2011年2月14日月曜日

川崎の港湾・臨海部を考えるー(1)基本的な視点の提示

川崎市が横浜と東京と連合して「京浜港」として国の指定を受けました。2大ハブ(拠点)港の一つに選ばれたということです。その問題点を示し、同時に港・臨海部を考える視点を提示しました。添付資料をお読みください。

大体、ブログの原稿を書き上げていたのですが、今朝、川崎市財政部のX課長とお会いし、本当に1000億円の予算を組むのか、そのうち三分の一を市が負担するというのは本当かなどを確かめに伺いました。氏は大変丁寧にこのプロジェクトの背景、進行状態(議論されていない部分を含めて)を説明してくださり、改めて原稿を書き直した部分も多くあります。

市民がただ意見を述べ、行政をそれを聞き置いたり採用したりするのは「対話」ではなく、その議論及び政策決定の過程に市民が参加することの重要性をお話しし、改めて、行政と市民、それに超党派の議員、有識者を交えて議論を積み重ねていくことがいかに大切か、再確認した次第です。

このことはしばらく何回かブログで展開いたします。

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川崎の港湾・臨海部を考えるー(1)基本的な視点の提示

今、私の手元に(財)政治経済研究所から発行された3冊の小冊子があります。「川崎港東扇島 コンテナターミナル・ファズ物流センター問題―その破綻の軌跡と解決策」(2001年8月)、「川崎市の土地行政の変遷と今日の課題―未利用地(『塩漬け土地』)・土地開発公社問題」(2001年11月)、そして10年経って今年発行された「川崎港の未来は・・・国際コンテナ戦略港湾政策は川崎市と市民生活を豊かにできるのか」(2011年1月)です。

この3冊の報告書で明らかにされたことは、川崎市が保有する土地や港湾の致命的な問題(既に第三セクターのKCT・川崎コンテナ・ターミナルは破産し、現在、市の直営)は、すべて国の政策が先行し、それに呼応するかたちで川崎市が国や民間からの資金を投入した結果、生起したものであるということです。そしてそのパターンは新たな民主党政権になっても踏襲されようとしています。「国際コンテナ戦略港政策」です。これは羽田空港のハブ(拠点)化政策と合わせ、新たな国策として制定されたものです。これは過去の過ちを総括して今後の地域社会に貢献するものなのでしょうか?

港湾の問題は都市計画と一体化したものであると既に国が明言しています。従って、川崎市の港湾問題は臨海部のあり方、地域社会・日本社会のあり方と不可分であり、港湾の問題を通して、展望がもてない臨海部の問題の所在を知ることになるのです。住民の寄りつくことのない臨海部は、国策によって海を埋め立て作られた重化学工業(鉄鋼や石油精油の工場)がその大部分を占めています。これまでの自民党時代からの失政の上にその総括なく、横浜市と東京都との連合で国の二大拠点に選定された港湾政策ははたして「国際競争力の強化」につながり、低迷する日本全体の港湾を活性化させ、地域社会に繁栄をもたらすものなのか、そしてそれは未来につながるものであるのか検証されなければなりません。これらの問題を何回かに分けてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

先日、私は「日本共産党川崎市議団の『委託研究報告書』完成!報告のつどい」に参加し、報告書の作成者である二人の専門家、研究者の話しを聴きました。10年前の川崎港の「コンテナターミナル・ファズ物流センター問題」報告書作成に関わっていた二人の講演は私には大変刺激的でした。話の内容は、過去の港湾政策の失政にはあまり触れず、今の「国際コンテナ戦略港湾政策」の問題に終始したものでした。それでも控えめな表現でしたが、どのように過去の過ちを総括しているのかという問いかけは、国や市当局だけに向けられたものでなく、私自身を含め、市民サイドはこの間、10年前のコンテナターミナルとファズ(Foreign Access Zone)が抱えていた問題をどれほど深く検証し、臨海部のあるべき姿について論議してきたのかという、市民の責任を問うているのではないかと私は受け留めました。

私見では、10年前の報告書にあった、CTとファズの失敗の背景として国の政策決定過程の問題(専門委員会の役割)もさることながら、「徹底したディスクロージャー」「公正な専門家の分析」「市民の討議」の3点こそが膨大な投資を要する港湾政策になくてはならないという指摘は、今回の「国際コンテナ戦略港湾政策」問題を論議するに際しても全く同じく当てはまると思います。

結論的に言うと、世界の貿易の中でアジアの占める割合が多くなり、韓国の釜山、上海、香港、台北などの港が既にハブ(拠点)港としての実績を上げ、自国内だけでなく、そこを中心にして近隣の国々にも積み替え輸送するシステムが出来上がっており、欧米の航路は最も効率のよい港としてそれらのアジアのハブ港を利用しているのに、これまで失敗してきた港湾政策を「選択と集中」で阪神と京浜の2港に絞ることによって「国際競争力」をもつことができるのでしょうか。

既にオーバーキャパシティ(過剰施設)で大型船は来ずコンテナも集まらない川崎港を、停滞し始めている欧米用にさらに拡大する方針に無理があるのではないか、ハードとソフトの両面ではるかに先を行くアジア港湾の後追いではらちがあかないのではないかという疑問が残ります。それに24時間の積み下ろし作業は高賃金の日本で可能でしょうか。日本海岸にある多くの港は既に目の前の釜山をハブ港としているのに、それを止めさせて積み荷を遠く離れた阪神と京浜の港に引き戻すことができるのでしょうか。それに国際基準のコンテナを全国に輸送するには、日本国内の道路やトンネルなどのインフラはそれらを受け入れる整備がなされてないと言うのです。

