2009年5月31日日曜日

指定都市(川崎)における住民参加の仕組みについて考える学習会の報告

みなさんへ

昨日の小原さんを囲んでの学習会の報告です。
小原さんのお話の骨子は望月さんの文責で以下に記しました。
 
3時間にわたる講演と質疑応答は、大きく以下の3点が中心でした。
1.自治体の適正規模
2.政令都市という制度
3.定住外国人の自治体政治参加

講演から多くのことを学びましたが、そこから川崎の課題について今後深めていかなければならないと強く感じています。私の理解としては、課題として以下のことを念頭に置いています。

1.小原さんの政令都市という制度は、財源と政治の配分の面からの説明であったが、住民の政治参加の保障(決定権への関与)という観点から制度の在り方を考える必要がある。(人口2万人ほどの中学校区を核にしての、新たな組織の川崎市政の中における位置つけ、公選公募による委員の選出など、住民が政治課題の決定過程にどのように参加できるのか、その保障をどのようにすることができるのか、ということを議論の中心に据える。)

2.川崎では既に自治基本条例に基づく区民会議条例が作られ、4年前から区民会議が運営されており、その組織の意図・実態を徹底的に見直し、問題点を洗い直して新たな提案をする必要がある(例えば区選出の市会議員との関係、市長・議会との関係性など)。

3.その結果、地方自治法に基づく「地域自治区」「地域協議会」との関係を考慮した組織にするのか、現在の川崎の条例の改正か、あるいは根本的に政令指定都市の分割解体(新都市建設)か、などの可能性を検討する必要がある。

これらのことは10月の市長選挙の結果とも関係します。すなわち、今の阿部市政では上記のことの検討は不可能なので(住民参加の地方自治は形式的なもので住民参加を装った新たな統治でしかなく)、新たな市長の下で徹底的に検討することを約束する内容だと思われます。

崔 勝久

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指定都市(川崎)における住民参加の仕組みについて考える
  【川崎市長選挙に向けた学習会】講師・小原隆治(成蹊大学教授)

   日時 2009年5月30日



住民参加という事態を考慮するとき、参加する自治体がどのようなものであるのかということを知る(認識)必要があります。まず、自治体を知るための基礎知識を展開してみます。

Ⅰ、自治体の適正規模。これには自治体には2つの性格があります。①費用対効果の効率を追及する経営体。②市民参加の民主主義を実現する政治体の2つ、二面です。



その経営体としての適性規模はどのようなものかといいますと、市民一人当たりの費用がどれだけ必要かという問題を示されます。自治体の大きさによって費用が異なります。小さな自治体でも大きな自治体でも基本的経費は共通性がありますが、自治体の規模が大きくなりますと、独自な費用が必要になります。都市基盤の設備等です。



これは縦軸を「単位費用」、横軸を「人口規模」というグラフで、諸自治体をプロットしますと、人口1万人以下では急カーブになり、10万人位まで下部を水平に推移し、人口規模が増大しますと、上昇カーブに反転推移していきます。費用が増加する原因は色々ですが、公害問題、交通渋滞などが発生しますので。



政治体としての適正を考えるにはまず、直接民主制を実現する規模について、考察します。直接民主主義は自治体ではどのような事柄のでしょうか。首長と議会のリコールが直接民主主義の手法ですが、はたしてこれはどの範囲で可能なのかということを知らなければなりません。



神奈川県自治総合研究センターの『指定都市と県』という著作の164頁に「法定署名達成件数は人口3万以下の自治体に集中し、30万が上限(1947年から1984年間)という調査報告があります。また、今井照著の『「平成大合併」の政治学』ではリコール投票実地件数は人口1万人以下の自治体が全体の4割を占め、3万人を超えると事例は僅少になるとあります。(190、237頁)



住民の意見交換の場(地域コミュニティ)の種類と大きさは、①基礎自治体・指定都市の行政区(町内会連合会の規模)、中学校区(連合町内会の規模)、③小学校区、④単位町内会などでが、どの大きさを選ぶか、選定の基準を考察する必要に迫られます。



個人で直接的に話し合い、世話をする軒数が10軒から16軒だという体験論をきだみのるが発表しています。『にっぽん部落』45頁。



次に政令指定都市という制度について考察します。この制度は地方自治法上の特殊な大都市制度の一つで、別には「都区制度」(東京都)があります。指定都市制度の特殊性は一般市と府県とが分担する領域が減少し、どちらでも分担できる領域が増大するという現象が発生しています。仕事の配分が変わったのに、財源や政治という面での配分が不均衡になるという現象です。この不均衡をどのように改めるかという問題が存在しています。指定都市制度のまま不均衡是正か、分解解体して、複数の一般都市に戻すか、或は都区制度の区を基礎自治体に準用するかという複数の選択肢が考えられます。



最後に定住外国人の自治体政治参加の事ですが、私は国籍+相互主義が穏当ではないかと考えています。韓国では相互主義ということがすでに設定されていますが、日本の状況を踏まえての事例と考えられるでしょう。日本でも住民投票では幾つかの自治体が国籍を撤廃して実施した実例がありますが。国法で定めるよりも、条例による制度化が望ましいでしょう。



質疑応答

Q,現在の区民会議は市長の形式的な諮問機構に過ぎない。住民主体の区民自治協議会の形成の可能性の有無は。

A,現在の市議会、区民会議との兼ね合いが問題。



区民議員からの発言、現在の区民議会は市長の諮問機関であるが、実態は市会議員の出席を市長から要請されていて、選出議員は4名、16人は団体斡旋で市側の推薦。年間4回の議会を市議会場で行おうという案が市側かれ提案されています。議会は市民が話からの議題提案はなく、懇親を目的の食事会が殆んど。

                     09・05・31  (文責  望月)

2009年5月25日月曜日

学習会の最終のご案内ー住民が主体となる地方自治の可能性について

学習会の最終のご案内

住民が主体となる地方自治の可能性について、その具体的な仕組みを10月の市長選に向けて提案すべく、学習会をもちます。川崎は既に自治基本条例に基づき「川崎市区民会議」を運営していますが、その存在は大多数の市民に知られてさえいません。市民による住民自治を謳いながらも、その実態は、行革によって財政を立て直そうとする動機から発動された、市民を動員する上からの新たな統治です。先行する統治システムに対して、私たち住民が地方自治をどのように考え、どのような仕組みを持つべきなのかを考え具体化する第一歩にしたいと考えています。参加希望者は事前にお申し込みください。

小原隆治さんを囲んでの学習会
「住民が自分で条例を作り、自分たちで統治していくようになってこそ、本当の意味での地方自治が始まると思います。」 (早稲田塾HPより) 
講師:小原隆治 成蹊大学教授、豊島区自治推進委員会委員座長などを経験
早稲田大学大学院政治学研究科卒業、行政学、地方自治専攻
英国シェフィールド大学客員研究員などを経て現職。
『平成大合併と広域連合―長野県広域行政の実証分析』(公人社)等
題目:指定都市(川崎)における住民参加の仕組みについて考える
日時:5月30日(土) 午後13時30分(時間厳守)
場所:日本キリスト教団 川崎教会(JR川崎駅 徒歩10分)
http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/4db38d1c288dae0cfcb2a6aff818e3d7/
(参加費 1000円)

当日の小原さんのお話の骨子
1、原理的な観点から自治体の適正サイズに関してどう考えるか
2、妥協の産物である政令指定都市制度のゆがみをどう考えるか
3、大都市のなかで「小さな自治」制度をどう工夫するか
4、定住外国人の自治体政治参加はどのように可能か
5、「小さな自治」制度への定住外国人参加をどうしくむか

その後、小原さんのお話を踏まえて、川崎の実態に照らしてどのように考えればいいのかということは、質疑応答の時間帯で討議いたします。主催者としては以下の内容を検討したいと考えています。
①川崎の7つの区が自治区として基礎自治体になる方法はあるのか(仮称、「川崎区民自治協議会」)
②区長は市長による任命ではなく東京の特別区のように選挙で選ぶようにできないか 
③区の新たな仕組みを運営する委員は公選公募にすることは可能か
④中学校区を単位とした自律的な組織が核となり各区の「区民自治協議会」を構成するという小さな行政単位は実現できるのか
⑤外国人もまた住民当事者として政治参加し、選挙権、被選挙権のいずれの権利をもつことは法的に問題はないのか


