みなさんへ
12月に入ったなと思ったら、もう第二週ですね。既に忘年会や集会などでみなさん、お忙しいと思います。私のように呑み過ぎにはご注意ください(笑い)。
「市民の会」とは、「新しい川崎をつくる市民の会」のことです。昨年の市長選で、阿部市長候補に対抗する候補者をお呼びして1000名集会を企画しました。しかし3名の候補者は全員、まるで言い合わせたように、集会当日、午後になって集会参加をキャンセルしてきました。それでも70名以上の人が会場に集まり、「新しい川崎をつくる市民の会」を作るべきだという声に応えてつくったのがこの会です。
この一年で「市民の会」がどのような歩みをしてきたのか、「市民の会」事務局の最長年者が「市民の会」記録のHPを作成し、学習会の実施、ブックレットの発行、市議会への陳情書の作成、臨海部や「国内植民地主義」や「多文化共生」に関係する論文などを整理してくれました。4-5時間にわたる学習会のテープ起こしも大変な作業だったのですが、公表できることを心より感謝します。是非、一読下さい。
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/
なお、「市民の会」の公式のHPは別途、この一年の歩みを総括し、中長期的にどのようなことをなすべきなのかを思想的に、実践的に模索していきながら公表したいと思います。いずれにしても3年後の市長選には、臨海部の産業政策、外国人の政治参加(国籍条項の撤廃)、住民主権に基づく地方自治の具体的なあり方などについて、私たちの意向を反映させることができる市長候補を擁立したいものです。
川崎における多くの市民運動に携わっているグループ、個人との連携を深め、違いよりは共通点を見つけ出し、3年後に備えたいとねがってやみません。みなさん、よろしくお願いいたします。
2010年12月6日月曜日
「市民の会」の一年の歩みをを振り返って
みなさんへ
12月に入ったなと思ったら、もう第二週ですね。既に忘年会や集会などでお忙しいと思います。私のように呑み過ぎにはご注意ください(笑い)。
「市民の会」とは、「新しい川崎をつくる市民の会」のことです。昨年の市長選で、阿部市長候補に対抗する候補者をお呼びして1000名集会を企画しました。しかし3名の候補者は全員、まるで言い合わせたように、集会当日、午後になって集会参加をキャンセルしてきました。それでも70名以上の人が会場に集まり、「新しい川崎をつくる市民の会」を作るべきだという声に応えてつくったのがこの会です。
この一年で「市民の会」がどのような歩みをしてきたのか、「市民の会」事務局の最長年者が「市民の会」記録のHPを作成し、学習会の内容、ブックレットの発行、市議会への陳情書の作成、臨海部や「国内植民地主義」や「多文化共生」に関係する論文などを整理してくれました。4-5時間にわたる学習会のテープ起こしも大変な作業だったのですが、公表できることを心より感謝します。是非、一読下さい。
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/
なお、「市民の会」の公式のHPは別途、この一年の歩みを総括し、中長期的にどのようなことをなすべきなのかを思想的に、実践的に模索していきながら公表したいと思います。いずれにしても3年後の市長選には、臨海部の産業政策、外国人の政治参加(国籍条項の撤廃)、住民主権に基づく地方自治の具体的なあり方などについて、私たちの意向を反映させることができる市長候補を擁立したいものです。
川崎における多くの市民運動に携わっているグループ、個人との連携を深め、違いよりは共通点を見つけ出しながら、3年後に備えたいとねがってやみません。みなさん、よろしくお願いいたします。
12月に入ったなと思ったら、もう第二週ですね。既に忘年会や集会などでお忙しいと思います。私のように呑み過ぎにはご注意ください(笑い)。
「市民の会」とは、「新しい川崎をつくる市民の会」のことです。昨年の市長選で、阿部市長候補に対抗する候補者をお呼びして1000名集会を企画しました。しかし3名の候補者は全員、まるで言い合わせたように、集会当日、午後になって集会参加をキャンセルしてきました。それでも70名以上の人が会場に集まり、「新しい川崎をつくる市民の会」を作るべきだという声に応えてつくったのがこの会です。
この一年で「市民の会」がどのような歩みをしてきたのか、「市民の会」事務局の最長年者が「市民の会」記録のHPを作成し、学習会の内容、ブックレットの発行、市議会への陳情書の作成、臨海部や「国内植民地主義」や「多文化共生」に関係する論文などを整理してくれました。4-5時間にわたる学習会のテープ起こしも大変な作業だったのですが、公表できることを心より感謝します。是非、一読下さい。
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/
なお、「市民の会」の公式のHPは別途、この一年の歩みを総括し、中長期的にどのようなことをなすべきなのかを思想的に、実践的に模索していきながら公表したいと思います。いずれにしても3年後の市長選には、臨海部の産業政策、外国人の政治参加(国籍条項の撤廃)、住民主権に基づく地方自治の具体的なあり方などについて、私たちの意向を反映させることができる市長候補を擁立したいものです。
川崎における多くの市民運動に携わっているグループ、個人との連携を深め、違いよりは共通点を見つけ出しながら、3年後に備えたいとねがってやみません。みなさん、よろしくお願いいたします。
2010年12月1日水曜日
「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んでー朴鐘碩
みなさんへ
はやいものですね、もう、師走になりました。あっと言う間の1年でした。
みなさんはどのような1年をお過ごしになられたでしょうか。
立命館大学の名誉教授の西川長夫さんが『長周新聞』で連載された文章に加筆・訂正した「新植民地主義の発見」の感想文を朴鐘碩が、「外国人への差別を許すな川崎・連絡会議」の掲示板に発表していますので、下記に紹介します。西川論文:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html
朴は日立闘争で入社し40年経った今、来年の定年退職を前にして、西川論文が展開する「新植民地主義」に触発されながら、日立製作所という大企業と組合組織の実態を描き、「自分の置かれている状況に合わせて・・・西川論文を理解・解釈」しようとしています。(朴一編『在日コリアン辞典』(明石書店、2010)の「日立就職差別裁判闘争」の項を私が書いています)