その話を聴いた会場からは、どうしてそのような不条理な決定がなされるのかという質問が湧きあがりました。講師は、それは国の官僚の判断であると説明していましたが、それは金太郎飴のように、(ダムと同じく)中央政府が決定した政策に各地方自治体が便乗してどこでも同じようなことをやってきたという意味なのでしょう。その過ちは、都心に近く、本来もっとも付加価値の高い場所に人が近づくことのできない石油コンビナートや鉄鋼を中心とした重化学工業地帯をつくりあげた時から始まっているのです。そのような臨海部から必然的に公害が発生し、多くの市民に危害を加えてきました。その問題はまだ完全に解決されたと言えない状態です。

保守、革新を問わずに、川崎市政はそのような工業地帯からの法人税(30%を超える)によって川崎市民の福祉政策(そこに違いはあっても)をまかなってきました。そのやりくりのために、世界的に見ても新たな発展の余地があり、十二分に付加価値が付く産業に転換させ、市民の憩いの場となるべき可能性のある臨海部を放置し続けてきたのです。

臨海部は川崎全体の2割の面積で、そのうちJFEのような鉄鋼会社は6割を占め、石油関係をいれると7-8割になると思われます。しかしグローバリズムによる世界の動きは想像以上に速く、臨海部の多くを占めるそれらの装置産業は早晩、「縮小と統合」の決断を迫られるでしょう。それまで私たち市民はただ手をこまねいて待つしかないのでしょうか。私たちは50年、100年先の最も付加価値のつく海辺の臨海部のあり方を議論しなくていいのでしょうか。それには何よりも、行政パーソンだけでなく、市民が参加して都市計画そのものの政策論議、決定過程に加わる制度の保障が必要です。どうせ東京と横浜と一緒にやるなら、東扇島にかけようとする橋に鉄道を通し東海道線と繋げてはどうか、こんな発想が縦割り行政にできますか? 環境都市・川崎に相応しいと思いますが、阿部市長、いかがでしょう?

2011年2月9日水曜日

「性的マイノリティと​地域社会」報告ー佐藤​和之

Subject: Re: 「レズビアン差別」に対する崔さんの意見についてー金志映
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/httpanti-kyosei.html)

崔勝久 様、

ML上で「レズビアン差別」が話題になっているようなので、
私が主宰するCS神奈川懇話会のレポートを添付します。短文
で、参考以上ではありませんが。なお、CS神奈川懇話会は少
人数の勉強会ですが、いつか崔勝久さんを招いて話をしてもら
おうと、勝手に考えています(笑)。

ところで、昨日今日とアイヌ民族支援団体の集会に行って来ま
した。彼らとは、私がやっているチェチェン支援運動と共闘関
係にある訳ですが、彼らに崔さんの論文を紹介すると、やはり
頗る評判がいい。

また、一昨日まで大阪・鶴橋にいる在日の友人宅にいました。
が、今回は在日関係の取り組みではなく、労働運動と「カザフ
スタン文化センター」訪問が目的でした。カザフスタンは、強
制移住でチェチェン人と高麗人とが出会った場所です。文化セ
ンターは、ある在阪カザフ人が日本人スタッフと、アングラに
いるロシア人らに支えられて運営しています。

おっと、長くなりそうなので、以上。



佐藤和之
Kazuyuki Sato

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ちらし6.25第八回CS神奈川懇話会
「性的マイノリティと地域社会」報告

6月25日(金)川崎市の中原市民館において、市民連帯神奈川の懇話会が開かれ、7名が参加しました。話題提供者は、性同一性障害であることを公表し、世田谷区議会議員になった上川あやさん。まず、上川さんから約2時間に及ぶ報告があり、続いて参加者との間で活発な質疑応答がなされました。

テーマは「性的マイノリティと地域社会」ですが、法務省人権擁護局が掲げる強調事項のうち、世間の関心度が低いワースト2が「同性愛」、ワースト3が「性同一性障害」であるという調査結果があります(ワースト1はアイヌ民族問題)。しかしながら、LGBT(レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)など性的少数者をめぐる諸問題は深刻であり、しかも論点は複雑多岐にわたります。そこで主催者としては、時間制約なしに問題提起をしてもらうよう、あらかじめ話題提供者に依頼しておきました。

さて、上川さんの「性的少数者と人権-とりまく社会状況と困難」と題する報告では、性染色体という生物学的医学的な話から始まり、体と心の性ないし性的指向とが一致しない、あるいは性が決められない者の内面的葛藤、周囲の差別・偏見と社会的不利益、性的少数者のNGO活動、同性同士が結婚できる国と同性愛者を死刑にする国、日本の「性同一性障害特例法」と今後の課題など、次から次へと重要な問題提起がなされました。さらに、自分自身の生育歴と家族・学校・職場の話、シンガポールやアメリカでの生活、性別移行とカミングアウト、NGO活動から区議会議員当選までの経緯、様々な少数者の声を尊重した議員活動などを紹介。

そして、沈黙からは何も生まれないこと、民主主義制度を動かすのは人であること、議会や行政に少数者の声を届けるには当事者のVisibility(存在の可視性)こそが鍵であることを、上川さんは自己の体験から力説していました。

