「企業内植民地主義」 NO.2 朴鐘碩
企業社会は、春闘が始まった。組合幹部だけが騒いでいる。現場は春闘と関係ない白けた世界である。組合から組合員に春闘方針、労使交渉の経過説明は一切はない。組合員は、春闘に関心はない。黙ってひたすら業務に励んでいる。春闘の主役は組合幹部と経営者の一部にすぎない。労使幹部で予め決めた「結論」を導くために、スケジュ-ル、シナリオを作り、それに沿って組合員にものを言わせず労使交渉を進める。
組合掲示板に「春闘スト権委譲投票」が公示された。組合掲示板の前に立ち止まって読む組合員の姿を見たことがない。私が役員選挙に立候補したとき、結果を見る組合員の姿を見たことがある。私が近づくと同時に周囲を気にしながらその場から離れる組合員がいた。組合員掲示板をじっくり読むことさえビクビクしながら周囲に神経を使わなければならない職場環境である。
「春闘スト権委譲投票」とは何か、その意味を理解していない組合員もいる。何故「スト権委譲投票」があるのか、誰がどこにスト権を委譲するのか、何故委譲しなければないないのか、議案は組合幹部が勝手に決定しておきながら、何故スト権は投票で決めるのかと疑問を感じる。私は、毎年執行部に質問しているが回答はない。
評議員は、組合員名簿で投票しない組合員をチェックしている。評議員は、意図的に管理職である上司、周囲の組合員に聞こえるように、組合員に「投票しろ!」と恫喝する。組合は、組合員が投票を拒否できないように抑圧的な職場の雰囲気をフルに活用している。評議員の威圧的な姿勢に「投票しない」とはっきり拒否する、できる「勇気ある」組合員はいない。投票用紙は立会人の前で記入する。
組合員から問題点を指摘されてもそれを平気で無視して毎年このような方法で選挙は強行されるため、普段、組合活動に関心はなく沈黙し、業務に追われている1500名近い組合員は、選挙になれば100%近い高投票率である。組合組織のやり方の問題、矛盾を指摘する私のmailを読む組合員は「投票は強制されるもではない。したくなければしなくてもいい」と理解したのか、投票率は85%にまでに下がった。
今回、なぜか、私の職場(選挙区)は、評議員から毎年mail展開されていた投票通知も恫喝もなかった。投票選挙を実施している様子もなかったから、私がいる職場(選挙区)の投票率は(毎年)低いと推測する。各職場選挙区の投票率、選挙結果は公開しない。それでも支部全体の委譲賛成投票は96%を超えている。「春闘スト権委譲投票」の説明はなくても、組合活動に関心がなくても組合員は沈黙し投票する(させられる)。組合幹部は、組合員の労働条件を経営者に要求しているが、組合員は春闘について一切話さない、話せない。組合員から見向きもされない掲示板だけが黙って組合員に語りかけている。
このような職場環境を作っておきながら、中央労組の「職場討議資料」である機関紙は、「会社より提案された具体的な見直し案を基に、職場意見を踏まえた論議を行ない、・・中央委員会において、一定の結論を得ました。各支部・分会においては、職場討議を行ない・・中央委員会に意見を持ち寄られる要請します」と書いている。支部「組合ニュ-ス」も「支部としては中執見解を支持したいと考えます。各職場区におかれましては、意見収集を実施の上・・評議員会に意見・要望と、賛成・反対の態度をお持ち寄りください。」と記している。
組合、評議員は、春闘方針を説明しない。職場討議を実施せず組合員の意見を聞こうとしない。議論もしない。組合員は「意見・要望と、賛成・反対の態度」表明する立場、状況に置かれていない。意志表明することもできない。ものが言えない。沈黙を強要されている。このような状況で、日立中央労組は、勝手に「一定の結論」を決め、支部は「中執見解を支持」している。「会社より提案された」案が「結論」となり、それを前提に春闘のシナリオを決めているようだ。
組合は、ものを言わ(え)ない組合員の委員を集めて「定期大会、中央委員会、代表者会議」などを開き、議案に沿った「結論」を前提にした委員の声を「意見・要望」として機関紙に掲載するが、議案に対する問題点、質問は全くない。「意見・要望」は形式的に受け付けるが、執行部への批判、質問は一切受け付けない。職場組合員から意見・要望・質問は出ることはないから、議案は自ずと結論となる。経営者幹部と組合執行部の思い通りの交渉ができる。ものが言えない組合員の労働条件は、このように決まる。
これは、Sweetheart agreementである。民主党政権を支える連合(労組)幹部と経団連経営者の「馴れ合い」による労働者にとって不利な労使交渉と言える。組合幹部は、組合員から執行部への批判、問題、矛盾を隠蔽し、組合員を沈黙させることによって組織の温存と幹部の延命、経営者の利潤論理のバランスを図ることができる。元組合員であった経営者幹部はじめ現場の管理職は十分解っていることである。世界は、弱者である民衆の人間性を否定し人権を弾圧・抑圧する国民(独裁)国家に囲まれている。企業社会は、その「独裁」(「植民地主義」)を裏付ける一つの縮図といえるかも知れない。
春闘要求の「組合ニュ-ス」は、4月の統一地方選(横浜市議)候補者を応援する記事も掲載している。組合会館は既に「選挙事務所」に変わっている。目的は不明だが「春闘高揚ボウリング大会」を知らせる記事もある。参加する組合員たちは、ボウリングしながら春闘について活発な議論をするのか。
組合支部から職場評議員を通じて、説明もなく以下のmailだけが組合員に展開された。
■ 第一次団体交渉
評議員会にて2011年春闘の要求安に関して全会一致で可決され、支部として、この結論を持って日立労組中央委員会に臨みました。中央委員会では、賃金・一時金に関する要求案が満場一致で可決され、第一次交渉で要求案が提出され、2011年春闘がスタ-トしました。
企業社会で生きる労働者、エンジニアは、組合費だけ納め、経営者・組合のやり方に疑問・問題・矛盾を感じても生き延びるために沈黙するしかないのか。
2011年2月23日水曜日
2011年2月22日火曜日
昔の写真、力動山・白井義男・ベビーゴステロ・親父

