判断しました。地域住民を蔑ろにする阿部現市長の三選を阻止する運動に賛同される組織、個人のネットワークづくりと共に、阿部三選阻止の署名運動を展開いたします。上記の趣旨に賛同くださる個人、団体の参加を求めます。

私たちは地域住民が主役の川崎市政にするために、以下の具体的な提案をいたします。
1.地域住民が主役、当事者として市政に参加、政策を決定していく区民協議会を設置する。
2.教育・保育や介護、福祉、医療の分野おける行政の責任を明確にして、「民間化」「市場化」の政策を見直し、すべての市民の基本的人権を保障する政策を提言する。
3.大企業誘致や公共事業の推進においても地域の住民の声を反映させ、地元の中小企業を優先する政策と、公共事業に従事する人たちの最低賃金(時給1000円)を保証する条例を提言する。


阿部3選を阻止する川崎市民の会
川崎市川崎区小川町11-13、日本基督教団川崎教会付
電話: 090-4067-9352、Fax: 044-599-0609               
eMail:skchoi777@gmail.com

2008年11月24日月曜日

川崎の民間保育園の倒産の意味すること

みなさんへ

川崎市の職員から私に送られてきたメールで、倒産した民間保育園に 莫大な援助金が支払われていたという事実を知りました。

これを無駄遣いという観点から記されていますが、この事件は新自由主義政策に基づいた政策によるもので、本来、行政が責任をもつべき保育行政について、規制緩和 によって、民営・民間に保育園を経営させていたがゆえに、起こるべきして起った 事故です。神戸大学の二宮教授が行政の責任放棄によってどのような事態が起こるのは多くの著書で指摘されていましたが、まさにそのとおりのことが起こったようです。

川崎市政に変革を 住民が主人公ー阿部三選阻止を

崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com携帯:090-4067-9352

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川崎市の職員からのメール

市職労の仲間のみなさん。
保育園の民営化の実態として以下のことが雑誌「AERA」に掲載されていたということ。 これが、阿部行革の正体の一つなのでしょうか。この件でもっと詳細な事情をご存知の方、 お知らせください。

首都圏を中心に29か所の保育園や学童保育所を経営していたエムケイグループが、経営難を理由に 突然11月から全園を閉鎖した問題を取り上げた記事でした。

「泣きながら家に電話して、帰宅していた夫を呼び出した。夫はすぐに車でかけつけて事情を聞き、 園内から運び出した子どもの着替えなどを憮然とした表情で車に詰め込んでいた。」・・・ ~2歳の子どもを認可保育園「上小田中スマイル保育園」に預けていた川崎市高津区の会社員女性(36)~【AERA】

また、「溝口スマイル保育園」も・・・・
そのエムケイグループに対して川崎市は、約1億1200万円の補助金を支払っていたとのこと。 民間に任せてコストを削減したつもりが、短期間で撤退されたため、1億円もの税金がムダになったことになります。

2008年11月23日日曜日

阿部川崎市長の「道州制」についての見解

市長記者会見記録日時: 2 0 0 8 年6月3 日( 火) 午前1 1 時0 0 分~ 午前1 1 時5 5 分

( 道州制について)
記者: この前、道州制の線引きみたいなものが出ましたけれども、市長は道州制については、どのようなお考えをお持ちでいらっしゃるのでしょうか。

市長: 国の権限を道州に移して、そして今の都道府県の権限を市町村に移すというような形で、住民に近いところにどんどん権限を移す。あるいは、規制をなくしていくという考え方で道州制を進めるというのは賛成です。基本的に霞ヶ関1箇所、永田町1 箇所で全部国民の細かいところまでコントロールをしていくというのは無理な時代になっていますので。ですから、もう少し身近なところで制度構築をするなり、地域の特色をもう少し活かせるような仕組みになるのが望ましいと思います。極端にいえば、北海道の通貨は本土の通貨より2割ぐらい安くしてもいいのです。そこまでできるかどうかなのです。そうすると、北海道の農産物が売れるようになるわけですよね。だから、そこまで道州制を考えると非常に素晴らしい制度になると思います。北海道円というようなものをつくって。