次会の学習会のご案内   
斎藤純一さんを囲んでの学習会
「自らの言葉や行為において互いに現れること、共有される世界が今後いかにあるべきかについて意見を交わすこと。この政治的自由を相互に保障し合うような関係性を創出し、維持していくことが、民主的な公共性の条件であるという理解を私はアーレントと共有している」「アーレントは公共的空間を「国民」(ネイション)の内部に閉ざしてはいない」(『政治と複数制―民主的な公共性にむけて』あとがきより)
講師:斎藤純一 早稲田大学教授
早稲田大学大学院政治学研究科 博士課程単位修得退学、政治理論・政治思想史専攻
横浜国立大学教授を経て現職。
『公共性』『自由』『政治と複数制―民主的な公共性にむけて』(岩波書店)等
題目:「民主的な公共性」とは何かを考える
日時:6月6日(土)午後15時(時間厳守)
場所:日本キリスト教団 川崎教会(JR川崎駅 徒歩10分)

主催 住民参加の市政をつくる川崎市民の会
川崎市川崎区小川町11-13 日本基督教団川崎教会付
連絡先:(崔)090-4067-9352, skchoi777@gmail.com

2009年5月18日月曜日

日本学術会議事務局からの第3回目の回答です

みなさんへ

日本学術会議事務局企画室の方から3回目の回答が来ました。
2回目の回答の修正がなされ、丁寧に記されています。

先の私のメールで、会員と提携会員は国家公務員特別職だと
いうことは説明しましたが、その説明をしたうえで、国籍に関しては
法律ではなく、「日本学術会議は「内閣府におかれる特別の機関」
つまり、国の機関であるため、国籍の件に関しても、内閣法制局
での見解に従っていると説明しています。即ち、「当然の法理」
という内閣法制局の見解に従っている、ということでした。

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崔 勝久様

お返事が遅くなって申し訳ありません。

日本学術会議は、内閣府設置法第四十条第三項により、「内閣府におかれる特別の機関」というように定められているため、それを組織する会員及び連携会員は、国家公務員になります。
国家公務員法の第三条では、日本学術会議会員は国家公務員特別職と定められており、連携会員は第三条には明記されていないため、第二条により国家公務員一般職になります。
このように、日本学術会議は「内閣府におかれる特別の機関」つまり、国の機関であるため、国籍の件に関しても、内閣法制局での見解に従っているものです。

ただし、外国人研究者の件に関しては、いろいろと意見が出ているところです。日本在住の外国人研究者にも学術会議の委員会等に参加していただくようにした方がよいという意見が会員の中からも出ているので、在日外国人研究者に外国人会員すなわち会友などという名称で学術会議の会議等に参加していただくことを検討するための委員会の開催の準備をしております。
(先ほどは、当方の書き方が誤っていましたので、訂正いたします。申し訳ありません)


よろしくお願いいたします。


日本学術会議事務局 企画課
坂本、兼平

日本学術会議の会員は特別職の国家公務員でした!

パブリック・ベネフィット研究所の富永君の助言で、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であることがわかりました(国家公務員法 第2条3項13)。


事務局の回答では会員と提携会員も同様に国家公務員であり、「公権力の行使」と「公の意思形成」を謳う「当然の法理」によって、日本国籍者でなければならないという主張です。



しかし会員及び提携会員は国家公務員特別職であっても、それが外国籍者であってはいけないということは法律では明示されておらず、単に「当然の法理」による解釈です。学術会員の中からの問題提起によって、外国人の会員及び提携会員の可能性について委員会を設置して検討するということなので、日本学術会議の見識に期待しましょう。



ここは単なる「門戸の開放」でなく、研究者の業績を中心にして「当然の法理」によらず、会員及び提携会員にふさわしいかどうかの基準の中で国籍条項を撤廃する宣言をしてもらいたいですね。それが「多文化共生」を訴える日本学術会議にはふさわしいとのではないでしょうか。



崔 勝久





国家公務員法

第2条(一般職及び特別職) 

1 国家公務員の職は、これを一般職と特別職とに分つ。

2 一般職は、特別職に属する職以外の国家公務員の一切の職を包含する。

3 特別職は、次に掲げる職員の職とする。

 一 内閣総理大臣

 二 国務大臣

 三 人事官及び検査官

四 内閣法制局長官

 五 内閣官房副長官

 六 内閣総理大臣補佐官

 七 政務次官

 八 内閣総理大臣秘書官(3人以内)及びその他の秘書官(国務大臣又は特別職たる機関の長の各々につき1人)

 九 就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員

 十 宮内庁長官、侍従長、皇太后宮大夫、東宮大夫、式部長官及び侍従次長並びに法律又は人事院規則で指定する宮内庁のその他の職員

 十一 特命全権大使、特命全権公使、特派大使、政府代表、全権委員、政府代表又は全権委員の代理並びに特派大使、政府代表又は全権委員の顧問及び随員

 十一の二 日本ユネスコ国内委員会の委員

 十二 日本学士院会員

 十三 日本学術会議会員

 十四 国会職員

 十五 国会議員の秘書

 十六 防衛庁の職員

日本学術会議事務局からの2回目の回答

みなさんへ

日本学術事務局から早速私の質問に対する2回目の
回答が本日折り返し来ました。
会員は公務員であり、公務員は「当然の法理」に従わなければ
ならないという趣旨です。
しかし注目すべきは、同じ会員からの問題提起によって、
「外国人研究者の登用についての検討すべく、委員会の
設置の準備をすすめているところです。」

それに対して改めて3回目の質問をだしました。
そこまで以下に掲げています。

崔 勝久

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崔勝久様
お世話になっております。
日本学術会議事務局です。

お問い合わせの件についてお答えいたします。

ご存じのとおり、日本学術会議は日本学術会議法で次のように
定められておりま す。

○ 第一条 この法律により日本学術会議を設立し、この法律を
日本学術会議法と称する。

2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。
3 日本学術会議に関する経費は、国庫の負担とする。

○ 第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

○ 第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員
(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。

2~8 (略)

○ 第十五条 日本学術会議に、会員と連携し、規則で定める
ところにより第三条に規定する職務の一部を行わせるため、
日本学術会議連携会員(以下「連携会員」という。)を置く。

2~4 (略)

このように、日本学術会議は内閣総理大臣の所轄であり、それを
組織しているのが会員及び連携会員であるため、会員及び
連携会員は国家公務員になります。

国家公務員の国籍については、昭和28年3月25日法制局
-発29号で、「公務員に関する当然の法理として、
公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員
となるためには、日本国籍を必要とするものと解すべき」と
ありますので、これに基づいているものです。

しかし、学術会議会員の中からも、日本在住の外国人研究者を
の学術会議の会員として登用するべきではないか、
という意見が出ておりますので、今後、学術会議としては、
外国人研究者の登用についての検討すべく、委員会の
設置の準備をすすめているところです。


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早速のご回答、ありがとうございます。

御回答は以下のようになっています。
「このように、日本学術会議は内閣総理大臣の所轄であり、それを
組織しているのが会員及び連携会員であるため、会員及び連携会員
は国家公務員になります。」

(1).学術会議が内閣総理大臣の所轄である
(2).それを組織しているのが会員及び連携会員である
(3).(従って自動的に)会員及び連携会員は国家公務員になる
(4).(従って「当然の法理」に基づいてその会員及び国家公務員
    は、日本人に限定され、在日外国人はその対象から外される)

以上の主張なのですが、
(5).(3).の法的根拠がわかりません
(6).法的な根拠が明白ならば、在日外国人の会員になることは
国会での法律の改正の手続きを経なければなりません。
委員会は何の準備をされているのでしょうか。
はやり、会員はどのような手続きで、また根拠で、国家公務員に
なるのかという点と、政府見解の「当然の法理」に従わなければ
ならないという理由がわかりません。

崔 勝久

日本学術会議:事務局からの回答、やっぱりな!

日本学術会議に私は先週質問のメールを送りました。
以下は、その質問の内容と事務局からの回答です。
思った通りの回答です。
日本学術会議法には、会員の国籍については何にも
触れていません。

法規関連に関しては以下のURLをご覧ください。
http://www.scj.go.jp/ja/scj/kisoku/index.html

「会員は国家意思の形成への参画に携わる国家公務員であるため、
公務員は 日本国籍者に限るとする政府の「当然の法理」の考え方に
従い、日本国籍が必要であると解されております。」
(日本学術会議事務局回答より)

このメールをご覧になった大学関係者のご意見はいかがでしょうか。

崔 勝久

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タイトル:会員の条件について
お問い合わせ、ご意見:日本学術会議法やその他内規に至るまで
貴会議のHPで確認しましたが、そのどれにも日本国籍を条件と
する文言はありませんでした。

しかしこれまで一人の在日外国人の会員がいなかったことからして、
実際の選考に際しては外国人は選ばれないという不文律の「規定」
があると推測されます。

著名な外国籍研究者も多いのですが、彼らが会員の対象になれない
理由はなんでしょうか。日本学術会議は内閣総理大臣の所轄であり
政府の諮問機関であるが故、公務員は日本国籍者に限るとする
政府の「当然の法理」という見解を,貴会議は基準にされている
のでしょうか。

氏名:崔 勝久


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崔勝久様
お世話になっております。
日本学術会議事務局です。

