2009年4月28日火曜日

西川長夫論文「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」を読んで

連休が始まります。みなさんはどのようにお過ごしですか。

西川長夫名誉教授の退任記念号で、西川さんは
「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」
という論文を発表されました。

御本人はこれまで発表したものに少し付け加えた
だけと謙遜されていますが、私は最後に(もちろん、
これまでの持論であったのでしょうが)、日本の
現状に対する危機意識と、ご自分のこれまでの
研究・考察から得た見解を大胆に表明されたもの
として読みました。

最初は学術論文ということで素人の私でも読めるのかと
心配したのですが、西川さんの論文以外にも、山下英愛さんの
率直すぎるくらい率直に自分の気持ちを記したものもあり、
また孫歌さんが日本や韓国で語られる「東アジア」だけでは
なく、いくつかの視座があることを語っています。
関心のある方は是非、一読下さい。

『言語文化研究』(20巻3号)
立命館大学 国際言語文化研究所
Tel:075-465-8164 genbun@st.ritsumei.ac.jp


崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352

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西川長夫論文「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」を読んで

立命館大学国際言語文化研究所発行『立命館言語研究』(20巻3号)は西川さんの退任記念号として出版されたもので、その中で西川さんは「グローバル化に伴う植民地主義とナショナリズム」を記されています。韓国の漢陽大学での講演とその後の立命館でのシンポジュームを踏まえた上で、西川さんの生涯のテーマである植民地主義についての、現地点での問題意識が反映されていると私は読みました。

ここには西川さんの日本の現実に対する危機意識が読み取れます。拉致問題を中心に戦後最大の反・北朝鮮キャンペーンが繰り広げられており、その直接の被害者として「在日」がいても、「いまジャーナリズムや言論界でこのキャンペーンを批判したり反対する者は一人も見当たらない」と強い口調で記されています(まあ、これは多少オーバーで、官製共生を批判する藤岡恵美子さんは『制裁論を超えて』(新評論、2007)で触れています。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2008/08/blog-post_21.html)。

また最後に、「国家の強制を感じさせない形で進む転向を見据えることは、ひとつの課題である。しかし、これはむつかしい。研究者の胸中に今進んでいる転向を見据える動機がないからである」という鶴見俊輔さんのことばで、西川さんの後に続く研究者への期待を表明されているのでしょう。そして鶴見さんの本の書評の一部を紹介して論文を終えます、「だれもが同調して雪崩をうつ時代は、そう昔ではない。遠い先のことでもないように思える」。ここに戦争時北朝鮮で過ごし、それ以来、研究者として世界の現実を見ながら植民主地主義とは何かを考え続けた碩学の、私たちに向けた「最後の言葉」であるように私には感じられるのです。

「私たちはなぜ植民地主義を対象化して考えることができなかったのか」という反省・考察から、西川さんは、「植民地なき植民地主義」として<新>植民地主義論を展開されました。そこにはグローバル化の深刻な現実を知っていても、誰もそれを植民地主義の名前で呼ばないという、日本の学会・マスコミへの怒りさえ感じられます。ポスト・コロニアリズム論では納得のできないものがあり、敢て、従来の植民地主義論でない、<新>植民地主義論として考察されるべきであるという思いから、西川さんは、退官記念号で立命館の職員として最後の論文を発表されたものと読みました。

「私は従軍慰安婦の問題を含めて、戦争責任や植民地支配の問題は「謝罪」でおわるべきでないと思います。・・・最終的に問われるべきなのは言葉でなく、そうした事態(支配と抑圧、収奪や差別、暴力、等々)をもたらした国家の構造、さらにはそれを含む世界全体の構造であって、もし「謝罪」で終われば、結局はそうした事態を生みだした根底的な構造をそのまま放置温存し、再び同様の事態を招くことになるでしょう。」そのうえ、さらに西川さんは大胆にも、「現在の国家構造すなわち国民国家体制とそれを保障するイデオロギーを維持するという点においては、東アジア諸国は共犯関係にある」とまで書かれています。ここまで書かれるということは西川さんに並々ならぬ決心があったのでしょう。

それは何か、私見では、植民地主義にならざるを得ない、国民国家という社会的な構造が諸悪の根源であるという自分の見解がなかなか共有化されない苛立ちのようなものもありながら、自分の考えを韓国人や中国人の前でしっかりと提示し、それに対する反応を見てみたい、そしてそれを今後の自分の研究に活かしたいという、研究者としての良心というものを感じます。日本人や朝鮮人ということで相手の立場性を問題にし、国民国家の社会構造に切り込めないこれまでの両者のあり方についてももどかしく感じていらっしゃったのかも知れません。

西川さんは、「世界の現状において、(戦争)責任の徹底的な追及は可能でしょうか」「戦争責任が徹底して根底的に問われることはありえません」ということまで記されています。私もそうだと思います。戦争がもたらした現実を直視し、それを担った個人の問題と責任を徹底して洗い直すこと(野田正彰 『戦争と罪責』)は、戦争の被害をださないためにも、戦争を阻止するためにも、そしてそのことが日本ではあまりにもなされていないが故に、必要不可欠な作業だと思います。しかしそれは個人倫理で終わらず、戦争に向かう国民国家の構造、世界の構造を根底的に批判する方向に向かうべきです。私はその方向に向かって歩む責任があるという意味では、「在日」も日本人も完全にイーブンであると考えています。

川崎のフィールドワークに参加された西川さんの旺盛な探究心を目の前にして、私は西川さんがますます植民地主義について考察を深められるものと確信します。その考察を私たちは現実を切り開く支えとさせていただきたいのです。研究を支えてくれる健康が西川先生に与えられんことを祈るばかりです。

2009年4月27日月曜日

名古屋市長に当選した河村たかしさんの公約は面白い!

この夜中の挨拶はなんとすればいいのでしょうか。

寝ようとしていたら南高校跡地の問題で日夜奮闘している渡辺さんからのメールが12時半に入り、名古屋市長になった河村たかしさんの公約の紹介がありました。あまりにおもしろかったので、公約やらユーチューブでの解説を見て書き出すとこの時間になりました。

河村さんは南高校に来て渡辺さんたち一緒に座り込みをしてくれたそうです。


彼のマニフェストは添付資料にしましたので、参照ください。
大胆で庶民から歓迎される公約を掲げているのですが、その中でも最も注目すべきは、「地域委員会」(仮称)の概念です。ここに彼のユーチューブでの説明によれば(http://takashi-kawamura.com/)、4人の委員を公選公募で選び1億円を中学校区(2万人規模)で予算としてとり、決定するということです。


ここに「国籍条項」があるのか未定ですが(確認します)、京都の市長選で出された「区民協議会」よりはさらによく検討されたものであるような気がします。上から決めたことを下に下ろすのでなく、あくまでも下から住民が自分たちで決めるという原則を徹底しています。いずれにしても市長の下に「住民自治検討プロジェクト仮称)」を設置してその「地域委員会」(仮称)の内容を検討するそうです。


川崎では猪俣議員が「準区議会」の提案をされているので、京都案・名古屋案・猪俣案をベースにして5月30日の小原さんとの学習会で、この「分権化」の流れの意味すること、3案の可能性と問題点について検討したいと思います。

崔 勝久

2009年4月26日日曜日

沼尾波子教授を囲んでの学習会の報告

昨日、「川崎市の予算・決算書の読み方について」という主題で3時半から4時間にわたり、
集中して沼尾さんのお話を伺い、質疑応答も途切れなくなされました。この間、私が漠然と地方自治体の財政の問題と感じていたことは、前回の、地方自治たちと国の方針との関係で圧倒的な縛りを受けていること、今回は、決算書などの資料を通して川崎市の財政がどのような状態にあるのか、を知ることになりました。沼尾さんの2回にわたる講義を感謝いたします。

余談ですが、今回は沼尾さんは二次会にも加され、韓国居酒屋で11時まで楽しく意見交換させていただきました。沼尾さん、お疲れさまでした。

お話の内容はブログで望月さんの詳しい報告を掲載いたしました。参照ください。
私は、決算書に出ているのは客観的な数字であるが、市政をどのように評価するのかは様々な立場がありえて、市政の在り方(政策の内容)を決定するには大きくどのような街づくりをするのかという政治に対する理念(哲学)が不可避で、それはバランスシート上の(数字による)他都市との比較だけでは十分でなく、他の物差し(基準)、例えば、市民の政治参加の程度を問題にしていくことが必要と感じました。しかしながら実際に夕張市のような事態も発生しており、地方自治体の在り方を財政との関わりで政策発表することは絶対に必要不可欠ということも沼尾さんのお話から知るところとなりました。

