2011年3月31日木曜日

投稿ー東北地方の被災者から学ぶこと

昨日のブログの内容、「東北の再生とは何かーNHKクローズアップ現代より」について、Kさんより返信がFaceBookで公表されました。みなさんにご紹介します。

日本の代表的な大企業に勤め、尊敬していた内橋克人の著作も観念的だと思うようになっていたが、改めて内橋さんの話を聴き、また私のブログを読み、被災に遭った東北には、「古くから培われた『共同体の連帯』や『相互信頼・互恵』」があり、それらを近代日本は犠牲にしてきたのではないかと発言しています。

最後にKさんは、「企業人としての傲慢や自己中心的な姿勢を捨てこうした観点から私なりに考え直してゆく機会を頂きました」と謙虚で、前向きな言葉で結んでいます。

私はこのような対話を、「在日」が最も多かった大阪の高校の同級生とこの歳になってできるとは考えてもみませんでした。FaceBookでの「再開」に感謝です。

崔 勝久

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崔さん、諸事情これあり、久し振りにfacebookを開きました。

私も昔内橋克人の「匠の世界」シリーズを愛読しました。損保会社の社員として、産業や生産活動の「本当」の現場を知りたいとの気持ちから、「表向き」立派な一流企業を支えている「日本の産業・技術の原点」を現場で見据えた内橋さんに大いに触発された記憶があります。

ところが、少し前になりますが「悪魔のサイクル」や、最近の宇沢博文との共著「始まっている未来(新しい経済学を可能か)」などを読むと余りにも世界の現実とかけ離れた復古主...義的共同体主義に違和感を覚えてきました。

地球全体・全世界が戦後の日本のように自由主義・資本主義経済に立脚し勃興してくる大きな歴史的潮流の中で、内橋さんの議論は余りにも内向きで後退的で牧歌的にすぎると感じたからです。

当時の私はまだ現役の企業人として、必死に厳しい外部環境の中で社員を守るべく、理不尽な親会社や行政、そして苛烈な業界内競争等で戦っている時でしたから、なおさらそう感じたのかもしれません。しかし、昨日の「ク0-ズアップ現代」での内橋さんの議論やNHKラジオでの多くの視聴者が支持した番組などを聴いていると、その静かな語り口の中に、私などが到底知りえない深く広い実態観察(あるいはフィールドワーク)から導かれた深い洞察を感じました。

今回の大災害を契機に崔さんの投稿を拝見し、現役を離れた一個人・一生活人としてとして深く考え直す必要を痛感しました。今回の大災害の被災者の皆さんが極限状態にありながらも示す「人間としての気高さや大らかさ」は今の日本の東京や大都市にはとっくに失われた資質だと思います。

そしてその原点には古くから培われた「共同体の連帯」や「相互信頼・互恵」があるのだと思います。そして、この素晴らしい本当の意味での東北の「日本人」を近代日本はその発展過程において多くの困難と犠牲(搾取と言っても良いかもしれません)を強いてきたのです。あたかもか沖縄の人々に対してと同様にです。

企業人としての傲慢や自己中心的な姿勢を捨てこうした観点から私なりに考え直してゆく機会を頂きました。崔さん有難うございました。

2011年3月30日水曜日

東北の再生とは何かーNHKクローズアップ現代より

今日のクローズアップ現代は、電気に詳しい紹介会社のアナリストと、内橋克人でした。私は、内橋克人を『匠の世界』シリーズの時から愛読しており、小泉政権のときに、新自由主義を孤軍奮闘ながら批判している様子をいつも陰ながら応援していました。

夏に向けて電気の問題がどれほど深刻かをアナリストが説明した後、それを受けるように、日本の産業界のためには東北地方以外に生産基地を求めていく動きになっているが(海外移転も加速的に広がるでしょうー崔)、東北の人たちのやる気を無駄にせず、東北地方の復興と日本の産業の発展と結びつけるようにすべきという内橋さんの前振りがありました。

内橋さんは、持論のFEC理論(Food, Energy, Community)から、東北大学の学問と地域産業の振興を結びつけ、農業の振興(日本の農業を守り自給率を高めるためにTPP反対の立場に立つと思われる)、新しいエネルギー(彼はデンマークの風力発電の成功を良く取り上げてきたので、原発は反対の立場に立つと思われる)の開発、そして何よりも地域(彼はCommunityという単語を使ったが、私はもっと広い領域をさすRegionが適切であると思うが、いずれにしても日本語では地域社会になる)の再生を強調し、21世紀、世界に向けた新しい地域をつくるメッセージの発信が可能と結びました。

この2、3日中に、今読んでいる、中野剛志の力作『TPP亡国論』を紹介しますが、去年の末に話題になりはじめたTPP(環太平洋経済連携協定)も今では全く議論もされなくなっています。しかしTPPと、農業を中心とする東北地方の将来とは切っても切れない関係になっています。

経済界、政界、マスコミはこぞって「第二の開国」と宣言した管直人に賛成する流れですが、デフレが続く日本社会が関税を下げて農業を犠牲にし、輸出を増やすことによって日本を活性化させるという今主流の主張がどうなのかということは、もっと深刻に議論されなければならないと思います。

まだ被災地のごみさえ片付けられておらず、住民の避難所の確保さえままならない状態で、まちづくりに関する議論は早過ぎると思われるかもしれませんが、大前研一は震災後早々に、被災地は公共施設にして一般人は高台に住むようにして、魚港は統合し多少の犠牲を強いてでも、新たな震災に強い都市計画に着手すべきと政府に進言したことを明言していました。

私は内橋さんの言うことに近いのですが、もっと「住民主権による地方自治」を強調した上で地域産業論を語らないと、元の黙阿弥に戻ると危惧するのです。地域ボス、政治家、政党、大手ゼネコンが一体化して地域を仕切ってきた構造を変えないことには根本的には地域社会は変わらないと考えてきました。そして職場の確保ということで、他地方よりも安い労働力を武器にしている限りは、アジアの新興国には負け、脱工業化時代の付加価値のついた産業を立ち上げていくしか、実は東北地方の生きる道はないのではないかと考えています。

今までの工場がほとんど崩れた今、「復興」ではなく、内橋さんの強調する21世紀の世界に情報発信できるようなまちづくりを目指すべきだとおもうのですが、それを一般市民が加わり論議していく場が確保されるのでしょうか。

「東北地方の再生」とは何か、これは壊れた工場の建て直しや今まで通りの産業政策で終わるのでなく、地元大学(開発研究所)をコアーにしながら、住宅政策と産業政策を総合的に論議して早急な計画をたてることなのですが、その核心が実は、住民主権であり、地域に住む住民が自分たちの住宅環境への要望を含め、政治家に訴えるのではなく、自らが話合いの場に参加していくことが保障される、民主主義の新たなルールつくりであることに言及している人はお目にかかれません。

私はこの新たな民主主義の新たなルールというのは、実は、あらゆる人の差別を許さない社会づくりと結びつくと確信しているのです。原発反対は平和運動と結びつき、平和運動は、このあらゆる差別を許さないまちづくりと同時に実現されなければならないうことに、今の非常事態を憂う人は同意してくれるのでしょうか。

川崎の避難所の報告、及び先ほど知った「外国人被災者7万5000人の現状」

今日は、川崎のとどろきアリーナ避難所に避難する100名の被災者への炊き出しに参加しました。私の所属する教会では週2回、炊き出しを予定しています。現地では、食べ物(主にラーメン、お菓子類)が多く送られて来ており、ボランティア登録も600名を超え、体育館の中は、青い、腰までの高さのつい立てで仕切られた空間に、家族ごとに体育館の床に敷いた畳の上で生活していました。アリーナの入浴施設は立派なもので、みなさん、喜んでいました。被災者は原発事故の為に避難してきた人が中心で、中には津波で全ての家財を失くしたという人もいました。

中には体の不自由な高齢者を含め、総数18名で避難してきた家族もいました。誰も死ななくてよかった、こんなに大切にされて、亡くなった人のことを思うと自分たちは幸せ者だと言う話を聞き、言葉が出ませんでした。

私は何人かの人に、一段落すると今度は新たなまちづくりをしなければならなくなるが、大変な思いをした住民が中心となって、国に要求するものはしっかりと要求しながら、自分たちの希望を実現させることができると思うかと、率直に尋ねました。彼らは、いや、できないと思う、これまで通り、上から言われた通り従うだけだと思う、ということでした。そんなところだから、原発を受け入れたのだと思うよ、という言葉に、また私は黙ってしまいました。

しかし彼らの自分のまちへの想いは強く、早く国が原発の問題を解決してくれたら、やっぱり、元いたところに帰りたい、津波で家を流された人も、今度はそのまちの高台に家を建てて住みたい、と言ってました。しかし原発の問題は簡単には解決しそうになく、完全に家を失くした人が元のまちに戻るなら、解決しなければならない問題は山積みなのに、はやり、おらが先生に頼んだり、政府と自治体、大手ゼネコン中心の「復興」になり、何も変わらない、元のまちになっていくのでしょうか?

こんな思いで家に帰ってきてパソコンを開いたら、ツイタ―のトップに有田議員の「外国人被災者7万5000人の現状」という記事が目に飛び込んできました。被災地で登録していた外国人は約75000人で、そのうち「激震地帯で暮らしていた約35000人の外国人の現状は十分に把握されていない・・・多くの外国人の安否も確認されていない」、「外国人被災者の安否については報道の『盲点』でもある」と有田議員はブログ記事を締めくくっています。

中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジル、タイ、インドネシアで全体のほぼ8割を占める彼らの多くは、研修生という身分で、最低賃金にもならない賃金で働いていた人たちや、工場労働者、農家に嫁いできた人たち、それに「在日」はひっそりとその地に定着し生きてきた人たちではなかったの思うと、また胸がつぶれ、ただ黙ってため息をつくしかできませんでした。しかしこのことは絶対にないことにさせてはならないと強く思います。

崔 勝久

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「外国人被災者7万5000人の現状」―有田議員のブログより引用
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/03/post_3b56.html

3月29日(火)予算委員会と本会議で予算3案が野党の反対で否決された。2時55分からの本会議までの間に書いている。先日の法務委員会で江田法相から、被災地(青森、岩手、宮城、福島、茨城)にいた外国人は7万人と発言があった。正確な数字を法務省に問い合わせると、該当県のなかで災害救助法適用市町村に外国人登録しているのは7万5281人(添付の表参照。クリックすれば拡大―添付資料)。

警察庁に問い合わせると、岩手、宮城、福島の各県警で確認した外国人の死者は15人(3月28日午後5時現在)。外務省を通じて安否確認依頼がされているのは11人。被災した県警察(岩手、宮城、福島)で把握している行方不明者は267人(いずれも3月28日現在)。合計278人が確認されている行方不明者だ。

なお予算委員会で中野国家公安委員長が報告したところでは、今回の被災者で身元確認できない遺体は2501人(国籍は日本以外の可能性もある。3月29日午前6時現在)にのぼる。7万人の外国人のうち半数以上が茨城県在住だ。工場労働者として多くが働いている。しかし激震地域で暮らしていた約3万5000人の外国人の現状は充分に把握されていない。基礎自治体が破壊された現状で、多くの外国人の安否も確認されていないのだ。

入国管理局によると、安否確認のための出国事実があるかどうかの確認は87件(3月24日現在)。入管は外国人の指紋、顔写真などのデータを把握している。遺体の人定について個人識別情報の提供を警察庁と協議中だ。海外から緊急救助隊約1000人が入国(3月12日から24日まで)している。外国人被災者の安否については報道の「盲点」でもある。

2011年3月27日日曜日

ブログが「復活」しました。新たな闘争宣言です。

みなさんへ

二つのブログの削除によって、ブログでの情報発信ができなくなりましたが、Twitter仲間の提供を受け、ブログの場を確保しました。

http:anti-kyosei.from.tv/ をご覧ください。まずはお知らせまで。

明日は、反原発のデモに参加します。これも、民族・国籍を超え、<協働>によって社会の変革を求める、第一弾です。

崔 勝久

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27日、現在、Google社は私のリクエストに応えて、ブログとメールの「復活」をしました。とにもかくにもうれしいですね。

しかし、私がTwitter上で、民族と国籍を超え、<協働>で社会の変革を、と唱え始めたとたん、突然、「じゃかあしい!!日本から出ていけクソ朝鮮人!!!」と書き、恐らく証明は困難でしょうが、それを送ってきたTwitter上の002一派が組織的にGoogle社に働きかけ、一時的であったが、2度に渡り、私のブログ(複数ーひとつは「新しいブログへの移行案内」であったのに、それまでも含めて)を削除し、メールまで不使用に追い込んだのは(結果的に、G社は私たちのリクエストを聞きいれたので)失敗終ったとはいえ、その組織力、機動力、IT知識は侮れないということがわかりました。

しかし今回、大変に重要なことがわかりました。それは自分の気に入らない相手のブログを削除させることが可能だということです。G社はSPAMが一定の数に達したときには、自動的にブログを削除させるシステムにしており、差別主義者たちが意図的に企んだ嫌がらせに、結果として「加担」したこと、そしてそれを訴える「被害者」からの声に誠実に応えなかったことです。これは改めてほしいと願いますね。

私はこれからはどんな妨害があっても、対応できるシステムを構築しなければならないと遅まきながら理解しました。私の訴えに対して多くの人が激励の声をかけてくださいました。ブログを使えなくなった時は途方にくれましたが、ご自分のブログを提供してくださった、未だお会いしたことのないTwitter仲間との出逢いがありました。

闘いはこれからです。私はこの日本の非常時にデマ・差別言辞を発する人を許してはいけないと考えます。社会がそんなことを許さない健全社会になることを願います。

私の主張は、差別主義者の発言をNet上で抹殺しろというのではありません。そういう危惧の声も聞かれました。しかし一昨日のNHKであったように、世界の流れは、言論の自由を認めながら、Social Net workでの自由な発言が他者を傷つけることにどう対処すればいいのか、英知を集め具体的な対応策を考え始めているということです。米国では法律を作った州があるとも報道されていました。

私の問題提起は、ひとつはその流れにあり、もうひとつは、歴史の清算です。私見では、それは日本社会が本当の意味で、住民が主権者として対話を通して物事を決めていくという地方自治が実現されない限り、むつかしいでしょう(「人権の実現ー『在日』の立場から」(斎藤純一編『人権の実現』、講座全5巻「人権論の再定位」、法律文化社参照)。

私の唱えることは極めて常識的なことです、民族・国籍を超え、<協働>で社会の変革を、
というものです。今回の非常事態を経験して、私の言うべきことははっきりとしました。津波・原発事故で被害にあったのは、日本人だけではありません。今日のデモにも多くの外国人が参加していましたが、多くの外国人も同じく被害に遭ったのです。だとすれば、今後一切そのような被害に遭わないように、外国人自らが立ち上がるのは当たり前のことです。

「復興」ではないのです。結局、元の黙阿弥に戻るのではなく、新たな社会を住民が中心となって、少なくとも参加して、作っていくのです。そこに私たち在日外国人も参加します。

2011年3月26日土曜日

川崎の地震・津波・原発対策はどのようになっているのかー「住民が生き延びる地域社会」をめざして

「Sustainable Community(住民が生き延びる地域―私訳)を実現させましょう。そこは外国人の政治参加は当然視され、老人などの弱者が安心して生きていける社会です。」

昨年のちょうどこの時期に私はこのようにブログに書きました。地震・津波・原発の実態を目のあたりにして、私はSustainable Communityを「持続する社会」とこれまで翻訳してきた学会や自治体に対して、「住民が生き延びる地域社会」とすることを提案します(「学問は未来を切り開くのか、現実の後追いなのかー『川崎都市白書を読んで』」)。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/03/blog-post_16.html


そうです。「多文化共生」にしても、「持続する社会」にしてもそれは既存社会のあり方が肯定され、それが盤石なものとの前提で語られている言質です。私はそこに為政者や、マジョリティ(強者)のパターナリズムの臭いを感じてきました。

しかし今や、これまでの社会の根幹が問われる事態になったのです。為政者はこの事態を元の形に「復興」させ、小手先の手直しで、これまでの慣習、政治制度、大企業やジャーナリズムとの関係を維持することに必死になるでしょう。

既に被災地では、どの権力の介入のないところで、自発的に、生き延びるために、住民が力を合わせて運営する「自治」をはじめているとのテレビ放映がありました。「復興」の名の下で、地方自治体、そして国家が介入し、それらの「自治」の兆しを吸収しようとするでしょう。できるならば、その「自治」の実績によって、少なくとも、新たな地域社会の再生計画に参加する権利を主張して、住民の意思を実現してほしいと願います。この「自治」には政治家もいなければ政党もなく、自分たちで決めたリーダーの下、みんなで話合いで決めるという、民主主義の原型が見てとれます。

「持続する社会」を掲げてきた行政は結局、原発を容認し、川崎の場合、「福祉社会」を掲げて臨海部を犠牲にしてきました。石油コンビナート、鉄鋼、化学工場という装置産業を最優先して(国策に従って)、人が全く住むことのない地域にしてしまいました。その結果、全市の法人税の三分の一をその地域から得て、そのお金で「福祉」にまわすということを、戦後65年、革新も保守もやってきたのです。

これでは50年、100年先の川崎はどうなるのでしょうか。地震・震災・津波による被災の実態を見た私たちは、もはや未来を語ることから現実を糺すのでなく、「住民が生き延びる」ために地域社会を変革せざるを得なくなりました。何が私たちにできるのか、川崎における原発はどのようになっているのか、地震対策、液状化対策、これらを徹底的に考え直す時期に来たと、確信します。

2011年3月25日金曜日

「開かれた地域社会と真の『協働』を求めて」シンポ開催、中止決定の通知

みなさんへ

連絡が遅れまして、申し訳ございません。Twitter上では通知したのですが、逆に身近な方への連絡が徹底せず、ご迷惑をおかけしました。

開かれた地域社会と真の「協働」を求めて
~1970年「日立就職差別闘争」からの問題提起~


という主題の下で27日2時から明治大学で予定されていたシンポが中止になりました。講演者は日立闘争原告の朴鐘碩と、私が予定されておりました。コメンテーターとして東京外大の岩崎稔さんが出席してくださることになっていたのですが、大学当局の決定によって中止になり大変、残念に思っております。