1952年、ハワイに行ったベビー・ゴステロと親父です。下はその時世界チャンプになった白井義男とカ―ン博士です。負けたダド・マリノも写っています。力道山のリキジム
にはうちのオールジムから重量級選手だけ、移るようになっていました。
これは誰だかわかりますか。力士時代の力道山と親父です。力道山は同郷の親父を兄貴と呼んでいました。谷町でもあった親父の名前は力道山に関する本には出て来ませんが、力道山が死ぬまで親しく付き合っていました。今日はむつかしい話しはなしで行きましょう(笑)。
そもそも日本のボクシングの最初のチャンプを決めたのは、昭和23年で、西日本と東日本のチャンプが闘い、その勝者が初代日本チャンプになったのです。うちのオールジムからは5階級のうち、2階級の選手を輩出する名門でした。
私はいつも親父に連れられて東京に行き、力道山の家で泊り、力道山も大阪に来るとうちに来ていました。プロレスの初期のころ、柔道出身の木村や山口という選手と日本のプロレス業界の覇権を争い、力道山は「約束」を無視して無茶苦茶にやっつけたのですが、そのとき、遅い晩飯を食べながらそのときの様子を話していた記憶があります。
「在日」とアウトロー、プロレスとボクシングは興行のためにとアウトローとの付き合いは必定でした。昔のやくざの組長はほとんど難波にあったうちの練習生だったと言います。
芸能界とスポーツ界、ここには多くの「在日」がいました(し、今もいます)。しかし圧倒的多くの場合、出自して生きなければならないというのは、なんともやりきれないですね。
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本邦、初公開!
みなさんへ
今日は、一休み。ボクシングを観たことがない人に贈ります。http://tubetw.it/110222001017390
フィリピンの選手で、世界最高峰の技術、スピード、パンチを持つ注目すべき選手です。
何がすごいかと解説しますと、相手の右のフックを受けながらそれを予想して最小限の「被害」にし、間髪いれず、カウンターで強烈な左フックを打つ、そのタイミングのよさです。
ここに防禦と攻撃の技術だけでなく、天性の勘のよさを感じます。お互い構え合っているところで相手側を打つというのは大変、むつかしいのです。自分もその距離に入ると殴られることを意味しますから。
浪人中、住まいの上にあったジムで、プロのボクサーとスパーリングをしたことがあります。勿論、私はまともな訓練は受けたことがなく、小さいころからの見よう見まねで対戦したのですが、相手は私が素人で、かつオーナーの息子と知らず、生意気ながきということで思いきり殴ってきました。
1ラウンドは「互角」でやりあったのが運のつき。2ラウンドはヘッドギア―を外してスパーリングを続けました。そこに強烈な右フックを叩きこまれ、そのまま頭からマットにもろに倒れこみました。後は気を失い、気が付いたら病院でした。
1週間、入院しました・・・
私の小さいころ、ベビーゴステロという天才、フィリピンボクサーがうちのジムの看板選手で、彼はフラッシュ・エロルデと対戦したことがあります。彼こそ、フィリピンの初代英雄です。
ベビー・ゴステロのことは城島充『拳の漂流ー「神様」とよばれたベビー・ゴステロの生涯』(講談社)をお読みください。その背景に、オーナーであった親父の「在日」の姿が垣間見れるはずです。
ゴステロは引退後、10人くらいのチンピラを相手にして素手で一瞬にして殴りたおした武勇伝の持ち主ですが、最後はやくざの用心棒のような存在になり、刀で顔を切られたりしたそうです。
当時、私は産経の記者だった城島さんのインタビューを受け、その記事が産経新聞で連載されました。本邦、初公開!
http://www.spopara.com/sp/feature/9912feature/jyojima991227-01.html
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崔 勝久
SK Choi
今日は、一休み。ボクシングを観たことがない人に贈ります。http://tubetw.it/110222001017390
フィリピンの選手で、世界最高峰の技術、スピード、パンチを持つ注目すべき選手です。
何がすごいかと解説しますと、相手の右のフックを受けながらそれを予想して最小限の「被害」にし、間髪いれず、カウンターで強烈な左フックを打つ、そのタイミングのよさです。
ここに防禦と攻撃の技術だけでなく、天性の勘のよさを感じます。お互い構え合っているところで相手側を打つというのは大変、むつかしいのです。自分もその距離に入ると殴られることを意味しますから。
浪人中、住まいの上にあったジムで、プロのボクサーとスパーリングをしたことがあります。勿論、私はまともな訓練は受けたことがなく、小さいころからの見よう見まねで対戦したのですが、相手は私が素人で、かつオーナーの息子と知らず、生意気ながきということで思いきり殴ってきました。
1ラウンドは「互角」でやりあったのが運のつき。2ラウンドはヘッドギア―を外してスパーリングを続けました。そこに強烈な右フックを叩きこまれ、そのまま頭からマットにもろに倒れこみました。後は気を失い、気が付いたら病院でした。
1週間、入院しました・・・
私の小さいころ、ベビーゴステロという天才、フィリピンボクサーがうちのジムの看板選手で、彼はフラッシュ・エロルデと対戦したことがあります。彼こそ、フィリピンの初代英雄です。
ベビー・ゴステロのことは城島充『拳の漂流ー「神様」とよばれたベビー・ゴステロの生涯』(講談社)をお読みください。その背景に、オーナーであった親父の「在日」の姿が垣間見れるはずです。
ゴステロは引退後、10人くらいのチンピラを相手にして素手で一瞬にして殴りたおした武勇伝の持ち主ですが、最後はやくざの用心棒のような存在になり、刀で顔を切られたりしたそうです。
当時、私は産経の記者だった城島さんのインタビューを受け、その記事が産経新聞で連載されました。本邦、初公開!