地下鉄建設の件ですが、積立金が110億円にもなっており、それがいつの時代からのものであるかは確認しますが、少なくとも阿部市長はそのお金を持ちながら、毎年その準備室のために5億円以上のお金を使い、国の支援の確認がとれればすぐにでも実行するつもりであることは間違いないと思われます。私見では、次期候補者は、地下鉄建設白紙化を宣言し、積立金110億円を切り崩してミニバス網を作ることと、保育園や老人ホームの建設に使うことを宣言すべきだと考えます。いかがでしょうか。

崔 勝久

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「川崎市の予算・決算書の読み方について」沼尾波子教授と学ぶ
              2009年4月26日   望月 文雄


当日は朝からの雨が振りやまず、外にでるのは鬱陶しい日でした。約束の時間ちょうどに教授の講義が始まりました。


教授は6種類の資料を10部づつ作ってこられました。A4の用紙では3種類総計48枚が両面印刷、B4用紙28枚、これは片面印刷、A3用紙が2種類で4枚、全部両面印刷です。


資料1は「習うより慣れろの市町村財政分析ー基礎からステップアップまで」(大和田一紘著の抜粋)

資料2~4は川崎市財政問題研究会最終報告書を3分冊にしたもの。この研究会は川崎市からの依頼で4人による研究員で沼尾波子教授はその一人とのことでした。

資料5は川崎市歳出比較分析表、市町村財政比較分析表、地方公社・第三セクター等の経営状況及び地方公共団体の財政支援の状況、財政状況一覧表いずれも平成19年度のもの。

資料6は平成19年度決算状況で片面は川崎市のもの、片面は横浜市のもの。


講義は大和田氏の「習うより慣れろの市町村財政分析ー基礎からステップアップまで」抜粋を順次説明するという形で行われました。


自治体の財政は一般に「一般会計」と「特別会計」との2本立てだが、「普通会計」と「公営事業会計」という分類のしかたがある。後者の方は決算統計上の会計区分で地方財政白書で扱われる会計で、公営事業(各種保険や下水道事業など)と公社・第三セクターなどの財政の状況が含まれる「普通会計」で資料6の決算カードと呼ばれる「決算状況」の基になるもの。


地方財政の分析の仕方には「経年的に」と「他の自治体と比較する」という方法で、後者の場合、①「近隣自他体と比較する」場合と②「類似団体で比較する」例えば川崎市は政令指定都市なので、他の政令指定都市グループとの比較という風に。


それには「決算状況」というインターネットで公表されているグラフ=決算カード(資料6)を用いるとよい。このカードはホーマットが決められているので、見方の勉強が必要です。人口・住民基本台帳人口から歳入・歳出は区分・決算額・構成比・経常一般財源等、市町村税の状況、一般職員・特別職員の人数・年間支出が項目別に計上されています。さらに、財政区分や健全化判断比重、さらに、積立金現在高、地方債現在高、債務負担行為額、収益事業収入・土地開発基金現在高などが前年度と併記、記載されています。

注目するべき欄は中央下段の囲みに記載されている、「経常収益比率」でこの数値が100%に近いほど、市町村で自由に使用できる金額が減少します。川崎市の平成19年度の場合、93・5%なので、自由に使用できる金額は残りの6・5%となり、その金額は「経常経費充当一般財源等計、292,178,526千円の6・5%ということになります。


こう分析しますと、川崎市の財政はかなり緊迫していることが分かります。「経常収益比率」が80%位になれば、市独自の仕様目的の開発が可能になるのですが。そのためには歳出のどの部分を少なくするかということが問題になります。それで、歳出比較分析表(資料5)を見ますと、円形図表で川崎市では人件費が100を超えていることが分かります。人件費は歳出の区分で(義務的経費)に含まれていて、経常比率29・5となっています。その内容は決算カードの一般職員等の区分に明細が記載されています。人件費総額は性質別歳出の状況にあります。人件費節減には人減らしという直接的なものと、民営化という方法があるが民営化には問題が出てきて、丸投げ方式では世情の期待に対応が困難で、管理監督を市町村で充実させなければという問題が提起されています。


市独自の施策を少ない財源でどのように開発し、住民の期待に答えるかということは非常に重要ですが、現在川崎市が開発を計画している地下鉄は問題があるのではないでしょうか。市の計画では総工費のうち約2000億円を一般会計から支出とされていますが、中止すればその金額が他の目的のために利用可能なのでしょうか、という質問が参加者から提出されました。一般会計から支出されるといってもその金をどのように調達するかが問題で、それは恐らく地方債発行ということになると思われます。現在準備されている積立金110億円の金額にしても、それがどの時点、企画当初からか、どうかは調べないと分りません、とのことでした。


最後に市民参加の運動に公的資金の導入は比較的に増加しており、今後も増加傾向にあるので、NPO活動の立ち上げなどが有望視できるという話題が進展しました。


講義の内容は市町村財政の状況を理解するにはどういう知識が必要なのかということでは、納得できましたが、問題点の分析と川崎市の財政のあり方については更なる検討が必要と痛感しました。

 以上。

2009年4月22日水曜日

川崎市政を変えよう!!のスローガン提案

昨日、「私の不注意、無神経を恥じる」というメールを送りましたが、
ここで学んだことを今後の運動の中で活かしていきます。

20年以上にわたり川崎の市政のあり方を検証してきた、川崎
市民フォーラムの今井克樹代表に送った書簡を公開します。
今井さんはこれまで市民の立場で権力の横暴、腐敗を許すまじ
という信念で数々の運動の先頭に立って大きな成果を上げられた
方です。10月の市長選にむかって「川崎市政を変えよう!!
市民の会」の呼びかけ人をされています(私もその一人ですが)。

市長選立候補者対してに市民から問いただすスローガンを
つくろうという提案があり、以下の内容を考えてみました。
1.住民の生存権を保障する街つくりを

2.住民参加を保障する政治の仕組みを

3.地下鉄建設より福祉・介護の充実を

4.国籍を問わない、開かれた街つくりを

5.社会的弱者の問題を解決する街つくりを

みなさんのご意見はいかがでしょうか。

崔 勝久

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「川崎市政を変えよう!!市民の会」呼びかけ人の今井さんへ

前略

今日もまたお会いして多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございます。
政令都市の分権化についての今井さんの見識に賛同いたします。

開かれた地域社会というのは、住民が責任をもって地方自治に関わり、自己決定できる社会であろうかと思います。そのような社会の仕組みができるのであれば、それは必ずや、外国籍の住民を含めた社会的弱者が当事者として政治参加できる社会でありましょう。現行の川崎の区民会議は市当局が作り出した制度であり、住民の意向が反映されているとは決して言えないものです。そしてそれは当然のこととして、外国籍の住民を一人も参加させていません。

政令都市の分権化(当面は区単位)とは、地域社会においてあらゆる住民がお互い意見を戦わせる場を保障する仕組みをつくることに他なりません。今日の井上さんのお話から、川崎では、(北部と南部の置かれている歴史的・社会的な違いから)市民イコール住民ではないということを指摘されていました。鋭い分析だと思います。しかし現状では、在日をはじめとした外国籍の住民の政治参加は、いずれに立場においても認められていません。市民レベルでの政治参加は国会での法律改正が必要ですが、住民レベルでの外国人の参加は条例で可能になります。そして政令都市の分権化のありようは、まさに条例で決めることができるのです。分権化に際しては、社会的弱者が当事者として政治参加することを原則とすることが必要だと思います。

私は普段ネットで情報をやり取りしているのでFaxでのご返事が遅れてしまいました。申し訳ございません。市長選に反映させる政策スローガンを提示するということでしたが、これでいかがでしょうか。

1. 住民の生存権を保障する街つくりを
2. 住民参加を保障する政治の仕組みを
3. 地下鉄建設より福祉・介護の充実を
4. 国籍を問わない、開かれた街つくりを
5. 社会的弱者の問題を解決する街つくりを

草々
2009年4月22日
崔 勝久 拝

2009年4月21日火曜日

私の不注意、無神経を恥ます

伊藤さんからまたお叱りを受けました。自分の不注意、無神経を恥ます。

単語がどのような意味をもっているのかを深く考えることなく、ただなんと
なく、伊藤さんのことを知りながら、視聴覚障害というように書いて
しまいました。これは私の単なるミスでなく、自分の思想とそれを表現する
ことの間に、十分な思考がなされていないからだと、思い知らされています。
伊藤さんには何度も注意をしていただき、そうでないと自分では気がつかず、
ずっと同じようなことをしていたでしょう。ありがとうございます。

私は在日朝鮮人として、日本社会の問題を指摘してきましたが、自分が
当事者でないことに関しては大変、無神経で不注意であったことをこの
度、よく知ることができました。反省します。


伊藤>細かいことですみません。
伊藤>私のことを川崎市の職員で視聴覚障害者と紹介されていますが、
伊藤>これでは目と耳の両方に障害のある人、当事者自身いうところの
伊藤>盲聾者の意味になってしまいます。訂正をお願いします。
伊藤>もし公務員で盲聾者を雇用したとしたら、これは大ニュースです。

