2010年4月15日木曜日

『イエスの現場―苦しみの共有』を読んで

『イエスの現場―苦しみの共有』を読んで

滝澤武人著『『イエスの現場―苦しみの共有』(世界思想社)を読みました。10年前には『福音書作家マルコの思想』を読んだことがあります。大阪の桃山学院大学の教授で、随分、熱い人だなという印象がありました。しかし私は田川建三の本を読んでいたからか、著者の独自の視点については印象に残ることはありませんでした。

この本では、田川さんの引用は少なく語り口が似ているところがところどころあるものの、自分らしさをだしていると感じました。まず、プロローグ(課題と方法)で、「イエスを語ることは自分自身を語ることにほかならない」と学者らしくない、勇気ある記述があり(失礼)、聖書学会については、「「学問と「実践」とが互いに遊離したまま、それぞれの道をつづけてきたというのが全般的な状況である」と書いています。率直な人だなと思い、著者の姿勢に好感を持ちました。

引用する新約聖書学者もいろいろと違いがあるのに、著者はこの「業界」ではめずらしく批判的なタッチはなく、ひたすら自分の追い求める、イエスのイメージを描くのに多くの研究者の引用をします。普通のクリスチャンからすれば眉をひそめて怒り狂うような内容であっても、彼は淡々とキリスト教教義や教会に挑戦をするのでなく、あくまでもイエスがどのように生きたのか、何を語ったのか、どのように行動したのかを書いています。

イエスは徹底して虐げられた、差別された側に付き、当時の正統的な信仰者を批判しながら、「神の国」に入ることは許されないとされていた彼らこそ「神の国」に入ると、信仰深い人には思いもよらない、しかし「現場」の人たちにはよくわかる比喩で語るイエスの像を鮮やかに描きます。滝澤イエスは自分の殺されることをわかっていながら、人間らしく生きることを貫徹します。「神の国」とは人間の生きる現実的な可能性だというのです。

普遍的な生き方論になる危険性を感じつつ、私は著者の主張に共鳴します。本の最後にイエスに関する本のリストがありますが、関心をもった人には、40年ぶりに大きく書き加えられて出版された、田川建三『批判的主体の形成』(洋泉社)をお勧めします。日本の大学や教会からパージされながら、キリスト教については、クリスチャンでない人に読まれているということでは比類のない「貢献」をしている田川さんの鋭さは群を抜いています。

彼がどこまで、聖書と取り組みながら、宗教批判を通して社会批判を深めるのか、私は楽しみにしています。そこからまた多くを学びたいと願っているのです。『イエスという男―逆説的反抗者の生と死』(作品社)のあとがきにあるように、彼もまたイエスに「とり憑かれた」人なのでしょう。こんなに人を引き付けてやまないイエスって、どんな人だったんでしょうか。私もまたイエスに従う人になりたいと思います。

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