2008年7月29日火曜日

長野からの感想文

7・12出版記念の集いお疲れ様でした。
いつもながら川崎に行って皆さんとお会いすると勇気がわいてきます。
そして皆さんの笑顔がとても美しく誇らしげに見えて
私はとてもうらやましく思います。

また「日本における多文化共生とは何か」の出版に至る過程でも
皆さんの大変な「労力」と思想の「エキス」が本に注ぎこまれ
その出版が現実のとなった時の皆さんの喜びは
計り知れないのではないかと察します。

さらに「在日」として「民族差別」などに日々苦悩し、壁にぶつかり、
それを乗り越えてもまたさらに壁にぶつかる
そのようなことを繰り返しながら自ら活路を切り開いてきた歴史が刻まれています。

そして立ち上がれば何とかなると勇気を与えたのがあの「日立闘争」であり
その闘いがステップとして、川崎市(行政)を相手に
「国籍条項の完全撤廃」「当然の法理」なくせ
という取り組みにつながり、さらに「共生」批判へと歴史を刻んできた
ということを読む人にわかりやすく訴えていたと思います。

この本はなるべく多くの人に読んでほしいと思っています。
いま仲間に声をかけています。
また、図書館にもリクエストするつもりです。

それでこの集いで私の感想ですが
「多文化共生」という言葉は支配する側の論理によって使われ
その響きの心地よさによりそこに迎合する風潮が
全国的に網羅されているといることが実態だと
この集いに参加して私の脳裏にしっかり刻まれました。

私はいままで「多文化共生」は「利用されること」もあると
漠然と認識しておりました。
しかし、それを利用して「差別していく言葉」=「支配していく言葉」
として実在していることがはっきりいたしました。
発言の中で学者と運動体の意識・認識のギャップが出されましたが、
私は運動の車の両輪でどちらも欠かせないものだと思います。
でもそのような議論は両輪を刺激するためにも必要なことだとも思いました。

この集会が大成功に終わり大変よかったと思います。
私も得るところがあり有意義な集いだったと思っています。

交流会に参加して、翌日の仕事のことも忘れ
結局最終列車で長野に帰宅するようになってしまいました。
有意義な時間をありがとうございました。

是非崔さん、朴さん、文さん、さん長野にも着て欲しいと思います。
いつかその機会をつくりたいと思います。
そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

高橋 徹

2008年7月26日土曜日

申英子さんからの感想文です

みなさんへ

暑い日が続きます。お変わりありませんか。
さて、大阪で日本の学校で教鞭をとりながら、日本キリスト教団
ハニルチャーチで牧会されている在日2世の申英子さんから
本の感想が送られてきました。感謝します。

崔 勝久

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「多分化共生とは」の本ですが、何よりも「勇気」ある本だと思います。共生という名ばかりで在日を実質的にはほんとうの仲間として扱っていない状況はあらゆる組織で見られることです(これから多くの外国人を市民として受け入れていかなければならない現実を見据えたら、学ぶべきでしょう)。


それは日本人自身が個の確立を経験していないため、何をどうすればよいのか分からない面もあるでしょうし、パワーゲームの罠を操ることでしか、自分の存在を認め、認めさせることが出来ない悲しい現実があります。

ですから、この本は川崎で何が起きたのかということを深く広く知らせることによって、読者が自分たちの置かれている状況で当事者として考えさせられるのではないでしょうか。40年近くかけての取り組みを誠実にしてこられたチョンソクさん、キョンヒさん、勝久さんの使命に感動します。在日という閉ざされた世界にあって、闘いは容易でなかったでしょうし、外からのバッシングや御自分との闘いも相当なものでしたでしょう。


 でもその真実な問いが民族、国籍を超えて響きあう尊いものを共有する人たちとの出会いを起こさせたのでしょう。

新しい世界に向けてのパイオニア的な歩みは受難を伴うものでしょうけれども、悲観的になる必要はないと思います。プロセスにおいてすでに得るものを勝ち取って行けているからです。お二人に久しぶりに会ってそう感じさせられました。 