報告の最後に、アイデンティティの根幹である性のスペクトラムと、多様な人々の連帯が社会を構成していることが、結論として指摘されました。実際、同性愛者だけでも人口の10%と言われているそうです。但し、差別を恐れる人は「苦しい・・・」とさえ言えないことから、問題は不可視化されています。したがって、性のあり方をめぐる「ふつう」や「常識」を問い直すと同時に、想像力ある周囲への対応が必要でしょう。そして近年、性的少数者に対する日本社会の認識は、確実に変わってきています。

質疑応答では、性自認に関するジョン・マネー説の問題、現行「性同一性障害特例法」の性別変更条件、「障害」という規定などをめぐり討論になりました。性自認の決定要因には、先天的なものと後天的なものがあるという説が、最新の研究だそうです。さらに現在、戸籍上の性別変更には、①性別適合手術、②婚姻なし、③成人前の子なし、という条件がありますが、その点を改正していく必要性が説かれました。

そして一般に、LGBTなどを「障害」だとすれば社会的に取り組むべき課題となり、「個性」だとすれば自己責任の領域へ追いやられます。その場合、「障害」=悪という前提がありますが、その点にも疑問が投げかけられました。

終了後の交流会では、皆が議論に没頭し、気がつくと1日が終わろうとしていました。こうして、スリリングでラディカルな夜は、瞬く間に過ぎていきました。最後に、26日午前1時のツイッターから、上川さんの呟きを紹介しておきます。

「川崎市での講演から帰宅なう。講演終了後もディープに武蔵小杉の居酒屋さんで語り合って帰路につきました。高校時代、武蔵小杉のマンモス校(男子校^^;)に通っていた私だけれども、周辺環境の激変ぶりには驚くばかり。駅から高校への通学路が思い出せませんでした…」。

2011年2月8日火曜日

「当事者主権」とは何か?

「当事者主権」という単語は、障害者の中西正司さんと上野千鶴子さんが書いた『当事者主権』(岩波新書)で有名になり、今ではマスコミでも普通名詞として使うようになっています。この本のことをどちらの発言かわからない、立場が不明と批判する人がいましたが、それは間違いです。二人の著者が自分の障害者、女性としての闘いの中から見えてきたことを話し合ううちに、お互いが刺激しあい、一人の意見が止揚されるなかで一体となり、まさに二人の意見としてだされたのが「当事者主権」であったのでしょう。

この本の中には刺激的なことばが散らばっています。「当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれもー国家も、家族も、専門家もー私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である」(4頁)、「当事者主権とは、社会的弱者の自己定義権と自己決定権とを、第三者に決してゆだねない、という宣言である」(17頁)、「当事者主権の考え方は、この代表制・多数決民主主義に対抗する」(18頁)。ほれぼれする啖呵です。

しかし、「当事者主権」はいつのまにか、ケアされる(或いは差別される、マイノリティ)側の当事者だけでなく、ケアする(或いは差別者、マジョリティ)側も当事者であるという認識が広がり、定義が曖昧になって来ました。「この用語法のもとでは、世の中に『当事者でない者はだれもいない』と言うことも可能になる程度に、当事者概念のインフレを招き」、そこで改めて上野さんが、「当事者とは誰か、ニーズとは何か」を正面から論じています(「ケアの社会学」『季刊at 15号』)。

上野さんはケアの現場から論じるのですが、そこには専門家やケアする側の言い分がいろいろとある中での発言と受け取れば、彼女の言い分はまことに明確です。「『なにをしてほしいかは、私に聞いてください』ということ、これこそが『当事者主権』の思想である」。この思想は、ケアを必要としている人だけでなく、あらゆる「マイノリティ」とされる人たちにとっても有効です。勿論、在日朝鮮人にとっても。

「在日」にとって差別とは何か、「当事者」としての「在日」は何をしてほしいと訴えているのか、このことをどうして「当事者」抜きにして、憲法学者や社会学者(心理学者も含めましょう)、それに「多文化共生」に携わる行政の担当者は「専門家」としての意見を述べたがるのでしょうか。

しかし、ケアとは何かはケアを受ける人が一番よく知っているのと同じく、日本社会の何を差別・抑圧と捉え、何をしてほしいのかということは、まず、「当事者」である「在日」から聞くべきなのではないのでしょうか。それを客観的な歴史、法体系、憲法問題などをよく知らない一般の人に「啓蒙」することが重要だとばかり、「啓蒙」に走ることを職業にしている「専門家」や「連帯」を唱える運動体もあります。彼らはひどい場合、自分の意見に合わない、或いはやり方が気に入らないからと「当事者」との「共闘」を公然と拒みます。どうしてこういうことがおこるのでしょうか。これは大変不幸なことですね。

「在日」が日本人の立場性を問い、沈黙を強いるようなやり方に対して、私は批判をしています(「『民族差別とは何かー対話と協働を求める立場からの考察―1999年『花崎・徐論争』の検証を通じて』http://www.justmystage.com/home/fmtajima/」。「在日」が何を欲するのか、この「当事者」の意見を無視して、客観的に必要で正しいことを進めればよいというのは間違いです。「在日」にもいろいろと意見の違いがあります。何が正しいとは言えません。しかし「当事者」にいいことであると、「専門家」に勝手に判断してほしくありません。自分たちに都合のよい「当事者」だけを相手にし、他を排除するようなことはやめていただきたいものです。私たちのような「多文化共生」を批判する「在日」「当事者」とも一緒に議論をしようではありませんか。