お問い合わせの件についてお答えいたします。

おっしゃるとおり、日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄の機関
として科学に関する重要事項について政府からの諮問に体する答申、
勧告等を行う機関であり、会員は国家意思の形成への参画に携わる
国家公務員であるため、公務員は日本国籍者に限るとする政府の
「当然の法理」の考え方に従い、日本国籍が必要であると解されて
おります。
よろしくお願いいたします。

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日本学術会議事務局 企画課
坂本、兼平
Tel:03-3403-1081 / Fax:03-3403-1260
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2009年5月16日土曜日

日本学術会議って、笑っちゃいますね

日本学術会議って聞いたことがありますよね。
私の印象では、もっとも「権威ある偉い学者の集まり」という印象でしたが
みなさんはいかがでしょうか。この日本学術会議って、おもしろいですよ、
笑っちゃいます。

日本学術会議のHPではこのように説明されています。

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました

これは政府の諮問機関であり、210名の会員と2000名の連携会員は
学術会議(の委員会)が推薦して総理大臣が任命するものらしいです。
(http://www.scj.go.jp/参照)

その学会がこのところ「多文化共生」に関心があるらしく、
「多文化共生」についての講演会を何度かもっているようです。
(一橋の伊藤るりさん、上野千鶴子さんの講演内容にブログでコメント
したこともあります。http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html)

しかし自らは、会員の条件として日本国籍者を前提にしているようです。
自分は在日の外国人研究者を排除しておいて、「多文化共生」について
熱心に取り組むという、このセンスは笑っちゃいますね。

私の見るところ、これは公務員の国籍条項に準じているのであり、
「公権力の行使」と「公の意思形成」を理由にした「当然の法理」に
基づいて会員を日本人に限定しているものと思われます。
まあ、政府への諮問機関で政府に「勧告」するのだから、「公の意思形成」
ということで外国人はだめだと官僚は考えているのでしょう。
参考までに、日本学術会議法や規則・内規では国籍のことは触れられて
いません。まさに「当然の法理」です。

伊藤るりさんはご自身の学術会議での講演で、このことの問題を
指摘されたとのことですが、壁は厚いでしょうね。
しかしここは現会員の方から(まあ、無理でしょうが)、壁をこじ開ける
動きがあればいいなと思います。大体、大学とか学会というのは
超保守的なところで、最も権威主義的な世界なんですから。
やっぱり、外からのプレッシャーがないとだめか。
「当然の法理」の壁は厚い!

今回も、バンコク(タイ)で開かれるアジア社会科学協議会連盟の大会に
向けて、「大会への日本からの報告をより充実したものとすること
を目的」として講演会が準備されています。どんな話になるのか、
わたしも後学のために参加申し込みをしました。みなさんもいかがですか。

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崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

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日本学術会議主催公開講演会「グローバル化する世界における多文化
主義:日本からの視点」開催のご案内」の開催について(ご案内)
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◆ 日時:平成21年6月13日(土)13時30分~17時30分
◆ 会場:日本学術会議 講堂
(1) ”多文化共生”の問題と課題:日本、西欧を視野に」
宮島 喬(連携会員、法政大学教授)
(2)「日本在住外国人にかんする法制度」
近藤 敦(名城大学教授)
(3)「日本における労働市場・労働力移動」
井口 泰(関西学院大学教授)
(4)「“多文化共生”社会における教育のありかた」
佐久間孝正(東京女子大学名誉教授)

【申込先】日本学術会議事務局企画課公開講演会担当
〒106-8555東京都港区六本木7-22-34
Tel: 03-3403-6295
FAX: 03-3403-6224
URL:https://form.cao.go.jp/scj/opinion-0003.html

2009年5月11日月曜日

「在日の特権を許さない会」(「在特会」)の背景―日本の右傾化について

東京で地域活動をしているMさんからメールがはいりました。
「在特会」の存在、その活動内容を知ったのも、Mさんからでした。
「在特会」のような動きがどうして出てきたのか、それを日本の
右傾化という脈略で解説してくれています。今後もMさんの現場
での活動や、韓国との運動の連携から見えてきたものを報告して
いただければ、みなさんにお知らせします。

崔 勝久

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「在日の特権を許さない会」(「在特会」)の背景―日本の右傾化について

簡単に私の来歴とこの間の右傾化についての考えを述べてみます。

私が様々な運動に関わり始めた二十数年前は、韓国では民主化運動が全斗煥政権を倒し、日本では指紋押捺拒否への支援が一定数の市民運動や学生運動として存在し、91年の在日三世の法的地位協定を巡って日本人が在日朝鮮人と共闘をしていた時期でした。

私のいた大学では様々な反差別運動が地道ながら堅実な基盤を持っており、時代情勢もあって私も日韓連帯・指紋押捺拒否闘争をはじめ、部落解放運動、障碍者解放運動その他の多くの運動と出会いました。その当時も、もちろん世間には排外主義的な差別意識はあったわけですが、社会常識としてそれはいけないという共通理解はあったように思います(もちろんそこに至るまでの先人の長い闘いの積み上げがあったればこそです)。それ故にこそ、差別意識の現れは差別落書きや人気のないところでのチマチョゴリ切り裂きなどの隠微な形をとったとも言えます。

位相が変わったと感じたのは90年代に入ってからです。湾岸戦争の頃に既にその兆候は見られたのですが、現在につながるバブル崩壊後の貧困――格差問題が顕在化するにつれて、「国家を背景にモノを語る」人が増えたように思います。ご存じのように90年代は、冷戦構造解体後の世界的再編成の時期で、米軍再編、日本ではとりわけ第一次朝鮮核危機の際に、戦争を想定したアメリカの1500項目を超える対日支援要請があり、これが後の日米安保再定義・有事法制・改憲・日の丸君が代法制化へとつながる契機となりました。以降、10数年で日本社会はとんでもなく右へと舵を切るわけですが、ここで問題にしたいのはこれを支えた社会的意識の変容です。

結論から先に言えば、経済不安・社会不安を持つ、先の見えない不透明感に苛まれる特に若年層にとって、その捌け口となりかつ寄る辺となるものとして「国家」や「民族」といったナショナルなものが援用されたのではないでしょうか。80年代の日本社会が「一億総中流化」と言われ90%が自身を中流と認識していたのに対し、90年代以降は「中流からの没落への恐怖」に囚われていると言えるかもしれません。

私が日々接する若者(どのような層か関心のある方は「自由と生存のメーデー」ないしは「反戦と抵抗の祭り」で検索をかけてみてください)は、ロクな仕事がないという日々の困難とともに、自らが子供の時に享受していた生活水準を維持できない――平たく言えばまず間違いなく親よりも貧しくなることが自明な――将来への漠然とした不安と、社会的なポジションを認められないことへの不満(承認欲求とでも申しましょうか)を抱えています。

そのような状況では、自分の苛立たしい現実を作り出している「敵」を探しだし、かつそれを排撃することが承認欲求をも満してくれる、「国民/非国民」という分岐線が魅力的なものに映るのでしょう。街のごろつきで白い目で見られていた若者がヒットラーユーゲントに入ることで誇りを持てたのと同様に。

民族差別とは違う現れ方ですが、一昨年に一時話題を呼んだ赤城智弘の「「丸山真男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」なども同根かと思います。

粗く要約すると、田舎で自分に仕事がないのは先行する団塊世代が社会的富を専有していているからで、強者である団塊世代は後続世代に恩恵を施すべきである。それがないならば、希望は戦争とならざるを得ない。戦争による混乱となれば社会が流動化するからだ。第二次大戦中、学のない上等兵=持たざる者が二等兵のインテリゲンチャ丸山=持てる者をひっぱたけたように――。この場合の敵は「世代」となっています。「不当に奪われている」という被害者意識の構図も同様です。

先日、立川自衛隊官舎ビラ入れ弾圧への対抗運動を支援している若い友人(20代後半)と、ここまでに書いた内容について話した時に、彼が面白い視点を提起してくれました。いわく、「今のネット右翼と呼ばれる層の排外主義は、基本的に弱者の運動」「自国の優越性を言うよりは他所の文化も認めるから日本を侵害しないでくれという、ある意味で文化相対主義――『多文化主義』である」。だからといってその排外主義が問題ではないわけではありませんが、旧来の街宣右翼のそれとは、やはり位相を異にしているように思います。

先述したように、自分は国民(マジョリティーを意味する他のものも代入可)としての責務を果たしているのに、義務を負わない者に「不当に奪われている」という気分が蔓延している中では、相当な困難を日々感じています。

私も微力ながら続けている地域での反戦・反治安運動も、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」「犯罪被害に遭ったらどうしてくれるんだ」などの、あたかも自分は守られる市民側、敵は外にあるかのような物言いに無力感を感じることがままあります。それでも「そうではないだろう」と声を上げ続けるしかないのだろうな、と思っています。本当の敵(この場合は制度的なものだけではなく、文化など幅広い意味を持たせています)とは何かを提起し続けることで、本来敵対するものではない者同士が手を結べるような関係の変化を模索してゆきたいと考えています。