http://www.spopara.com/sp/feature/9912feature/jyojima991227-01.html
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崔 勝久
SK Choi
2011年2月21日月曜日
川崎の港湾・臨海部を考えるー(2)人工島・東扇島への橋の建設
先の(1)「基本的な視点の提示」(http://t.co/mmgLAI2)で記したように、川崎・横浜・東京は連合で京浜港として日本のハブ港になるべく申請し、今回民主党政権から選ばれました。「国際コンテナ戦略港政策」というものです。阪神と合わせ、これで日本の2大ハブ(拠点)港になります。
川崎が「国際コンテナ港」に相応しくなるため、港湾の拡大や整備に1000億円の予算が使われる(川崎は三分の一の負担)と誰もが思うでしょうが、しかしその半分以上は、実は人工島の東扇島と水江町をつなぐ橋建設に使われます。三カ年事業費として市長から提案されている130億円の予算のうち、100億円がこの橋の建設のため(設計を含めて)だそうです。
水江町には川崎駅からバスが通っていますが、そこから人口島・東扇島に渡るには海底トンネルしかなく、万が一のことを考えて市は、随分と前から国に東扇島と水江町をつなぐ橋を国の方で作るように申請していたとのことです。現在は、既存の海底トンネルの他はJFEのプラベート海底トンネルしかなく、東扇島に着く荷物は有料の高速道路(湾岸線)か、市の海底トンネルを通って産業道路に出るしかありません。産業道路がこれ以上混まないようにするという和解が公害闘争のときになされていて、水江町と東扇島間の橋ができれば問題になるはずです。或いはそれを避けるには、高速道路を無料化するしかありません。羽田空港の拡大を考えると、空港からわずか10分足らずで東扇島に着くルートはトラック業社としては無料で使いたいところでしょう。
しかし何故、その橋を車用のみに限定して、鉄道使用を考慮しなかったのでしょうか。かつてそのような計画があったとも聞き及びますので、ひょっとしたら費用の節約のために川崎・横浜・東京の連合体は車用の橋建設を申請したのかもしれません。もともと国に橋建設を申請して内諾を得ていた川崎市は、今回の「国際コンテナ戦略港政策」にハブ港となるべく申請する際に、スムーズな輸送を目的に橋建設を掲げ承諾されていたので、今度は堂々と国のお金で(市の負担は三分の一)、工事を進めることになるのです。念願成就というやつですね。
しかし何故、国や市は、輸送は鉄道をメインにするという決定をしなかったのでしょうか。鉄道にすれば車の数が激減し、排気ガスの問題もいい方向にいくのは確実であったのに、環境都市や炭酸ガスの削減を掲げながらどうして鉄道にシフトする決定をしなかったでしょうか、これは明らかに失政です。首長は勿論、各党派の責任は大きいと思います。
貨物用の東海道線は既にあり、水江町には貨物の取扱をする線路が既に設置されているので、やろうと思えば、高速道路(川崎では1メートル作るのに1億円と言われている)よりはるかに安い費用でできたはずです。3カ年事業で100億円の支出が予想されているので、恐らく完成までには橋の建設に川崎市は300億円以上の負担を強いられると思います。しかしながら、川崎市には地下鉄建設のための基金が200億円あります。これをぶちこみ、環境都市・川崎の一大方針と言い放ち、東京・横浜の承諾を得て改めて国に建設は鉄道輸送用と方針変更(ただし追加金額はすべて市が負担)の提案をしてほしいものです。
これだと、臨海部に関する事業はすべて反対、そのおかねを福祉に回せと言い続けてきた共産党も賛成に回るんではないでしょうか。また、環境都市・川崎の建設に反対する党は、自公民ともないものと思われます。要は、各党派とも、市のかなり前からの橋建設の動きを察知していながら、単純に賛成や反対の立場でいただけで、50年後の川崎のことや車公害の削減を本気で考えてこなかったものと思われます。もし研究してきたというのならば、各党派ともその報告書を発表ください。
過日、(財)東京経済研究所の報告書の発表会がありましたが、その際も、水江町と東扇島間の橋建設が港湾拡大の目玉であるとの説明は一切、なされませんでした。川崎北部の小児喘息は全国平均よりはるかに高く、ある地区は17%にも及んでいます。これらは車の排気ガスが主な原因と言われており(私は、臨海部の煙突からでる物質の影響はゼロとは言えないと思っている)、臨海部から東京・横浜、全国から東京・横浜を経由して川崎に来る荷物は100%トラックを利用しているので、その何割かでも鉄道にシフトする政策を断行すべきでした。まさに失政としか言いようがありません。
しかし川崎市の予算は全て単年度制なので、各党派が本気で環境都市・川崎を思うのであれば、今からでも鉄道へのシフトを対案として提出すべきだと思います。或いはかつて東京都青島知事が万博中止を唱えて当選したように、3年後の川崎市長選で鉄道へのシフトを唱える候補者を出すしかないのでしょうか。
川崎が「国際コンテナ港」に相応しくなるため、港湾の拡大や整備に1000億円の予算が使われる(川崎は三分の一の負担)と誰もが思うでしょうが、しかしその半分以上は、実は人工島の東扇島と水江町をつなぐ橋建設に使われます。三カ年事業費として市長から提案されている130億円の予算のうち、100億円がこの橋の建設のため(設計を含めて)だそうです。
水江町には川崎駅からバスが通っていますが、そこから人口島・東扇島に渡るには海底トンネルしかなく、万が一のことを考えて市は、随分と前から国に東扇島と水江町をつなぐ橋を国の方で作るように申請していたとのことです。現在は、既存の海底トンネルの他はJFEのプラベート海底トンネルしかなく、東扇島に着く荷物は有料の高速道路(湾岸線)か、市の海底トンネルを通って産業道路に出るしかありません。産業道路がこれ以上混まないようにするという和解が公害闘争のときになされていて、水江町と東扇島間の橋ができれば問題になるはずです。或いはそれを避けるには、高速道路を無料化するしかありません。羽田空港の拡大を考えると、空港からわずか10分足らずで東扇島に着くルートはトラック業社としては無料で使いたいところでしょう。
