2007年9月26日水曜日

川崎市職員組合に問うー朴鐘碩

「共生」を批判する: 川崎市、外国籍公務員への差別規定を改悪ー民団新聞

差別を固定化した運用規程が完成して10年、阿部市政の市、市職労、運動体・三位一体の「共生」イデオロギ-操作が本格化しました。労働条件を阿部市長の独断で勝手に決定することはできませんから、市職労幹部との合意がなされたと思います。差別を固定化させた運用規程の完成に運動体も合意しています。偶然なのか、時、同じくして「共生」を賛美する金侖貞著『多文化共生教育とアイデンティティ』が発行されました。

当初、市職労は「運用規程は差別である」と明言していましたが、その後運動体同様沈黙しました。権力は、人間を統合するためにいろんな手法(アメとムチ)を使います。運用規程とガス抜き外国人市民代表者会議の発足も同じ年でした。この時期に川崎市は23年ぶりに自衛隊員募集、国旗掲揚と次々と国家の右傾化に歩調に合わせた。この職務制限拡大に当事者である22名の外国籍組合員はどう反応するのでしょうか?

「人権、共生」をスローガンにする川崎市の職場で、驚いたことに、組合員が差別されることに組合幹部は合意したのです。組合員の人権が侵害されたら当然組合は、組合員を擁護しなければなりません。また、組合費を強制徴収されている当事者は組合幹部に合意した背景、理由を問い質す権利を持っています。組合幹部が合意する前に、内容について組合員に説明がなされたのか?

(市職で働く後輩たち!このまま沈黙して生きるのも自由です。しかし、人間らしく生きたい、差別のない開かれた職場を求めるのであれば、目を覚まして改めて自分を解体し、勇気と自信を持って立ち上がってください。心より応援しています。自分たちの職場の問題は当事者が主権を行使して解決するしかありません。)

戦争責任・「従軍慰安婦」問題に積極的に取り組む、外国籍組合員と共に働く市職労働者は何を考えて、行動するのでしょうか?本当に外国人労働者と連帯しようとしているのでしょうか? 戦後62年、日立判決から33年経過しても就職差別は続き、採用されても職場で差別され続けています。阿部市長が「外国人は準会員」と発言したように、民間企業の就職差別を是正・指導する行政が率先して労基法を無視しています。これでは差別が助長されることがあっても、(差別解消は人類誕生以来、永遠の課題ですが)差別は決してなくなりません。

外国籍の労働者を「2級市民」として扱い、差別の固定化はより一層深刻な問題となりました。こうした問題を隠蔽し、歴史を歪曲し一方的に「共生」を賛美する『多文化共生教育とアイデンティティ』の発行は意図的です。徹底的に批判されるべきです。以前、慶応の学生が書いた論文もそうですが、川崎の「民衆史」を書いた市民グル-プが書いた日立闘争から地域活動の歴史も酷い内容でした。当事者と会わず、問題点を隠蔽するふれあい館長の一方的な声を取り上げていましたね。

from 朴070915

川崎市、外国籍公務員への差別規定を改悪ー民団新聞

日本で民族系新聞としてはほぼ唯一生き残った新聞が民団新聞です。
(公称10万部?)

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の活動をこの間、10年に
わたってフォローし、タイムリーに報道してくれています。一般の日本の
新聞が川崎市の動向に対して批判的な記事を一切、書かなくなった
現実においては、大変貴重なメディです。

民団新聞 2007年9月12日
川崎市 任用制限を拡大  
182職務を192に  
川崎市総務局人事部人事課は「当然の法理」(公権力の行使)」に
係わるとして「運用規程」で外国籍公務員の任用を制限してきた
182の職務を、新たなに192に増やしていたことが5日、明らか
になった。  
「運用規程」を「差別規程」として同規程そのものの撤廃を求めて
市と長年にわたって交渉してきた地元の市民団体「外国人への
差別を許すな・川崎連絡会議」は、「合理化によって内部部署の
統合が行われてきているというのに、よもや制限する職務が
増えるということは普通、常識ではありえない」と話している。  
川崎市の任用制限182の職務は10年前、市が政令指定都市
としては初めて一般職を原則撤廃した際、「当然の法理」に
基づいて全市職務分析表3509から摘出した。市によれば条例、
規則ではないが、当時の市長自らが決済した「規定」となっている。
外国籍者は一般職に採用されても異動希望の中に182の職務
は選べない。市には現在、韓国籍21、中国籍1人の計22人が
在籍している。



Posted by Picasa

2007年9月24日月曜日

私はどうして「共生」批判をするのかー朴鐘碩(その2)

基地との「共生」を強いられる沖縄と、差別を固定化した川崎市の「運用規程」

沖縄にとって基地問題は、最重要課題です。
本土においても基地は存在しますが、沖縄の比ではありません。
基地との「共生」を強制されている沖縄の人たちが日本人の犠牲になって
いることは、 歴史を見れば明らかです。

私は、98年8月15日新宿で開かれた労働者・市民の集い「岐路に立つ
日本-アジア から問われているもの-新たな戦前のはじまり-」のパネル
ディスカッションで沖縄 市役所で働いている桑江テル子さんにお会いし
ました。「沖縄が、国籍条項(公務員 になるためには日本国籍が必要)
を撤廃したことに対して、もし、時間あれば調べて みてください、どう
いう方式なのか?」と問い、桑江さんは「調べる」と応えてくれました。
その後、集会で何度もお会いし、琉球新報で「労働組合とは何か」を学
んだ桑江さん は、基地撤去・反戦・平和を声を大にして訴えていました。