仕事の合間につき、またしても粗雑な論の展開で申し訳ありません。ただ、多忙かつ学者でも専従活動家でもない身ゆえ、まとまった文章を書くのは困難なのです。だからと言って声をあげないのも如何なものかと思い、乱文乱筆を書き散らしております。
ご容赦いただければ幸いです。


蕨での在特会の件は、後日改めて文章をお送りします。
それでは。

2009年5月9日土曜日

河村たかしの思想ー朴鐘碩

河村たかしの思想 NEW / 朴鐘碩 引用
『おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ』河村たかし
(KKロングセラ-ズ2006年)を読んで

「古紙屋の(3人の)長男として生まれ」、「小さいころから紙クズのなかで育った」、「団塊の世代」である著者は、1948年、名古屋市内で生まれた。私は、名古屋から電車で1時間程離れた西尾市で、1951年9人兄姉の末っ子として貧困家庭で生まれた。当時、愛知県の進学校のトップと知られた旭丘高校から一橋大学を卒業した著者は、「ワシは子供ときから威張っているヤツが嫌いだった。権力者、偉そうにしている人間を見ているとどういうわけかムカっ腹が立つのだ。」著者は「権力が大嫌い」だったようだ。「大学に入ったワシは当然というか学生運動に走った。」「そこでワシはストライキ実行委員会の副委員長などという役員までしていた」が、「自分でもいったい何に対して反抗していたのかよくわからない」と記している。

著者は、「諸悪の根源が国会議員にある」「【国会議員が全員死んでも日本は痛くもかゆくもない?】つまり、国会議員が死んでも、みなさんの生活は「何も変わらない」ということだ。」「いや、むしろ今のような国会議員だったら、ごくわずかを除いて、いない方が日本のためかもしれないのだ」と主張する。(国会議員は)「職業だから、弱い者の味方をせず、強い者たちのために我田引水し、ムダな公共事業で私腹をこやす。職業バカ高い年金を手放すこともできず、あげくの果てに税金でこっそりこさえた億ションで優雅に暮らそうとする。

職業だからこそ、国(日本経済)にカネがあり余っているというのにさらなる贅沢をしたいがために「日本は財政危機なので辛抱してください」とウソまでついて増税する。」
「議員年金などの特権をすべてとりはらい、ボランティア化(民営化)するのだ。つまり、パブリックサ-バント(公僕)である。」と、庶民、大衆が日常感じていること記しているようである。そして、「ワシの信条のひとつとして、政治は大衆運動だ、というものがある。大衆の心をつかむことができない者が世の中を変えることはできない。そういう意味では、かのイエス・キリストなんてその最たるもので、ワシは偉大な大衆運動家だと思っている」と自画自賛している。また、「この国では、年収2~300万円以下の人がメチャクチャよく働いている。そのおかげで大企業は儲かり、巨万の富を銀行に預けている」と、労働者の立場を理解しているかのようである。

「偉大な大衆運動家」と自負する著者は、最後の「「日本は犯罪国家」というレッテルへの反撃~靖国問題&南京事件~」について、靖国参拝を擁護し、南京事件を否定する論調を展開している。日本の侵略戦争の被害者であるアジアの人々よりも日本国民への謝罪をしきりに強調し、著者の排外性、被害者としての歴史観、国民国家論を露にしている。これが日本最大の労働組合・連合が後押しする民主党に属していた、後に名古屋市民に支持され、市長となった著者の本音であろう。名古屋(地域)訛をタイトルに(意図的に)使ったのも、市長選を前提にしたものだったかも知れない。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」「この原爆碑文は、アメリカが都市無差別爆撃、一般市民の大虐殺という戦争犯罪を、いつの間にか日本人の犯罪にすりかえた動かぬ証拠ではないか。原爆を落とされ何十万という民間人を虐殺されたうえに、「悪かった」と言わされる。日本人というものはここまで辱められたということなのだ。」「強い者がル-ルを作り、リ-ダになっていくのもまた悲しい現実なのだ」
「そもそも戦争がなんで起こるかというと、パワ-バランスが崩れるから。人間というやつは非常に残念だが「弱者」に攻め込むもの」
【靖国参拝には賛成。ただし、日本国内への謝罪と補償を約束しろ!】
「参拝について質問され、民主党で賛成だといったのはワシだけである。」「ただ、参拝するにしてもひとつ条件がある。それは謝罪だ。といっても中国ではなく、日本国民にだ。ワシの地元である名古屋は空襲を受け、祖母も殺された」
「日本の歴史というのは、朝鮮半島という足にいつ蹴られるかビクビクしながら、どうやって生きていこうかという努力の歴史でもある」
「大虐殺は本当か?南京市民に命を助けられたワシのオヤジ」

「現場の弱い人間の人助けに3年半にわたり全力であたって」いたと、自負する著者は、矛盾した論理を展開し、「日本国民」大衆の心理を巧みに利用し、欲求不満を再びアジア(外部)に仕向けているというのが、私の正直な読後感である。これは戦前・戦中の(領土拡張を意図した)植民地思想に酷似している。戦争責任を含め侵略戦争の犠牲となっている外国人・ジョブレス労働者の問題には一切触れていない。自らの地位を維持するためには、票獲得に繋がらない弱者の課題には全く無関心である。河村たかし名古屋市長も、危険な戦後の植民地なき「新植民地思想」の持ち主と言える。

朴鐘碩

2009年5月8日金曜日

「住民自治の裏話ー建前に騙されないために」への感想

みなさんへ

私が記したブログ(「住民自治の裏話ー建前に騙されないために)
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/05/blog-post_05.html)
への感想文がAYさんから送られてきました。

AYさんは某大学の4年生で、昨年半年アメリカに行き、
自分の関心のある領域を見てきたそうです。それを卒論や
今後の研究(生き方)に活かしたいと考えているとのこと、
いずれにしても若い人からの反応をうれしく思い、本人の
承諾を得て、ブログに掲載します。

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崔 勝久
SK Choi

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こんにちは。お元気ですか?

私はだらだらとGWをすごし、今、崔さんからのメールに触発
されてGWボケが吹っ飛んだところです。

私の意見を言わせていただけるなら、それは崔さんが
書かれていた「住民自治はやはり、住民が声を上げ、住民が
公と対等の立場で討論できる場を提案し具体化すること」
というところとすごく似ています。

「公」って理念的には「住民」の中から出てきているものですよね?
いつの時代も結局は「公」が「住民」を動かしたり、言いくるめたり
しているような図式に見えてしまいます。
(私、小熊英二の『民主と愛国』を読んで、戦後日本にげっそりした
記憶があります。こんなにも簡単に言葉やイメージが変わって
しまうなんて!!と)

そして、私自身は、これを変えるためには本当に自分自身や、
地域(地域でなくてもネットワーク的にでもいいのですが)が
声を上げていき、その要求を「届ける」のではなく、「作れる」
ようになることが大事なのではないかと思っています。

多くの議論が、今ある形にどう当てはめるかを考えていますが、
本当に地域からはじめたとき、多くのものが今の国家の枠に
収まらないものとして現れてくるのではないかと思うのです。
ゴールを設定しない地域運動が、国民国家の限界を壊しては
くれないかな、と、少し夢想的にですが思っています。

AYより

共同発表「多文化共生」と移民労働―安山市と川崎市の現地調査より」-立命館大学

共同発表「多文化共生」と移民労働―安山市と川崎市の現地調査より」-立命館大学韓国の安山市と川崎市を現地調査した、立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程の研究生が共同で論文を発表していますので、ご紹介します。植民地主義研究会によるフィールドワーク調査は、「アジアにおける多文化主義と移民労働の現状を現場から考察する」目的でなされたようです。
(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2008/8.Joint%20lectures_paper.pdf)

発表者は以下の4名で、フィールド調査を踏まえた報告のレジュメになっています。
1.「都市と移民」  佐藤 量
2.「韓国における多文化共生―安山市と「国境のない村」」  原 佑介
3.「川崎市の多文化共生政策と在日朝鮮人の運動についての調査報告」 番匠健一
4.「<新>植民地主義から移民を考える」  岩間優希

佐藤さんの安山市についての論文の最後は問題点として、「多文化主義的社会運動の実験性がもたらす「理論の過剰」による「現場からの乖離」」を指摘しています。実際の「国境のない村」の外国人居住者は、中国出身の朝鮮族(67.9%)、中国人(17.8%)らしく、彼ら自身は、「『国境のない村』の価値と未来に対して無関心であったり、背を向け、別の土地を求めて出て行っている」現状への批判を紹介しています。