阿部川崎市長三選阻止への呼びかけ

阿部川崎市長三選阻止への呼びかけ
ー川崎市政に変革を 住民が主人公ー

何故、阿部三選を阻止しなければならないのでしょうか。
阿部市長は「行政改革」を掲げ市場原理を最優先し福祉を切り捨てる新自由主義の政策によって、川崎市民の格差をますます拡大してきました。川崎市政の財務改善を目標にした阿部氏は、住民を中心とした政策でなく、市場原理による行政の合理化、民営化を図り、福祉や教育、医療の分野にまで競争原理を持ち込む体制によって、市民生活に多大な被害をもたらしています。住民無視の市政であったと言えましょう。

阿部氏は、当選した当時から、外国人はかけがいのない市民として「多文化共生社会の実現」を看板にしながらも、いざというときに戦争に行かない「外国人は準会員」と公言してきました。外国人を二級市民と見做す考え方は、憲法を改悪して戦争に備えるという彼の持論と表裏一体です。
川崎市をどのような街にしていけばいいのでしょうか。それは、すべての住民が憲法で謳われた人間らしく生きる基本的人権を求める「開かれた地域社会」を目指すことにほかなりません。そのためには、住民が主人公となるように政治の仕組みをはじめ、市政の根本的なあり方を変えるしかありません。戦後60年経ちましたが、川崎を真の民主主義の街にすることで、日本は勿論、世界中にそのメッセージを発信することになるでしょう。

道州制が具体化される中で、私たちは住民が主人公になる街づくりをするためには、道州制を推進しようとする阿部三選阻止をしなければならないと判断しました。阿部三選阻止の運動に賛同される組織、個人のネットワークづくりと共に、阿部三選阻止の署名運動を展開いたします。上記の趣旨に賛同くださる個人、団体の参加を求めます。

私たちは住民が主人公になる市政という原則の下で、以下の具体的な提案をいたします。
1.住民が当事者となって参加・決定していく区協議会を設置する。
2.教育・保育や介護、福祉、医療の分野おける行政の責任を明確にして、すべての市民の基本的人権を保障する政策を提言する。
3.大企業誘致や公共事業の推進においても地域の住民の声を反映させ、地元の中小企業や労働者、一般市民を中心にした政策を提言する。



阿部3選を阻止する川崎市民の会
川崎市川崎区小川町11-13、日本基督教団川崎教会付
電話: 090-4067-9352、Fax: 044-599-0609
eMail:skchoi777@gmail.com

2008年11月22日土曜日

N教授への手紙ー国民国家の呪縛に抗して

拝啓 N教授

N教授、もう日本に戻れらたのでしょうか。韓国での学会はいかがでしたか。
先週、訪韓の前日のお忙しいときにわざわざ私のために時間をとってくださり、ありがとうござました。心より感謝いたします。私の話をじっくりとお聞きになり、川崎に来てみたいとおっしゃったので、私は驚きました。「文明・文化」論は普遍的なものでなく、フランス、ドイツの国民国家を成立させるためのイデオロギーであったと看破され、国民国家の本質を突き、現在の新自由主義とは新植民地主義であり「多文化共生」はその流れの中の施策と理論展開されるその背景に、ご自分の足で東北中国、韓国の「多文化共生」が語られる、あるいは外国人が国民国家の中で生きる現場を見て、そこで生きる人の話を聞くなかで、理論構築されるのかと改めて思いいりました。


さて、N教授が私たちの本(『日本における多文化共生とは何か』)についての感想で、私たちの主張を理解されたうえでなおかつ、それでは私たちが民族の歴史にどのように関わるのかということが気にかかるとおっしゃいました。私は応えることができませんでした。ただ足ものと闘いであった日立闘争が、韓国の民主化闘争の中で韓国との共通の闘いになり、裁判勝利に関しては韓国の新聞がこぞって朴鐘碩の「告発精神」から学びたいとあったことを例にして、私たちの足もとでの闘いが民族の歴史の中で評価されるようになったように、在日の人間としての在り方を求める行動が、民族の歴史との関わりの中で何らかの解釈・評価をされるのではないかという私の思いを話させていただきました。