大震災の発生によって、戦後、経験したことがないような被害が起こりました。勿論、地震による津波そのものは自然災害で、その被害もまた死者・生存不明者が3万人にもなろうとするすさまじいものでした。復興のめどもまだ立っていない状態です。壊滅状態に陥った地域社会では産業再生、住宅やインフラをはじめとした都市計画がまもなく検討されはじめるでしょうが、住民が中心となって、すくなくとも徹底的に住民がそれらの計画に関わるなかで、今までの既存社会の問題点を洗い直し、新たな出発ができるのか、ここが正念場であると思います。

一方、原発事故の場合は、津波がきっかけになったとは言え、これは完全に「人工災害」です。原発反対の運動があることはよく知っていましたが、改めて、現場の工事及び管理の杜撰さ、またそもそも核燃料を使った原発が、その使用済み核燃料の処理の問題、運営にあたって現場で働く労働者の健康管理の問題などをまったく解決するめどをもたないでいたことが、一挙に明らかになりました。日本に住む者はもう、原発の建設を許さないでしょうし、今ある原発施設に対しても、厳しい目を向けるでしょう。

ドイツでは14万人のデモらしいのですが、27日(日)に日本でも初めてのデモが銀座で行われます。私も住民の一人として参加します。みなさんも時間の許す限り、<反原発・銀座デモ・パレード>に参加しましょう!
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7ff9c5db384c28b7727cce0f8401030b

今回の津波による事故、原発による放射能汚染によって明らかになったことがあります。それは被害者は、国籍・民族・性などの人間の属性に拘わらず、すべての人が同じ被害を受けるということです。ですから、危害を加えるような原発、それを可能にしている社会構造に対して、まさに民族や国籍に拘わらず、反対の声をあげなければならないということです。これを私は「民族・国籍を超え、<協働>による変革」を求めることだと考えています。

「多文化共生」というような、お互い仲良くということでは社会の「変革」はできません。それは人間関係を問題にしているのであって、外国人の「統合」「管理」を目的にした国策です。植民地を持たない植民地主義の新たなイデオロギーと見なすべきでしょう。外国人を二級市民として「受け入れてあげる」という、パターナリズムの臭いがします。外国人との人間関係のあり方を正すことを「変革」とは呼べません。この点を明確にするときが来たと思います。

しかしながら、同じ被災者であっても、国籍ゆえに蒙る問題が次から次への生じるときに、民族・国籍を超えた<協働>ができるのかという声が上がってくるかもしれません。私は、その問題に言及しながらも、<協働>して社会を変革していくという大きな目標を掲げながら、解決すべきことだと認識しています。

このような状況であるからこそ、今回のシンポ中止は大変、残念です。まさに今こそ、その主題の下で徹底的に話し合うべきです。そんな議論よりも実践が大切という声が聞こえそうですが、そうではなく、実践と議論(理論・思想)とを二者択一的に捉えないで、社会をどのように変革すべきなのかという議論を深める中で、課題が明確になると考えます。

開かれた地域社会と真の「協働」を求めて~1970年「日立就職差別闘争」からの問題提起~

これは外国人差別を許さないということを改めて宣言しようというのではなかったのです。外国人差別を許さないような社会にするために<協働>して、地域社会変革しよう、あらゆる差別を許さない社会にしよう、多くの矛盾を隠蔽した原発で被害を受けないような社会にしよう、そういう課題を明確にして共有化したいと思います。

原発の現場とその恐ろしさを知り尽くした、故平井さんの「遺書」

みなさんへ

私が今朝送ったメール通信を読まれ、すぐに川崎のTIさんがメールで新しい情報を提供してくださいました。

「崔さま メールをありがとうございます。意気込みを感じてこちらも元気をいただいています。下記はすでに読まれているかもしれませんが、お伝えさせていただきます。
「原発の易しい解説」 平成6年 平井憲夫氏 をご紹介します。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html 
A4 16枚のプリントを読んで、愕然としました。故 平井憲夫氏は、平成6年に啓発していたのです。我々は、原発の実態を、国・電力会社から、知らされてなかったのです。
多くの方々に知らせてあげてください。」

早速、平井さんの文書を読みました。これは原発に勤めて内部を知り尽くした者の、魂の叫びだと思いました。この文書は平井さんの「遺書」ですね。みなさんも是非、御一読ください。

平井さんはこのような方です。
「1997年1月逝去。1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。」

「原発がどんなものか知ってほしい」の中で平井さんは、原発に関してこのように書かれています。

「みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。(中略)私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。」

「私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。」

原子炉の現場を知り尽くした者でないとわからないことまで書かれているので、その恐ろしさはよく伝わってきます。今日のネットでは、東電のエリート社員は現場に行かず、7~8次の下請けがいて、そのもっとも危険な作業は外国人が受け持っている、とありました。これも確認しなければならないですが、確認する必要があります。

現場の工事管理のずさんさ、「放射能垂れ流しの海」、日本とフランス貿易で二番目に多いのは核燃料の再処理費用・そこで抽出されたプラトニウムが核実験に、廃炉も解体も出来ない原発=「閉鎖」しかない、どうしょうもない放射線破棄物、住民の被曝と恐ろしい差別、原発がある限り安心できない、ということが易しく解説されています。

原発の現場とその恐ろしさを知り尽くした、故平井さんの「遺書」

みなさんへ

私が今朝送ったメール通信を読まれ、すぐに川崎のTIさんがメールで新しい情報を提供してくださいました。

「崔さま メールをありがとうございます。意気込みを感じてこちらも元気をいただいています。下記はすでに読まれているかもしれませんが、お伝えさせていただきます。
「原発の易しい解説」 平成6年 平井憲夫氏 をご紹介します。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html 
A4 16枚のプリントを読んで、愕然としました。故 平井憲夫氏は、平成6年に啓発していたのです。我々は、原発の実態を、国・電力会社から、知らされてなかったのです。
多くの方々に知らせてあげてください。」

早速、平井さんの文書を読みました。これは原発に勤めて内部を知り尽くした者の、魂の叫びだと思いました。この文書は平井さんの「遺書」ですね。みなさんも是非、御一読ください。

平井さんはこのような方です。
「1997年1月逝去。1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。」

「原発がどんなものか知ってほしい」の中で平井さんは、原発に関してこのように書かれています。

「みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。(中略)私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。」

「私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。」

原子炉の現場を知り尽くした者でないとわからないことまで書かれているので、その恐ろしさはよく伝わってきます。今日のネットでは、東電のエリート社員は現場に行かず、7~8次の下請けがいて、そのもっとも危険な作業は外国人が受け持っている、とありました。これも確認しなければならないですが、確認する必要があります。

現場の工事管理のずさんさ、「放射能垂れ流しの海」、日本とフランス貿易で二番目に多いのは核燃料の再処理費用・そこで抽出されたプラトニウムが核実験に、廃炉も解体も出来ない原発=「閉鎖」しかない、どうしょうもない放射線破棄物、住民の被曝と恐ろしい差別、原発がある限り安心できない、ということが易しく解説されています。

ネット配信の伝播力は世界的、を実感

この1週間は、ネットで情報発信している私としては、驚きの連続でした。

まず、このGoogleブログが理由はわからないですが、何の警告も予告もなく、突如、「削除」されたこと(同時にメールも数時間)、そして5日後に、Google本社に行ったらそのブログが「再生」されていたこと、これは想定外のことでした。

その間、アメリカ居住者(娘)から私の代理で、Google社に問い合わせが行ってますが、それが効いたのかも不明です。いずれにしてもなんで「削除」したのか、「再生」したのか、その説明がまったくなく、わからないのです。

おかげで当たり前のように使っているネット配信というのはしっかりと特定の民間企業に牛耳られているのだということがよくわかりました。

というわけで、情報発信を続けるために新たにつくったブログはそのままにしておいて(これはいつ何時何がおこるのかわからないので、予備のために残しておきます)、再度、元のブログから装いを新たにして再スタートをしました。タイトルも「共生批判」から「民族・国籍を超え、<協働>による地域社会の変革を」に変更し、その説明文も大幅に変えました(http://anti-kyosei.blogspot.com/)、Twitterも見れますし、70年代から私がこの間、書き連ねたものも概略、わかるようにしました。

この一連の作業のなかで、これまでまったく何人の人が見に来ているのか関心もなく、またそれを知るやり方もわからなかったのですが、今回、Googleブログには、「デザイン」⇒「統計」からページビューが見られ、そこから「参加者」をクリックすると、「国別のページビュー」があり、世界のどこの国で、何人の人が総計で見ているのかわかるということに気づきました。

「全期間」では日本22,897、韓国1409、ルクセンブルグ104、ブラジル53、スウェーデン52、ラトビア47、カナダ46、ハンガリー43、ロシア41となっています。それを「月」で見ると今月は、イタリア、中国、ドイツ、香港、ウクライナが入っていました。「週」だとそれにイギリス、台湾、アラブ首都国連邦、オーストラリアが見られれます。特に驚いたのは、今月になって急にハンガリーからブログを見ている人が増えているということです。恐らく、何人かの人が継続してブログを見ているということなのでしょう。これらの閲覧者は日本語で書かれたブログをそのまま読んでいると思われます。

いやいや、私のブログを読んでくださっている世界中の方に、改めて御挨拶いたします。ネット配信によって実際にこのように繋がることができるということを実感できました。感謝です。これで勇気を得て、さらにしっかりと思索を深め、具体的な活動にも身を入れて常時、報告します。できれば、英文でも結構ですから、ご意見をいただければなお、うれしいですね。みなさま、よろしくお願いします。

なお上記の数字の他に、メール通信のかたちで、500名を超える人に、その都度、ブログの内容をお送りしています。一括して送れるソフトもあるようなので、今はいくつかにに分けて送付しているのですが、導入を検討します。

今週終わりには、Big Surpriseをご報告できると思います。乞う、御期待。

2011年3月24日木曜日

本日、Google本​社を訪ねました!

Google恐るべしー「グーグル八分」って本当だった!

「本日3月20日、Googleの「共生」批判のブログが急に、名の通知もなく、削除されました。」(http://chekawasaki.blogspot.com/2011/03/blog-post.html)、全く理不尽で一方的な処置であったため、私は当惑しましたが、情報発信を続けることが肝心と思い、新たなブログを急遽立ち上げ、Googleの「削除」の件は後で取り組もうと判断しました。

それが今日、helpでは埒があかず、まったく手立てがなかったものですから、思いあまって六本木のGoogle Japan社を訪れました。ところが受け付けは各社を束ねた総合受付で、
Google社は事前予約をして名前を登録した人しか受け付けないと言うのです。

そこでGoogleに電話をして、今下の受付にいる、相談したいことがあると話したところ、担当者らしい人物が出て来て、何の用か(言葉は丁寧でした)と尋ねるので、「削除されて困っている」と事情を説明しました。ブログのタイトルを聞くので「共生批判」と言ったところ、削除されていない、そのままある、って言うではありませんか。では何で5日間、削除されていたのですかという問いには、それはわかりません、ということでした。

謎の5日間。何人かは、削除の件はGoogleがおかしい、問題だと言っていましたが、まさか私のような者のブログを閉めることはないだろうと思っていました。アメリカのGoogleに電話をしても埒があかず、アメリカに住む娘にメールを送り、翻訳して投稿してもらったのが、一昨日です。これが効いたのでしょうか?

思い当たることとしては、削除された前日に「呼びかけ:今日本で流布している差別的・排外主義的言辞についてTwitter社の見解を求めて下さい。」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/twitter_19.html)という内容を書いたことです。一挙にヒット数が100-200であったものが1000代になりました。「不正な」手段でブログに導いたことは一切、ありませんから、或いは、Google社が一挙に増えたヒット数から彼らの基準で「削除」したが、アメリカからメールが来て、内容を検討したところ問題がないという判断をしたのか?

いずれにしても20日は、メール送信も数時間止められていました。それにしても、社会的インフラを提供し、社会の「公器」になっているのに、あまりにも横暴すぎます。勝手な判断で、ブログを削除し、何の説明もなくまた「復活」させるとは。

そこで今日アメリカから送られてきたメールを見て合点が行きました。実際に「検索して表示されない」ようになる、いわゆる「グーグル八分」があるというのです。これは大変危険なことだと思います(http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/859/)。

私は人権問題で国内秩序を名目に自由な投稿を制限するのは中国政府だけと思っていましたが、よりによって「自由」を旗印にするGoogle社が背後でこのようなことをしているとは驚きです。まさに、<Google恐るべしー「グーグル八分」って本当だった!>

ネットの発達を当たり前のこととして、便利なものとして私たちは受けとめてきましたが、一方、自由に情報発信をさせるインフラを提供しておきながら、そこで差別・偏見を助長する「つぶやき」や書き込みがなされ、他者の人権を犯すようになっていることに対して、私たちはあまりにも無力です。

Google, Twitter, Yahooにしても、インフラの提供で多くの人を参加させることでビジネス(お金儲け)をしているのだから、嫌な内容が書き込まれていたら相手にしないようにとか、問題があれば裁判所・警察に行くようにというのはあまりにも無責任です。電話のように本人一人の問題ではなく、多くの第三者が目にして、悪質な情報は差別・偏見を助長するのですから、そのことに対する責任はあるはずです。

特に今回のような地震による社会的な混乱があるときには、悪質なデマや誹謗中傷は生命の問題に関わる可能性があります。悲惨な状態になっている地域社会は、国籍・民族に関わりなく住民すべてが<協働>して新たに造りあげなければなりません。その過程にある現在、ネットによる悪質な言辞は許してはいけない、と私は強く思います。

崔 勝久

福島原発の実態と、そ​れが食物汚染につなが​っていることの意味に​ついてー広瀬隆の講演​から

広河隆一はチェルノブイリの原発事故の実態を現地で追い、子供の甲状腺癌がどのように進行してきたのかをずっと追ってきたジャーナリストです。彼は福島に赴き、原発施設から20キロ、30キロ離れたところで、実際に放射線測定機器が「振りきられる」(測定不能)になっていることを会場で明らかにしました。(http://www.ustream.tv/recorded/13509353#utm_campaign=twitter.com&utm_source=13509353&utm_medium=social)

広瀬隆はTwitterでも悪魔のように憎まれている人物で、私が彼の講演の内容を情報発信したところ、こっぴどく批難されました。彼のこれまでの著作で問題と思ったことはありましたが(ロスチャイルドに関して)、原発事故の解説については納得することが多かったので是非、多くの人に観てほしいと思います。

広瀬隆はまず、今回の地震がマグネチュード9に変更されたことを取り上げます。M8.3の発表から変更されたのですが、これは今回だけこれまでと違う物差し(基準)で計算されたものであること、津波の大きさが史上最高であったというのも嘘で、日本でも過去にその規模のものはあったことを明らかにします。揺れの規模も同じだそうです。どうしてそれなのにそのような大規模な地震だと強調するかは、「想定外」ということで、東電の責任逃れ(政府も同調)というのが彼の判断です。

1時間半の長い講演なので、彼が広範囲に話したことの全ての要約はできないのですが、私がそうかと思った点だけを紹介します。

ひとつは、福島原発の事故の実態は、広瀬隆と政府やTVで解説者とでは、事故について完全に評価が違うという点です。枝野はしきりに放射線の量について、また汚染された野菜・牛乳・水などが身体に及ぼす影響は「直ちに」危険ではないと繰り返し説明します。しかし広瀬は、それは完全に嘘だと断定するのです。

アメリカの福島原子炉を設計した人物や、研究機関、CNN等のマスコミが公にしたことを取り上げ、海外での評価を紹介します。彼は、結論的には早急にセメントで原始炉を固め放射線物質が出ない、「石棺」にする手配を取るべきであり、熱を帯びる使用済み核燃料を冷ますためには電源をいれ常時水に浸す体制を作らないことには、上から水を浴びせるようなことでは解決できない(もし幸運にもそれが成功すれば、自分の予想がはずれればうれしいことだと言いながら)と断定します。

海水4-5000トンで放水しているのは、核燃料の熱を冷やしているのではなく、爆発や水蒸気として噴出している放射線物質を洗い落とすことが目的で、その水はすべて海に流され環境汚染しているというのです(韓国では、海の汚染についての調査に入っていますー崔)。また海水を使うことによって、塩が無数に張り巡らされている配線やバブルに付着して大きなダメージを与えていると見ます。

次に、ここ数日、福島産の野菜、牛乳、それに東京都の水にまで放射能の影響があることが明らかにされていることの意味を解き明かします。レントゲンなどの放射線と放射線物質はその怖さが全く異なるのであり、植物汚染は原子炉から放出されている放射線物質が広がっている証拠であり、そこから始まる植物サイクルは特に子供たちに決定的な悪影響を与えることを彼は危惧します。

普通の川の水の汚染度を仮に1にすると、食物サイクルでそれを食べるプランクトン、魚、

水どり、そしてその鳥の卵になると放射能の汚染度は100万倍になるというのです。牛乳が汚染されているというのは、牛が植物や空気中から吸収した放射線物質がすべての栄養素を凝縮させたお乳に出るようになったということであり、それは子供にとっても同じく放射線物質が体内に蓄積されていくことになるというのが彼の主張です。

対内被曝と対外被曝と全くことなり、レントゲンの放射線量と比較してはいけないことがわかります。放射能に含まれるガンマ線は空中であれば紙でも遮ることが可能であっても、放射線物質として体内に入ると癌化を促進させる恐ろしいものになるそうです。

「正常」と「異常」は数値だけで判断できるものでなく(ここで血圧のことを取り上げ、「標準値」は医師が勝手に作ったもので人によって異なると、近藤誠を彷彿させる話をいれます)、特に子供の放射能の影響は4年後に甲状腺癌という形で現れることがチェルノブイリではっきりとしたので、子供には大きな注意を払うべきだと強調します。

TVでは外から帰ってきたら手と顔を洗い、衣服を着替えることを薦めていますが、広瀬によると、その洗い流された水はどうなるのか、地球規模で見れば、それは環境汚染であり、植物連鎖につながるという指摘はなるほどと納得させられます。

今後も彼の発言は注目すべきです。分かり次第、みなさんにご紹介します。

Google恐るべしー「グーグル八分」って本当だった!