岩間さんは論文の「はじめに」おいて次のような問題意識を記しています。
「(川崎市と安山市)はそれぞれ、韓国と日本で多文化共生を実践する都市として注目されている場所である。・・・本研究ではこの二つの都市の多文化主義を、<新>植民地主義論の視座から検討していきたい。そうすることで、現在、都市を中心にして進行しているグローバル化がいかなるものなのか、<現場>に即した形で読み解くことができると考えるからである。」

論文の「おわりに」で岩間さんは以下のように締めくくります。
「現在の移民の流動は、<新>植民地主義的な背景によるものである一方、揺らぐ国民国家のなかで見出される新たな可能性としての面もある。・・・国民がそれ以外の在り方への変化する方向を探るとするならば、それには国民ならざる者の存在こそが鍵となりうるだろう。」

若い研究者が、日本と韓国で「多文化共生」を看板に掲げ有名な都市を訪れ、そこで何を感じたのかは、大変興味深く、また今後の研究がどのように深まるのか楽しみです。 

崔 勝久

2009年5月6日水曜日

学習会のご案内

みなさんへ

学習会のご案内です。
5月30日(土)に小原隆治さん(成蹊大学)、6月6日(土)に齋藤純一さん(早稲田大学)をお呼びして学習会をもちます。詳しくは以下の「学習会のご案内」をごらんください。

住民自治、特に川崎のような100万人を超える大都市、政令指定都市において、住民が主体として参加できる仕組みがどのようにすれば可能なのか、学習いたします。

地方自治は国や自治体の経済的な状態から、従来のサービスは維持できず、民にその負担を負わせるという目的から提案されているという面と同時に、住民が既成の地方自治の仕組みに納得ができず自ら参加していこうとする、下からの要望という側面があり、これからはそのせめぎ合いが続くと思われます。

「地方自治」が「共生」と同じく、上からのスローガンとして提唱されるとき、形が建前として強調され、実質的には統治や管理が強化されるだけで、民の意向が反映され、対等な対話の場が保障されることはない、
という事態も大いに考えられます。

特に川崎の場合、地方自治が強調され、自治基本条例が作られ、それに基づいて形としては「区民会議」も設置されています(市民の2割もその存在を知らないと答えていますが)。そのような状況下で、どのように実質的な「民主的、開かれた公的空間」を具体化させることができるのでしょうか。

小原さん、齋藤さんはいずれも地域社会の在り方を模索し、地方自治と政治理論・思想の分野で第一線で活躍され、現状突破を理論的、実践的に求めておられる方です。彼らと一緒になって私たちの課題を検討していきたいと考えています。

崔 勝久

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学習会のご案内

10月の市長選を前にして、政令指定都市川崎における住民自治の在り方について考えたいと思い、以下の学習会を持つことにしました。「分権化」が話題になっていますが、国や地方自治体が上から決めるのでなく、住民自身が自ら政治参加していく仕組みをつくることを具体化していこうと思います。事前の参加申し込みをお願いいたします。

1. 小原隆治さんを囲んでの学習会
「住民が自分で条例を作り、自分たちで統治していくようになってこそ、本当の意味での地方自治が始まると思います。」 (早稲田塾HPより) 
講師:小原隆治 成蹊大学教授、豊島区自治推進委員会委員座長などを経験
早稲田大学大学院政治学研究科卒業、行政学、地方自治専攻
英国シェフィールド大学客員研究員などを経て現職。
『平成大合併と広域連合―長野県広域行政の実証分析』(公人社)等
題目:指定都市(川崎)における住民参加の仕組みについて考える
日時:5月30日(土) 午後13時30分(時間厳守)
場所:日本キリスト教団 川崎教会(JR川崎駅 徒歩10分)
http://local.yaho・o.co.jp/detail/spot/4db38d1c288dae0cfcb2a6aff818e3d7/


2. 斎藤純一さんを囲んでの学習会
「自らの言葉や行為において互いに現れること、共有される世界が今後いかにあるべきかについて意見を交わすこと。この政治的自由を相互に保障し合うような関係性を創出し、維持していくことが、民主的な公共性の条件であるという理解を私はアーレントと共有している」「アーレントは公共的空間を「国民」(ネイション)の内部に閉ざしてはいない」(『政治と複数制―民主的な公共性にむけて』あとがきより)
講師:斎藤純一 早稲田大学教授
早稲田大学大学院政治学研究科 博士課程単位修得退学、政治理論・政治思想史専攻
横浜国立大学教授を経て現職。
『公共性』『自由』『政治と複数制―民主的な公共性にむけて』(岩波書店)等
題目:「民主的な公共性」とは何かを考える
日時:6月6日(土)午後15時(時間厳守)
場所:日本キリスト教団 川崎教会(JR川崎駅 徒歩10分)



主催 住民参加の市政をつくる川崎市民の会
川崎市川崎区小川町11-13 日本基督教団川崎教会付
携帯(崔)090-4067-9352, skchoi777@gmail.com

2009年5月5日火曜日

河村たかしの危険性について

お早うございます。

私は昨日、プリントアウトしておいた「河村ビジョン」を通読しました。その改革の内容は期待したいという点が数多くありました。殊に、「議員ボランティア化」と社会保障の項目中で「中間搾取王国である現在の社会保障」という文言に注目しました。後者の場合「現在の社会保障」という限定範囲は取り除くべきでしょう。日本全体が「中間搾取構造」で成立しているのですから。

「ボランティア議会という構想」も楽しいのですが、彼の「外国人参政権には反対」という外交・安全保障での言明には疑問を抱きます。かれは最後に自分のプロフィールで、「昭和23年名古屋市生まれの尾張藩士末裔」と書いています。この自意識は何でしょう。国粋主義を孕んだもので、非常な危険思想が意識下に存在していると考えるべきでしょう。

日本全国に11,000存在する中学校の構成範囲での地域議会という発想は「区民議会」をさらに細分化し、住民の政治参加への意識向上に適う企画だとは思うのですが。思想の根源にあるものが、私には危険さを感じさせられました。

              09・05・05      望月

住民自治の裏話ー建前に騙されないために

『大都市のあゆみ』(東京市政調査会編)の第4編(分権改革と21世紀の展望)にある、「分権改革と大都市」(5月30日の学習会の講師である小原隆治さん)と「大都市のこれからー大都市制度の論点」(岩崎恭典)を読みました。

「指定都市にのみ唯一、行政区制度が存在することは、「自治を小さくし」得る制度的な仕組みを持っているという意味で大きなメリットである。特に、行政区制度をどう運用していくのかは、自治体の内部組織であるだけに、首長の意欲いかんによって、「新たな公共空間」を創造する手段として利用可能であり、効果の即効性が期待できるのである」(岩崎、P335)。

阿部手強し、と思います。彼は、川崎自治基本法を作り、それに基づく住民自治の具体的なあり方として「区民議会」を創設しました。そのうえ、「外国人市民代表者会議」まで作り、外国人を含めた住民投票を可能にしたということからして、多くの研究者や活動家、マスコミが、政令都市の中で川崎市は最も住民自治に関心があり、市民の政治参加を実現させていると、「誤解」してもやむをえないですね(それにまして、「議会基本条例」の素案まで準備しているというのですから)。

物事は表面から眺めていては何も実態がわからないということです。私たちが、「多文化共生」を謳う阿部市政の実態を暴いたように(『日本において多文化共生とは何かー在日の経験から』(加藤・崔共編著 新曜社)、また吉井さんが綿密に論証しているように(川崎の「住民投票条例」の問題点や議会の閉鎖性(「探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~」
(http://archive.mag2.com/0000219072/20080403070000000.html))、細部を検証しないと制度や仕組みの本質は見えてきません。まさに、阿部、手強しということです。

阿部が「中央の小泉、川崎の阿部」というスローガンで当選した8年前から、彼は、それまで続いた革新市政を批判し、財政問題の立て直しが急務であるとして行政改革を進めてきました。住民自治の強調もその脈絡で捉える必要があります。即ち、これまでの行政サービスをしていく体力はなくなるので、その分、NPOをはじめたとした民間の力を活用して、市民の政治参加を「責務」とする方向を打ちだしたのです。これが今日のタイトルを「住民自治の裏話」とした理由です。

先の岩崎さんは、学者の立場から、「分権化」の本質を衝きます。その論調は本人の意図とは別に、結果として、阿部市政を支えこれからの方向を指し示すものとなると思われます。
「分権改革の目的は、急速に進む少子・高齢化と今後の人口減少社会に対応して、これまでの行政の進め方を大胆に見直し、これまでと同様のサービスを、公のみが供給する体制の維持が困難になっている以上、公的サービスの供給体制を民とともに創る必要があるとの認識に立つものである」(岩崎、P351)。
「行政区は、もはや、行政組織内分権・都市内分権の一手段ではなく、「民への分権」に対応した、地域自治と協働の拠点であると位置づけ」る必要がある(岩崎、P353)。

