2010年4月10日土曜日

地域主権? 覚悟はあるのですか(石弘光氏 朝日新聞 4月10日)

地域主権? 覚悟はあるのですか(石弘光氏 朝日新聞 4月10日)

元一橋大学長で、ながく政府の諮問委員会に関わってきた石弘光氏が「異議あり」というコラムで取り上げられています。

彼は、民主党がいう「地域主権」には懐疑的で、本当に霞が関、各自治体、それに住民にその覚悟があるのかと問います。昨今の「地域主権」は上からのものであり、住民側からだされたものではない、市民革命を経ていない日本で地域主権が合うのかわからない、というのが氏の主張です。霞が関は自分の既得権を離したがらない、自治体はお金を集めること、20万人にもなる国家公務員を地方で受け入れる覚悟があるのかとも問います。

「政府や地域主権の推進論者は、本当の主権者は地域住民だ、住民が自ら地域のことを担うんだと、言っています。地域住民のみなさんは、仕事や家事を休んででも、地域のために役割を担うだけの情熱がありますか」と言うのです。

しかし何度かブログに書いたように、名古屋では既に河村市長が地域委員会を試験的に始め、昨年の京都と川崎の市長選でも区を行政単位とした政治の仕組みが公約として掲げられました。4年後は待ったなしです。特に川崎の場合は、連合と民主党で分裂して阿部市長に負けたものの、4年後は統一戦線を組み、福田候補は間違いなく、区民会議を公約とするでしょう。

鶏が先か卵か先か、(市民革命もなく)市民の住民自治の意識のないところで「地域主権」が可能か、これはいくら話してもキリがありません。しかし政府だけでなく、地方自治体内での分権論も待ったなしで進められようとしています。私は、地域住民の政治参加の仕組みが作られると、(一朝一夕ではなく)住民の意識も変わると考えています。失敗を繰り返しながらも、自分で責任を負って物事を決めていくことが自分の生活に直結する、代議員の先生に任せ4年に1回の選挙投票が政治参加ではない、という意識が芽生えると信じます。

時間はかかりますが、そのような住民の自立の過程で初めて、歴史責任や植民地支配の清算の必要性が住民の中で取り上げられるのだと考えるのです。社会学、地方経済学、地方自治や思想(哲学)の研究家のみなさん、どうぞ力を貸して下さい。右翼的な流れが急ピッチになっていると実感します。横浜市の中学生の歴史教科書も全て自由社のものに変えられるのも時間の問題です。これは横浜だけのことではなく、全国的な傾向だと思います。

私のような者にも「在特会」の「脅迫」がなされる時代になりました。このままでは本当に日本は困った社会になります。みなさん、なんとか一致協力し合おうではありませんか。

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