「本日3月20日、Googleの「共生」批判のブログが急に、名の通知もなく、削除されました。」(http://chekawasaki.blogspot.com/2011/03/blog-post.html)、全く理不尽で一方的な処置であったため、私は当惑しましたが、情報発信を続けることが肝心と思い、新たなブログを急遽立ち上げ、Googleの「削除」の件は後で取り組もうと判断しました。

それが今日、helpでは埒があかず、まったく手立てがなかったものですから、思いあまって六本木のGoogle Japan社を訪れました。ところが受け付けは各社を束ねた総合受付で、
Google社は事前予約をして名前を登録した人しか受け付けないと言うのです。

そこでGoogleに電話をして、今下の受付にいる、相談したいことがあると話したところ、担当者らしい人物が出て来て、何の用か(言葉は丁寧でした)と尋ねるので、「削除されて困っている」と事情を説明しました。ブログのタイトルを聞くので「共生批判」と言ったところ、削除されていない、そのままある、って言うではありませんか。では何で5日間、削除されていたのですかという問いには、それはわかりません、ということでした。

謎の5日間。何人かは、削除の件はGoogleがおかしい、問題だと言っていましたが、まさか私のような者のブログを閉めることはないだろうと思っていました。アメリカのGoogleに電話をしても埒があかず、アメリカに住む娘にメールを送り、翻訳して投稿してもらったのが、一昨日です。これが効いたのでしょうか?

思い当たることとしては、削除された前日に「呼びかけ:今日本で流布している差別的・排外主義的言辞についてTwitter社の見解を求めて下さい。」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/twitter_19.html)という内容を書いたことです。一挙にヒット数が100-200であったものが1000代になりました。「不正な」手段でブログに導いたことは一切、ありませんから、或いは、Google社が一挙に増えたヒット数から彼らの基準で「削除」したが、アメリカからメールが来て、内容を検討したところ問題がないという判断をしたのか?

いずれにしても20日は、メール送信も数時間止められていました。それにしても、社会的インフラを提供し、社会の「公器」になっているのに、あまりにも横暴すぎます。勝手な判断で、ブログを削除し、何の説明もなくまた「復活」させるとは。

そこで今日アメリカから送られてきたメールを見て合点が行きました。実際に「検索して表示されない」ようになる、いわゆる「グーグル八分」があるというのです。これは大変危険なことだと思います(http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/859/)。

私は人権問題で国内秩序を名目に自由な投稿を制限するのは中国政府だけと思っていましたが、よりによって「自由」を旗印にするGoogle社が背後でこのようなことをしているとは驚きです。まさに、<Google恐るべしー「グーグル八分」って本当だった!>

ネットの発達を当たり前のこととして、便利なものとして私たちは受けとめてきましたが、一方、自由に情報発信をさせるインフラを提供しておきながら、そこで差別・偏見を助長する「つぶやき」や書き込みがなされ、他者の人権を犯すようになっていることに対して、私たちはあまりにも無力です。

Google, Twitter, Yahooにしても、インフラの提供で多くの人を参加させることでビジネス(お金儲け)をしているのだから、嫌な内容が書き込まれていたら相手にしないようにとか、問題があれば裁判所・警察に行くようにというのはあまりにも無責任です。電話のように本人一人の問題ではなく、多くの第三者が目にして、悪質な情報は差別・偏見を助長するのですから、そのことに対する責任はあるはずです。

特に今回のような地震による社会的な混乱があるときには、悪質なデマや誹謗中傷は生命の問題に関わる可能性があります。悲惨な状態になっている地域社会は、国籍・民族に関わりなく住民すべてが<協働>して新たに造りあげなければなりません。その過程にある現在、ネットによる悪質な言辞は許してはいけない、と私は強く思います。

崔 勝久

福島朝鮮初中級学校―地域住民と<協働>の始まり

Twitterから福島朝鮮初中学校のブログの紹介があり、そこで日本人避難者と<協働>して飢え、寒さ、孤独に立ち向かっている様がわかりました。http://blogs.dion.ne.jp/f_chojun/archives/10053649.html

金明秀さんはtwitterから以下の箇所を引用して紹介しています
「阪神淡路震の折にもこうした差別意識が知らないうちに行政においても頭をもたげました。行政が、在日コリアンが避難所として利用していた朝鮮学校を緊急避難地として認定しなかったために、在日コリアンが被災者への様々な支援から除外されたのです」 http://amba.to/dSGZDb

TVでは日本代表のサッカー選手が「日本の団結」を強調しますが、今回の震災で地域に住む人たちはみんな一緒に、それこそ国籍も民族も性も関係なく、津波に呑みこまれたことで、地域社会というものはどういうものかその本質が明らかにされたと、私は考えています。

日本という国民国家が総体としてひとつであるとは言え、個別の地域社会がどうなのか、そこの自然環境、産業、文化・伝統などの姿が実は、社会の実態なのです。その地域社会においては、国籍や民族を理由に、外国人を二級市民としたり、排斥していては成り立たない、ということが今回、目で見える形で明らかになったと思います。

朝鮮学校は地域社会にあって、今回の非常事態だけでなく、また催し物などの一時的な行事でなく、恒常的に地域社会との関係を意識化し、具体的なあり方を模索するときが来たのだと思います。そしてそれは「在日」が生きるということはどのようなことなのかを示唆します。私が最近投稿した「人権の実現―『在日』の立場から」(斎藤純一編『人権の実現』(講座「人権論の再定位」全5巻、法律文化社)を参照ください。「在日」の「人権の実現」は地域社会との関わりなく実現されるのか、「民族主体性」の絶対化が地域社会参加への阻害要因になっていないか、問題提起をしました。

韓国においてもKINという市民団体がいち早く、「在日」を国籍で区別することなく、全ての「在日」に平等に支援することを政府に求めていましたし、これまで「歴史の清算」を求めてきた韓国の市民団体もまたその声明文で具体的な共同募金活動を発表し、その中でも「北朝鮮国籍の在日朝鮮人」が韓国領事館から「公式的な助けを受けることが難しい実情」に触れています。

私は「共生」批判論者ですが、みんなが仲良くすることに何の反対がありましょう。そうでなく、そのような建前によって、実際の差別を生みだしている社会構造を問題に(変革)するのでなく、既成社会をそのまま肯定(埋没)することになっていることを私は批判しているのです。それと「共生」論者の「在日」は、「在日」内の「共生」に関心がないことは不思議です。金時鐘さんの指摘は正しいと思います。

小さな声ですが、国籍を絶対視しないで、生きている場で<協働>する兆しが見え始めています。「持続する社会」とは、住民が生き延びることができる社会です。繰り返しますが、そこでは国籍や民族に関わりなく、住民は<協働>してそのような地域社会建設に向かうしかないのだと、私は確信します。

そのような地域社会をつくるためにも、差別や偏見を助長する、特にネット環境下で蔓延している発言は社会の良識として許してはいけないのだと思います。みなさんはどのように思われますか。

被害地での外国人に対する悪質な流言について

被害地での外国人に対する悪質な流言について

被災地における在日中国人や朝鮮人に対する流言は放置できません。ただ闇雲に反発してはいけないので、具体的にどのようにすべきかはみんなで知恵をだしあいたいと願っています。

私宛の来た2通のメールを御紹介します。いずれもこの国の「根幹的なあり方」について書かれています。「誰もが差別されない社会」建設に歩むには、上からの改革でなく、個人・市民の自覚の必要性が強調されています。

崔 勝久

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転送を有難うございます!

東郷の編集長ウェブサイトを今、あちこちに配信しています。ロンドンの友人(日本人)には英語で配信できたら・・・等々、やってます。

今回の大災害(人災でもありますが)が克服できなければ(どこがどう間違っていたのか、国の有り方も含めて)「のど元すぎれば、熱さ忘れる」にならないかとメディアの流す内容にも気をつけています。

この国の根幹の有り方が問われていることに気がつかないと、元の黙阿弥になりかねませんから。一般の庶民は、良い人でしかもズルクまわりを見ながら生きてきましたから。

私の周りには、半端ではない「差別主義者」がおります。かれらに負けない強さを身につけないと潰されてしまいそうな自分でしたが、この場に及びそんな自分も乗り越えたいと思います。

崔さんのメールにはいつも励まされます。

差別主義者は、狂気であり、単なる狂気ではない時には、凶器すら感じさせます。それにも負けない強い自分をどのようにしたらできるのか今は、自分が試されているとも感じる日々です。

長年、この国を覆っていきた、禍々しいエネルギーが善良で真摯なエネルギーを駆逐してしまって、この現実が起こってしまった気がします。

この土地に生きる「心ある」ひとびと、知恵ある人々と禍々しいエネルギーとの戦いが始まったようです。

今回の光景は、まさに敗戦後の姿や原爆投下直後の日本の光景と重なり、今日はふっと「何の反省も本質的な原因もほっておいた、この国の最初で最後のチャンスを与えられたのかなぁ~」などと考えていました。

取り急ぎ!

レイライン 津田みや子
http://leyline-publishing.com/category/chiefeditor

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崔さん

いつもどうも。
ぼくがこの間、いくつかのMLに書いたものです。参考にはそんなにならないでしょうが、ご笑覧ください。まず、PARC(アジア太平洋資料センター)のMLのもの。

==以下1通目==

みなさん。
まさか「関東大震災時の朝鮮人虐殺が再発」とは、ぼくも考えたくないしたぶん現在においては同じようには再発しないだろうと思うのですが、大野さんが書いたベリタの記事では
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201103210018081*

===

Twitterで、避難先において中国人や朝鮮人が毛布や食料などを強奪し、「在日中国人、朝鮮人の為に、治安がものすごく悪化」したという悪質なデマがまことしやかに伝わっているという事象が紹介されています。在日外国人が大震災からの救援活動から取り残されたという事例は以前にも報告されています。

警察や自衛隊に治安をまかせるのではなく、人びとの日常のなかで、日本にルーツを持たない人たちが差別されない社会をつくることが問われているのであり、菅野さんのメールはその呼びかけだとぼくは思いました。

菅野さんの情報元の名取市は大きな被害を受けたところです。そこで、そのような情報がまことしやかに語られているとすれば、それは断固として、事実でもって否定されなければならないでしょう。

誰もが差別されない社会をつくるために菅野さんはできることをやっているのだと思います。

Sさんがやっている
> 僕も僅かながらの義援金、布団寄付をして、NPO で
> 支援物資の仕訳、詰め込みしました。
も、もちろん大切なことですが、この事態のなかで、こんなデマが流れてきたら、それをちゃんと否定するというのもとても大切なことです。

そんな差別を許さない社会をつくるというのは警察や自衛隊にまかせてできる話ではないと、ぼくは考えます。

> -------- 元メール --------

> 送信者: K
みなさん
山形の百姓・KYです。

先ほど、すんでのところで災害からまぬがれた宮城県名取市に住む友人から電話がはいりました。

「Kさん、知っていますか?石巻の避難所にいる友人からメールが来たのだけど、あちらでは考えられない事件が起こっているらしい・・」 話を聞いてみると、含んでいる内容は重大です。そこで実際にそのメールを見てみたいと要請したところ以下の抜粋がとどけられました。

「ガソリン欲しさに陸上自衛隊員が刺され、石巻日赤病院でタバコ欲しさに中国人が人を刺し殺す。鉄パイプやバール、ナイフを持ってウロウロしてて、中国人の窃盗団も来てます。自転車に車でわざとぶつかって倒され自転車が盗まれる。 治安が悪すぎます…」

これは危険です。

まさか、関東大震災のときのようにはならないでしょうが、現地の中国人にとっては、いたたまれない話であり、危険すぎる話です。石巻には今日からJVCが入っていると聞きました。そのスタッフに直に連絡の取れる方がいましたらぜひ連絡をとっていただけませんか?

石巻始め被災地の友人にメールできる方はいませんか?
できるだけ早く行動を起こし、それらのうわさから在日中国人を守らなければなりません。

現地では生きることだけで精一杯です。ボランテイアもへとへとになっています。そんな中にチラシを撒くなどというのは逆効果かもしれません。でも、デマや根拠のない話に踊らされないよう注意をしあうこと、住民に働きかけることはできます。

明日は私たちの支援隊が物資を積んで気仙沼に行きます。そのときに石巻にも立ち寄り、そのような話があるかどうかを注意深く確かめながらボランテイアの方々にも働きかけてきます。皆さんの中で対応できるかたがいましたら早急に働きかけてくださるようお願いいたします。

ここでも、戦後の蓄積は如何ほどのものなのか、私たちの力量が問われています。

韓国の市民団体、日本の大地震被害からの復旧を支援するための共同募金を展開

韓国の市民団体、日本の大地震被害からの復旧を支援するための共同募金を展開

みなさんへ

19日に、韓国から送られてきた「日本大地震災害に対する韓国市民団体の声明」をお送りしました。本日、同じ市民団体から「復旧を支援するための共同募金を展開」することを決定したという声明が送られてきました。

過去、韓国の市民運動のなかで最先端に立って歴史問題と日韓の関係のあり方について論陣をはり、運動をしてきた団体であるだけに、それらの市民団体がひとつになって「募金」という具体的な運動を展開するということは、まさに画期的なことだと思います。

彼らは、過去の歴史を解決する道が「真の韓日友好の出発」であるとの立場から、日韓の歴史清算は「人間の生命と人権の尊厳性に基づ」くものであるという基本的な考えの上で、自分たちが「日本から被害を受け、苦痛を味わったからこそ、今回の日本の被害に対して、誰より、胸が痛い」とし、だからこそ、「日本の市民と在日朝鮮人などをはじめとする在日外国人の苦痛を慰め、積極的に助けることは、 私たちの当然の義務です。助けの手を差し伸べる時です。」と行動を起こすと言うのです。

この韓国市民団体の行動を起こす心情、歴史観には一点の誤解の余地はないと思います。これはまさに日韓市民の「協働」の始まりとして高く評価されるべきでしょう。

崔 勝久
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韓日過去史関連の市民団体、日本の大地震被害からの復旧を支援するための共同募金を展開

韓日過去史の清算のために活動している韓国の市民団体が日本の震災からの克服を助けるために共同募金を展開する。3月15日被害を被った日本社会に対する共同声明の発表に続き、直接的な助けのために共同募金に着手した。韓日過去史の関連団体らが共同募金を始めたことに対して関係者は次のように述べた。

“韓日過去の歴史は忘れないべきですし、必ず解決しなければなりません。その道が、人間の尊厳性を回復し、真の韓日友好の出発となるからです。日本から被害を受け、苦痛を味わったからこそ、今回の日本の被害に対して、誰より、胸が痛いです。韓日過去の歴史清算とは、人間の生命と人権の尊厳性に基づいたものであり、今は、日本の市民と在日朝鮮人などをはじめとする在日外国人の苦痛を慰め、積極的に助けることは、 私たちの当然の義務です。助けの手を差し伸べる時です。”

募金に参加した団体は、10日間から15日間、募金運動を展開し、日本で韓日過去史清算のために活動している日本の市民団体を通じ、被災者に伝える予定だ。1923年日本の関東大地震の時の朝鮮人虐殺事件、強制動員被害者、日本軍‘慰安婦’問題、靖国問題、独島(竹島)問題、日本の歴史教科書問題、在日朝鮮人とサハリン朝鮮人問題、親日派問題などの分野で、韓日過去史の清算の運動の最前線に立っている市民団体らが日本の被害復旧と救護のため、共同募金を展開するのは初めてのことだ。

特に今回の共同募金は、昨年1月、50ヶ余りの日本市民団体らが参加し、組織した「強制併合100年共同行動、日本実行委員会」と連係しながら、韓日市民の理想的な連帯として展開されることになり、注目されている。一方、日本実行委員会の矢野事務局長は“過去の日帝の侵略、植民主義支配に対する感情を越え、皆さんが私たちに連帯の手を差し伸べて下さったことに深く感謝したい。大災害を克服するため、最大限、努力する”と感謝のご返事を送ってきた。

日本東北地方の大地震と放射能の被害の救護のための韓日過去史関連の市民団体の共同募金を展開しながら

日本東北部大地震と放射能漏れによる被害と危機が続いているままです。地震と津波による1次の被害に続き、放射能の流出そして、被災者の苦痛が続いています。

水、食糧、衣類、毛布、医薬品などが絶対的に不足していると報道されています。被害者に対する直接的な救護活動も切実ですし、災害の以後の復旧に対する支援も必要です。直接的な被害地域の東北地方はもちろん、東京地域まで非常に苦しんでいます。

日本市民らだけでなく在日朝鮮人をはじめとする在日外国人も苦しいです。特に北朝鮮国籍の在日朝鮮人の場合、韓国国籍がなく、韓国領事館の公式的な助けを受けるのも難しい実情です。

日本の市民、在日朝鮮人の方々、留学生が送ってくださったメールは読むことができないぐらい胸が痛いです。「私は地獄を見た。」、「胸が痛く、悲しく切ない。」、「韓国市民団体らが感情を越え、慰労して下さったのに感謝する。」、「災害地域の在日朝鮮人と朝鮮人学校に対する救護活動が至急だ。」、「地震と津波は天災だが原子炉の爆発は人災だ。」、「原子力問題を根本から問題提起すべきだ。」、「この苦難にも屈しない態度で、お互いを助ける姿を見て、 世界は、称賛と励みの声を惜しまないようだ。平和の日本への厚い信頼と期待が含まれていると考える。」などと多様な心境を書いたメールをいただきました。

「強制併合100年共同行動、日本実行委員会」の矢野秀喜事務局長も韓国市民団体の声明に深い感謝の意を表し、日本実行委員会も災害救援活動を展開する中で、韓日過去史清算と植民主義の終息のための実践を持続するとのことです。

韓日過去の歴史は忘れないべきですし、正しく解決しなければなりません。その道こそ、人間の道であり、韓日友好の出発となるからです。今回の災害に対して、その苦痛を慰めて積極的に助けることも、また、同じことです。韓日過去の歴史清算のために働いている中心団体らが先立って、日本市民社会と一緒に、苦痛を分かち合いたいです。日本における韓日過去史関連の市民団体らも、災害復旧と救護活動をはじめています。昨年日本の市民団体と「強制併合100年共同行動韓日市民大会」を開催した韓国の市民団体らは、日本実行委員会と連帯しながら、募金運動を展開します。

2011年3月18日

ナヌムの家 / 南北経済協力運動本部/大韓民国臨時政府史跡地研究会/独島守護隊/東アジア歴史市民ネットワーク/民族問題研究所/民主社会のための弁護士の会、過去史清算委員会/アジアの平和と歴史教育連帯 / 靖国反対共同行動韓国委員会/日本軍慰安婦ハルモ二とともにする昌原(チャンウォン)市民会/林鍾國(イム・ジョンクック)先生記念事業会/コリアグローブ/太平洋戦争被害者補償推進協議会/平和統一市民連帯/韓国挺身隊問題対策協議会/韓国挺身隊研究所/韓民族史探し運動本部/興士団/KIN(地球村同胞連帯)/1923関東韓日在日市民連帯/孝昌園(ヒョチャンウォン)を愛する人々

福島の原発で働く関係者家族の必死の訴えを紹介します

川崎の友人あてに送られてきた福島からのメールが私に転送されてきました。普段ネットで発信する経験がなく、私に送ればなんとかしてくれると思って送ってくれたそうです。

Twitter上では原発で働く人は、事故がなくとも、重武装した上でいつどうなるかわからない状態で働いているという写真とメッセージが届いています。核燃料で発生するエネルギーで電気に代えられるものはわずか三分の一で、三分の二は海水に捨てられているとのこと(これを「汚染」としていましたが)、これはどう考えても正常ではないと思います。

以下の文面を読めば、原発で働く関係者、及び家族はいかに必至の思いでいるかよくわかります。ただただ、無事を祈るばかりです。大前研一は、もはや新規の原発建設は無理と話しています。東芝など原子力発電を主力に据えた企業は多く、これから産業界でも激震が走りそうです。

崔 勝久
―――――――――――――――――――――――――――――――
皆さん、どうかお願いがあります。

祈りを、皆さんの祈りを、 今、福島原発で命がけで 我々の国、この日本を!! 国民を!!
あなたをあなたの家族を救う為に懸命に仕事をしている人々がいます。

どうか祈って下さい! 作業が成功するのを!  お願いします!