「地方自治」が行政の財政状態から、彼らの必要性から強調されている以上、これは表に出る建前をそのまま信用することはできない、という思いがします。公と民の「協働」の前提は、権力をもつ首長や実権をにぎる議員(議会)が本当に開かれた姿勢をもち、民と対等に対話ができる場が保障されているのかという点です。パターナリズム(家父長的温情主義)から、市民に目を向けるというのは、自己正当化・自己保持の観点から言い出されているということを私たちはしっかりと見抜く必要があります。

結論として、住民自治はやはり、住民が声を上げ、住民が対等な立場で公と論議し合う場を提案し具体化させることです。阿部市政が住民自治の在り方として(勝手に、組織を動員して)作り上げた「川崎市区民会議」は、市民の多くはその存在さえ知らず(市民の2割しか知らない)、そこには外国人は一人も参加しておらず(外国人の政治参加を排除する形になっている)、公の、阿部市政のイニシアチブで、自分のやりたいことを進めるための器になっているのです。ここをどのように突破できるのか、これが今回の市長選を前にして私たちが考え抜かねばならない、最大の課題のひとつです。

5月30日の小原隆治さん、6月6日の斎藤純一さんをお呼びしての学習会で、しっかりと議論をしたいと思います。

崔 勝久

2009年5月4日月曜日

連休閑話ー暇つぶしに読んだ本、河村たかし伝

河村たかし伝、言及せずに終わらせようとしたのですが、
やっぱり、良心が疼きます。

河村たかし『おい河村、おみゃあ、いつになったら総理に
なるんだ』 (KKロングセラーズ)
私の感想を読んで河村たかしの本を買う人がいるかも
知れないので、一言。

彼は危険人物です。熱血漢で、正義感の強い男で
あるということは認めましょう。10%の減税、「地方委員会」
の設立、これは公約ですから推移を見るしかありません。
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/04/blog-post_27.html)

彼は本の最後で、南京の虐殺を否認し、靖国神社への首相参拝を
肯定します。そしていつまで中国に謝罪するのかと、自民の右翼
顔負けの論陣を張っているのです。団塊の世代で「左翼教育」を
受けたことから、いろんな価値観(歴史観)を生徒に教えてほしい
というところはまあ、黙認しても、自分の親父が南京事件の後、
南京の中国人からよくしてもらったから、虐殺はなかった、
あれは「南京政府の人間が「宣伝」したプロパガンダという
可能性もある」とまで書いています。(河村はそんな男です)

河村は、住民自治の在り方として、外国人の政治参加を
認め、「当然の法理」を否定して外国籍公務員への差別を
なくす(国籍条項の撤廃)宣言をするでしょうか、まあ、
やらないですね、どうでしょうか。

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崔 勝久

2009年5月3日日曜日

連休閑話ー暇つぶしに読んだ本



奥様のおかげで連休の始まる前に小旅行に行ってきました。
浅間山のふもとを越え、万座温泉で乳白色の温泉を
堪能し、3泊4日で普段は読まない本を読みました。

1.福岡伸一『動的平衡』(木楽舎)
2.宮台信司『日本の難点』(幻冬舎)
3.岡田温司『処女懐胎ー描かれた「奇跡」と「聖家族」』(中央新書)
4.河村たかし『おい河村、おみゃあ、いつになったら総理になるんだ』
 (KKロングセラーズ)

福岡伸一のこの本は本日の朝日の「読書」で書評に載っていましたが、若干シニカルな論調でしたね。私はおもしろく読みました。彼が訳したという象や豚の本は是非、読もうと思いました(宣伝上手ですね)。
朝日では、「変わるほど、変わらない」という最近の「流行り」のひとつとして紹介していますが、その言葉では私の感じたことは表せない感じです。「時間」という概念を入れ、人間を部品の集まりとして見る見方を批判するのですが、私には説得力ある説明でした。


宮台伸一は、50代初めの社会学者がどのようなことを書いているのかこれまで食べず嫌いだったので、思わず買ってしましました。「通読すれば眩暈がするでしょうが・・・」と宣伝にありますが、私は全く眩暈をすることなく、通読しました。「救国の書」らしいのですが、私はそれほど感心しませんでした。批判が多いようですが、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』を読んだときのような強い印象はありません。
ところどころいい兄貴的な言い方で(所謂大学の教授の権威ぶったところはなく)、世相を切り、豊富な知識で説明します。しかしつまるところ、彼は憲法9条「改正」に賛成し、遺伝子組み換えにも賛同します(これはさすがに専門家の福岡伸一の警告の方に分がありそうですが)。
最後には、本当にできる学生(東大のトップクラス?)は、利己的でなく、利他的で、他者への影響力を持つと締めくくります(これって、まさか宮台本人のことを言っているんじゃないでしょうね)。これは一種の、
洗練されたもっともらしい保守に流れる「説教」と読みました。
 
『処女懐胎』も説得的です。豊富な絵画をいれながら(高くともすべてカラーであったほうがよかった)、イエスの母のマリア、「義父」のヨセフ、マリアの母のアンナについて、歴史的に、民俗的にどのように 
取り扱われてきたのかを説明します。マリアがセックスなしにイエスを産んだのであれば、彼女はどのように特殊な人間であったのか説明されなくとはならず、また当然、その母親のアンナも普通の女性であっては
いけないわけで(アンナもまたセックスなしに生まれたことになっている)、聖書に言及はなくとも(2世紀の「ヤコブ原福音書」では詳しく書かれているとのこと)ヨセフの「苦悩」とアンナについては、一般民衆に大きな影響力のあったことがわかりました。
カトリックだけではなく、あのルターもアンナ信仰者だったと知り(未確認)、教義に表わされ理屈で固められた信仰理解の裏に、民衆の素朴な思いがその時代の、家父長的あるいは支配的なイデオロギーのなかで
育まれていたことがよくわかりました。


河村たかしの本は南高校の跡地のことで(今はその過程で発生した石綿のことで)日々格闘している渡辺さんの紹介なので、読みました。河村たかしが南高校に来て一緒に座り込みをしたとのことです(河村はしかし、座り込むは敗北と断定していますが・・・)。
彼がどのようにして古紙業の息子として国会議員にまでなっていったのか、国会委員と官僚の在り方に何故批判的なのか、よくわかりました。念願の名古屋市長になったわけで、この本の内容が本当で、本人が本当に市長として既成の政治の在り方に対して、橋下や東国原とは違った形で闘うのか、期待したいですね。
彼の公約は面白く読んだので
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/04/blog-post_27.html)、
わたしたちとの接点がありうるのか、見てみましょう(ところで、私は彼に当選祝いとともに、「国籍条項」についての質問をメールしました、返事は来るでしょうか?)
日本は借金国家で、「国債は悪」とするのは「財務省コミンテルンの陰謀」とまで言い切って、市民税10%を下げることを公約にしたことを思いだしました。山家悠紀夫という「偉い」学者が、同じようなことを
書いていたことを思い出しました(『「構造改革」という幻想』(岩波書店)。もう一度読み直します。沼尾さん、どうなんでしょかね、これって?

さて、これからまた元のむつかしい本にとりかかります。手元には、『大都市のあゆみ』((財)東京市政調査会編)が待っています。これで「分権化」の流れがわかるのでしょうか、またそこでは外国人の政治参加を承諾するような議論になっているのでしょうか?

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崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

Jさん一家のイギルス便りーその(1)あれれ、何か違うな

イギリスに留学しているJさんからの便りを御本人の承諾を得て
ブログに掲載いたします。

彼女は日本留学の経験もあり、私たちの川崎での運動に関心を
もってくださり、それ以来のお付き合いです。
韓国に帰国後、日本での経験を生かし、在日問題に取り組む
運動をしてこられました。
彼女と仲間は、韓国政府に海外韓国人に関する立法化案を
出したり、国会議員に働きかけたり、東京都の民族学校と京都の
ウトロ地区の問題では韓国での取り組みの中心的な働きをして
こられました。

その彼女がご主人のイギリスに留学について行かれ、そこで
目にしたものをメールで送っていただくことにしました。
今回はその第一回目です。

崔 勝久

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崔さん、メールありがとうございます!
ご活動はメールやブログで見ております。

イギリスは日本や韓国より外国人に対する認識や待遇が
進んでいるようです。
外国籍でも一定の条件(住民経歴・年数・英語能力)を
果たせば永住権が得られ、参政権が得られます。
アイルランドかスコットランドでは、永住権がない人でも
参政権を付与する方針に変わったと聞きました。

なにより、入国してまもない自分も医療サービスを無料
でもらえるし、子供も公立学校にたやすく入れます。
学校や病院がビザーなどのチェックはしません。
ただ、地域の住民(定着して住んでいる)であるかどうかを
確認するだけです。