同じく、韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談「日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで」について望月文雄さんが感想文を書いているので、合わせてお読みください(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/11/blog-post_7217.html)。対談:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage14.html
崔 勝久
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んで 朴鐘碩
多国籍企業・「HITACHI」のロゴは、世界の主要都市にあります。今年創立100年を迎えた日立製作所は、31,000人の正規所員、グル-プ全体で約36万人の労働者が働いています。1910年に朝鮮半島は日本の植民地となりましたが、日立は、技術躍進の歴史を記念イベントとして展開しています。技術を誇る記念誌「開拓者たちの挑戦-日立100年の歩み1910~2010-」に日立就職差別裁判は記載されませんでした。技術は進歩しても労働者への「抑圧」は変わりません。日帝の朝鮮植民地化と国策に沿った日立経営100年の歩みは無関係ではないはずです。
植民地から60年(「解放」から25年)経過した1970年、日立就職差別裁判(日立闘争)が始まりました。74年横浜地裁で勝利判決が出され、日立製作所に正規所員として私は入社しました。この裁判は、民族団体から「同化に繋がる」と厳しい批判を受けました。しかし、私は19歳で始まった日立闘争、その後川崎南部(池上・桜本)で始まった子ども会(地域運動)を経験し、「民族」と人間らしく生きることを学びました。日立闘争は、同化への道ではありませんでした。植民地主義に繋がる「同化裁判であったか?」関心ある人たちがどのように判断するでしょうか。「就職差別されて当たり前」の風潮・価値観があった中で、多くの人たちの支援、世界的な運動の力で差別の壁を崩しました。「日立に入ったら、何が起きようとも一人でやるしかない」と覚悟したのです。
2011年11月、(裁判期間を含め)41年間勤めた日立製作所で定年を迎え、私自身の「続日立闘争」は、一旦「終わる」ことになります。悩み、解のない生き方を問い続けているうちに40年が過ぎてしまいました。開かれた民主的な会社・組合組織を目指し、企業で人間らしい生き方を求めて組合活動をやってきました。役員選挙にも自分勝手に立候補しました。自分の置かれている状況に合わせて西川長夫立命館大学教授の「植民地主義の再発見」(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html)を理解・解釈しました。
「植民地主義の再発見」を読んで、私の「続日立闘争」は、ものが言えない企業社会、組合組織の「労働者の植民地化」を問うことになると更なる自信を深めました。(日本人)労働者にとって「民族差別は関係ない、どうでもいい問題」のようです。また組合(幹部)の組合員への人権無視は日常茶飯事です。差別・排外と沈黙を強いられている労働者の問題は表裏一体です。これは日立の経営方針、職場環境、組織のあり方など全て繋がっています。
「植民地主義」の陰険な「隠蔽の方法は、逆に触れることなく意識下に抑圧するやり方です。人種差別や植民地主義の隠蔽はその代表例で、差別する側の人間がそれを自覚することは決して容易ではない。また仮にそれを自覚したとしても、私たちの思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい。」
組合幹部は、労働者にものを言わせない(言わない)暗い職場環境を作っています。組合員エンジニアたちは、おかしいあるいは疑問に感じることがあっても誰一人「触れることなく」、「抑圧されている」のが実態です。「ものが言えなくてもいい。労使幹部が一方的に労働条件を決定してもいい。生活できればそれでいい」という「思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい」ようです。
どこの世界でも言えることですが、人間らしく生きるために生き方をかけて、自ら属する組織を批判することは並大抵のことではありません。しかし、「堕落を救ったのは抵抗運動でした。だが抵抗運動があったがゆえに、その堕落さの深刻さに対する考察が弱められるということが起こりえたのではないでしょうか。」「堕落」は、植民地主義を補強します。
「植民地化は、住民やその土地を変えてしまう」が、企業社会における「植民地化」は経営者幹部・エンジニア(労働者)の理性や倫理観、人格まで「会社人間」に変えてしまいます。そのために様々な矛盾・問題・事件が起こりますが、根本解決するために互いに議論することはありません。「植民地主義は、私たちが社会や様々な集団の中で占める位置によって姿を変え、あるいは姿を隠して現れ」ています。労働者を「擁護する」連合あるいは「人権」を標榜する運動体にも言えるのではないでしょうか。
毎年11月は、人権週間があります。(東京)人企連主催で、加盟企業は人権標語募集の案内を全従業員にmail展開します。優秀作品は表彰されます。人企連および運動体との関係の詳細は「日本における多文化共生とは何か」を参照してください。
「新植民地主義の本質は、その下にある国家は、理論的には独立しており、国際法上の主権のあらゆる外面上の装飾を有しているということである。現実には、経済体制・政治体制は外部から指揮されている。」民主党現政権を支える連合傘下の企業内組合はじめ多くの組合は、労働者の人権を「外面上」「装飾」し、「独立」しているようですが経営者に「支配」されています。「組合を裏返せば会社になる」ことは、「沈黙している」組合員は十分承知しているようです。
「独立した国の内部には植民地や植民地主義はありえないとする民族主義的な前提が、国内における植民地的状況、収奪や抑圧、差別や格差、等々、などの存在を見えなくしていることは事実です。」これはまさに「共生」を標榜する川崎市の「外国籍職員の任用に関する運用規程」(「当然の法理」を理由に外国籍職員に許認可の職務・決裁権ある管理職に就くことを制限するマニュアル)、阿部現市長の「準会員」発言、戦争責任を問わない組合幹部の「労働運動」を厳しく批判しています。
西川教授は2009年2月2日横浜国大で「多文化共生と国内植民地主義」をテ-マに講演し、翌日、「川崎連絡会議」との交流会において「小生がこの2,30年間、書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と結んだ言葉が印象的で今も脳裏から離れません。「私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならないとおもいます。」