自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。しかも年齢は55歳からうえ、もう子育ても終わりに近づいて思い残す事は無い と志願者となったようです。その様な志願者が50名。

時事通信社の記事があります。東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。
志願者です、決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。

中国電力の原発勤務40年というある男性が。この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ、自分は定年まで後一年であるし、子育ても終わったとして、志願したそうです。

ご家族は静かに思いを語る、自分の夫、父親 の決意に何も言えなかたそうです。
その方の娘さんは,今までと違う父のもの静かな顔を初めて見たそうです。

志願者20名翌朝、いつも出勤する時のように。「じゃあ、いってくる。」と言って玄関を出てたそうです。

原発での作業中、放射線被爆があります。国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。 それが250ミリシーベルトになりました。 何故なら、彼等が望んだからです。

100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい数分では作業ができない。だから国に250に上げてくれと、その為の爆量は覚悟の上なのです。

そのおかげで昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まったのです。もし臨界点に達していたら。私達は今、この時をこの時間を過ごしていません。家族と恋人と仲間、友人とこの時間が無かったかもしれないのです。

半径300キロ生物の生存率は、限りなくゼロに近かったんです。今のこの時間は彼等のおかげなのです。経営側幹部たちは我が身安泰の為、情報を小出しにし、遠く離れた東京から出て来ませんでした。

お願いです皆さん
祈って下さい!

皆さんの祈りを作業が成功するように祈って下さい!皆さんの想念を送って下さい!
今日 放水作業が無事終わりました。明日の作業も成功するように。
隊員たちが無事であるように。祈って下さい!

どうかお願いします!
そして家族、友人、仲間、一人でも多く方に知ってもらい 祈ってほしいので伝えて下さい!お願いします!

☆一人でも多く周りの方々に伝えて戴きたい思いでメールしています。どうぞ宜しくお願い致します。

激励と<協働>への参加の意思表明に感謝します

私が情報発信した内容に少しづつですが、反応してくださる方が増えました。日韓べリタが私のブログの内容(http://bit.ly/fRnbZ7)を詳細に紹介してくれ、それを読んだ日本の御夫人から、Twitterで「賛成!・・・デマが聞こえてきたら、大きな声でそれに反対しよう。弱い立場の人たちを犠牲にする前に」というメッセージをいただきました。

心から感謝いたします。アメリカの若い研究者からも、熱い激励と協力をしたいというメールが送られてきました。私一人でこんな情報発信をしてどうなるのかと思うこともありましたが、みなさんから勇気をいただき、さらに<協働>の意味を伝えていきたいと思います。

しかし残念ながら、さすがに露骨な恐喝めいた言葉は「訴訟の対象になる」ことを恐れ始めたのかもうないのですが、それでも陰険な差別を助長するTwitterが送られてきます。以下、いくつか紹介いたします。

★「右翼系サイトとレッテル貼るようだけど、正直に言うけど、右翼じゃなくても、そのように思ってる人は腐るほどいるでしょうね、それほど、日本での在日の行動は、一般人でも目に余るものがある、ただ、日本人の慎みが、それを黙ってるだけなんだけどねw」

★「「朝鮮人が暴動を起こす」という根拠のない流言には私も辟易するが、国民一丸となってこの難局を乗り越えようという事の何処が悪い?貴方の母国では同じ災害が起きても誰も協力的にならないと?流石だなw」

★「綺麗事はどうでも良いからまず、被災者の援助に協力的な国民をナショナリスト呼ばわりした事を謝罪し訂正したまえ。」

相手にするのをやめようと思ったのですが、さすがに我慢できず、最後のTwitterに返事を出しました。

崔:「悲しいですね、「協働」していい地域社会をつくろうという提案がきれいごとにしか聞こえないのですか。私は、「被災者の援助に協力的な国民をナショナリスト呼ばわりした事」は一度もありませんよ。どう理解したら、そのような曲解、誤解になるのでしょうか。」

みなさんはどのように受け留められましたか。

崔 勝久(CHOI Seungkoo)

ナショナリズムの高まりに危惧ー知人からのメール

京都の知人のOIさんからメールをいただきました。

ヤフーニュースのコメントを追いかけ、ナショナリズムの高まりを危惧し、非常に「不気味」だと記しています。以下、公開します。

Twitterでは金明秀さんが、「帰属コミュニティに発生した大規模惨事は、悲劇と美談を媒介に同情と共感をかきたて、個々のメンバーに国家建設に参与したいという欲動を惹起する。すなわち、惨事ナショナリズムである。」と記していました。」

彼によると「惨事ナショナリズム」に価値判断はないとのことですが、注意をしなければならないことは事実です。惨事に乗じて悪質なデマや偏見を増長する言質をまき散らす人には社会的に許さないという良識をこの際、しっかりと確立したいものです。

崔 勝久

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崔勝久様、研究会の皆さま、

一昨日、西川長夫先生にお話ししたのですが、今回の東日本における災害に関するヤフーニュースのコメントを追いかけてみて、ナショナリズムの高まりがみられ、非常に不気味です。

1)「仙石氏が自衛隊は暴力装置だと発言したのに、災害救助にあたっている。民主党政権は、自衛隊に謝罪しろ」という論調。
←自衛隊が今活動しなくて、いつ活動するのですか?海外で後方支援するだけじゃ、それこそ存在意義がないのでは?

2)「やっぱりアメリカは困ったときに助けてくれる、頼りがいがある」という論調。
←同盟国だし、多額の日本の国税を合衆国に納めています。もし、支援しないなら合衆国は日本にとって「ヒモ」以下の存在では?

2’)「沖縄県民の方よ、それでも米軍に撤退しろというのか」という論調
←何で沖縄県だけに米軍の基地を集中させる犠牲を強いるの?

3)「略奪がハイチや合衆国ではあったのに、日本では見られない」と他国のメディアが称賛したことに対し、「日本人の善良な国民性」によるもので、中国人や「朝鮮人」がいなくなれば、もっと犯罪は減る」という論調
←あまり報道されないだけで、窃盗の被害は起こっているようですし、何の根拠もなく 犯罪者=外国人と捉える露骨な差別意識では。

4)多くの外国人が再入国手続きをして、日本を出国したことに対し、
(中国人や「朝鮮人」は「逃げ足が速い」「国が困難な状況になったらすぐ逃げ出す」という批判
←どこの国の人でも、今東日本に滞在する必要性のない外国人は、家族を安心させるために帰国するだろうし、政府も帰国するよう呼び掛ける

以上の論調は私がヤフーコメントの特徴的なコメントをまとめ、←がそれに対する私の個人的な意見・疑問等です。

ヤフーニュースのコメント欄には以上のような、ナショナリスティックなコメントが多く寄せられ、そして「そう思う」ボタンが多く押されていることに強い憤りを感じます。

私は「ツイッター」はしたことがないのですが、ヤフーのコメント欄では、匿名をいいことに、公然と差別的コメントがなされています。

フランスはリビアに対し、空爆をし、民間人の死者を出しました。フランス(そしてイギリス、合衆国)の独善性、植民地主義の根深さにも嫌気がさします。過去の奴隷制、植民地主義の問題から、これらの国も日本も何も学んでいないのではないかと非常に落ち込みました。

みなさんの御意見を聞かせてください。

みなさんの御意見を聞かせてください。

(1)ネット上の差別発言を告訴するという件について

Twitter上での「じゃかあしい!日本​から出ていけクソ朝鮮​人!! 」、この発言は差別言辞であり、むしろ犯罪として取り上げるべきなのではないか、この提案は関西大学の金明秀教授から提示されました。「自分個人あてに向けられたヘイトツイートは、告訴するとよさそうですよ」。侮辱罪にあたる可能性があるというのです。

民族差別と闘ってきたこれまでの歴史があっても、ネット上で流される、「在日」に対する差別的な発言はこれまでまったく放置されてきました。もしそういうことが可能ならば検討すべきだと思います。世界は既にそういう流れになっているのです。これは慎重にかつ前向きに検討すべきことだと思います。みなさんのご意見はいかがですか?

(2)Twitter社の「社会的責任」について
同時に、昨日私がみなさんにお送りしたTwitter社の見解を求めようという呼びかけについても皆さんのご意見をお願いします。

Tさんからのメールを紹介します。

「人種差別主義者による許せないツイート、本当に怒り心頭です。なんとかしたいと思います。ただ、ツイッター社はこれに対して、どのような措置をとるべきなのか少し疑問なのです。誰が人種差別発言だと認定するのか。どこまでの発言が表現の自由でどこからが削除に該当する人種差別発言なのか。その基準は誰がどのように作成し、どのように運営するのか、そのあたりのことを抜きにして、ツイッター社に取締りを要求するのは危険な側面もあるのではないかと思うのです。」

私はそれに対して以下のメールを送りました。

「私は「取り締まり」を要求しているのではありません。差別的言辞の<場>を提供するものとして、Twitter社も一定の社会的責任があります。日本に差別を罰する法がない以上、特にITの分野での社会的コンセンサスが必要です。」

再度Tさんから、「Twitter社の社会的責任とは何でしょうか」という疑問が来ました。みなさんに「よびかけ」をした理由は、Twitter社に個人の「つぶやき」の内容を取り締まり、不穏なものは抹消するように要求しようということではありません。まずTwitter社の提供する<場>において差別的言辞が流布されているという事実があります。

彼らは社会的インフラを提供しているのです。人は誰でもツイッタ―を通して即時に情報交換することによって、多くのメリットを享受しています。それこそ彼らの目標であることは疑う余地はないでしょう。しかしその情報が差別的言辞やHate Tweetによって人に危害を及ぼすとき、その責任は誰がとるのかという問題はどのように考えればいいのでしょうか。

そこで私が考えたことは、特に歴史上最大のこの悲惨な状況において敢えて流されたデマやHate Tweetがどれほど危険で、被災者に不必要な警戒心をもたらし、名指しされた在日中国・朝鮮人を傷つけるのか、国籍や民族を乗り越え「協働」して被害に立ち向かい、新しい社会建設に向かうべきこの時に絶対に社会的に許してはいけない発言ではないか、ということでした。だからこそ、インフラ提供者のTwitter社に彼らの見解を求めようと言うのです。

私は、今の日本において彼らが提供するインフラを利用してデマやHate Tweetが流布されることを彼ら自身があってはいけないこと、そしてそれが自分たちのビジネスによって起こされているということに対して責任を感じ、それに対して社会的な発言をしなければならないと考えると確信します。だから日本だけでなく、韓国・中国そして世界の国々からTwitter社に見解を出すように働きかけてほしいと呼びかけるのです。

いかがでしょうか。以上、2点に関するみなさんの御意見をいただければ幸いです。なお、みなさんのご意見はツイッタ及び、emailでお送りください。できればそれらの意見を公表させていただきたいと考えています。よろしくお願いします。

崔 勝久

緊急のお知らせ=ブログを新設しました

みなさんへ

本日3月20日、Googleのブログが急に、何の通知もなく、削除されました。それで急遽、このche_kawasakiのブログを立ち上げました。

これまでの膨大な資料はどのように活用できるのか、また削除された理由は何なのか、Google社に問い合わせようと思います。

なお、最近のブログはほぼ毎日更新し、昨日は1000名を超える人が訪ねてくれました。
国籍・民族を超えて、新しい社会をつくるために<協働>したいという私の主張は多くに人に支持され、また激励されるようになってきました。

しかし私の<協働>の提案に対して、排外主義的な言葉で罵倒する者もおり、昨今の被災地における中国人・朝鮮人の強盗などによる「治安の悪化」という悪質なデマも流され、これはHate Tweetとして断固許してはいけないと考えています。

このような悪質な言質は、当事者への被害の発生を危惧するというよりも、そのような外国人差別を許すようなことでは、未来に向けてあるべき社会を目指していかなければ日本という国・社会が建ちゆかないと、私は危惧します。

みなさんのご理解、ご支援をお願いいたします。

崔 勝久
(CHOI Seungkoo)
メールアドレス:skchoi777@gmail.com

2011年3月19日土曜日

呼びかけ:今日本で流布している差別的・排外主義的言辞についてTwitter社の見解を求めて下さい。

結論から。私は、排外主義的な言質、デマをまき散らす人を今回は社会的に許してはいけないと考えます。それは地震と津波による悲惨な状況から立ち上がるには、今までとは違う、あるべき社会を目指したものにしたいからです。それは決して簡単なことではないでしょう。既得権を願う者は、これまでの価値観をそのまま持って壊された地域社会建設に関わりたがるでしょう。中央政府とのパイプや、政治家のコネで今まで通りのやり方で、元の「おらが先生」を前に立てた従来の政治手法、政治の仕組に固執すると考えられます。

しかし原発事故でわかったことは多くあります。「想定外」の自然災害でこのような「人災」を起こすことはもう、世界が認めず、なによりも被害にあった地域住民が許さないはずです。地域住民とは誰か、それはその地域に住む、外国人を含んだ全ての人のことです。

今回、被災地で中国の研修生を助け自ら命を落とした日本人がいました。韓国の救助隊は圧倒的多くの住民の尊敬と支持を受けました。全世界の人が日本の救済のために手を指しのばしています。こんな例が今までありましたか。敗戦時のアメリカの援助とは全く質が異なります。これから住民は、「生き延びる」ために、「住民主権に基づく地方自治」を具体化し、内発的な産業を含め新たな地域社会を作っていかなければならないのです。

それなのに、デマを拡げ、中国人や朝鮮人の強盗によって「治安が悪化した」、国籍や民族を超えて「協働」しようと呼びかければ、「じゃかあしい、日本から出て行け」という暴言を吐くのです。これを黙認することは、新しい地域社会を建設するのに致命的な障害になるでしょう。

とまず私の意見を述べた上で、今日送られてきた反応をお知らせします。

まず、「御本人」から。
★Twitterに見解を求めるとしたことに対して:「いちいち取り合わねえよ、バーカ!とっとと日本から出ていけ!」
★この悲惨な情況を前にして「協働」しようという私の提案に対して:「嫌だね。」
★「ワシのところにも「よう言った!」「朝鮮人を日本から叩き出せ!」という激励のメールが来ました!」

他の「つぶやき」を紹介します。
★「日本人として恥ずかしいです」
★金明秀教授は、「ふむ・・・。」とため息
★「Twitter社の答えが聞きたいですね。」
★アメリカからは、「もしツイッタ-社にあてて、まとめた手紙を書くということであれば、そのお手伝いもさせてください。」

Twitterをしている人にお願いです。
日本、韓国、アメリカ、中国のみならず、各国でTwitter社に次の2点についての見解を求めてくれませんか。
1.悲惨な状況の中で、中国人・朝鮮人が「強盗」を行い「治安が悪化した」というようなデマを貴社は容認するのですか、黙認するのですか、内部で検討し早急に回答を願います。
2.「じゃかあしい!日本から出ていけクソ朝鮮人!! 」Twitter社はこのような差別発言を許すのですか、見解を求めます。

Twitter社は個人の情報を守るという建前で差別的な「つぶやき」を抹消しないかもしれません。しかしそれでは、日本においてTwitterを通してこのような差別・排外主義的発言が流布していることに対してどのように思うのか、それへの責任は感じないのか、Twitter社の見解を引き出していただきたいと願います。

そのことによって差別的・排外主義的な「つぶやき」は許さないという、社会的なコンセンサスを作ろうではありませんか。このコンセンサスは、新しい地域社会を構築していくに際しての最も基本的な理念になりと確信します。

崔 勝久
ブログ:http://anti-kyosei.blogspot.com/
Email: skchoi777@gmail.com

宮本常一『忘れられた日本人』を読んで想うことー内在的なものからの「変革」の可能性

昼からは毎日近くの図書館に通っています。そこで宮本常一の本を借りました。

「辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作」と岩波文庫の表紙に記されています。

また解説の網野善彦も的確な紹介をしていて、さすがだなと思いましたい。網野善彦は、宮本の自叙伝を引用して解説を締めくくります。「私は長い間あるき続けてきた・・・いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、・・・進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めていくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」