多くの人たちに読まれますように。 

申 英子

2008年7月25日金曜日

大阪から感想文が送られてきました

みなさんへ

徐々に私たちの本に関する感想が送られてきています。
大阪のSNさんのメールを転送いたします。

崔 勝久

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崔勝久様


 メールをお送りくださりありがとうございます。メールを見たのが昨日の昼でしたが、そのまま勤務に向かって、帰ってきたのが今日の昼でしたので、ご返事が遅れてしまい大変失礼しました。また本も送っていただき、ありがとうございます。火曜日に受け取りました。まだパラパラと8 2くって見ただけですが、これからじっくりと読ませていただきたいと思っております。感想などは、その節に、送らせていただきたいと思っております。帯とあとがきだけ少し読ませていただきました。


本全体を読まずに感想でもないのですが、「共生」という言葉が使われ出してもう20年を超えるでしょうか? 帯に書かれているように、「多文化共生」とは、「原理的にマイノリティのナショナリズムを肯定するものでありながら、マジョリティのナショナリズムとも融和的」というご指摘は、Bく言い当てているのではと感じます。「共生」と言えば、とりあえずは誰も反対しない言葉ですが、それを可能とする前提には、異なる文化(あるいは民族や価値観や宗教など)が形式的にも実体的にも平等あるいは同等の権利や立場を持っていることが、最低限必要ではないでしょうか。差別―被差別、抑圧―被抑圧の関係を解決することなしに「共生」を唱えることは、あたかもマイノリティの存在を認めるかのように装いながら、結局の所、マジョリティ・多数者・権力を持つものへの融和をしか8 2たらさないと思います。


崔さんは、新自由主義・格差社会から「共生」を捉え直す視点で見直そうとされておられるようですが、これは大変重要な視点と思っております。新自由主義の下で、規制緩和、民営化、市場原理にゆだねた「自由競争」は、誰がどう言おうと、弱肉強食を是とする価値観であり、それに「破れた」者は「自己責任」の名の下に投げ捨てられる以外にありません。「格差を是とする」価値観は、「差別を是とする」価値観です。格差社会の拡大とは差別社会の拡大です。こ=E 3で言う差別とは、民族に限らずあらゆる差別です。「共生」とは、それを覆い隠す「イチジクの葉」の役割ではないでしょうか。


新聞報道ですでにご承知かと思いますが、自民党外国人人材交流推進議員連盟が中心となって、今年の秋の臨時国会に、政府・自民党・公明党によって、1000万人の「移民受入法案」の提出が準備されています。もちろん、紆余曲折はあるでしょうが、この中心に座っているのが、中川秀直前幹事長と、かの坂中英徳です。こうした動きも、「多文化共生」「多B 0族共生」のかけ声の下に進められていくのではと思います。


とりあえず、本全体を読む前に、少し感じたことを述べさせていただきました。じっくり読ませていただき、あらためて感想を送らせていただきます。


その上で私は、差別・抑圧・排外の具体的現実に真正面から向き合って、それと闘って打ち破っていくことが、やはり何よりも一貫して中心のテーマではないかと思っております。関西では、微力ながら、そう考え、これまでも、そしてこれからも、闘いを作っていこうと思3ております。そのあたりのことは、関西交流会ニュースをお読みいただければと思います。


また、あらためて感想を送らせていただきます。また、出版記念会の詳細な模様をお知らせ下さりありがとうございました。夏本番でうだるような暑さが続きますが、くれぐれもお体をご自愛ください。

2008年7月24日木曜日

反応がではじめています

皆様

今日、たまたま町田の本屋(LIBRO)に行ったら、新刊本の
コーナーに平積みになっていました。上野さんの他の本と一緒の
コーナーなので、上野さんのお名前のせいかもしれません。

献本の返事も届き始めています。

研究者には「共生」を案外ナイーブにとらえている方が多いのでは
ないかと思います。挑発的刺激的であるのは確かかと。

また、ネットで本の題名を入れて検索していたら、以下のブログで
「おすすめ」されていました。(どなたでしょう?)
http://blogs.yahoo.co.jp/ma_tsu_w/13210865.html

加藤

Yahooのブログに私たちの本に対する感想がありました。

みなさんへ

Yahooのブログに私たちの本に対する感想がありました。
「おすすめ」だそうです!
http://blogs.yahoo.co.jp/ma_tsu_w/13210865.html

