ロンドンのぺ・ジウォンから望月さんへのメールを望月さんが公開されたので、朝鮮学校の件で国連人種差別撤廃委員会に参加した彼女の経験は貴重だと判断し、私のHPでも公開させていただきます。日本のメディアでは報道されませんでしたが、実際の国連での会議では、「在日の人権状況に関しても教育、雇用、年金、参政権などのことが幅広く取り上げられた」とのことです。
崔 勝久
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望月様
ご無沙汰しております。イギリスのペジウォンです。お元気でしょうか。メール新聞はいつも拝見させていただいております。本当にありがとうございます。
実は、私は24,5日の国連人種差別撤廃委員会に参加してきました。前田先生のブログにあるよう、各委員から厳しい批判と指摘があったように思われます。とても充実した内容の会議であったように思います。在日の人権状況に関しても教育、雇用、年金、参政権などのことが幅広く取り上げられました。8年ぶりの日本政府
審査でしたので、新しい委員たちもいて、それほど詳しいわけではなく、日本のNGO側の情報提供とくに、現場でのご説明やブリーフィング会などを開きました。しかし、彼らは専門家であるだけに、すぐ人権侵害、国際条約違反な事柄であることを見抜きました。
韓国での市民運動というのは国連関連の運動はあまりしていないので、個人的にはとてもいい経験でした。日本が方々は国連や国際世論をより活用していく必要があるように考えます。もちろん、イシューの性質によって違うのですが、これから国連を十分活かす必要があるかもしれません。個人的にはより組織的に国際社会への要請活動を取り組む方法などについて考えてみなければと思いました。
ともかく、日本のマスコミが国連での懸念を日本内に報道しているようで、少しでも効果があってほしいものですが…。
要請などもあり、韓国でもマスコミに記事を載せていく予定です。KINなどからも緊急声明書を出しました。
簡単な感想ですが、読んでいただきありがとうございました。それでは、また。
ペジウォン
2010年2月28日日曜日
2010年2月27日土曜日
「地域再生」と「在日」ーエクソドスはもういらない
『人間回復の経済学』(神野直彦 岩波新書)を読みました。『地域再生の経済学』と合わせて読んだので、重なる部分もあったのですが、「人間」を重視する著者の思いはよくわかりました。この本は、人間をホモ・エコノミスと捉える新自由主義を徹底的に批判します。そして「日本の構造改革は、歴史のハンドルを切りまちがえている」と糾弾し、人間が人間らしく生きるために、同じ間違いを犯してはいけないということを強く主張するのです。
著者は、「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費を実現したトータルシステムとしての社会を「ケインズ的福祉国家」」と規定します。即ち、福祉国家の背景には、大量生産・大量消費があり、それを支える重化学工業が不可欠であったという理解です。
私は川崎の革新市政のときに「青い空」を求め、患者を中心とした公害闘争も勝利したことを知りました(『よみがえれ 青い空―川崎公害裁判からまちづくりへ』(篠原義仁編著 花伝社)。しかしそのときに臨海部の工場からのばい煙や廃棄物の規制をしたのは事実でしょうが、公害を生みだすに至った社会のト―タルシステムを問い、臨海部のあり方そのものを根底的に問うて市民の憩えるウォターフロントにしようとする長期的なプランがだされたのでしょうか。
私は保守・革新を問わず、日本の国のあり方として「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費」を前提にした、トータルシステムとしての社会であったのではないかという、著者の指摘に深くうなずくのです。そして川崎はまさにその最も典型的な例ではないのか、と改めて考えました。阿部が批判した、それまでの革新市政の福祉政策が、実は工業化を前提にして、臨海部からの税収で福祉に取り組んでいたということです。阿部市長は福祉を切り捨て行財政改革に取り組み、ここに至って盛んにエコ・環境政策を吹聴するのですが、それによって、川崎が持続的な、人間がまともに「生き延びる」社会になるのか、臨海部が持続可能な、人間が住める地域社会になるのか、私は徹底的に厳しく検証しなければならないと思います。