私は差別を固定化した川崎の「運用規程」の問題を訴え、沖縄の国籍
条項と外国籍 職員採用の実態はどうなっているのか彼女に問いました
が、報告はありません。 知花昌一さんにも問いました。知花さんは
地元で議員として勤める自治体の外国籍 公務員採用の実態を調査し
内容を知らせてくれました。また「基地を抱える沖縄は基地問題を訴え
反戦運動するが外国人の人権問題は全く知らない、というのが実情で
ある。」と述べていました。「連絡会議」作成資料を読んで「素晴らしい
膨大な資料 ですね。戦争反対、平和を訴える沖縄はある意味で人権
感覚がない。」と言っていました。

桑江さんは、自分が勤める沖縄(市役所)は外国籍職員を採用して
いるか?  国籍条項はあるのか?川崎の「運用規程」と繋がっている
のではないか? という私の 疑問に応えてくれませんでした。この問題
に気付いていても正面から見ようとしない のでしょうか?

沖縄は、戦争責任を含めて朝鮮人、アジア、外国人の問題を視野に
入れて基地問題、 平和を訴えているのでしょうか?
反戦・平和に敏感な沖縄の自治体労組(幹部)は、国籍条項で外国人
を排斥(就職差別)し、 川崎方式で同じ組合員である外国籍職員の
職務を制限(人権侵害)していることにどの ような見解を出している
のか? と素朴な疑問を感じています。 沖縄市役所に勤めながら
組合役員を経験し、自治体労働者として反戦平和運動を 訴える
桑江さんは、足元である自治体の排外主義の問題をどのように考えて
いるのか、 私は問いたいのです。

反戦・平和・人権運動する人たちを批判したり、質問するとこれまで
和やかだった関係も 嫌な顔をされ、しだいに無視され、隙間ができる
ことは、職場で「孤立」している私は 何度も経験しています。人間性を
求める人(活動家)を批判・質問すると、真摯に受け 入れることなく
対話・議論を拒否し、無視するという考え方は、どのような「人権思想」
なのでしょうか?

人類の永遠の課題である差別と向き合って、人権を求める主体(個)
はどうあるべきか、 日常生活の現場で平和・人権を訴える当事者の
生き方や価値観が常に問われます。 現実の矛盾と向き合い人間
らしく生きたいと願う弱者、労働者は常に葛藤し、苦しみ から逃れ
たいともがき、生きています。

桑江さんは、自治体労組の役員を経験しています。沖縄の自治体
労組は連合傘下に ありますが、自治体組合は、組合員が自由に
ものが言える、開かれた組織なので しょうか? 組合組織自体に
問題はないのでしょうか?

行政・自治体が、国籍を理由に組合員の権利を侵害(職務制限・
182から192に拡大) したら、組合員の権利を擁護すべき組合は、
本来どう対応すべきなのでしょうか?
沖縄同様、連合に加盟し沈黙している自治体労組・川崎市職労
という組合とはどの ような組合なのでしょうか? 「労働組合とは
何か」を学んだ桑江さんはどのように 考えますか? 桑江さん!
私がどのような問題を提起しているか? 理解するため に関連
資料を読んでいただき、互いに人権思想を深めるために投稿して
くだされば 有難いです。

私は同じ連合に加盟している、組合員にものを言わせない日立
労組の実態
(http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_90.htm)を
見て、沖縄の (自治体)労組の反戦・平和運動だけでなく日本の
(教育労働者を含めた)人権運動に 疑問を感じています。足元で
ある職場、(連合)組合の組織の問題があるのも関わらず、 基地
問題を前面に提起しているということは、自分の立場、存在を維持・
継続したい がためにいちばんしんどい、生き方・価値観が問われる
困難な戦争責任問題を 避けているのではないか、と思います。
これは戦後、表面的な労働運動を標榜する 組合、人権運動体、
知識人に一貫して問われている課題です。沖縄も本土も関係
ありません。

自分の生き方・価値観を問わない運動は、形骸化するだけで、
それこそ川崎のように 「共生」を名目に権力に包摂されるだけです。

沖縄もアジア侵略戦争の加害者であると同時に被害者ですが、
沖縄においても戦争 責任が当然問われるべきではないか、と思い
ます。 「共生」は差別・抑圧を隠蔽するために意図的作り出された
イデオロギーです。 「共生」は「共死」に繋がりかねません。国民国家
のイデオロギーは差別・抑圧を 隠蔽するために「共生」を謳い1,2.3級
市民を作ることで人間を統合します。

「自分の生活さえままならぬ、他人のことを構って居られぬほど追い
つめられて いる」「反戦・平和を訴え、核兵器・米軍基地は世界中
からなくすべきです」という 声は沖縄だけでなく世界共通の現実と
切実なる願いです。

外面的、表面的な問題を訴えるだけでなく、人権運動する当事者
の人間の考え方、 生き方、資質を私は問いたいのです。いくら
一生懸命「人のために、自分のために」 人権運動したところで、
その善意はすべて権力に絡め取られていることは歴史が 証明して
いるし、川崎の実態をみても一目瞭然です。

民族差別・沖縄の問題を個別の問題として視るだけでは、人間が
分断されている 状況において国民国家のイデオロギーという厚い
壁を破ることはできません。 人間が人間らしく生きるためには
多種多様な抵抗・運動のやり方があります。
個別な問題として捉えるのではなく、民族差別、戦争責任、沖縄問題、
ホームレス、 労働者の人権抑圧などの問題は、「共生」思想、新植民
地主義とどこで結びつくのか、 深く議論する必要があります。