崔 勝久


『日本における多文化共生とは何か』
傑作(0)
2008/7/19(土) 午後 11:46

その他文化活動
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仕事から戻ってくると
昨日、出版されたばかりの本が
ポストの中に入っていた。



『日本における多文化共生とは何か―在日の経験から―』
朴鐘碩(パク・チョンソク)・上野千鶴子 ほか著



福田首相が就任時に
「自立と共生」という言葉を口にしたが
ぼくが思っているものとは、
自立にしても、
0A共生にしても
ちがうんじゃないかという感覚を
はっきりと説明できないけどもっていた。



P.52
「共生」は責任の所在、問題の本質を曖昧にするものと私は考えていますが、「共生」が獏とした状況のなかから社会変革に向かう言葉として活用されるのか、外国人を二級市民として受け入れる、新たな植民地主義の地固めの、イデオロギーの役割を果たすようになるのか、しっかりと検証する必要があります。



ぼくは
「共生」という言葉が
日本の卑屈なナショナリズムの肯定8 1
結びつくものだとは考えていなかった。



他者との関係を自己省察することなく、
認めたふりをし、
社会変革することのない共生というものは、
他者と自分のおかれた(差別的・抑圧的)関係を
固定化しているに過ぎないということ。



「あわれな国、日本」(富永さとる氏)について
もう一つ同じ項から引用する。
国籍にかかわりなく、個人が尊重されず、人権が成立しておらず、法の支配と正義が不在で、個人が自身の矜持なき自己保身ゆえにかえって脆弱であり、民主主義=E 3成立しない、個人と社会が国家に従属的・受動的な国、それゆえに住民全体の福祉水準の沈降を運命づけられている国である今の日本――そのあり方が、国民を含むすべての住民にとってあわれであることはもはや言を要しないでしょう。――



ぼくは
「あわれな国、日本」に住む
「普通の日本人」の当事者性を
もっと意識化(言語化)していきたい。



まだ、最後まで読んでいないけど、おすすめです!

2008年7月23日水曜日

7月21日出版記念会のメモ   

今日は崔さんから詳細なコメントのメールが発送されました。私も促されましたので、メモを纏めてみました。皆様の感じられたことを比較してみてください。
総合司会の小山さん、ジスパネ司会の上野教授についってのコメントは書きませんでしたが、とても素晴らしかったと私は感じております。ありがとうございました。メモは下記しました。
皆様へ
         08・07・23      望月

7月21日出版記念会のメモ   

             2008年7月23日      望月文雄


高史明 特別講演「戦後の根本課題について」

日本人・歴代日本政府が避けてきた諸植民地戦後処理に対する戦後処理によって生じている問題の提起を小田実が作品「河」によって行っており、丸山真男も1980年岩波出版の「日本思想体系」31で提起している。彼はそこで日本の国体の基本的問題として明治憲法と教育勅語の問題を提起しているが、政治界を始め日本社会がそれを逃避してき、経済大国化のみを目標としてきた。その目標も朝鮮動乱で漁夫の利を占めなければ達成できなかった。

この事実を踏まえなければ、美しい言葉である「共生」も内実の伴わない形骸にすぎない。


小沢弘明 「新自由主義の世界的位置―ヘゲモニーの観点から」

サッチャー・レーガンによって標榜され世界の政治に台頭したネオリベ(新自由主義)は小さい政府という名目で福祉・労働者保護政策の切り捨てを講じてきた。日本では中曽根内閣による国鉄民営化・小泉内閣による郵政民営化が巨大目標として実行されたが、ネオリベが行使する用語や思想に、我々が無意識に共鳴する場合があるにも関わらず、意識されていない。問題を感じ批判しながら、無意識にネオリベ随行の道を踏み歩いている。ネオリベの本質とその具体的戦略であるグローバリズムの本質・目的を理解して問題把握を試みなかればならない。


塩原良和 「連帯としての多文化共生」に向けて―試論的考察

多文化共生とは従来マイノリティの運動体の言葉であったが、いつのまにか政府・体制側によって流用さて現在に至っている。私はオーストラリアで2年間ヘッジ・ガッサンというレバノン系オーストラリアン教授の屋根裏部屋に厄介になり、彼に指導をうけ、彼の論文に示唆されてマイノリティ・マジョリティの現象を調査しました。現在はふれあい館との関係のうちに研究を行っています。福祉多文化主義が特定のグループに適用されるのではなく、広い連帯としての運用の必要が考慮されなければならない。