また、差別的な発言などに対しては、差別をしなかったということを
証明できなければ、刑事罰に処されます。

過去数年、新自由主義や米国発のテロ騒ぎで
イギリスにも外国人に対する態度が多少厳しくなっている
感じもあるのですが、基本的なところは、日本や韓国とは大きく
違うようです。韓国は5年以上居住の外国人に地方参政権を
与えているのですが。

ともかく、詳しいことは、もっと調べや勉強が必要ですけれども、
イギリスやEUは進んでいるに違いありませんね。

ところで、私と家族はなんとかイギリス生活に慣れつつあります。
韓国を離れて住んでいることはいいところもたくさんありますが、
やはり、常に、「緊張感」がありますね。
でも、まあ元気ですごしています。
機会がありましたら、休みのためにでも来てください。

それでは、また。Jより

市議会の中に準区議会を創設~川崎市議会改革チャレンジ案(1)

みなさんへ

いよいよ連休に突入しましたが、みなさんはどのように
過ごされるのでしょうか。


地方自治体の在り方を変革すべきという思いが、うねりのように
全国的に出始めてきているように感じます。一般市民が政治に参加
できていない、これまでの地方自治の仕組みではだめだという
思いなのでしょう。

川崎市議会改革の在り方をこの間提案されてきた吉井さんから
具体的な改革案が提案されましたので、転送させていただきます。
これまで他地方で実施された「区民協議会」や、提案だけに
終わった京都案、名古屋で新たに河村ただしが公約とした掲げた
「地方委員会」案がありますが、吉井さんはそれらを全て踏まえた
上で、川崎市の改革案を提案されるのだと期待しています。

私としては、未だどこにおいても実施されず、提案もされていない
「外国人の政治参加」が吉井案でどのように提示されるのか、
楽しみです。「外国人の政治参加」と外国籍公務員の権利制限は
表裏一体です。これまでの最大の壁は、日本政府の「当然の法理」
見解でした。即ち、「公権力の行使」と「公の意思形成」は
日本国籍者に限るというものです。

最高裁判決は外国籍者の地方参政権を承認しました。
しかし川崎においては、外国人への「門戸の開放」を実施したと
いわれていますが、実際は、「当然の法理」を前提にした、
昇進と職務の制限を前提にしたものでした。その上、「外国人市民」
という特別の概念を作りだし、日本人市民と区別しています
(『日本において多文化共生とは何かー在日の経験から』(崔・加藤
共編著 新曜社)。

分権化という大きな流れが、日本の「外国人排除」というこれまでの
仕組みを根底から払拭するのか(憲法は禁止していない!)、
これまで通り、国政は元より、地方自治においても政治参加を
日本人に限定するのか、吉井案ではこの点を明確にしていただきたい
と願います。国籍条項は撤廃するという一言が入るのかどうか、
という一点です。

崔 勝久

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探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~  第87号 09/05/03
★市議会の中に準区議会を創設~川崎市議会改革チャレンジ案(1)~★
1.要約
2.これまでの経緯
3.指定市の中の市議会
4.準区議会の中味
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1.要約

川崎市は人口140万人に到達した。しかし、市議会があるだけという旧態依然とした状況で、市民の政治参加の機会は非常に乏しい。7区に分かれ、平均20万人の人口であれば、特例市と同じである。そこに区議会があるのが必然であろう。これはお隣の横浜市(人口365万人、18区)も含めて、どこの指定市でも共通の課題である。

そこで、「市議会の中に準区議会を創設」を提案する。“準区議会”はその言葉通り、行政区としての区の独立を明確に志向する考え方であり、その表現である。「各区委員会」では表現しきれない感覚、すなわち「区の独立=住民自治の拡大」を目指す言葉として“準区議会”辿りついたのが最大にポイントである。

次の機会に論ずるが、横浜市が1月に提起した「大都市制度」においても“区”はないがしろにされ、横浜市という「大都市」に呑み込まれたままになる。このままでは指定市の住民自治は危機的状況になる!

2.これまでの考え方

川崎市議会改革、何を、どのように進めるか(1)~議会基本条例への道~
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/images/mail_magazine/77.html
川崎市議会改革、何を、どのように進めるか(2)~議会基本条例への道~
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/images/mail_magazine/78.html
上記の報告で、議会改革の内容について以下の考え方を示した。
1)内部改革「議事機関のあるべき姿へ」
現状:三無状態 提案、討論、説明無し
2)権限拡大「議会を市長と対等の立場へ」
現状:圧力団体 行政への要望中心
3)住民参加「多様な双方向システムへ」
現状:一方通行 公式ルートは請願・陳情
4)地域自治「区議会を指向した運営形態」
現状:主体不在 地域課題が埋もれる

その後「川崎市議会議員と語る会実行委員有志」のなかで議論を進め、特に4)については指定市特有であり、住民自治としても議論する必要があるとの考え方でまとまった。それが、“準区議会”の発想である。

川崎市は人口140万人に到達した。一般会計予算5,800億円のうち、個人市民税が20%を占めるのであるから、人口が増えることは市長にとってウェルカムであり、そのような表現を記者会見で述べていたとの報道である。しかし、市議会があるだけという旧態依然とした状況で、市民の政治参加の機会は非常に乏しい。7区に分かれ、平均20万人の人口であれば、特例市に相当する。そこに区議会があるのが必然であろう。これはお隣の横浜市(人口365万人、18区)も含めて、どこの指定市でも共通の課題である。

そこで、先に廣瀬・法大教授、岩永多摩市議会議員をお迎えして開催したシンポジウム、「市民による“議会改革チャレンジ案”」において以下の提案をおこなった。
(議会の構成) 1.市議会の中に準区議会を創設
(住民主権)  2.情報の開示から循環へ
3.バリアフリーの住民参加
(議会の機能) 4.討論から意思決定まで
5.反問権?討論権!!

今回は1.について内容を説明し、続いて次回以降、2.~5.を説明していく。2.~5.は多くの自治体での議会改革でも叫ばれ、実践されてきたことを川崎市での具体的な課題として考えたものであり、これも指定市の事情を部分的に反映している内容である。

前回、報告したように川崎市議会は「議会のあり方検討プロジェクト」による非公開審議で遂に素案策定まできてしまった。市民への説明会も何もなく、パブリックコメントの〆切が5/22に設定されている。従って、これに対応して素案の内容についても合わせて検討する必要がある。とは言っても、今回の「市議会の中に準区議会を創設」については討論された形跡はどこにも見あたらないので、コメントもできない。

3.指定市の中の市議会

神奈川県は人口900万人、二つの指定市である横浜市(人口360万人)と川崎市(人口140万人)で人口の過半数を占める。更に、相模原市(人口70万人)が指定市へ移行することが予定されている。
残りの30市町村の中には、中核市(人口30人万以上)として横須賀市、特例市(人口20人万以上)として平塚市、厚木市、茅ヶ崎市がある。これを含めて平均人口を比較すると30市町村が11万人に対し、横浜市及び川崎市の区は全部で25区、平均人口20万人である。区は平均的な人口で指定市以外の平均を上回り、特例市並の人口である。

都道府県は広域自治体であり、その下に基礎自治体である市町村が『住民にいちばん身近な地方政府』として配置され、しかるべき事務事業の移管を受けている。指定市も基本的に基礎自治体であり、『住民にいちばん身近な地方政府』である。しかし、警察、高校等を除くほとんどの事務事業を行っており、県に対してほぼ独立運営している。

すなわち、指定市は『住民にいちばん身近な地方政府』である基礎自治体でありながら、実質的には都道府県並の広域自治体の仕事を行っている。例えてみるなら、イソップ物語の“こうもり”であり、「けもの」でもあるし、「鳥」でもあるのだ。そう考えると、広域自治体の中の市と同じように、指定市の中の区は少なくとも現段階で、特例市並の事務事業を行い、選挙による区長及び区議会を構成しても良いの
である。

これが道州制になれば、県、指定市はすべて廃止され、区がすべて市になるはずである。川崎市が廃止され、麻生市、多摩市、宮前市、高津市、中原市、幸市、川崎市である。尤も多摩市は東京都多摩市とかぶるから登戸市かもしれないし、川崎市は新川崎市であっても良い。

ここで大切なことは『住民にいちばん身近な地方政府』の規模に対する考え方である。身近という言葉を議会活動に引き写すと、“予算案の全体を把握し、コントロールできる範囲”があげられる。
議員各人が「全体を把握」していることが必要であって、会派が存在していてもできるたけ個人がそれぞれ判断することが住民自治へ繋がる道だからである。