「多文化共生」をどうして私たちは批判するのかについてまず、しっかりと耳を傾けて理解してほしいものです。批判の仕方がおかしいとか、一生懸命やっているひとを無視しているというのは的外れな反論です。日本政府と行政は結局のところ、「当事者」からの差別への怒りの声であった「共生」を求める声を吸い上げ、「多文化共生」をスローガンにして掲げ、社会の「統合」を求める政策を遂行しようとしているのであり、外国人「当事者」と一緒になって論議し決定しようとはしていません。外国人市民代表者会議があるではないか? これは、「行政のパターナリズム(父長的温情主義)」「ガス抜きの場」(上野千鶴子、『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』)です。

「在日」の徐京植と障害者の安積遊歩とはどこが違うのか。安積の言葉は激しく、恐らく反発して逃げた人も多いでしょう。しかし彼女は健常者を突き放したり沈黙を強いてはいませんし、決して切り捨てることをしません。それに付き合いきる人も偉いですが、その両者のぶっつかりあいから新しい道が見えるのです。しかし日本人としての立場性を問う「在日」はこれまでどうであったでしょうか。私は自分自身を振り返っても反省することが多いと考えています。

差別・抑圧を生み出した歴史・社会構造の歪みを身をもって知る「在日」「当事者」として、その歪みを日本人と協働して変革していこうという働きをすることが私たちの課題です。
まず何はさておいても「当事者」の声を先にお聴きください。そして意見の違いがあっても対話を続けましょう。全てはそこから始まります。

2011年2月7日月曜日

ご講評どうもありがとうございましたー長谷川亮一

(以下、長谷川さんのメールより)

長谷川です。ご講評どうもありがとうございました。

「おわりに」(の「戦後における国体論の変容」の節)に裏付けが無い、と
いう点は、手厳しいご批判、かつ今後への期待として受け取らせていただきま
した。若干の釈明的補足ををしておくと、当該個所は、第1章における議論を
踏まえた上で書いたものです。

そもそも、天皇制がいわゆる象徴天皇制という形で、男系世襲君主制として
“存続”しているという事実がある以上、いわゆる国体論が「終戦」とともに
消失したなどといえるわけがない、ということは、ほとんど自明の前提という
べきもの、と私は考えています。さらに、戦後の文部省(文科省)の教育政策
が、象徴天皇制と、それを基軸とするナショナリズムの教化をひとつの基軸と
して展開されてきたことも、教科書検定や日の丸・君が代の押しつけなど、
様々な事例から知られる通りである――ということが、あの話の前提でした。

とはいうものの「“強い”国体論」と「“ゆるやかな”国体論」の対比が必
ずしも明確でない、きちんと論証されていない、という点は確かにその通りで
ある、ということは痛感しております。この点については、たとえば、美濃部
達吉や津田左右吉に代表されるような、リベラリストとして大正期の学界を
リードし、十五年戦争期の「“強い”国体論」の犠牲となり、戦後は象徴天皇
制のイデオローグとなった天皇主義者たちをどうとらえるのか、といった問題
とかかわってくるのではないかと思っています。

最近の私見では、そもそも「国体」/天皇制というものは基本的に融通無碍
なものであり、歴史的に一貫するものを一切持たないにもかかわらず、一貫す
るものを持つかのように装っている、というのがその本質であろう、というよ
うに感じています。おそらく「天皇(制)はなぜ続いたか」という問いを立て
ること自体が誤りである(なぜなら、この問いは「天皇制に何らかの意味で一
貫したものが存在する」ことを前提としているからである)。

長々とわかりづらい話を書いてしまい申し訳ありません。それでは。

2011年2月6日日曜日

「レズビアン差別」に対する崔さんの意見についてー金志映

みなさんへ

休日はどのように過ごされたのでしょうか。この2,3日はあまり寒さは厳しくなかったですが、乾燥していて喉が痛かったですね。みなさん、風邪にはご注意ください。

さて、若い研究者が自分の研究成果を発表して、仲間や先輩学者の批判を受けながらもまれる「同時代史学会」に顔を出した私は、隣の女性と話す機会がありました。韓国の大学を終え東大で学ぶ彼女は、後日、私からのブログ内容を送るメールへの感謝と共に、「在日」である私の話を聞きたいということで、お会いしました。ジェンダーに関する造詣も深いようであったので、私が書いた「立命館大学の若手研究者による『レズビアン差別事件』論文に思う」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011_01_01_archive.html)についての彼女の意見を求めました。この間、「レズビアン差別」と「女性差別」とは違うということで、私の意見に対するメールが何通か寄せられていたからです。

彼女からの返事を以下に記します。私一人で読むにはもったいないと思い、本人の承諾を得て、みなさんにも読んでいただきたいと思いました。これで堀江論文への私の意見の中の、私の認識の不十分な点についてさらに議論を深めていけるようになると思います。私もこれをきっかけに「女性差別」「レズビアン」などジェンダーに関する本をしっかりと読むことにします。