国民国家は、「政治権力が民族をシンボルとして操作している。権力
イデオローグは、 目的達成のために民衆を動員する手段として
民族の存亡を揚げて大衆にアピール する。民族が“下から”形成
される反面、“上から”巧みに操作される。あらゆる 国民国家の国民
形成は、つねに多数派民族の少数派民族に対する支配と抑圧を
伴っており、中立的な国民国家はあり得ません。国民形成に際しては
あらゆる差異が 動員されただけでなく、差異と差別が必要とされ、
必要であるがゆえに作りだされて います。日本人の形成のためには、
沖縄人や台湾人や朝鮮人やアイヌ人や 被差別民の存在が必要です。
単一の文化と平均的な国民という幻想は、差別と 差異化の構造に
よって生みだされ、それを産みだした差別と差異化の構造を 覆い隠し
ます。」(西川長夫)

朴鐘碩2007年9月24日

2007年9月21日金曜日

私はどうして「共生」批判をするのかー朴鐘碩(その1)

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」は、差別を制度化した「外国籍職員の任用に関する運用規程」の廃棄と阿部市長の「外国人は準会員」発言の撤回と謝罪を求めて10年(18回)に亘り川崎市と交渉してきました

第10回(2001年5月31日)の交渉に参加した地域のオモニ(母親)から、「自分の子どもが182職務に就こうとして拒否されたら、親の立場になって考えたたことがあるのか」という切実な質問に、人事課長は、「差別されても諦めろ!と説得する。外国人職員が182職務に就きたいと相談を受けても、諦めるように言います。予め一人ずつ呼び出し説明しています。」と繰り返し、参加者全員から「差別発言だ。撤回しろ。入所して間もない弱い立場である若年外国籍職員を一人ずつ呼び出すこと、言いたことも言えない関係の面接は職員への恫喝だ。」など、怒りの声が出ました。会場は緊張感に溢れ、交渉から糾弾にならざるを得ない事態になりました。
厳しい追及を受けた、「人権、共生」をスローガンにしている官僚職員である人事課長はじめ参画室職員の声もしだいに小さくなり聞き取れなくなりました。市職員は、沈黙するだけでした。

川崎市(人事課長)は、「自分の子供が就職差別されたら、差別に抵抗せず諦めなさい。」と説得するそうです。
(私は日立本社糾弾闘争を思い出しました。川崎市は、当時の民族差別を否定した日立製作所の幹部と同じ考え方・体質である、と感じました。日立裁判勝利判決から33年になっても状況は変わっていないということかも知れません。)民間企業の就職差別解消を監督・指導し、人権を推進する行政官僚の、このような考え方、姿勢をどのように考えますか?さらに市は、外国籍職員に制限する職務を182から192に拡大しました。

共生することは悪ではありません。弱者が強者に寄りかかる(寄生する)のではなく、差別する者も、される者も人間として自立する生き方と思想、弱者にとって開かれた組織・社会を目指すのであれば歓迎・支持します。
共生の一般的定義は、互いにあるがままの姿、文化・価値観の違いを認め、人間として共に仲良くすることであると理解しています。しかし、このテ-ゼは,差別される弱者から言えば全く逆です。
あるがままの姿を認めない、人間らしく生きたいという文化的価値観・批判を認めない、共に歩もうとしても誠実・真摯な話し合いもできないのが現実です。

【共生の悪用を批判】
何故、「共生」を批判するか?「共生」の裏に人間を選別し抑圧する「人権」思想があるからです。
行政、企業、組合、運動体などの組織の幹部は、本来あるべき共生を悪用・流用し、巧みに人間を管理・支配しています。共生を悪用するととんでもない副作用(問題点と矛盾)が起こります。抑圧から生まれる人間らしくあるがままに生きたい個の欲求、不条理への抵抗は、当事者の当然の主権です。

【「共生」の名の下で何が行われているか?】
18回の全交渉議事録にその実例と問題点を掲載しています。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/index.htm

「共生」の実態を記録した「連絡会議」作成資料、日立闘争関連資料を以下に挙げておきます。
1.『李仁夏青丘社理事長への公開書簡』
 「共生の街」川崎の問題点を探る-さらなる対話と共闘を求めて-

2.『民族差別』
1970年に始まった日立就職差別裁判、日立製作所本社糾弾闘争、朴鐘碩上申書など完全勝利までの全記録。

3.『日立就職差別裁判』(VTR25分)
日立闘争のスライドをVTR収録。

4.『日立就職差別裁判30周年記念』資料集
1970年に始まった日立就職差別裁判から30年を記念して作成した資料。新たな戦前の様相を帯びたこのような時代に日立闘争の意味を問う貴重な資料である。

5.『日立就職差別裁判30周年記念集会報告集』
2000年6月10日、川崎で開かれた集会内容を纏めた。川崎における人権運動の発端になった日立就職差別闘争に関わった人たちの発言集録。

6.『1・26国籍条項完全撤廃を求めて川崎集会報告集』
政令指定都市、都道府県レベルで初めて川崎市は外国人の公務員への門戸を開いた。しかし、それは行政中枢部の182職務、許認可権ある管理職には就かせない制限付国籍条項撤廃であった。パネルデイスカッションで川崎市の国籍条項撤廃の問題点を明らかにした資料。一般管理職試験受験拒否された都職員の保健婦である鄭香均(チョンヒャンギュン)氏が都知事を訴えた問題と深く繋がっている。主催した実行委員会は「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」を結成した。

7.『国籍条項完全撤廃資料集』
川崎市の国籍条項撤廃宣言(’96年5月13日)は、差別の固定化であるとして、朴鐘碩(パクチョンソク)が高橋清川崎市長、高秀秀信横浜市長、岡崎洋神奈川県知事などに提出した公開質問状、抗議文、各自治体首長からの回答と新聞記事を全て掲載。