パネラーの個別発言

上野千鶴子 昨年7月15日集会のとき、崔さんの「共生批判」を伺ってショックをうけた。塩原さんの著書は参考になった。小沢発言で共鳴することは、ネオリベの思想・用語を無意識に納得、使用している自分の状態を反省し、個からネオルベの矛盾を正すように努めるべきでしょう。グローバリゼイションでは無くなって当然であるべき国境が、新しい国家論によって再構成されている。


崔勝久 川崎市の国籍条項撤廃の陰に秘められた「当然の法理」順守思想で造られた「運用規程」の差別は廃止すべきであり、阿倍市長が就任時に明言した「準会員」発言は糾弾され、撤回されるべきだ。日の丸親方的な忠告で濁すべきものではない。


朴鐘碩 昨年7月15日の上野さんの講演で「ネオリベ」という言葉が使われ、意味が分からず困った。こういうレベルなので、大学教授の人々と論議を交えることはできません。自分が日立に入社して今年まで5回の組合委員長に立候補した経験から得たことを話します。

社内で働く人々には自由に物が言えないという現実があります。私が立候補して理由を説明しても、言葉での反応はなされず、目配せで合図するのが精一杯という状況です。会社は「協創」という言葉を作って企業での人権用語にしていますが、企業内では労働者に物を言わせない。


質疑応答(高史明さんの発言要旨のみ)

高史明 (1)小沢・塩原両教授への意見。研究の成果が上がらなければ落とされる(教授を辞めさせられる)との危惧を表明されておられますが、落とされても良いじゃありませんか。

(2)親が子を、子が親をという殺人が多発している現代社会の中で、研究者はそれらの事態をどのように消化しているのか、先生方の話を聞いていると、日本の現状を見ていないと思える。労働は「他社への働き、戴いているものをお返しするのだという、感性の有無」が問われていると思います。

2008年7月22日火曜日

アンケートより

●高史明さんの特別講演についてのご感想をお聞かせください。
高史明さんの主要なテーゼは、「丸山真男の提出した問題を我々は克服しえたのか」ということかと受け取りましたが、時間が足りず、十分にお話を聞けなかったのが残念です。

●パネルディスカションはどうでしたか。
小沢先生と塩原先生のお話は大変参考になりました。学者さんの間では当然のことなのでしょうが、今の世の中で起きていることがらがどういう考え方でどのような方向に動いているのかということが一つの理論として理解できました。
一般の市民にはなかなか伝わってこない話で、知らない間に時の権力に都合のよい方向に思考・意識を向けさせられていく怖さを感じました。
今回の共生という概念にしても、本来つべき語義を離れて、新自由主義に主導された統治に都合のよい概念として使用され、知らず知らずのうちに、それが自分の意識下に忍びこむ危険を感じました。

●集会への感想、今後への希望など、ご自由にお書きください。
第一の感想は、主催者の意図はどこにあったのか、やや疑問を感じました。「出版記念」の集いだから大げさに考えることもないのかもしれませんが、運動の実践者と学者さんの間に十分な理解によりキャッチボールがなかったように思います。
第二に、今回の運動の実践者は在日の方です。しかし、川崎市における在日の方の運動は、日本人市民と無縁であるはずはなく、新自由主義に基づく政策を実践している阿部市長の市政に対しては、日本人市民もまた重大な関心をもっているはずです。そうだとすれば、政策の一つとして行われている川崎市における多文化共生政策に対して、日本人市民がいかに対応していくのかということが、私たちに問われているはずです。
一般論的に学者さんの話を聞いて終わりでなく、我々市民がこの問題にどうかかわっていくのかが議されてべきだったと思います。
実践と学問の問題で、学者さんをせめるのではなかう、その指針なり、ヒントを学者の先生に教示していただくようなことが必要だったと感じました。