伊藤さんの指摘を受け、以下のように訂正いたします。

私のブログで、「目から鱗、とはこのこと。「外国人看護師の行方」より

という内容の文書を書いたのですが、それに対して、川崎市の職員で
視覚障害者の伊藤さんから、「目からうろこ」は差別用語ではないですか
という指摘がありました。5通のメールのやりとりをし、伊藤さんから
公開してよいという承諾をえましたので、是非、ご覧ください。
http://anti-kyosei.blogspot.com/


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崔 勝久

「在日特権を許さない市民の会」をめぐる今回の件に思うこと

みなさんへ

「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)の動きは何を意味するのか、について山内さんに送られてきたからメールが私に転送されてきました。

「結論から先に言えば、ヨーロッパのネオナチ運動のように「差別排外主義が市民運動的に展開され始めた」ということではないかと思う。」 なるほど、そういうことか、納得。しかし嫌な流れになってきました。

朴鐘碩の話を聞いて、自分たちの閉塞状況から朴に共鳴する流れの一方、日本の閉塞状況から偏狭なナショナリズムが市民レベルで出始めた、ということのようです。そうなってくると、官制多文化共生であれ、対右翼に対しては、そのことのもつ問題点をしっかりと認識しながら、私たちは「共生」を掲げる人たちと連帯しなければならないようにおもいます。いかがでしょうか。

崔 勝久

2009年4月19日日曜日

市民による”議会改革チャレンジ案”シンポジュームに参加して


4月19日の日曜日、夜6時半から、「市民による“議会改革チャレンジ案”」のシンポジュームに参加しました。講師は、廣瀬克哉さん(法政大学教授)と、岩永ひさかさん(多摩市議会議員)のお二人です。

廣瀬さんからは、議会基本条例が全国的に制定されるようになったきっかけと状況、どうすれば市民と議会のあいだでの対話が可能かということを全国の例を上げ説明されました。岩永さんからは、具体的に多摩市で議員として議会が市民と対話をするためにどのようなことをしてきたのかという、経験を話されました。

全国的に議会基本条例が作られているが、「アクセサリー条例」、即ち、条例化のための条例作りという、条例を作り既成事実化することを優先しているという指摘がありました。これは自治基本条例も同じことであるが、廣瀬さんの見解では、それでも一旦条例化されるとそれを武器にして市民運動を展開できる可能性もあるということでした。

情報公開ということでは、川崎市議会は、議会基本条例の作成にあたって非公開で、市民の意向を聞こうとも、一緒になって制定しようともしていない実態であり、早晩「アクセサリー条例」として市民の手から離れたところで制定しようと画策しているようです。市民はそれに対してなんら打つ手がなく、ただ黙って市議会が進めることを見守るしかない状況のようです。

注目すべきは、私たちがこの間主張してきた区民協議会という、行政単位を小さくして住民が中心となった地方自治の仕組みをつくるべきだということが、猪俣議員と主催者の吉井さんの手によって「準区議会」の設立というかたちで提案されたことです。これは大変重要なことで、ここで市民レベルで具体案を作成して来るべき市長選に備えるべきです。

廣瀬さんは、東京都23区の分権化の動向を紹介しながら、100万人を超える川崎のような政令都市が基礎自治体として運営されていけるのかという観点から、(行政単位を小さくして)区の分権化を進め市の予算をとり、正当な意思決定機関にする必要があるのではないか、市全体の政策のことは従来通り、市議会で検討・決定すればいいということを話されました。

そんなことをすれば今ある市議会の屋上屋を重ねることになるので(余計な経費もかかり、スリムにするという構造改革の趣旨に反するという趣旨で)問題、住民との対話は今の市会議員がもっとまじめにこまめにやれば済む、という意見も耳にしました。

私は、最後に発言の時間をもらい、ここで言われている「住民」に外国人は含まれているのか、国民=市民=住民という従来の日本の外国人を排除してきた地方自治の在り方から抜け出し、外国人を地方自治の当事者として受け入れることを明確にしているのか、ということを話しました。斎藤純一さんが一貫して著書で主張している、日本国民でない者をも受け入れる「民主的な公共性」という概念は、問題意識ある市民運動家の中でも広く行き渡っていないなと感じました。そういう意味では斎藤さんは勇気ある発言をし続けているということになります。

廣瀬さんは、外国人の参政権が優先されるべきだと集会後、私との立ち話で話されていましたが、今検討されている参政権は、外国人の被選挙権がなく、北朝鮮を排除することを前提にしており、これではとても「民主的な公共性」には程遠いと言わざるをえません。

私はそうでなく、日本の地方自治において、形式的には完備されている議会制民主主義が形骸化され、住民が疎外されている状況をどのように克服していけるのかということを考えると、川崎のような政令都市では、住民の実質的な政治参加が保障される、より小さな行政区で決定権までもつ仕組みを国会決議でなく条例で決定することが、まさに日本人自身にとって必要であることが明らかになってきたと思うのです。

そしてそのような住民自治のあるべき姿が具体化されるとき、そこに外国人住民が排除されることはあってはいけない、ということを明記し論議をするべきだと考えます。猪俣・吉井案にはそのことが触れられていませんでした。それは昨年の京都の市長選で公約としてだされた「区民協議会」案に、国籍条項はないということが一切触れられていなかったことと重なるように思えます。

差別用語ではないですかーその5

さて、目からうろこについて。

聖書について不勉強なので参考になるコメントありがとうございます。この言葉に限らず、もともとは差別意識がなくても、時代が下って差別的になってしまう危険性があると思います。ですので、活動している人はこれにも気をつけて文章を書きたいものです。私自身の反省もこめて。

ただ、私も言葉にとらわれて実態を考えないことには問題を感じており、言葉尻をとらえてごちゃごちゃいうつもりはありません。今回のことでは、すでに差別語についても関心をお持ちで人生の先輩である崔さんから「目からうろこ」という発言がありびっくりしただけです。個人的には言葉の問題はよほどのことがない限り問題にする気はありません。

言葉はどのような意図で使われるかが問題だと思います。盲人という言葉についても、当事者が自らの立場なり状況を明確にする意味で好んで使う場合もありますし(日本盲人会連合という団体がある)、視覚障害を自分とは別の人種のように排外的に見る立場から盲人といえば差別になります。盲人図書館というのは、設立当初は、点字だけでなく録音んなど広くサービスする施設として銘銘されたようですが、最近差別語ではないかという指摘があり、名称をなんとかしたいという話題が出ています。ただ適切なものが思いつかず保留になっています。

組合で全国障害労働者連絡会というのがありますが、害の字をひらがなにするかどうか議論されました。しかし、そんなことにエネルギーを使うより実際の問題を解決することが先、ということでそのままにしました。川崎の市職労新聞は「がい」としていますが、当事者が話し合う障害労働者交流会運営準備会では、言葉のことについてはとらわれず、実際の問題解決にとりくむことにしています。

ある意味差別語の問題は当事者の方がさめているのかもしれません。差別語に秘められた心のバリアを考えていかなければならないのでしょうね。

伊藤

差別用語ではないですかーその4

伊藤さんへ


>目からうろこが落ちるというのは、知らなかったことに気がつくということで
>すよね。 目が見えないから知らない、目にうろこがかかっていて、それが
>落ちて見えるようになったイコール知ったということになると思います。
>私も本で読んだかだれかの発言でなるほどと思ったのですが。
>ということは視覚障害がなにも知らないことの例えに使われているのです。

なるほど、伊藤さんの指摘されたことはよくわかりました。聖書では使徒行伝(9:18)ではこのような使われ方をいています。「サウロの回心」という有名なくだりです。突然の天からの光で目が見えなくなったサウロが「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」というのです。

参考までにと思い、グーグルで「差別用語、目からうろこ」で検索しました。ほとんどが、知らなかったことを知ったという意味で、「差別用語」に関する話でも「目からうろこ」という言葉が使われています。そのうちのいくつかは、差別用語と認識しているものがありました。

①目からうろこが剥がれ落ちて、見えなかったものが見える。感動する。視覚障害者はうろこがはがれ落ちても見えない世界には変わりない。それって「感動できない」ということか。
②「目から鱗が落ちる」もコンタクトレンズを着用している人に対する差別、というのもありました。

うろこをコンタクトレンズととらえるのは、パウロ(サウロ)という世紀40年ごろの人のことを記したものですから、これは無理がありますね。

しかし使徒行伝を書いた医師であるルカは、瞳の白濁によって目が見えなくなっていた当時の人をよく知っており(砂漠地帯ですからそのような人は多くいたのでしょう)、その白濁部分をうろこと表現して、そのうろこが落ちて(白濁がなくなって)目が見えるようになったと表現したことに、私はルカが視覚障害者に対する差別意識があったとは思いません。文字通り、目が見えなくなったのが、見えるようになったということを言い表したかったのでしょう。

