2010年3月31日水曜日

鄭香均さん、お疲れ様でした!



鄭香均さん、お疲れ様でした!

読売新聞の夕刊(3月27日)に、鄭香均さんの定年の記事がありました。「在日保健士 定年「悔いなし」」「都を提訴、論議に一石」「管理職「国籍条項」崩せず」という見出しになっていました。

東京都の外国人職員になり、周りの推薦で管理職試験を受けようとしたところ、募集要項には何ら国籍に関する記述がなかったのに、言うまでもない、「当然の法理」ということで受験拒否され、東京都を提訴して最高裁で逆転敗訴しました。朴鐘碩の日立闘争、金敬得の弁護士資格獲得闘争と並び、鄭香均の闘いは「在日」の歴史に残るでしょう。

これらの闘いは、「在日」の権利獲得という次元から、さらに広くて深い論議を呼び、植民地支配をした日本は敗戦後、これからどのような社会になるべきなのかという方向性を示したものと私は理解しています。日本の「多文化主義」の虚偽性は、テッサ・モーリス・スズキによって明らかにされています(『批判的想像のためにーグローバル化時代の日本』(平凡社))。私たちもまた、「多文化共生」の問題点を外国人施策では日本の最先端を行くという川崎を例にとり批判しました(『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社))。スズキは、日本の多文化主義を「コスメティック・マルチカルチャラリズム」(外面の多文化主義)と強烈な批判をします。

私見では、「当然の法理」という日本のナショナリズムの病理とも言うべき体質、問題点をえぐり出したという点では、鄭香均の裁判闘争の意義は限りなく大きいと思われます。「研修」制度を名目にして超低賃金で外国人を働かせ、またインドネシアやフィリピンとの貿易条件緩和を「餌」に経済連携協定(EPA)を結び看護師や介護福祉士を目指す人を呼び込み、日本人でもむつかしい日本語の試験に通らなければ帰国させるという、外国人を労働力としてのみ扱う政策を、日本人は恥ずかしく思わないのでしょうか。

永住外国人だけでなく、一時的に日本で働くようになった人にも生活があるのです。住居や子供の教育や、人として生きていくための最低限の保障をせず、日本人が嫌がる職種に就かせるために出入国管理政策の対象にしながらさじ加減している日本のあり方は、明治以来変わることのない政策です(上記 スズキ)。非正規の外国人労働者の解雇を放置し、日本人女性の解雇の問題を等閑視してきた日本社会はここにきて、ようやくその仕組みの不当性を取り上げるようになりました(上野千鶴子)。

私は、鄭香均の闘いから、マイノリティの権利の主張から一歩進め、マジョリティの変革に「在日」はその社会に住む当事者として取り組むべきだと思うようになりました。

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