川崎の工業化の歴史は100年、それは「韓国併合」と時期を同じくしています。工業化による「公害」と、「在日」の苦難は起こるべきして起こっているのです。「公害」と「差別」の真っ只中で川崎の「在日」から北朝鮮への帰国運動の声が上がりました(『北朝鮮へのエクスドス』(テッサ・モーリス・スズキ 岩波書店))。今ここに生きる「在日」は、祖国に生き延びる場を求めるのではなく、国籍を超え「住民が生き延びる」ための「地域再生」に全力を尽くすべきだと私は思います。
著者は、「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費を実現したトータルシステムとしての社会を「ケインズ的福祉国家」」と規定します。即ち、福祉国家の背景には、大量生産・大量消費があり、それを支える重化学工業が不可欠であったという理解です。
私は川崎の革新市政のときに「青い空」を求め、患者を中心とした公害闘争も勝利したことを知りました(『よみがえれ 青い空―川崎公害裁判からまちづくりへ』(篠原義仁編著 花伝社)。しかしそのときに臨海部の工場からのばい煙や廃棄物の規制をしたのは事実でしょうが、公害を生みだすに至った社会のト―タルシステムを問い、臨海部のあり方そのものを根底的に問うて市民の憩えるウォターフロントにしようとする長期的なプランがだされたのでしょうか。
私は保守・革新を問わず、日本の国のあり方として「重化学工業を基軸とする大量生産・大量消費」を前提にした、トータルシステムとしての社会であったのではないかという、著者の指摘に深くうなずくのです。そして川崎はまさにその最も典型的な例ではないのか、と改めて考えました。阿部が批判した、それまでの革新市政の福祉政策が、実は工業化を前提にして、臨海部からの税収で福祉に取り組んでいたということです。阿部市長は福祉を切り捨て行財政改革に取り組み、ここに至って盛んにエコ・環境政策を吹聴するのですが、それによって、川崎が持続的な、人間がまともに「生き延びる」社会になるのか、臨海部が持続可能な、人間が住める地域社会になるのか、私は徹底的に厳しく検証しなければならないと思います。
川崎の工業化の歴史は100年、それは「韓国併合」と時期を同じくしています。工業化による「公害」と、「在日」の苦難は起こるべきして起こっているのです。「公害」と「差別」の真っ只中で川崎の「在日」から北朝鮮への帰国運動の声が上がりました(『北朝鮮へのエクスドス』(テッサ・モーリス・スズキ 岩波書店))。今ここに生きる「在日」は、祖国に生き延びる場を求めるのではなく、国籍を超え「住民が生き延びる」ための「地域再生」に全力を尽くすべきだと私は思います。
2010年2月24日水曜日
川崎・市民フォーラムの集会案内
みなさんへ
すこし春らしくなってきました。
川崎での市民運動として長年、大きな役割を果たしてこられた
「市民フォーラム」が初めて、「在日」の参政権の問題を
取り上げられたことに敬意を表します。
私たちの、「新しい川崎をつくる市民の会」は3月27日(土)に
近藤敦さんをお迎えして学習会をもちますが、6日に持たれる、
「市民フォーラム」にも是非、ご参加いただければ幸いです。
私は、「在日」問題の「専門家」のパターナリズム的な傾向を
批判してきましたが、何よりも問題にすべきは、圧倒的多数の
無関心、或いは、排外主義な対応であり、そのためには、
今回の外国人の地方参政権に関する正確な知識を広く情宣
することが重要だと思います。
今日の朝日新聞の社説で、「朝鮮学校排除はおかしい」と
遅まきながら、高校無償化法案において、北朝鮮への「制裁」として、
朝鮮学校を排除すべきだという拉致担当相の意見を批判する
見解をだしました。歓迎します。
川崎のこれまでの市民運動・住民運動がまちづくりを謳いながらも、
「在日」の問題を視野に入れてこなかった中で、
今回の「市民フォーラム」の企画は画期的なものとして大いに
歓迎します。
第133回川崎・市民フォーラム
日時:3月6日(土)18時15分
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール研究室1
「川崎臨海部の原動力=在市朝鮮人子孫の参政権を拒否して
いいのか? どう保障すべきか?