8.『NO.2国籍条項完全撤廃資料集』
国籍条項完全撤廃を求めて始まった対市交渉は、市当局が市民に渡した「川崎市外国人市民政策ガイドライン(構成案)」を市民に返却を要求し、国際交流センタ-は「川崎連絡会議」の団体登録拒否問題を引き起こした。交渉の詳細議事録とガイドライン関連資料を掲載。

9.『人権・共生の街」川崎って本当? 』
 川崎市は、国の論理に従い「当然の法理」「公権力」を理由に外国人に職務制限した。「川崎連絡会議」は国籍条項完全撤廃を求めて市当局と交渉している。これまでの交渉記録及び資料を集大成した。

10.『川崎の小さな勝利-国籍条項完全撤廃を求めて-』韓国KBS日本語版50分
韓国KBSは、「人権・共生の街」川崎市を肯定的に撮影しようとしたが、「川崎連絡会議」を取材、対市交渉に参加して問題点を知り、急遽シナリオを変更する事態となった。韓国で深夜放映されたが、視聴率は25%を超えた。

11.『社団法人神奈川人権センタ-を糾弾する資料集朴鐘碩』
朴鐘碩が神奈川人権センタ-高橋孝吉事務局長の差別発言を糾弾した資料集である。人権センタ-に提出した公開質問状、抗議文、当時の日高六郎理事長、渡部英俊副理事長の手紙も掲載。

12.『第1回定例会資料集』(970910)
 「川崎連絡会議」結成後、初めて例会を開いた。川崎市が作った「外国籍職員の任用に関する運用規程」の一部と外国人に制限した182職務を全て掲載。

13.『国籍条項完全撤廃を求めて-鄭香均さんへの高裁判決を考える-』
中井清美氏を招いた講演記録。「当然の法理とは?」「公務員は日本人でなければならない」という「暗黙の前提」は、いつ頃からどのような背景から生まれてきたのか。「当然の法理」は、天皇制と深く繋がっている。人間が普段生活している中にも浸透していることを解りやすく説明した。逆転勝利判決を勝ち取った鄭さんの話も収録。

14.『第4回定例会資料集』(980704)(古関彰一氏)
15.『日本国憲法制定過程から、いまを見る-外国人の人権はいかに排除されていったのか-』(990630古関彰一氏講演録)
 侵略の歴史の反省もなく、犠牲となった在日外国人の人権は、憲法成立過程において排除された。日本政府は、何を狙ってこのような政策を継続しているのか。「当然の法理」と人権の考え方について、古関彰一氏の講演記録である。
16.『外国人への差別を許すな・川崎連絡会議ニュ-スNO.1~20』
「川崎連絡会議」は、対市交渉報告、読者からの投稿などを掲載したニュ-スを発行している。

17.『国籍条項問題とは何か崔勝久(チェスング) 』
 「川崎連絡会議」の国籍条項完全撤廃を求める運動は、地元運動体に波紋を呼んだ。そもそも川崎市はいつから「人権・共生」をスロ-ガンにしたのか。日立闘争以降の地域運動はどのような歴史を経て、行政の資金援助で人権運動が成立するようになったのか。運動する側に問題はなかったのか。国籍条項完全撤廃は、民族差別と闘う市民運動体のあり方、運動する側の一人ひとりの人間としての生き方が問われている。日立闘争から国籍条項完全撤廃に至るまでの歴史過程、意義を纏めた小論。

18.『外国籍職員の任用に関する運用規程-外国籍職員のいきいき人事をめざして-川崎市』
 外国人に182職務制限、決裁権ある管理職に就かせないことを明記した、民族差別を制度化した112頁のマニュアル。川崎市発行。

資料を読めば、最先端を行く川崎市の「共生」は、強者・権力者のイデオロギーであり、弱者を選別し分断する思想であることが理解できると思います。
また、社会が右傾化し、戦前の日帝時代-植民地なき<新>植民地時代-と言われています。何故、国家・行政・企業が「共生」「多分化主義」を謳歌し、組合・運動体が便乗するのか?常に検証する必要があります。
問題点・矛盾・批判を隠蔽する「一方的な共生賛美」ではなく、「連絡会議」の資料を参考に川崎で何が起こっているか?その事実を基に「共生」の意味を多角的に研究し、歴史を歪曲せず、正しく理解し、適切に判断されることを望みます。
向き合って謙虚な姿勢で互いに人間解放に繋がる、前向きな批判、議論をしませんか?
厳しい批判、議論があればこそ新しい道が開かれると思います。多くの方から投稿を期待します。

組織は、民主主義を建前にして「中立・公正な手続きの幻想のもとに、集団の意思決定が行う抑圧をも正当化」する。しかし、「少数者あるいは個の運動は、これとは対極の、直接民主主義と市民的不服従を揚げ」(西川長夫)、新しい歴史を創出します。
朴鐘碩

2007年9月18日火曜日

「共生」批判についてーURLの釈明

URLがanti-kyoseiになったことで「反・共生」と捉えられるという指摘
がありました。

日本語のメインタイトルは「『共生』を批判する」ということで、「反・共生
ではないことを改めて表明いたします。

私たちは「共生」と共生を使い分けています。即ち、上野さんが基調報告
で強調されたように、共生ということばそのものに一定の意味・内容が
こめられているわけではなく、その単語によって何を、どのようにしようと
するのかという動機(思惑)、及びそれを政治的にどのように利用している
のかという実態が問題になります。

共生はもともと生物学の分野で使われていた単語で、たしかに差別の
不当性を求めるときに当事者から発せられる言葉でもあります。
在日する多くの外国人との関係のあり方を模索するときに、その共生と
いう単語が使われ、そこで地道な活動があることをよく知っています。
私たちは、それらのこと全てを「反・共生」ということで否定しているのでは
ありません。