例えば、東京都多摩市は先にも報告したように今年度予算をこの3月議会で修正可決した(84号「多摩市議会に学ぶ~予算案修正可決~」)。
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/images/mail_magazine/84.html
その修正案のなかには「高齢者おむつ支給事業」、「聴覚障がい者タクシー代・ガソリン費助成事業」の見直し案が入っている。これが“全体を把握”の良い例である。おそらく、声を上げられない高齢者、聴覚障がい者まで視野に入っているのであろう。なお、多摩市議会のH21年度予算修正議決に関して、例えば多摩市議会議員・橋本由美子さんのブログ、次の文章を参照「えっ! なんか変 教育の施策充実を喜ばない「多摩市教育委員会」」
http://yumiko001.exblog.jp/10104789/

ここまで来れば「人口(密度)と事務事業の質量」がポイントであって、議員定数の問題ではないことは明らかであろう。議論として良く引き合いに出されるのは、議員ひとり当りの人口に焼き直して比較することである。川崎市は140万人/63名=2.2万人/議員、横浜市は365万人/92名=4.0万人/議員(定数削減により、次回選挙から86名、4.2万人/議員)である。議員の人数を増やせば議会として市に対する理解が深まるかといえばそうではない。全体像が掴めていない議員が増えるだけ、議論がまとまらないのがオチである。

4.“準区議会”の内容

繰り返すが、 「市議会の中に準区議会を創設」は指定市として特有なことである。例えば、「各区委員会」を常任委員会であれ、特別委員会であれ、設置することである。同じような考え方は提案されていると思われる。

しかし、“準区議会”はその言葉通り、区の行政区としての独立を明確に志向する考え方であり、その表現である。「各区委員会」では表現しきれない感覚、すなわち、「区の独立=住民自治の拡大」を目指す言葉として“準区議会”辿りついたのが最大のポイントである。

指定市・川崎市は“住民にいちばん身近な地方政府”であると共に、東京都と横浜市に挟まれた首都圏と地域として140万人の地域政治を担う。東京都周辺の地域と同じように川崎都民の居住地域でもある。従って、「政策課題」と「地域課題」とをクロスオーバーするような複眼的視野を必要とする。
現在の常任委員会(総務、市民、健康福祉、建設、まちづくり)、特別委員会(予算、決算)に加えて各区特別委員会(麻生区、多摩区、宮前区、高津区、中原区、幸区、川崎区)を先ずは設置する必要がある。これが準区議会の具体的な姿である。その中で、各区特別委員会の仕事の中味と運営アプローチは以下のことが考えられる。

特別委員会の仕事
1)区に関連する請願・陳情等を審議
2)区計画、地域での施策を監視・評価
3)区予算並びに関連予算の審議、修正案作成

特別委員会の運営
基本的には通常の委員会と変わりないが、その中で、「住民自治の学校」として
住民参加を積極的にトライする。例えば、以下である。
1)請願・陳情の際の提出者の発言確保
2)議会報告会の実施
3)傍聴者の意見表明(福島町議会での「参画」に相当)
4)無作為抽出等も含めた住民との対話集会
要は不特定の住民と対話する覚悟ができているか、ということに尽きる。また、これとは別に市議会として道州制を視野、区の運営、区長・区議会の権限等検討が必要である。

先にも述べたように、現状は東京都23区と同じように、「特別区―事務事業の移管―区長、区議会議員の選挙」のシステムへ少しでも近づけるように積み上げておくことが大切で、「準区議会」を設置しることによって市議会での準備は整えたことになり、後は、市から区への権限委譲を促進することになる。このためには、特に予算案から区別予算の「款」を準区議会で審議するだけでなく、関連する項目、例えばその区で実施する投資的経費等も修正を視野に審議することが重要になる。このことによって、区議会と区長等が討論することになり、実質的に区の自治を進めることになる。更に、「住民自治の学校」として住民参加を推進していくことにより、住民が自治の具体的活動を身につけていくであろう。

現在、市から区への権限委譲は僅かである。仕事、人事を含めて、区長の存在が見えるように権限を振るわなければ区の独立はあり得ない。独任制としての首長制度は階層ごとに権限委譲を行い、住民との対話をおこなうようにすることが住民自治の本質に近づく道である。それをせず、「区民会議」を設置、住民をその委員に任命して市長の諮問機関にし、更に、実質的に予算の一部を裁量させたとしても、ごく一部の住民が予算をめがけて参加するだけで、バラマキ行政の変形版にいきついてしまう。市長による住民参加のPRに終始して、結局、住民自治に近づかない。

区の住民代表機能は議事機関である議会によってのみ可能であり、その第一歩が“準区議会”の設置であることを改めて強調したい。

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編集発行人 吉井俊夫
ご意見・ご感想はメールでどうぞ t_yoshii@hotmail.com

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2009年5月2日土曜日

至急、アクションを!

友人から以下のメールが入りました。
いずれにしても明日の日曜日はNHKを観ましょう!

崔 勝久

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至急、アクションを!

崔勝久さま
国籍法改正の際の動き、メディアを主要攻撃対象にし
ている在特会の動きなどと重なる動向です。

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NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」第2回
『天皇と憲法』が5月3日(日)午後9:00~10:13
総合テレビで放送されます。


共同制作に加わった関連会社役員会では、「右翼
などの標的にされる危険性なしとしない」と警告が出され、
電話や担当者に面会を求めてくる場合などに備えて
すでに対策が講じられていると伝えられています。
問い合わせ電話はNHK本体に回すことや万が一担当者
が面会をする場合を想定し、直通電話やメールアドレス
をはずし、プロジェクトJAPANの一員としてのNHKの代表
番号のみの名刺を作るなど。

「天皇と憲法」の内容は以下のように予告されています。
「日本が近代国家の骨格とも言うべき憲法を定めてから
120年。憲法起草者の井上毅が残した6,000点を越える資料、
ドイツなど諸外国に残された資料を掘り起こしどのように
大日本帝国憲法が制定されたかを分析。さらに政党政治
の自滅と天皇絶対主義の国対論の激流をこれまで紹介され
ていない資料によって描き、大日本帝国憲法下の政治体制
がどのように崩壊したかを検証していく」

4月から放送が開始されたこのシリーズを制作する「プロジェ
クトJAPAN」設置のきっかけは、海老沢元NHK会長の置き
土産・「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)のドラマ化だったと
伝えられています。しかしその後の議論で、「坂の上の雲」を
核としながらも「司馬史観」のみでなくドラマの背景をきちんと
伝えるべきであると「日本の近現代史を多角的に描くドキュメン
タリー」を企画、その分野の経験豊富なディレクターもプロジェ
クトに加えられたと聞いています。この企画の深まりにはNHK
の見識が感じられこれから放送されるシリーズへの期待を
抱かせるものです。

しかし、4月に放送された2本の番組は早くも右翼からの激しい
攻撃に晒されました。
「プロローグ戦争と平和の150年」(4日放送)に対しては、
「憲法9条擁護に偏向している」「反日的である」との声が数多く
寄せられ、制作現場からは「視聴者の意見は『賛』『否』真っ
二つだった」と報告されています。

シリーズ「JAPANデビュー」第1回『アジアの一等国』(5日放送)
に対してはさらに激しい攻撃が加えられました。「親日的といわ
れる台湾人に対する侮辱」などの声がNHKに殺到しました。
番組でインタビューに応じた台湾在住の人々を調べ上げた右派
が、「本当にあんなことを言ったのか!」などとしつこく電話する
ような攻撃も台湾現地に押し寄せていると聞きます。

ご存知のように右派メディアからの攻撃も展開されています。
一面トップに「激怒NHK『偏向番組』」と報じた「夕刊フジ」(4/20)、
「歴史歪曲と台湾人が激怒したNHK『超偏向』番組」(「週刊
新潮」4/23)など。
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」「日本李登輝友の
会」などの質問書や抗議声明提出の動きも伝えられています。

現在の事態は、プロジェクトJAPANのこれから放送されるドキュ
メンタリー番組をはさんで、右翼保守勢力と視聴者・市民の間で
激しい綱引きが展開されているというのが率直な感想です。
いま私たちにできるあらゆる手段で、NHKや制作現場がこうした
攻撃にひるむことなく毅然として自主・自律を貫いた制作をつづ
けるよう励ますことが私たちに求められていると思います。

私たちが「放送フォーラム」に招いたNHK現職プロデューサーが、
「視聴者からの反響が100件を越えることが再放送枠獲得の
目安」と語っていたことを思い出します。
5月3日に放送される「天皇と憲法」を多くのみなさんがモニターし、
意見や感想を伝え番組制作者をはげますよう呼びかけたいと思います。

<意見・感想のあて先>
(メール)
NHKオンライン→ドキュメンタリー/教養「NHKスペシャル」
→感想・問い合わせ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090503.html
(FAX) 03-5453-4000
(手紙) 〒150-8001 NHK放送センター 
NHKスペシャル『天皇と憲法』担当者行
(電話) 視聴者コールセンター 0570-066-066
または044-871-8100