7.21出版記念会の報告

みなさんへ

昨日、『日本における多文化共生とは何かー在日の立場から』の出版
記念会が川崎市教育文化会館にてもたれました。2-6時の予定が
大幅に延期され、7時まで続きましたが、110名の方が参加され、
最後まで熱心な議論が続きました。

1.朴鐘碩から執筆者全員の紹介があり、開会の挨拶をする
日立闘争から40年たつも今も変わらない日本社会の問題性を指摘

2.高史明さんの講演
小田実、布施辰治、丸山真男を例にあげながら、日本を変えなければ
ならないということを力説。

3.パネルディスカション
a. 小沢弘明さんの発題ー「新自由主義について」
新自由主義が全世界で同時進行的に進められており、その結果、
格差の拡大が日本は勿論、全世界的に見られる。しかしその政策が
広く支持されているのはなぜかということを、ヘゲモニーの問題
として説明。

b.塩原良和さんの発題ー「多文化共生」について
オーストラリアの実例から、「多文化共生」事業に携わっている
人たちの実態を知った上で、「共生」を「運動」の言葉として
取り戻すために、民族・文化・社会階層を超えた「連帯」を促す
理念として再定義することを提案。

c. 上野千鶴子さんのコメント
大企業に勤めながらも闘いを続ける朴鐘碩を称えながら、
新自由主義が分断をもたらしていることの指摘と、国境をなくす
方向性に行かない(人は、カネ・ものとは違っている)のは
どうしてかと小沢さんに質問

d.崔勝久のコメント
差別・抑圧は個別、具体的であり、その実例として川崎の「共生」
施策の実態を説明。市長の「外国人は準会員」発言「当然の法理」
の問題、「門戸の開放」のまやかしについて説明。

e. 朴鐘碩の意見
大企業は経営者と組合が「協創」(=「共生」)によって一般
労働者が自由にものを言えないようにしいてる実態と、日立を
はじめ大企業は「人権養護」ということで組織を作るが形式的な
対応にとどまっていることを説明。停年退職まで後3年、組合
委員長に立候補することを貫徹させたいと宣言。

f.フロアーからの意見
・塩原さんの「働かざるもの、食うべからず」は資本主義的常識
 という説明に対して、元来は社会主義世界における常識であった
 との指摘→本人認める
・農業に従事している人から、新自由主義施策の問題点の指摘
・大学関係者から、学問と実践を対立的にとりあげることの問題点
 の指摘
・国鉄労働者が200名自殺して抵抗したこく国鉄の民営化のなかで、
 それに抵抗し自殺者をださないで闘ってきた例をあげ、「抵抗が
 なかった」と断定的に話した発題者への疑問→上野千鶴子さんから、
 野田正彰の著作を取り上げ、血を流すことのなかった「改革」では
 なかったという解説
・地方の民族団体に属す人から、参政権の意義を説明してそれに対する
 崔への質問→論議されている参政権には被被選挙権はなく、北朝鮮「籍」
 者は除外されている事実を指摘、自分は民族主義イデオロギーを克服
 する立場であることを説明。

4.閉会の挨拶(伊藤晃さん)
今回の本は川崎を事例として「在日」当事者から個別・具体的な問題を
提起しているのであり、一般論として「共生」の問題を観念的に論議する
ことの危険性を指摘。最後におそくまで論議に参加してくれE3人への感謝
で閉める。

5.懇親会 35名が参加。、韓国から、昨年『和解』で大仏次郎賞を
取った朴裕河さんが参加。二次会にも10名が残り熱い論議を継続。

出版記念会を主催した事務局員としては、予想より多くの人が参加して
くれたこと、十分な準備をして臨んでくださった発題者、特別講演者の
高史明さんに感謝いたします。

特に「批判されることを覚悟」して参加したという塩原さんの謙虚で
前向き、誠実な姿勢には感動を覚えました。これからのご活躍を祈ります。
加藤さ2、横浜国大の学生、及び多くの裏方のみなさん、御苦労さまでした。

最後に、アンケートの中からひとつ選び、ここに記します。今後の活動の
在り方ついて参考にさせていただきます。

崔 勝久

2008年7月7日月曜日

謝辞

みなさんへ

『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)が
いよいよ10日に見本があがり、20日ころには一般の書店で販売
されます。