しかし伊藤さんが指摘するように、時代が下り、「目から鱗が落ちる」という言葉が、知らなかったことが突然わかるようになったとか、感動したという意味で使われだすと、確かに、「目にうろこがかかっていて」視覚障害者は「目が見えないから知らない」という、視覚障害者への差別を前提にした表現になるという指摘はあたっていると思います。

「目からうろこ」を差別用語と断定し、その用語を禁止することは賛成できませんがその言葉が視聴障害をもつ当事者がどのように感じるのか、よくわかりました。「目からうろこ」という安易な表現は今後、しないようにします。御指摘、ありがとうございました。

日立闘争のとき、当時の「在日」の高校生が「馬鹿でもチョンでも」は差別用語だとして「糾弾」闘争をしたことがありました。この「チョン」がチョーセン人(朝鮮人)であると、ある大手企業は認め謝罪をしたのですが、昨年、私は友人から「チョンボ」という言葉を書き「差別用語」と注意されたことがあります。しかし調べてみると、チョンボは麻雀用語で、「漢字では錯和、または、狆和、または沖和と表記される」(Wikipediaより)ことがわかりました。「反応が恐ろしいので自主規制をするというのは、一番非文学的と思います」(辻井喬)とありますが、無意識に使う言葉がどのように人を傷つけるのかということは、肝に銘じたいと思います。

韓国語では、日本語に訳すととてもひどい差別用語になるのですが、それが親しみをこめた表現として使われているものもあり、差別用語はすべて抹殺するのがいいのかは、もっと議論をすべきでしょうね。いずれにしても「当事者主権」を一番の要として思考し、表現の仕方も安易に慣例に従わないようにしたいと思います。


昨年、お会いした伊藤さんの仲間はみなさん、お元気ですか、よろしくお伝えください。私の「共生」批判をしっかりと理解してくれたのは、伊藤さんたちの仲間でした。そのことで私はどれほど勇気つけられたかわかりません。阿部三選阻止に向けて一緒にやりましょう。次回、お会いできるのを楽しみにしております。

それはそうと、私たちの『日本における多文化共生ー在日の経験から』の点字作業は終わったのでしょうか、全国の図書館でも読まれればいいですね。

崔 勝久

目から鱗、とは差別用語ではないですかーその3

伊藤です。

お返事ありがとうございます。

さて、差別問題で話題になっていないのですね。障害者差別の本には書かれていたと思うのですが。
目からうろこが落ちるというのは、知らなかったことに気がつくということですよね。 目が見えないから知らない、目にうろこがかかっていて、それが落ちて見えるようになったイコール知ったということになると思います。私も本で読んだかだれかの発言でなるほどと思ったのですが。ということは視覚障害がなにも知らないことの例えに使われているのです。

御不明な点がございましたらまたメールください。

目から鱗、とは差別用語ではないですかーその2

伊藤さんへ


お久しぶりです。お元気ですか。

そうですか、教えてください、当事者の感性が最も重要です。
私は以下のように理解していました。

この話の由来は聖書の使徒行伝にあるパウロにあるようで、「常識」
として使っていました。「常識」だからだといって差別用語でない
とは言えません。

伊藤さん、この「慣例句」がこれまで差別用語として問題になった
ことがあるのであれば、教えていただけますか。また伊藤さんはこの
「慣例句」がどうして差別語だと思ったのか、お知らせください。

私は開き直るつもりは全くなく、Iさんの当事者としての見解を
広く伝えたいと思います。聖書ではこれまで「差別用語」を検証して
書き換えが行われてきましたが、この言葉が問題になったことは
ありません。よろしくお願いします。

Iさん、私が阿部三選阻止のために動いていることは聞いて
いらっしゃると思います。市長選はおそらく10月だと思われます。
Iさんたちの仲間とも協力して何としても阿部を阻止しましょう。


>あることをきっかけとして急にものごとの真相や本質がわかる
>ようになるになること。
広辞苑

>新約聖書の「使徒行伝」9章18節に出てくる、サウロの目から、
>うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった話に由来。

崔 勝久

目から鱗、とは差別用語ではないですか?

伊藤です。

いつも情報ありがとうございます。
さて、いただいたメールの件名ですが、視覚障害者への差別を含んだ表現だと思いますがいかがでしょうか。 4月17日

2009年4月17日金曜日

目から鱗、とはこのこと。「外国人看護師の行方」より





「外国人看護師の行方」という上野千鶴子さんの記事を読みました(2009年3月23日 信濃毎日新聞 「月曜評論」より)。伊藤るりさんの論文「再生産労働の国際移転で問われる日本のジェンダー・バイアス」(都市問題 第100巻第3号、2009年3月号)を読んだあとであったので、送りこむ側・受け入れ側のジェンダー・バイアスの問題があることを考えていた矢先でした。伊藤さんは、「国籍と性別を問わず、介護労働者の人権が等しく保障されるために」ということで、3点あげ、その最後の「日本国内に包括的な人権保障の実現を図る機関を設置することが重要になる」という提案をしています。

上野さんは、外国人看護師候補は4年間の滞在で3回、介護士は1回の受験チャンスしかなく、その間離職も転職もできず、合格しないと送り返されるという決まりの中で、目から鱗の提案うをしていました。それは、試験問題のすべてにルビをふるというアイデアでした。

海外からの看護師に関しては、石原都知事は、鄭香均の裁判闘争のときに、いくら優秀でも外国人は管理職にさせないと断言していました(「当然の法理」http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html)。海外から看護師が日本で働くことによって、日本人の看護師の賃金が下がるかもしれないとか、同じ賃金を外国人看護師に払うのは不当という議論はありました。しかし私はルビをつけるという発想には至らず、上野さんの提案に、あっと驚いた次第です。

この提案から私の脳裏をよぎったのは、「「慰安婦」問題へのもうひとつの視座を探って」(鄭柚鎮 インパッション167号)という論文でした。これまでの「慰安婦」問題の視点を批判的に捉え、「慰安婦」自身の立場に徹底的に立つことの重要性を指摘してました。運動を志す者はどうしても、運動論とか、民族的な立場とか(日本人、韓国人に拘わらず)を重視してきたきらいがあったように思います。しかし上野さんのアイデアは単純で、彼女たちに最も必要なものは何かということからでてきたものと思います。

鄭香均の友人たちはインドネシアから来た看護師候補に日本語を教える活動をすると聞いたことがあり、私は賛同していました。私の友人はフィリピンでボランティア活動をしています。しかし音訓の二通りの読み方がある漢字は、日本語を学ぶものにとっては限りなくむつかしいはずです。

以上のことは、多くの外国人労働者が日本に多く住むようになるというのは、<新>植民地主義にあっては不可避であり(西川長夫『グローバリゼーションと植民地主義』(人文書籍)と横浜国大での講演録参照。
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_167.htm)、そういう社会にあって、全ての住民が国籍に拘わらず、生活とお互いの「意見」を言い合う場がどのよう保障されるのか、という齋藤純一さんの「民主的な公共性」のテーマに結びつきます(6月6日に斎藤さんの学習会があります。そしてそれは地方自治の仕組みとしてどのように可能なのかということで、5月26日小原隆治さんの学習会で学びます)。

政府にこの信濃毎日の記事が届き、是非とも、ルビをふるという決断をしてもらいたいものです。闘いとはこのように徹底的に当事者の立場に立ち当事者を尊重する視点をもち、「敵」さえ巻き込むような、柔軟なものでありたいですね。みなさん、いかがでしょうか。



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崔 勝久
SK Choi

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携帯:090-4067-9352

2009年4月16日木曜日

民団新聞:いま考える「日立闘争」 横浜国大 朴鐘碩さん講師に


いま考える「日立闘争」 朴鐘碩さん講師に 2009-04-15


横浜国大で講義する朴鐘碩さん
 【神奈川】横浜国立大学で9日から始まった教養教育科目の授業の一つ「貧困・差別・抑圧の歴史と現在」の第1回に70年代初頭の日立就職差別闘争の当事者、朴鐘碩さん(横浜市戸塚区の日立製作所ソフトウエア事業部勤務)がゲスト講師として招かれ、当時の記録ビデオも上映された。1年生を中心に300人以上が大教室を埋め、立ち見が出るほどだった。

 授業は日本の敗戦後の貧困・差別・抑圧を「今を生きる私たちの足下の問題」としてとらえ、マイノリティーの位置・観点から考えるのが目的。この授業は教育人間科学部国際共生社会課程の加藤千香子教授が担当して昨年から始まった。好評だったことから今年も趣向を変え、全15回構成で別々の教師が担当するオムニバス形式の授業が組まれた。

 朴さんは、社員がパソコンに向かって黙々とノルマをこなすことだけを求められている社内事情や、外国籍者を職務・昇進で制限している川崎市役所での実態などについて解説した。学生たちは講義というよりも、将来は自らが直面する問題であることを感じ取っていた。