しかし何故、その橋を車用のみに限定して、鉄道使用を考慮しなかったのでしょうか。かつてそのような計画があったとも聞き及びますので、ひょっとしたら費用の節約のために川崎・横浜・東京の連合体は車用の橋建設を申請したのかもしれません。もともと国に橋建設を申請して内諾を得ていた川崎市は、今回の「国際コンテナ戦略港政策」にハブ港となるべく申請する際に、スムーズな輸送を目的に橋建設を掲げ承諾されていたので、今度は堂々と国のお金で(市の負担は三分の一)、工事を進めることになるのです。念願成就というやつですね。
しかし何故、国や市は、輸送は鉄道をメインにするという決定をしなかったのでしょうか。鉄道にすれば車の数が激減し、排気ガスの問題もいい方向にいくのは確実であったのに、環境都市や炭酸ガスの削減を掲げながらどうして鉄道にシフトする決定をしなかったでしょうか、これは明らかに失政です。首長は勿論、各党派の責任は大きいと思います。
貨物用の東海道線は既にあり、水江町には貨物の取扱をする線路が既に設置されているので、やろうと思えば、高速道路(川崎では1メートル作るのに1億円と言われている)よりはるかに安い費用でできたはずです。3カ年事業で100億円の支出が予想されているので、恐らく完成までには橋の建設に川崎市は300億円以上の負担を強いられると思います。しかしながら、川崎市には地下鉄建設のための基金が200億円あります。これをぶちこみ、環境都市・川崎の一大方針と言い放ち、東京・横浜の承諾を得て改めて国に建設は鉄道輸送用と方針変更(ただし追加金額はすべて市が負担)の提案をしてほしいものです。
これだと、臨海部に関する事業はすべて反対、そのおかねを福祉に回せと言い続けてきた共産党も賛成に回るんではないでしょうか。また、環境都市・川崎の建設に反対する党は、自公民ともないものと思われます。要は、各党派とも、市のかなり前からの橋建設の動きを察知していながら、単純に賛成や反対の立場でいただけで、50年後の川崎のことや車公害の削減を本気で考えてこなかったものと思われます。もし研究してきたというのならば、各党派ともその報告書を発表ください。
過日、(財)東京経済研究所の報告書の発表会がありましたが、その際も、水江町と東扇島間の橋建設が港湾拡大の目玉であるとの説明は一切、なされませんでした。川崎北部の小児喘息は全国平均よりはるかに高く、ある地区は17%にも及んでいます。これらは車の排気ガスが主な原因と言われており(私は、臨海部の煙突からでる物質の影響はゼロとは言えないと思っている)、臨海部から東京・横浜、全国から東京・横浜を経由して川崎に来る荷物は100%トラックを利用しているので、その何割かでも鉄道にシフトする政策を断行すべきでした。まさに失政としか言いようがありません。
しかし川崎市の予算は全て単年度制なので、各党派が本気で環境都市・川崎を思うのであれば、今からでも鉄道へのシフトを対案として提出すべきだと思います。或いはかつて東京都青島知事が万博中止を唱えて当選したように、3年後の川崎市長選で鉄道へのシフトを唱える候補者を出すしかないのでしょうか。
2011年2月20日日曜日
3月27日(日)の明治大学でのシンポジュームの案内
明治大学でのシンポジュームの案内のチラシをお送りします。みなさんのグループや職場などでご案内いただければ幸いです。
朴鐘碩と私の発題と、東京外大の岩崎稔さんのコメントに基づいて質疑応答が予定されています。
「多文化共生」を批判する私たちの考えや行動には違った意見をお持ちの方も多いと思います。是非参加してくださり、議論をしませんか。私たちの目的は、意見は違っても一緒にできることは行動に移して協働しあうことですから。
よろしくお願いします。
崔 勝久
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◇◇◇ 明治大学大学院文学研究科 文化継承学Ⅱ主催 2010年度国際シンポジウム ◇◇◇
1970年「日立就職差別闘争」がもたらしたもの
~開かれた地域社会と真の「共闘」を求めて~
講演者:
朴 鐘碩氏(日立就職差別裁判元原告、日立製作所社員、「外国人の差別を許すな・川崎連絡会議」事務局長)
崔 勝久氏(RAIK(在日韓国人問題研究所)元主事、青丘社元理事、「新しい川崎をつくる市民の会」事務局長)
コメンテーター:
岩崎 稔氏(東京外国語大学教授。哲学、政治思想、カルチュラル・スタディーズ)
日時:2011年3月 27日( 日) 14時~
場所:明治大学 リバティータワー 8階 1083教室
【内容】
現在、学生や労働者たちは戦後最大の就職氷河期という切実な問題に直面し、不安にさらされています。
雇用とは個人の生活そのものに関わる最も重大な問題のひとつですが、就職難はより「周縁化」された人びとに一層深刻な影響をおよぼすことになります。特に日本社会は、国籍を理由に、戦後一貫して在日朝鮮人に門戸を閉ざしてきました。
そのような就職をめぐる日本社会のタブーに対し、かつて一人の在日朝鮮人二世の青年が企業と日本社会に向けて疑義を提した「事件」がありました。1970年に就職採用の取り消しを在日朝鮮人差別であるとして提起したこの裁判闘争は、被告企業である日立製作所の名を冠して、一般に「日立就職差別闘争」と呼ばれています。
裁判は、4年後原告の完全勝訴というかたちで幕を閉じますが、このたたかいは日本人と「在日」市民が共同で取り組んだ画期的なものでした。日立闘争の「勝利」後、裁判をはじめとする支援運動に取り組んできた人たちは、今度は開かれた地域社会や職場を求めて、「日立闘争」の経験をより深化させる試みを続けることになります。
