2011年2月20日日曜日

小森陽一さんの講演内容についての疑問―前向きな問題提起として

金曜日に小森陽一さんの講演を聴きました。「神奈川・横浜の教科書採択が危ない!」という集会です。横浜で何が起こっているのかは、加藤千香子さんの説明を参考にしてください(「横浜市で何が起っているか?―自由社版「つくる会」教科書をめぐって―加藤千香子 」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/07/blog-post_28.html))。

小森さんは、東大の教授で「九条の会」の事務局長です。小田実、加藤周一亡きあと、会の実質的な責任者であると聞いています。よく準備されたレジュメに沿って、ゆっくりとしかし説得力のある話し方で、前に座っていたご婦人がたは何度も大きく頷いていました。結論は、草の根運動によってナショナリズムを強化しようとする動きに攻勢をかけようという、運動を鼓舞する話で、集まった1000名の人は満足していたと思います。

話の内容は、横浜の教育委員会がいかに前例のない汚ないやり方で「つくる会」系の中学教科書を採用したのか、それを全横浜、神奈川さらに全国展開のモデルケースにしていこうとしているが、その政治的背景は何かを説明したものでした。北朝鮮バッシングでは足りず、尖閣諸島という国民の感情・感覚に訴える領土問題を持ち出し、過去の歴史のごまかしで反民衆・女性、・アジアのナショナリズムを作り出そうとしているというのです。

尖閣諸島問題はまさに菅・小沢の闘いの最中、沖縄の選挙で米軍の移転を求める動きの中で起こり、沖縄返還協定の際にアメリカが沖縄への軍事力維持をねらって「火種」として仕込んでいた尖閣諸島の帰属問題が、クリントン国務長官発言によって「切り札」として使われた、従って尖閣諸島の問題はアメリカの「画策」であり、戦後処理の問題としてある、教科書問題はそのような(政治状況の)流れの中で出るべくして出たものなので、草の根の運動によってその流れを食い止める攻勢をかけなければならない、という趣旨でした。

しかし私にはいくつか小森さんの話に疑問が残ります。1時間では全てを語れないということもあるでしょうが、何点か指摘します。その一、教育委員会の委員長が悪者になっているが、彼を選んだのは中田市長であり、その任命を市議会が了承したということが語られず、「つくる会」系の人間とつるんだ委員長の責任になっています。これはネオリベ系の民主党議員や橋下、河村のような首長が増えたという社会の流れと関係する大きな問題であるはずです。

その二、アメリカのサンフランシスコ平和条約の時から「画策」してクリントンが「切り札」を切ったとされるその発言内容は明らかにされませんでした。帰ってネットで調べてみると、日本のマスコミはこぞって「日米外相会談でクリントン米国務長官が尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象であることを表明した」と伝えています。しかしこれだと、アメリカは日本サイドに立ち、中国に警告を与えたということになります。しかし一方、クリントンはそのような言質を与えなかったという説もあり、アメリカの政府高官は「日本と中国の領土問題には、アメリカは中立を守り、介入しない、両国の大人の対応を期待する」と正式にコメントしています。私にはその後の北方領土についての菅発言を見ても、尖閣諸島問題は日本政府の主導のように思えます。クリントンが出した「切り札」とは何だったのでしょうか。

その三、小森さんは戦後処理の問題として尖閣諸島を位置つけますが、これはそもそも明治以来の日本の植民地支配の問題なのではないでしょうか。私には小森さんは、闘う民衆(国民)は被害者であって、アメリカの傘下でナショナリズムの復権を願う支配者が問題であると二項対立的に捉え、その動きが教科書問題と連動しているので、教科書問題を草の根レベルで闘う必要があると主張しているように思えます。しかし植民地主義歴史観というものはまさに支配した側、された側の両方の民衆の中で生き続けてきたと見るのが、ポストコロニアリズム的な考えではなかったでしょうか。

その四、どうも「九条の会」の人と話をしていると自らに巣くう植民地主義、或いは加害者として存在する日本人、という認識が希薄なように感じます。また九条を守る(それ自体は正しいが)平和運動が、足下の地域の問題を取り上げるというよりは、集会などによって仲間を増やすという方向に向かっているような印象を受けます。例えば、川崎の市長が「いざと言う時に戦争に行かない外国人は『準会員』」(これは、日本人は戦争に行くということを語っている)という発言に関しても、ほとんどの人が関心を示さず、ましてや抗議しようともしません。外国人公務員の差別制度や、戦後の「在日」に対する差別・抑圧の根幹になった「当然の法理」関しても無関心です(「『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』を読んで、「当然の法理」again 」参照。http://t.co/7I8tZY6)。平和運動は幅広く、地域の問題と直結していると自覚し、多くの他の運動体との協働がなければ、あるいはそのつながりを求める思想的な営みをしないと、運動は広がらないと思われます(事実、1000名の集会においても若い人はほとんど見られませんでした)。私は、小森さん自身が自覚的にこのような問題を取り上げ、提起すべきだと考えます。

その五、教科書採択問題の背景として小森さんは時事的な問題を取り上げ説明しますが、もっと身近な問題、例えば外国人労働者が増えることや海外への経済進出は新たな植民地主義の問題と捉えるべきで、その国家戦略のためには、過去の植民地支配の全否定ではなく、やり方に問題があったが、根本的には正しかったという国民的なコンセンサスが必要なのでしょう、それが「多文化共生」のイデオロギーであり、「つくる会」系の教科書採択に結びついているのではないでしょうか。小森さんにはこのような視点がまったく見ることができませんでした(「「国体」「皇国史観」って過去の遺物なんでしょうか。」参照。http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/02/blog-post_04.html)。

私の指摘を組織批判と捉えず、仲間からの前向きな問題提起と理解していただけることを願います。

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