しかしそ私の発言は十分なものでないということを私は自覚をしておりました。特に、立命館でのシンポジュームで民族主体性、アイデンティティが強調されればされるほど、徐勝氏や、朴裕河・上野千鶴子両氏を批判する金富子氏たちと、民族の主体性の相対化、具体的な足もとの闘いを主張する私の考えがどこでつながるのかを考えざるをえませんでした。それは言いかえれば、私の主張は、民族の歴史の中できっちりと位置つけたものでなければならないということです。

第二セッションの康成銀氏(朝鮮大学校)によると、「在日コリアン社会における「分断体制」」という発題をしそのレジュメの中で、総連の元になった在日の組織が1950年に「民戦」(在日本朝鮮統一民主戦線)を作ったということが記されています。「民戦」は独自の組織でありながらも、日本共産党から直接・間接的な指導を受け、日本の革命活動を担おうとしました。52年には北朝鮮(共和国)から路線転換方針がだされますが、その間、日本人と革命運動をした「民戦」の活動を康氏は、「一時、路線上、方針上の誤りを犯します」と記しています。その後、コミンテルンの指示があり、55年に日本共産党の「六全協」で、組織的にも日本共産党と朝鮮人の関係は切れます。そのとき以来、共産党は国籍条項を設定し現在に至ります。革命運動を日本人と一緒にしてきた朝鮮人は、共和国の在外公民として総連の活動をすることになります。すなわち、在日の活動家は、日本に関しては内政不干渉を貫い、国民国家を大前提にするようになったということです。

徐勝氏や金富子氏やその他シンポに参加した在日の元活動家の学者もまた、国民国家、Nation Stateという枠組みを前提にし、韓国の民主化と分断国家の統一を求め、在日として民族主体性を求めたそれぞれの政治的な活動を担ってきたのだと私は考えます。彼らは従って、ナショナル・アイデンティティを批判的にみる、あるいは民族主体性を相対化する主張は基本的に受け入れることができないのだと思います。

しかし私は今、祖国の分断・戦争を見ながら日本人コミュニストと日本の革命を行うしかないとトランスナショナルな行動をした当時の朝鮮人の気持に感情移入します。ひょっとすると私の主張はその範疇に入るのかもしれないとさえ感じます。勿論、革命に対する考え、価値観は根本的に変化しました。新左翼の諸君はいまでも革命をスローガンにした運動をしているようですが、私はそこに参加したいとは思いません。戦後60年、今の新自由主義の(N教授は、それを新植民地主義と看破されました)世にあって、革命ではなく、何によって資本主義をベースにした市民社会にあって人間解放は可能なのかという、現代の最大の課題にぶちあたります。小賢しく提案されるようなものではなく、多くの世界の賢人・活動家が模索していることなのでしょう。

私は上野千鶴子氏の「当事者主権」に注目します。女、朝鮮人であることのルサンチマンから現実の変革を求めるという点で、私たちは同じような感性を持つのかもしれません。在日の市民運動体や民団は「共生」を掲げ、戦後日本の既存の考え方、政治的な仕組みを前提にしてそこへの「参加」を求めます。参政権は公明党、民主党が植民地支配の総括からではなく、自党の拡大のために在日を利用していると私は感じています。韓国は、在日に国政参加の権利を付与する準備にはいりました。これもまた韓国の海外国民への影響力行使だと私は考えています。しかし在日の介護、保育、福祉、教育などの問題は日本人にすべて託すべきことなのでしょうか。どうして在日が当事者として主張し権利を獲得できないのでしょうか。私は今回関西で、これまでの制度に在日が埋没するのでなく、在日がまさに地域の住民として自己主張し権利を獲得する民主的な制度を作っていける可能性があることがわかり、呆然としました。

戦後60年の日本の代議員制度でなく、また道州制という新自由主義に基づく制度改革でなく、日本人地域住民自らが政治の主人公になっていくような直接民主制を人口10万人くらいの区を基礎にしたものにできるのではないかという考え方と、それが実際の京都の市長選で提起されたことを知りました。しかし残念ながら京都ではその主張した候補は負けましたし、区を中心にした政治制度の改革に外国人もまた参加し、選挙権・被選挙権をもち、予算を獲得した独自の判断・行動が可能になるというその理念が十分に展開されたとは言えません。その京都市長の候補者の考えによると、今問題になっている参政権のような国会決議は不要で、市長が発議して条例で決行できるのです!