私はまさに都会っ子で、大阪の難波で生まれ育ち、田舎の生活経験がまったくない、偏った生を送ってきました。しかし宮本常一の切り拓いた地平、足で歩き、見て、人と会い、対話を通して見えてきたことを文字にしていくことで、社会のあり方の根本的な問題を示唆するところに私は思わず引きずり込まれました。

「やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす」という言葉を漁村の老人から引き出した宮本にも、同じ考えがあったのでしょう。

戦後民主主義だ、選挙だとかのまだない時代においても、対馬の山奥の農村でいかに「民主的な」やり方が行われていたのか、何時間かかっても話合いを重ね、意見が一致しなければ次の話に移り、そしてまた戻り、それを何回も続けていって意見の一致を見るのです。

封建制、農村、貧困、階級社会というイメージがあった私には、その対馬の農村でのものの決め方が新鮮でした。何も西洋の民主主義制度でなくとも、日本の農村の伝統の中にこのような「民主主義」があったではないか。

私には農村、古い共同体、村八分というイメージがありました。明治以降の富国強兵政策の中で「近代化」が進められ、どんな片田舎の農村でも国民国家に丸ごと巻き込まれ、招兵され、共同体が崩壊してきたというのも事実でしょう。それは巻き込まれた者の責任ではなく、巻き込んで「近代化」を進めた国家の責任です。しかし中村常一のような在野の研究者が残してくれた著作で、私は日本の地域の内在的な発展の可能性を感じるのです。

図書館で思わず『忘れられた日本人』という本に目が留まったのも、何か私自身、外部からの思想や借り物の制度でなく、内在的なものから現代社会の変革の可能性を見つけ出したいという思いがあったのでしょう。

激励のメールの紹介

みなさんへ

「じゃかあしい!日本​から出ていけクソ朝鮮​人!! 」 Twitter社​に質問、このような差​別発言を許すのですか​?」というメッセージについて何通かのメールをいただきました。Twitterでもいろんな反応があります。

まず「ご本人から」の返事がありました!
★「いちいち取り合わねえよ、バーカ!とっとと日本から出ていけ!」

いただいたメールの内容は以下のものです。
★大阪のSYさんから、
「よう、そのTwitter社に質問してくれました。一人ひとりこの時にできることをしていきたいものです。」

★アメリカから
「はじめまして、いつもブログおよびメールマガジンを拝読しております。東京出身・横浜・川崎・大和・茨城育ちのHと申します。2009年のカルチュラルタイフーンで、お話を聞いたこともあります。今回のいろいろで、日頃の不安が排除という形に成って出て来ています。

排除している対象も、排除している自分たちをも蝕んでいるということに気づくために、橋渡しや橋崩しが必要なのかと思いました。私は今カリフォルニアに住んでいて、茨城や川崎の仲間のことを思って心を痛めています。でも、つらいニュースばかりでなく、いろいろな運動を生み出して、継続して行く機会、積極的に読み違えをしながらも、読み取る方法、自分たちで語りだす力を得る機会にしたいと思っています。

こちらにも在日の友達や、元アメリカ軍の一員として苦しんでいる人、同じく被災した中国に家族を持つのに、国籍や家族は無事かというだけのくだらない国家的な枠組みに抑圧をされている友達がいます。
私もそうならないように注意したいので、こんなブログを作りました。今不謹慎かもしれませんが、これからどうであれ、今、自分を排除するのに加担したくないという思いです。
http://nomoregaman.blogspot.com/2011/03/blog-post.html

いつも大切な働きをしてくださってありがとうございます。どうか疲れすぎないように、心と身体にお気をつけ下さい。私はこういう時に賛美歌の23番を歌ってたりします。ツィッターへは今日家に帰ったら抗議文を送ります。」

★東京のSさんから
「上野千鶴子さんがおっしゃった崔さんの「発信力」には、心から敬服しています。「感性の根元から腐っている」とは、こうした輩への言いでしょう。しかしそんな連中の大半は、日頃相手にしてくれる者もおらず、なにがしかの反応を得たいがために叫び続けている、孤独で哀れな人たちかもしれません。私は当面、「不適切な言動には注目を与えない」との、アドラーの教えに従うつもりでおります。」

2011年3月18日金曜日

「じゃかあしい!日本から出ていけクソ朝鮮人!! 」Twitter社はこの発言を許すのですか?

匿名をいいことに、先ほど送った私のメール通信「今こそ、民族・国籍を超えた「協働」ー共に新たな地域社会建設に向かって」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_3967.html?spref=tw)に対して、以下のような民族差別、排外主義そのもののTwitterがありました。

★「じゃかあしい!日本から出ていけクソ朝鮮人!! 」

それに対して一応、本人に「つぶやき」を送りました。
「えっ、こんな本質を丸出しにした品性のないひとが未だにいるんですね。andoreさん、多くの外国人が日本を出たがっています。私たちは一緒にこの日本社会をよくしようと言ってるんですよ。なんで感情的な反応をするんですか?」

先の「嫌韓派」のデマ発言(複数)にことを考え、これは日本社会が乗り越えなければならない問題だと思います。このような差別発言や悪質なデマを放置することは、悲惨な被災者の現況を思うと、生命の危険に関わる問題になる危険性があるので放置すべきではないと判断しました。

そこで以下の質問をTwitter社に出しました。
★「Twitter社へお尋ねします。悲惨な状況の中でのこのような差別発言、デマは生命に関わります。貴社はこのような発言を容認するのですか、黙認するのですか、内部で検討し早急に回答を願います。」

Twitter利用者のご理解とご協力をお願いしたい思います。

崔 勝久

今こそ、民族・国籍を超えた「協働」ー共に新たな地域社会建設に向かって

Twitterで、避難先で中国人や朝鮮人が毛布や食料などを強奪し、「本当に在日中国人、朝鮮人の為に、治安がものすごく悪化」したという悪質なデマがまことしやかに伝わっています。私は、断固、そのような民族差別を増長するような情報を許してはいけないと思い、次のような「つぶやき」を発しています。

「RT世の中どこにも不届者がいます。性犯罪やガソリンを盗もうとした人が逮捕されたようです。それが「日本人のために治安がものすごく悪くなった」と言いますか。それに事実関係の確認も必要ですね。」

「誰がこんな時にこのような形で、民族差別を増長させるような情報を発信しているのか、確かめることはできないですか。今こそ、これまでとは違う次元での、民族を超えた「協働」を訴えたいものです。」

「今こそ、「嫌韓派」及び民族差別主義者の発言は許しません 」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html?spref=tw)。「私に韓国批判、「在日」批判しかできない人から「つぶやき」が入ってきています」(http://www.blogger.com/post-edit.g?blogID=5514277013357033710&postID=7239161107374328879)を公表しました。

今日の朝日新聞の朝刊と夕刊で、被災地における、「嫌韓派」や民族差別主義者が取り上げるのは全く異なる、胸を打つ記事が紹介されていました。

1.宮城県に来ていた中国人研修生20名を高台に誘導した後、日本人の役員は再び宿舎に戻り津波に襲われたとのことです。日本人の自己犠牲に対して、北京の新聞は「愛には国境がない」とコメントし、助けられた本人たちは、「現地の人の助けがなければ今の私はない」と号泣したそうです。

2.仙台に来ている韓国の救助隊105名が、瓦礫の中の捜索を続け、多くの遺体を捜し出しているそうです。朝日新聞は、「韓国隊、悲痛の捜索」と書いています。隊長はインタビューに対して「どうか希望と勇気を失わないでほしい。私たちもわずかで力になれるよう力の限りを尽くますから」と応えています。

その他Twitterでは朝鮮学校が校舎を開放し、日本人住民にも働きかけているということが明らかにされていますし、また韓国のKINという団体では、政府の「韓国籍、「朝鮮」籍の区別することなく対応するように韓国政府に求めています。

私は今回の悲惨な出来事を通して、東アジアの国々の間でこれまでにない新たな関係がつくられていくのではないかと、上記の記事を読んで強く感じました。

このことは国家間における関係にとどまらず、日本に住む外国人と日本社会の関係のあり方にまで影響を及ぼすと、私は思っています。民族・国籍を超えた「協働」は地震による災害にどう対応するのかという意味での「協働」に留まらず、在日外国人と日本社会の「協働」がさらに深化される、新たな次元での「協働」が模索され始めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか、みなさんは。

被害に遭った東北地方は、ある意味、見捨てられた地域です。使用済みの核燃料施設がつくられ、人件費の安さということで半導体、自動車、家電が競うように工場を作ってきました。地震による破壊で、その復興にはある程度時間がかかるでしょう。それはさらに海外への工場移転に拍車がかかることを意味します。廉価な労働力の使用を求める外部産業の導入でなく、東北地方の内発的な産業を構築していく機会でもあります。

また壊滅的に破壊された地域社会は、これまでの既存の人間関係や、日本の中央政府に依存しない、地域住民が主権者として自らの意見を具体化しながら、新しい地域社会をつくりあげる絶好の機会になるでしょう。そのとき、同じ悲惨な経験をしてきた外国人住民も一緒になって、新たな地域社会建設を担う仲間として、共にその課題を担う者として受け留め合うような関係になってほしいと願ってやみません。

そのことは、他の地域においても一つの見習うべき例になると確信します。「多文化共生」という既成社会への埋没ではなく、「協働」によって新たな地域社会を共につくっていくのです。そこでは民族差別主義者や「嫌韓・嫌中派」の差別的な発言は地域社会が許さないでしょう。

原発の実態は報道されているよりはるかに危険、と思われます。

広瀬隆のYouTubeでの原発「事故」の解説を紹介します。Twitterでは広く見られています。また、氏の「特別リポート」も紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=veFYCa9nbMY&feature=mfu_in_order&list=UL
http://diamond.jp/articles/-/11514

氏によると原理的に放水では解決しない、らしいです。使用済み核燃料は熱を持ち続けるので、どうしても水を貯めて絶えず熱を取らなければならず、電源(高圧線―発電機)を持ってくることが最優先されるべきであったというのです。またそのハード、技術者ともいると言います。

最悪のことを想定して、「焼け石に水」の放水ではなく、セメントで「封鎖」する必要があるという考えです。

東京電力やTVに出る学者、政治家は勿論、原子炉の複雑な構造は知らず、設計した日立や東芝の技術者との協議が不可避だと言います。

放射線物質の影響についても正確な報道はなされておらず、レントゲンや宇宙からの放射線の量とは比較にならず、体内被曝の深刻さ(怖さ)、特に女性や子供への影響は計り知れないと警告します。

放射線物質そのものが原子炉から放出されており、それを定期的に計測するすべ(体制)さえなく、体内被曝は間違いなく起こるというのです。3.4キロ離れたところで、放射線を測る機器が測定不能になったそうです。対内に放射線物質が入ったら、いつ発がんが発生するかわからず、20キロ離れたら安全という政府の説明は全く間違いということです。

停電の話しより、放射線の話をもっとマスメディアで流すべきだと言うのですが、その通りですね。放射線の量と、放射線物質とは違う、後者のことは全く伝えられていないというのが、氏が憤慨する最大の理由です。

地震が再度発生するかどうかの可能性については、太平洋プレートの動きがあり、海外での大きな災害をもたらした地震例からして、今回の日本の地震は予想されたものであり、
次に大きな地震が起こる可能性は高く、太平洋岸にある原子炉は同じ被害を起こすのではないかと危惧を表明します。

津波ではなく、駿河湾で起こる直下地震によってその上にある原子炉は津波の影響の比ではなく、その可能性は非常に高いという判断です。また、原発がなくては日本はやっていけないという反論はあるが、火力・水力発電で東京電力がもっているキャパからしてバックアップ体制はある、と言います。このことはTwitterでも他の人が発表していました。

日本のマスコミだけを頼りにしている普通の人は、恐らく実態を知らないと思われます。54基の全ての原発は勿論、六ヶ所村の事故の可能性にも言及し、そうなれば日本だけでなく、全世界がどうなるかという問題になるということで、番組は終わります。

私自身はこれまで、氏に対してはロスチャイルドの本を読み、胡散臭さを感じていたものですから、原発への警告も重要視していなかったのですが、今回の氏の解説を観て、私の「偏見」を反省します。TVに出る学者だけでなく、現実を非常に厳しく見て警告をし続けてきた人たちの意見をも広く、公開してほしいものです。

2011年3月17日木曜日

今こそ、「嫌韓派」及び民族差別主義者の発言は許しません

韓国の市民団体の声明や芸能人(チェ・ジウ、イ・ビョンホンたち)からのメッセージは人の心を打ちます。日本人も額面通り受け留めるでしょう。Twitterではタクシーに乗った日本人からお金を受け取らず、日本の被害者に伝えてほしいと言ったという話も伝わっています。

しかしそれでも「嫌韓派」や、民族差別者は差別的言辞を振りまいています。私に送られてきたそのようなTwitterには対話を試みようとしましたが、結局彼は自分の「嫌韓」の具体的な理由をあげず、逃げてしまいました。この時期に何故、そのような言質をまき散らすのか、それは差別主義者だからとしか言いようがありません。そのような言動は断固、許すべきではないと考えます。みなさん、私に賛同していただけると思います。この間の「対話」を公開します。

崔 勝久

Tsubuchoなる差別主義者は以下Tとし,崔は私です。前半部分は、「私に韓国批判、「在日」批判しかできない人から「つぶやき」が入ってきています」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_2035.html)で公開済です。

以下、Twitterより、

T)朝鮮半島にある根に深い国民性を理解するには、儒教についてよく知る必要があります。特に儒教にあるマイナス面でのカルト性をよく調べてみてください。フランスのセクト指定の概要なども調べてみてください。マインドコントロールを解くには時間がかかります。

崔)あなたは学問をきっちりとしたことのない人ですね。欧米の人間を理解するにはキリスト教を知らなければならないというのと同じです。それは単なる一助。物事は断定的に、独断的にしてはいけませんよ。いろんな人がどこにもいるのです。

T)無理だと思ったのは、異常な意識を構築するコミュニティの中にあなたが逃げたからです。事実を真正面に見て正しく認識をしようとするたびに、弾圧にあったり、コミュニティに逃げ出す韓国人を散々見てきました。洗脳を解くには隔離をし、事実の直視と納得が必要です。

崔)私のブログを読んで私がその程度の人間だと思ったのですか。「事実を真正面に見て正しく認識をしようとする」、望むところです。具体的に私がどのように「逃げたのか」、指摘ください。しっかりと対話しましょう。

T)カルト教の逃げ方や考え方と同じなんですよ…。あなたは対話のつもりでも、今やっていることはわたしに対する洗脳の拡大行為ですよね。いま、あなたの中にある朝鮮と日本の間の歴史に対する情報が本当に正しいのか一つ一つ、疑問を持って精査してみてください

崔)「疑問を持って精査」すべきは君です。この事態にあっての民族差別や嫌韓的な発言を許しません。韓国の芸能人や一般の人の発言をあなたは何と聞くのですか。今こそ民族を超え、一致協力できるところは一緒にやるべきなのではないですか。

T)協力ねぇ…。コミュニティに協力依頼ですか。もう無駄ですね。話し合いでは完全にないです。わたしへ集団で洗脳をしようとしているだけです。カルト教とやりあったこともあるので、体験を基にした発言なのであしからず。家族でもないので、これ以上は関わり合いません。

崔)卑怯ですね。私は自分のブログ、著作、関係する運動団体の内容まですべて公開しているのに、あなたは在日韓国人の私を、あなたの浅薄な韓国に対するイメージだけで語っています。skchoi777@gmail.com あなたの書いたもの添付で送ってください。

崔)私はアドレスから全てを公開しました。あなたは結局何も応えるものがなく、逃げたと断定します。それとも何か言いたいことがありますか。人の心を信じられない、あなたは不幸な人です。あなたの洗脳?興味なし。しかしまともな対話歓迎。

2011年3月16日水曜日

私に韓国批判、「在日」批判しかできない人から「つぶやき」が入ってきています。

これが柳美里に嫌がらせを送る,「嫌韓」と言われているひとたちなのでしょうか。「嫌韓」派と差別主義者は同じなのでしょうか。Tsubucho(以下、Tにする)という仮名で自分を隠して送っているのですが、まともに人と対話をする考えが全くないようですね。そして歴史の勉強もまともにしていないようです。困ったものですね。

T)信用が全くできないんです…。とりあえず、これ止められませんか?→http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/forum_list.html?tb=transEconomy1

崔)あなたは歴史に関するどのような本を読んだのでしょうか。「一度見てみたいのですが、在日の人は歴史をどのように認識をしているのかを知りたいです」いくらでもありますよ。あなたが知ろうとしていないだけです。

T)お返事ありがとうございます。ブログの方は拝見しましたが、なんだか偽善にしか見えません。議論をしたいようなので、単刀直入に。反日は日本政府から資金援助を受けるための韓国政府の政策ですよね。日本の経済が破たんした今も、なぜ反日を強く続けるのでしょうか?