日立闘争がそうであったように自分の置かれている現場で、個別・具体的な活動を通じて、思想・信条を乗り越えて対話を継続し共に歩むことが人類の永遠なる課題である「植民地主義」を克服し、歴史の和解を目指す近道であるような気がします。
はやいものですね、もう、師走になりました。あっと言う間の1年でした。
みなさんはどのような1年をお過ごしになられたでしょうか。
立命館大学の名誉教授の西川長夫さんが『長周新聞』で連載された文章に加筆・訂正した「新植民地主義の発見」の感想文を朴鐘碩が、「外国人への差別を許すな川崎・連絡会議」の掲示板に発表していますので、下記に紹介します。西川論文:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html
朴は日立闘争で入社し40年経った今、来年の定年退職を前にして、西川論文が展開する「新植民地主義」に触発されながら、日立製作所という大企業と組合組織の実態を描き、「自分の置かれている状況に合わせて・・・西川論文を理解・解釈」しようとしています。(朴一編『在日コリアン辞典』(明石書店、2010)の「日立就職差別裁判闘争」の項を私が書いています)
同じく、韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談「日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで」について望月文雄さんが感想文を書いているので、合わせてお読みください(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/11/blog-post_7217.html)。対談:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage14.html
崔 勝久
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「植民地主義の再発見」(西川長夫著)を読んで 朴鐘碩
多国籍企業・「HITACHI」のロゴは、世界の主要都市にあります。今年創立100年を迎えた日立製作所は、31,000人の正規所員、グル-プ全体で約36万人の労働者が働いています。1910年に朝鮮半島は日本の植民地となりましたが、日立は、技術躍進の歴史を記念イベントとして展開しています。技術を誇る記念誌「開拓者たちの挑戦-日立100年の歩み1910~2010-」に日立就職差別裁判は記載されませんでした。技術は進歩しても労働者への「抑圧」は変わりません。日帝の朝鮮植民地化と国策に沿った日立経営100年の歩みは無関係ではないはずです。
植民地から60年(「解放」から25年)経過した1970年、日立就職差別裁判(日立闘争)が始まりました。74年横浜地裁で勝利判決が出され、日立製作所に正規所員として私は入社しました。この裁判は、民族団体から「同化に繋がる」と厳しい批判を受けました。しかし、私は19歳で始まった日立闘争、その後川崎南部(池上・桜本)で始まった子ども会(地域運動)を経験し、「民族」と人間らしく生きることを学びました。日立闘争は、同化への道ではありませんでした。植民地主義に繋がる「同化裁判であったか?」関心ある人たちがどのように判断するでしょうか。「就職差別されて当たり前」の風潮・価値観があった中で、多くの人たちの支援、世界的な運動の力で差別の壁を崩しました。「日立に入ったら、何が起きようとも一人でやるしかない」と覚悟したのです。
2011年11月、(裁判期間を含め)41年間勤めた日立製作所で定年を迎え、私自身の「続日立闘争」は、一旦「終わる」ことになります。悩み、解のない生き方を問い続けているうちに40年が過ぎてしまいました。開かれた民主的な会社・組合組織を目指し、企業で人間らしい生き方を求めて組合活動をやってきました。役員選挙にも自分勝手に立候補しました。自分の置かれている状況に合わせて西川長夫立命館大学教授の「植民地主義の再発見」(http://www.justmystage.com/home/fmtajima/newpage15.html)を理解・解釈しました。
「植民地主義の再発見」を読んで、私の「続日立闘争」は、ものが言えない企業社会、組合組織の「労働者の植民地化」を問うことになると更なる自信を深めました。(日本人)労働者にとって「民族差別は関係ない、どうでもいい問題」のようです。また組合(幹部)の組合員への人権無視は日常茶飯事です。差別・排外と沈黙を強いられている労働者の問題は表裏一体です。これは日立の経営方針、職場環境、組織のあり方など全て繋がっています。
「植民地主義」の陰険な「隠蔽の方法は、逆に触れることなく意識下に抑圧するやり方です。人種差別や植民地主義の隠蔽はその代表例で、差別する側の人間がそれを自覚することは決して容易ではない。また仮にそれを自覚したとしても、私たちの思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい。」
組合幹部は、労働者にものを言わせない(言わない)暗い職場環境を作っています。組合員エンジニアたちは、おかしいあるいは疑問に感じることがあっても誰一人「触れることなく」、「抑圧されている」のが実態です。「ものが言えなくてもいい。労使幹部が一方的に労働条件を決定してもいい。生活できればそれでいい」という「思考や感覚や身体的な反応から、内面化された植民地主義を摘出し排除することは極めて難しい」ようです。
どこの世界でも言えることですが、人間らしく生きるために生き方をかけて、自ら属する組織を批判することは並大抵のことではありません。しかし、「堕落を救ったのは抵抗運動でした。だが抵抗運動があったがゆえに、その堕落さの深刻さに対する考察が弱められるということが起こりえたのではないでしょうか。」「堕落」は、植民地主義を補強します。
「植民地化は、住民やその土地を変えてしまう」が、企業社会における「植民地化」は経営者幹部・エンジニア(労働者)の理性や倫理観、人格まで「会社人間」に変えてしまいます。そのために様々な矛盾・問題・事件が起こりますが、根本解決するために互いに議論することはありません。「植民地主義は、私たちが社会や様々な集団の中で占める位置によって姿を変え、あるいは姿を隠して現れ」ています。労働者を「擁護する」連合あるいは「人権」を標榜する運動体にも言えるのではないでしょうか。
毎年11月は、人権週間があります。(東京)人企連主催で、加盟企業は人権標語募集の案内を全従業員にmail展開します。優秀作品は表彰されます。人企連および運動体との関係の詳細は「日本における多文化共生とは何か」を参照してください。