7・15集会の事務局の見解(ブログ内に掲載)、を読んでいただければ
私たちの立場はよく理解されるものと思います。

具体例を挙げましょう。川崎の青丘社理事長の李仁夏氏は、自分たちは
マイノリティの立場で共生の必要性を訴えているので、マジョリティが(
少数者の包摂のために)使っているのとは意味が異なる、ということを
過日強調されていました。

しかしそうでしょうか。少数者が権力者と提携して、少数者の立場を強調し
(「反権力の権力」(李建志『朝鮮近代文学とナショナリズム』)、一定の
既得権を与えてもらったために権力者の問題点を指摘しないというのは、
共生が少数者か多数者のどちらから発されたかということより、差別・
抑圧の固定化であり、自らが「権力者」になっていること に無自覚なので
あろうと推測します。そうでないと、外国人は「準会員」と 言い放つ阿部
市長に、その「口封じ」をしたなどということを放言するはず がありません。

差別・抑圧に対して「共生」という名の下で、一定の飴を与えながら・
その当事者に対する差別・抑圧を固定化するというのは権力にある
ものの常套手段ではありませんか。私たちは、そのことを国民国家の
原理的な問題ではないかと考えています。

少数者の当事者が、自らを差別・抑圧する為政者に対して、その非を
諌めるのでなく、みずからその為政者の作るシステムに参加していく
ことをスローガンにするというのは何ということでしょうか。「要求から
参加へ」とは、差別だなんだといわないで、外国人も政治の枠に入って
行こうという提案です。これは誤りです。参加をして、何をしてきたの
でしょうか、何をしているのでしょうか。この10年で全てが建前であった、
結局は為政者にとって(宣伝の意味で)価値があったということでしょう。
しかしこの外国人市民代表者会議という川崎方式は、東京、横浜から
地方に広がる様子です。そのいずれもがまた、それらが単なる
「ガス抜き」であったことに気つくでしょう。

行政と運動体が一体になって賛美するのが、外国人市民代表者会議の
設立です。決定権もなく、市長への諮問の立場で、それもその参加者の
決定に様々な問題があるのに、どうしてそれをそのほど大きな成果として
報じてきたのでしょうか。上野千鶴子さんの基調講演の最後の「応用問題」
で、川崎の問題点をいくつか指摘されました。彼女はその中で、外国人
市民代表者会議は「行政のパターナリズム(温情主義)」と看破しました。
李先生もそれを認めざるをえなかったようです。

ということで私たちは、共生ではなく、「共生」を批判するのです。


事務局

外国人への差別を許すな・川崎連絡会議

10年間、川崎市の外国人施策、及び首長の基本的な姿勢に対して批判を
して、 20回に及ぶ直接交渉を続けている(公開なので、誰でも参加可能)
市民運度体(代表:望月文雄)である。
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index.html

川崎は全国で最初に外国人への「門戸の開放」を実現して最も先鋭的な
施策を しているということで、有名になっている。しかし実態は、採用した
外国籍公務員に 対して、「運用規程」を作成して、運用の面で、外国人の
働ける場(職務)を制限し、 昇給を制限している。

また阿部市長は、外国人は「準会員」と発言して、正式にその発言を
謝罪・撤回 していない。 この点の問題点を深め、首長への批判を
しているのは今のところ、この団体だけである。

9月になって、川崎市は運用規程を改悪して、182であった職務制限の
数を 192に増やした。合理化を進める中で各部署の内部統合が進めら
れている とすれば、本来はその数が削減されてしかるべきであり、直接
交渉の場では 担当者もそのようなことを暗示していた。これは市長の
運動体に対する「挑戦」 と思わざるをえない。

組合はどのように対応するのか。一応、運用規程に関しては、「連絡会議」
の 指摘に合わせるようにして組合も批判する姿勢を見せてきたが、今回、
この 職務制限数の増加に関して事前に市当局と相談して承諾したのかは
定かでは ない。しかし組合員の職場条件に関しては、首長が勝手に決定
していいのか、 この点では大きな疑問が残る。

しかし歴史的には、そもそも外国人の門戸開放の実現のために、運用規程
を 作成して、採用された外国人は働く場(職務)と昇進に関しては差別が
あっても 仕方がないとして、市長局と一緒に協議してきたのは組合と、
青丘社及び民闘連 といった市民団体であった。しかもそのことが「共生」の
名の下で展開され、 正当化されてきた。 「共生」ということばで何が行われて
いるのか、その実態を 明らかにすべき だと、わたしたちは考えている。

「連絡会議」で出版されている小冊子、市当局との膨大な交渉記録などは、
もっと広く公開され、活用されるべきであろう。


事務局

2007年9月14日金曜日

「共生」を考える研究集会の開催にあたってー事務局の見解

「共生」を考える研究集会の開催にあたってー事務局の見解

 現在、日本の植民地支配によって日本社会で居住するようになった在日朝鮮人をはじめ、いわゆるニューカマーとされる外国人が急増し、日本社会は外国人住民とどのように生きていくのかという課題に直面しています。その課題を解決していく目標として「共生」ということが強調されるようになっていますが、「共生」の社会的背景やその根本的な意味及び「共生」の両義性について、運動と学問の両面から広く討議をしたいというのが、今回の研究集会の目的です。事務局の問題意識と見解を議論の叩き台として提示させていただきます。