皆さんの職場、サークルや、大学の授業などで使っていただければ
幸いです。

はやくお読みになりたい方は、私のほうにお申し込みください。

崔 勝久

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謝辞

この度、『日本における多文化共生とは何か――在日の経験から』が新曜社から出版され、最初に印刷された本を献本としてみなさまにお送りできますことを心より感謝いたします。
新自由主義の時代においてますます格差が拡大される中、多様化を謳った「多文化共生」が各界、各層において強調されるようになっています。
本書では、日立闘争を経験してきた在日朝鮮人当事者が地域と企業において経験してきたことから、川崎市と日立製作所及び「民族保育」の「共生」の実態を事例として取り上げました。また上野千鶴子さんは、フェミニズムの立場から歴史的、社会的に「共生」の問題をどのように捉えるべきかを論じました。この本は、「在日」の現場における経験と日本人学者の研究に基く共作と言えましょう。
みなさまの忌憚のないご意見、ご批判を受け、さらに運動と研究の両面で、新自由主義の時代における「共生」のあり方を問うていく所存でございます。
なお、別紙のように出版記念集会を予定いたしましたので、あわせてご案内申し上げます。ご都合お繰り合わせのうえ、こちらにもご出席いただければ幸いです。

  2008年7月

     編者 崔 勝久 Skchoi7@aol.com
加藤千香子 YQS02036@nifty.ne.jp

                        
 

2008年7月1日火曜日

李仁夏牧師の死を悼む

みなさんへ

今日の朝日の夕刊に李仁夏牧師の死亡記事が出ていました。

在日外国人のための人権活動を続け、川崎市外国人市民代表者会議
の初代委員長に選ばれた。98年度の朝日社会福祉賞を受賞した。

昨日の22時に永眠されたとの連絡を受けました。
その前日、関田牧師が病院をおとづれ、偶然、病院にいた家族と一緒に
祈りを捧げたところ、李先生は目を開け、頷かれたとのこと。50年の
川崎における交わりに李先生に感謝するという関田先生も、もうあまり長く
はないかもしれないと思いつつ、まさかその翌日になくなるとは想像も
されていない御様子でした。

川崎教会での献花による前夜祭は2日の6時より、告別式は3日の11時で、
お別れ会は12日東京教会で行うとこのとです。

振り返ると、私が李先生にお目にかかったのは大学の1年生の時、もう
すでに40年以上も前のこととなります。三鷹の寮から毎週土曜日に教会で
泊り翌日の礼拝をするという、自分でも考えてもいなかった生活がはじまり
ました。ある日李先生から、神学校に行って牧師になって川崎教会で自分の
後継者にならないかと言われたときには、胸を衝かれる思いでした。

その後の日立闘争の時には、運動を理解する人たちが圧倒的に少ない
中で李先生は、全面的に私たちを支援し後ろ盾になってくださいました。
当時20代初めの若い私たちが120%の力を出し、闘争に邁進できた
のも李先生の御理解と、私たちに対する深い信頼、愛情があったからだと
思います。

その日立闘争から「在日」の新しい歴史がはじまり、李先生は先頭に立ち、
マイノリティの人権の回復を願う地域活動を展開されました。
李先生なくては、今の川崎での「共生」運動の基盤は作られなかったでしょう。
李先生は最後まで、その信仰による自分たちの叫びが為政者をも動かし、
夢にも思っていなかった地域での運動になってきたと信じていらしたのでしょう。

晩年は私は「共生」の旗手となられた李先生とは立場が異なり、私たちは
「共生」を批判する論理を展開するようになりました。それでも、昨年の
7月15日の「共生を考える研究集会」では呼びかけ人になり、開会の
あいさつをしてくださいました。立場は違っても、後は君たちに
委ねる、思い切ってやりなさいというお気持ちであったのでしょう。

健康さえ許せば、7月21日の出版記念会にも参加し、また開会のあいさつを
引き受けてくださったことでしょう。開かれた「地域社会」を求めよ、私は
その目標は完全に李先生と一致するものと信じます。これからもわたしたちの
動きを見守ってくださるものと信じます。

今回出版される『日本において多文化共生とは何かー在日の経験から』を
李仁夏牧師に捧げます。

李仁夏先生、安らかにお休みください。ありがとうございました。

崔 勝久