「新植民地主義の本質は、その下にある国家は、理論的には独立しており、国際法上の主権のあらゆる外面上の装飾を有しているということである。現実には、経済体制・政治体制は外部から指揮されている。」民主党現政権を支える連合傘下の企業内組合はじめ多くの組合は、労働者の人権を「外面上」「装飾」し、「独立」しているようですが経営者に「支配」されています。「組合を裏返せば会社になる」ことは、「沈黙している」組合員は十分承知しているようです。
「独立した国の内部には植民地や植民地主義はありえないとする民族主義的な前提が、国内における植民地的状況、収奪や抑圧、差別や格差、等々、などの存在を見えなくしていることは事実です。」これはまさに「共生」を標榜する川崎市の「外国籍職員の任用に関する運用規程」(「当然の法理」を理由に外国籍職員に許認可の職務・決裁権ある管理職に就くことを制限するマニュアル)、阿部現市長の「準会員」発言、戦争責任を問わない組合幹部の「労働運動」を厳しく批判しています。
西川教授は2009年2月2日横浜国大で「多文化共生と国内植民地主義」をテ-マに講演し、翌日、「川崎連絡会議」との交流会において「小生がこの2,30年間、書いたりしゃべってきたこと(いわゆる国民国家論)は、一口で言えば、この「当然の法理」に対する闘いであったと思います。」と結んだ言葉が印象的で今も脳裏から離れません。「私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならないとおもいます。」
日立闘争がそうであったように自分の置かれている現場で、個別・具体的な活動を通じて、思想・信条を乗り越えて対話を継続し共に歩むことが人類の永遠なる課題である「植民地主義」を克服し、歴史の和解を目指す近道であるような気がします。
2010年11月27日土曜日
(アスベストの)なにが危険であるかの評価基準もないのに、安全も危険もない!ー渡辺治
皆さんへ
この週末はどのようにお過ごしですか。
今日は、「臨海部の未来を本気で考える会」の渡辺さんのHPのブログの内容を紹介いたします。アスベストが危険で多くの問題を抱えていることは知っていましたが、「評価基準」がないということは初めて知りました。
同様に、二酸化窒素の数値ももまた公害問題の大きな評価基準になるのですが、これも現在設定されている基準が何に基づくものなのか、どうして基準の変更がなされたのかということは曖昧です。
研究者によっていろんな説があるようですが、問題は、現在、川崎の小児喘息の罹患率は全国平均をはるかに超えているという事実です。川崎北部では小学校区でなんと17%のところがあります。児童100名のうち17名が喘息だというのです。
これも二酸化窒素だけが原因ではないと言われていますが、二酸化窒素がその大きな原因のひとつであることは間違いありません。小児喘息が自動車の排気ガスによるものなのか、臨海部の工場から発生するものなのか(臨海部の高い煙突から出される公害物質が海風に乗って北部に流されているという説もある)、それらの複合的なものなのか断定はできません。
しかしこの罹患率の高さは何を意味するのか、それに対してどのように対処するのか、この問題も、行政・企業・市民による調査、研究、具体的な提案が急務だと思われます。川崎の公害運動に関わってきた人たちのご意見をお願いいたします。
崔 勝久
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにが危険であるかの評価基準もないのに、安全も危険もない!
今、日本のアスベストのレベルというのは世界から本当に立ち後れている。
それもそのはず、いったいどういった状況が危険であるのか、安全であるのかの判定する基準さえもうけておらず、それなのに、安全だとか危険だとか論じている世界で、これ以上が危険という数値を決めていないのに、そんな論述はなりたたない。
これを、ばかみたいに時間をかけてやっているといおうか、ただ、問題をなかったことにするのに、政府や行政がうまく使っているだけである。
例えば、亜硫酸ガスが危険かどうかとうことを論じるのに、何PPM以上を危険とする、ということを決めていないのに判定が不可能であることと同じように、アスベストでは、まったく決められていない。
これが、アスベスト問題を解決する上で、また、被害の拡大を防ぐ上のさまたげになっている。
最近の、水戸参議院議員の国会答弁でも、最後に、基準値を検討して定める必要があるとした主張に対して、環境省は、まったく答えなかった。
つまり、アスベスト問題を解決したくないのである。その間に被害は出続け、人はどんどん亡くなっているのに、それを知らないふりをしているということでもある。
もし、このまま中皮腫や、肺がんが増え続け、そしてその責任が、基準値をもうけなかった環境局の「不作為」となれば、環境省の責任はまぬがれない。
今、求められているのは、スレートが粉々になった時にはどのように飛散して危険なのか、また、湿潤したらどれほど安全であるかの、科学的データだろう。
これをまったく知らずに、スレートが安全かどうかの論議もなりたたないのがなぜ分からないのだろうか。多分、論議すらしたくないのだろう。
アスベスト問題は、まさに国や自治体の「不作為」他ならない。
渡辺治 「本気で臨海部の未来を考える会」HPより
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html
この週末はどのようにお過ごしですか。
今日は、「臨海部の未来を本気で考える会」の渡辺さんのHPのブログの内容を紹介いたします。アスベストが危険で多くの問題を抱えていることは知っていましたが、「評価基準」がないということは初めて知りました。
同様に、二酸化窒素の数値ももまた公害問題の大きな評価基準になるのですが、これも現在設定されている基準が何に基づくものなのか、どうして基準の変更がなされたのかということは曖昧です。
研究者によっていろんな説があるようですが、問題は、現在、川崎の小児喘息の罹患率は全国平均をはるかに超えているという事実です。川崎北部では小学校区でなんと17%のところがあります。児童100名のうち17名が喘息だというのです。
これも二酸化窒素だけが原因ではないと言われていますが、二酸化窒素がその大きな原因のひとつであることは間違いありません。小児喘息が自動車の排気ガスによるものなのか、臨海部の工場から発生するものなのか(臨海部の高い煙突から出される公害物質が海風に乗って北部に流されているという説もある)、それらの複合的なものなのか断定はできません。
しかしこの罹患率の高さは何を意味するのか、それに対してどのように対処するのか、この問題も、行政・企業・市民による調査、研究、具体的な提案が急務だと思われます。川崎の公害運動に関わってきた人たちのご意見をお願いいたします。
崔 勝久
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なにが危険であるかの評価基準もないのに、安全も危険もない!