今回は、日立闘争元原告で裁判後日立に就職し、今年定年を迎えられる朴鐘碩氏と、彼と一緒に歩んでこられた崔勝久氏の両氏をお迎えし、当時の時代背景の下「闘争」をとおして彼らが求めたものは何だったのか、そしてその後のお二人のそれぞれの取り組みを、当時の映像を交えて紹介して頂きます。
「多文化共生」があらゆる分野で語られる現在、日本人と在日外国人との真の「共闘」、「課題」は何なのかを考えてみたいと思います。一人でも多くの方の参加をお待ちしています。
【連絡先】 本庄十喜 (明治大学大学院文学研究科所属、明治大学文学部助手)
090-9828-1172、tokitoku10@gmail.com
朴鐘碩と私の発題と、東京外大の岩崎稔さんのコメントに基づいて質疑応答が予定されています。
「多文化共生」を批判する私たちの考えや行動には違った意見をお持ちの方も多いと思います。是非参加してくださり、議論をしませんか。私たちの目的は、意見は違っても一緒にできることは行動に移して協働しあうことですから。
よろしくお願いします。
崔 勝久
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◇◇◇ 明治大学大学院文学研究科 文化継承学Ⅱ主催 2010年度国際シンポジウム ◇◇◇
1970年「日立就職差別闘争」がもたらしたもの
~開かれた地域社会と真の「共闘」を求めて~
講演者:
朴 鐘碩氏(日立就職差別裁判元原告、日立製作所社員、「外国人の差別を許すな・川崎連絡会議」事務局長)
崔 勝久氏(RAIK(在日韓国人問題研究所)元主事、青丘社元理事、「新しい川崎をつくる市民の会」事務局長)
コメンテーター:
岩崎 稔氏(東京外国語大学教授。哲学、政治思想、カルチュラル・スタディーズ)
日時:2011年3月 27日( 日) 14時~
場所:明治大学 リバティータワー 8階 1083教室
【内容】
現在、学生や労働者たちは戦後最大の就職氷河期という切実な問題に直面し、不安にさらされています。
雇用とは個人の生活そのものに関わる最も重大な問題のひとつですが、就職難はより「周縁化」された人びとに一層深刻な影響をおよぼすことになります。特に日本社会は、国籍を理由に、戦後一貫して在日朝鮮人に門戸を閉ざしてきました。
そのような就職をめぐる日本社会のタブーに対し、かつて一人の在日朝鮮人二世の青年が企業と日本社会に向けて疑義を提した「事件」がありました。1970年に就職採用の取り消しを在日朝鮮人差別であるとして提起したこの裁判闘争は、被告企業である日立製作所の名を冠して、一般に「日立就職差別闘争」と呼ばれています。
裁判は、4年後原告の完全勝訴というかたちで幕を閉じますが、このたたかいは日本人と「在日」市民が共同で取り組んだ画期的なものでした。日立闘争の「勝利」後、裁判をはじめとする支援運動に取り組んできた人たちは、今度は開かれた地域社会や職場を求めて、「日立闘争」の経験をより深化させる試みを続けることになります。
今回は、日立闘争元原告で裁判後日立に就職し、今年定年を迎えられる朴鐘碩氏と、彼と一緒に歩んでこられた崔勝久氏の両氏をお迎えし、当時の時代背景の下「闘争」をとおして彼らが求めたものは何だったのか、そしてその後のお二人のそれぞれの取り組みを、当時の映像を交えて紹介して頂きます。
「多文化共生」があらゆる分野で語られる現在、日本人と在日外国人との真の「共闘」、「課題」は何なのかを考えてみたいと思います。一人でも多くの方の参加をお待ちしています。
【連絡先】 本庄十喜 (明治大学大学院文学研究科所属、明治大学文学部助手)
090-9828-1172、tokitoku10@gmail.com
小森陽一さんの講演内容についての疑問―前向きな問題提起として
金曜日に小森陽一さんの講演を聴きました。「神奈川・横浜の教科書採択が危ない!」という集会です。横浜で何が起こっているのかは、加藤千香子さんの説明を参考にしてください(「横浜市で何が起っているか?―自由社版「つくる会」教科書をめぐって―加藤千香子 」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/07/blog-post_28.html))。
小森さんは、東大の教授で「九条の会」の事務局長です。小田実、加藤周一亡きあと、会の実質的な責任者であると聞いています。よく準備されたレジュメに沿って、ゆっくりとしかし説得力のある話し方で、前に座っていたご婦人がたは何度も大きく頷いていました。結論は、草の根運動によってナショナリズムを強化しようとする動きに攻勢をかけようという、運動を鼓舞する話で、集まった1000名の人は満足していたと思います。
話の内容は、横浜の教育委員会がいかに前例のない汚ないやり方で「つくる会」系の中学教科書を採用したのか、それを全横浜、神奈川さらに全国展開のモデルケースにしていこうとしているが、その政治的背景は何かを説明したものでした。北朝鮮バッシングでは足りず、尖閣諸島という国民の感情・感覚に訴える領土問題を持ち出し、過去の歴史のごまかしで反民衆・女性、・アジアのナショナリズムを作り出そうとしているというのです。
尖閣諸島問題はまさに菅・小沢の闘いの最中、沖縄の選挙で米軍の移転を求める動きの中で起こり、沖縄返還協定の際にアメリカが沖縄への軍事力維持をねらって「火種」として仕込んでいた尖閣諸島の帰属問題が、クリントン国務長官発言によって「切り札」として使われた、従って尖閣諸島の問題はアメリカの「画策」であり、戦後処理の問題としてある、教科書問題はそのような(政治状況の)流れの中で出るべくして出たものなので、草の根の運動によってその流れを食い止める攻勢をかけなければならない、という趣旨でした。