民主党が政権をとっても、あるいは自民とひとつになっても、新自由主義信奉者は道州制に移行するのではないかと思われます。そうであれば市民(住民)は自分で決定し実行する小さな場を確保しなければ未来はないと思います。植民地支配の総括というものもまた、国会決議でなされるべきものですが、これは時間がかかっても市民(住民)が地域において当事者主権を行使する実践(訓練)を重ね、そこで自立する人間が形成されるなかで歴史の問題や、韓国との関係もまた新たな展開になるのではないのかと私は考えるに至りました。

ごめんなさい、N教授の一言の「宿題」が胸にささっていたものですから、ずっとそのことを考え、このようなメールの中で自分の考えをまとめました。舌足らずなメールで申し訳ございませんが、ご理解いただければ幸いです。私は、川崎での阿部三選阻止の準備をする中で、もっとしっかりとした在日の解放の理論、民族の歴史にとどまらず、人間解放を目指す世界の歴史の中における理論というものを考えていきたいと思います。

そもそもデモクラシーというものは古代ギリシャから始まったものですが、その都市国家の中では女性・外国人は発言権がなく、またフランスの人権宣言以来の国民国家においてもその状況は変わらなかったものと理解しています。そうであれば、戦後60年過ぎ、過去の植民地支配の総括が
できず、新自由主義による資本主義の末期的な症状さえ見せ始めているこの日本社会において、地域という狭い生活空間において住民が当事者として発言して自分の考えることを実行していくというもっとも重要なステップを歩みはじめるというのは、まさに快挙ではないか、その歩みに在日もまた一緒になって住民として行動を共にすべきではないのかという思いが募ります。N教授、私の思いは単なる夢物語なのでしょうか。また機会があれば、ご助言いただければと願います。

こちらも寒くなりました。京都はもっと寒いのでしょうね。ご自愛ください。ますますのご活躍を祈っております。いただきましたご著書、しっかりと読みます。
崔 勝久拝

2008年11月17日月曜日

立命館大学のシンポジュームを終えてー個人的な感想

「浮遊する在日コリアンー同化と差別のなかで」を主題にした、立命館大学コリア研究センター主催のシンポジュームに参加をしました。

11月14-15日の2日間、六つのセッションに参加した人は約30名で、聴衆した人は延べ150名という大がかりなものでした。

第一セッション:米占領下の在日コリアンと民族運動
第二セッション:南北分断体制下の在日コリアン
第三セッション:脱植民地・過去清算と在日コリアン
第四セッション:在日2世、3世の時代とアイデンティティ
第五セッション:グローバル化の中の在日コリアンー植民地・帝国・民族・国民・市民権
第六セッション:大討論:「在日論」再考

私は「大討論」の4人のパネラーとして20分の発題を事務局から依頼されて出かけました。
参考までに、司会は、尹健次(神奈川大学)、パネラーは、朴一(大阪市立大学)、鄭暎惠(大妻女子大学)、竹田青嗣(早稲田大学)、高演義(朝鮮大学校)、崔勝久(外国人への差別を許すな・川崎連絡会議)というメンバーでした。

とにかく第1-5セッションも同じようなパネラーの数で、それぞれが20-30分(20分を超える人が大部分)の発題をして全体で2時間15分というだからそれだけで時間一杯で、ほとんど討議、フロアーからの質問なしで、議論は最後の「大討論」に持ち込まれるということらしく、私と同じパネラーの鄭暎惠さんとはどうなることか苦笑をしていました。 

さて司会を含め、第六セッションの全員がそろったのはパネルが始まる4時直前で、それまでのセッションでの質問を討議するようなことはそもそもできない相談でしょう。いや、それどころか、何日も時間をかけて20分の発題の準備をしてきたのに、司会者の「命令」でなんと、急遽、5分で要約して話してくれと言うことになりました。いやはや、さすがに温厚な竹田さんも「それはちょっと、アンフェアーではないか・・・」と話されましたが。