今、日本のアスベストのレベルというのは世界から本当に立ち後れている。
それもそのはず、いったいどういった状況が危険であるのか、安全であるのかの判定する基準さえもうけておらず、それなのに、安全だとか危険だとか論じている世界で、これ以上が危険という数値を決めていないのに、そんな論述はなりたたない。
これを、ばかみたいに時間をかけてやっているといおうか、ただ、問題をなかったことにするのに、政府や行政がうまく使っているだけである。
例えば、亜硫酸ガスが危険かどうかとうことを論じるのに、何PPM以上を危険とする、ということを決めていないのに判定が不可能であることと同じように、アスベストでは、まったく決められていない。
これが、アスベスト問題を解決する上で、また、被害の拡大を防ぐ上のさまたげになっている。
最近の、水戸参議院議員の国会答弁でも、最後に、基準値を検討して定める必要があるとした主張に対して、環境省は、まったく答えなかった。
つまり、アスベスト問題を解決したくないのである。その間に被害は出続け、人はどんどん亡くなっているのに、それを知らないふりをしているということでもある。
もし、このまま中皮腫や、肺がんが増え続け、そしてその責任が、基準値をもうけなかった環境局の「不作為」となれば、環境省の責任はまぬがれない。
今、求められているのは、スレートが粉々になった時にはどのように飛散して危険なのか、また、湿潤したらどれほど安全であるかの、科学的データだろう。
これをまったく知らずに、スレートが安全かどうかの論議もなりたたないのがなぜ分からないのだろうか。多分、論議すらしたくないのだろう。
アスベスト問題は、まさに国や自治体の「不作為」他ならない。
渡辺治 「本気で臨海部の未来を考える会」HPより
http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html
2010年11月24日水曜日
伊藤部長との対話を求めてー臨海部と中小企業の将来について
みなさんへ
昨日、私が臨海部の、事務局の責任においてテープ起こしした質疑応答資料をみなさんにお送りしました。
当日の講演者の伊藤和良、川崎市経済労働局産業政策部長から私のコメントに対して注意がありました。その内容は、私が引用した伊藤さんの「川崎は工業化のなかでしかやっていけない」という発言は、前後の説明がないので誤解される恐れがあるというものでした。
そのため伊藤さんの当日のプレゼン資料の核心部分を添付資料にしてみなさんに公開させていただきます。なお、さらに詳しい資料を望まれる方は私に連絡ください。大変熱のこもった、貴重な資料だと思います。
★伊藤さんの講演の趣旨は3点です。
1.脱工業化とは異なる、工業都市としてのDNAを受け継いだ「新たな世界モデル」を作りたい
2.京浜臨海部が競争力を失うことは、日本全体の問題であり、京浜臨海部は首都圏に隣接し好立地にあり、研究開発の拠点として次世代製品を開発する最適の苗床として活かしていきたい。
3.ものづくりの夢を壊さないでほしい
★私の意見と伊藤さんとがすれ違っているのは次の2点です。
1.脱工業化は先進国の歴史的な流れであり、そのため臨海部の6-8割の面積を占める素材・装置産業(石油、鉄鋼業など)はこの10年で統合・縮小を余儀なくされると予想されるが、伊藤さんはこの点に関しては一切、触れていませんし、行政としても市民、企業、研究者と一緒になってそのための準備をしようとしていません。市長選でもこの数十年、産業政策論が闘わされたことがありません。これは川崎の未来に関することで避けてはならない問題です。
2.臨海部や中小企業が世界的に競争力を失わないように、活性化させること(及びものづくり)の重要性は認識しますが、問題は行政がそのためにどのような政策を出すのかという点と、経済の問題は経済だけで終わらず、自治の在り方、教育、福祉全てと関係し、世界に誇る国際都市・川崎にするには、まず国籍における差別を行政自らがなくさなければならないという視点です。この点でも伊藤さんのご意見は伺うことができませんでしたし、現市長も沈黙を守っています。
★私は、伊藤さんが中小企業に貢献したいという思いを強く持たれているようなので、例えば市として、中小企業のものづくりに役立つように、研究開発の拠点を作るように、伊藤さんが自ら、行政内部で強く働きかけるようにされれば、私たちも協力したいと思います。
★川崎に研究開発の拠点は200以上あると、伊藤さんは報告されていますが、これは大企業が独自にやっているもので、中小企業のものづくりを残し、発展させるには、そして新たな産業を興すには研究開発が不可避です。これまで、中小企業は大企業の下請けであったのですが、独自に生き残るには、市が研究開発の場を作りそれを彼らが自由に活用できるようにすることが、市としてやるべきことだと思います。数多い必要な政策の中で、市がやるべき最大の政策はこの点だと思います。
--
崔 勝久
SK Choi
昨日、私が臨海部の、事務局の責任においてテープ起こしした質疑応答資料をみなさんにお送りしました。
当日の講演者の伊藤和良、川崎市経済労働局産業政策部長から私のコメントに対して注意がありました。その内容は、私が引用した伊藤さんの「川崎は工業化のなかでしかやっていけない」という発言は、前後の説明がないので誤解される恐れがあるというものでした。
そのため伊藤さんの当日のプレゼン資料の核心部分を添付資料にしてみなさんに公開させていただきます。なお、さらに詳しい資料を望まれる方は私に連絡ください。大変熱のこもった、貴重な資料だと思います。
★伊藤さんの講演の趣旨は3点です。
1.脱工業化とは異なる、工業都市としてのDNAを受け継いだ「新たな世界モデル」を作りたい
2.京浜臨海部が競争力を失うことは、日本全体の問題であり、京浜臨海部は首都圏に隣接し好立地にあり、研究開発の拠点として次世代製品を開発する最適の苗床として活かしていきたい。
3.ものづくりの夢を壊さないでほしい
★私の意見と伊藤さんとがすれ違っているのは次の2点です。
1.脱工業化は先進国の歴史的な流れであり、そのため臨海部の6-8割の面積を占める素材・装置産業(石油、鉄鋼業など)はこの10年で統合・縮小を余儀なくされると予想されるが、伊藤さんはこの点に関しては一切、触れていませんし、行政としても市民、企業、研究者と一緒になってそのための準備をしようとしていません。市長選でもこの数十年、産業政策論が闘わされたことがありません。これは川崎の未来に関することで避けてはならない問題です。