しかし私にはいくつか小森さんの話に疑問が残ります。1時間では全てを語れないということもあるでしょうが、何点か指摘します。その一、教育委員会の委員長が悪者になっているが、彼を選んだのは中田市長であり、その任命を市議会が了承したということが語られず、「つくる会」系の人間とつるんだ委員長の責任になっています。これはネオリベ系の民主党議員や橋下、河村のような首長が増えたという社会の流れと関係する大きな問題であるはずです。
その二、アメリカのサンフランシスコ平和条約の時から「画策」してクリントンが「切り札」を切ったとされるその発言内容は明らかにされませんでした。帰ってネットで調べてみると、日本のマスコミはこぞって「日米外相会談でクリントン米国務長官が尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象であることを表明した」と伝えています。しかしこれだと、アメリカは日本サイドに立ち、中国に警告を与えたということになります。しかし一方、クリントンはそのような言質を与えなかったという説もあり、アメリカの政府高官は「日本と中国の領土問題には、アメリカは中立を守り、介入しない、両国の大人の対応を期待する」と正式にコメントしています。私にはその後の北方領土についての菅発言を見ても、尖閣諸島問題は日本政府の主導のように思えます。クリントンが出した「切り札」とは何だったのでしょうか。
その三、小森さんは戦後処理の問題として尖閣諸島を位置つけますが、これはそもそも明治以来の日本の植民地支配の問題なのではないでしょうか。私には小森さんは、闘う民衆(国民)は被害者であって、アメリカの傘下でナショナリズムの復権を願う支配者が問題であると二項対立的に捉え、その動きが教科書問題と連動しているので、教科書問題を草の根レベルで闘う必要があると主張しているように思えます。しかし植民地主義歴史観というものはまさに支配した側、された側の両方の民衆の中で生き続けてきたと見るのが、ポストコロニアリズム的な考えではなかったでしょうか。
その四、どうも「九条の会」の人と話をしていると自らに巣くう植民地主義、或いは加害者として存在する日本人、という認識が希薄なように感じます。また九条を守る(それ自体は正しいが)平和運動が、足下の地域の問題を取り上げるというよりは、集会などによって仲間を増やすという方向に向かっているような印象を受けます。例えば、川崎の市長が「いざと言う時に戦争に行かない外国人は『準会員』」(これは、日本人は戦争に行くということを語っている)という発言に関しても、ほとんどの人が関心を示さず、ましてや抗議しようともしません。外国人公務員の差別制度や、戦後の「在日」に対する差別・抑圧の根幹になった「当然の法理」関しても無関心です(「『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again 」参照。http://t.co/7I8tZY6)。平和運動は幅広く、地域の問題と直結していると自覚し、多くの他の運動体との協働がなければ、あるいはそのつながりを求める思想的な営みをしないと、運動は広がらないと思われます(事実、1000名の集会においても若い人はほとんど見られませんでした)。私は、小森さん自身が自覚的にこのような問題を取り上げ、提起すべきだと考えます。
その五、教科書採択問題の背景として小森さんは時事的な問題を取り上げ説明しますが、もっと身近な問題、例えば外国人労働者が増えることや海外への経済進出は新たな植民地主義の問題と捉えるべきで、その国家戦略のためには、過去の植民地支配の全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう、それが「多文化共生」のイデオロギーであり、「つくる会」系の教科書採択に結びついているのではないでしょうか。小森さんにはこのような視点がまったく見ることができませんでした(「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。」参照。http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/blog-post_04.html)。
私の指摘を組織批判と捉えず、仲間からの前向きな問題提起と理解していただけることを願います。
小森さんは、東大の教授で「九条の会」の事務局長です。小田実、加藤周一亡きあと、会の実質的な責任者であると聞いています。よく準備されたレジュメに沿って、ゆっくりとしかし説得力のある話し方で、前に座っていたご婦人がたは何度も大きく頷いていました。結論は、草の根運動によってナショナリズムを強化しようとする動きに攻勢をかけようという、運動を鼓舞する話で、集まった1000名の人は満足していたと思います。
話の内容は、横浜の教育委員会がいかに前例のない汚ないやり方で「つくる会」系の中学教科書を採用したのか、それを全横浜、神奈川さらに全国展開のモデルケースにしていこうとしているが、その政治的背景は何かを説明したものでした。北朝鮮バッシングでは足りず、尖閣諸島という国民の感情・感覚に訴える領土問題を持ち出し、過去の歴史のごまかしで反民衆・女性、・アジアのナショナリズムを作り出そうとしているというのです。
尖閣諸島問題はまさに菅・小沢の闘いの最中、沖縄の選挙で米軍の移転を求める動きの中で起こり、沖縄返還協定の際にアメリカが沖縄への軍事力維持をねらって「火種」として仕込んでいた尖閣諸島の帰属問題が、クリントン国務長官発言によって「切り札」として使われた、従って尖閣諸島の問題はアメリカの「画策」であり、戦後処理の問題としてある、教科書問題はそのような(政治状況の)流れの中で出るべくして出たものなので、草の根の運動によってその流れを食い止める攻勢をかけなければならない、という趣旨でした。