金 志映(キム ジヨン)
博士課程
東京大学大学院総合文化研究科
超越文化科学専攻比較文学比較文化分野

ご自身の自己紹介:
私は現在、戦後ロックフェラー財団から奨学金を受けてアメリカに一年間滞在した文学者たちの「アメリカ」表象をテーマに、博士論文を執筆しております。この留学制度は、アメリカの対日文化冷戦政策の一環として準備されたもので、その裏には日本人知識人を親米化する意図があり、大岡昇平や福田恒存、江藤淳など戦後を代表する多くの文学者たちがアメリカに招かれています。そのような時代状況のなかで、各文学者がどのようにアメリカを体験し、表現したのか、そしてそれらの文学的言説が当時の言説空間のなかでどのような役割を果たしたのかを明らかにすることに現在の関心があります。こうした考察を通して、戦後日本がもっぱらアメリカとの関係を軸にナショナル・アイデンティティを築いていくなかで、アジア諸国が多くの人々の意識から抜け落ちてきた歴史認識の問題を、もう一度明らかにし、問い直すことができればと考えております。

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(以下、ご本人のメールから)

もととなっている堀江さんの論考を探したのですが、まだ学校の図書館に入っていないみたいで、残念ながら本文を入手できませんでした。何せ本文を読んでいないので、崔さんの感想だけを読んで少し考えたことを書きますが、私の読み違いになってしまうかも知れません。ご容赦ください。

まず私は、同性愛者差別の問題は女性差別の問題と連動しているという崔さんの認識には全的に賛成します。また、レズビアン差別の問題を教会内のほかのさまざまな問題との関連のなかで捉え、教会の構造を根本的に問い直すことは、最終的には必要であるだろうと考えます。

ただ、「ホモフォビア」/「レズビアン差別」問題の根底に社会構造化された女性差別の問題がある」という認識の構図には個人的に違和感を覚えましたので、少し考えましたことを書いてみたいと思います。私の今までの理解では、男と女の二項対立を支える強制的異性愛と男性中心主義が基盤となって「男」を優位におき、それと二項対立的に構築された「女」を従属させる現在の社会構造は成り立っている。その表れが同性愛嫌悪あるいは同性愛差別であり、ミソジニーあるいは女性差別であるというふうに理解しています。つまり、「ホモフォビア」と「ミソジニー」、そして同性愛差別と女性差別が互いに連動し、折り重なっていると捉えるべきで、同性愛問題より女性問題がより根本にある、というまとめ方になるとやはり違和感があります。

したがって、女性差別の根底にミソジニーがあることは確かですが、ミソジニーを認識するだけではレズビアン差別問題を解くには不十分な気がします。これは一方で、フェミニズム運動内部から出てきた問題提起ともかかわっています。フェミニズム運動は「女」という主体を運動の基盤としてきましたが、一方で「女」という普遍的なカテゴリー/アイデンティティがあると想定することが、改革の可能性を前もって限界づけていたことに気づきました。そもそも「女」と「男」のジェンダー関係を揺るがすためのフェミニズム運動が「女」を前提としてしまうなら、「女」を超えて根本的にジェンダーの在り方を変革する可能性は内側から食い破られることになる。フェミニズム運動は「女」を離れては成立せず、しかし「女」を本質主義的に想定してしまうことは運動の可能性を前もって制約することになるというのが、昨今のフェミニズム運動が抱えるジレンマでもあります。

例えば七〇年代以降に盛り上がりをみせた「女性史」研究などは、「女」に関する「歴史」をかなり補充することに成功しましたが、歴史叙述において結局「女の歴史」は周縁にとどまったままゲットー化され、男性の歴史を中心におく認識構造そのものは温存されるという行き詰まりに逢着しました。そこでジョーン・スコット(著書『ジェンダーと歴史』)などは、「女」の歴史を発掘するだけでは十分でなく、同時に歴史記述の基本的な概念となっている「女」や「男」、「人間」といった普遍的とされた概念そのものが歴史的にどのように成立したのかを明らかにすることが必要であると提唱しています。

この方向性はフェミニズム全体の動きと足並みを揃えていて、ジュディス・バトラーのまとめによれば、「女が言語や政治においてどうすればもっと十全に表象されるかを探究するだけでは、じゅうぶんではない。フェミニズム批評は同時に、フェミニズムの主体である「女」というカテゴリーが、解放を模索するまさにその権力構造によってどのように生産され、まさに制約されているかを理解しなければならない」ということです。

通常、「女」や「男」というときには「セックス」と「ジェンダー」と「性的な欲望」の間に首尾一貫性が想定されていますが、「女」というカテゴリーがどのような規律や排除の権力のもとに作りだされているのかを問い直す地点から、フェミニズム運動が主体としている「女」がいったい誰を代表しているのかを問うとき、やっぱりレズビアンの問題を女性差別の問題に置き換えてしまうと、見えなくなる部分がたくさんあるし、レズビアン差別の問題を女性差別の問題に従属させるべきではないように思います。

その意味で、もし「「レズビアン差別」問題をきっかけにして女性差別の問題への視点を深めていけば」という提案が「レズビアン」差別を「女」差別の特殊(?)な一つの事例として捉え、レズビアンの問題を解決するためにはまず女性差別問題を考えるべきだ、という方向であるなら、そこに新たな抑圧が生じる可能性があることを恐れます。実際、初期のレズビアンの運動はフェミニズム運動と連動していましたが、運動を進めていくなかで徐々に限界に気づき、レズビアンの側からの異議申し立てもあって、現在では両者の関係ははるかに複雑なものになっています。