 講義を受けたある学生は、「授業前は人種差別の話かと、どこか他人事のように感じていました。ところが、朴さんの話を聞いて、自分自身の問題であることがよくわかりました。どうして君たちは自分の権利、自由を手に入れるために闘わないのかと言われているかのようでした。『日立闘争』の現在における意味とは行動することなのだと思います」と語った。

 また、一橋大学大学院から聴講に来た山内明美さん(博士課程)は「私たちは努力すればいつか道が切り開けると教えられてきたが、現実には裏切られていく感覚を味わっています。朴さんが40年前から現在に至るまで抱え続けてきた問題が、私自身の問題でもあったことに思い至るのです」と話していた。

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「日立闘争」とは
 通称名で日立のソフトウエア戸塚工場の入社試験に応募し、合格した在日2世の朴鐘碩さんは、入社直前に韓国人であることを理由に採用を拒否された。朴さんは多くの支援者に囲まれ、「国籍が韓国という理由での入社拒否は不当」と日立を相手取って訴訟を起こした。提訴から4年後の74年、大方の予想を裏切って勝訴した。いまに続く国籍を理由とする民族差別撤廃闘争の先駆となった事件。

(2009.4.15 民団新聞)

「在特会」って知っています? 「利敵行為」について

みなさんへ

「在特会」というのは、「在日特権を許さない会」のことです。3か月で1000名の会員になったということです。日本の現実を是非、直視ください。
http://www.zaitokukai.com/modules/bluesbb/
やはりこのような日本人の血の純潔を信じ、朝鮮人排斥を訴える集団が存在し主張し始めているのですね。

彼らの主張は問題意識のある人の耳には入らないと思いつつ、伊藤成彦さんのエッセーにあるように、北朝鮮との関係でマスコミと日本政府が「狂乱」を演じたことを知ると、これからどうなるかわからないなという
恐怖感のようなものがじわっと身に迫りますね。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2009/04/blog-post_13.html

藤原恵美子さんの「植民地主義の克服と「多文化共生」論」『制裁論を超えてー朝鮮半島と日本の<平和>を紡ぐ』(中野憲志編、新評論 2007)という論文をおもいだします。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2008/08/blog-post_21.html

彼女は「官製共生批判」の集会を主催した人物で、その時の講師の徳島大学の樋口さんと懇談したとき、樋口さんは「利敵行為」という話をされ、彼が昔川崎の調査に関わったときに市の職員に感じたパターナリズムに厭気がさしたが、「利敵行為」になることを恐れてそのことには触れなかったという話でした。2008年の9月のブログをごらんください、いくつか寄稿があります。
(http://anti-kyosei.blogspot.com/2008/09/blog-post_1813.html)

樋口さんが「在特会」のことを知っていたとは思いませんが、「門戸の開放」には右翼が外宣車が来たとのことでしたから、これからの闘いはいろんなファクターを考え、複合的な戦略を練る必要があるように思います。これまでは、私たちはいわゆる正論を掲げ、「共生」の問題点の指摘とその問題がもつ意味を考えてきました。それはそれで必要であり、正しかったと思いますが、それにとどまらず、問題の所在を深く捉え、いろんな立場の人たちとのつながりを強めて広範囲な運動を展開したいと思います。

その第一歩は、「戦争に行かない外国人は、準会員」と言い放った阿部現市長の三選を阻止することです。右翼との闘いが始まります。違いではなく、共通点を求めて実際的な運動を展開をしたいものです。



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崔 勝久
SK Choi

2009年4月15日水曜日

注目! 阿部市長の外国人市民に関わる過去の発言

みなさんへ

阿部現市長が初当選したときに、月刊「正論」2002年1月号で「戦争に行かない外国人は『準会員』」と発言したことはひろく行き渡るようになりましたが、このたび、新たな発言内容を再発見しました。「正論」よりもっと露骨に、語られています。阿部市長の思想をしっかりと再確認したいと思います。

崔 勝久

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阿部市長の外国人市民に係る発言(<市民参加についての議論の中で>)
(於2002年2月6日、第15回「地方新時代」市町村シンポジュウム全体会

司会)
「もう一つ、参加の問題を考えるときはですね、誰が参加するのか、特に最近は外国人のですね、国籍がない方でも住民で住んでらっしゃる、そういう人をどう扱うのかという問題がでていると思うんですけども、川崎はだいぶ進んで全国に先駆けていろいろなことをやっていますが、つまり住民とは何かというこういうカテゴリーに関わる話しですけども、その辺は阿部さんはどんなお考えでしょうか」

阿部市長)
「あの、あの、基本的にね、外国人、地方自治制度では、市民、住民というのは、国籍は関係ないわけですからね、だから、まちづくりなんかについては参加してもらってやっている。川崎市では外国人の市民会議をつくってね、そこでの意見を参考にして、それ政策に取り入れるということをやっているんですが、しかし、それは議会じゃありませんから、正式な決定権限があるわけじゃなくて、あくまでも参考意見ということになるわけですよね

 あとね、参政権の問題は非常に難しいと思うんですよ。私は、やっぱり今の地方自治体が、国の仕事、国全体、国というのは、極端にいうと戦争をするための単位ですからね、だから国のね、国の権限を地方自治体が行使している間はね、やっぱり国の立場を尊重しなければいけないと思っているんですよ。でね、全く分権、地方自治が自分たちの地域を自分たちで決定できるような状態になっていればね、なっていれば、外国人であろうと、日本人であろうと、関係なく同じく参政権があっていいと思うんですが。自分たちがそれでいいといえばね。だから、地方自治体ごとに分権が進めば地方自治体ごとに判断できるようにすればいいんであって、ただ会員と準会員は違うということ、これはやっぱりきちんと区別しておかないといけないと思っています。正会員と準会員は違うということですよ。どんな会合でも。」
(民闘連ニュースより、http://www008.upp.so-net.ne.jp/mintouren/topc10.htm)

2009年4月13日月曜日

伊藤さんへの質問とご回答

(1)崔からの手紙ーその1(4月12日)
休日はいかがお過ごしですか。昨日添付で送っていただいたエッセーに関する私の感想です。勿論、伊藤さんの書かれたエッセーには原稿の枚数制限があったでしょうから、そのエッセーだけをとりあげるのは問題であると理解しております。
もし伊藤さんの原稿を私たちのブログに掲載し、MLで送付することを承諾いただけるのでしたら、私の意見・質問も併せて公開させていただきます。私は伊藤さんを老師と仰ぎ、対話を通して事柄をより深く思考したいと願っているのであり、その点に関する誤解のないようにお願いする次第です。

1.日本政府とメディアの北朝鮮に対する昨今の対応はまさに「狂態」であり「過激反応」であるという点、日本政府の対米従属の姿勢、「朝鮮に対する植民地主義の完全な清算なしには、東アジアにおける日本の未来は開けない」というご指摘には賛同します。

2.伊藤さんの論理は、そもそも「安保理決議1718」は不当だという前提であり、 仮にそれを持ち出すとしても、人工衛星は安保理決議に反するという主張は拡大解釈であるというものです。従って人工衛星であったのかミサイルなのかという判断は重要になってきます。日米と北朝鮮は今回の実験がミサイルであったのか、人工衛星であったのかについては異なった主張をしていますが、伊藤さんはどのような根拠で人工衛星であったとされるのでしょうか。例えばこの間、南北朝鮮はテロに関して全く反対の見解を展開してきました。どちらの主張が正しいと判断するのかについては、その根拠が必要と思われます。

3.伊藤さんのエッセーには北朝鮮の拉致事件のことが触れられていませんが、それはどういう理由によるのでしょうか。私自身は金時鐘氏の主張のように、過去の朝鮮の苦難と引き換えにするような論議は避けるべきだと思いますが、拉致事件はそんな過去のことにまったく触れないで、日本の責任を完全に無視していることに違和感を抱いています。しかし今回の「狂態」の背景には日本人の拉致事件に対する反発があるのであり、その日本人の感情を無視することはできないと思います。

4.伊藤さんの日本政府批判の中に、在日の団体(総連)に対する日本政府のとった政策の問題の指摘が欠けています。また、一般の日本人の彼らに対するバッシングには触れられていません。多くの日本人はそれらを仕方のないものと考えているようです(むしろ、当然だと)。この点はどのようにお考えでしょうか。

崔 勝久

(2)伊藤さんからのご返事(4月13日)崔 勝久 様

 お手紙拝見しました。
「休日はいかがお過ごしですか」というお尋ねですが、私には休日も平日もなく、休日の方が忙しいようです。

 さて、お尋ねにお答えします。

 1. まず「伊藤さんは どのような根拠で人工衛星であったとされるのでしょうか」というお尋ねです。それは北朝鮮政府がすでに1月頃から「人工衛星を打ち上げる」と公表してきたのですから、私はそれを信じますし、日本をはじめ他の国々も、それを素直に信じなければ友好関係は築けない、と思っているからです。