2.臨海部や中小企業が世界的に競争力を失わないように、活性化させること(及びものづくり)の重要性は認識しますが、問題は行政がそのためにどのような政策を出すのかという点と、経済の問題は経済だけで終わらず、自治の在り方、教育、福祉全てと関係し、世界に誇る国際都市・川崎にするには、まず国籍における差別を行政自らがなくさなければならないという視点です。この点でも伊藤さんのご意見は伺うことができませんでしたし、現市長も沈黙を守っています。
★私は、伊藤さんが中小企業に貢献したいという思いを強く持たれているようなので、例えば市として、中小企業のものづくりに役立つように、研究開発の拠点を作るように、伊藤さんが自ら、行政内部で強く働きかけるようにされれば、私たちも協力したいと思います。
★川崎に研究開発の拠点は200以上あると、伊藤さんは報告されていますが、これは大企業が独自にやっているもので、中小企業のものづくりを残し、発展させるには、そして新たな産業を興すには研究開発が不可避です。これまで、中小企業は大企業の下請けであったのですが、独自に生き残るには、市が研究開発の場を作りそれを彼らが自由に活用できるようにすることが、市としてやるべきことだと思います。数多い必要な政策の中で、市がやるべき最大の政策はこの点だと思います。
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崔 勝久
SK Choi
2010年11月16日火曜日
日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで(望月文雄)
韓国の京郷新聞で掲載された、西川長夫立命館名誉教授と尹海東・韓国成均館大学教授の対談が、立命館大学の『東アジアの思想と文化』(第3号、2010年10月、アジア思想文化研究所)で翻訳され大幅に修正・添削されて掲載されています。同研究所の承諾を得て、広く多くの方にその対談を読んでいただくべく、望月文雄さん(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議代表」のHP(Syndrome)に転載をお願いしました。対談についての望月さんの感想文を紹介いたします。日韓の知識人が「併合」の違法性に抗議したことを批判し、現在の国民国家による「植民地主義」を正面からとりあげるべきだとする対談内容に注目したいと思います。http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_%20page_206.htm
崔 勝久
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日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで
望月 文雄
2010年1月4日韓国の京郷新聞掲載記事「韓・日併合100年、現在と未来を問う」の日本語訳を読んでの感想です。自分の認識不足を少なからず指摘され、変革を促されている時代の中での在り方を啓発されるものでした。
1、1989年の歴史的認識
「グローバル化と2010年」という項のなかでの尹教授の発言1989年の社会主義陣営の崩壊が「近代の終焉」または「新しい時代への移行」のきっかけになったと思う、という発言に西川教授は、1989年はフランス革命200周年と重なり、「天安門事件」があり、ベルリンの壁が崩壊したその年です、とその年の重要性を語り、「フランス革命とは何か」と設題して「フランス革命については人権宣言を含め、会報的な側面のみが注目を引いてきたが、革命が植民地主義を乗り越えることはなく、革命を受け継いだ共和政は、むしろ植民地主義を推進し、アルジャリアやベトナムなどを含む一大植民地帝国を形成したと述べる、現在のフランスが「植民地主義」をいまだに身解決であることを指摘しています。
このことは現在の世界的強硬の原因を産んでいる「新植民地主義」の根幹と同一であると宣言します。新植民地主義は「勝者の独り占め社会」両極化(勝者と敗者)社会への現象に象徴されると両者は論じます。西川教授は植民地主義とは資本と国家による搾取と抑圧のグローバル化された形態であり、1989年は新しい植民地主義の始まりでもあると提言しています。
2、歴史意識の問題
この項でわたしが考えさせられたのは「併合」という言葉に対する西川教授の見解です。「併合」という言葉は条約を締結する当時に新しく作られたもので、AとBが一つになるという意味で、朝鮮を徹底的に従属的な地位に置くことを露骨に示しながら、同時に「併合」という言葉から感じられる平等なニュアンスをあたえるために考案されたものだと指摘します。これに対し尹教授は韓国では「強占」という言葉が使われるがこのことばでは植民地の包括的問題を盛り込めないといいます。両社は植民地じだいについての歴史教科書に記述について「民族の英雄的な抵抗運動のみを打ち出すのであれば、植民地化が植民地支配者をいかに野蛮にし、植民地化された人々の悲惨と堕落について等の問題は欠落してしまうという指摘は強烈です。そして、両者は「内面化された植民地主義を各自が見直す必要を強調します。
3、新たな東アジア共同体をめぐって
日本の韓流ブームの功罪に触れていますが、西川教授の「わたしは一般に韓流と言われているものに疑問をもっています。ユン様に熱狂するのはどのような階層の人々で、何に熱狂しているのでしょうか。わたしが見たところでは、かって小泉首相を追っかけていた女の子やおばさんたちが、今度はユン様のファンとなっているような気がしますね」と述べている部分は正論でしょう。教授はさらに「ヨン様を賛美することは、韓国人に対する差別の感覚が下敷きになっているのではないか、そんな印象を受けます」と私見を追加しています。これを受けて尹教授は「健全な市民社会が成立しなければ、健康な東アジア共同体はありえないということ」と同調しています。
4、普遍的な共同体の構築のために
西川教授の「西洋近代の歴史をたどれば、市民社会というのは、決していいものでも、ありがたいものでもなく、公共性も同様です」という発言は注目すべきでなないでしょうか。教授は公共性について「アングローサクソン的な脈略と、フランスの公共性の概念との間には、大きな違いがあるといい、フランスでの教強制の現れとしてイスラム教徒に対するブルカの着用禁止にふれます」が、「アングローサクソン的な脈略」に関しては言及しません。これは一寸理解が不足するように思えます。