ちなみに、崔さんは男の同性愛者が昨今のマスコミで頻繁に取り上げられ、ひとつの「文化」として市民権を与えられている(?)ように見えるのに対して、女の同性愛者はあまり大衆的なレベルで共有される文化表象として登場しないことを挙げられ、そこに同性愛者差別の内にある女性差別を見て取り、「ホモフォビアの根底に女性差別がある」ことを示す事例として解釈されていたように思いますが、これはとても興味深い論点であると思いました。

しかし、歴史的に見ても男性よりも女性の同性愛に対して遥かに寛容であった事例がありますし、昨今のマスコミのゲイ表象は、男の同性愛に対してホモフォビアがないことを表わすよりも、あるいは禁忌が強く働いているからこそ男の同性愛者を戯画化した上で消費しているとも取れそうなので、解釈にあたってはもう少し慎重になる必要がある気がします。これは私にとってはまだ難しい問題ですが、むしろホモフォビアはやはり共通していることをしっかり見抜くことが大事なのではないかという気もしますが、いかがでしょうか…?

ポストフェミニズムの時代といわれる今、クィア研究はとてもさかんに行われていて、ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの撹乱』
(竹村和子訳、青土社、一九九九)、イヴ・コゾフスキー・セジウィック『クローゼットの認識論――セクシュアリティの20世紀』(外岡尚美訳、青土社、一九九九)などは私も多くを学んだクィア研究の代表的な成果ですので、もしも興味がありましたら、お勧めしたいです。

そのほか、「女」と「レズビアン」、女性差別と同性愛差別、フェミニズムやクィア研究の関係を考える上で参考になりそうな文献で、崔さんにも推薦したいものをいくつか見つけました。まずは、英語文献でもオッケーであれば、Cambridge University Pressから出ている”A History of Feminist Literary Criticism"(ISBN0521852552 )
(http://www.amazon.co.jp/History-Feminist-Literary-Criticism/dp/0521852552/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1296981694&sr=8-1)という入門書のうちHeather Loveという人がまとめた第16章”Feminist criticism and queer theory”が一番フェミニズム/レズビアン・フェミニズム/クィア研究とのあいだの複雑な関係を明快にまとめていると思うのですが、これは翻訳がまだ出ていないみたいなのでちょっと入手が困難かもしれません。

日本語文献では、バトラーの思想を分かりやすくまとめながらフェミニズムと「女」のカテゴリーについて書いたものとして、丹治愛編『知の教科書 批評理論』(講談社選書メチエ282/講談社、2003)のなかの第6章「「女」はもはや存在しない?―フェミニズム批評』」(遠藤不比人)、クィア批評が従来のフェミニズムに提起する問題としては、大橋洋一編『現代批評理論のすべて』(新書館、2006)のうち三浦玲一「フーコーからバトラーへ」(p.108-111)を読むと問題の在り処が分かりやすい気がします。

2011年2月4日金曜日

「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。

長谷川亮一『『皇国史観』という問題―十五年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策』(白澤社、2008)を読みました。私はこの本は、「皇国史観」と「15年戦争における文部省の修史事業と思想統制政策」にターゲットを絞っているものの、日本の「国体」とは何であったのか、そしてそれは現在においても、「その時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」だけなのではないのかという問題意識に基づいて書かれたものと受けとめました。

小熊英二は膨大な資料を駆使して日本の「単一民族論」が時代状況に応じて出てきた便宜的なものでしかないことを証明しました。長谷川は学部、修士、博士論文で一貫して「皇国史観」をとりあげこの著作に至ったと述べています。私はこれまでの自分の理解がいかに断片的なものであったのか、例えば、「八紘一宇」とは何かについて、それがどのような時代背景の下で、どのような考えによって流布されたのか、そしてその概念そのものも日本書紀の字面を利用して「作り上げ」られたものであるのかということがよくわかるようになりました。

「皇国史観」、これを私は「植民地主義史観」と捉えていましたが、戦後民主主義の時代になり、「皇国史観」は徹底して批判されて来ました。そして完全に過去のものと思われています。しかし実は、「皇国史観」とは何であったのか、これまで十分に検証されていなかったというのです。長谷川は、「国体」とは、天皇制を柱として「対内的には異民族支配・異民族統合を正当化すると共に、対外侵略を正当化する理念」であり、そして「皇国史観」は、「一九三0年代以後の対外侵略と国民統合・国民動員の正当化の必要に応じて、(日本書紀などの)一連の書物を恣意的に取捨選択しながら作り上げられた歴史観」と簡潔に整理します。

文部省に動員されて歴史書作成に協力していった歴史学者はある意味、戦争への「協力」を求められたと見ることができるのでしょうが、その「戦争協力」の度合いに濃度差があったとしても「戦争責任」は曖昧にされてはならない、同じ歴史研究者として長谷川はその点を自分の問題として受けとめようとします。しかし長谷川は先人を弾劾するのでなく、自分も同じ道に陥ったかもしれないという可能性を見つめながら、先人の言論を丁寧に読み込み批判します。

日本の各団体、運動体も戦前戦中、自身の運動課題の実現のため(という口実で)、こぞって戦争に自ら進んで協力していったにもかかわらず、その責任は追及されず問題点は曖昧なままになっています。部落と女性の解放運動、労働運動もしかり、日本のキリスト教会も同じです。戦争責任告白をしたもののそれは聖職者間での議論に留まり、実際に朝鮮、中国その他のアジア諸国に行き殺戮、侵略行為をし日本の領土拡大をよしとしてきた一般信徒の間でその告白文をめぐる論議がなされませんでした。そして今ではその戦責告白は有名無実化されています。