私を含めパネラーはそれぞれ、事前にレジュメを送り、2-3時間くらいたっぷりと話せるだけの準備をしていたので、このセッションだけでもおそらく何日にもわたって話ができたでしょうね。それに徐勝さんをはじめ30名近い論客がきているので、1週間くらいかかっても、民族主体性については語りつくせなかったでしょうね(でも、それってやってもおもしろいですよね)。

私の趣旨は、民族主体性を求めるという姿勢が結果として、在日の生きる現場を直視し在日が当事者としてそれを解決すべく声をだしていくことになっていない(たとえば、介護・保育園・学童保育・医療問題・中小企業の問題など)、在日もまた地域住民として、国籍に関係することなく、参加・要求していく道筋を求めよう、それはまさに日本人自身の戦後の課題であるということでした。参政権や国籍にしても、既存の組織・機構の仲間に在日も入れてもらうということでなく(それは「埋没」であり、新しい社会作り「変革」ではない)、新たな地域(世界)を足元から創っていくという呼びかけでした。

(各パネラーの準備したレジュメは十分に考察を重ねたものであることは一見してわかります。関心のある方は連絡ください。)

パネラーは市民社会の本質論から、民族主体性論までそれぞれ発題をしただけで議論にはならなかったのですが、資料集がでるということなので、御期待あれ! 私への批判としては、崔は民族イデオロギーといって民族を政治的なものだけに矮小化している、民族主体性を最優先するのでなく相対化するべきと言ってるが、崔自身は民族的な主体性をもっているのではないか、崔のいう足元というのは植民地時代でも朝鮮人は飯を食う日常があったのだから、現在の東北アジア・政治状況というものにかかわるべきというものであったように思います。

ともあれ、今回初めて私のメールを受け取った方は京都で出会った方で、意見の違いがあってもこれから議論を続けていける、また何か一緒にやるべきことがあれば協力しあってやっていけると思いました。よろしくお願いします。機会があれば地域でも学校でも結構ですから、呼んでください。日立闘争と韓国のKBS(「小さな勝利」-日本語版)のCDもあるので、活用ください。

最後に、主催者側の期待に添えられなかったかもしれませんが、呼んでくださったことを心より感謝します。意見の違いなんて大したことではなく、このように顔を見合わせて話し合うことができればそれに勝るものはありません。徐勝さんをはじめ、コリア研究センターのスタッフのみなさん、御苦労さまでした。本当にありがとう。

なお、このメールは「共生を批判する」ブログに掲載されます(http://anti-kyosei.blogspot.com/)。
「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」(http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index.html
なお、私の主張する根拠となる地域での「共生」批判の内容については、この7月に出版した本を
参照ください。在日と、フェミニズムの立場から「多文化共生」について、それぞれの経験を元にして記しています(『日本社会における多文化共生とは何かー在日の立場から』(崔勝久・加藤千香子編著 新曜社)。在日は日立闘争当該の朴鐘碩の日立入社後の生き方について、「民族保育」について、またフェミニズムの立場からは上野千鶴子さんが書かれています。

崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

2008年11月3日月曜日

川崎の市議会の改革を求めるYさんへの手紙

Yさんへ昨日は、御苦労さまでした。いい集会でしたね。私も「三権分立」は学校で学び知っていましたが、なるほど、地方においても行政と議会の役割があるということを改めて認識いたしました。そのとおりだと思います。

YさんのメールにYさんのお気持ちが記されていますね。

議会改革は行政の上に立つ政治の復権の問題と考え、それも今がタイミングだと思って います。また、私自身は議会の活動を知ることを通して行政の全体像を知るという方法論 をとっています。それが行政をまとめて理解する効果的なアプローチだからです。

Yさんの市議会の改革を求めるご意見、ご活躍は改めて大変重要なことだと再認識しています。
(「ブログ」 川崎市政との対話 http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/

昨日の私の質問で少し触れましたが、以下、私のコメントです。
1.市民の責任・権利というときに、外国人はその中に含まれているのか
2.市民に議会への関心を持たせる(持ってもらう)意義は理解できるが、行政、特に圧倒的に市民の  生活に直結する首長の在り方はどこで議論されるのか


