2008年9月29日月曜日

樋口さんの読後感への感想ーその(2)

9月26日のブログで、「共生」施策における行政のパターナリズムの問題
と、 「共生」を要求する側の体質(エスタブリッシュ化の危険性)の問題に
ついて 言及しました。両方の問題は関連します。それは行政側と運動側
の関係性 の問題に発展します。そしてそれは川崎市政そのものの質と
方向性に 関わるものになるでしょう。

以下、樋口さんのご指摘にある以下2点について考えてみます。
3)私たちの新自由主義と「多文化共生」の関わりの記述は不十分である
4)政治的な課題と執行の問題

3)のご指摘はそのとおり認めます。今回の本の内容としては、
「多文化共生」の問題を新自由主義との関係において考えるべき
だという問題意識の発露に終わっています。その展開は第二ラウンド
においてなされなければならないと考えています。
「多文化共生」の問題を社会構造そのものの中で把握すべきという
樋口さんの意見には全面的に同意します。

4)のご指摘の内容は明らかにされていませんが、外国人問題を
市政の政治課題として捉えず、目の前にある諸問題のひとつとして
捉えて処理をすることを「執行の問題」にしているとの指摘と推測しました。

これは運動側に言えることなのですが、自分たちの課題を追求するあまり、
外国人問題を特殊化してしまい、すなわちひとつのカテゴリーをつくり
そこに押し込め、その部分だけの解決でよしとする危険性があります。
為政者はその点を突き、当事者の要求に応えるふりをしながら(そして
実際に応えながらも)、為政者の大きな路線に沿って自分たちのやりたい
ことの実現の第一歩として位置つけます。

事業を民営化して問題を地域に限定することで自治体の政治責任を放棄し、
同時に財政の軽減化を図るということです。市政の緊迫した財政問題を
取り上げ、それを理由にして行政のスリム化を図るという方針は大衆に
受け入れられているようですが、問題は、その為の民営化、福祉切り捨てが
市民のためになっているのかということです。

企業の自由な活動(海外での生産、販売)を最優先し、福祉を切り捨てる
というのは新自由主義ですが、阿部市政は川崎においてその新自由主義
に基づく政策の実現を図りながら同時に、「多文化共生社会の実現」を
あげています。民族差別との闘いの中から「共生」「多文化共生」を主張し、
行政との関わりを深めてきた運動側は、今後、市政全般の大きな路線の
問題に対してものを言う立場にたつのか、マイノリティ問題だけに自己限定
した立場に立つのか、今、問われています。

私は、前者の立場に立ち、阿部市政の新自由主義路線に対して、それが
弱者を切り捨て、格差を拡大する政治であるがゆえに、阿部三選阻止を
唱えるべきだと考えます。みなさんはいかがでしょうか。

崔 勝久

0 件のコメント:

コメントを投稿