崔)その要素がないとは言えません。しかし市民団体が出した共同声明や、俳優たちが語る言葉には真心があります。歴史に関してはもっと本気で勉強することを薦めます。ネットや断片的な知識では、日本は戦後何がどう変わったのかわからないでしょうね。

T)浅いですか。一度見てみたいのですが、在日の人は歴史をどのように認識をしているのかを知りたいです。韓国本土と同じ認識なのでしょうか?韓国の国史は希望や妄想が入交じり、嘘も積み重なり、毎年のようにズレて行ってしまっているように感じています。韓半島、東海等。

崔)私のブログの中に、「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか、というものがあります。 http://t.co/3tDQDta 

崔)続けてつまらないつぶやきが届いています。困ったものです。どうして、何のためにこんなメールを送ってくるんでしょうね。しっかりと学び、対話する姿勢が全く見られません。私のブログを読んだと言うのですが、何をどう読んだのでしょうね。

加藤さんに応えるー地域社会における実践を

加藤さんへ

加藤さんの指摘はその通りです。この問題はいろんな角度から考えなければならないと思います。私が最大の課題として捉え、取り組もうとしている点です。

日本社会をどうみるのかということでは、まず戦後において、明治以降の富国強兵という国策、及びそれを推進するための植民地主義政策をどのように克服したのか、あるいは継承したのかということを見つめる必要があると考えます。それと国民国家というものはどのような存在なのか、「擬制的」な存在、と加藤さんは書いていますが、西川長夫さんは、国民国家は「植民地主義を再生産する装置」と断じています。この点の考察もまた不可避でしょう。

戦後になって新しくなった部分もありますが、「国体」の継承ということでは変わりはありません。どうして日本(人)は戦争の加害者責任を問わないのか、そして歴史教科書で戦争を美化する動きを続けさらに横浜に見られるようにそれを強化しようとするのか、外国人の人権を認めないのか、これらのことを日本(人)に問い詰めるだけではだめではないか、むしろそのようにしかならない原因は何なのかを考えなければならないのではないか、私は最近、そのように考え始めるようになっています。

国民国家というものは存在の初めからして外国人、女性を差別するところから始まったという指摘は当たっているのですが、それではそれに対抗していくにはどうするのかということを示さないと、国民国家が存在する以上、「共同体幻想」を持たされる国民は相変わらず植民地主義価値観を持ち、女性と外国人への差別・抑圧の問題は残るという結論になります。そして海外市場でのビジネスの展開と、国内で外国人を労働力として必要とする以上、「多文化共生」を謳い、過去の植民地主義を全面的に否定していかないということになるでしょう。これは一日本の問題ではないのです。韓国や中国も国民国家として日本と同じような問題に直面しています。だから私は、自分の足元の地域をどうするのかということから始めなければならないと考えるのです。

私が注目するのは、地域社会です。今年出版された斎藤純一編『人権の確立』(法律文化社)に寄稿した拙論を是非一度、読んでみてください。私は当然視されている日本の民主主義制度というものが機能していないと捉えます。4年に1度選挙に行くことを政治参加として代議員に全てを委ねる、そして自分たちは地域社会にあってその根本的なグランド・デザインの作成から教育、生活のあらゆる局面において自分たちで議論しあい、責任をもって運営していくということになっていない、「住民主権に基づく住民自治」に至っていないと見ています。

自分で自分たちの地域社会を運営できない、自立(自律)しない人たちがどうして国家の政策に異議を唱えるだけでなく具体的な対案までだせるでしょうか、現在の問題にまともに取り組めない人がどうして過去の問題を真摯に受け留めることができるでしょうか。私は時間がかかっても、このことに取り組む中でしか日本の再生を図りあるべき社会に向かうことはないと思うのです。

イタリアのポンペイの遺跡を見て改めて思い知らされたのは、結局、ポンペイの繁栄も外国人・奴隷・女を犠牲にして成り立っていたものだし、国民国家の成立も根底においては同じであり、全ての人間の差別・抑圧という不条理のない社会をつくるということは人類史上、いまだ実現されていない課題であるということでした。その歴史的な課題をめざして、地域社会の中から国民国家を内破していくような質をつくりあげるしかない、というのが、今私が考えていることです。

それは過去の新左翼が唱えた「革命」ではありません。旧左翼を批判し乗り越えようとした点はあったのですが、それでも彼らの観念性は拭いきれません(これも昨年発表した拙論を参照ください。http://www.nextftp.com/tahhh/tahhh/newpage29.html)。私は、今私たちはこれまで人類が達成できなかった歴史的課題に挑戦するべきだと強く思っています。

意識の変革は観念からではなく、具体的な出会いや実践の中から問題が可視化され、具体化されるのです。今、地域社会に徹底的に注目しこだわるべきだと思います。

「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」加藤博之

加藤さんは私がブログで書きFaceBookにも流した「未曾有の大震災の後、日本はどうなっていくのでしょう」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_3423.html)に対して、「日本の『精神的偏狭』を解放する時―加藤博之」を記し(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_15.html)、また「日本大地震に対する韓国市民団体の声明」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_1473.html)について、「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」を寄せてくれました。

日本社会が先の大戦において受けた経験から被害者意識に留まり、東アジアに対する「戦争責任」「加害者性」を明確にしなかった経験を踏まえ、今回の大震災や原発問題においても、韓国からのメッセージに応え、東アジアの共感と連帯のためには、「この国の偏狭な国民性を脱却する」「決意と行動が問われている」という、加藤さんのこれからの日本を考える重要な問題提起であると思い、公表させていただきます。

崔 勝久

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「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」加藤博之

世界中の誰もが遭遇する可能性のあるという、ある意味「普遍的」な、大惨事の恐怖を共有した「時」に、瞬間的に時空を超越して真の連帯や互恵の「念」が芽生えると言うのは大変悲しい現実ですが、にも拘らず大変嬉しくそして希望を与えてくれるメッセージだと思います。

崔さんの言われるとおり、今回の大惨事が東アジアの共感・連帯と相互理解の新しいスタートの切欠になれば良いと心から思います。一方で台湾の国会議員が「日本人は犬だ!!何故助けなければならいのだ!!」と語ったとの報道もあります(勿論台湾でも大変な批判が出ているそうですが)。これが東アジアの日本を機軸とした冷酷な現実だと思います。

言葉が適切で無いのは承知の上で一言で言えば、明治以来の近過去の日本の東アジアへの「加害者としてコミットメント」に対する我々日本人!!の責任」を明確に自覚し行動することから始めないと、単に「議捐金を頂いて感謝する」などと同様の低いレベルでのヒューマニズムに堕するのではないかと思います。

先の大戦末期に蒙った「被害者としての日本人の塗炭の苦しみ」と「日本人の戦争責任=東アジアの国々への加害者責任」を明確に区別し、国家という「擬制的」な存在にその全ての責任を委ね、自らも被害者だったとの意識を捨て去ることをしなければ、常に責任を他者に委ねるこの国の偏狭な国民性を脱却することができないと思います(象徴的な出来事として、既に今回の原発自己を巡って、半国営企業の電力会社と主務官庁ならびに国家との、隷属・相互依存(持たれあい)・相互無責任体制が臆面もなく<露呈されています>。

崔さんから御紹介いただいた韓国の皆さんのメッセージに真に応えるためにはそうした私達の決意と行動が問われているように思えてなりません。相変わらずの言葉足らずで申し訳ありません。

2011年3月15日火曜日

日本大地震災害に対する韓国市民団体の声明

韓国民族問題研究所 朴漢龍さんからメールをいただきました。
33もの市民団体の共同声明文です。

これがきっかけになり、日本・韓国及び日本・北朝鮮との関係が
いままでとは違う次元の関係になることを願うばかりです。
そして勿論、「在日」と日本社会との関係も、より開かれた
対等な関係になりますように。一緒に汗をかき、未だ見ぬ、
差別・抑圧、不条理のない社会建設という、人類の歴史的な
課題を共に担うことができますように。

崔 勝久

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日本大地震災害に対する韓国市民団体の声明

今回の日本の東北地域で発生した地震と津波により、想像を超える被害と苦痛を味わっている方々や被害者の方々に深い哀悼の気持ちを送ります。加えて、原子炉の爆発による放射能被害と、今なお続く各種災難や悲報に驚愕と悲しみを禁じることができません。一刻も早くこの災難が収拾されることを心から願っています。
今回の東北地域の災害によって、日本の市民だけではなく少なくない数の在日同胞と外国人も被害を受ける、もしくは今だに生死さえも確認できていない状態だと聞いています。宮城県に居住する日本軍「慰安婦」被害者宋神道(ソン・シンド)さんもまた、連絡がとれない状態だということで大変心配しています。
国境と民族を超え、この惨事を東アジアの痛みとしてすべての人々が立ち上がらなければならない時です。日韓過去問題と関連した韓国の市民団体もまた、日本のすべての人々がこのとてつもない惨事を乗り越えていけるよう、できる限りの努力を行うつもりです。日本市民と在日同胞を含めた外国人すべての安全のため、最善の努力と協力を行うことを韓国政府当局にも要請します。
再度、深い哀悼の気持ちを伝えながら、口にするにも辛い悲しみと衝撃を乗り越えて、再び立ち上がることができるよう祈っています。そのために、韓国の市民団体も積極的な協力を惜しまないことを約束します。
2011年3月15日

KIN(地球村同胞連帯)/ ウトロ国際対策会議 / サハリン希望キャンペーン団 / 丹波マンガン記念館債権韓国実行委員会 /(社)韓国原爆被害者協会 / 原爆被害者および原爆2世問題解決のための共同対策委員会 / アジア平和歴史教育連帯 / 全国歴史教師の会 / 歴史問題研究所 / アヒムナ運動本部 / 韓国挺身隊問題対策協議会 / 韓国挺身隊研究所 / ナヌムの家 / 挺身隊ハルモニとともに行動する市民の会 / 世界NGO歴史フォーラム / 太平洋戦争被害者補償推進協議会 / 大韓民国臨時政府史跡地研究会 / 独島守護隊 / 南北経協運動本部 / 日本NPO法人 ASIA PEACE BUILDERS / 興士団 / 平和統一市民連帯 / 平和博物館 / 民族問題研究所 / 靖国反対共同行動韓国委員会 / 林鐘国先生記念事業会 / 正しい韓民族史運動本部 / 東アジア 葛藤解決国際連帯 / 東学民族統一会 / 民主社会のための弁護士の会 過去事清算委員会 / コリアグローブ(Korea Globe) / 青年白凡 / 1923関東韓日在日市民連帯 / 孝昌園を愛する人々

いまは、祈るほかない、きもちですー上野千鶴子

チェさま
次々とたいへんな情報発信力ですね。
本日予定されていた最終講義が中止になったのでメイルを書く
よゆうができました(苦笑)。

この時期にこの文章を書いて下さってほんとにありがとう。
終講義では「生き延びるための思想」を最後に持ってくる
つもりでした。

教会を離れた、というのはわたしの意志的な選択だったので、
ふつうの日本人にとって教会にたんに縁がないこととはちがいます。
「祈る」ことからどんな距離をとるかを、それ以降、いつも考え
けずにはいられないという立場に立ったのだと思います。
でもいまは、祈るほかない、きもちです。

自然の猛威の前には、ひとはなすすべがありません。
それとてひとができることはありますのに。自衛隊は5万人を投入
しているとか。全部で30万のうちの6分の1、あとを動かさないのは
「国防」のため、だそうです。だれから「国を守る」のでしょうか、
おわらいです。

以上、もしあなたのMLにご紹介くださるならどうぞ。

うえの

日本の「精神的偏狭」を解放する時―加藤博之

この加藤博之さんは大阪の高校の同級生ですが、私は彼とクラスも異なり話した記憶がありません。元某大会社の副社長になった彼とは高校の同窓会で話すくらいでした。それがFaceBookで出会い、彼は私の「未曾有の大震災の後、日本はどうなっていくのでしょうか」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_3423.html)を読んで感想文を送ってくれました。それが以下の文です(タイトルは私がかってに付けました)。本人の承諾を得て、掲載させていただきます。

私は大学に入るまでは自分の本名の読み方も、歴史も知らないまま大阪の受験校でバスケット部に属しながら高校生活を過ごしました(公立高校で2回、インター杯にでましたー自慢です!)。恐らく加藤さんは私が「在日」であることを知らなかったかも知れません。その高校は受験高校では鶴橋に近く最も「在日」が多い学校だったでしょう。しかし「在日」同士も自分のことを明かすことはありませんでした。「在日」であることは公然の秘密であって、みんなそれを知らない「振り」をしてくれていたのです。

東京の大学に入り、私は本名を使いました。一時、過去の植民地の歴史を知るにつれ、私は日本名を一切使わなくなり、むしろそれを植民地主義による「同化」と考えました。しかし今私は、「斎藤」という日本名も愛おしく思い、「サイ」という日本読みも、そして「チェ」もすべて受け入れます(その後の歩みを含めて「個からの出発―在日朝鮮人の立場から」参照。http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_3423.html)。

私は高校の同級生の加藤さんからの感想文を読み、お互い社会人になり多くのことを経験して引退した後、日本社会のあり方をめぐってこのような対話ができたことを本当にうれしく思います。感謝です。
崔 勝久

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日本の「精神的偏狭」を解放する時―加藤博之

崔さん、崔さんのご意見に全面的に賛同します。私の場合は些か観念的かもしれませんが、この国、この国民が新しい全世界的の地政学的な激変の中で、ことさらに過去の伝統的文化にたいする再評価や、伝統的な「もてなしの心」を強調するなどという「内向きの偏狭なナショナリズム」で自信を取りもどうとする風潮は大変危険な事だと思います。すべてが経済的に劣後した状況に対する意図的なプロパガンダではないかと考えるからです。こうした風潮はまさに「我が村」・「我が会社」・「我が故郷」と言った素朴な心情が、「国家レベル」の偏狭なナショナリズム・ファシズムに繋がっていった歴史的事実を想起させます。

古くから歴史的に中国や朝鮮から多くを学んできたこの国は、そのグローバルな時代には実に大らかにこれらの国々の人々を受け入れ、重用し独自の文化を築き上げてきました。今こそ、往時の大らかな受容と学びと互恵の気持ちでこの国の「精神的偏狭」を解放する時だと思います。

世界的な地政学的激変の中でこの国の目指す方向は徹頭徹尾「国を解放する勇気」を持つことだと思います。その明確な意思の中で、「オープンで公平な社会的規範」を築いてゆくことが、これからも生き延びていく上での唯一の未来に向けての加太だと思います。

そのことを成し遂げてこそ日本人の精神的自立・世界市民としての自己の確立ができるのだと思います。経済的視点のみからの議論に終始している現状の中でどれほどの理不尽な行為や意識が黙示されていることでしょう!!

崔さんの議論は、「根源的」には日本「人!!」の「戦争責任」感・意識についての議論に、私たちがどう立ち向かうかにも繋がっていると思います。そうした意味で私は崔さんの御意見に全面的に賛同したいと思います。崔さんのように旨く論じられないのが大変残念ですが心は共有しているつもりです。

2011年3月14日月曜日

「祈り」についてー上野千鶴子さんの退官に思う

上野さんの東大での明日の最終講義が中止になったそうです。東北地方の悲惨な映像と、原発の惨憺たる状況をテレビで観ながら、「祈り」とは何か考えてみました。

私の親しい信頼する女性牧師は、「あなたがたも祈りで援助してください」(Ⅱコリント1:11)という聖句を送ってくれました。上野さんは、『生き延びるための思想』のあとがきで、「あとがきー『祈りにかえて』」とわざわざ書き、「あの世の救済ではなく、この世での解放を。」、「人間がひき起こした問題なら、人間が解決できるはず。『祈りましょう』と無力に唱える代わりに、いま・ここで生き抜くための方策を、ともにさぐろう、としてきた。」と、彼女がこの世を生き延びるための女の思想である、フェミニズムの思想を掲げます。彼女は、それを「『祈り』のぎりぎりまで傍まで行って、その手前でとどまろうとした者の『此岸の思想』だ」とします。

私は彼女のこのあとがきを読み、田川建三さんが書いた「存在しない神に祈るーシモ―ヌ・ヴェ―ユと現代」『批判的主体の形成』(洋泉社、2009)を思い出しました。どうしても越えなければならない現実があるとき、その現実に立ち向かう生きる姿勢、人としての「基本的なたたずまい」が「祈り」であり、「存在しない神に祈る」としたシモ―ヌ・ヴェ―ユは「人間精神の最も正しい部分を表現している」と田川さんは記します。

「祈り」の虚偽性、堕落を直視したうえで、なおかつ人として越えなければならない現実に立ち向かうとき、「祈り」に逃げるのでなく、「祈り」によって闘い続けるという姿勢を私は尊いと思います。確かに上野さんの言うように、「人間がひき起こした問題なら、人間が解決できるはず」であり、神に逃げ、「祈り」に逃げることは、私は許されないと考えています。しかし、今回の地震・津波や、先週私が観たイタリア・ポンペイの遺跡のような天災と、圧倒的な権力による抑圧・虐殺は区別できるものではありません。この何千年かの歴史上、そして今も、人類は人間がつくった圧倒的な不条理の中で生きているのです。

上野さんは女性差別へのルサンチマンが自分の原点と、2年前の川崎でのシンポで話されました。何度悔しい思いに涙し、それでも何ともならないものに闘いを挑み続け、明日の最終講義を迎えることになったのでしょう。そしてその闘いは、おそらく間違いなく、これからも闘い続けないことにはどうしようもないと思っていらっしゃるに違いありません。『女ぎらいーニッポンのミソジニ―』で近い将来、女と男の立場が逆転すると書いた三浦展に歯を剥いたのもそのためでしょう。私は、それは「祈り」であると思います。いや、限りなく「祈り」に似たものだと思うのです。

「在日」の闘いはフェミニズムのそれとは違うという人がいるかもしれません。しかし私は同じだと思います。人間が作り出した不条理に挑み闘い続けなければならないものであり、それが社会構造として差別・抑圧を再生産している以上、その闘いを止めるわけにはいかないのです。

上野さん、お疲れさまでした。これからも闘い続けましょうね。よろしくお願いします。

2011年3月13日日曜日

海外からの激励のメールを紹介します

海外からの私宛のメールですが、内容は震災に遇った人への激励のメールですので、みなさんに公開させていただきます。

崔 勝久

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ロンドンのJWさんより


崔さん、JWです。

無事で本当によかったです。
東京の知人に電話を入れてもつながらず、とても心配ばかりしていました。
メールありがとうございます。
みんな、家に帰れずあるいは歩いて何時間もかかって帰宅したようです。

こちらのBBCも一日中、今回の大地震と津波の報道を流しています。
今日は、原子力の爆発が中心です。
半径60キロの地域の人々を疎外したなんって、ソウルの何倍もする規模ですね。
すべてを失ってしまった人々の心境を思うと、とても胸が痛いです。
連絡がとれない同胞も数多くいると聞いています。

どうか、余震などの可能性もあるようですので、どうか、お気をつけてください。


(注:海外のマスコミ取材に対して、日本政府が60キロ内は禁止したという報道がこのようなかたちになったのでしょうー崔)

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韓国民族問題研究所の朴韓龍室長です.

今度地震惨事消息を聞く非常に衝撃を受けました.

日本の多くの方々が苦痛を経験するようになる非常に切ないです.