すこし春らしくなってきました。
川崎での市民運動として長年、大きな役割を果たしてこられた
「市民フォーラム」が初めて、「在日」の参政権の問題を
取り上げられたことに敬意を表します。
私たちの、「新しい川崎をつくる市民の会」は3月27日(土)に
近藤敦さんをお迎えして学習会をもちますが、6日に持たれる、
「市民フォーラム」にも是非、ご参加いただければ幸いです。
私は、「在日」問題の「専門家」のパターナリズム的な傾向を
批判してきましたが、何よりも問題にすべきは、圧倒的多数の
無関心、或いは、排外主義な対応であり、そのためには、
今回の外国人の地方参政権に関する正確な知識を広く情宣
することが重要だと思います。
今日の朝日新聞の社説で、「朝鮮学校排除はおかしい」と
遅まきながら、高校無償化法案において、北朝鮮への「制裁」として、
朝鮮学校を排除すべきだという拉致担当相の意見を批判する
見解をだしました。歓迎します。
川崎のこれまでの市民運動・住民運動がまちづくりを謳いながらも、
「在日」の問題を視野に入れてこなかった中で、
今回の「市民フォーラム」の企画は画期的なものとして大いに
歓迎します。
第133回川崎・市民フォーラム
日時:3月6日(土)18時15分
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール研究室1
「川崎臨海部の原動力=在市朝鮮人子孫の参政権を拒否して
いいのか? どう保障すべきか?
財政の自立性が地方再生の条件―『地域再生の経済学』(神野直彦 中央新書)より
「豊かさを問い直す」という副題のこの書物からも多くのことを教えられました。地方財政の著者がこの本で説く最も重要なことは、地方自治体の財政的な自立があって、地方再生が成り立つという点で、これは環境とSustainable Community(持続する社会)を強調するこれまで読んだ本では指摘されていなかったことで、よくわかりました。
しかしここは地方財政の研究者にお尋ねしたいのですが、著者は国との関係において、現在の地方自治体は様々な方法でがんじがらめにされていると指摘して、「税制改革のシナリオ」を提唱するのですが、8年前に出されたこのシナリオはその後、どのように進展したのか、教えていただけませんか。或いはその点を説明した本の紹介でも結構なのですが。
この本で触れられていないのは、そのシナリオは地方自治体独自で作成・実行できるのか、中央政府の改革によって可能になるのかという点です。現在、多くの知事たちが言い始めている地方分権ということや、民主党が強調する地方分権という概念は、税制の面では、神野直彦教授の主張する方向で検討されているものなのでしょうか。
この本で気になったことは、アメリカとヨーロッパを二項対立的に捉え、前者を市場主義、後者を反市場主義としている点です。アメリカでもサンフランシスコの例やボストンもそうですか、環境を守るということで市民が中心となったまちづくりの例も報告されています。
工業化からポスト工業化の流れの中で、地方の疲弊の問題、都市における「過疎化」の問題などが位置つけられ、地方自治体が果たさなければならない役割があることと、それと国家の役割が簡潔に説明されています。しかしいずれにしてもその中心に住民のニーズを置くということでは、一貫しています。
文化と伝統を地方再生の中心に据えるという記述をどこでもよく見るのですが、そのたびに川崎では無理かと思っていました。この本で挙げられたドイツの工業地帯のルール地方の例は、あれっと思いました。環境汚染と都市荒廃で有名であったのに、800平方キロという広大な工業地帯に公園のようなものをつくったのですが、それはむやみに工業地体の建物を壊したのでなく、製鉄所の内部をナイトクラブにしたり、巨大な外壁をロッククライミング用に改造したとのことです。著者は、「地域社会の再生は地域文化の再生」でなければならず、「既存の建築物は、その地方の歴史の語り部でもある」と記しています。そう捉えると、川崎の臨海部で残すこと、活かすことは多くあるように思えるようになってきました。