議会制民主主義、特に地方自治体の役割が明確になったのは戦後だと思われます。今、地方自治の自立、重要性が特に注目されていますが、この論議は、実権としては国の影響力がさらに強化されるのか、市民が文字通り地方自治の中心になるのかの綱引きではないかと認識しています。Yさんは市議会の在り方に疑問を抱き、その変革を求めていらっしゃるのであり、市民への啓蒙を第一義的に考えていらっしゃるということではないと理解しています、いかがですか。今、市民の抱える問題は 実際は深刻です。しかし東京を中心にした関東地方は日本でも最も豊かな ところで、新自由主義の影響においてもそのメリットを享受している人が多いのではないかと思われます。内橋克人の本で指摘される規制緩和や格差の拡大の 被害が顕著になっているこのときに、意識ある人は何に注目し、注力すべきなのか、Yさんは市議会の変革と市議会に対する市民の関心と捉え捉えていらっしゃるように思います。

私は、阿部三選阻止、即ち、行政の在り方、特に首長の思想、施策が実際に どのように川崎市民に影響を与えているのかの実態把握と、骨太の対案を 出すことの重要性を強調したいと考えています。自民・公明・民主各党は 与党として阿部市政を支え、基本的に市長を批判できない立場です。それは議員 としての自覚が足りない、質問内容が貧弱だということより、今の地方自治体の 実態、力関係を表していると思われます。

だからこそ市議会への関心が大切という議論に関しては同意しますが、圧倒的に、 市民への直接的な影響力を行使している首長の在り方を不問に付すことは問題の 本質を曖昧にするように思えます。この点、Yさんはどのようにお考えなのでしょうか。

阿部市長は、革新市政に対抗して、中央の小泉・川崎の阿部というスローガンで 立候補して当選した人物です。特に財政問題に関しては新自由主義的な発想 から改革をはじめ、基本的には福祉を軽視し、民営化と行政の合理化によって 財政問題の解決を図ろうとしてきました。それが功を奏していると公表されていますが、 実際の市民の被った被害は大きく、財政の実態そのものも定かではないと私は 危惧しています。 福祉・教育という面では、今日の新聞でも明らかになっているように民間の保育園がつぶれました。これは資金繰りに協力しなかった金融機関の問題というより、そもそも保育に責任をもつのは誰か、それを民間企業にまで任せた規制緩和を した行政の責任を第一義的に問うべきです。学童保育もなし崩し的に崩され、 わくわくプラザが作られました。

そのほか、国政レベルでの責任以前に、地方自治体で実行できることが多々 あるように思えるのです。老人・介護・教育・非正規社員の取扱い・失業率・ 大企業の税制の問題などなど、実際に川崎の市長の決断でできることがあると、 私は考えています。この点、いかがお考えでしょうか。

私の編著『日本における多文化共生とは何かー在日の立場から』(新曜社)は 御一読いただけましたでしょうか。阿部市長が当選時から一貫して、 戦争に行かない外国人は「準会員」(=二級市民)と発言し、撤回しません。 また採用した(試験に通った)外国籍公務員には昇進を禁止し、タバコの投げ捨てを中止させる職務さえ、「公権力の行使」として外国籍公務員には制限して います。これらは市長の決断だけで、議会にかけることなく解決できるのです。 戦争に行かない外国人というのは、そもそも戦争しないことを国是とした憲法を軽視した考えです。

ということで、私は阿部三選阻止を是非、実現させるべきだと考えています。 この点Yさんは別に阿部三選は構わない、大した問題ではないという お考えなのでしょうか。どのような形であれ、私は阿部三選阻止について Yさんの御協力をお願いしたいと思っております。

私にできることがあれば協力させていただきます。Yさんの議会改革を求めるお考えとご活動には賛同し、また敬意を表します。同時に、来年に迫った市長選に備えて何をすべきか、この点に関してもYさんのご意見・アドバイスを お願いいたします。 だんだん寒くなりますが、御自愛ください。 またお会いしてお話することを楽しみにしております。

崔 勝久
SK Choi
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2008年11月2日日曜日

「社会的弱者の連帯」を、上野さんのインタビュウーから


みなさんへ

11月2日、本日の朝日新聞で上野千鶴子さんのインタビューが載っています。 「衆院解散見送りで」「社会ビジョン選び直しへ」というタイトルです。

インタビューですから、どこまで本人の真意が正確に表わされているかわかりませんが、一応、正確であるとして上野さんの意見を参考にして、川崎の状況を考えてみたいと思います。