犠牲者たちに哀悼の意味を表して韓国でも助ける事があれば助けます.

皆 別事のないのか心配になるまずメールを送ります.

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台湾からSGさんより

崔さま
 なかなか大変な災いで、心からお見舞いを申し上げます。
 努力してきた崔さんと皆さんに、敬意を表したいと思います。
 地球は加速していますし、地軸もすこしずつ移動しています。人類は新たに秩序を編成できるか、これからの課題ですね。 一緒に努力しましょう。

2011年3月12日土曜日

未曾有の大震災の後、日本はどうなっていくのでしょうか。

昨日、東京駅から川崎に歩き始め、品川で川崎ナンバーのダンプに乗せてもらい、夕方から翌朝の4時までかかり川崎に着き、そこから自宅まで送ってもらった話を書きました。大げさではなく、42歳の、川崎南部に住む日本人のダンプの運転手は私の命の恩人です。私には関東大震災時の6000名もの朝鮮人虐殺を思い出すような恐怖は全くありませんでした。同じ災害に遭った者同士の心のつながりを強く感じています。

私の若い日本人の友人(博士課程の研究者)は、宮城県の、恐らくは壊滅したであろう田舎に住む家族を想いながらも、バイクで宮城に入り「従軍慰安婦」の宋神道ハルモニの安否が心配でそこに寄って確認するとメールを送ってくれました。私はこのような「新しい日本人」の友人を心から信頼し、共に歩みたいと願うのです。

しかし同時に、横国の加藤千香子さんからは、横浜市の中学歴史教科書をめぐる問題や外国人からの献金問題を取り上げるやり方から、国民国家を正当化し戦後作られた法律を大上段に掲げた、いびつなナショナリズムの台頭を危惧するメールをいただきました。私にはこの「新しい日本人」と、国民国家を絶対視するナショナリズムを掲げる人たちとのギャップが気になります。特に、後者の流れの強さが気になるのです。

中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想するー経済政策のオルタナティブ・ヴィジョン』にある大屋雄裕「配慮の範囲としての国民」という論文に注目しました。よく議論される外国人の政治参加という角度ではなく、今後低成長が予想される日本社会にあって経済の成長を前提にせずに「国民」の福祉を考えるとき、外国人の配慮される権利はどのようになるのかという問題提起です。そこには、参加の範囲と配慮の範囲は同一ではないだろうという冷徹な認識があります。政治参加しない外国人にも、豊かでなくなる時代の日本国家は(日本人と同じように)福祉の面で「配慮」するのか、それはどの範囲なのか、そのことをしっかりと考えておこうという、意欲的な論文です。

ニューカマーと言われる外国人が急増し、これまでのような小手先の政策では埒があかない時代になって、「国家がその福祉に対して配慮すべき国民の範囲に、外国出身の労働者のどこまで」を含めるのか、移民是非論ではなく、まずその定義をしっかりとすべきという主張です。

この定義に関して日本社会はこれまで議論をしてこず、最近になって「多文化共生」を言いだして、急増する外国人の日本社会への「統合」をもくろむようになりました。勿論、その中には、外国人の人権を強調し、多様性を評価する意見や、まじめな実践があることは事実です。川崎市は、「多文化共生社会の実現」、「かけがいのない隣人」を謳います。しかしそのような観念的でセンチメンタルな議論は、日本社会の成長を見込めない「成長なき時代」になったとき、どうなっていくのか予断を許さないでしょう。私は「多文化共生」は外国人を「二級市民」に落とし込める植民地主義イデオロギーだと考えます。

外国人の労働力だけ欲しい、というわけにはいかないのです。外国人は日本に住む限り家族をもつことになり、そこでは日本社会による生活と人格(人権)の保障は不可避です。当然のこととして自分の住む地域社会をよくするための政治参加を求めることになるでしょう。そのとき日本国籍を条件にするのか、二重国籍を認めるのか、永住権者だけに限定するのか、滞在年数で決めるのか、税金の納入という実績を重視するのか、国家(あるいは地域社会)の「配慮」の範囲についての定義は確かに必要になるでしょう。大屋のその主張は認めます。

しかしながら国家と地方自治体は同じなのか、住民・市民の定義は国家がするのか地方自治体がするのか、そもそも外国人対策の前提に、「住民主権に基づく地方自治」のあり方につてしっかりとした議論とその具体的なあり方が議論されるべき、というのが大屋論文についての私の感想です。なお、浦山聖子の「外国人労働者の受け入れは、日本社会にとってプラスかマイナスか」も問題点が整理されて記されているので一読を勧めます。

「在日」もまた、自分たちの政治参加の権利主張だけではやっていけない時代に突入していることをしっかりと認識すべきでしょう。自分たちは指紋押捺拒否の運動をしましたが、ニューカマーを取り締まりの対象にすると日本政府が言い出したとき、反対運動を組めませんでした。政治参加によって何を実現したいのか、どのような社会にしたいのか、そのようなヴィジョンもなく、ただ参政権が欲しい(非選挙権はなくともせめて選挙権でも)と言うだけでは、日本の矛盾ある社会にただただ埋没するしかないのです。

飛躍しますが(私の中では必然なのですが)、私は川崎や横浜(それに便乗した各地方自治体)の外国人市民代表者会議の解散を求めます。決定権もなく、討議する内容も外国人問題に制限されるようなものは不要です。そうでなく、例えば区単位の決定権ある協議会(または区民議会)で住民が自分で責任をもって運営していく「住民主権による地方自治」をはじめるとき、私たち「在日外国人」もまた、同じ住民として選挙権・被選挙権をもち、外国人問題もひとつの課題として議論すればいいのです。それは国会に諮らなくとも、各地方自治体の条例によって可能になります。

それは「在日」の権利の主張の問題ではなく、日本人の民主社会をどのようにつくり運営するかという「民度」の問題、歴史的課題だということを蛇足ながら記しておきましょう。

地震の経験談

みなさんどうされていますか? 

地震の報道を見て、心配してメールを送って下さる方が多く、ありがたい話です。関西、アメリカ、香港,
イギリスなどから連絡がありました。

M8.8というとてつもない地震だったのですが、東北地方の悲惨さに言葉を失います。地震は天災ですが、原発事故は人災です。メルトダウンがはじまったとありますが、これは大変なことです。何重にもリスクヘッジをしていると強弁してきたのに、この事態は当然と言えば当然なのではないでしょうか。そもそも核処理に何万年もかかるというのが無理です。自然を甘くみてはいけません。

私は昨日、東京丸の内の丸善にいました。突然の揺れでとっさに思ったのが、先週訪れたイタリアのポンペイの遺跡のことでした。しばらくは様子を見ていたのですが、このままでは埒が明かないと思い、川崎まで歩こうと決めました。品川までまるで難民のように実に多くの人と、お互い無言で歩きました。寒くなり、足も痛く、渋滞している多くの車の中で川崎のナンバープレートのダンプ車に声をかけ、乗せてもらいました。

車は動かず、自宅に着いたのは朝の4時でした。なんと10時間かかったことになります。そのダンプの持ち主は川崎の南部の人で、いろんな話をしました。昔のスクラップをしていたときの経験、同業者のはなし、そこから話は臨海部のことや、川崎南部に横断バス路線をつくる話にまで及びました。42歳の彼は、日本人は自分で考えず人に従うことばかりやってるからだめだよと言ってましたが、いや、私はあきらめないでやっていきたいというようなことまで話しました。

私は途中適当なところで降ろしてもらうつもりだったのですが、彼はなんと私の自宅まで送ってくれました。朝の4時ですよ。教会に行っている者の言葉としてはどうかなと思いますが、まさに地獄に仏とはこのことですね。感謝に堪えません。世の中にはいろんな出会いがありますね。彼の名刺をもらったので、先ほど、お礼の電話をいれました。改めて川崎で会って、いろんな話をしたいと思っています。

2011年3月11日金曜日

橋下大阪府知事の朝鮮学校助成金打ち切り宣言批判ー金明秀ブログより

すっかりと時差ぼけはなくなりました。

石原が4選に打ってでるとか。日本の大都市の首長には本当に困った人が選ばれますね。これって、日本の民度の反映でしょうか?

橋下大阪府知事が猛烈にTwitterを活用したキャンペーンをはっています。大阪市長への面当ても多く、選挙を意識していますね。その橋下が朝鮮学校への支援打ち切りのTwitterに対して関西学院大学の金明秀教授が
反論しています。橋下の「共生」論、世論を背景にした強弁、反論することさえ嫌になりますね・・・


「恣意的な「ルール」の強要を「共生」だと強弁する橋下府知事の無責任なツイート」(金明秀の公式ブログ、whoso is not expressly included)よりhttp://han.org/blog/2011/03/post-152.html

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「恣意的な「ルール」の強要を「共生」だと強弁する橋下府知事の無責任なツイート」(金明秀の公式ブログ、whoso is not expressly included)より

橋下大阪府知事が精力的にツイッターに投稿を続けています。昨日3月9日、朝鮮学校に対する助成金支給についてツイートした内容が、各方面に反響を呼んでいます。ツイートの概要は、以下の通り。(見出し数字は引用者)

1.「日本人拉致問題、隣国である北朝鮮の現在の振る舞いを考えると、日本と北朝鮮の歴史的な経緯を踏まえてもなお大阪府民の多くは、朝鮮学校への補助金支出には納得できない。」
2.「今の大阪府の状況だと、このまま朝鮮学校に補助金を支出する方が学校にとっても不幸。だって大阪府民は腹の中では朝鮮学校に不満を持ち続けるから。」
3.「多くの住民が補助金支給に納得していなければ、不満を抱いていれば、日本と朝鮮学校の共生は成り立たない。」
4.「僕は学校と北朝鮮国家の関係性が遮断されることを目的とした大阪府のルールを作りました。」
5.「僕が作ったルールに従ってくれれば大阪府民の多くは補助金支給に納得してくれるはず。これで初めて共生となる。」


 いかがでしょう。府知事ご本人も指摘されている通り、少なくとも政府による違法性の高い「高校無償化」除外よりは、ある意味で、筋が通っているように思われます。もちろん「ある意味で」とは、市民社会における公平と平等といった正義よりも、住民感情を重視する政治姿勢を明確に提示した点において、ということです。

 まあ、わたし個人としても、朝鮮学校は国民教育を捨てて民族教育に特化することが経営的にも重要な生存戦略のはずだと思っていますが、しかし、それは朝鮮学校関係者が自己決定すべき問題であって、中等教育において絶大の権力を持つ府知事が、子どもを人質に踏み絵を踏ませるようなものであっていいはずがありません。

 そして、それ以外にも、府知事のツイートにはいくつか重大な問題が含まれていますので、以下に指摘していきたいと思います。 

  第一の問題は、「大阪府においては、現状のままで朝鮮学校に補助金を支給することには納得できないとういのが大多数の意見」と論断しておられるが、じつは、その根拠をお持ちでない(ようだ)ということ。

 根拠をお持ちでないようだというのは、府知事がツイートの中で、「メディアの皆さん」に世論調査の実施を請願していることからうかがえます。しかし、根拠のない印象論で、これほど重大な政治的意思決定をしたということは、はなはだ重大な問題だといえます。

 印象論でよいというなら、賛成意見と反対意見が伯仲しているのが実態だろうというのが、わたしの印象です。ただし、排外主義的な要素を持つ反対意見は、排外主義の持つ権威主義的な性格により、より強硬な主張として表出するため、目立ってみえてしまう可能性はありますね。

 第二の問題は、北朝鮮に対する悪感情は、植民地主義とレイシズムにルーツがあるという事実を無視していることです。

 心理学分野には「感情温度計」という指標があり、偏見研究の文脈でこれを各外国人に適用した業績が多数あります。さまざまな人種・民族・外国人に対して、日本人の好悪感情を測定し、それを比較しているのですね。

 それらの結果をみると、戦後すぐから一貫して、「朝鮮人」と「黒人」が最悪の感情の対象に位置付けられてきたことがわかります。

 つまり、戦後についていえば、「日本人拉致問題」以前から、それどころか、おそらくは1948年に朝鮮民主主義人民共和国という国家が成立する以前から、恒常的に朝鮮人に対する悪感情は存在していたということなのです。

 この悪感情の由来については諸説ありますが、「日本の属国だったくせに戦勝国然として傲慢なふるまいをする」ということに対する反感と、朝鮮人に対する蔑視感情があったということを否定する論者はほとんどいません。つまり、植民地主義とレイシズムです。

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー②機内での読書感想、「松田優作」論

成田―ローマ、ミラノー成田いずれも12時間のフライトでした。イタリアでの移動は全てバスで、その間はただひらすら眠るのみ。飛行機に乗るときは、映画と本を読むことに徹します。

今回は、李建志『松田優作と七人の作家たち 『探偵物語』のミステリ』、ロマン・ローラン『ミケランジェロの生涯』、斎藤誠『競争の作法―いかに働き、投資するか』、中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想するー経済政策のオルタナティブ・ヴィジョン』をもっていきました。

李建志については私のブログで紹介しました(「新たな地平を切り開こうとする比較文学の学者、李建志に期待する 」http://t.co/Cuhaiw0)。『朝鮮近代文学とナショナリズムー抵抗のナショナリズム』批判』ではとても新鮮な印象を受けました。しかしそのナショナリズム批判は、2作目では「複数のアイデンティティ」を推奨するかたちになっており、アイデンティティとはそもそも何なのかという切り込みがなく、私には多少、不満でした。そこで今回は、どのように松田優作を取り上げるのか興味がありました。

李建志はTVドラマ「探偵物語」の脚本家7人を取り上げ、その人柄、考え方、時代背景に至るまで見事な分析をします。「探偵物語」はどのような視点から書かれたのかということがよくわかります。そして最後の章で松田優作をとりあげるのです。松田優作が「国籍」を明らかにしなかった時代背景、本人の思い、そして「ナニ人でもない松田優作への飛翔」、「探偵物語」が朝鮮人問題を「隠蔽」した意味などを的確に記します。

李は、「『けんじ』という日本の名前を自称しているのは、自分が韓国人でも、朝鮮人民でも、日本人でもないという意識を表明する意図があるから」という立場です。ナショナリズム批判者として李は書かれたものと映像だけを資料として取り上げて分析するのですが、私には7人の脚本家と松田優作の絡み合いが不十分であると感じました。崔洋一も助監督として関わっていたようだし、客観的な資料だけでなく、脚本家たちとのインタビューをしていればさらに違った松田優作を描くことができたのではないかと思いますがどうでしょうか。

あとがきで李は、「半ば革命家としての」「遺書」、「私のささやかな「闘い」の書」と記しているのですが、まだ早すぎませんか? 「「マイノリティ運動の問題として私が考えていることは、マジョリティのなかの「反体制的」な考え方のひとがマイノリティを『本尊』として祭りあげることで成立する運動、その政治性のことである」と一作目で喝破した人としては。李建志のさらなる「飛翔」を期待します。

2011年3月10日木曜日

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー①ポンペイの遺跡と前原の辞任

「麗しのイタリア旅行9日間」で思うー①ポンペイの遺跡と前原の辞任

結婚40周年記念で「麗しのイタリア旅行9日間」を堪能してきました。駆け足でしたが、ローマ、フィレンツェ、ベローナ、ベネツェア、ミラノを回りました。帰りの飛行機の中で、外国人からの献金を受け前原外相辞任という大見出しを見て、私は、ポンペイの遺跡のことを急に思い出しました。

帰宅してみたら、M社から「前原外相への献金問題について」のコメント依頼が来ていました。「京都の在日韓国人が前原外相に献金した問題が報じられています。産経新聞はここぞとばかり永住外国人の地方参政権問題をたたき、韓国政府高官も影響を憂慮しているとの報道が出ています。しかし、子どものころからのつきあいで、しかも年間5万円、4年間で20万円という善意の献金なのに、政争の具にするべき問題なのかとの疑問がぬぐえません。M新聞16日付けでオピニオン特集を組みたいと思います。もしよろしければコメントをいただければ幸いです。」

それで急いで私は以下のコメントをM社に送りました。
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一昨日、イタリアからの帰りの飛行機の中で知りました。前原外相が外国人からの献金をもらったことで辞職とあり、私は京都出身の彼は、きっと地元の「在日」からもらったんだろうなと思いました。

年間5万円、4年間で20万円ばかりの献金をしたのは、おそらく企業をする人ではないでしょう。政治献金で政治家を利用しようとしたならばもっと多額の金を、それも他人(日本人)を介して出しているはずです。噂では地元の前原を子供のころから知っているハルモニとのことですが、前原外相も、そして何よりも篤い想いで前原外相にお金をだしたハルモニも、悔しいのと申し訳ないという思いで泣くに泣けない気持ちなのでしょう。その心情は察して余りあります。

しかし公職選挙法に外国人からお金を受け取ることを禁じている以上、その違法性を突かれるとこれは弁明しようがなく、前原外相も「将来の可能性」を期して、傷の浅いうちに辞職を決断したのでしょうか。

日本に住む外国人の政治参加をどの範囲まで認めるのか、それはその国の民主度を測るバロメータだと思います。既に条例によって外国人の住民投票を認めている地方自治体は、川崎をはじめいくつもあります。先の名古屋の選挙で、名古屋市議会でペンディングになっている外国人の住民投票について民団が積極的な運動を行わなかったことは残念なことでした。これは国会とか関わりなく、地方議会で決定すればいいのですから。

京都のハルモニの悔しさをどのように受けとめればいいのでしょうか。冷静になって考えてみると外国人の政治参加は、献金や、国会で決議されないことには何もできないというものではありません。これからの日本は地方自治の役割が大きくなります。その為には、「住民主権に基づく住民自治」が確立されていくことが何よりも重要な課題です。日本の民主主義が形骸化されずに立ちいくのかどうかの基本です。私たち「在日」は外国人住民としてまさに、そのあるべき住民自治確立を意識ある多くの日本人住民とともにめざすべきでしょう。勿論、そのときには国会決議とはまったく関わりなく、選挙権・被選挙権をもち、自分の住む地域社会に政治参加する道を切り開いていかなければなりません。