しかしここは地方財政の研究者にお尋ねしたいのですが、著者は国との関係において、現在の地方自治体は様々な方法でがんじがらめにされていると指摘して、「税制改革のシナリオ」を提唱するのですが、8年前に出されたこのシナリオはその後、どのように進展したのか、教えていただけませんか。或いはその点を説明した本の紹介でも結構なのですが。
この本で触れられていないのは、そのシナリオは地方自治体独自で作成・実行できるのか、中央政府の改革によって可能になるのかという点です。現在、多くの知事たちが言い始めている地方分権ということや、民主党が強調する地方分権という概念は、税制の面では、神野直彦教授の主張する方向で検討されているものなのでしょうか。
この本で気になったことは、アメリカとヨーロッパを二項対立的に捉え、前者を市場主義、後者を反市場主義としている点です。アメリカでもサンフランシスコの例やボストンもそうですか、環境を守るということで市民が中心となったまちづくりの例も報告されています。
工業化からポスト工業化の流れの中で、地方の疲弊の問題、都市における「過疎化」の問題などが位置つけられ、地方自治体が果たさなければならない役割があることと、それと国家の役割が簡潔に説明されています。しかしいずれにしてもその中心に住民のニーズを置くということでは、一貫しています。
文化と伝統を地方再生の中心に据えるという記述をどこでもよく見るのですが、そのたびに川崎では無理かと思っていました。この本で挙げられたドイツの工業地帯のルール地方の例は、あれっと思いました。環境汚染と都市荒廃で有名であったのに、800平方キロという広大な工業地帯に公園のようなものをつくったのですが、それはむやみに工業地体の建物を壊したのでなく、製鉄所の内部をナイトクラブにしたり、巨大な外壁をロッククライミング用に改造したとのことです。著者は、「地域社会の再生は地域文化の再生」でなければならず、「既存の建築物は、その地方の歴史の語り部でもある」と記しています。そう捉えると、川崎の臨海部で残すこと、活かすことは多くあるように思えるようになってきました。
2010年2月22日月曜日
日本の「過疎」化についてー滝澤貢
漠然とした発言であることをはじめにお断りした上で、
地方では、町村はもとより、
市部、特に中核都市(人口およそ30万人)でさえ
過疎化を免れない現実があります。
かつて、過疎は地方の課題でした。でも今
人口140万を超える川崎でなぜ「過疎」なのか。
「過疎」という言葉が示す地平では、このことに説明が付きません。
東京都下での商店街も「過疎」です。
「過疎」という問題ではなく、
わたしは「日本のスラム化」が始まったのではないか、と
前々から感じていました。
地方とか、一部商店街の問題ではなく
都市部ももちろん、「首都」東京(石原の大好きな言葉)も
スラム化している、いや、すでにスラムなのでしょう。
これは、「命を守りたい」を、単なるポーズやかけ声で終わらせず
本気の政治課題にしない限り、取り戻すことは不可能だと思います。
自民党にできるはずもありませんが
民主党も今の状態では無理でしょう。
というか、日本国憲法を標榜する
「全て日本国民は」無理難題なのかもしれません。
ベースは敗戦後の日本の歩みの、当然の帰結なのでしょう。
世界経済の問題などは、付加的要素に過ぎません。
だからこそ、わたしたちが「自治」「全ての住民参加」を
「地方」政治の(地方に限らず、政治全ての)基本に据えようとする道は正しいのです。
MITSUGU TAKISAWA 滝澤 貢
http://kawasakich.exblog.jp/
地方では、町村はもとより、
市部、特に中核都市(人口およそ30万人)でさえ
過疎化を免れない現実があります。
かつて、過疎は地方の課題でした。でも今
人口140万を超える川崎でなぜ「過疎」なのか。
「過疎」という言葉が示す地平では、このことに説明が付きません。
東京都下での商店街も「過疎」です。
「過疎」という問題ではなく、
わたしは「日本のスラム化」が始まったのではないか、と
前々から感じていました。
地方とか、一部商店街の問題ではなく
都市部ももちろん、「首都」東京(石原の大好きな言葉)も
スラム化している、いや、すでにスラムなのでしょう。
これは、「命を守りたい」を、単なるポーズやかけ声で終わらせず
本気の政治課題にしない限り、取り戻すことは不可能だと思います。
自民党にできるはずもありませんが