「皇国史観」と「国体」に対してその当時の文化人、知識人はどのように考えていたのか。辺見庸が鋭いのは、嬉々として軍の慰問に行く文化人の問題点を鋭く見据えながら、自分であればどうであったのかと捉え返し、過去の人を安易に糾弾していない点です。それは、先人を危機的な状況にある現在に生きる自分にかぶらせて捉え、その中で不十分であっても自身の歴史に対する責任を全うしたいと本気で考えているからでしょう。

中野敏男によれば、戦後いち早く日本人の「主体性論」を記した、あの大塚久雄と丸山眞男が自ら戦争協力をするという姿勢を見せなくても、当時の時代状況を無意識にせよ肯定的に反映させた論文を書いていたと言うのです(『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任』)。中野の指摘の通り、彼らの戦後の主体性論が、アジアの植民地支配被害当事者を視野に入れず植民地主義の問題を正面から取り上げない水準で展開したことと無縁ではありえないでしょう。

責任問題を含め、社会と自分自身を厳しく検証せずに過去のことを曖昧にしている最大の問題点は、現在の歴史状況、動向に関して過去と同じような曖昧な態度をとっていることです。長谷川が最後に記した、「国体論がその時々の状況に合わせて都合のよいように変質している」という箇所に私は凍りつきました。

そうだったのか、戦後の日本社会というのは植民地を失くし、日本国統合の「象徴」となった天皇制を柱とする体制をそのまま残し、今の状況に都合よく変質した「国体」だったのか。そう考えると憲法一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国統合の象徴であって、この地位は、主権の存在する日本国民の総意に基く」はなんともやりきれないものに見えます。はやりこの国は、外国人を「二級市民」として受け入れながら、日本人によって成り立つということを全ての前提にしているのです。

横浜の自由社版教科書のことが気になります。横浜全市の中学でこの教科書を使わそうという動きがあるのはどうしてなのでしょうか。これは特殊横浜の問題ではありません。教科書の記述が子供に与える影響が云々されますが、私は長谷川の著作を読み、教科書の記述内容の問題に留まらず、教科書を代えようと画策する人たちが何を企んでいるのかを明らかにすることが重要だと思いました。

それは現在の「国体」の質に関係し、現在および将来の国民国家日本の新たな植民地主義戦略にとって必要なイデオロギーを歴史教科書において正当化し、国内統合を求めようとするものではないでしょうか。その一つが「多文化共生」です。外国人が急増し(外国人労働力を必要とし)、海外市場の拡大を求め、海外企業に資本参加して利益を求める大企業の動向、その方向に国家戦略を定めるには、過去の植民地支配は全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう。しかしそのような手前勝手な認識を中国、韓国その他のアジア諸国が認めるでしょうか。

長谷川の著作の「おわりにー戦後への展望」には主張を裏付ける資料があるわけではありません。これを欠陥とみるのか、問題意識の発露とみて今後を期待しようとするのか、評価がわかれるでしょう。私は後者に与します。

2011年2月2日水曜日

日立の労働組合の実態ー朴鐘碩

「企業内植民地主義」 NO.1 朴鐘碩

The worst sin towards our fellow creatures is not to hate them, but to be indifferent to them: That’s the essence of inhumanity. George Bernard Shaw
(ほかの人間に対する最悪の罪は、彼らを憎悪することではなく、彼らに無関心でいることだ。それこそが、残酷さの本質だ)

「職場討議資料 2011年総合労働条件改善闘争の取組みを主要議題とする電機連合第97回中央委員会議案に関する日立労組見解」を掲載した有料(購読料は組合費の中に含む、1部6円)の機関紙(HITACHI UNION NOW)が、組合員に配布された。「日立労組中央委員会はていきされている議案について慎重に検討した結果、次の見解を以って臨みたいと思います。各支部・分会・単組においては、本見解について十分な職場討議を行うよう要請します」

これまで企業内日立労組の実態について書いてきた。改めて機関紙から問題点をいくつか列挙すると、
1.(私が抗議するから)機関紙は、組合員が不在時に説明もなく配布されるようになった。
2.組合は、「職場討議資料」である機関紙に記載されている議案内容を一切説明しない。
3.組合員に「職場討議」を求めておきながら、議案は「結論」として位置づけ、3万人を超える組合員に配布している。
4.「十分な職場討議を行うよう要請します」と書かれているが、支部、分会、単組は職場集会を開かない。職場討議は一切なし。
5.議案内容の説明もないのに、組合員は何を討議すればいいか、何もわからない。
6.議案内容が記載されず不明なのに、見解は「特に問題ないと考えます」と結論付けている。
7.全ての議案は、組合員の討議を待たず「原案支持」と記載されている。
など、機関紙が配布される度に多くの疑問が沸いてくる。しかし、組合に質問する組合員はいない。定年が近い組合員である私の質問、意見、要望は、依然として無視されている。

機関紙は、一部の組合幹部が勝手に決めたことを伝達する組合員への「通知書」である。「議案は全て満場一致で可決したから、組合員は黙って従いなさい。組合員は余計なことは考えないで、業務に集中して組合費だけ納めればいい」と暗に伝えている。