(一)「共生」が語られる社会について
 「共生」ということが外国人住民を受け入れる日本社会であるべきであるという観点から強調されるということは、もはや外国人住民なくして日本社会は成り立たず、これまでの日本社会の慣行、あり方を根本的に見直さざるをえなくなってきているということを意味します。そして今やこの「共生」は外国人住民の問題としてだけではなく、自然環境と人間、障害の有無、世代、ジェンダーなどにおける問題解決のあるべき姿として語られるようになり、その単語は発言者の立場のいかんにかかわらず、政界、経済界、教育界、NPOなどの市民の運動体、マスコミなどあらゆる分野において使われています。しかしこの「共生」がもてはやされる事態はそのことによって日本社会の状況がよくなってきているということより、むしろ、「共生」を語らざるをえないほどに、各分野における差別や格差・矛盾の問題が顕在化し、これ以上放置できない深刻な事態になってきていることを意味すると私たちは考えます。

(二)学問と運動の共同作業の必要性
 この度、多くの呼びかけ人によって具体化された「共生」を考える研究集会は、「共生」が語られる社会に危機意識をもち、「共生」とは何なのか、「共生」が強調される社会とはどのような社会なのか、その実態、その背景と思想について学問と運動の両面から検討し、考えようとするものです。学問の世界においては、「共生」「多文化共生」という問題は日本社会の現実を意識しながらも、欧米、カナダ、オーストラリアの分析、検討が主流になっています。
 運動の面では、現実の課題に追われ、その「共生」を語らざるをえない現実の社会的背景の分析・研究に時間を割くよりは現場の実践を最重要課題と考える傾向が強く、必ずしも学問と運動が現実の課題を共同して考える関係になってはいません。しかし新植民地主義といわれるグローバリズムが世界を跋扈し資本と人間が国境を越える時代にあって、今やこの「共生」「多文化共生」というのは世界中が直面している問題です。それは国民国家の本質を見極め、将来に向けて英知を集め克服していかなければならない現実的な課題でもあります。

(三)川崎における「外国人市民」についてーその(1)「運用規程」
 川崎市は地方自治体の中にあって「共生」を正面から打ち出し、外国人施策において最も先取的であると評価されています。ケーススタディとして「共生」の問題を考えるのに最もふさわしい都市であると思われます。実際に、指紋押捺拒否者を国の方針に反して起訴しない処置をとった英断、国籍を理由にして外国人市民の権利を阻害してきた(国民健康保険の適用、市営住宅入居資格、児童手当支給など)いわゆる国籍条項の撤廃、外国人には制限されていた地方公務員採用試験における門戸の開放、外国人市民代表者会議の設立などその施策(注1)は高く評価されています。一方、市民の中では日立闘争以降、地域において「共生」をスローガンにした活動の歴史があります。現在はふれあい館によって川崎市とNPOが協力するという形が定着し、その中で在日とニューカマーの教育問題にとどまらず、国籍を超えて高齢者や障害者の問題が取り組まれるようになってきています。

 川崎市は外国人住民について「かけがえのない一員」(注2)として位置付け「外国人市民」という概念を提示しました。しかし「外国人市民」とは日本国籍をもつ市民とどのように異なるのか、市民とは国民であり、「外国人市民」は住民のことで、住民とは国籍によって差別されない存在なのかということは明確ではありません。ふたつ例をあげてみましょう。ひとつは「外国人市民」の地方公務員就職の問題です。川崎市は10年前、外国人に門戸を開放しました。しかし採用された外国籍公務員は国籍を理由に昇進と職務の制限を受けています。「外国人市民」は差別があってしかるべきということになります。

 川崎市は市職員労働組合と市民運動体と一緒になって外国人の門戸の開放のための方策を考え、日本政府の「当然の法理」(注3)に抵触しないように「外国籍職員の任用に関する運用規程」(以下、「運用規程」)(注4)を作り、その中で「公権力の行使」を独自に解釈することで門戸開放を実現しました。日本政府が国策として持ち続けてきた、外国人を排斥する思想と歴史を具現化した「当然の法理」を地方自治体としてどのように克服するのかということより、むしろ政府との対決を避け、政府の「当然の法理」の方針を遵守した上で政治的決着をつけたといえるでしょう。このことの功罪は地方自治体のあり方、運動体のあり方、思想の問題として今後論議されるでしょう。この問題は外国人を排斥する「当然の法理」の根拠、思想的な背景、及び国民国家における「公権力」とは何か、それを正当化する憲法・象徴天皇の問題についても深く見極めなければならないということを示唆します。

(四)川崎における「外国人市民」についてーその(2)「準会員」発言
 もうひとつ「外国人市民」について考えてみるべきことは、川崎市長の外国人は「準会員」という発言です。阿部市長の当選当時からの発言(注5)で、公の場での発言(注6)もあり多くの民族団体、市民運動体から批判されましたが、私的な発言として処理され幕引きされました。川崎市は「共生」を掲げた外国人施策の集大成として2005年に「川崎市多文化共生社会推進指針」を発表しています。
 しかし「外国人市民」を「かけがいのない一員」としながらも、選挙権の有無にかかわらずいざというときに戦争にいくことのない外国人を「準会員」としたこの発言のもつ意味は、国民国家の本質を突くもので、単なる放言として看過できないものです。国民国家の本質として国民というものはいざというときは国家に命を捧げ他国の人間を殺害しに戦争に行くものだという阿部市長の考え方は、戦争そのものを禁じる憲法が現存する日本社会にあって、単なる抽象論で済ますことのできない重要かつ非常に危険な考え方です。憲法改悪が具体的に検討されはじめ、いざという場合に、地域住民に戦争に協力させることを地方自治体に求めた有事法制が制定されている状況を考えるとき、「外国人市民」を対象に語られてきた「共生」が「人権・共生のまちづくりをめざして」「川崎市人権施策推進指針」の制定によって、川崎市民全体が「共生」の対象になり、「共生」の概念が拡大されてきていることも注目すべきでしょう。