 2. 「伊藤さんのエッセーには北朝鮮の拉致事件のことが触れられていませんが、
それはどういう理由によるのでしょうか」。
 もし日本政府が、「拉致事件」が未解決だから人工衛星の打ち上げに反対だと言うのでしたら、「拉致事件」について正面から書く必要がありますが、そうではないので、「拉致事件」については他の機会にも書いてきていますので、限られたスペースで中途半端に書くことはかえって誤解を生む恐れもありますので、ここでは触れないことにしたのです。 

 3.「伊藤さんの日本政府批判の中に、在日の団体(総連)に対する日本政府の
とった政策の問題の指摘が欠けています。また、一般の日本人の彼らに対する
バッシングには触れられていません」
 この問題についても紙幅が限られていたので、正面からは取り上げていませんが、最後に「日本の植民地主義の未清算」ということを書いたのは、それらの問題全部を含ませてのことです。ここで私が「日本政府」と書かずに「日本の」と書いたのは、麻生政府だけでなく日本人の大部分がいまなお植民地主義を清算していないと考えているからです。

 私のエッセイが「マスコミ市民」に掲載されるのは、5月に入ってからですが、あなたのブログに掲載しても雑誌の売れ行きが減る恐れは100%ないでしょうから、ブログ掲載は構いません。

 伊藤 成彦


(3)崔からの手紙ーその2(4月13日)伊藤 成彦さんへ

そうですか、忙しく活動されているのは何よりですね。了解です、ありがとうございます、ブログとMLで掲載させていただきます。
伊藤さんのご意見はわかりました。言及されていないのは原稿枚数の問題であることは重々、理解しております。

北朝鮮は私の故郷で父の出身地です。しかし私は北朝鮮政府の発表をすべてそのまま信じるということはありません。いや、北朝鮮と限定すれば誤解がうまれそうですね。私は基本的に、北朝鮮であれ、韓国、アメリカ、日本どこでも為政者の発表をそのまま信じることはありません、絶えず、裏に何があるのか、どのような思惑か、自分なりに情報を集め、判断するようにしています。

人工衛星かミサイルか、この点に関して伊藤さんは北朝鮮(当局)が発表したのだからそのまま信じる、信じなければならないというお考えのようですが、その点に関しては私は賛成できません。今回に関して言えば、ロシアは初めは人工衛星成功と言っていましたが、すぐに撤回していますね。最終的に、中国もロシアも今回の件に関しては、人工衛星であるという北朝鮮の主張を支持しませんでした。

10月にある川崎の市長選では全力をあげて阿部三選を阻止をしたいと考え、共産党とも市民運動グループとも協力しあいながら、違いよりも共通点を求めて闘いたいと思っています。ご経験豊富な伊藤さんのご指導、ご協力を心からお願いする次第です。

伊藤さんのますますのご活躍を祈ります。お身体にはくれぐれもお大事に。

崔 勝久

伊藤成彦さんの論文「北朝鮮の人工衛星発射をめぐる政府・マスコミの狂態」

みなさんへ

4月11日(土曜日)に神奈川憲法アカデミア主催の講演会で、「憲法と天皇制」について中村政則さんの講演を聴きました。象徴天皇の始まりの背景から、今後の天皇家の存続の可能性、日本の対米従属の問題性など大変示唆に富むお話でした。

その講演会の二次会で伊藤成彦さんに久しぶりにお目にかかり、伊藤さんから名刺代わりの論文を送っていただきましたので、伊藤さんに承諾していただいて私たちのブログに掲載しMLで送付させていただきます。

なお、論文に対する私の意見・質問と伊藤さんのご返事もあわせて掲載いたします。

80歳を過ぎてますます社会のあるべき姿を求めて活発に活動されている伊藤成彦さんには心からの敬意を表し、御活躍をお祈りいたします。

なお伊藤成彦さんをご存じない人は、フリー百科事典ウィキぺディアをごらんください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%88%90%E5%BD%A6

崔 勝久

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北朝鮮の人工衛星発射をめぐる政府・マスコミの狂態
        植民地主義の清算なしには東アジアの未来は開けない
                           伊藤 成彦

  1
 朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略記)は、“二〇〇九年四月四日から八日までの間に東海衛星発射場から試験通信衛星《光明星2号》を運搬ロケット《銀河2号》で打ち上げる”という事前通告通り、四月五日午前十一時三十分に「運搬ロケット《銀河2号》」を打ち上げた。北朝鮮政府は、二〇〇六年にも試験通信衛星を搭載した運搬ロケットを打ち上げたが、国際社会のルールに沿った事前連絡を怠って強い批判を浴びたことから、『朝鮮中央通信』の三月十二日付報道によれば、今回は「宇宙物体登録条約」など二つの国際宇宙条約に加盟し、国際海事機関(IMO,本部ロンドン)と国際民間航空機関(ICAO、本部モントリオール)に航空機と船舶の航行安全のためのルールに沿った事前連絡を行った。

 北朝鮮政府はこのように、人工衛星用運搬ロケットの発射に先立って、国際社会のルールに沿った事前準備を行っていたと認められるが、それにも関わらず、日本政府とNHKを始めとするメディアの反応は「狂態」と言う外はない程に、常軌を逸したものであった。日本政府とメディアが、三月初めから「過剰反応」を示していたためか、ブリュッセルに本部を置く国際機関「国際危機グル-プ」(ICG、議長=エバンズ元豪州外相)は三月三一日付で、「必要なことは、北朝鮮を対話に戻すための冷静でよく調整された対応だ」と、過剰反応の自制を求める報告書を発表した(『しんぶん赤旗』四月三日号)。しかし、このような国際的な憂慮にもかかわらず、ロケット発射の予告期日が近づくにつれて、日本政府とメディアの反応は「過剰反応」の域を越えて「過激反応」となり、四月四日には、北朝鮮のロケットの発射以前に、日本政府がロケットの発射を内外に連絡するという「騒乱状態」に達した。


  2
 私はこれまで、「日本政府とメディアの過剰反応」と両者を一括してきたが、もとよりこのような「騒乱状態」の震源地は麻生内閣であった。麻生内閣は北朝鮮政府が公式に発表した「試験通信衛星を運搬するロケット」という言葉を無視して、「人工衛星打ち上げを名目にした弾道ミサイル発射」という偏見に満ちた用語を勝手に作って使用し、「ミサイル発射」に対して、地上に陸上自衛隊とパトリオット・ミサイルを、海には海上自衛隊のイージス艦を並べて迎撃する、と豪語した。そしてメディアが、日本政府のこれらの言葉を無批判にそのまま、或いは時には増幅して伝えたために、明日にでも日朝戦争が始まるかのようなキナ臭く、騒然とした雰囲気が日本列島を覆ったのだった。

 そうした折に、広島平和研究所の浅井基文所長は、『毎日新聞』に毎月担当している「新聞時評」欄に、「《北朝鮮の人工衛星》批判社説に疑問」と題して、次のようなメディア批評を寄稿した。
 「私は、全国紙の社説に関心を持っている。特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公正 性、中立性が高いと見られている。したがって、読者にとっては物事の判断の指標とし て受け止められる確率が格段に大きいと思う。それだけに社説を書く側の責任は重いは ずだ。したがって、2月27日付の本紙社説《人工衛星でも容認できない》及び翌日付の 朝日社説《北朝鮮ミサイル「ロケット」は通らない》には唖然とした。両社説には北朝 鮮に対する嫌悪感があふれ、北朝鮮パッシングの雰囲気が支配する国民感情への迎合を感じる。

  この問題を論じる出発点は、いわゆる『宇宙条約』により、宇宙の平和利用は《すべ ての国がいかなる種類の差別もなく・・自由に探査し及び利用することができる》(第1条)権利であることを認識することである。日本を含めて多くの国がその権利に基づき宇宙利用を行っている。北朝鮮もその権利を行使できることは自明だ。

 《弾道ミサイルも衛星ロケットも基本的には同じ技術によって飛ぶ》(毎日)、《誘導装置を備えたロケットがミサイルに他ならない》(朝日)というなら、平和憲法を持つ日本が宇宙利用すること自体も許されないはずだ。

  両社説は、国連安保理決議1718が、北朝鮮に対して《弾道ミサイル計画に関連す るすべての活動》を停止することを求めていることを根拠に、人工衛星打ち上げもミサ イル計画に関連があり、この決議に違反すると主張する。つまり両社説は安保理決議が あるから北朝鮮は宇宙条約上の権利は行使できない、と言いたいのだろう。しかし、訪 中した中曾根外相が北朝鮮の発射は安保理決議違反だとの立場を伝えたのに対し、《中 国側は賛同しなかった模様》(2日付本紙)という。《中国とロシアが最近、北朝鮮が人工衛星を打ち上げた場合、制裁は困難だとの立場を韓国政府に伝えた》(4日付長崎新聞による共同電)ともいう。