「次の総選挙は、日本社会のビジョンを選択する選挙」になるという位置つけで議論が展開されます。 ふたつのシナリオが想定され、ひとつは、アメリカ化といわれるネオリベラリズム(新自由主義)型改革路線で、これまでの日本が突っ込んできた方向です。

もうひとつはヨーロッパ型の社会民主主義路線。「市場万能主義に対して市場の限界を認めたうえで、 そのリスクをやわらげるために再分配・社会連帯の原理」をもとにするビジョンということなのでしょう。
「麻生政権は改革を否定してばらまき路線に戻る反改革守旧派政権で、・・・論外」として、彼女は社民路線に舵を切ることを提示します。

安心を高めるためには国民の6割以上が高負担に応じてもいいという意識調査結果を紹介しながらも、基本的に民主党に対しても「市民が負担を託す政府を信頼していない」と断じます。彼女はここで大胆にも民主党を選ぶ他に、「自・民の大連合の可能性」を示唆します。総与党化の方向に雪崩を打つ危険性もありながらと言うのですが、ここは意見がわかれるでしょう。

大きな賭けであるが、日本ではまだ介護保険を実現させたのは「社会連帯」が死語になっていない証拠として、格差に苦しむ若者のデモを上げながらその社会連帯に彼女は注目します。高齢者も「一種の中途障害者」であり、誰でも社会的弱者になる可能性があり、それは社会連帯でないと守れないことを強調します。最後に、手遅れにならないうちに、「社会的弱者によるアクションが必要」であると結んでいます。

以上が上野さんのインタビューの内容です。来年、市長選を迎える川崎の状況の中で、以上の彼女の見解はどのような意味をもつのでしょうか。まず川崎では麻生政権とは違い、阿部市長がリーダーシップをとり財政危機も民営化・合理化によって、また駅前の都市開発も成功して、キャノンのような大企業の誘致も行いよくやっているという評価が高いようです。福祉・介護の分野でも大きな失政をしたという声は今のところ広がっていません。阿部市政に反対してきた市民運動も半分はあきらめてどうしようもないという声さえ聞こえてきます。市職員の組合も阿部市政に真っ向から問題提起をして新たなビジョンを提示するという機運はないようです。民主党は与党として自民、公民と一体化して阿部市政をそのまま認めるような様子です。

国政レベルでの政権交代は地方においても大きな影響を与えるものと思われます。しかしそのような 外部の風に頼らずに、まず阿部市政の何が問題なのか、こんなもんだと思いこまされている多くの市民の本音のところで渦巻く不安の内容を明確にすることが何よりも重要です。

私はここで上野さんの提示する「社会的弱者によるアクション」「社会連帯」という言葉に注目したいと考えます。私の言葉では、「社会的弱者の連帯」です。高齢者、非正規雇用を普通のことと考え格差の拡大に不満と不安を募らせる青年たち、障害者、低賃金に甘んじる労働者、ここに私は「社会的弱者の連帯」に在日外国人も参加すべきだと考えています。戦争に行かない外国人は「準会員」という発言に、この間平和を希求してきた市民が賛同するはずはありません。この「社会的弱者」の大きなうねりが「連帯」という形をとり、阿部市政の市場原理主義主義的な思想・政策に否を突きつけ、地方自治体の明確なビジョンを市民が中心となって明示することが何よりも重要だと思います。

在日の生き方を求めてきた私は、在日という領域を設定しその中に押し込まれることを拒否します。
今選挙権がなくとも、川崎市民・住民として、私たちの住む地域社会の進めべき道に対して自分たちの意見を出していくのは当然のことだと考えます。何を躊躇することがありましょう。ここで在日が社会の弱者の立場に立ちきれるのか、それとも強者の立場にすり寄ってその仲間入りを求めるのか、岐路
に立っていると思います。後者の立場だと、新自由主義歓迎、自己責任、格差の拡大は仕方がない
ということを在日が主張するということになります。さて、読者のみなさん、いかがでしょうか。

崔 勝久
携帯:090-4067-9352