民主党も今の状態では無理でしょう。
というか、日本国憲法を標榜する
「全て日本国民は」無理難題なのかもしれません。
ベースは敗戦後の日本の歩みの、当然の帰結なのでしょう。
世界経済の問題などは、付加的要素に過ぎません。
だからこそ、わたしたちが「自治」「全ての住民参加」を
「地方」政治の(地方に限らず、政治全ての)基本に据えようとする道は正しいのです。
MITSUGU TAKISAWA 滝澤 貢
http://kawasakich.exblog.jp/
2010年2月21日日曜日
『地域再生の条件』(本間義人 岩波新書)を読んでー住民が主役ということ
「地域再生」とか「まちづくり」が言われだしたのは、日本全国でどうしようもなく街が寂れてきたからであり、その根本的な原因は政府(官僚)の政策が間違いであって、今も懲りることなく、反省なしに中央からの計画をだしているという認識を著者は示します。地方自治体も国からのおこぼれをもらおうとその指示に従うところが多いのだけれども、それらの中で、市民・住民がやる気になって地方自治体を動かし、創意工夫で活性化し始めたところがあるということを、全国の例から示してくれます。
Sustainable Community(持続する社会)を言う学者は、公害とか環境を問題を軸に話すことが多いのですが、著者は、地域再生の条件をとしてよっつあげます。
第一は、すべての人々の人権が保障された地域に作り直すこと
第二は、地域の人々がその地域の仕事で生活しうるように再構築すること
第三は、自然と共生する地域にする
第四は、住民自身が地域再生の主役になること
『環境再生』(有斐閣)では公害と闘ってきた住民が新たなまちづくりを始めることを強調していたのですが、それはそれで川崎臨海部の実情がわかりよかったのですが、この本の著者は地域再生のアプローチが違い、より具体的であるように感じました。特に、福祉を全面的に掲げ、ノーマリゼーションという単語で、外国人を含め全ての人権を主軸にして、高齢者や障がい者のためのまちづくりはその地域すべての人のためになることだというのは、まさにその通りです。この視点は『環境再生』にはなかったものです。是非、川崎の各地域で住民が中心となってこの本を叩き台にして議論を深めていければと強く思います。
何よりも住民が主役ということは誰でも一様に口にするのですが、市民参加のまちづくりというのはまだまだこれから始まるのだと思います。商店街がシャッター通りになってきている各地の状況は川崎も同じで、桜本もまた昔の、夕方になれば人も通れないくらいに混雑していたことが嘘のようです。これをどのようにして活性化させることが可能なのか。
桜本や大島、小田という商店街も考えてみると、臨海部の労働者が少なくなり、臨海部で働く人が川崎区でほとんど住まなくなってきている状況、及び臨海部そのものが全体としてポスト工業化の時代になって寂れてきているという状況と関係しているのです。阿部市長が自画自賛しているように、臨海部のエコタウン、リサイクル(環境)産業ということで、まちが活性化されていくでしょうか。これは企業と識者と行政が既存の設備を活用した企業の活性化を図った計画で、具体的な住民や商店街の活性化にはなっていません。
何を軸にまちの活性化を図るのか、これは行政からのハード対象の助成金ではなく、ソフトを中心として住民自らが具体案を作り上げていく創意工夫でしかその端緒はつかめない、ということをこの本から学びました。
Sustainable Community(持続する社会)を言う学者は、公害とか環境を問題を軸に話すことが多いのですが、著者は、地域再生の条件をとしてよっつあげます。
第一は、すべての人々の人権が保障された地域に作り直すこと
第二は、地域の人々がその地域の仕事で生活しうるように再構築すること
第三は、自然と共生する地域にする
第四は、住民自身が地域再生の主役になること
『環境再生』(有斐閣)では公害と闘ってきた住民が新たなまちづくりを始めることを強調していたのですが、それはそれで川崎臨海部の実情がわかりよかったのですが、この本の著者は地域再生のアプローチが違い、より具体的であるように感じました。特に、福祉を全面的に掲げ、ノーマリゼーションという単語で、外国人を含め全ての人権を主軸にして、高齢者や障がい者のためのまちづくりはその地域すべての人のためになることだというのは、まさにその通りです。この視点は『環境再生』にはなかったものです。是非、川崎の各地域で住民が中心となってこの本を叩き台にして議論を深めていければと強く思います。