  当たり前だ。《弾道ミサイル計画に関連するすべての活動》という文言が宇宙利用の 条約上の権利をも奪いあげる、と読むことにはどう見ても無理がある。そもそも安保理 がすべての国家に認められている条約上の権利の行使まで禁じる権限があるとは思えない」

 浅井氏の文章はまだ続くが、浅井氏の指摘の核心部分は伝えられたと思うので、ここで引用を終わる。実際、浅井氏のこの指摘が、政府にもメディアの幹部にも理解されていれば、現状のような狂騒状態は生じない。


  3
 問題の核心は、浅井氏が指摘する通り、「宇宙条約」(月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約、一九六七年十月十日発効)と「安保理決議一七一八」(北朝鮮制裁決議)の読み方だ。先ず、「宇宙条約」第一条は次のように規定している。

 「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。
  月その他の天体を含む宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ国際法に従って、自由に探査し及び利用することができるものとし、また天体のすべての地域への立ち入りは自由である(以下略)」

 「宇宙条約」の内容はこのように明快で、北朝鮮が宇宙空間の探査及び利用を「いかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ国際法に従って、自由に」行う権利を持っていることは明白だ。

 「安保理決議一七一八」は、その冒頭に「核・化学・生物兵器ならびにその運搬手段の拡散は、国際の平和と安全への脅威となることを再確認し」と述べられていることからも分かるように、北朝鮮が二〇〇六年七月に行った人工衛星運搬ロケットの打ち上げ実験と十月に行った核実験への制裁として行われた決議で、その第七項で、「北朝鮮がその他のすべての大量破壊兵器及び弾道ミサイルを完全かつ検証可能で後戻りできない形で放棄することを決定する」と規定している。但し、この決議が行われたのは、ブッシュ大統領が北朝鮮を「ならず者国家」「悪の枢軸」と呼んで核兵器による先制攻撃で威嚇し、しかも二〇〇三年三月二十日に実際にイラクに侵攻したのを見た北朝鮮が自衛のために核兵器の製造に着手し、初の核実験を発表した時で、極めて高圧的な決議文だ。

しかし、この決議は大量破壊兵器と運搬手段としての弾道ミサイルを対象としたもので、人工衛星やロケットという言葉は一言もない。米日政府は、今回同様に、北朝鮮政府の発表を無視して、発射されたのは弾道ミサイルだと決めつけたからだ。しかし、北朝鮮政府は今回は人工衛星ロケットの打ち上げを国際機関に事前通告した上で行ったので、その結果の成否に関わりなく、決議一七一八を適用することは、決議の拡大解釈であって適切ではない。

 しかも、膨大な核兵器と弾道ミサイルを貯蔵する安保理事会の大国や、米国の「核とミサイルの傘の下」にいる日本が、貧しい小国の北朝鮮にこのような決議文を突きつけること自体が不公正で、「大小各国の同権」の原則に立つ国連の基本精神に反している。


4
 最後に一言付け加えておくと、私は二〇〇三年春に、「《ブッシュの眼鏡》を掛けた北朝鮮報道を排す--日朝関係の正常化のために」(拙著『9.11事件以後の世界と日本』御茶の水書房に収録) という文章を書いた。それは二〇〇二年九月に当時の小泉首相が日朝平壌宣言に署名して帰国すると、ブッシュ政権が平壌宣言を無効にするために激しい北朝鮮攻撃を行い、それに日本政府とマスコミが便乗した状態を批判したものだった。今、ブッシュ一党は既に退いたが、今回の麻生政府の狂態とオバマ政権の右往左往を見ると、ブッシュは退いたが「ブッシュの眼鏡」はまだ残っていることが分かった。

ちなみに『ワシントン・ポスト』はオバマ政権の対北朝鮮政策について、「ブッシュ前政権の政策とあまり変わっていない」「支離滅裂だ」と批判したということだが(『毎日新聞』四月八日)、私も同感だ。ブッシュの眼鏡を掛けている者たちを、眼鏡と一緒にアジア冷戦記念館の蝋人形室に送り込まないと、諸民族の友好とアジアの平和を創り出すことは出来ないことを、今回の人工衛星ロケットをめぐる日米政府の狂態は教えている。しかも日本政府は、北朝鮮に対しては、過去の植民地支配の清算を一切行わず、過去の清算による日朝国交正常化のために、二〇〇二年九月に当時の小泉首相が調印した日朝ピョンヤン宣言を、調印者の小泉氏を含めて無視し続けている。その日本政府が、過去の植民地支配に対する清算もせずに、北朝鮮叩きに血道をあげて国連安保理事国に制裁を働きかけるとは、恥知らずにも程がある。日本の朝鮮に対する植民地主義の完全な清算なしには、東アジアにおける日本の未来は開けないことを銘記しておくべきだ。

(「マスコミ市民」と題する月刊雑誌の5月号に掲載されます。)

2009年4月10日金曜日

朴鐘碩さん講義の感想ー山内明美


みなさんへ

一橋大学博士課程の山内さんが昨日の、朴鐘碩の横浜国大での講義に参加して、その感想文を送ってくれました。彼女は西川長夫さんの横国での講義・川崎フィールドワークに参加して、それ以来、ずっと川崎における私たちの情報発信に応えようとしてくれている若き研究者です。

日立闘争以降の私たちの求めてきたことが今の時代の閉塞状況に置いて、なんらかの突破口になりうるのか、私は若い日本人女性にボールを投げかけ、跳ね返ってくる反応から自分を見つめ直し、新たな挑戦を続けたいと願っています。

御多忙なところ、感想文を送っていただき、山内さん、ありがとうございました。

崔 勝久
(写真提供 民団新聞 朴光春記者)
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[朴鐘碩さん講義の感想]   山内明美

今年入学した大学生は、平成(1989年)生まれだそうです。私は、もっとずっと年をとっていますが、それでも「高度経済成長」という言葉を社会科の教科書で知識として学んだ世代です。私たちは、道路や都市の社会的なインフラが整い、経済成長の進度が鈍化しはじめた時期に物心がつきました。そういう若い世代にとって、「繁栄」という言葉はどこか夢物語のようにも響きます。終戦の焼け野原のように、何も無いという状況ではない、かといって「戦後」の経済成長やバブルの時代ように「未来が明るい」という感覚も持てない。このことは、きっと、私たちの親やもう少し上の世代との、ある断絶を強いるのかもしれないと思っていました。もっとも、このような「断絶」はいつの時代にも、どこにでもありうるものです。

しかし、それでも私たちは「努力すればいつか道が切り開ける」という進歩主義的な物語を親や教師から与えられつづけてきました。にもかかわからず、現実の社会では格差がどんどん広がって、かつて教わった物語が裏切られていく感覚を味わっています。このことは、現在進行形で起きている、世界的恐慌でさらに強度が増しています。

朴鐘碩さんの70年代の日立闘争のお話を聴きました。それぞれに場面は異なるけれども、朴さんが40年前から現在にいたるまで抱え続けてきた問題が、私自身の問題でもあったことに思いいたるのです。そして、400人を超える満杯状態の教室で、熱心に耳を傾けていた学生も、それぞれに驚くほどシンクロしていたと思います。

社会構造の中に組み込まれた「個」の限界を、朴さんは社会構造それ自体に異議申し立てをすることで、変革を求めた。それは、個人の努力で達成できるというものでは、到底ないのだということに気がつくのです。

朴さんの日立闘争は、あのビデオに描かれた70年代を経て、いまもずっと続いています。朴さんが今回の講義で強調されていたことは、「在日」という国籍の違いに対する抑圧状況のみならず、自分の言葉を発することを抑圧されている「日本人」社会の連鎖が止めどなくつながっているということでした。
40年前のビデオから躍り出てきたように話し始めた朴さんと川崎をめぐる「その後」の話は、「民族」という限定的な枠組みから脱して、自分の生活する地域を基盤に考えるという方向に変化してきているようです。

朴鐘碩の横浜国大での話し





みなさんへ

4月9日、横浜国大で「貧困・差別・抑圧の歴史と現在」という講座がはじまりました。14名の講師によるオムニバス講座形式です。「授業のねらい・目的」として以下のことが記されていました。

<貧困・差別・抑圧が、過去のことでも他所の世界のことでもなく、まさに現在のわれわれの問題であることに目を向け、現在における問題や歴史的背景を知り解決の途を考察することを目的とする>

第一回目は加藤千香子教授が「戦後日本の「貧困・差別・抑圧」と抵抗―
マイノリティの位置から―」のテーマで、「私たちの足元にある問題としての「貧困・差別・抑圧」」と「当事者」性にポイントをおく、戦後の在日朝鮮人のおかれた位置をふまえて、日本社会のパラダイム転換となった「日立闘争」について話をされました。
  
