2009年5月5日火曜日

住民自治の裏話ー建前に騙されないために

『大都市のあゆみ』(東京市政調査会編)の第4編(分権改革と21世紀の展望)にある、「分権改革と大都市」(5月30日の学習会の講師である小原隆治さん)と「大都市のこれからー大都市制度の論点」(岩崎恭典)を読みました。

「指定都市にのみ唯一、行政区制度が存在することは、「自治を小さくし」得る制度的な仕組みを持っているという意味で大きなメリットである。特に、行政区制度をどう運用していくのかは、自治体の内部組織であるだけに、首長の意欲いかんによって、「新たな公共空間」を創造する手段として利用可能であり、効果の即効性が期待できるのである」(岩崎、P335)。

阿部手強し、と思います。彼は、川崎自治基本法を作り、それに基づく住民自治の具体的なあり方として「区民議会」を創設しました。そのうえ、「外国人市民代表者会議」まで作り、外国人を含めた住民投票を可能にしたということからして、多くの研究者や活動家、マスコミが、政令都市の中で川崎市は最も住民自治に関心があり、市民の政治参加を実現させていると、「誤解」してもやむをえないですね(それにまして、「議会基本条例」の素案まで準備しているというのですから)。

物事は表面から眺めていては何も実態がわからないということです。私たちが、「多文化共生」を謳う阿部市政の実態を暴いたように(『日本において多文化共生とは何かー在日の経験から』(加藤・崔共編著 新曜社)、また吉井さんが綿密に論証しているように(川崎の「住民投票条例」の問題点や議会の閉鎖性(「探検!地方自治体へ~川崎市政を中心に~」
(http://archive.mag2.com/0000219072/20080403070000000.html))、細部を検証しないと制度や仕組みの本質は見えてきません。まさに、阿部、手強しということです。

阿部が「中央の小泉、川崎の阿部」というスローガンで当選した8年前から、彼は、それまで続いた革新市政を批判し、財政問題の立て直しが急務であるとして行政改革を進めてきました。住民自治の強調もその脈絡で捉える必要があります。即ち、これまでの行政サービスをしていく体力はなくなるので、その分、NPOをはじめたとした民間の力を活用して、市民の政治参加を「責務」とする方向を打ちだしたのです。これが今日のタイトルを「住民自治の裏話」とした理由です。

先の岩崎さんは、学者の立場から、「分権化」の本質を衝きます。その論調は本人の意図とは別に、結果として、阿部市政を支えこれからの方向を指し示すものとなると思われます。
「分権改革の目的は、急速に進む少子・高齢化と今後の人口減少社会に対応して、これまでの行政の進め方を大胆に見直し、これまでと同様のサービスを、公のみが供給する体制の維持が困難になっている以上、公的サービスの供給体制を民とともに創る必要があるとの認識に立つものである」(岩崎、P351)。
「行政区は、もはや、行政組織内分権・都市内分権の一手段ではなく、「民への分権」に対応した、地域自治と協働の拠点であると位置づけ」る必要がある(岩崎、P353)。

「地方自治」が行政の財政状態から、彼らの必要性から強調されている以上、これは表に出る建前をそのまま信用することはできない、という思いがします。公と民の「協働」の前提は、権力をもつ首長や実権をにぎる議員(議会)が本当に開かれた姿勢をもち、民と対等に対話ができる場が保障されているのかという点です。パターナリズム(家父長的温情主義)から、市民に目を向けるというのは、自己正当化・自己保持の観点から言い出されているということを私たちはしっかりと見抜く必要があります。

結論として、住民自治はやはり、住民が声を上げ、住民が対等な立場で公と論議し合う場を提案し具体化させることです。阿部市政が住民自治の在り方として(勝手に、組織を動員して)作り上げた「川崎市区民会議」は、市民の多くはその存在さえ知らず(市民の2割しか知らない)、そこには外国人は一人も参加しておらず(外国人の政治参加を排除する形になっている)、公の、阿部市政のイニシアチブで、自分のやりたいことを進めるための器になっているのです。ここをどのように突破できるのか、これが今回の市長選を前にして私たちが考え抜かねばならない、最大の課題のひとつです。

5月30日の小原隆治さん、6月6日の斎藤純一さんをお呼びしての学習会で、しっかりと議論をしたいと思います。

崔 勝久

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