(五)「共生」を訴える側の問題
 一方、外国人住民の人権擁護の立場から「共生」運動を進めるスローガンとして「要求から参加へ」「少数者にいいことは多数者にとっていいこと」が外国人当事者から提示され定着しはじめています。しかしナショナリズムを強化して21世紀に向けた国民国家としてどのように日本社会を再編していくのかということが画策されている大状況にあって、在日を中心として「共生」の旗印の下「要求より参加」を求めるということは、日本社会の変革につながるのか、日本社会への埋没につながり国民国家の再編成に取り込まれることになるのか、広く論議する必要があるでしょう。
 「参加」の要求から実現された外国人市民代表者会議についても、その存在のアピールだけでなく、外国人住民の意見を吸い上げる仕組みになっているのか、少数者である外国人住民のための施策とされたものが日本社会の大きな方向性のなかでどのような位置付けによって実現されてきたものなのか、検証されるべきでありましょう。「外国人市民」のための施策が市の合理化、民営化のためにあるいは、市民の権利擁護より市民の責務として市政参加を求める方向性の中で位置付けられてはいないか、注目する必要があると考えます。
 このように川崎における「共生」の問題を捉え直すとき、「共生」のスローガンの下、外国人住民は「かけがえのない一員」とされながらも、その実態は日本社会における二級市民として位置付けられているのではないか、外国人を差別し、常に弱者を切り捨てることを本質とする国民国家にあって、様々な差別や格差・矛盾を隠蔽するために「共生」という言葉が広まってきたのではないか、という見解があることに私たちは注目をしたいと思います。

(六)上野千鶴子教授への基調報告の依頼
 第一回目の「共生」を考える研究集会の基調報告を上野千鶴子教授にお願いし承諾していただいたことは私たちの大きな喜びです。上野さんは社会科学者としてジェンダー問題の理論構築だけでなく実践においても第一線で活躍されてきた方です。その当事者主権を重要視する視線は、ジェンダー問題だけでなく、障害者や高齢者にまで向けられています。また上野さんは従軍慰安婦の問題に関する発言で、日本人の立場性(責任)をわきまえないという批判を受けてきました。国民国家の原理的な問題を考え現実の問題を直視し具体案を提示する、或いは他者を批判するに際して、その人の属する国家・民族の歴史、社会的な責任をどのように踏まえた上での発言かを問うことは正しいと思われます。しかしその追及が提示された内容を不問に付して個人の倫理性、立場性を問うことにとどまり、内容の深まりと実際の運動の広がりに繋がらないケースが多いということはないでしょうか。私たちの問題意識に応えるかたちで、上野さんご自身の課題を踏まえて、基調報告をしていただけるものと期待します。

(七)最後に
 事務局で検討した見解を読んでいただき、上野千鶴子教授の基調報告、それについてのコメンテータの発言・質問を参考にされて、参加者の方々から自由にご自分の意見、質問を出していただくことを願います。
 「共生」が植民地のない植民地主義とされるグローバリズムのイデオロギーとして国民国家の再編を支えるものであるならば、その本質的な問題に正面から立ち向かうのに、自己批判、相互批判はなくてはならないものでありましょう。私たちはそのような場を保証したいと思います。今回の研究集会が、国籍、民族や所属する場を越え、参加する人一人ひとり自分の意見を述べ、基調報告者だけでなく他の参加者とも十分な意見の交換ができる場になることを期待します。連休中にもかかわらず遠方から来ていただいた皆さんに心からの敬意を表し、歓迎いたします。

2007年7月15日
「共生」を考える研究集会事務局

(注1) 「外国人市民・多文化共生施策」これまでの川崎市の取り組み」参照
http://www.city.kawasaki.jp/25/25zinken/home/gaikoku/shisaku.htm
(注2) 1996年外国人市民代表者会議条例の制定の際に使われた言葉。
(注3) 国家公務員法や地方公務員法には国籍要件についての規定はなされていない。昭和28年に内閣法制局は、「一般にわが国籍の保有がわが国の公務員の就任に必要とされる能力要件である旨の法の明文の規定が存在するわけではないが、公務員に関する当然の法理として、公権力の行使、又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とするものと解すべき」であるとの見解を示している。
(注4) 川崎市は内閣法制局において「当然の法理」として示された「公権力の行使」について独自の解釈・判断を行い、1996年に政令指定都市として全国に先がけて一般事務職採用試験での国籍条項撤廃を発表した。その内容は、
(1)「公権力の行使」については、国は明確な判断基準を示していない。
(2)国会答弁において、「公権力の行使」に関する判断は、地方公共団体の事情に応じ、地方公共団体が行うとしている。
従って「公権力の行使」に関する判断は、本市が自律的に行うことになるが、
このためには、市の実情に応じた明確な判断基準を事前に設定する必要がある
(川崎市の「外国籍職員の任用に関する運用規程」より引用)という判断の下、
「命令・処分等を通じて、対象になる市民の意思にかかわらず権利・自由を制
限することとなる職務」を川崎全体の3509職務から182職務を一律的に
選び出し、この職務に外国籍公務員を就かせず、同じくその職務に関係する管
理職への昇進を制限した。
しかしながら公務員が「市民の意思にかかわらず権利・自由を制限する」こと
が自由に許されるはずはなく、その制限できる範囲はあくまでも法律で定めら
れている。従って公務員はあくまでも法律に基づいて市民の「権利・自由を制
限」することが許されるのであるが、その職務の執行に際して公務員の国籍が
問題になり職務に就くことが制限されるというのは明らかに国籍による差別を
禁じた労働基準法に反している。しかし川崎市側は「当然の法理」は政府見解
として従わなくてはならず、憲法や法律より上位概念だと主張している(「外国
人への差別を許すな・川崎連絡会議」と資料集参照)。
(注5) 月刊「正論」2002年1月号のインタビュー記事
(注6) 2002年2月6日、第15回「地方新時代」市町村シンポジュウム全体会における阿部市長の外国人市民に係る発言

