2009年2月9日月曜日

伊藤るり教授の「「多文化共生」と人権ー日本の脈絡から」論文に思うこと


みなさんへ

上野さんから「学術の動向」(日本学術会議、2009・1)を送っていただきました。 「公正な社会を求めてーグローバル化する世界の中で」を特集しています。 一橋大学の伊藤るり教授が「「多文化共生」と人権ー日本の文脈から」を、 上野さんが「社会的公正とジェンダー」を発表されています。


上野さんはまたその論文の中で、「再分配の範囲と市民権問題とを 結びつけて考えた時に、居住と所得の発生する場で、国籍を問わず、 すべての人が再分配の対象になるという考え方はできないだろうか」 という興味ある提案をし、具体的に介護保険のことを取り上げています。 私の提案する「区民協議会」とも通底する考え方だと思いますが、 いかがでしょうか。

伊藤るりさんの論文は「多文化共生」の思想、実践を時代的に取り上げながら、 世界の動向をも視野に入れ、日比国際児の集団確認訴訟問題を取り上げて ます。日比国際児への差別はその根に、婚外子差別があることを指摘し、 また「多文化共生」の「共生」がこれまでのように国民国家を単位とした エスニックな文化(民族的少数者の文化)ではとらえられなくなるという 興味ある提起をしています。この点は大いに賛同できます。

しかしこの論点が、これまでの「地域を基盤とする運動」とは異なり、 「直接ナショナルな水準でのシティズンシップを問う運動」という 問題意識から取り上げられている点が気になります。例えば、 裁判を起こした児童を支えたのは学校の友人であり、その地域の 人ではなかったでしょうか。また伊藤るりさんのこの「直接ナショナル な水準でのシティズンシップを問う運動」の強調は、「ナショナルな 水準での包括的人権政策」につながります。この主張には私は 大変懐疑的です。伊藤るりさんご自身も山脇さんたちが2001年の 段階でだした「社会統合」の政策の中で、「民族差別禁止法」の制定 や人権救済機関の設置が実現されなかったことに触れています。

どうして実現されなかったのかその総括、分析なくして同じ水準の提案されていることに納得できません。私はこの問題の根は深く、 日本の植民地支配の総括ができていないことに関連すると見ています。 従軍慰安婦、強制労働の補償がなされないことと同根です。

「おわりに」のところで伊藤るりさんは御自身の報告も「方法論的 ナショナリズム」の「認識枠組」にあることを認めていますが、 まさに「公正を実現すべき単位をどこに設定するのか」というこの「報告で言及されなかった」ことが論議されるべきです。

しかしこの論議には実は現実の地域での「多文化共生」の実態の研究が必要です。「「共生」という思想には、在日韓国・朝鮮人による差別撤廃闘争、民族としての尊厳と人権保障を要求する運動を源とする重要な系譜がある」と伊藤るりさんは書いていますが、 これは一面的な理解です。行政が在日の要望に応じながらどのような解決策を具体化してきたのか、その政策の根に何があるのかという点は全く考察されていません。この点を疎かにしたのでは、せっかくの伊藤るりさんの提案も空論に終わる可能性があります。

上野さんが「ネオリべと多文化共生の親和性」について伊藤るりさんに質問されていますが、この質問の意味を伊藤さんは十分に理解されたのでしょうか。私たちの「日本における多文化共生とは何かー在日の経験から」(新曜社)が参考文献に乗っていなかったことが残念です。 伊藤るりさんの問題意識と私たちが「共生」批判を展開してきたこととはどこかでつながるように思います。さらに問題点が深められ、活発な論議がおこることを願います。

崔 勝久

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