2007年10月16日火曜日

共生を「共生」として批判する視点についての試案

7・15「共生」を考える研究集会の報告集をだすにあたって、どのような
視点で、 「共生」批判をするのか、「前書き」の骨子を考えています。

1.日立闘争から地域活動への歴史在日の生き方として、韓国の民主化
闘争支援、統一への係りという本国指向から、日本の地で足元の差別の
現実を 直視する流れとして日立闘争を捉える
①国籍条項との闘い→金敬得の弁護士資格獲得→外国籍公務員として
鄭香均の「当然の法理」との闘い
②民族運動としての地域活動→民闘連の結成
a)市に対する国籍条項撤廃の動き
b)教育を中心とした地域実践のはじまり

2.指紋押捺との闘い→地方自治体から国家への問題提起(入管法
改悪で、指紋押捺をニューカマーに実施させることになり、外国人の分断
統治への反対運動ができなかった総括が運動側にない)

3.共生を旗印にした行政との関係強化
a)ふれあい館の建設
b)門戸開放→「運用規程」による差別の制度化(「当然の法理」の正当化)
c)外国人市民会議の創設d)市としては総合的な外国人施策を打ち出す⇔
外国人住民の二級市民化

●以上の1-3の流れから共生ということが在日の運動の中から提示され、
定着してきたものと理解する

●その共生の動きを、何故「共生」としてとらえ批判するのか
1.国家としての南北朝鮮に依拠せず、個人(「市民」)の立場から始めら
れた 民闘連は、運動方針、運営方法から存在意義が大きく退歩(現在は、
解散宣言をしていないだけの状態か?)、また組織運営上の公明さ、情報
公開の面でも、市の組合の関係、他組織との関係の深さにかかわらず、
市民運動としての資格なし(運動体としての実態はない)

2.地域における民族差別と闘う砦と位置付けられていた(社)青丘社は
ふれあい館建設によって、市の委託事業者から指定管理者になり、
民族差別と闘う主体が曖昧になる→民闘連との関係性が不明→教育
事業体で、そのうえに運動体たりうるのか⇔市の民営化路線に便乗・加担

3.民闘連とふれあい館(青丘社)を一体として捉えても、運動の目的が
定かでない→参政権獲得運動?(最近、川崎市職員組合と集会をしたとか)
⇔足元の差別の直視という原点からすると、その運動は、二級市民化の
拒絶であるべき

4.川崎市は外国人を国籍に拘らず市民とするのか、不明(「かけがいの
ない一員」としながらも「外国人市民」として一般の日本籍をもつ市民とは
区別をするー1973年に国籍に拘らず市民としようと意図した地点から
退歩)→外国人は二級市民と断定(市長の「準会員」発言、差別を制度化
した「運用規程」及び、今回の改悪)

5.共生を求める運動であるならば、外国人を国籍にかかわらず「市民」
としてみとめさせることが、この間の運動のレーゾンデートルであるべきで
あるにもかかわらず、市長の、外国人は「準会員」という発言を撤回させ
られないでいる→二級市民の拒絶の不徹底

6.青丘社の李理事長は、市長の「準会員」発言を撤回させるより、
「口封じ」することで、市長の発言の責任問題を沈静化する働きをした→
運動体として致命的な過ち→二級市民であることを拒絶せず

7.運動としては市当局と柔軟に妥協をしても、運動の原則は明確に
すべき(外国人も国籍にかかわらず同じ市民であるべき=二級市民
の拒絶)であり、全ての情報公開が原則

8.外国人市民代表者会議のもつ曖昧さを指摘せず、共生のシンボル
として行政と運動体は賛美してきたが、これは「ガス抜き」(上野)であり、
何ら決定権もなく、参加者の選定、役割りも曖昧、市の職員が全て
お膳立て ⇔市の「パターナリズム」(上野)

9.行政の共生は外国人(住民)を二級市民として固定することであるが、
今の運動体(民闘連・青丘社)はそのことを拒絶せず、事業体になることで
市の施策に反対できなくなっている⇔行政と青丘社の唱える共生を
批判する最大の理由

10.ふれあい館は市の委託事業者(指定管理者)であり、対市の関係性
が曖昧になる→館長発言(市に抗議するようなことをしないで、ふれあい館
に来ればよい)→地域の在日の代理人としての役割りを自認する体質に
なる
(市の施策に批判的に対峙せず、事業の規模拡大路線から起こった
問題として、学童保育を撤廃してその民営化路線として始まった「わくわく
プラザ」におけるふれあい館の「事件」がある。子供の頭蓋骨骨折という
「事故」がどうして起こったのか、書類送検されたにもかかわらず、
責任者が誰もでてないということは説明不可能ー本来であればふれあい館
が「わくわくプラザ」の問題点を指摘し、子供の安全のために自ら市の基準
以上の体制を組むべきだったのは?)

11.少数者にとっていいことは多数者にとっていいことだと運動側は
唱えるが、例えば、外国人の門戸開放という大命題のために設置された
「運用規程」が市全体の中長期的な合理化政策に基づくものであることを
敢えて看過してきた

12.「要求から参加へ」という運動側のスローガンは、外国人を二級市民
とする市の方針に対抗できず、社会の変革でなく、埋没をもたらしている、
またその参加なるものは、市が許容する範囲内の中でしか実現できて
おらず、その枠を突き破る主体(運動、思想の両面においても)になり
えていない

●結論として、私たちの「共生」批判は、市当局の外国人を二級市民として
とらえようとする制度、首長の発言に反対するものであり、運動側への
批判は、行政との協同作業が事業化することに進み、二級市民である
ことを拒絶しようとしていないばかりか、地域住民にその情宣活動も一切、
していない(情報公開の原則から離脱)⇔今後、外国人を市民として
認めさせる運動を展開すべきか?

●この外国人を二級市民化する動きは、そもそもの国民国家の成立の
ときから、女性と外国人を排除することから出発していることと符合し、
労働力不足を外国人労働力でまかなおうとする経済界の要望に
こたえながらその外国人を二級市民としておいて置こうとする国家戦略
とそれにあわせる地方自治体の施策である、というのが「共生」批判の
骨子になる。

以上の私のまとめ方に対しての皆さんの意見はいかがでしょうか。
●「多文化共生」は原理的にナショナリズムを肯定し、日本のナショナリズム
の攻勢への抵抗になりえない
●最後に、上記1の運動を一緒にやってきたにもかかわらず、片方は行政
との提携を共生として推進し、国家・市当局の外国人の二級市民化
反対しないことに反して、私たちはどうして「共生」批判をして、二級市民化
を 図る発言・制度の撤回・反対を求めるようになったのか?
私見では、それは日立闘争の位置付け、意味付けの違いからくるものと
思います。
また、それは地域の中で、官僚化し、「反権力の権力」になりつつあった
青丘社の地域活動(体)に疑問を呈した、保育園のお母さんの問題提起を
どのようにとらえようとしたのかに起因するものと考えます。

下記、論文を読み、私の主張の妥当性についてみなさんのコメントを
いただけますか?
(曺慶姫の桜本保育園の「民族保育」を考えるー自立を求める歩みの中で) http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_41.htm 参照   
                                 
崔 勝久

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