しかし私にはいくつか小森さんの話に疑問が残ります。1時間では全てを語れないということもあるでしょうが、何点か指摘します。その一、教育委員会の委員長が悪者になっているが、彼を選んだのは中田市長であり、その任命を市議会が了承したということが語られず、「つくる会」系の人間とつるんだ委員長の責任になっています。これはネオリベ系の民主党議員や橋下、河村のような首長が増えたという社会の流れと関係する大きな問題であるはずです。
その二、アメリカのサンフランシスコ平和条約の時から「画策」してクリントンが「切り札」を切ったとされるその発言内容は明らかにされませんでした。帰ってネットで調べてみると、日本のマスコミはこぞって「日米外相会談でクリントン米国務長官が尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象であることを表明した」と伝えています。しかしこれだと、アメリカは日本サイドに立ち、中国に警告を与えたということになります。しかし一方、クリントンはそのような言質を与えなかったという説もあり、アメリカの政府高官は「日本と中国の領土問題には、アメリカは中立を守り、介入しない、両国の大人の対応を期待する」と正式にコメントしています。私にはその後の北方領土についての菅発言を見ても、尖閣諸島問題は日本政府の主導のように思えます。クリントンが出した「切り札」とは何だったのでしょうか。
その三、小森さんは戦後処理の問題として尖閣諸島を位置つけますが、これはそもそも明治以来の日本の植民地支配の問題なのではないでしょうか。私には小森さんは、闘う民衆(国民)は被害者であって、アメリカの傘下でナショナリズムの復権を願う支配者が問題であると二項対立的に捉え、その動きが教科書問題と連動しているので、教科書問題を草の根レベルで闘う必要があると主張しているように思えます。しかし植民地主義歴史観というものはまさに支配した側、された側の両方の民衆の中で生き続けてきたと見るのが、ポストコロニアリズム的な考えではなかったでしょうか。
その四、どうも「九条の会」の人と話をしていると自らに巣くう植民地主義、或いは加害者として存在する日本人、という認識が希薄なように感じます。また九条を守る(それ自体は正しいが)平和運動が、足下の地域の問題を取り上げるというよりは、集会などによって仲間を増やすという方向に向かっているような印象を受けます。例えば、川崎の市長が「いざと言う時に戦争に行かない外国人は『準会員』」(これは、日本人は戦争に行くということを語っている)という発言に関しても、ほとんどの人が関心を示さず、ましてや抗議しようともしません。外国人公務員の差別制度や、戦後の「在日」に対する差別・抑圧の根幹になった「当然の法理」関しても無関心です(「『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again 」参照。http://t.co/7I8tZY6)。平和運動は幅広く、地域の問題と直結していると自覚し、多くの他の運動体との協働がなければ、あるいはそのつながりを求める思想的な営みをしないと、運動は広がらないと思われます(事実、1000名の集会においても若い人はほとんど見られませんでした)。私は、小森さん自身が自覚的にこのような問題を取り上げ、提起すべきだと考えます。
その五、教科書採択問題の背景として小森さんは時事的な問題を取り上げ説明しますが、もっと身近な問題、例えば外国人労働者が増えることや海外への経済進出は新たな植民地主義の問題と捉えるべきで、その国家戦略のためには、過去の植民地支配の全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう、それが「多文化共生」のイデオロギーであり、「つくる会」系の教科書採択に結びついているのではないでしょうか。小森さんにはこのような視点がまったく見ることができませんでした(「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。」参照。http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/blog-post_04.html)。
私の指摘を組織批判と捉えず、仲間からの前向きな問題提起と理解していただけることを願います。
2011年2月17日木曜日
非正規労働者の裁判闘争と、横浜人活事件と国鉄闘争ー不条理に泣く人に幸あれ、イエスの「99匹と1匹」の羊の譬えを想う
200名の自殺者を出し、戦後最大の組合つぶしと言われた国鉄闘争。「国鉄」といってももう知らない人が多いかも知れませせんね。国鉄の「分割・民営化」(佐高信は、「分割・会社化にすべきだと言ってますが)を掲げた中曽根によって国鉄は潰され、JRが誕生しました。
国鉄を解雇された国労1047名の最終和解の「終結」がいよいよ目前になっています。15名が「政治和解」のサインを拒み、裁判を継続するとのこと。政治和解と言っても、20年以上の闘争をしてきたのに、たかだか、2200万円(これを高い、もらい過ぎと言う者がいるとのこと、呆れますね)のはした金で、しかも「職場復帰」に関しては政府は一切言質を与えていないとこと。この「職場復帰」の内容が来月一杯で明らかにされるとのことです。
15名の内、国労の2名の当該は、当局の課長へのでっち上げの暴力事件(横浜人活事件)で停職処分であったという理由で、JR採用を拒まれ裁判を続けています。懲戒免職となった5名は職場復帰を果たしたのに、どうして自分たちだけがという不条理に対する怒りは収まらないことでしょう。その当該の一人のアピールを直接聴きました。その集会のチラシを添付資料にしておきます。