定年近くなれば、ものが言えない組合員は、我慢して「円満退職」するまで時間に流されていくようだ。「不条理なこと、おかしなことがあっても、波風立てないでおとなしく定年まで我慢すればいい」だけかも知れない。定年近くまで組合員の位置で働く(管理職になれない)エンジニアは稀である。ある年齢に達すると、多くは関連会社への出向、天下りあるいは管理職に昇格する。

日立労組は、組合員の声を無視して全て上から決定していることがわかる。組合員は、機関紙を読まず机上に放置、あるいはそのまま廃棄処分にする。機関紙、議案の内容と関係なく一日の業務に追い込まれ、職場の雰囲気に呑み込まれていく。

組合活動は、組合員の置かれている現実、直面している問題と乖離している。生産活動に従事せず、組合費で生活し、現場と「別世界」にいる組合幹部の日常行動は不明である。現中央執行委員長は、私が勤務する職場の委員長だったが、「昇進」した。支部委員長選挙で私と競い議論した相手である。

今年4月の統一地方選に向けて、横浜市議会議員選挙立候補予定者の選出決定は、候補者自ら「昨年11月30日開催のソフト支部第7回評議員会にて横浜市会議員候補(戸塚区)予定者として御承認を戴きました」と支部労組発行、新年号のチラシに書いている。組合員の中には、「職場で何も知らされていない。なにも話し合っていない。誰が決めたのか。個人で立候補すればいいのに何故組合が組合費を使って応援する必要があるのか」と内心反発し、怒りを感じるものの組合に抗議することはない。

評議員会は、労使双方で職場から予め組合員を指名して、対立候補が出ないように仕組まれた「選挙」で決まる評議員の集まりである。評議員は、組合員の意見を聞かず職場組合員の「代弁者」となっている。その「代弁者」は、評議員会で何も発言しない。上から提起された議案に「賛成」の意思表示をするだけである。組合の独裁的なやり方を批判し、議案に反対することはない。このように議案は全て「満場一致」で可決できる仕組みになっている。これが企業社会の労使一体を前提とする、全体主義という「民主主義」である。

毎年、私は評議員に立候補しているが、残念ながら当選したことはない。当選できない、させないように組合も会社も事前に準備しているようだ。当選しないことはわかっているが、それでも立候補することに意味があると自分を慰めている。

評議員に立候補させられ(し)た組合員に、「自らの意志で立候補したのか、何故、立候補するのか、組合に不満があるのか、どのような組合を作ろうしているか」などの所信を尋ねると彼らは困惑する。沈黙が彼らの返事である。普段、組合に関心もない、ものが言えない後輩の組合員が選挙になると突如立候補させられる。彼らに質問し所信を聞く私が浅はかだった。

企業の正規労働者は、組合員の声を無視し、全て勝手に決定する企業内組合に強制加入させられ、組合費を給与天引きされる。「組合費は税金」と言う組合員もいた。組合を脱退する自由はない。脱退すれば最悪解雇に繋がることもある。組合員は生活できなくなる。文句・苦情を公に訴えれば組合・会社から睨まれ、昇進の妨げになるかも知れない。それより毎日、抑圧的な企業社会の職場環境で取り繕った笑顔を失わないで共に仕事する同僚、上司の冷たい視線に耐えられるだろうか。企業社会で生き延びるためには黙って我慢するしかないのだろうか。しかし、沈黙は「企業内植民地」体制を強化する。

昨年末、西川長夫教授は、植民地主義研究会で「この問題は奥が深い。考えれば考えるほど行き詰まって泥沼に入る。出口が見つかるのか」と語られていました。教授の「国民国家論の射程 あるいは<国民>という怪物について」(柏書房1998年)に(企業内)労働組合をはじめ人権運動体の「反体制運動はなぜ体制化するか-世界システム論的観点から」と、私が知りたかった内容が書かれています。

「反システム運動は、資本主義経済の政治的構造と世界ブルジョア階級の自信を根底から動揺させてきた。しかし、まさにその成功、部分的成功のなかで、これらの運動は資本主義世界経済とその上部構造、すなわち国家間システムを強化してきた」
「反体制運動はなぜ体制化するか。自由民権運動がなぜ国権に、ナショナリズムにとらわれてしまうのか、その必然性といいますか、これはもっと広くわれわれの戦後50年に、われわれが知っている世界の、あるいは日本の歴史過程をずっと見ていっての一つの悲しい結論でもありますが、反体制運動はやがて体制化する、そういう教訓をわれわれは学んでしまった」
「反体制の運動であるから国民国家批判になるかといえばそうではないわけで、むしろ反体制の運動であるからこそ民衆を巻き込んで国民国家を助ける。ナショナリズムを強化するような機能・効果を持ってしまった」と書かれています。

企業内労働者は、生産活動の歯車の一つである。生産から得られる莫大な利益は企業、国民国家を支え強化する。戦後65年、企業経営者、労働運動の戦争責任を不問にしたことは、企業社会から民主主義、言論の自由を追放し、反体制運動を体制化したことにも繋がった。(教育)労働者は沈黙し、ものが言えなくなった。反体制運動が、いつのまにか多くの住民・市民を巻き込み、体制を強化するあるいは補強する運動にもなっている。植民地主義を強化する「労使協働」「共生」のスロ-ガンは、そのシンボルである。

「労使協働」「共生」の矛盾と問題点は何か、を知るには、属する組織が真に開かれた質を持っているか自らの生き方を賭けて確認することかも知れない。