しかし、市民社会を構築するには避けて通れない問題が話合われています。尹教授の「わたしは、ハンナ・アレントの公共性の概念と、東アジアに「おける儒教的な公共性の概念を作ってみたかった」という発言からどのような市民社会が望ましいのかと「定住者でなく移民と難民が中心となるような市民社会がモデルですとテーゼを展開し、メルチの「問題があると集まって来るが、それが解決されればまた散らばっていくという、移動しつづける不定形の共同体、フランスの文学者モーリス・ブランショのいう「国籍や年齢、身分や職業の異なる、多様な人々による集まりの『コミュニケーションの爆発』に通じる共同体」を提示する西川教授。これらの裏面には古語の市民の強い独立意識が前提されるという意味合いが含まれるのでしょう。
5、未来に向けて
尹教授のオバマ大統領のノーベル賞受賞演説での「正義の戦争」発言への失望感に同調して西川教授はオバマ発言の問題点を解明して言います。「オバマは、就任演説でアメリカの建国者たちの名を挙げながらかれらに帰らなければならない。その理想を継承すべきだということをしゃべりました。オバマは、アメリカが今までやってきた戦争をすべて肯定したのです。「正義の戦争」というのは、その延長線上で出されたものです。わたしはオバマの演説を聞きながらすごくいらいらしました。アメリカの建国者といわれる人々こそが、先住民である「インディアン」を暴力的に追い出して国家を建てた張本人ですね」と。
自分の市民としての自覚をどのように確立すべきかという観点から、非常に激越な示唆に富む対談記事でした。
崔 勝久
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日韓併合100年と「新植民地主義」―新しい政治倫理への対話―を読んで
望月 文雄
2010年1月4日韓国の京郷新聞掲載記事「韓・日併合100年、現在と未来を問う」の日本語訳を読んでの感想です。自分の認識不足を少なからず指摘され、変革を促されている時代の中での在り方を啓発されるものでした。
1、1989年の歴史的認識
「グローバル化と2010年」という項のなかでの尹教授の発言1989年の社会主義陣営の崩壊が「近代の終焉」または「新しい時代への移行」のきっかけになったと思う、という発言に西川教授は、1989年はフランス革命200周年と重なり、「天安門事件」があり、ベルリンの壁が崩壊したその年です、とその年の重要性を語り、「フランス革命とは何か」と設題して「フランス革命については人権宣言を含め、会報的な側面のみが注目を引いてきたが、革命が植民地主義を乗り越えることはなく、革命を受け継いだ共和政は、むしろ植民地主義を推進し、アルジャリアやベトナムなどを含む一大植民地帝国を形成したと述べる、現在のフランスが「植民地主義」をいまだに身解決であることを指摘しています。
このことは現在の世界的強硬の原因を産んでいる「新植民地主義」の根幹と同一であると宣言します。新植民地主義は「勝者の独り占め社会」両極化(勝者と敗者)社会への現象に象徴されると両者は論じます。西川教授は植民地主義とは資本と国家による搾取と抑圧のグローバル化された形態であり、1989年は新しい植民地主義の始まりでもあると提言しています。
2、歴史意識の問題
この項でわたしが考えさせられたのは「併合」という言葉に対する西川教授の見解です。「併合」という言葉は条約を締結する当時に新しく作られたもので、AとBが一つになるという意味で、朝鮮を徹底的に従属的な地位に置くことを露骨に示しながら、同時に「併合」という言葉から感じられる平等なニュアンスをあたえるために考案されたものだと指摘します。これに対し尹教授は韓国では「強占」という言葉が使われるがこのことばでは植民地の包括的問題を盛り込めないといいます。両社は植民地じだいについての歴史教科書に記述について「民族の英雄的な抵抗運動のみを打ち出すのであれば、植民地化が植民地支配者をいかに野蛮にし、植民地化された人々の悲惨と堕落について等の問題は欠落してしまうという指摘は強烈です。そして、両者は「内面化された植民地主義を各自が見直す必要を強調します。
3、新たな東アジア共同体をめぐって
日本の韓流ブームの功罪に触れていますが、西川教授の「わたしは一般に韓流と言われているものに疑問をもっています。ユン様に熱狂するのはどのような階層の人々で、何に熱狂しているのでしょうか。わたしが見たところでは、かって小泉首相を追っかけていた女の子やおばさんたちが、今度はユン様のファンとなっているような気がしますね」と述べている部分は正論でしょう。教授はさらに「ヨン様を賛美することは、韓国人に対する差別の感覚が下敷きになっているのではないか、そんな印象を受けます」と私見を追加しています。これを受けて尹教授は「健全な市民社会が成立しなければ、健康な東アジア共同体はありえないということ」と同調しています。
4、普遍的な共同体の構築のために
西川教授の「西洋近代の歴史をたどれば、市民社会というのは、決していいものでも、ありがたいものでもなく、公共性も同様です」という発言は注目すべきでなないでしょうか。教授は公共性について「アングローサクソン的な脈略と、フランスの公共性の概念との間には、大きな違いがあるといい、フランスでの教強制の現れとしてイスラム教徒に対するブルカの着用禁止にふれます」が、「アングローサクソン的な脈略」に関しては言及しません。これは一寸理解が不足するように思えます。
しかし、市民社会を構築するには避けて通れない問題が話合われています。尹教授の「わたしは、ハンナ・アレントの公共性の概念と、東アジアに「おける儒教的な公共性の概念を作ってみたかった」という発言からどのような市民社会が望ましいのかと「定住者でなく移民と難民が中心となるような市民社会がモデルですとテーゼを展開し、メルチの「問題があると集まって来るが、それが解決されればまた散らばっていくという、移動しつづける不定形の共同体、フランスの文学者モーリス・ブランショのいう「国籍や年齢、身分や職業の異なる、多様な人々による集まりの『コミュニケーションの爆発』に通じる共同体」を提示する西川教授。これらの裏面には古語の市民の強い独立意識が前提されるという意味合いが含まれるのでしょう。
5、未来に向けて
尹教授のオバマ大統領のノーベル賞受賞演説での「正義の戦争」発言への失望感に同調して西川教授はオバマ発言の問題点を解明して言います。「オバマは、就任演説でアメリカの建国者たちの名を挙げながらかれらに帰らなければならない。その理想を継承すべきだということをしゃべりました。オバマは、アメリカが今までやってきた戦争をすべて肯定したのです。「正義の戦争」というのは、その延長線上で出されたものです。わたしはオバマの演説を聞きながらすごくいらいらしました。アメリカの建国者といわれる人々こそが、先住民である「インディアン」を暴力的に追い出して国家を建てた張本人ですね」と。