上野千鶴子さんの基調報告をどう捉えるか

7・15「共生」を考える研究会―上野千鶴子さんを迎えて
に参加くださった皆様方へ

暑中お見舞い申し上げます。
毎日、暑い日が続きますが、みなさまはいかがお過ごしですか。

別紙の「お知らせ」にあるように、上野千鶴子さんの基調報告を受けて、「共生」
を考える研究集会実行委員会の拡大事務局会議を開催いたします。
まず、今後の研究集会のあり方を決める前に、前回の上野さんの基調報告の背景、その意味性をしっかりととらえ直し、それをどのように考えればいいのかということを議論する必要があると私たちは判断いたしました。
加藤千香子教授、朴鐘碩、崔勝久3人の発題を予定しています。
8月25日(土)に決定しましたので、「共生」についてもっと深くとらえ直したいと考えていらっしゃる方は是非、御参加いただきたいと願っております。
夏休みのご予定があると思いますが、事前に調整いただければ幸いです。

今回の参議院選挙での自民党の大敗を受け、これまでの一挙に憲法改悪に進む右傾化の動きがちょっと鈍りそうですが、まったく油断はできないと思われます。「共生」の問題は、そもそも国民国家とは何か、外国籍住民が増える中で、
まず当事者である外国人住民はどのような考えで何をしていくのか、その方向性において日本人住民とどのような闘いを組めるのか、ということを視野においたものなので、まずじっくりと「共生」問題を、実践を視野に入れ考えていきたいと思っています。この「当事者主権」が明確でないところで、外国人のために行政として、あるいはNPOとして何かをやるべきだという主張は本質的にパターナリズムによるもので注意を要すると思われます。川崎市の外国人市民代表者会議の本質をパターナリズムと喝破した上野さんの指摘をしっかりと受けとめたいと考えています。

それではまたお目にかかり一緒に討議できることを楽しみにしております。

2007年8月8日

「共生」を考える研究集会実行委員会事務局
川崎市川崎区田島町9-18 田島聖書塾気付
TEL 044-599-1447 FAX 044-599-0609
Eメール:kawarenraku40@hotmail.com

上野千鶴子さんを迎えてー「共生」を考える研究集会

「共生」を考える研究集会―上野千鶴子さんを迎えて

1. 趣旨
「外国人市民」の急増という日本社会の現実において、「共生」「多文化共生」はどのような必然性と問題点をもつのか、外国人施策においては最も先取的とされる川崎の実態をケーススタディとして、学問と運動の両面から検討する。
2. 日程及び会場:7月15日(日)2時―6時、教育文化会館にて開催
3. 研究集会の内容
*TV番組放映ビデオ「川崎の小さな勝利-国籍条項完全撤廃を求めて」(韓国KBSTV制作)
*開会の挨拶  開会の挨拶:李仁夏牧師(社会福祉法人青丘社理事長)
*基調講演  上野千鶴子 東大大学院社会学教授(専攻、社会学)
日本のフェミニズム運動を支える学問的な理論と具体的な実践の提案をしてきた第一人者で、同時に、当事者主権の立場から障害者、高齢者の問題に取り組んできた実績のうえで、「共生」について日本社会の構造分析をふまえて問題提起していただく。
*質疑応答(当日申し込み制にして会場参加者の数を限定し、上野千鶴子教授の基調報告を中心にした、徹底的な論議を深めることを目的にする)
*コメンテーター 伊藤晃(千葉工大教授)、加藤千香子(横浜国立大学教授)、
朴鐘碩(日立闘争当該)

呼びかけ人(順不同)
李仁夏(「社」青丘社理事長)、関田寛雄(青山学院大学名誉教授)、岡崎勝彦(愛知学院大学教授)、鄭香均(東京都職員)、本田哲郎(釜ヶ崎反失業連絡会議共同代表)、小山俊雄(神奈川外キ連事務局)、登家勝也(神奈川外キ連代表)、加藤千香子(横浜国立大学教授)、座覇光子(沖縄民権の会代表)、高橋徹(「労働者コミュニティーセンター・ながの」代表)、伊藤晃(千葉工大教授)、望月文雄(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議代表」、朴鐘碩(日立闘争当該)、西村綾子(相模原市議会議員)、猪俣美恵(川崎市議会議員)、松本普(笹島人権センター代表世話人)、嶋田千恵子(在日外国人の参政権を考える会・福井代表)、東海林勤(高麗博物館理事長)
岸本豊和(千葉沖縄県人会)、千葉秀悦(フェリス女学院理事)

主催:「共生」を考える研究集会実行委員会 
共同代表 伊藤晃、朴鐘碩
事務局  崔 勝久、小山俊雄
連絡先  〒210-0853 川崎市川崎区田島町9-18 
田島聖書塾気付TEL 044-599-1447 、

FAX 044-599-0609
Eメールkawarenraku40@hotmail.com

「共生」を考える研究集会としてブログを立ち上げました

「共生」を考える研究集会としてブログを作りました。

タイトルは、「共生」を考えるで、
アドレスは、anti-kyoseiにしました!
そのものずばりですよね。

メールで送るのに限界を感じており、みんなで自由に討論し、意見の交換を
するには、このブログ形式が一番いいと判断しました。

活発に活用してください。

チェ