人はどこの国籍をもとうが、自分の住む地域社会で人としての権利を主張し、その地域社会をさらによくするために政治参加する義務と権利があるのです。
                             (以上)
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ローマ郊外のポンペイは、火山噴火のため、8メートルもの火山灰に覆われていたものを掘り起こした古代都市国家です。野外の劇場、広大な広場、裁判所、公衆風呂、パン屋、酒屋、売春宿などがそのままありました。私が思ったのは、このような「質の高い」生活は何によって支えられていたのか、どうしてこのような生活が可能だったのかということでした。現地案内人に詳しく聞いたところ、それは交易によるということでした。

しかしその市民の質の高い生活は奴隷制度によって支えられていたのだと思います。海外から連れてきた外国人と、ポンペイの貧しい人が奴隷になっていたとのことです。勿論、売春宿の娼婦も奴隷でした。2階建の売春宿の壁にはいろんな体位を強いられる女性が描かれ、狭い部屋には石のベッドがそのままありました。浴場には運動をする場、温水の部屋やマッサージ室があり、自由人は無料だったのことでした。あの大きな裁判所があったということは、法律によって日々のもめ事が解決されていたのでしょう。奴隷は浴場や野外劇場へは入場できません。野獣と闘ったり、死ぬまで格闘を強いられるときだけ、彼らは劇場での主役(見世物)でした。その劇場に女性も見物が許されたのですが、最上階だけであったそうです。

古代ギリシャ、ローマの民主主義の時代からフランスの人権宣言にいたるまで、女と外国人、奴隷は「人権」は認められておらず、日本において女性の選挙権が認められたのは、敗戦後です。そして今やグローバル時代、世界各地から人が訪れ、居住するようになりましたが、国民国家の枠はそのままです。

外国人の人権は歴史上、未だにポンペイと同じく、認められていないのです。同じ地域社会で住む外国人もまたそこに住む者として政治参加をし、その社会に貢献していく、そんな歴史上実現されたことのない社会をつくる過程にいる、私はポンペイでそんな自分の課題を強く再認識して帰国の途につき、飛行機のなかで前原辞任の記事を見ました。

2011年3月9日水曜日

「続日立闘争」から学んだこと (2) ー朴鐘碩

植民地支配から100年、日立就職差別裁判闘争から40年を迎へて 
「続日立闘争」から学んだこと (2)ー朴鐘碩


果たして日立闘争は、植民地主義に繋がる同化裁判だったのか。貧困家庭で育ち日本名を名乗り、同化した朝鮮人青年を作り出した歴史、日本の戦争責任を問い、私自身の生き方も厳しく問われた。裁判から40年近く経過して民団新聞は、日立就職差別裁判と韓国籍のまま弁護士の道を開いた、2005年12月亡くなった金敬得(キム・キョンドク)氏に触れて、「果敢な挑戦者になろう 新成人の皆さんへ」「常識を覆した先輩たち 同胞たちが今日あるのは「動かざるごと山の如し」と思われた「日本の常識」を覆し厚い壁を突き崩した、多くの若者たちの果敢な挑戦があり、それが連鎖を生んだからだと言えましょう」(2007年1月17日)と社説で掲載した。

1974年6月の勝利判決から3ヶ月後の9月に私は職場に入った。入社当時、私は企業社会独特の雰囲気に押されて、業務に追われ、「民族」差別を同僚たちと話すことさえできない、仕事に没頭するだけの弱い人間になっていた。ある意味で、私は会社・組合に「包摂」されていたというか埋没していた。

「裁判までして日立に入った私は本当に仕事だけしていればいいのか?何かおかしい?」と感じるようになり、思い切って自分の立場を同僚たちに訴えた。その瞬間、目の前は真っ暗になった。間もなく胃潰瘍で1ヶ月入院することになった。入社して5年後の27歳の時だった。

何故、自分は入院する状況に追い込まれたのか?大企業で働く日本人労働者は、何故暑い時は暑いと空調を入れるように会社・組合に要求せず、額から汗を流し我慢して黙って働いているのか?おかしことはおかしいとはっきり言わないのだろうか?

経営者が倫理観を失って犯罪をしても、何故労働者は経営陣を批判しないのか?労働者の権利を守る組合は、労働者の立場になって労働条件の改善を経営者に要求しているか?と多くの疑問を感じ、民族差別と労働者の問題について考えざるを得ない状況になった。

企業・行政に就職すると、当事者の意思と無関係に頼みもしないのに組合に強制加入させられ、毎月、組合費の給与天引き、チェック・オフされる。組合活動に無関心、沈黙していた私は、組合は組合員の権利を守る砦として開かれた組織であるべきだと考え、職場集会で大きな声で発言するようになった。その後、組合は、突如組合員に説明もなく職場集会を中止した。私は支部委員長にも立候補した。組合、会社を無視して組合役員選挙に自分勝手に立候補することは、職場の「異端者」と見られる。

これまで6回挑戦して選挙に敗れ続けた。しかし、労働者の人権を標榜する企業内組合(連合)のいい加減さ、問題点、矛盾、労使協調の実態など見えたことがたくさんある。意外にも当初は予想を超える30%近い得票だった。組合、会社にとって相当な打撃だったようだ。選挙といっても、企業内組合役員選挙は予め役員を決定し、人事異動同様、会社と組合で当選確実な根回しがなされている。組合活動、労働者の人権に関心のない、沈黙している組合員が突如「自主的に立候補」させられて当選するようになっている。これは労使幹部が思い通りに、経営者にとって有利な労働条件を決定するのに役立つ。

組合幹部が提案した議案・方針は、既に会社側と話し合ったのか、結論となっている。それでも一応、民主主義を建前とした「選挙」によって選ばれた役員が集まって、形骸化した代議員制度の下で10億円以上の予算も満場一致で可決する。組合は、組合員の意見、要望を反映せず、春闘・一時金闘争など労働条件改善を求めて会社側に提出し、妥結すれば組合員に押し付ける。ちなみに彼らはこのようなやり方を「民主主義」と言っている。

表面上、組合員の声を反映すると謳い、職場の民衆である組合員の意見を一応聞くものの、予め決めた方針を採用し、最終的には組合員の意見を無視、排除するやり方である。これを包摂と排除という。

ものを言わない、組合を批判しない、抵抗しない組合員を各職場から委員として事前に決定し結論まで準備する周到な根回しは、行政主導の「市民参加」型の諮問会議・外国人市民代表者会議・タウンミ-ティングなどの委員選出と共通点がある。

批判する人間を排除する組織は、例外なく内部において必ず矛盾・問題がある。足元に存在する自らの生き方が問われる、「複雑で難しい」根本的課題を避け、利潤と効率を優先する。組織幹部は、矛盾・問題があってもそれを隠蔽し、弱い立場の人間を孤立するように追い込む。企業社会も弱者が常に虐げられる不条理な格差社会である。この現象は人権運動体含めて組織が肥大化するほど顕著に現れるようだ。

差別に抵抗して人権を求めることは、孤立に繋がる。孤立しても生き方を模索するしかない。孤立、批判を恐れていたら人権運動はできない。人間は孤立に耐えて鍛えられ人間的に成長するのではないだろうか。

選別と競争の中で日々利潤・効率向上を最優先に、絶えず生産工程に追われ、自分の生活を守る、家族を養う、企業社会で生きる労働者は、「人間らしく生きる」ために声を出せる状況ではない。ましてや「他人事」である民族差別・外国人差別を理解する余裕はない。人権研修が始まると業務から離れて「一時の解放感を味わい休息の時間」となって疲労感から居眠りする労働者もいる。現実と乖離した、眠たくなるような「人権研修」は、反発となり排外主義を強化することになる。

つまり、労働者はものが言えない、言わせない抑圧的な職場環境そのものが(民族)差別をつくっているのではないか、と私は気づいた。民族差別と労働者への抑圧は、表と裏で深く絡んでいる。国籍、民族を克服して企業、地域社会をどのように変革していくのか、私自身の課題である。

また、会社と組合の労使協調という「共生」の下で、おかしいことはおかしいとものが言えない、人間性を否定する職場環境と製品の偽装・不良あるいは人災事故は深く繋がっているのではないか。
新自由主義の下、市場原理に基づいた利潤追求、早期開発、経費・人員削減、効率向上など上からの押し付けは精神的負担となって労働者を追い込む。

矛盾や疑問を感じても沈黙して抵抗せず組織に従い、組織・幹部の指示が全てに優先するという風潮・価値観が企業はじめとするあらゆる組織の癒着・不祥事・事故を起こす原因になっているのではないか。組織、企業の不祥事、事故を防止するためには、会社経営・組織のあり方を根本から捉え直す必要がある。

健全な開かれた会社・組織するためには、属する人たちが「個」として自立し、立場を越えて不正・不義を訴え是正しなければならない。しかし、目に見えない、立ちはだかる厚い壁にぶち当たり、良心の呵責を感じ、悩み、妥協している人も少なくない。人間らしく生きるために最後まで何を失ってはいけないのか自問し、生き方に悩み、日々決断を迫られながら私は静かに働いている。

自らの足元で開かれた社会・組織を求めて具体的な闘いを、他人のためにやるのではなく自分のために孤立してでも地道に続けること、それが人間らしく生きるということであり、新しい歴史を作ることになるのではないかと自分を慰めるしかない。

たとえ失敗や後悔があったとしても、歴史の不条理に立ち向かい、日立闘争のように人権は上から与えられるものではなく勇気を奮い立たせて、自らの存在・生き方を賭けて獲得するものであるという開拓者精神で、胸を張って歩み続けることが大切である。西川長夫教授が言うように「戦後とは植民地であり、私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならない」と改めて強く思う。

民族差別の不当性を訴えた日立闘争というのは、結局は人間が人間として受け入れられる、開かれた組織、地域社会を求める闘いであった。これは私の「続日立闘争」から学んだ一つの成果である。

植民地支配から100年、日立就職差別裁判闘争から40年を迎へて 「続日立闘争」から学んだこと(1)-朴鐘碩

植民地支配から100年、日立就職差別裁判闘争から40年を迎へて 
「続日立闘争」から学んだこと (1)  
朴 鐘碩

朝鮮半島が日本の植民地となった1910年に創業した日立製作所は、久原鉱業所日立鉱山開発を出発点にした。植民地支配は日本の経済基盤となった。日立をはじめ日本企業は国策に沿って経営してきた。戦時中の企業は、労働力不足でも倒産することなく経営は続いた。軍需産業に関係したのか、戦時体制・国民総動員翼賛の下で経営者、労働者は徴兵を免れ生き延びたようだ。

日立製作所は、「戦争の渦のなかで」「1939年時点で約4万6,000人だった従業員は、1945年初めには約11万8,000人にまで拡大した」(開拓者たちの挑戦-日立100年の歩み-2010年6月)。強制連行された多くの朝鮮人が働いていた事実は、一切書かれていない。

「「日立鉱山史」、「日本鉱業株式会社五十年史」によると、日立鉱山は、久原鉱業の後身の日本鉱業株式会社の経営で、多くの鉱山や製錬所をもち、1945年以前には朝鮮の甲山、楽山、検徳や鎮南浦にまで進出していた。1943年現在、ここには、全従業員51,100名中21,800名の同胞(朝鮮人)がいた。また日立鉱山には、1940年2月頃から強制連行されるようになり、第1回は162名「移入」され、年内に500名を予定しており、1942年には1162名が働いていた。」(「朝鮮人強制連行の記録」 朴慶植 1971年 未来社)

戦時下の日本は、朝鮮人、中国人を強制連行し、労働力不足を補った。徴兵し、全国の土木工事現場などで多くの犠牲者が出た。日立労組は、戦後結成されたが植民地支配・戦争責任を問うことはなかった。現在も問うことはない。企業内組合を抱える連合も同じである。

日立製作所と日立労組は、100年間の経営の歴史で植民地支配、日立就職差別闘争に触れることは無かった。仲谷薫労組委員長は「次なる100年への挑戦-次なる飛躍と働きがいのある職場づくりをめざして-」、「労使でこの(経営業績)目標をなにが何でも達成しなければなりません。次の日立の100年の礎を皆さん(組合員)と共に築いていきたい」「ONE HITACHIを合言葉に」と労組機関紙で述べている。新自由主義路線に沿った、経営者の利潤追求論理に便乗している。組合は、労使協調の下で「次なる100年」も労働者にものを言わせない抑圧的な職場環境を維持して会社を支えていくのか。

戦後、1950年の朝鮮戦争、その後のベトナム戦争の軍需景気の恩恵にあずかり、日本経済は復興した。朝鮮戦争は、朝鮮半島を焼き尽くし朝鮮人民衆は覇権国の犠牲になった。北朝鮮、韓国に帰らず日本で生活する朝鮮人は、無権利状態のまま差別、抑圧の中で生きていた。日本社会で本名を名乗って生きることは困難であった。私は、高一の時、TVニュ-スで静岡県・寸又峡で起きた金嬉老の事件を知った。学生たちは、新たな価値観、生き方を求め、社会変革を目指し、ヘルメットを被り角材と火炎瓶で機動隊と衝突していた。

民族組織の視線は、民族を前提に祖国統一・解放を課題として本国に向けられていた。そんな中で多くの青年の悩みは就職であった。朝鮮人は日本企業に就職できない、差別の壁は厚く、生きる道は制限された。選択の余地はなかった。(就職)差別されるのは仕方ないと諦めていた。しかし、組織から外れ、民族を知ることなく同化して生きてきた多くの青年は、新たな生き方を求めて彷徨っていたのではないか。

私は、日本の高校を卒業後、自動車関連会社の末端の小さな工場でプレス工、現場で働きながら新聞の求人を眺めていた。日立製作所の中途採用を知った。履歴書に日本名、本籍欄に現住所を記入し、試験を受けて合格した。「韓国人です」と告げると採用を拒否され、つかの間の喜びは一瞬にして消えた。谷底に落とされた気持ちだった。「こんなことが許されるのか。自分の人生はこんなはずではなかった。このまま引き下がることはできない。何とかしなければならない。」と当時18歳であった私は怒りに燃えた。

現在勤務している横浜・戸塚の日立製作所(ソフトウエア事業部)との交渉が決裂した。横浜駅西口でヘルメットを被ってチラシを配っていたべ平連の学生たちと出会った。みすぼらしい身なりの朝鮮人青年から「日立製作所から就職差別された」と聞いて、学生は驚いたようだ。学生たちは弁護士を探し、横浜地裁に提訴することができた。その後、訴訟の新聞記事を見た、国際基督教大学の学生(ICU)だった崔勝久(チェ・スング)氏は、私が住んでいるアパートを探してきた。最初の出会いだった。植民地から60年、敗戦から25年経過した1970年に日立就職差別裁判(日立闘争)は始まった。

私は、9人姉兄の末っ子として貧困家庭で育った。同化した私に民族はなかった。自分は一体何者か、言葉、歴史を知らず、韓国の名前の読み方さえ知らなかった。生き方を厳しく問われ私は悩んだ。民族、アイデンティティ、主体性、人権、左翼用語など聴き慣れない言葉に圧倒された。私は、集会で日本人を告発し、糾弾した。挫折もしたが、同世代の学生たちは、じっと我慢し私を見守ってくれた。多くの人たちと出会い、生きる糧になった。

私は、本を読むようになった。というより読まなければいけなかった。私が提訴する2ヶ月前、1970年10月、早稲田の学生だった山村(梁)政明氏(25歳)が焼身自殺した。「私は在日朝鮮人として国に生を受けた。在日朝鮮人の存在そのものが歴史の不条理だ。その上、自らの意志によらずとはいえ、自民族と祖国を裏切り、日本籍に帰化したことは苦悩を倍増すること以外の何ものでもない。」と書き残した。遺稿集「いのち燃え尽きるとも」(山村政明 大和書房 1971年)を読んで、事件を知った。

1958年の小松川事件(李珍宇青年)を知った。李青年の減刑嘆願、金嬉老事件公判対策に携わった鈴木道彦教授に出会った。教授は、「越境の時 1960年代と在日」(集英社2007年)を出版された。
李少年は、「中学卒業後、朝鮮人であるために大手の会社から就職を断られ、臨時プレス工として働きながら」、小松川高校定時制に通っていた。「自分が中学卒業のときに、ある大きな会社へ勤めることになったとき、外国人、僕の場合、韓国人だというんで採用されなかったことがあるんです。」と法廷で述べている。「日立製作所と第二精工舎は、李が朝鮮人であることを知ってその国籍ゆえに彼の就職を拒んだのである。」事件から4年後の1962年宮城刑務所で刑が執行された。彼は22歳だった。

民族組織は、「日立就職差別裁判は同化に繋がる」と批判し共闘・支援を拒否した。(後に、崔勝久氏は在日大韓基督教会青年会の代表委員をリコールされた)裁判が進むに従い、日立就職差別闘争は、私ひとりの問題ではなくなり、次第に多くの青年、教師、教会の人たちが関わるようになった。組織、民族から外れた青年たちは生き方を求めて、日立闘争に関わるようになった。朝鮮人子弟の教育、就職に直面している日本人教師たちにとって切実な問題であった。クラス生徒を引率し、自らの生き方の問題として受け止め傍聴に来る教師もいた。

1973年11月、当時東京・丸の内にあった日立製作所本社への糾弾闘争が始まった。日本のマスコミは大々的に報道し始めた。当時、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権の戒厳令下で韓国の主要新聞は、日立本社糾弾の現場を一面トップで報道した。民主化を求める韓国キリスト教学生連盟(KSCF)は、「反日救国闘争を宣言」し、「日立で起こった就職差別など、日本国内での韓国人同胞に対する差別待遇を即時中止せよ」と日本政府と日立製作所を弾劾した。学生たちは、弾圧・逮捕されたが、韓国教会のオモニ(母親)たちが引継ぎ、韓国全土で日立製品不買運動を展開した。それは欧米にまで及んだ。74年6月19日、横浜地裁で勝利判決が出された。私は、3ヶ月後の9月(提訴から4年後) 、22歳で日立製作所に入社した。日立製作所本社糾弾闘争から入社するまで、韓国、日本のマスコミは大々的に、連日のように日立闘争を報道した。

韓国の民主化闘争に日立就職差別裁判が取り上げられたことによって、「日立闘争は同化に繋がる」と批判した民族組織が関心を示すようになった。