「政治和解」を承諾しない人は当局からも、運動側からも見捨てられた人です。私は聖書にあるイエスの「99匹と1匹」の羊の譬を思い出しました。「政治和解」に応じない人たちの中でもいろんな立場、主張があるのでしょう。しかしその中でも上記の、「でっち上げ」ということが明らかになったのに、「停職処分」を受けたということでJRに採用されなかった人の怒りは当然と言えば、当然のことです。組合側の「暴力」を暴くということで当局が裁判所に提出したテープの裏側に、当局が「でっち上げ」を陰謀する内容が録音されていたという、なんともしまらない話も明らかにされました。
その集会では、NPOが経営する外国人に対する日本語講座と日本語教師養成講座を業務とする「教育情報研究所」が偽装倒産をし、東京地裁で「解雇は無効、解雇権の濫用」という判決を勝ち取ったのに、お金をとれないで闘いを続けている丹羽さんのアピールも聴きました(添付資料参照http://wewin.blog47.rc2.com/blog-category-1.html)。その会社は「偽装倒産」を繰り返し、被害者との「和解」に応じて和解金を支払う約束までしながら、お金がないとのことで約束を履行しないそうです。それでも民事ではどうしようもないとのことでした。
彼女は年収200万円にも満たないと言いながら、自分よりはるかに条件のいい日航や大手組合の闘いに健気にも協力しようという姿勢をもっていました。非正規社員の闘いは悲惨です。裁判の傍聴に来てくれる人も段々と少なくなっているとのことです。公務員や大手企業の組合は、今では老若男女を問わず苦境にある非正規労働者を無視してきた過去、現在の責任を感じているのでしょうか?
この問題は急に出てきたものではありません。外国人と女性の非正規労働者が解雇されていたときには問題になっていなかったのに、働き手の男の解雇が表面化してから大きく取り上げられるようになりました。上野千鶴子のこの指摘は正しいと思います。私は日本社会のこの不条理がまかり通るようになったのは、戦争責任、植民地支配の責任を一切取らなかったことが根底にあると見る、野田正彰の慧眼に驚きます(野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店))。みなさんはどのように思われますか。
孤独な中で闘いを続ける、いと「弱き人」に幸いあれ。応援します。
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崔 勝久
SK Choi
国鉄を解雇された国労1047名の最終和解の「終結」がいよいよ目前になっています。15名が「政治和解」のサインを拒み、裁判を継続するとのこと。政治和解と言っても、20年以上の闘争をしてきたのに、たかだか、2200万円(これを高い、もらい過ぎと言う者がいるとのこと、呆れますね)のはした金で、しかも「職場復帰」に関しては政府は一切言質を与えていないとこと。この「職場復帰」の内容が来月一杯で明らかにされるとのことです。
15名の内、国労の2名の当該は、当局の課長へのでっち上げの暴力事件(横浜人活事件)で停職処分であったという理由で、JR採用を拒まれ裁判を続けています。懲戒免職となった5名は職場復帰を果たしたのに、どうして自分たちだけがという不条理に対する怒りは収まらないことでしょう。その当該の一人のアピールを直接聴きました。その集会のチラシを添付資料にしておきます。
「政治和解」を承諾しない人は当局からも、運動側からも見捨てられた人です。私は聖書にあるイエスの「99匹と1匹」の羊の譬を思い出しました。「政治和解」に応じない人たちの中でもいろんな立場、主張があるのでしょう。しかしその中でも上記の、「でっち上げ」ということが明らかになったのに、「停職処分」を受けたということでJRに採用されなかった人の怒りは当然と言えば、当然のことです。組合側の「暴力」を暴くということで当局が裁判所に提出したテープの裏側に、当局が「でっち上げ」を陰謀する内容が録音されていたという、なんともしまらない話も明らかにされました。
その集会では、NPOが経営する外国人に対する日本語講座と日本語教師養成講座を業務とする「教育情報研究所」が偽装倒産をし、東京地裁で「解雇は無効、解雇権の濫用」という判決を勝ち取ったのに、お金をとれないで闘いを続けている丹羽さんのアピールも聴きました(添付資料参照http://wewin.blog47.rc2.com/blog-category-1.html)。その会社は「偽装倒産」を繰り返し、被害者との「和解」に応じて和解金を支払う約束までしながら、お金がないとのことで約束を履行しないそうです。それでも民事ではどうしようもないとのことでした。
彼女は年収200万円にも満たないと言いながら、自分よりはるかに条件のいい日航や大手組合の闘いに健気にも協力しようという姿勢をもっていました。非正規社員の闘いは悲惨です。裁判の傍聴に来てくれる人も段々と少なくなっているとのことです。公務員や大手企業の組合は、今では老若男女を問わず苦境にある非正規労働者を無視してきた過去、現在の責任を感じているのでしょうか?
この問題は急に出てきたものではありません。外国人と女性の非正規労働者が解雇されていたときには問題になっていなかったのに、働き手の男の解雇が表面化してから大きく取り上げられるようになりました。上野千鶴子のこの指摘は正しいと思います。私は日本社会のこの不条理がまかり通るようになったのは、戦争責任、植民地支配の責任を一切取らなかったことが根底にあると見る、野田正彰の慧眼に驚きます(野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店))。みなさんはどのように思われますか。
孤独な中で闘いを続ける、いと「弱き人」に幸いあれ。応援します。
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崔 勝久
SK Choi
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