日立闘争のスライド上映があり、朴鐘碩から日立の社内の様子、組合は社員(一般組合員)と協議しながら物事を決めるのでなく、一定の選ばれた役員が会社経営陣と協議して決定しているということ、マスコミで発表された会社の不祥事などもその問題点を社員が話し合うことは全くないこと、ただ黙々と与えられたノルマに向かってPCに向かい合い仕事をこなすことを求められている、という彼の会社に対する感想が述べられました。

また川崎市の「当然の法理」の実態、「門戸の開放」といわれていても実際は「当然の法理」によって、職務・昇進が制限されており、市職員はそのことの問題を自由に話すこともない、という実態についての解説もあり、それは川崎市や日立だけの問題でなく、他の地方自治体、大企業、マスコミ・教育界においても同じだとおもって社会にでたほうがいい、という彼独特のエールがありました。

300名近い参加者は、大学の授業を聴くというより、自分に関係することとして朴鐘碩の話に耳を傾けていたという印象を強くもちました。学生の次のような言葉が印象に残りました。

<朴さんの話を聞いて、差別・抑圧は思った以上に酷いと思った。それから30年ほど経って法律や企業のルールが整備され少なくなったといえるが、いまだに根絶されたわけではない。これから大事なのは、企業などの大きな組織に間違ったことは間違いだと言える勇気を持つことだと思う。>

<「貧困・差別・抑圧の歴史と現在」という講義名をみて、やはり人種差別かとどこか他人事のように感じていました。ところが朴さんの話を聴くと自分の認識は甘く、「当事者」という言葉の本当の意味がなんとなく見えてきました。どこか過去のことと感じていた「貧困」「差別」「抑圧」という言葉も見方をかえれば、まさに自分にもかかわってくる。「パラダイムの転換」を起こした日立闘争の現在における意味は、行動することだと思います。>

<朴さんたちが闘った事実を絶対に忘れてはいけないし、伝えていかなければいけないと思います。最初、朴さんが企業内に自由がないという話をした時にはなんで差別の話のはずがこのような話になるのか、と不思議に思ったけれど、映像を見て、「どうして君達は自分の権利、自由を手に入れるために闘わないのか」と言われているように感じました。>



大学関係者の方は、日立のスライドと朴個人の話をセットにして学生と話し合われる場をつくってみることをお勧めいたします。学生の関心事は完全に前とは違ってきています。しかし彼らの大部分は、朴鐘碩が黒板に書いた「当然の法理」という単語も、その概念も知りませんでした(学者の中にも知らない人が多いので仕方がないといえばそれまでですが)。過去の歴史だけでなく、日本は実際にどのような国で、外国人にどのように対応してきたのかという事実をしっかりと伝える必要を痛感しました。

朴の話を聴く学生の態度は、「在日」に対して何か差別されている大変な人ということでなく、緊迫した大変な状況に生きる自分たちの問題として考えてみたいという真剣なものであったことを報告いたします。



崔 勝久

SK Choi

2009年4月9日木曜日

こんな本屋がありました


この写真は今日、横浜、戸塚の大手書店で見つけた本の紹介パネルです。
(写真提供  朴鐘碩)

著者は戸塚区在住
以前、「沖縄は基地と共生してほしい」と発言して、顰蹙を買った防衛庁長官
がいました。 マイノリティの差別・対立を乗り越えるために出てきた「共生」
という 概念は、いまや 差別・対立の厳しい現実を見えなくする、体制に同化
すると いう文脈で使われるように なったのです。
本書は、70年代に日立就職差別闘争を起こして勝利し、現在も川崎市を
中心に、 生活の場で変質という状況のなかで、今一度、民族差別との闘い
の 経験をふまえて、 「多文化共生」とは何か、いかにして可能かを、問い
直した ものです。
そして、そのような「当事者の闘いに」に、上野千鶴子がフェミニストの立場
から 熱烈に応援します。
現場にいける「共生」の強制を実感する人には他人事ではなく、自分も
「当事者」 であることを認識されることでしょう。


いやいや、このようなパネルを出す本屋さんがあるのですね。拍手!
大学関係者や職場で闘うひとには、今一度、この本をテクストとして購入
して いただければと願います。 崔 勝久

2009年4月6日月曜日

追加「講演」のお知らせー川崎市の財政について

みなさんへ

4月4日、沼尾さんから「地方自治体の財政」について講演をしていただきました。普通であればおそらく3回分のお話を、約2時間で、お話いただきました。国の財政状態と方針がどのように地方自治体の財政に影響を与えているのか、大変、詳しい説明でした。

参加者のみなさんは、そうか、それほど国の方針が地方自治体の財政に影響するのか(足かせになっているのか)、よく理解されたと思います。沼尾さんには厚かましいお願いであったのですが、それでは川崎の財政はどのようになっているのか、公にされた予算案などの資料から何が読み取れるのか、追加の「講演」をお願いして解説していただくことになりました。いい、悪いではなく、「客観的・学問的」なお話を伺います。

国の方針があっても、それがすべてでなく、地方自治体の財政状態の上で独自の政策をだすことは可能だという御説明で、正直、ちょっと安心した次第です。

沼尾さんには大変お忙しいところ、特別に時間をとっていただき、感謝です。
参加を希望される方は事前に連絡をお願いいたします。

学習会の内容:川崎市の予算・決算の読み方

・日時:4月25日(土) 午後15時30分(時間厳守)
・場所:日本キリスト教団 川崎教会(JR川崎駅 徒歩10分)

http://local.yaho・o.co.jp/detail/spot/4db38d1c288dae0cfcb2a6aff818e3d7/

・講師の紹介
沼尾 波子さん(川崎市の税財政懇談会委員)
日本大学経済学部教授。
慶応大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。
慶応大学経済学部助手、(財)東京都政調査会研究員を
経て、2008年より現職。専門は財政学・地方財政論。
著書(共著)に『公私分担と公共政策』(日本経済評論社、2008年)、『苦悩する農山村の財政学』(公人社、
2008年)、『ケアを支えるしくみ』(岩波書店、2008年)、
『希望の社会保障改革』(旬報社、2008年)


主催 住民参加の市政をつくる川崎市民の会

次回学習会御案内
●5月30日(土) 小原隆治(成蹊大学教授) 
 住民参加の地方自治についてー具体的な変革の可能性
●6月6日(土)  斎藤純一(早稲田大学教授)
 民主的な公共性に向けてー開かれた地域社会の可能性

2009年4月5日日曜日

雑誌『世界』(2008年12月号)論文の事実誤認について

みなさんへ

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」のHP掲示板から
引用します(http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html)。

昨年の12月、雑誌『世界』に寄稿された東洋大学の金泰泳氏の論文に
対して、鐘碩が上記掲示板で事実関係の過ちを指摘したところ、金氏
からの回答があり、氏の承諾の下でHP掲示板に掲載されました。
今後、氏との対話が生産的なかたちで展開されることを確信します。

崔 勝久

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『世界』(岩波書店)2008年12月 
誰のための多文化共生か
「高槻マイノリティ教育権訴訟」が問いかけるもの 金泰泳


私からの問いかけ(No.230 - 2008/12/22(Mon))に金泰泳東洋大学准教授から丁寧なご返事をいただきました。ご多忙の中、対応していただいた金准教授に感謝申し上げます。これを機会に様々な視点から「多文化共生」を議論し、批判を真摯に受け止め、一致できることは共に歩み、自らの生き方を問いながら開かれた組織・(地域)社会を開拓していきたいと思います。

朴鐘碩
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はじめまして。金泰泳でございます。
ご連絡をいただき誠にありがとうございます。
また、ご返事が遅れて申しわけございません。
まず、『世界』の拙稿につきまして、崔勝久さん、朴鐘碩さんはじめ川崎市で地域活動をしてこられた方々に「いぶかしさ」を感じさせるような記述をしたことをお詫びするしだいでございます。

本来であれば川崎市で地域活動をしてこられた方々に直接にお会いし、お話をうかがった上で、記述をしなければならなかったところを、高槻の方からのお話のみで記述をしたことを申しわけなく思うしだいでございます。

やや弁解がましい言い方になりますが、実は当初は川崎市のことにはふれる予定ではなく、高槻市のことだけを記述しておりました。しかし『世界』の編集者の方から、高槻の取り組みの他の地域への影響もふくめてほしい、という要望があり、川崎市のことを記述することとなりました。また、原稿の締め切りの時間のなさのため、川崎市の方々に直接うかがうことなくまとめることになってしまいました。たいへん申しわけございませんでした。

崔さんにおっしゃっていただいているように、今後、共通点を接点としながら、何かご一緒にできることがあれば幸いに存じます。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

金泰泳