自分の市民としての自覚をどのように確立すべきかという観点から、非常に激越な示唆に富む対談記事でした。
ソウルのタクシー運転手の話し
先週、私は大阪の高校の同級生家族と3泊4日の韓国旅行を楽しんできました。今回は、韓国で一番食べ物がおいしいといわれている全羅道、全州と木浦を回りました。マッコリ(どぶろく)を頼むとヤカンででてきて、そこに10種類以上のおかずがつきます。そしてそのおかずはお代り自由なのです。それでも1000円くらいでした。
木浦は人口30万人ほどの港町で、海辺のすぐ傍に山があり、そこからは植民地時代に開港された街並みが一望できます。海に面した一等地は大きな道路が交差する日本人街で、山の後ろには朝鮮人の居住地が見えます。そこは人が二人並んで歩くのさえ困難な狭い道が曲がりくねっています。悪名高い東洋拓殖の建物が歴史館になっており、植民地時代の写真が多く見られます。歴史に関心がある人、韓国料理が好きな人には是非、訪問されることをお勧めいたします。
韓国併合によって韓国の近代化に寄与したという話しの嘘は、その山の上から見回せばすぐにわかります。日本が、全部、自分たちにいいように搾取するためにしたこと、鉄道もその為のものであることは一目瞭然でした。その木浦でタクシーの運転手が、ここは大韓民国で一番過ごしやすいところだと自慢げに言っていました。海と山があり、食べ物がおいしいのですから、その気持ちもわかるような気がしました。
私は同級生一行とは別にソウルにもう1泊したのですが、そのときに乗ったタクシー運転手は74,5歳で、梨泰院を通りかかったときに、ここは若い人がお酒をよく呑みに来るという話になり、最近の男は、草食系で頼りないと言い出しました。ある日、若い男がべろんべろんに酔った女の娘を介抱しながら、自分にタバコの火をくれと言ったので、お前の親父はわしより年下で、そんな年長者にタバコの火をくれとは何事か、すぐにその女と一緒にタクシーから降りろとどなった、という話でした。
御存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、韓国は儒教社会で、年長者への敬語は絶対的で、年長者の前ではタバコは吸ってはいけないということが常識化されているのです。ですから、タバコの火をせがんだその男の子は、ハラボジ(お爺さん)タクシー運転手に怒鳴られ、急いでタクシーを降りたのでしょう。まだそのような価値観が生きているということですね。
翌日の最終便で成田に着いた私は、G20の厳しい警備で1時間くらい遅れてソウルを出発し、東京への列車は最終便になっていました。へとへとに疲れ、腰も痛く、荷物も多かったので乗換えた列車の中で座りたかったのですが、あの「優先席」に若い女の子が3人座って話しこみ、化粧をしながら笑いこけていました。ちょっと、あんたら、ここは「優先席」でこの私に席を譲ろうとは思わないのか(都合のいいときに、老人になるのですが・・・)と言いかけましたが、やめました。
私がそのとき思い出したのが、ソウルでの年配のタクシー運転手の自慢話でした。そうか、あそこではお爺さんに怒鳴られて若い人は黙って降りても、ここでは、私が怒鳴ったらなんでそんなことで言われるのかと却って反発をうけるだろうなと思いながら・・・
権威主義、年長者への敬意、疲れた私はいろんなことを考えながら多くの荷物を抱えて新川崎駅を降りました。いかが思われますか、みなさんは。
木浦は人口30万人ほどの港町で、海辺のすぐ傍に山があり、そこからは植民地時代に開港された街並みが一望できます。海に面した一等地は大きな道路が交差する日本人街で、山の後ろには朝鮮人の居住地が見えます。そこは人が二人並んで歩くのさえ困難な狭い道が曲がりくねっています。悪名高い東洋拓殖の建物が歴史館になっており、植民地時代の写真が多く見られます。歴史に関心がある人、韓国料理が好きな人には是非、訪問されることをお勧めいたします。
韓国併合によって韓国の近代化に寄与したという話しの嘘は、その山の上から見回せばすぐにわかります。日本が、全部、自分たちにいいように搾取するためにしたこと、鉄道もその為のものであることは一目瞭然でした。その木浦でタクシーの運転手が、ここは大韓民国で一番過ごしやすいところだと自慢げに言っていました。海と山があり、食べ物がおいしいのですから、その気持ちもわかるような気がしました。
私は同級生一行とは別にソウルにもう1泊したのですが、そのときに乗ったタクシー運転手は74,5歳で、梨泰院を通りかかったときに、ここは若い人がお酒をよく呑みに来るという話になり、最近の男は、草食系で頼りないと言い出しました。ある日、若い男がべろんべろんに酔った女の娘を介抱しながら、自分にタバコの火をくれと言ったので、お前の親父はわしより年下で、そんな年長者にタバコの火をくれとは何事か、すぐにその女と一緒にタクシーから降りろとどなった、という話でした。
御存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、韓国は儒教社会で、年長者への敬語は絶対的で、年長者の前ではタバコは吸ってはいけないということが常識化されているのです。ですから、タバコの火をせがんだその男の子は、ハラボジ(お爺さん)タクシー運転手に怒鳴られ、急いでタクシーを降りたのでしょう。まだそのような価値観が生きているということですね。
翌日の最終便で成田に着いた私は、G20の厳しい警備で1時間くらい遅れてソウルを出発し、東京への列車は最終便になっていました。へとへとに疲れ、腰も痛く、荷物も多かったので乗換えた列車の中で座りたかったのですが、あの「優先席」に若い女の子が3人座って話しこみ、化粧をしながら笑いこけていました。ちょっと、あんたら、ここは「優先席」でこの私に席を譲ろうとは思わないのか(都合のいいときに、老人になるのですが・・・)と言いかけましたが、やめました。
私がそのとき思い出したのが、ソウルでの年配のタクシー運転手の自慢話でした。そうか、あそこではお爺さんに怒鳴られて若い人は黙って降りても、ここでは、私が怒鳴ったらなんでそんなことで言われるのかと却って反発をうけるだろうなと思いながら・・・
権威主義、年長者への敬意、疲れた私はいろんなことを考えながら多くの荷物を抱えて新川崎駅を降りました。いかが思われますか、みなさんは。
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