何よりも住民が主役ということは誰でも一様に口にするのですが、市民参加のまちづくりというのはまだまだこれから始まるのだと思います。商店街がシャッター通りになってきている各地の状況は川崎も同じで、桜本もまた昔の、夕方になれば人も通れないくらいに混雑していたことが嘘のようです。これをどのようにして活性化させることが可能なのか。
桜本や大島、小田という商店街も考えてみると、臨海部の労働者が少なくなり、臨海部で働く人が川崎区でほとんど住まなくなってきている状況、及び臨海部そのものが全体としてポスト工業化の時代になって寂れてきているという状況と関係しているのです。阿部市長が自画自賛しているように、臨海部のエコタウン、リサイクル(環境)産業ということで、まちが活性化されていくでしょうか。これは企業と識者と行政が既存の設備を活用した企業の活性化を図った計画で、具体的な住民や商店街の活性化にはなっていません。
何を軸にまちの活性化を図るのか、これは行政からのハード対象の助成金ではなく、ソフトを中心として住民自らが具体案を作り上げていく創意工夫でしかその端緒はつかめない、ということをこの本から学びました。
日本の北朝鮮バッシングは、アメリカの9・11報復と同じ、狂気の沙汰ですね
日経の2月21日の報道によると、「朝鮮学校の除外 無償化巡り要請 拉致問題相」とありました。なんということはない、政府が4月1日から施行しようとしている高校無償化について、拉致問題担当相が、在日朝鮮人の生徒の学ぶ朝鮮学校を無償化の対象から外すように、文部大臣に要請したそうです。文部省の政務三役は除外するかどうかの検討に入ったということです。「北朝鮮への圧力を示すカードのひとつにしたい」考えだそうです。
アメリカの9・11へのブッシュの報復は狂気の沙汰と言いながら、日本のこの狂気の沙汰に関して沈黙が続くのはどうしてでしょうか。間違いました。沈黙が続く現象が狂気の沙汰なんですね。
北朝鮮バッシングのひとつは、まず外国人参政権について朝鮮「籍」をはずすということが当たり前のように言われていることです。朝日新聞をはじめ、進歩的と言われているマスコミもこの点に関しては沈黙です。次に教育の問題ですが、朝鮮学校には、韓国籍や日本籍の子供もいるのですよ。それよりも何よりも、そもそも教育を受ける権利を、外交関係を理由に、拉致への報復ということで制限するということが許されるのでしょうか。無償化の施行の決定対象から、北朝鮮の民族学校をはずすというのは、憲法違反です。
みなさん、怒りましょう、そして日本国籍を持つ人は恥ずかしく思ってください。これはまさに、理性を失い報復に走る政府を支援した、アメリカ国民の狂気そのものではないでしょうか。気持ちのよさそうな日曜日の朝だと思ったのに、日経の朝刊を見て、怒りがこみ上げ気分が悪くなりました。
アメリカの9・11へのブッシュの報復は狂気の沙汰と言いながら、日本のこの狂気の沙汰に関して沈黙が続くのはどうしてでしょうか。間違いました。沈黙が続く現象が狂気の沙汰なんですね。
北朝鮮バッシングのひとつは、まず外国人参政権について朝鮮「籍」をはずすということが当たり前のように言われていることです。朝日新聞をはじめ、進歩的と言われているマスコミもこの点に関しては沈黙です。次に教育の問題ですが、朝鮮学校には、韓国籍や日本籍の子供もいるのですよ。それよりも何よりも、そもそも教育を受ける権利を、外交関係を理由に、拉致への報復ということで制限するということが許されるのでしょうか。無償化の施行の決定対象から、北朝鮮の民族学校をはずすというのは、憲法違反です。
みなさん、怒りましょう、そして日本国籍を持つ人は恥ずかしく思ってください。これはまさに、理性を失い報復に走る政府を支援した、アメリカ国民の狂気そのものではないでしょうか。気持ちのよさそうな日曜日の朝だと思ったのに、日経の朝刊を見て、怒りがこみ上げ気分が悪くなりました。
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